遠藤 光男(えんどう みつお、1942年9月23日 - )は… 遠藤 光男(えんどう みつお、1942年9月23日 - )は、日本のボディビルダー、ボディビル指導者、ジム経営者、プロレスリングレフェリー。日本における筋力トレーニングの第一人者として、三島由紀夫、千代の富士、朝青龍など各界の著名人やスポーツ選手を数多く指導した。また、日本アームレスリング連盟を創設するなどアームレスリングの普及にも尽力した。
9月23日生まれ:301人
遠藤 光男(えんどう みつお、1942年9月23日 - )は… 遠藤 光男(えんどう みつお、1942年9月23日 - )は、日本のボディビルダー、ボディビル指導者、ジム経営者、プロレスリングレフェリー。日本における筋力トレーニングの第一人者として、三島由紀夫、千代の富士、朝青龍など各界の著名人やスポーツ選手を数多く指導した。また、日本アームレスリング連盟を創設するなどアームレスリングの普及にも尽力した。
田中 宏(たなか ひろし、1941年9月23日 - )は、日… 田中 宏(たなか ひろし、1941年9月23日 - )は、日本の経営者。クレハ社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に呉羽化学工業(のちのクレハ)に入社。1997年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務、2001年6月に専務を経て、2003年6月には社長に就任。2007年4月から2010年6月までに会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山口 直彦(やまぐち なおひこ、1939年9月23日 - 2… 山口 直彦(やまぐち なおひこ、1939年9月23日 - 2019年8月30日)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。元甲南大学文学部教授。医学博士。 1939年兵庫県神戸市生まれ。1965年神戸医科大学卒業。1970年神戸大学大学院医学研究科修了、医学博士。その後神戸大学医学部精神神経科助教授、兵庫県立光風病院長、甲南大学文学部人間科学科教授 を経て、兵庫県こころのケアセンター長、光風病院名誉院長。2019年8月30日没。
菅野 菜保之(かんの なおゆき、1939年9月23日 - )… 菅野 菜保之(かんの なおゆき、1939年9月23日 - )は日本の俳優。本名並びに旧芸名は菅野忠彦。東京都出身。身長170cm。ミズキ事務所所属。
青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)… 青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)9月23日 - )は、日本の実業家。メンズ、レディースファッションの「AOKI」・ブライダルの「アニヴェルセル」・エンターテイメントの「快活フロンティア」を中心としたAOKIグループの創業者。元AOKIホールディングス代表取締役会長。公益財団法人AOKI財団 の評議員、名誉会長。日本創新党の有力な支援者だった。 1938年9月、更級郡篠ノ井町(現・長野県長野市)で米穀商・青木商店の長男として生まれる。太平洋戦争後の1946年、父親が質屋を開業するも、行き詰まる。 長野商業高校卒業後の1958年9月、数有る質流れ品の中で自分が着用し理解できる洋服の販売を決意、弟 青木寶久とともに個人商店「洋服の青木」を創業。
出原 洋三(いずはら ようぞう、1938年9月23日 - )… 出原 洋三(いずはら ようぞう、1938年9月23日 - )は、日本の経営者。日本板硝子社長、会長を務めた。 大阪府出身。1962年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本板硝子に入社した。1996年6月に常務に就任し、1998年6月には社長に就任。2004年6月には会長に就任し、2010年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮城 公子(みやぎ きみこ、1937年(昭和12年)9月23… 宮城 公子(みやぎ きみこ、1937年(昭和12年)9月23日 - )は、日本の歴史学者。元甲南大学教授。専門は日本史・近世近代の日本思想史。史学研究会、日本史研究会、歴史学研究会などに所属した。大塩平八郎の研究で知られる。 なお、沖縄大学名誉教授の宮城公子(比較文学・日本近代文学・沖縄文学)は同名異人である。 京都市右京区生まれ。1956年京都府立桂高等学校卒業。1960年京都大学文学部(史学科国史学専攻)卒業。1966年同大学院文学研究科国史学専攻博士課程単位取得満期退学。同年京都府立総合資料館勤務。1972年より京都大学文学部助手、四天王寺女子大学文学部助教授、甲南大学文学部助教授を経て、1984年に同大教授。
