木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5… 木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5月26日)は、日本の歯科医・政治家。参議院議員(2期)。 新潟県新発田市出身。旧制新発田中を経て日本歯科医学専門学校を1949年に卒業。更に法政大学法学部に進学し、1951年に卒業した。その後、日本歯科大学歯科薬理学教室研究生として在学,歯学博士の学位を取得する。 政治に早くから関心を持ち、法政大学在学中に亜細亜青年連盟を結成して1953年の総選挙に立候補。この時は得票が法定得票数にも満たず泡沫候補に終わるが、その後5回も総選挙に出馬し続けて得票を伸ばし続けた。その一方で歯科医として歯友会歯科技術専門学校の創設に関わり、歯科技工から実業界にも進出。
種村 芳正(たねむら よしまさ、1928年2月23日 - 2… 種村 芳正(たねむら よしまさ、1928年2月23日 - 2026年1月3日)は、日本の政治家。元新潟県議会議長(第82代)。元新潟県議会議員(1987年 - 2007年(5期連続当選))。新潟県立上組農学校卒業。
松沢 俊昭(まつざわ としあき、1927年10月30日 - … 松沢 俊昭(まつざわ としあき、1927年10月30日 - 1985年11月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。全日本農民組合連合会会長。 新潟県五泉市生まれ。旧制村松中卒。代用教員を経て、農民運動に従事した。五泉市議会議員を2期務めた。1963年、新潟県議会議員選挙に、五泉市選挙区から日本社会党公認で立候補して当選した。全日農副会長などを歴任した。1969年12月に2期目の途中で県議を辞職した。同年の第32回衆議院議員総選挙で旧新潟2区から社会党公認で立候補して当選。しかし、1972年の第33回総選挙では落選した。 1974年の新潟県知事選挙に日本社会党公認で立候補した。浦沢与三郎が共産党公認で立候補したため票が分散。
岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - … 岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - 2004年8月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。新潟県議会議員(6期)。新潟県議会議長。長男は、新潟県議会議員の岩村良一。 新潟県北蒲原郡(現在の新発田市)出身で、新発田中学校を経て17歳の時に予科練に志願。1953年、法政大学法学部卒業。渡邊良夫衆議院議員の秘書を務め、第2次岸内閣で厚生大臣に任命されたときは、大臣秘書官を務めた。 1967年から新潟県議会議員を6期務め、副議長と議長を各1年務めた。自民党新潟県連の幹事長だった1989年には、君健男が癌のため新潟県知事を辞職したのに伴って多数の同党県議から推されて知事選への立候補の意思を表明したが、後に金子清への候補者一本化に同意した。
登坂 健児(とさか けんじ、1927年(昭和2年)5月14日… 登坂 健児(とさか けんじ、1927年(昭和2年)5月14日 - )は、日本の政治家。元新潟県燕市長(1期)。 新潟県南蒲原郡燕町(現・燕市)出身。1946年、加茂朝中学校(現・加茂暁星高等学校)卒。1961年、トサカプレスを創業する。1979年に株式会社化し、社長に就任する。1975年、燕市議会議員に初当選し、3期務め、議長も務めた。1990年、燕市長に当選し、1期務めた。1994年に落選した。2002年に母校の加茂暁星学園の理事長に就任した。
坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日… 坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日 - 2018年4月9日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員を通算3期務めた。 新潟県三条市出身。1949年、日本大学法文学部政経学科卒業。新潟県内の小学校教員となる。 1952年、弁護士税理士事務所を開設。燕三条税理士法人の代表社員になる。三条市議会議員、新潟県弁護士会会長を務める。 1982年4月25日に行われた新潟県知事選挙に社会党・共産党の推薦を得て立候補。現職の君健男との一騎打ちに敗れ落選。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から、社会党の統一候補として立候補し初当選。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で社会党は坂上と前県議の目黒吉之助の二人に公認を出す。
