阪上 順夫(さかがみ のぶお、1932年(昭和7年)8月30… 阪上 順夫(さかがみ のぶお、1932年(昭和7年)8月30日 - )は、日本の政治学者、教育学者、政治評論家、東京学芸大学名誉教授。専攻は選挙制度論、政治教育論。 東京市(現品川区)出身。東京教育大学文学部法律政治学科卒業、1961年東京都立大学 (1949-2011)大学院政治学専攻博士課程満期退学、東京学芸大学助教授、教授。1999年「現代における政治教育の研究」で筑波大学教育学博士。1996年定年退官、名誉教授、松阪大学教授。2004年退職。
小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2… 小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2022年8月25日)は、北海道常呂郡置戸村(現・置戸町)出身の日本のアニメーション美術監督。小林プロダクション元代表取締役。神戸芸術工科大学客員教授。 北海道の寒村の7人兄弟に生まれる。幼少期は自然よりも人間や動物や兵器のほうをよく描いていたが、中学生から自然の風景を描き始める。武蔵野美術大学卒業後、小学校の美術教師を経て1964年に東映動画入社、1967年に現代製作集団に移籍。1968年に小林プロダクションを設立。『ど根性ガエル』、『ガンバの冒険』、 『元祖天才バカボン』、『あしたのジョー2』、『侍ジャイアンツ』、『ルパン三世 カリオストロの城』、『魔法の天使クリィミーマミ』、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『天使のたまご』、『お伽草子』などの作品で美術監督を歴任した。
青木 茂(あおき しげる、1932年(昭和7年)8月30日 … 青木 茂(あおき しげる、1932年(昭和7年)8月30日 - 2021年(令和3年)11月15日 )は、日本の美術史家。 岐阜県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。東京芸術大学図書館・芸術資料館勤務、神奈川県立近代美術館学芸員、跡見学園女子大学教授、町田市立国際版画美術館館長、文星芸術大学教授。明治美術学会会長。 高橋由一を主として近代美術を研究。1986年には『明治洋画史料 記録篇』で芸術選奨受賞。
村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 20… 村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 2021年6月19日) は、日本の男性演歌歌手。 秋田県鹿角郡尾去沢町(現鹿角市)出身。晩年は静岡県御殿場市に居を構えた。 当時、父親が働いていた三菱金属鉱業(現:三菱マテリアル)に入社。1967年に尾去沢鉱山(鹿角市)から直島製錬所(香川県香川郡直島町)に転勤。勤務中、同じ職場で直島出身の佐義達雄と出会う。 1972年、真木島人(まき しまんど)の芸名で、佐義の作詞作曲の「土方渡世/漁師一代」を出すが一部に注目されるだけで終わった。同年、再び佐義の作詞作曲、村木の唄で演歌「おやじの海」を500枚自主制作する。翌1973年、御殿場に転勤となり、「おやじの海」はその後、当人ですら存在を忘れかけていた。
八奈見 乗児(やなみ じょうじ、本名:白土 繁満(しらと し… 八奈見 乗児(やなみ じょうじ、本名:白土 繁満(しらと しげみつ)、1931年8月30日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。2016年現在は青二プロダクションに所属している。東京府(現:東京都)生まれ、福岡県育ち。血液型はA型。
井上 二葉(いのうえ ふたば、1930年8月30日 - )は… 井上 二葉(いのうえ ふたば、1930年8月30日 - )は、シドニー生まれの日本のピアニスト。 外交官井上庚二郎を父としてシドニーに生まれる。兄は生物学者の井上信也。4歳のときベルリンにて遠山つやのもとでピアノを始め、その後ブダペストにて音楽教育を受けるなど、幼少期の大半をヨーロッパで過ごす。帰国後は黒澤愛子、豊増昇に指導を受ける。東京音楽学校入学後は安川加壽子に師事し、本科ピアノ科卒業、同研究科修了。 1953年デビューリサイタル開催。1957年渡仏。パリにてラザール・レヴィに約1年間師事。1967年フランス青少年音楽協会と民音との交換芸術家第1号としてフランスに派遣され、地方都市23ヶ所でリサイタルを開催。