柘植 元一(つげ げんいち、1937年9月23日 - )は、… 柘植 元一(つげ げんいち、1937年9月23日 - )は、日本の音楽学者、東京藝術大学名誉教授。東洋音楽学会会長、国際伝統音楽学会(ICTM)理事。 愛知県生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、1963年同専攻科修了、ウェズリアン大学大学院民族音楽学博士課程修了、音楽学博士。ウェズリアン大学助教授、国立音楽大学助教授、教授、東京藝術大学教授、2001年名誉教授。
本所 次郎(ほんしょ じろう、1937年(昭和12年)9月2… 本所 次郎(ほんしょ じろう、1937年(昭和12年)9月23日 - 2012年(平成24年)11月2日)は、日本の小説家、ジャーナリスト。 東京・下町の本所生まれ。ペンネームはそれに由来する。明治学院大学英文科卒。 中学、高校、大学に進んでからも新聞配達を続けたのは、苦学生だったせいもあるが、新聞が好きだったことも理由の一つだった。 大学卒業後、日刊工業新聞社に入社。経済部記者、とくに運輸省記者クラブの担当が長く、その経験がジャパンラインを扱った『転覆』(1982年、講談社文庫)やロッキード事件を主題とした『暴かれた航空機商戦』(1983年、講談社)などの作品を生んだ。記者時代には、多くの企業人の知己を得たが、中でも有吉義弥(日本郵船)、若狭得治(全日空)、田中勇(東急)の3人にぞっこんに惚れ込んだという。
中村 猛(なかむら たけし、1936年〈昭和11年〉9月23… 中村 猛(なかむら たけし、1936年〈昭和11年〉9月23日 - 2024年)は、日本の実業家。東京都杉並区出身。株式会社松木屋常務取締役、株式会社仔熊代表取締役社長、石川玩具株式会社専務取締役を歴任した。 東京都杉並区に生まれる。1949年、久我山学園久我山中学校(現・國學院大學久我山中学校)を卒業。 1952年、東京都立豊玉高等学校に入学。サッカー部に所属し、同年の第31回全国高等学校サッカー選手権大会東京都大会で優勝を経験した。 1955年4月、青山学院大学経済学部に入学し、サッカー部に所属。1959年3月に卒業した。 同年4月、西武百貨店に入社。29歳で課長職に昇進後、浜松店・高槻店を経て、西武が業務提携を行っていた青森県の地方百貨店・株式会社松木屋の常務取締役に就任。
佐藤信弘(さとう のぶひろ、1936年9月23日- )は、日… 佐藤信弘(さとう のぶひろ、1936年9月23日- )は、日本の歌人。 東京府(現豊島区)生まれ。実家は真言宗寺院。1960年学習院大学経済学部卒業。伊勢丹百貨店に入社し、定年となる1996年まで勤める。 1959年、加藤克巳の主宰する歌誌「近代』」に入会。1963年、加藤が「近代」を終刊して新たに「個性」を創刊し、佐藤も参加する。1993年、沖ななもと「詞法」を創刊。1998年、脳梗塞で倒れ、闘病生活に入る。2004年、「個性」が終刊する。同時に沖が「詞法」を改名して「熾」を創刊し、佐藤も参加。 作風は超難解とされ、「実験的前衛モダニズム短歌とでもいうべき孤高の姿をしている」と評されている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は… 伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は、日本の俳優。千葉県館山市出身。本名同じ。 安房第一高校、舞台芸術学院卒業。 劇団俳優座養成所、千田杉山教室を経て、劇団俳優小劇場に入団。初舞台は『十二夜』。フリーランス期間を経て、劇団俳小、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - … 御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - )は、日本の経営者・実業家。キヤノン代表取締役会長。 第6代、第8代キヤノン社長を経て、同会長。第2代日本経済団体連合会会長を務め、現在は名誉会長。内閣府経済財政諮問会議議員。若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。読売新聞グループ本社監査役。ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長。 大分県立佐伯鶴城高等学校から転入して東京都立小山台高等学校、中央大学法学部卒業。「財界総理」といわれる日本経済団体連合会会長職に私立大学出身者として初めて就任した。
