橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年… 橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年)7月29日 - 2006年(平成18年)7月1日)は、日本の政治家、登山家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は法学士(慶應義塾大学)。岡山県総社市名誉市民。剣道錬士六段。
7月29日生まれ:328人
橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年… 橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年)7月29日 - 2006年(平成18年)7月1日)は、日本の政治家、登山家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は法学士(慶應義塾大学)。岡山県総社市名誉市民。剣道錬士六段。
中山節夫(なかやませつお、1937年7月29日 - )は日本… 中山節夫(なかやませつお、1937年7月29日 - )は日本の映画監督。熊本県菊池郡合志町(現合志市)出身。 1960年、多摩美術大学付属芸術学園映画科を卒業し、日活撮影所に入所。1962年よりフリーの助監督として多数の作品に携わった。その後熊本に帰郷し、1969年に映画デビュー作「あつい壁」を監督した。ハンセン病に対する根強い差別を扱い、話題になった。 2007年『新・あつい壁』を手がける。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
義原 武敏(よしはら たけとし、1937年7月29日 - 2… 義原 武敏(よしはら たけとし、1937年7月29日 - 2010年)は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(投手)。 安来中学校(現在の安来市立第一中学校)から米子東高校に進学。高校再編に伴って野球部員が分散を余儀なくされ戦力が手薄となっていたため1年春から先発投手として起用される。1953年秋季中国大会県予選決勝で境高の米田哲也に投げ勝ち本大会に進むが、準決勝でエース横溝桂を擁する岡山東商に敗れ春の選抜出場を逸する。2年時の1954年には阪神軍でプレー経験がある監督の大橋棣の下、夏の甲子園に出場。1回戦は滝川高に延長11回サヨナラ勝ち。2回戦に進出するが、榎本喜八らのいた早稲田実に敗れる。1954年は持病の肋間神経痛のため精彩を欠き、夏の県予選は準決勝で倉吉東高に敗退した。
大下 静之(おおしも しずゆき、1936年7月29日 - )… 大下 静之(おおしも しずゆき、1936年7月29日 - )は、日本の経営者。フマキラー社長を務めた。熊本県出身。社長を務めた大下高明の義理の従弟に当たる。 1960年に鹿児島大学農学部農学科を卒業し、同年3月に大下回春堂(現在のフマキラー)に入社。 1980年2月に取締役に就任し、1983年2月に常務を経て、1985年2月には大下高明の後任として社長に就任。1991年2月に体調不良により、後任に大下高明の長男である大下俊明に譲り、自身は社長を退任。
清水 寛(しみず ひろし、1936年7月29日 - 2026… 清水 寛(しみず ひろし、1936年7月29日 - 2026年1月27日)は、日本の教育学者。知的障害児教育が専門。埼玉大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東京教育大学教育学部特殊教育学科卒業、同大学院博士課程満期退学。埼玉大学教育学部講師、助教授、教授、2002年定年退官、名誉教授。全国障害者問題研究会委員長、顧問。2002年『セガン 知的障害教育・福祉の源流』(編著)で第24回社会事業史学会文献賞受賞。2017年秋の叙勲で、瑞宝中綬章受章。
牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、19… 牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、1935年〈昭和10年〉7月29日 - )は、日本の漫画家。日本漫画家協会の元参与。夫は同じく漫画家で『銀河鉄道999』などで知られる松本零士。 兵庫県神戸市出身。大阪府立高津高等学校卒業(6期生)。 1957年(昭和32年)『母恋いワルツ』でデビュー。1960年代初めは『りぼん』(集英社)、1963年創刊の『マーガレット』(集英社)や『少女フレンド』(講談社)などで活躍の後、レディースコミックに転向。 近年は、女性週刊誌・青年誌などに『悪女聖書(あくじょばいぶる)』(原作:池田悦子)など官能的な漫画作品を連載し、ドラマ化された作品もある。