松田 利治(まつだ としはる、1930年〈昭和5年〉8月30… 松田 利治(まつだ としはる、1930年〈昭和5年〉8月30日 - 2015年 <平成27年> 5月18日)は、日本の政治家。元奈良県大和高田市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 奈良県出身。奈良県立御所工業高等学校卒。卒業後は近畿電気工事に入社。その後松田電気工業を興し、社長となり、奈良電業協会会長なども務める。1995年〈平成7年〉大和高田市長選挙に立候補して初当選する。1999年〈平成11年〉に再選。市長は2期務め、2003年〈平成15年〉に退任した。2006年秋の叙勲で旭日小綬章受章。2015年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日… 吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日 - 1996年(平成8年)3月16日)は、愛知県出身の日本の彫刻家。 1930年(昭和5年)8月30日、愛知県名古屋市中区に生まれる。名古屋市昭和区の南山中学校・高等学校を経て武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業した。 大学在学中に日展初入選しており、この時より20年以上も女性像を造り続けた。以後、1965年(昭和40年)に「懐」が日展特選受賞、続く1968年(昭和43年)にも「稔」が特選を受賞している。また、この年には名古屋女子大学の教授となった。 1979年(昭和54年)、第11回日展にて日展会員賞受賞。 1981年(昭和56年)には愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞している。
大國 昌彦(おおくに まさひこ 1929年8月30日 - 2… 大國 昌彦(おおくに まさひこ 1929年8月30日 - 2012年9月27日)は、日本の実業家。位階は従三位。 大國昌彦は、安土桃山時代から江戸時代にかけて越後の国主であった上杉謙信に仕えた樋口兼豊の次男・大国実頼(小国氏の養子)の末裔である(実際には大国実頼の弟樋口秀兼の子で、実頼の養子大国光頼の末裔)。その縁で大國実頼の居城であった天神山城(新潟県新潟市西蒲区岩室)の本丸跡の石碑文を揮毫している。 妻は阿南惟幾の娘・聡子。
荻野 泰正(おぎの やすまさ、1928年8月30日 - )は… 荻野 泰正(おぎの やすまさ、1928年8月30日 - )は、日本の電気工学者。工学博士。大阪工業大学工学部電気工学科元教授・電気クラブ初代会長。元電気工学教室担当。電気学会関西支部元評議員・会計幹事。第3回日本ロボット学会学術講演会1985実行委員。 専門は、電気回路・電気工学、電力工学(インバータ/コンバータ)・パワーエレクトロニクス(特に誘導電動機 /リニアモータ)、ロボット・メカトロニクス。 1952年大阪工業大学工学部電気工学科卒業(第1期生)。1957年大阪大学大学院工学研究科修士課程修了、工学修士(大阪大学)。1959年大阪工業大学工学部電気工学科に着任、電気工学教室を担当。その後、講師、助教授を経て、同学科教授、工学博士。
島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年… 島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年6月23日)は、日本のジャーナリスト。第15代日本放送協会(NHK)会長、元NHK政治部記者。 栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)出身。旧制宇都宮中学、旧制新潟高校を経て、海軍兵学校2年生の時に終戦。東北大学文学部美学科卒業後、1952年4月NHKに入局。初任地はNHK盛岡放送局。政治部記者となり池田勇人の総理番記者となり、その後、宏池会を担当。1973年、ニュースセンター次長となり、1973年9月に放送総局副総局長の堀四志男の指示の下、報道番組部長として、1974年4月『ニュースセンター9時』、1976年4月に『NHK特集』をスタートさせる。
加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 20… 加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 2005年12月6日)は、日本の西洋史学者である。 1927年(昭和2年)、福岡県福岡市で生まれる。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1953年(昭和28年)に九州大学文学部を卒業し、九州大学助手となる。 翌1954年(昭和29年)に大分大学学芸学部に赴任し、1976年(昭和51年)に大分大学教育学部教授となる。1987年(昭和62年)からは大分大学教育学部長を務めた。1991年(平成3年)に大分大学を定年退官し、名誉教授となる。 1992年(平成4年)から大分県立芸術文化短期大学教授。1997年(平成9年)に『バテレンと宗麟の時代』で、ポルトガル大使館よりロドリゲス通事賞を受賞するとともに、地中海学会の地中海学会賞を受賞。
広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 201… 広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 2016年10月6日)は、日本の法学者。 千葉県千葉市生まれ。中央大学法学部卒。1958年東京大学大学院博士課程公法コース修了、「政府承認の法構造」で法学博士(東京大学)。明治学院大学助教授、教授、98年名誉教授。安達峰一郎記念賞受賞。国際法が専門。