市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )… 市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )は日本のテレパシーの研究者。 新潟県中蒲原郡横越村(現新潟市江南区)生まれ。新潟県立新潟工業高等学校、新潟大学理学部物理学科(物性物理専攻)を卒業。新潟青陵高等学校、新潟明訓高等学校で教諭経験。 会社勤務の傍ら、数百名の会員を擁する超心理研究会を主宰し、1967年から1987年にかけて会誌『テレパシー』を119号まで発行した。
関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )… 関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )は、日本近代文学の研究者。都留文科大学名誉教授。
小倉 重夫(おぐら しげお、1935年9月23日 - )は、… 小倉 重夫(おぐら しげお、1935年9月23日 - )は、日本の舞踊評論家、翻訳家。 東京生まれ。立教大学文学部卒、1965年デンマーク・ロイヤル・バレエ・アカデミー修了、1972年東京大学教養学部中退あるいは卒業。1979年から三年間芸術祭審査委員。
保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、… 保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。
森谷 尅久(もりや かつひさ、1934年9月23日- 201… 森谷 尅久(もりや かつひさ、1934年9月23日- 2019年10月2日)は、日本史学者、武庫川女子大学名誉教授。 京都市出身。1957年立命館大学文学部卒、64年同大学院文学研究科修士課程修了。大津市史編纂委員、京都市史編纂所員、京都大学人文科学研究所講師、1982年京都市歴史資料館初代館長。武庫川女子大学教授、2005年定年、名誉教授。京都文化に関する著作多数。
中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本… 中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本の元俳優。兵庫県姫路市出身。日本大学芸術学部卒業。 1950年に演劇で活動していたところを千葉泰樹や藤本眞澄に認められ、千葉の監督作品『山のかなたに』(藤本プロ・新東宝)でデビューする。 1954年に東宝と専属契約し、千葉の監督作品に常連として出演するほか、岡本喜八、谷口千吉、本多猪四郎、須川栄三らの各監督にも多く起用され、特撮、時代劇、戦争映画などジャンルを問わずに出演する。コミカルな演技でバイブレイヤーとして活躍し、東宝の映画に数多く出演するなか、テレビドラマにも出演し、活動の幅を広げていった。 1970年代に入り、東宝俳優専属システムの崩壊を経て数多くの専属俳優が引退する中、中山もそれに伴って引退し、映画界から姿を消した。
三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プ… 三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。兵庫県西宮市在住。 兵庫県西宮市出身。旧制灘中学校を経て、神戸大学に進学し、大学在学時には野球部に所属していた。1953年に大学を卒業した後に阪神電気鉄道に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1996年6月から1997年6月までに取締役を務めた。 1985年には阪神タイガース取締役に就任、1990年から本社専務と兼任した上で球団社長となり、低迷するチームの再建のために甲子園球場のラッキーゾーン撤廃や若手育成施設「タイガース・デン」の建設や球団組織の改革などのチーム改革に取り組んだ。
中尾 明(なかお あきら、1930年9月23日 - 2012… 中尾 明(なかお あきら、1930年9月23日 - 2012年9月26日)は、日本の翻訳家、SF作家、児童文学者。 東京府生まれ。明治学院大学英文科卒業。日中児童文学美術交流センター会長、日本児童文学者協会理事、創作集団プロミネンス代表を務めていた。数多くの創作と翻訳(SF、推理小説など)がある。本名は長尾(旧姓:岡部)利男。 板橋区に六人弟妹の長男として生まれる。 1953年、明治学院大学を卒業後、秋田書店に編集者として入社。月刊誌『漫画王』の編集者として手塚治虫番(「ぼくのそんごくう」を担当)をするも結核になり、退職。その後はフリーのライターとして講談社『少年マガジン』などにかかわる。少年少女雑誌にノンフィクション、ルポ、ノベライズ、漫画原作(細野みち子「白鳥少女」少女フレンド連載)、ジュブナイルのSFやミステリーの翻訳にも手を染めるなど多方面の執筆活動を行い、創作でも代表作『黒の放射線』などを発表した。