西田 吉宏(にしだ よしひろ、1934年〈昭和9年〉7月29… 西田 吉宏(にしだ よしひろ、1934年〈昭和9年〉7月29日 - 2007年〈平成19年〉11月19日)は、日本の養鶏家、政治家。参議院議員・西田昌司の父。 参議院議員(3期)、自民党参議院国会対策委員長、参議院議院運営委員長、京都府議会議長、京都府議会議員(5期)などを歴任。 1934年(昭和9年)、京都府京都市出身。父親が病気がちであったため小学生の頃から家の手伝いをしていて、千本今出川まで自転車の前と後ろに籠をぶら下げて、1日に2回も卵の配達をしたという。 エンジニアを夢見ていたが、父親の病がいよいよ悪化してしまい、授業料が払えなくなり京都市立洛陽高等学校を中退して家業に専念し、懸命に働いた結果、20歳代半ばで3つの養鶏場を経営する、京都でもひとかどの養鶏家として知られるようになった。
奈倉 道隆(なぐら みちたか、1934年7月29日- )は、… 奈倉 道隆(なぐら みちたか、1934年7月29日- )は、名古屋市出身の浄土宗の僧侶、医師、東海学園大学名誉教授。専門は共生人間論、老年医学。 名古屋市生まれ。1960年京都大学医学部卒。1973年医学博士。1974年 佛教大学文学部仏教学科卒。大阪社会事業短期大学助教授、大阪府立大学社会福祉学部教授、1986年龍谷大学社会学部教授、1997年東海学園大学教授、2005年同名誉教授、四天王寺国際仏教大学教授、放送大学客員教授。 2018年6月22日、奈倉ら吉田寮出身者で組織される「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」が、京都大学の総長の山極寿一に2018年9月以降に吉田寮の旧棟を保存活用するよう求める要請書を提出した。
山口 巌(やまぐち いわお、1934年7月29日 - 202… 山口 巌(やまぐち いわお、1934年7月29日 - 2020年9月29日)は、日本の言語学者・ロシア語学者。京都大学名誉教授。 朝鮮咸鏡南道元山府(現・江原道元山市)出身。1957年京都大学文学部文学科卒業。1962年京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。京大教養部助教授、教授。人間・環境学研究科(文化環境言語基礎論講座担任)教授。1998年定年退官、名誉教授、鳥取大学教授、公立鳥取環境大学教授、2002年名誉教授。
佐藤 高子(さとう たかこ、1934年7月29日 - 201… 佐藤 高子(さとう たかこ、1934年7月29日 - 2014年12月25日)は日本の翻訳家。1957年、神戸女学院大学英文科卒業。 浅倉久志が中心となって、翻訳家の交流会「エイト・ダイナーズ」が、小尾芙佐、深町眞理子、大村美根子、山田順子、佐藤高子、鎌田三平、白石朗というメンバーで行われていた[リンク切れ]。 (エドガー・ライス・バロウズ、早川書房、ハヤカワ・SF・シリーズ) のち文庫 (ライマン・フランク・ボーム、早川書房、ハヤカワ文庫)
田村 貞雄(たむら さだお、1934年7月29日 - 200… 田村 貞雄(たむら さだお、1934年7月29日 - 2007年1月18日)は日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 新潟県豊栄町(現新潟市北区)出身。新潟大学人文学部卒。1963年一橋大学大学院経済学研究科博士課程。中山伊知郎の指導を受けた。1966年早稲田大学社会科学部助教授、1971年教授、2005年定年退任、名誉教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
龍居 竹之介(たつい たけのすけ、1931年7月29日 - … 龍居 竹之介(たつい たけのすけ、1931年7月29日 - )は、日本の造園家。龍居庭園研究所所長。姓は「瀧居」の表記も使用している 。 建築資料研究社から雑誌『庭』や『庭 GARDEN VIEWS』シリーズ、『作法』シリーズ、『ガーデンライブラリー』シリーズなどを編集発行し、主に古庭園の修復整備とともに、庭園の啓蒙活動をおこなっている。 東京都に生まれる。新宿区の出身。父は龍居松之助。 早稲田高等学院から早稲田大学第一文学部史学科国史専修に進学し、1954年の卒業後は日刊スポーツ新聞社の文化部記者となる。1972年から1978年までは嘱託となり、映画と放送、演劇を主に担当した。 記者活動の傍ら、1956年から1年間東京農業大学第一高等学校で、社会科の非常勤講師を務めた。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29… 大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29日 - 2022年(令和2年)1月29日)は、日本の生化学者。シトクロムP450発見者。九州大学名誉教授。理学博士。 静岡市に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年(昭和28年)、東京大学理学部化学科卒業。同年、静岡大学文理学部化学科助手。1960年(昭和35年)、 大阪大学蛋白質研究所助教授。 1961年(昭和36年)、理学博士。1970年(昭和45年)、九州大学理学部生物学科教授。1986年(昭和61年)、九州大学大学院医学系研究科教授(分子生命科学専攻)。1994年(平成6年) 、九州大学を定年退職、名誉教授。