青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2… 青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2011年10月9日)は、日本の天文学者。 東京府に生まれる。第一高等学校に進み,1947年に東京大学理学部天文学科に入学した。1952年に卒業、麻布の東京大学理学部の天文教室に採用され、その後東京天文台に移籍する。1961年の1年間,アメリカ航空宇宙局(NASA)のゴダード宇宙飛行センターで人工衛星の運動の研究に従事した。1970年に教授に昇任。 専門は、天文学の基本座標系と地球自転運動・地球内部構造との関係、銀河の構造と力学など。地球のコアとマントルの相互作用が黄道傾斜角に及ぼす影響を述べた論文は広く引用された。天文定数系の問題では、国際天文学連合(IAU)の委員として大きな役割を果たした。
相馬 庸郎(そうま つねお、1926年8月30日 - )はの… 相馬 庸郎(そうま つねお、1926年8月30日 - )はの日本の日本文学研究者。元神戸大学教授。専門は日本近代文学。 新潟県中条町(現・胎内市)に生まれる。1942年に新潟県立新発田中学を卒業し、1945年に海軍経理学校を卒業する。戦後、法政大学文学部日本文学科(通信教育課程)を卒業し、1961年に東京都立大学大学院博士課程を修了する。1962年から東京都立大学附属高等学校の国語科教諭、1967年から神戸大学教育学部助教授、1975年から神戸大学文学部教授を務め、1987年に退職する。主に自然主義や正岡子規、高浜虚子、柳田國男、深沢七郎など明治期から現代に架けての日本近代文学の研究に努めた。2001年に『深沢七郎』でやまなし文学賞(研究評論部門)を受賞。
松川 博爾(まつかわ ひろじ、1926年8月30日 - 20… 松川 博爾(まつかわ ひろじ、1926年8月30日 - 2007年1月5日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
赤城山 晃(あかぎやま あきら、1926年8月30日 - 1… 赤城山 晃(あかぎやま あきら、1926年8月30日 - 1990年4月2日)は、群馬県藤岡市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は松田 鍬次郎(まつだ くわじろう)。身長176cm、体重90kg。最高位は東十両10枚目。得意手は右四つ、下手投げ。 1942年5月場所に15歳で初土俵を踏む。1949年1月場所で十両に昇進。1951年1月場所では十両下位で、4勝11敗と大敗。幕下に陥落した1951年5月場所限り、24歳で廃業した。
永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月… 永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月30日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の実業家。松竹社長・会長を歴任した。 東京出身。屯田兵設立の功労者である男爵永山武四郎の孫。息子はフジテレビプロデューサーの永山耕三。 学習院初等科から高等科 (旧制) を卒業。京都帝国大学経済学部へ入学し、1948年(昭和23年)3月に京都大学経済学部を卒業した。 2006年(平成18年)12月13日午前7時48分、急性白血病のため都内の病院で死去。享年81歳。墓所は多磨霊園。 大学在学中の1947年(昭和22年)10月に松竹に入社し、東京劇場監事室に配属された。 1951年(昭和26年)1月の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、同年に上演された「源氏物語」(9代目市川海老蔵(後の11代目市川團十郎)や7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑ら)や6代目中村歌右衛門襲名披露興行など第2次世界大戦後初期の歌舞伎の代表的な公演に関わることになった。
金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30… 金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30日 - 2020年(令和2年)12月26日)は、日本の大蔵官僚。環境庁(当時)事務次官、丸三証券社長、会長、エコノミスト、株式投資のプロ。フィランソロピストとして、財団の理事を務めた。 中国山東省青島で生まれ。父(金子慶治)は新潟県刈羽郡南鯖石村(現柏崎市)出身で、当時日本最大の鈴木商店を経て独立ビジネスや不動産投資で成功し、戦後、東京・田園調布の邸宅を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に一時没収されていた。母(旧姓城野民子)は博多の商家の出身。賢母の母に連れられ終戦より前に帰国後、八幡小学校、旧制横浜第一中学校、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部に入り、1949年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。