赤木善光(あかぎ よしみつ、1929年9月23日 - 202… 赤木善光(あかぎ よしみつ、1929年9月23日 - 2022年3月1日)は、日本の神学者。東京神学大学名誉教授。 福岡県出身。九州大学文学部哲学科卒業、1956年東京神学大学大学院修士課程修了、日本基督教団東中通教会主任牧師、1961年から1962年までフランス・ストラスブールのプロテスタント神学大学博士課程に学び、帰国後東北学院大学講師、1965年東京神学大学講師、1967年助教授、1972年教授、1973年「信仰と権威 -新約聖書からアウグスティーヌスまで」で東京神学大学神学博士。1966年から1986年まで自由が丘教会主任牧師。1998年東京神学大学を定年退職。 2022年3月1日に死去した。
佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は… 佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は、日本のカトリック聖職者・神学者。 神奈川県藤沢市出身。1948年カトリック教会にて受洗(洗礼名ヨセフ)。上智大学卒、エルマー神学大学倫理神学科卒。玉川大学文学部講師、助教授、教授(教育学)。国際援助団体・手を貸す運動代表。社会福祉法人・地の星理事。西アフリカ・シエラレオネにあるグァダルーペ聖母女子学園(OLG学園)を支援した。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 201… 林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 2011年11月30日)は、日本の建築家。日建設計で、チーフアーキテクトとして活躍。1971年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会賞作品賞を受賞した。夫人は建築家の林雅子。
末尾 至行(すえお よしゆき、1927年9月23日 - 20… 末尾 至行(すえお よしゆき、1927年9月23日 - 2023年6月16日)は、日本の人文地理学者。関西大学名誉教授。 神戸市出身。1952年京都大学文学部史学科卒。1971年「水力開発=利用に関する歴史地理学的研究」で京大文学博士。奈良女子大学助教授、1967年関西大学文学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。東西学術研究所委嘱研究員。1986-88年、1992-94年人文地理学会会長。主として水車を研究した。 2009年4月瑞宝中綬章受章。
分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - … 分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - 2009年1月29日)は、日本の近代日本文学研究者。東京教育大学教授・実践女子大学教授を経て、同大学長・名誉教授。1999年勲三等瑞宝章受章。 秋田県南秋田郡五城目町出身。旧制秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)等を経て東京文理科大学卒業。 その後、高校教諭、東京教育大学教授、実践女子大学教授、同大学長(1993年)。のち名誉教授。1999年秋、勲三等瑞宝章受勲。
作道 洋太郎(さくどう ようたろう、1923年(大正12年)… 作道 洋太郎(さくどう ようたろう、1923年(大正12年)9月23日 - 2005年(平成17年)2月4日)は、日本の経済学者・経営学者。専門は、日本経済史・経営史。学位は、経済学博士(大阪大学・1961年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 … 安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 - 2017年12月9日)は、日本の文部官僚、歌人、教育学者。 石川県松任市(現・白山市)出身。1944年東京帝国大学法学部卒。1946年文部省入省(学校教育局)。1969年文部省大臣官房長、74年初等中等教育局長、1975年文化庁長官、1977年宮内庁東宮大夫、1980年浩宮徳仁親王の成年式を指揮。退任後は日本工芸会会長を務めた。佐藤佐太郎創刊の歌誌「歩道」同人で、アララギ派の歌人としても活動。 2017年12月9日午後5時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。95歳没。