高沢 寅男(たかざわ とらお、1926年〈大正15年〉10月… 高沢 寅男(たかざわ とらお、1926年〈大正15年〉10月27日 - 1999年〈平成11年〉8月5日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(7期)。 新潟県上越市出身。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、奥田敬和らと同期。東京大学経済学部に入学。日本共産党国際派の活動家として学生運動に参加、都学連委員長などを務める。当時の同志に不破哲三、上田耕一郎、安東仁兵衛、武井昭夫らがいた。 1954年3月、東京大学経済学部を卒業。同年4月、日本社会党書記局に入る。1966年に非議員の中央執行委員に昇格し、教育宣伝局長、総務局長などを歴任する。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京5区から社会党公認で立候補し初当選した。
吉村 午良(よしむら ごろう、1926年(大正15年)2月1… 吉村 午良(よしむら ごろう、1926年(大正15年)2月13日 - 2007年(平成19年)5月7日)は日本の政治家・官僚。元長野県知事(在職期間:1980年(昭和55年) - 2000年(平成12年))。旧名は吾朗であり、改名は姓名判断に凝っている夫人の勧めで行われた。 新潟県長岡市生まれ。長野市立鍋屋田尋常小学校(現:長野市立鍋屋田小学校)、旧制長野中学校(現:長野県長野高等学校)、東京大学法学部を卒業後、自治省(現:総務省)へ入省。1948年(昭和23年)に長野県厚生課に出向し、児童課、林政課、振興課、厚生課の各課長を経て、1957年(同32年)宮城県庁に転じ、1961年(同36年)自治省会計課長補佐、1962年(同37年)総理府統計局経済課長となり、1965年(同40年)自治大臣官房調査官から、長野県総務部長に再出向した。
伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月… 伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月18日 - 2001年(平成13年)6月7日)は、昭和から平成時代の政治家。新潟県両津市長。 新潟県出身。両津高等小学校卒業。 両津市議会議員2期、新潟県議会議員2期を経て、1984年(昭和59年)両津市長に当選。3期務め、1995年(平成7年)引退した。
粕谷 照美(かすや てるみ、1924年〈大正13年〉4月19… 粕谷 照美(かすや てるみ、1924年〈大正13年〉4月19日 - 2023年(令和5年)12月9日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身。1943年東京府女子師範学校(現東京学芸大学)卒。新潟県内の小中学校の教員を務め、新潟県教職員組合執行委員、日本教職員組合中央執行委員を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では逓信委員長、環境対策特別委員長などを歴任、党内では中央執行委員、教育文化局長などを務めた。芸大事件の追及などを行った。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
市橋 保雄(いちはし やすお、1920年〈大正9年〉12月3… 市橋 保雄(いちはし やすお、1920年〈大正9年〉12月3日 - 1984年〈昭和59年〉11月8日)は、日本の政治家。新潟県両津市(現・佐渡市)長(3期)。 新潟県出身。新潟県立佐渡中学校(現・新潟県立佐渡高等学校)を経て、1941年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒。翌年、陸軍に入隊し、中尉で終戦を迎える。その後は県立新潟高等女学校(現・新潟県立新潟中央高等学校)教諭となり、1962年、両津市議会議員に当選し、4期務め、議長も務めた。1974年、両津市長に当選、1978年、1982年と続けて再選した。3回目の当選の翌年の1983年に市長を辞職した。 1984年(昭和59年)11月、肝硬変に肝不全を併発し死去した。
川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5… 川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5月22日 - 1983年(昭和58年)1月20日)は、日本の政治家。1975年から1982年まで新潟県新潟市長を務めた。 新潟市出身。1938年(昭和13年)新潟県立新潟中学校(現・県立新潟高等学校)卒業後、県局長、県職労委員長をへて、1975年(昭和50年)の新潟市長選に日本社会党、日本共産党の推薦を得て立候補。「人間都市新潟」をスローガンに初当選を果たし、新潟市では初、新潟県内では6番目の革新市政となる。1982年(昭和57年)12月14日、体調不良により2期目の任期を約4ヶ月残し辞任する。 1983年1月20日、食道癌により新潟市の新潟市民病院で死去。