渡辺 四郎(渡邊 四郎、わたなべ しろう、1929年(昭和4… 渡辺 四郎(渡邊 四郎、わたなべ しろう、1929年(昭和4年)7月29日 - 2007年(平成19年)12月24日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 現在の大分県日田市出身。大分県立日田林工学校卒。1947年(昭和22年)、福岡県庁に入り、1970年(昭和45年)、福岡県職員労組委員長。1979年(昭和54年)、自治労福岡県本部委員長。 1986年(昭和61年)の第14回参議院議員通常選挙福岡県選挙区に日本社会党公認で立候補して当選。2期務めた。1998年(平成10年)に引退。 1999年(平成11年)、秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2007年(平成19年)12月24日午後8時27分、胃癌のため福岡県筑紫野市の病院で死去、78歳。
小崎 隆雄 (こさき たかお、1929年7月29日 - 20… 小崎 隆雄 (こさき たかお、1929年7月29日 - 2015年9月21日) は、日本の洋画家である。 東北大学教育学部卒。大学時代から、洋画家杉村惇(仙台市名誉市民)に師事。大学卒業後、中学校の美術教師をしながら宮城県仙台市太白区にて活動。絵画を制作し、日展、日洋会展、河北展、県芸術展などで作品を発表した。 1973年に第1回東北・北海道選抜美術展出品し、1978年に日展新人選抜展出品。1982年に日洋会展審査員となる。 1985年から1990年まで、「仙台市彫刻のある街づくり」委員を務める。1985年から1998年まで宮城県美術館協議会の委員を務める。 1988年から1992年まで、仙台市勤労者美術展の審査員を務める。
下邨 昭三(しもむら しょうぞう、1928年 <昭和3年> … 下邨 昭三(しもむら しょうぞう、1928年 <昭和3年> 7月29日 - 2020年 <令和2年> 5月28日)は日本の通産・科学技術技官。東京都杉並区永福2丁目在住。趣味はスポーツ。科学技術事務次官、日本科学技術情報センター理事長、日本原子力研究所理事長などを歴任。位階は正四位。 大阪府出身。東京大学第一工学部電気工学科卒業。1951年 通商産業省入省。工業技術院標準部電気規格課長などを経て、1973年7月 資源エネルギー庁公益事業部技術課長。1974年6月 科学技術庁長官官房秘書課長。1975年8月 長官官房参事官。1976年7月 工業技術院標準部長。1978年6月 科学技術庁長官官房参事官。
中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は… 中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は、日本の彫刻家。文化勲章受章者。鹿児島県鹿児島市名誉市民。三重県亀山市名誉市民。 2013年、日本体育大学世田谷キャンパス(深沢)1階エントランスホールに名作EOS・萌えるリズム・太古の血潮・朝の祈り・姉妹のブロンズ像が飾られた。
二宮 フサ(にのみや ふさ、1926年7月29日- 2017… 二宮 フサ(にのみや ふさ、1926年7月29日- 2017年3月1日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京女子大学名誉教授。フランス文学者二宮敬の妻。 東京生まれ。東京女子大学外国語学部卒、東京大学文学部仏文科卒。1955年東京女子大学専任講師、敬とともにフランス留学。その後助教授、教授、1995年定年退任、名誉教授。
佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2… 佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2018年10月15日)は、栃木県宇都宮市生まれの日本の仏教学者(密教学、博士(文学))、真言宗智山派の僧侶(智山伝法元院長、円能院元住職)。元大正大学学長・名誉教授。