内村 茂(うちむら しげる、1924年8月30日 - 200… 内村 茂(うちむら しげる、1924年8月30日 - 2009年11月2日)は、日本の経営者。三菱製紙社長、会長を務めた。 高知県高知市出身。1944年10月から1945年9月までに陸軍尉官として兵役に従事し、1948年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三菱製紙に入社した。1978年6月に取締役、1979年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格した。1984年6月に会長を経て、2000年6月に相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2009年11月2日心不全のために死去。
中村 啓一(なかむら けいいち、1923年(大正12年)8月… 中村 啓一(なかむら けいいち、1923年(大正12年)8月30日 - 1987年(昭和62年)7月7日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 北海道出身。1946年東北帝国大学法文学部法律学科卒。香川県財政課長、秋田県、北海道各総務部長、自治省選挙課長、同選挙部長、北海道副知事などを歴任する。1977年の第11回参議院議員通常選挙において北海道選挙区から自由民主党で立候補して当選した。鈴木善幸内閣北海道開発政務次官、自民党都市局次長などを務めた。1983年の参院選には出馬しなかった。1987年7月7日死去、63歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、正八位から従四位に叙される。
野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - … 野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。 父は大正画壇で活躍した野長瀬晩花。伯父はトピー工業創業者の一人である野長瀬忠男。 野長瀬氏の末裔で、本名の三摩地は仏教用語のサマディー(三昧)にちなんで名付けられた。 幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。 1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。
藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 20… 藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。 愛媛県西条市出身。1938年に住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。 1951年、愛媛県議会議員選挙に立候補し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧愛媛県第2区より立候補し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。 篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。
小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年… 小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年> 8月30日 - 2009年 <平成21年> 4月8日)は、日本の経営者。長崎新聞社社長を務めた。位階は正五位。 長崎県出身。1945年に中央大学法学部を中退し、1947年に長崎新聞社に監査役として入社。1990年に取締役を経て、1991年12月から2000年12月までに社長を務めた。 2006年4月に旭日重光章を受章。 2009年4月8日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって従七位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