高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、19… 高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、1919年2月8日 - 2016年5月4日)は、日本の政治家、医学者。北海道大学名誉教授、参議院議員(2期)。医学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 長兄は熊本県知事、参議院議員の桜井三郎。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の8番目として生まれる。新潟県立巻中学校を経て北海道帝国大学医学部卒業。同大学院博士課程修了。1945年札幌在住の親戚である高桑家の養子となる。1956年より北海道大学へ赴任。医学部長・大学院環境科学研究科長を経て、1980年より公害研究所(現国立環境研究所)所長として筑波研究学園都市で過ごす。同年、紺綬褒章受章。
長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 199… 長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 1990年10月28日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。位階は従三位。勲等は勲一等。 新潟県長岡市で生まれ育つ。旧制新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)卒業後、旧制第一早稲田高等学院(現在の早稲田大学の教養課程)入学している。その後は、父の死去に伴い旧制早稲田高等学院を中退し、17歳で長谷川酒造社長に就任する。 その後、戦時中は1942年5月、南西方面艦隊海軍民政府に志願し、インドネシアのセレベス島マカッサルに勤務したとされている。1944年12月、帰国した。 終戦後、青年団活動を経て、上組村議、宮内町議、長岡市議を2期、新潟県議会議員を4期を務めあげた。
堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日… 堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日 - 2022年〈令和4年〉3月20日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。位階勲等は正四位勲二等。日本会議代表委員。アジアと日本の平和と安全を守る全国フォーラム初代会長。 新潟県糸魚川市出身。水産学校校長堀江英一の次男として生まれた。7歳から12歳まで樺太で過ごし、糸魚川中学、東京陸軍幼年学校(34期)、陸士予科を経て、陸軍士官学校を卒業(第50期、35番/426名)。旧軍時代は歩兵科士官で、太平洋戦争中に陸軍大学校を卒業し(57期)、第18軍参謀としてパプアニューギニアで終戦を迎えた。 終戦後、1946年(昭和21年)3月に復員し、妻の郷里宮崎県日南市で林業に従事した後、警察予備隊及び保安隊を経て陸上自衛隊で勤務。
村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日… 村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日 - 2010年〈平成22年〉5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(12期)、大蔵大臣(第82代・第91代・第92代)、厚生大臣(第60代)を歴任。税制通で知られ、消費税導入にもかかわった。 新潟県長岡市坂之上町生まれ。株屋をやっていた幸太郎の三男。 長岡市立表町尋常小学校から長岡中学校に進む。長岡中二年の時、母が死去、姉静子に身のまわりの面倒をみてもらうようになった。当時の旧制中学は五年制だったが、中学四年生から旧制高校を受験できた。担任教諭の勧めで一高を受験、合格した。 1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。
阿部 助哉(あべ すけや、1914年9月14日 - 1995… 阿部 助哉(あべ すけや、1914年9月14日 - 1995年4月22日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。