佐藤 次彦(さとう つぎひこ、1925年7月29日 - 20… 佐藤 次彦(さとう つぎひこ、1925年7月29日 - 2001年)は、日本の機械工学者。大阪工業大学第7代学長・名誉教授。工学博士(大阪大学)。溶接学会抵抗溶接研究委員会(現:軽構造接合加工研究委員会)初代委員長。 専門は、熱工学・溶接工学・接合工学、金属工学・溶接/接合システム工学。 福岡県出身。福岡県中学修猷館を経て、大阪帝国大学工学部機械工学科卒業。のちに、大阪大学大学院工学研究科にて工学博士。1957年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。助教授、教授などを経て、1983年同大学学長。1995年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部機械工学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に初期の溶接工学・溶接/接合システム工学の研究育成に貢献した。
江熊 要一(えぐま よういち、1924年7月29日 - 19… 江熊 要一(えぐま よういち、1924年7月29日 - 1974年1月27日)は、日本の精神科医。生活臨床の創始者。群馬大学助教授。 1924年東京に生まれる。群馬大学医学部卒業。 佐久総合病院で始めた療法が注目され、台弘教授がいた群馬大学に助教授として迎えられる。 1958年、群馬大学より医学博士の学位を取得、論文の題は「精神分裂病患者で試みた脳髓アレルギー性侵襲の臨床的研究 」。 1974年1月の新人医師の結婚披露宴で来賓祝辞をスピーチ中、心筋梗塞で倒れ急死する。享年51(満49歳)。
鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - … 鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - 2015年8月31日)は、日本の詩人、編集者。 東京生まれ。1949年國學院大學文学部哲学科卒。角川書店に勤務、1957年に編集部次長で退社、知性社出版部長、表現社出版部長、新人物往来社編集局長。1995年日本現代詩人会会長。詩誌『火牛』代表。2002年『思い川の歌』で丸山薫賞受賞。
小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 20… 小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 2009年7月10日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は従5位。 山梨県出身。1944年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学)を卒業し、1947年5月に山梨中央銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1991年6月には頭取に就任。1995年6月に会長を経て、2001年6月から2002年6月まで相談役を務めた。 甲府商工会議所会頭、山梨県銀行協会理事会長、山梨県長期計画審議会会長、山梨県行政改革委員会会長、甲府ファッション協会会長を務めた。 2000年に勲四等旭日章を受章、山梨県県政特別功績者に選ばれている。
福島 徳壽郎(ふくしま とくじゅろう、1922年7月29日 … 福島 徳壽郎(ふくしま とくじゅろう、1922年7月29日 - 1995年6月3日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)(1940年3月卒)、第七高等学校造士館 (旧制)文科(1944年9月卒)、京都大学法学部(旧制)(1949年3月卒)をそれぞれ卒業。1949年4月に京都大学法学部大学院特別研究生となった後、1950年4月に京都大学助手に、1953年1月に神戸商科大学助教授に就任する。1957年4月に京都大学法学部助教授に就任し、1962年5月に同教授へ昇任し、1986年3月31日の定年まで務め、同年4月1日付けで名誉教授となる。京都大学法学部教授在任中、法学部長(1976年10月22日~1978年10月21日)や評議員(1972年3月19日~1974年3月18日)も務めた。
中村 秀吉(なかむら ひできち、1922年7月29日 - 1… 中村 秀吉(なかむら ひできち、1922年7月29日 - 1986年12月25日)は、日本の哲学者。 埼玉県出身。東京帝国大学理学部数学科卒。応召、復員後、哲学に転じ、金沢大学法文学部助教授、教授、1970年千葉大学教授。分析哲学、マルクス主義を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 光枝(すずき みつえ、本名:佐々木 光枝、1918年7… 鈴木 光枝(すずき みつえ、本名:佐々木 光枝、1918年7月29日 - 2007年5月22日)は、日本の女優。元劇団文化座代表。文化座創設メンバーの一人。昭和・平成期を代表する新劇女優として知られ、晩年は、新劇界の重鎮として重きをなした。