井手 久美子(いで くみこ、1922年〈大正11年〉9月23… 井手 久美子(いで くみこ、1922年〈大正11年〉9月23日 - 2018年〈平成30年〉7月1日)は、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の孫。作家。 東京府東京市小石川区小日向第六天町(現在の東京都文京区春日)出身。 徳川慶喜の七男・徳川慶久の四女として誕生した。慶喜の孫だが慶喜の死から9年後に誕生しているため、面識はない。 自宅の所在地から「第六天」と称され、慶喜が晩年も過ごした3400坪の広大な屋敷で幼少期を過ごす。屋敷には50人近くが住んだ。女子学習院には車ではなく、市電で通学。テニスや乗馬、木登りを楽しんだ。 1941年に19歳で徳川家と縁も深い、福井松平家(越前松平家)第19代当主の松平康昌侯爵の長男・松平康愛と結婚する。
菅野 直(かんの なおし、1921年〈大正10年〉9月23日… 菅野 直(かんの なおし、1921年〈大正10年〉9月23日- 1945年〈昭和20年〉8月1日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。大東亜戦争における撃墜王。戦死認定による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 胴体に黄色のストライプが描かれた紫電改で、前方高度差1000メートル以上の高さから、背転して真っ逆さまに垂直に突っ込み、真上から敵機に攻め込む「対大型爆撃機戦法」を編み出し、米軍の大型戦闘機パイロット達の間で「イエローファイター」と呼ばれて怖れられた人物である。 1921年(大正10年)9月23日、警察署長である父・浪治の赴任先で日本統治下の朝鮮の竜口(現:北朝鮮平壌近郊)に次男として生まれる。
佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - … 佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - 2011年4月12日)は、日本の工学者、工学博士。東北大学名誉教授。東北学院大学名誉教授。宮城県古川市(現大崎市古川)に生まれる。東京タワー(日本電波塔)の放送アンテナや、新幹線の通信システムの設計、開発に従事。通信工学の権威。 専門は通信工学、電気回路学、情報伝送工学、環境電磁工学で著書も多い。主な業績として次のものが挙げられる。
奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9… 奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9月23日 - 2009年 <平成21年> 5月11日 )は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は正四位。 大阪府大阪市出身。1941年に高文行政科に合格し、1942年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1972年11月に神戸銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1983年6月には頭取に昇格した。1987年6月に会長に就任し、1990年4月に太陽神戸三井銀行(のちのさくら銀行)会長に就任し、1991年6月に相談役、1998年7月に常任顧問、2000年4月に名誉顧問を歴任した。 関西テレビ放送監査役、兵庫県公安委員会委員長も務めた。
村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 20… 村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 2020年9月24日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。宮崎県都城市出身。 1941年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日立造船に入社。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月から1988年6月までに社長を務めた。 2020年9月24日急性肺炎のために死去。100歳没。
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日… 金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の日本の俳人。現代俳句協会名誉会長。日本芸術院会員。2008年、文化功労者に選出される。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。 加藤楸邨に師事した。「寒雷」所属を経て「海程」を創刊し、主宰した。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任した。 埼玉県比企郡小川町の母の実家で、父・金子元春と母・はるの長男として生まれる。父の元春は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」の俳号を持つ俳人である。