江尻 勇(えじり いさむ、1913年(大正2年)3月18日 … 江尻 勇(えじり いさむ、1913年(大正2年)3月18日 - 1997年(平成9年)7月21日)は日本の政治家。新潟県西山町長(6期)。 二田尋常高等小学校(現:柏崎市立二田小学校)卒業後、上京して新聞配達や保険外交員として働く。 戦前は刈羽郡二田村役場で戦争事務を担当していたが戦後、それを理由に退職するしかなかった。1950年-1951年(昭和25-26年)頃まで日本社会党派だったが、離れて農業をしていたとき、田中土建社員の江尻の知り合いから田中角栄の秘書本間幸一を通じて、手が空いてるなら手伝って欲しいと言われた。だがその頃の江尻は三宅正一の応援を始めたばかりで社会党で特に小作人の代弁者だった三宅は農地改革の先頭にいた。
松井 誠(まつい まこと、1912年(大正元年)10月29日… 松井 誠(まつい まこと、1912年(大正元年)10月29日 - 1972年(昭和47年)11月10日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、参議院議員。 新潟県佐渡郡真野村(真野町を経て現佐渡市)で生まれる。両親は父の勤務地の朝鮮在住のため祖父母の元で成長した。佐渡中学校(現新潟県立佐渡高等学校)、第四高等学校(首席卒業)を経て、東京帝国大学法学部法律学科に進学。1935年(昭和10年)高等試験行政科試験、同司法科試験に合格。1936年(昭和11年)同大学を卒業し、満州国国務院司法部の司法官となるが、病のため1940年(昭和15年)に退官した。義兄が勤務していた京城医学専門学校附属医院で療養後、東京帝国大学医学部附属病院に転院し、退院して1944年(昭和19年)東京の前野法律事務所で弁護士として勤めた。
今井 哲夫(いまい てつお、1912年(明治45年)5月20… 今井 哲夫(いまい てつお、1912年(明治45年)5月20日 - 1987年(昭和62年)12月27日)は、日本の政治家。新潟県柏崎市長を2期8年(1979年 - 1987年)務めた。 青年期には陸上競技選手(長距離走)として活躍し、慶應義塾大学在学中に箱根駅伝に出走したほか、3000メートル障害で当時の日本記録を更新した。1936年ベルリンオリンピックに3000メートル障害で出場。 新潟県刈羽郡比角村(現在は柏崎市の一部)出身。1922年(大正11年)、比角尋常高等小学校(現在の柏崎市立比角小学校)5年生の際に、新潟県少年オリンピック大会での総合優勝に貢献する。旧制新潟県立柏崎中学校(現在の新潟県立柏崎高等学校)に進学、近県中学校競技大会で4種目優勝を果たした。
大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月… 大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月25日 - 1988年(昭和63年)2月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた。新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業。箱根富士屋ホテルに勤めた。 1936年(昭和11年)静岡県熱海市でホテル大野屋を開業した。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した。熱海市会議員を務め、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した。日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]。 佐藤栄作の秘書を経て1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から出馬して初当選。
小林 進(こばやし すすむ、1910年(明治43年)9月9日… 小林 進(こばやし すすむ、1910年(明治43年)9月9日 - 1997年(平成9年)8月6日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市)に生まれる。1928年(昭和3年)北海中学校卒業。1935年(昭和10年)中央大学法学部卒業。 中央大学卒業後、東京倉庫運輸株式会社入社。その後、幹部候補生の教育を受けて、陸軍主計大尉として終戦を迎えた。 第二次世界大戦敗戦のショックを経て「これからは余生だ」「人の役に立ちたい」と立候補を決意。1946年(昭和21年)平野力三の自宅を訪れ政治への熱意を語るが、当時新潟には戦前からの有力社会党派閥が既存しており、実績のない小林の入党は断わられる。