遊佐 孝五(ゆさ こうご、1922年8月30日 - 2004… 遊佐 孝五(ゆさ こうご、1922年8月30日 - 2004年7月9日)は、日本の酪農学者・農学者。専門は、農学・乳製品製造学。農学博士。元酪農学園大学学長。元学校法人酪農学園理事長。 北海道生まれ。1946年(昭和21年)北海道帝國大學農学部卒業し、同農学部助手を経て、1948年野幌機農高等学校教諭。1950年酪農学園短期大学講師。1960年酪農学園大学酪農学部助教授。1973年酪農学園大学5代学長に就任。1979年学校法人酪農学園初代副学園長に就任(~1985年)。1985年同学長退任。学校法人酪農学園3代学園長に就任。1991年酪農学園大学退職。同名誉教授。学校法人酪農学園6代理事長に就任。
溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 20… 溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 2014年10月16日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1987年)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。京都大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1942年、第三高等学校 (旧制)卒業。1946年、京都帝国大学法学部卒業。1946年、京都帝国大学法学部助手(指導教授:齋藤武夫)。1952年、京都大学法学部助教授。1961年、京都大学法学部教授。1966年、京都大学評議員。1987年、法学博士(京都大学)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。1985年、京都大学停年退官、同名誉教授。1985年龍谷大学法学部教授を歴任。
上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - … 上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - 2016年6月18日)は、日本の画家である。海洋船舶画家として、模型メーカー・タミヤの「ウォーターラインシリーズ」をはじめとするボックスアートで知られる。 静岡県藤枝市鬼岩寺に生まれ、静岡市千代田で育つ。上田は子供のころから「子供の科学」「航空少年」といった少年雑誌を見ながら、船舶や飛行機の絵を盛んに模写していた。 1941年(昭和16年)、徴兵の為帝国陸軍の高射砲連隊(浜松市)に入営。後に船舶部隊(暁部隊)の船舶砲兵に転科、陸軍徴用船である軍隊輸送船に乗船し備砲たる高射砲の操作要員(船砲隊員)となり(船舶砲兵第1連隊)、太平洋戦争における数々の輸送任務に従軍。
高碕 芳郎(たかさき よしろう、1919年8月30日- 20… 高碕 芳郎(たかさき よしろう、1919年8月30日- 2011年4月10日 )は、日本の経営者。東洋製罐社長、会長を務めた。高碕達之助の長男。 大阪府出身。1953年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社した。常務、専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1964年には社長に昇格した。1992年6月に会長に就任し、2001年6月には名誉会長に就任。関西テレビ放送取締役も務めた。 1999年4月に藍綬褒章を受章した。 2011年4月10日、老衰のために死去。91歳没。墓所は小平霊園。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 199… 松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 1998年4月3日)は、日本の実業家。 元東急不動産社長、東急ハンズ社長、東京急行電鉄専務。 北海道札幌市出身。小学校卒業後、母親の再婚で東京に移る。1942年慶應義塾大学経済学部を卒業し、戦後の1946年に東京急行電鉄に入社。1953年に東急不動産に出向し、田園都市部長・常務・専務などを経て、1978年社長に就任し、のち会長となる。同社を総合ディベロッパーに育てあげ、「中興の祖」と呼ばれた。さらに1976年に東急ハンズの設立に関わり、初代社長を務める。また、この間東京急行電鉄取締役・専務なども歴任し、東急グループの重鎮として活躍した。
持田 信夫(もちだ のぶお、1917年(大正6年)8月30日… 持田 信夫(もちだ のぶお、1917年(大正6年)8月30日 - 1986年(昭和61年)6月19日)は日本の実業家、元持田製薬社長・会長。東京都出身。同社創業者でもある持田良吉は父、3代目社長を務めた持田英は弟。写真通としても知られ、数々の作品を残した。
牧本 利夫(まきもと としお、1916年8月30日 - 20… 牧本 利夫(まきもと としお、1916年8月30日 - 2004年1月29日)は、日本の工学者。大阪大学名誉教授、摂南大学名誉教授、元電子通信学会副会長。専門はマイクロ波工学。工学博士(東京工業大学)(1956年)。広島県出身。息子は元福山市長の牧本幹男。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