天城 月江(あまぎ つきえ、1918年〈大正7年〉7月29日… 天城 月江(あまぎ つきえ、1918年〈大正7年〉7月29日 - 2005年〈平成17年〉)は、元宝塚歌劇団(元雪組・星組組長)の人物である。本名は古家 三保子。静岡県浜松市出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は166cm。宝塚歌劇団時代の愛称はスロちゃん。宝塚歌劇団24期生。 1934年、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。当時は学校と劇団は一体で、入学イコール入団であった。宝塚入団時の成績は90人中7位。初舞台は1935年である。 1950年 - 1951年、雪組組長。 1953年 - 1969年、星組組長。 1978年、宝塚歌劇団退団。 2014年、設立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。
川又 英雄(かわまた ひでお、1917年7月29日 - 19… 川又 英雄(かわまた ひでお、1917年7月29日 - 1993年3月3日)は、日本の経営者。相模鉄道社長を務めた。東京都出身。 1940年に慶應義塾大学経済学部を卒業。日立製作所、京浜急行電鉄での勤務を経て、1952年12月に神奈川トヨペットタクシー常務に就任。1955年5月に相模鉄道に転じ、1958年5月に常務を経て、1959年11月に副社長に就任し、1976年6月に社長に昇格。1988年1月に会長に就任。 1981年11月に藍綬褒章を受章。 1993年3月3日呼吸不全のために死去。75歳没。
谷川 宏(たにがわ ひろし、1916年〈大正5年〉7月29日… 谷川 宏(たにがわ ひろし、1916年〈大正5年〉7月29日 - 1989年〈平成元年〉2月7日)は日本の大蔵官僚。大臣官房日本専売公社監理官、国税庁間税部長、東京国税局長、関税局長、石油開発公団副総裁、北海道東北開発公庫総裁などを務めた。 群馬県高崎市赤坂町に生まれる。旧制東京高等師範学校附属小学校を経て、東京高等師範学校文科甲類を卒業。1939年10月 高等試験行政科を合格。東京帝国大学法学部政治学科卒業。1940年 大蔵省入省。専売局長官官房兼専売局販売部属。1950年5月13日 主計局主計官(歳入、大蔵、終戦処理担当)。1951年4月 主計局主計官(大蔵、外務、政府関係機関担当)。1952年4月 主計局主計官(歳入、大蔵、外務、政府機関、調達担当)。
玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年 <大正4年> … 玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年 <大正4年> 7月29日 - 1999年 <平成11年> 1月14日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。世界各地の宗教を研究した。位階は従四位。 熊本県熊本市の浄土真宗の門徒の家に生まれ、熊本中学校卒。高校時代から禅、真宗の師につく。1936年第五高等学校(現・熊本大学)卒、1940年東京帝国大学文学部印度哲学科卒業、大学院に進む。1942年10月召集を受け、敗戦を迎えて熊本の専門学校で教えたあと、1951年再上京し大学院に復帰。 1954年東洋大学文学部勤務。1959年「天台実相観における心の捉え方の問題」で東京大学より文学博士の学位を取得。同年東京大学文学部印度哲学科助教授、1964年教授、1976年定年退官、名誉教授、東北大学教授。
田辺 節郎(たなべ せつろう、1915年7月29日 - 20… 田辺 節郎(たなべ せつろう、1915年7月29日 - 2013年7月10日)は、日本の経営者。アルナ工機社長、宝塚音楽学校校長を務めた。山梨県出身。創業者である小林一三の甥。 1938年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1959年に宝塚映画製作所代表取締役に就任し、1971年から1975年までに阪急電鉄監査役、1974年から1983年までにアルナ工機社長、1985年から1991年までに宝塚音楽学校校長を歴任した。 2013年7月10日心不全のために死去。97歳没。
木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日… 木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日)は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。 岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身。東京帝国大学法学部卒業。 田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した。 自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった。