高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日 -… 高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日 - 1972年10月29日)は、衆議院議員を5期務めた日本の政治家である。 1910年(明治43年)2月、新潟市に生まれる。私立新潟夜間中学校、高検を経て新潟高等学校卒業。1936年(昭和11年) 京都帝国大学法学部卒業。 1937年(昭和12年)、南方に出征。 1947年(昭和22年)、新潟県議会議員・新潟市議会議員。1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で新潟1区初当選(無所属)し、以後5期連続で務める。 1964年(昭和39年)7月、第3次池田改造内閣防衛政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣防衛政務次官。1967年(昭和42年)11月、第2次佐藤第1次改造内閣郵政 政務次官。
稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明… 稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明治42年〉11月19日 - 1992年〈平成4年〉8月15日)は、日本の政治家、文部大臣(第94代)、法務大臣(第34代)、衆議院議員(14期)。法学博士。 兄の稲葉圭亮も政治家で衆議院議員だった。長男は元衆議院議員の稲葉大和。 1909年11月19日、現在の新潟県村上市に生まれる。村上中学、旧制山形高校といずれの学校でもいわば武勇伝(中学では生徒会長として祭りの日に学校を休みにしろと同盟休校を主導したため、高校ではカンニングが発覚したため)での中途退学を経て、1936年中央大学法学部独法学科を卒業。1940年中央大学大学院を修了。1945年中央大学教授に就任。
氏田 良隆(うじた よしたか、1909年(明治42年)3月2… 氏田 良隆(うじた よしたか、1909年(明治42年)3月22日 - 没年不明)は、日本の政治家。新潟県両津市(現・佐渡市)長(4期)。 新潟県出身。1923年、加茂村(のち両津市、現・佐渡市)立尋常高等小学校卒。1933年、加茂村役場書記となり、のちに白瀬水電(株)に入り、会計課長となった。戦後の1947年、加茂村議会議員に当選、議長を務めた。1951年、加茂村長となる。1954年、加茂村は合併により、両津市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。1958年に再選し、1962年は出馬しなかった。この間、新潟東観光(株)取締役、佐渡汽船(株)監査役を歴任した。4年後の1966年に両津市長に復帰、1970年に再選し、市長を1974年まで務めた。
今泉 隆平(いまいずみ りゅうへい、1908年8月 - 19… 今泉 隆平(いまいずみ りゅうへい、1908年8月 - 1997年3月)は、日本の政治家。新潟県南魚沼郡石打村長。塩沢町名誉町民第1号。 1908年8月、(明治41年)新潟県南魚沼郡石打村(現 南魚沼市)君沢で長男として生まれる。1924年塩沢町立尋常高等小学校高等科を卒業。1927年石打村役場勤務。1945年8月27日、薬照寺でバー・モウを匿う仲間になる 。1947年石打村議会議員・副議長。1952年薬照寺檀家総代(1975年5月迄の23年間)。1955年石打村長となり、町村合併を推進。1955年埼玉県所沢市に転住、有限会社今泉牧場を経営。1957年塩沢町参与。 1986年3月、紺綬褒章を受章。
小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月… 小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月15日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)、長岡市長(5期18年)。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校、旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学農学部卒業。農林省官僚となるが、同省の先輩に当たる和田博雄の勧めにより辞職。1950年6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で立候補し初当選を果たした。議員在職中は安保条約やベトナム賠償問題などで、政府の姿勢を厳しく質したことから「マムシの孝平」と渾名される。1956年、再選。 その後社会党を離党し、革新系無所属として1961年の新潟県知事選挙に挑み落選(当選は自民党推薦の塚田十一郎)。