長谷川 達海(はせがわ たつみ、1916年〈大正5年〉8月3… 長谷川 達海(はせがわ たつみ、1916年〈大正5年〉8月30日 - 没年不明)は、日本の実業家。チッソ興産(現:日祥)元代表取締役社長。チッソコーナーカーム コンサルタント元代表取締役社長。孫は元フジテレビアナウンサーの長谷川豊。次男は関西右翼の重鎮として活動してきた政治活動家(一日会主宰)の長谷川潤(中山嶺雄)。 現在の東京都出身。茨城県、長谷川信吉・ナミ夫妻の次男に生まれる。1939年(昭和14年)東京商科大学(現:一橋大学)附属商学専門部(高等商業学校に相当する課程、修業年限3年)を卒業。 同年3月日本窒素肥料(現:チッソ)に入社し、1945年(昭和20年)当時朝鮮半島最大の肥料工場であった興南工場(戦後北朝鮮政府に接収され、現在は興南肥料連合企業所として運営)に勤務。
西 順蔵(にし じゅんぞう、旧字体: 西 順藏、1914年8… 西 順蔵(にし じゅんぞう、旧字体: 西 順藏、1914年8月30日 - 1984年6月12日)は、中国思想史家、一橋大学名誉教授。 1914年、広島県広島市で倫理学者・旧制広島文理科大学教授であった西晋一郎の次男として生まれた。旧制広島高校を経て、東京帝国大学文学部支那文学哲学科で学んだ。1937年に卒業し、同大学大学院に進学。 卒業後は、1938年より文部省国民精神文化研究所助手として勤務。1942年、京城帝国大学文学部助教授に任じられた。1944年、京城で大日本帝国陸軍第49師団歩兵第106連隊に二等兵として3ヶ月入隊。 1946年、第二次世界大戦終戦にともなって京城帝国大学も廃止となり退官。
石田 英助(いしだ えいすけ、1914年8月30日 - 20… 石田 英助(いしだ えいすけ、1914年8月30日 - 2010年12月5日[要出典])は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。東京都板橋区出身。ABO式血液型はA型。熊岡美彦画塾卒業。1932年にデビュー。出版美術家連盟理事。[要出典] 1957年、『おやまのかばちゃん』と『こぞうのぼんちゃん』の2作品が第2回小学館漫画賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
大野 茂男(おおの しげお、1913年8月30日 ‐ 200… 大野 茂男(おおの しげお、1913年8月30日 ‐ 2004年1月6日)は、日本の国文学者。江戸文学から明治大正期の文学まで、幅広く研究した。 千葉県千葉市生まれ。旧制千葉県立千葉中学校(現県立千葉高校)、静岡高等学校を経て、1938年、東京帝国大学文学部国文科卒業。県立千葉高等女学校教諭、文部省内日本語教育振興会研究員を経て、1943年、清水高等商船学校教授。同校在籍のまま、歩兵第二補充隊に応召され、後に第三十一飛行場中隊に転属。1946年復員。1947年千葉師範学校教授、1950年千葉大学文理学部助教授、1966年同教授、1968年千葉大学教養部教授(人文学部兼担)。1979年、停年退職して名誉教授、東洋大学文学部教授。
川原 幸男(かわはら ゆきお、1913年〈大正2年〉8月30… 川原 幸男(かわはら ゆきお、1913年〈大正2年〉8月30日 - 1985年〈昭和60年〉9月24日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都港区長(3期)。 東京に生まれる。1937年(昭和12年)に法政大学専門部経済科を卒業する。 1935年(昭和10年)に東京市芝区役所に入り、港区総務部長、教育長、助役を務めた。1975年(昭和50年)に初の区長公選で港区長に当選する。三期連続当選するも、任期中の1985年(昭和60年)9月24日に死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1… 堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1971年8月15日)は、日本の文学博士、元名城大学教授。専攻は国文学古代と近代詩歌。 奈良県北葛城郡河合町出身。國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫に師事。万葉に関する著書を出版し、それらの業績を讃えられ奈良県文化賞を受賞した。他にも國學院大學の卒業者から優秀な研究業績をあげた者に授与される三矢博士記念賞も受賞した。また地元の学校河合町立河合第一小学校や河合町立河合第一中学校の校歌も作詞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