高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月2… 高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月29日 - 2003年(平成15年)2月14日)は日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は陸軍で中佐、航空自衛隊では空将。陸軍中将久納誠一(18期)は義父、陸軍少将小藤恵(20期)は義理の伯父にあたる。 1912年(明治45年)7月29日、愛知県で農家高木作芳の次男として生まれた。翌日には明治天皇が崩御している。 愛知県明倫中学校を経て、1929年(昭和4年)4月に陸軍士官学校予科(市ヶ谷本村町)、1931年(昭和6年)に陸軍士官学校本科に入校、1933年(昭和8年)7月に卒業する(陸士45期騎兵科)。卒業序列は皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて10番/335名。
小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不… 小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不詳)は、日本の実業家、経営学者。 現在の愛媛県新居浜市出身。1936年東京帝国大学法学部法律・政治学科卒。79年「日本企業の組織戦略」で上智大学経済学博士。38年王子製紙入社。49年十条製紙総務部副部長、総務部長、管理部長、小倉工場長、人事室長、取締役、十条キンバリー取締役兼任、常務取締役、フィンレーフォレスト・インダストリーズ取締役兼任、1973年上智大学経済学部経営学科教授。77年経済学部長、1979年産業能率大学経営情報学部教授。カトリック教徒。妻は山路一善の次女。
関口 恒五郎(せきぐち つねごろう、1910年7月29日 -… 関口 恒五郎(せきぐち つねごろう、1910年7月29日 - 1988年11月3日)は、昭和時代の日本の柔道家、関口病院院長。全日本学生柔道連盟会長などを歴任[要出典]。講道館八段。父は関口孝五郎、兄は関口林五郎。
田中 文雄(たなか ふみお、1910年7月29日 - 199… 田中 文雄(たなか ふみお、1910年7月29日 - 1998年1月6日)は、日本の経営者。王子製紙社長、会長を務めた。 長野県南佐久郡平賀村(現佐久市)出身。旧制野沢中学を経て、1935年に九州帝国大学農学部林学科を卒業し、同年に王子製紙に入社した。1956年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1968年に社長に就任。社長在任中は、北日本製紙、日本パルプ工業との合併を実現させ、紙パルプ業界の国際化に尽力した。1981年に会長に就任し、1989年から取締役相談役を務めた。1982年には病気療養中の市村修平社長に代わり、社長を一時代行した。 1979年から1987年までに日本経営者団体連盟副会長を務め、1981年には日本製紙連合会会長に就任した。
井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年)7月29… 井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年)7月29日 - 1993年(平成5年)12月2日)は、日本の水産学者・政治家。旧彦根藩主井伊家の第16代当主。農学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「極東海域におけるアミ科の分布に関する研究」)。滋賀大学経済学部講師、彦根市長。彦根市名誉市民。滋賀県出身。 幕末の大老井伊直弼の曾孫にあたる。 伯爵井伊直忠の庶子。生母は東京の斎藤ふく。 海軍軍人志望だったが体格に自信がなく、また当時の軍を支配していた藩閥を嫌って学問の道に進み、東京帝国大学農学部水産学科から同大学院に学ぶ。専門はアミ類で、約50種の新種を発見した。東大農学部嘱託、文部省資源科学研究所や滋賀県水産試験場、滋賀大学経済学部講師などを歴任した。