岸本 泰延(きしもと やすのぶ、1919年9月23日 - 2… 岸本 泰延(きしもと やすのぶ、1919年9月23日 - 2012年10月17日)は、日本の経営者。昭和電工社長、会長を務めた。 岡山県岡山市出身。1941年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、翌年に昭和電工に入社した。1967年2月に取締役に就任し、同年8月に常務、1973年2月に専務を経て、1979年7月に副社長に就任し、1981年3月には社長に昇格した。1987年3月に会長に就任し、1995年3月から相談役を務めた。 2012年10月17日、転移性肺がんのために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平山 菊二 (ひらやま きくじ、1918年9月23日 - 1… 平山 菊二 (ひらやま きくじ、1918年9月23日 - 1998年5月28日)は、日本のプロ野球選手(左翼手)。
中西 陽一(なかにし よういち、1917年(大正6年)9月2… 中西 陽一(なかにし よういち、1917年(大正6年)9月23日 - 1994年(平成6年)2月2日)は日本の政治家、官僚。石川県知事(8期、第47-54代)。石川県の公選知事としては3人目にあたる。京都府出身。
滝澤 義夫(たきざわ よしお、1917年(大正6年)9月23… 滝澤 義夫(たきざわ よしお、1917年(大正6年)9月23日 - 2003年(平成15年)6月4日)は、日本の政治家。岡山県倉敷市長。玉島市(現・倉敷市)長。位階は正五位。 岡山県浅口郡三和村(のち金光町、現・浅口市)出身。1942年、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)卒。卒業後は石原産業海運(株)に入社、戦後は玉島町立玉島第一中学校(現・倉敷市立玉島東中学校)教諭となり、のち、水島機工(株)を設立し、社長となった。1955年、玉島市議会議員、1959年に玉島市長に当選した。市長は2期務め、1967年の倉敷市との合併に伴い、倉敷市助役に就任した。1979年、倉敷市長に当選。市長を3期務め、この間、全国市長会副会長を務めた。
朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月… 朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月23日 - 1991年9月24日)は、大韓民国の法学者、警察官僚、政治家、実業家、外交官。保健社会部次官、第12代交通部長官、第23代文教部長官、制憲・第4・5・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は密陽朴氏。号は霞庭。 釜山出身。釜山第二公立商業学校を経て、1941年明治大学法学部卒。同大法律特別研究室での国際司法研究を経て、1955年ミズーリ州立大学大学院政治科修了。満洲国奉天省での農場経営を経て、光復後は釜山水上警察署長、大学講師、第7管区警察庁・慶尚南道警察局公安課長、釜山東亜大学政治科副教授・教授(1951年、国際司法を担当)、国際新報社長、釜山日報社長(1951年)、釜山女子大学長、第4代国会財経委員、保健社会部政務次官、第12代交通部長官(1961年5月3日~1961年5月18日)、国民の党幹事長(1963年)、京郷新聞社長(1966年)、駐トルコ大使(サウジアラビア・ヨルダン兼任)、駐インド大使(アフガニスタン・バングラデシュ兼任)、韓インド協会長、第23代文教部長官(1977年12月20日~1979年12月13日)、韓国外国語大学校大学院教授(1981年)、世宗大学校財団理事長(1990年)を歴任した。
小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 … 小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 – 2008年(平成20年)11月20日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 鳥取県出身。1933年(昭和8年)米子中学校、1936年(昭和11年)関西大学大学専門部法科を卒業した。1940年(昭和15年)から神戸市の旧制中学校で教員を務めた。 戦後すぐに教職員組合の結成に取り組み、神戸市教職員組合の役員を務めた。1950年(昭和25年)日本社会党に入党。同党兵庫県本部書記長、同委員長、同顧問を歴任。1951年(昭和26年)兵庫県議会議員に選出され5期在任した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から社会党公認で出馬して初当選。
鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、… 鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、1915年9月23日 - 1999年5月21日)は、大韓民国の実業家、教育者、政治家。交通部長官、国務院事務処長、第2・4・5・8・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。金大中夫人李姫鎬の甥の1人は娘婿である。 慶尚南道固城郡出身。1935年徽文高等普通学校(現・徽文高等学校(朝鮮語版))卒、1941年中央大学法学部卒。中央大学同窓会委員長に選ばれたことがきっかけに独立運動を展開したが、検挙され投獄された。出獄後は朝鮮陶器社長、大韓独立促成国民会副支部長、釜山韓洋貿易株式会社社長、三千浦中学校(朝鮮語版)・三千浦女子中学校校長(1948年〜1950年)、南陽学園理事長(1951年)、第2代国会憲法起草委員会委員・法制司法委員会常任委員・国防委員会常任委員、第4代国会内閣責任制改憲案起草特別委員会委員長、第二共和国憲法起草委員長、民主党慶尚南道党副委員長・泗川郡党委員長・中央常務委員・政策委員、民主党張勉内閣の交通部(現・国土交通部)長官(通算第10代、1960年8月~9月)、第10代国務院事務処長(1960年9月12日~1961年5月18日)、新民党慶尚南道党委員長、民主党政策審議会議長、新民党政務委員・政策審議委員会議長・選挙対策本部次長兼企画室長・党務委員、第28回UN総会韓国代表、第61回IPU韓国代表理事、新民党全党大会議長(1976年)、民主化推進協議会指導委員(1985年〜1988年1月)を務めた。
東條 輝雄(とうじょう てるお、1914年(大正3年)9月2… 東條 輝雄(とうじょう てるお、1914年(大正3年)9月23日 - 2012年(平成24年)11月9日)は、昭和期の日本の航空技術者、実業家。 陸軍大将・第40代内閣総理大臣:東條英機の次男として東京府東京市(現東京都)にて出生。東京府立第六中学校、旧制福岡高等学校を卒業。当初は数学が好きなので数学の先生になることを考え、大学受験時に父に相談すると、飛行機を勧められ、航空学科を選択した。1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学工学部航空学科を卒業。同期は高山捷一、内藤子生、渋谷巌などで「花の十二年組」と呼ばれた。三菱重工業に入社し、名古屋航空機製作所に勤務。ゼロ戦の設計チームに配属され、強度計算を担当した。
右近 徳太郎(うこん とくたろう、1913年9月23日 - … 右近 徳太郎(うこん とくたろう、1913年9月23日 - 1944年9月15日)は、兵庫県武庫郡住吉村(現:神戸市東灘区)出身のサッカー選手。 豊富な運動量とパスの技術に長けるゲームメーカーで、フォワードからフルバックまでどこでも水準以上のプレーをして見せたという。 1913年9月23日、実業家・資産家の右近福次郎、とき(旧姓小寺)の子として、住吉村にて生まれる。兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)の4年生だった1930年、第12回全国中等学校蹴球選手権大会で全国優勝を経験。翌1931年に慶應義塾大学に入学し、ソッカー部では予科1年時から主力選手として活躍。在籍中、チームは関東大学リーグなど大学対抗大会において数々の好成績を挙げた。
吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23… 吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23日 - 2012年(平成24年)5月22日)は、日本の音楽評論家、随筆家。 クラシック音楽の豊富な体験・知識をもとに、音楽の持つ魅力や深い洞察をすぐれた感覚的な言葉で表現し、日本の音楽評論において先導的役割を果たす。音楽のみならず文学や美術など幅広い分野にわたる評論活動を続け、日本の音楽評論家としては初の個人全集が刊行されて、第2回大佛次郎賞を受けた。大の相撲好きでもあった。 1971年から朝日新聞に『音楽展望』を毎月書き続けたが、2003年11月に妻の吉田=クラフト・バルバラと死別した後、『音楽展望』だけでなく他の書く仕事も一切やめた。