板倉 治作(いたくら じさく、1907年(明治40年)7月4… 板倉 治作(いたくら じさく、1907年(明治40年)7月4日 - 1964年(昭和39年)9月14日)は、日本の教員、実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中頸城郡上杉村(現上越市)で生まれる。1927年、高田師範学校を卒業し、新潟市湊小学校、三島郡日越小学校の訓導を務めた。 その後上京して、日本橋で三京堂(カーボン卸製造業)を経営した。戦災を受けて帰郷し農業を経営した。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に新潟県第二区から日本自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
渡邉 智哲(わたなべ ちてつ、1907年〈明治40年〉3月5… 渡邉 智哲(わたなべ ちてつ、1907年〈明治40年〉3月5日 - 2020年〈令和2年〉2月23日)は、日本のスーパーセンテナリアン、政治家、地方公務員。新潟県上越市浦川原区に在住していた長寿の男性。日本国内並びに世界最高齢男性であった野中正造が2019年1月20日に死去した時点では、日本国内及び世界最高齢男性となっていた(詳細は後述)。ただし、トーマス・ピナレス・フィゲレオ(1906年3月31日 - 2020年9月24日)が世界最高齢男性に認定された為、世界最高齢の男性では無くなっている。 1907年(明治40年)、新潟県東頸城郡浦川原村(現・上越市浦川原区)の農家に生まれる。新潟県立高田農学校(現・新潟県立高田農業高等学校)卒業後、大日本製糖(現・DM三井製糖ホールディングス)に入社し、終戦まで台湾で働いた。
松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1… 松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1日 - 2014年(平成26年)9月19日)は、日本の弁護士、裁判官、政治家。緑風会所属参議院議員。
佐藤 策次(さとう さくじ、1905年〈明治38年〉12月1… 佐藤 策次(さとう さくじ、1905年〈明治38年〉12月1日 - 1997年〈平成9年〉4月15日)は、日本の政治家。新潟県直江津市(現・上越市)長(3期)。 新潟県中頸城郡直江津町(のち直江津市、現・上越市)出身。東京高等師範学校臨時教員養成所卒。1925年(大正14年)北海道立室蘭中学校に赴任した。その後、旧制新潟県立高田中学校(現新潟県立高田高等学校)の教諭と教頭を務める。戦後、新制直江津町立直江津中学校(のち直江津市立直江津中学校、現上越市立直江津中学校)校長となる。1962年(昭和37年)直江津市長に当選。同年7月に就任した。高田市と合併するまで市長を3期務めた。在職中、高田市との合併が起こり、合併の方向で話を進め、1971年(昭和46年)に上越市が発足した。
渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)… 渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)2月17日 - 1994年(平成6年)11月28日)は、日本の政治家。新潟市長、全国市長会会長。
塚田 十一郎(つかだ じゅういちろう、1904年〈明治37年… 塚田 十一郎(つかだ じゅういちろう、1904年〈明治37年〉2月9日 - 1997年〈平成9年〉5月23日)は、日本の弁護士、税理士、政治家。位階は正三位。 参議院議員(3期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第5代)、新潟県知事(公選第5・6代)などを歴任。 新潟県中頸城郡春日村(現在の新潟県上越市)出身。農業・塚田亀之助の六男。旧制新潟県立高田中学校(現在の同県立高田高等学校)、大連中学校を経て1928年(昭和3年)、東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業。高等文官試験行政科、司法科に各合格。 昭和金融恐慌後の不況により就職活動は難航、やがて伝をたどって小橋一太(元文部大臣)の居候兼書生となる。
田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 19… 田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 1975年11月28日)は日本の政治家。衆議院議員(自由民主党・7期)。政界の爆弾男として鳴らし、時の政権でさえ無視できないほどの影響力を誇ったが、黒い霧事件で失脚した。 新潟県新井市(現妙高市)出身。電報配達員から上京して岩倉鉄道学校で学び、鉄道省に入り機関士となるが辞して樺太で農業を営む。1929年5月に傷害罪による罰金刑を受け、1930年12月には横領、恐喝、有価証券偽造・同行使、詐欺罪で懲役2年の実刑判決を受けて服役した。1943年には別の詐欺罪で懲役2年6ヶ月の刑が確定したものの逃走し、1948年5月に刑の時効を迎えて刑を執行免除されている。