中島 正義(なかじま まさよし、1909年7月29日 - 1… 中島 正義(なかじま まさよし、1909年7月29日 - 1991年12月25日)は、日本の経営者。アサヒビール社長を歴任。 東京都港区出身。1932年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本麦酒鉱泉に入社。朝日麦酒で西宮工場長、取締役、常務、専務などを歴任し、1966年2月から1971年2月までに社長を務めた。 1979年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1991年12月25日脳梗塞のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大原 総一郎(おおはら そういちろう、1909年(明治42年… 大原 総一郎(おおはら そういちろう、1909年(明治42年)7月29日 - 1968年(昭和43年)7月27日)は、日本の実業家。倉敷レイヨン(現・クラレ)社長、倉敷紡績社長などを務めた。正式な表記は大原 總一郎(読みは同じ)。 大原家は、児島から倉敷に移住してきた旧家で、総一郎の曽祖父大原壮平のころには、新興の富豪地主として庄屋も務めていた。祖父の大原孝四郎は、1888年、倉敷紡績の前身である倉敷紡績所を創立。従来、農業経営を主体としていた大原家は、ここに近代産業への第一歩を踏み出したのである。これを地盤として、父の大原孫三郎は事業拡大に乗り出した。 孫三郎は、27歳で倉敷紡績の社長に就任し、さらに中国銀行の前身である倉敷銀行を設立したほか、電気・電鉄・織物・土地会社など、種々の関連事業や地方の開発に貢献し、その広い見識と正確な洞察力は高く評価された。
穴吹 夏次(あなぶき なつじ、1909年〈明治42年〉7月2… 穴吹 夏次(あなぶき なつじ、1909年〈明治42年〉7月29日 - 2000年〈平成12年〉10月24日)は、株式会社穴吹工務店元社長。地方の建築業者だった穴吹工務店を、全国展開のデベロッパーに成長させた。また、穴吹興産や学校法人穴吹学園の創業者でもある。位階は従六位。 穴吹喜作と穴吹ムメの長男として、香川県高松市に生まれる。 1930年1月から家業の土木建築業に従事した。1937年3月に、川添村立川添青年学校の教官に就任する。[要出典] 1940年6月に、京都府警察部で警察官となった[要出典]。太平洋戦争中は軍に召集され、ウォレアイ環礁(メレヨン島)で終戦を迎えた。1945年10月に復員して、実父の建設業を継承した[要出典]。
石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29… 石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29日 - 1981年〈昭和56年〉9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。位階は正三位。勲章は勲一等瑞宝章。 参議院議員(2期)、鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)を務めた。 第102-103代内閣総理大臣、第28代自由民主党総裁である石破茂の父。 太宰治、永井荷風の著作物を好む。 田中角栄元首相は友人である。安田貞栄境港市長(第3代)が石破に「あなたは元気である限り、本県県政を担当願うことが県民のためになると思う。それほどあなたを高くかっておるが東京では(自民党の)田中派に属しておることが釈然としませんね」と言った時「君は田中という人を知らんからだ。
舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1… 舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1994年3月16日)は、日本の哲学者・マルクス主義者。立命館大学名誉教授。マルクス、ヘーゲル、フォイエルバッハの研究を通じて人間学的唯物論を確立した。船山信一とも書かれる。 山形県東置賜郡吉島村(現:川西町)生まれ。米沢中学校(現:山形県立米沢興譲館高等学校)、山形高等学校を経て、1930年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。マルクス主義者であることから、学派的には三木清、戸坂潤らとともにいわゆる西田左派に属する。1932年、戦前の著名なマルクス主義団体である唯物論研究会を戸坂潤らと結成。1933年、日本プロレタリア科学同盟に参加。
小尾 乕雄(おび とらお、1907年(明治40年)7月29日… 小尾 乕雄(おび とらお、1907年(明治40年)7月29日 - 2003年(平成15年)2月23日)は、主に昭和時代に活動した教育者である。山梨県北巨摩郡長坂町(現北杜市)出身。 東京都教育委員会教育長、学校法人文教大学学園名誉学園長・学園長・理事長、文教大学(立正女子大学)・文教大学女子短期大学部(立正女子大学短期大学部)学長、財団法人日本青年館理事長、日本私立短期大学協会会長などを歴任する。。長男の小尾圭之介は元日本放送協会解説委員で晩年は乕雄の後を継いで文教大学理事長を務めた。孫の小尾一介は元Google日本法人執行役員などを務めた実業家。 旧制長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、東京高等師範学校、東京文理科大学を卒業。