須甲 鉄也(すこう てつや、1912年8月30日 - 199… 須甲 鉄也(すこう てつや、1912年8月30日 - 1998年4月19日)は、日本の動物学者。専門は甲殻類の発生学や、河川の生態学(特に環境破壊による動物相の年代的遷移)。 長野県長野市出身。東京文理科大学卒業。1938年理学博士。1941年埼玉師範学校教授、1964年埼玉大学文理学部教授、教養部教授、学生部長、教育学部長から1978年名誉教授、1980年から1987年まで学長。 国立大学協会教養課程特別委員会長、天然記念物北海道犬保護会長、埼玉県環境アセスメント会長、さいたま緑のトラスト協会理事、埼玉県立自然博物館協会長など多数の役職を歴任した。勲二等旭日重光章。 著書には「動物発生学実験法」、「大学教養生物学」などがある。
池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 199… 池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 1998年12月3日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)を務めた。日本農民組合 (統一派)中央常任委員及び同常総同盟委員長などを歴任。 茨城県筑波郡作岡村安食(現在のつくば市安食)の小地主の家に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)3年の時に、父の経営する会社が倒産し、新治郡土浦町(現在の土浦市)へ移住。同地の茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業後、結城郡宗道村(現在の下妻市)で代用教員に就く。この間、土浦中学校同級生の小林孝祐を介して文化サークルに参加、加藤四海ら全日本農民組合連合会(全農)関係者と親交を深めた。
佐野 嘉吉(さの かきち、1910年(明治43年)8月30日… 佐野 嘉吉(さの かきち、1910年(明治43年)8月30日 - 1993年(平成5年)3月7日)は、日本の元政治家。元自由民主党衆議院議員(3期)。
見砂 直照(みさご ただあき、1909年8月30日 - 19… 見砂 直照(みさご ただあき、1909年8月30日 - 1990年6月20日)は、日本のジャズミュージシャン、バンドマスター。石川県金沢市出身。自身のバンド「見砂直照と東京キューバン・ボーイズ」を率いた。 父は追分節の名手である見砂東楽、息子は2005年に再結成した東京キューバン・ボーイズのリーダー・見砂和照(みさご かずあき)。また、娘が岩佐徹(フジテレビ・WOWOWの元アナウンサー)と結婚したことから、岩佐にとっては義父に当たる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
河津 清三郎(かわづ せいざぶろう、1908年〈明治41年〉… 河津 清三郎(かわづ せいざぶろう、1908年〈明治41年〉8月30日 - 1983年〈昭和58年〉2月20日)は、日本の俳優である。本名中島 誠一(なかじま せいいち)、旧芸名河津 精一(かわづ せいいち)、河津 史郎(かわづ しろう)。 阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画で映画デビューし、マキノ・プロダクション移籍後は沢村國太郎に次ぐ若手時代劇スターとなった。その後、新興キネマに入社して男優の看板スターとして多くの作品に主演し、戦後は個性派の脇役として活躍した。主な出演作品に『首の座』『次郎長三国志』シリーズ、『用心棒』など。妻は女優の高津慶子。 1908年(明治41年)8月31日、東京府東京市日本橋区蠣殻町に生まれる。
沼田 嘉穂(ぬまた よしほ、1905年8月30日 - 198… 沼田 嘉穂(ぬまた よしほ、1905年8月30日 - 1989年5月23日)は、日本の会計学者。会計学、特に簿記学の研究・教育への啓蒙についても精力的に活動、著作も多い。横浜国立大学教授・駒澤大学教授を歴任。 明治38年、文京区本郷弓町にて出生。幼少時小石川小日向台町に移り、大正2年黒田小学校に入学。3年父の奉職先の大手町会計検査院官舎に移り、日比谷小学校(現麹町小学校)に転学、7年卒業。同年一ツ橋高等小学校に入学。8年錦城中学校に入学。12年夏に関東大震災により家屋壊滅。小石川林町に移転。13年錦城中学校卒業。同年東京商科大学(現一橋大学)専門部に入学、昭和2年同校卒業、就職に失敗し、同年本科に進学。
梶浦 善次(かじうら ぜんじ、1905年8月30日 - 19… 梶浦 善次(かじうら ぜんじ、1905年8月30日 - 1993年8月4日)は、日本の哲学者・教育者。専門は教育哲学・ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルに関する研究。北海道における学校経営者。 北海道留萌市出身。1925年札幌師範学校卒業。卒業後、北海道小樽市の小学校訓導として奉職するも、1926年に東京高等師範学校文科第三部に入学。1930年同学校卒業、北海道庁立札幌第一中学校(後の北海道札幌南高等学校)英語教諭。1938年北海道庁立小樽中学校(後の北海道小樽潮陵高等学校)英語教諭に転任。1942年東京文理科大学哲学科に入学、1944年同大学卒業。同年9月、北海道第一師範学校講師、同年12月教授。