石田 宥全(いしだ ゆうぜん、1901年(明治34年)1月5… 石田 宥全(いしだ ゆうぜん、1901年(明治34年)1月5日 - 1981年(昭和56年)11月13日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(5期)、新潟県中蒲原郡川東村長。 新潟県中蒲原郡川東村(現五泉市)出身。1916年(大正5年)川東高等小学校(現:五泉市立川東小学校)を卒業し農業に従事。 1923年(大正12年)頃から農民運動に加わった。日本農民組合、労働農民党、全国労農大衆党などの中央、地方組織の役員を務めた。1926年(大正15年)日農関東同盟新潟県連理事に就任し、同年に小作争議指導の嫌疑で検挙され懲役6月となり、1928年(昭和3年)菅沼小作争議では暴行容疑で懲役2月の有罪判決を受けた。
稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - … 稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - 1955年2月21日)は、日本の農民運動家・政治家。衆議院議員(5期)。本名は「稲村 順蔵」、ペンネームは「村上 進」。 新潟県三条市出身。稲村道三郎の二男として生まれた。北海道帝国大学予科から東京帝国大学へ入学するが、兄・稲村隆一の影響を受け農民運動に関わるようになり大学を中退。1926年に労働農民党に入党し、雑誌「マルクス主義」の編集者。無産大衆党書記や社会大衆党書記を務め、1927年『労農』同人。1928年に日本大衆党に参加するが翌1929年5月21日に除名処分を受ける。1932年には秋田、新潟の農民運動に参加するも、1937年人民戦線事件で検挙され、釈放の後に帝国農業会嘱託や中央農会副参事として勤務する。
亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日… 亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日 - 1977年〈昭和52年〉4月4日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(8期)、新潟県知事(公選第7・8代、在任1966年 - 1974年)、参議院議員(1期)。日魯漁業創業者の堤清六は実兄。 呉服商「近清」7代目の堤清七・千代の四男(第7子)として新潟県南蒲原郡三条町上町に出生。長兄の清六とは19歳も離れていた。幼くして寺泊の廻船問屋亘信治の養子となる。 寺泊町立尋常科寺泊小学校を経て旧制新潟県立三条中学校を卒業後、アメリカ合衆国ニュージャージー州のラトガーズ大学に留学。建築学や数学を学ぶ一方で、アメリカンフットボール部でも活躍した。
桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1… 桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1960年4月8日)は日本の政治家、内務官僚。熊本県知事(官選第34代、公選初代-第3代)、参議院議員(1期)。位階は正三位。医学者、参議院議員の高桑栄松は弟。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の長兄として生まれる。旧制新潟県立巻中学校、旧制第四高等学校を経て、1926年に京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、島根県書記官・警察部長、警視庁部長・消防部長、徳島、福岡両県の内政部長などを歴任。戦中は熊本県で官選知事を務め、1947年の熊本県知事選挙に出馬。細川隆元らを退けて当選した。この際、GHQの幹部が桜の枝を持って投票所を回り、桜井を暗に支持する選挙干渉があったという。
西川 弥平治(彌平治、さいかわ やへいじ、1898年〈明治3… 西川 弥平治(彌平治、さいかわ やへいじ、1898年〈明治31年〉12月18日 - 1958年〈昭和33年〉12月16日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、新潟県議会議長。旧姓は中林。 新潟県北魚沼郡川口村(川口町を経て現長岡市)で、素封家・中林茂吉、ヒデの四男として生まれた。1916年(大正5年)3月、新潟県立工業学校(現新潟県立長岡工業高等学校)機械科を卒業した。 1916年、新潟鐵工所柏崎工場に入社。1921年(大正10年)刈羽郡枇杷島村(柏崎町枇杷島を経て現柏崎市枇杷島)の西川藤助に強く望まれて西川商店鉄工部に入った。1923年(大正12年)藤助の父・西川善之助の養子となる。