高野 巽(たかの たつみ、1907年7月29日 - 没年不明… 高野 巽(たかの たつみ、1907年7月29日 - 没年不明)は昭和期の日本の文学者。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの研究で知られる。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1925年卒業)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。 東大卒業後、熊本高等工業学校講師、教授、第五高等学校教授を経て熊本大学教授となる。1961年から熊本大学法文学部長に就任した。定年退官まで母校である第五高等学校の後身の熊本大学の教壇に立ち続けた。 また、学生運動が盛んな頃は学生部長も務めた。退官後は名誉教授となり、熊本工業大学の教授も務めた。
緒方 信一(おがた しんいち、1906年〈明治39年〉7月2… 緒方 信一(おがた しんいち、1906年〈明治39年〉7月29日 - 1990年〈平成2年〉8月22日)は、日本の文部事務次官。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 熊本県出身。1929年高等文官試験に合格。翌1930年東京帝国大学法学部政治学科卒業。大阪府属、学務部勤務、山形、青森各県警視、三重県特高課長、内務事務官、警保局勤務、警視庁警視、外事課長、三重県経済部長、1942年昭南特別市警察局長、1943年陸軍司政官、戦後、公職追放を受ける。追放中は東京都自家用自動車組合専務理事、追放解除後は宮崎県総務部長、1953年文部省初等中等教育局長、1956年同大学学術局長、1960年文部事務次官、1962年退官、退官後は日本育英会理事長、のち同会長、1976年勲二等旭日重光章を受章。
妹尾 幹(せのお かん、1905年(明治38年)7月29日 … 妹尾 幹(せのお かん、1905年(明治38年)7月29日 - 1969年(昭和44年)8月13日)は、日本の教育者。東京音楽学校教授(現:東京藝術大学・音楽学部)を務めた後、旧制山口高等学校(山口大学経済学部の前身)・島根大学教授、岡山大学助教授、北海道大学、神奈川大学教授となる。岡山県高梁市出身。 1905年(明治38年)、岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)の妹尾善平の子として生まれる。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1923年(大正12年)旧旧制松江高等学校文科乙類に進学、1926年(大正15年)、同校を卒業し、東京帝国大学文学部独文学科へ進学した。1930年(昭和4年)3月に同大学を卒業した。
若松 満則(わかまつ みつのり、1904年7月29日 - 1… 若松 満則(わかまつ みつのり、1904年7月29日 - 1945年9月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。
塩見 恒明(しおみ つねあき、1902年7月29日 - 19… 塩見 恒明(しおみ つねあき、1902年7月29日 - 1981年10月26日)は、日本新聞連合社の記者。妻の美代子は、小野寺百合子の妹。 1920年、兵庫県立伊丹中学校卒業。1924年、関西学院専門部文学科卒業。同年4月、日本新聞連合社大阪支社に入社。1931年12月、ベルリン支局長として赴任。1933年5月に帰国し外国経済部次席兼翻訳部主任。著書に「新興ロシアの横顔」がある。
谷口 豊三郎(たにぐち とよさぶろう、1901年7月29日 … 谷口 豊三郎(たにぐち とよさぶろう、1901年7月29日 - 1994年10月26日)は、昭和時代の日本の実業家。元東洋紡績社長。日本繊維産業連盟・初代会長。理論物理や数学などの研究に資金援助した谷口工業奨励会(後の谷口財団)の創設者。 1901年(明治34年)7月29日、大阪船場生まれ。旧制大阪府立天王寺中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学工学部機械学科、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1928年(昭和3年)、父・谷口房蔵の経営する大阪合同紡績に入社。1931年(昭和6年)、東洋紡に吸収されるが取締役でのこる。公職追放となるが、解除後副社長として復帰。1947年(昭和22年)に社長、1966年(昭和41年)に会長を歴任する。