橋本 聖準(はしもと しょうじゅん、1905年(明治38年)… 橋本 聖準(はしもと しょうじゅん、1905年(明治38年)8月30日 - 1994年6月24日)は華厳宗の僧侶。203世華厳宗管長、東大寺別当。 奈良市出身。写真家の入江泰吉とは幼なじみ。龍谷大学卒。龍藏院住職、執事長、大仏殿主任などを経て管長となる。修二会の声明の名手として知られた。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8… 小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8月30日 - 1990年〈平成2年〉1月23日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(第10代、3期)。元は旧制鹿児島二中教諭を長く務めた教育者。 鹿児島県姶良郡蒲生村(後の蒲生町、姶良市の一部)生まれ。1922年3月鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)卒業。1926年3月東洋大学国文科卒業。鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)、鹿児島和洋裁縫女学校(現鹿児島城西高等学校)勤務を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島二中、現鹿児島県立甲南高等学校)で国語・漢文の教諭を1927年8月31日から約20年間務める。1947年4月重富村立重富中学校初代校長に就任。
照山 岩男(てるやま いわお、1903年8月30日 - 没年… 照山 岩男(てるやま いわお、1903年8月30日 - 没年不詳)は、日本のゴルフ選手、ゴルフコース設計者、ゴルフ場支配人。九州初のプロゴルファー、学士プロゴルファー第2号(村上伝二に次ぐ)である。 福岡市出身。父が筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門の会社の支配人をしていた関係で、伝右衛門の妻・伊藤白蓮(燁子)とともに、別府市の伊藤別荘(伝右衛門が白蓮のために建設したとされる)に一時滞在していたが、その間に、のちに白蓮事件を起こす宮崎龍介と白蓮が、1920年1月31日に初めて別府の楠港で出会った場に、ただ一人白蓮に連れられて立ち会っている。地域情報誌「月刊アドバンス大分」の1974年の記事において「その朝、別府桟橋まで宮崎を迎えに行く燁子(あきこ)に同行したが、黄八丈の袷に縫紋の羽織を着た燁子の姿をまぶしいまでに覚えている」と語っている。
木村 武雄(きむら たけお、1902年8月30日 - 198… 木村 武雄(きむら たけお、1902年8月30日 - 1983年11月26日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。 衆議院議員選挙に12回当選し、建設大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、国家公安委員会委員長なども務めた。ニックネームは木村元帥、放言居士。 山形県会議員を務めた木村忠三の次男として、山形県米沢市に生まれる。 1926年に明治大学法学部法律学科卒業後、同大学政治経済学部に学士入学し、1928年に卒業。米沢市議会議員、山形県議会議員を経て1936年の第19回衆議院議員総選挙に当時最年少の32歳で初当選。当初中立倶楽部に所属していたが、その後中野正剛率いる東方会に入党。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。
島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月3… 島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月30日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、昭和期の日本の実業家、政治家、華族(男爵)。貴族院男爵議員、参議院議員(2期)。重富島津家第8代当主(越前島津家第23代当主)。 鹿児島県鹿児島市清水町出身。男爵・島津壮之助の長男として生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)4月15日、男爵を襲爵した。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制) を経て、1923年(大正12年)成蹊実業専門学校本科を卒業。三菱銀行に勤務(約10年間)。以後、三和電機社長、鈴木商店代表者、鹿児島製紙興業社長などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。