藤牧 直(ふじまき なおし、1912年9月23日 - 198… 藤牧 直(ふじまき なおし、1912年9月23日 - 1980年3月22日)は、日本の総務官僚。元拓務省南洋庁ヤップ支庁長、郵政省監察局長。 長野県生まれ。1929年(昭和4年)旧制松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1934年(昭和9年)、旧制富山高等学校を経て、京都帝国大学経済学部卒業。 戦前は、拓務省南洋庁ヤップ支庁長を務めたほか、戦後は1949年(昭和24年)人事院給与局実施課長、1954年(昭和29年)郵政省(現:総務省)人事部厚生課長、1962年(昭和37年)監察局長を務め、翌年に退官、郵政弘済会長となり、1967年(昭和42年)福島テレビ専務取締役、1972年(昭和47年)民間放送テレビ回線運営センター常任監事などを務めた。
小堀 文雄(こぼり ふみお、1912年9月23日 - 199… 小堀 文雄(こぼり ふみお、1912年9月23日 - 1999年11月20日)は、茶道小堀遠州流の第15世家元。号は「宗通」(そうつう)。 現在の東京都千代田区に生まれる。1936年に日本大学専門部国文学科を卒業した。 1953年に父である第14世進(宗忠)が死去したことに伴い家元を継ぐ。 後援会組織松籟会を設立。東京美術倶楽部東茶会、根津美術館茶友会、巧匠会茶会などで懸釜を実施。[要出典] 『小堀遠州の茶道』(浪速社、1969年)、『幻の茶室 転合庵』(村松書館、1980年)、『小堀遠州東海道紀行』(村松書館、1985年)などの著書がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
酒井 通温(さかい みちはる、1912年(大正元年)9月23… 酒井 通温(さかい みちはる、1912年(大正元年)9月23日)- 1997年(平成9年)1月2日)は、日本の囲碁棋士。三宅一夫七段門下、日本棋院所属、九段。本名保一。王冠戦優勝2回、本因坊戦リーグ入りなど。日本棋院中部総本部に所属、棋士会長を長く務めるなど、中京碁界の重鎮としてその隆盛に貢献した。酒井四兄弟の康雄、利雄、義允の長兄。酒井栄男七段は実子。 愛知県岡崎市に生まれる。1924年に名古屋在住の三宅一夫に入門。1927年入段。1932年四段。1940年五段。1948年、日本棋院東海支部から改称した東海本部に所属し、第5期本因坊戦の関西予選五段級に出場、炭野武司、窪内秀知、瀬川良雄、染谷一雄と連勝して「東海の鬼」と呼ばれた。
鴨 良弼(かも よしすけ、1909年〈明治42年〉9月23日… 鴨 良弼(かも よしすけ、1909年〈明治42年〉9月23日 - 1994年〈平成6年〉5月4日)は、日本の法学者・裁判官・教育者。刑事訴訟法学者。東北大学名誉教授。東北大学法学部教授を経て、一橋大学法学部で刑事訴訟法講座の初代教授を務めた。 1909年、福島県石城郡湯本町生まれ。1929年、青山師範学校を卒業。卒業後は、東京の旧制尋常小学校に教員として勤務した。1940年、司法試験(旧制)合格。九州帝國大学法文学部に入学し、1941年に卒業。司法修習生(旧制)となる。 1942年、東京地方裁判所判事。1944年からは秋田地方裁判所判事。その後、仙台地方裁判所判事を経て、1952年東北大学法学部助教授に着任。
大谷 省三(おおたに せいぞう、1909年9月23日 - 1… 大谷 省三(おおたに せいぞう、1909年9月23日 - 1994年5月6日)は、日本の農業経済学者、東京農工大学名誉教授。子は大谷禎之介。 島根県出身。東京帝国大学卒。帝国農会などで日本農業の生産力構造などを研究。東京農工大学助教授。1951年、教授。1972年、退官、岐阜経済大学教授。マルクス主義農業経済学者で、1963年には農業問題研究会議の創設に加わる。日本農業経済学会会長。 1958年に大躍進政策が行われている中華人民共和国を訪問し、試験田で敷き詰められた稲の上に乗った経験から、毛沢東らが主導した「密植」の成果であると主張したが、当時の中国では他の場所で育てた苗を敷き詰めるなどの偽装が頻繁に行われていた(実際には「密植」は植物の生態を全く無視した疑似科学であり、これらの誤った農業指導が中華人民共和国大飢饉をもたらして大量の死者を出している)。
河崎 邦夫(かわさき くにお、1907年9月23日 - 19… 河崎 邦夫(かわさき くにお、1907年9月23日 - 1988年4月7日)は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1925年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、翌年に日本毛糸紡に入社。1955年に東洋紡績取締役に就任し、常務、専務を経て、1963年に副社長に就任し、1966年6月には社長に昇格した。1974年6月に会長に就任し、1978年7月に相談役に就任し、1986年7月から名誉顧問を務めた。関西電力監査役も務めた。 1969年11月に藍綬褒章を受章し、1979年11月に勲二等旭日重光章を受章した。 1988年4月7日心不全のために死去。80歳没。