北村 一男(きたむら かずお、1897年11月17日 - 1… 北村 一男(きたむら かずお、1897年11月17日 - 1965年3月29日)は日本の政治家、参議院議員、新潟県知事。 1897年、新潟県見附市出身。新潟県立加茂農林学校を経て1920年(大正9年)に中央大学商科を卒業後、堤商会(のちに旧日魯漁業、輸出食品と合同して社名を日魯漁業に、現マルハニチロ)に入社して樺太-カムチャツカ間を往復。この際ゲーペーウーに拿捕されるなどの苦労があったが、これによって堤清六社長の信頼を得た。戦後は自由党に所属し、1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙に新潟地方区から出馬して初当選。2期にわたって議員を務め、農林政務次官、国土総合開発審議会、米価審議会各委員、参議院法務委員長、党の政務調査会副会長、参議院幹事長などを歴任した。
大島 秀一(おおしま ひでいち、1897年〈明治30年〉2月… 大島 秀一(おおしま ひでいち、1897年〈明治30年〉2月28日 - 1965年〈昭和40年〉4月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)、主婦と生活社創業者。 新潟県西蒲原郡峰岡村(巻町を経て現新潟市西蒲区)で生まれる。1922年(大正11年)信愛学院を卒業した。 1921年(大正10年)太陽印刷を設立。太陽印刷工業取締役社長に就任。1946年(昭和21年)太陽印刷を新元社に変更し『主婦と生活』を創刊。1948年(昭和23年)新元社を主婦と生活社に改名し社長に就任。1957年(昭和32年)河出書房(現河出書房新社)から『週刊女性』を引き継いだ。その他、主婦と生活文化学園長、日本出版販売取締役、日本出版協会会長などを務めた。
佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8… 佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。
野村 ミス(のむら ミス、1896年8月19日 – 1979… 野村 ミス(のむら ミス、1896年8月19日 – 1979年3月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は高野。 新潟県中魚沼郡倉俣村(現十日町市)出身。1919年上野家政女学校高等科卒業。卒業後は故郷の小学校の教諭(訓導)を務め、税務署職員だった野村幸次郎と結婚した。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙に新潟県1区(大選挙区制)から無所属で立候補して当選した。当選後は国民協同党に入った。翌1947年の第1回参議院議員通常選挙で新潟県から国民協同党公認で立候補したが落選した。1979年死去。
松田 弘俊(まつだ ひろとし、1896年〈明治29年〉2月2… 松田 弘俊(まつだ ひろとし、1896年〈明治29年〉2月28日 - 1972年〈昭和47年〉11月17日)は、昭和日本の実業家・政治家である。新潟県長岡市にあった電力会社北越水力電気や同社から派生した北越電化工業(現・北越メタル)の常務取締役を務めたのち、1947年(昭和22年)に初代の公選長岡市長に当選し2期8年在職した。 松田弘俊は、1896年(明治29年)2月28日、水落要松の次男として新潟県中魚沼郡下条村(現・十日町市)に生まれた。実家・水落家は江戸時代に代々庄屋を務めた家で、父・要松は下条村長や新潟県会議員にもなった。1914年(大正3年)に新潟県立加茂農林学校を卒業し、初め三菱合資会社新潟事務所に勤務した。
川澄 農治(かわすみ のうじ、1896年(明治29年)1月2… 川澄 農治(かわすみ のうじ、1896年(明治29年)1月22日 - 1992年(平成4年)1月23日)は、日本の政治家。新潟県高田市長(2期)、直江津市長(1期)。 新潟県中頸城郡大倉村(のち和田村→高田市、現・上越市)大字石沢(旧石沢村)に生まれる。1914年、矢代川改修工事書記、1917年、和田村書記、1922年、西頸城郡書記、1924年、中頸城郡書記となったが、1926年の郡役所廃止により新潟県属となり、地方課勤務になる。1928年に退職し、高田市役所に入り、書記となった。1936年、庶務課長、1944年、助役となり、1946年、川上大造市長の辞職により5ヶ月間市長代理を務めた。 1947年、直江津町長選挙に立候補して当選、1951年に再選され、1954年の直江津市制施行に伴い、市長に就任した。
蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者・政治家。お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 新潟県刈羽郡鵜川村で蝋山政次郎と母寛子(衆議院議員・牧口義方の二女)の長男として生まれる。父は1872年8月に蝋山政右衛門の長男として生まれ、同家8代目の当主であった。祖父政右衛門が群馬県高崎市歌川町で蝋山酒造を経営していたため同地で育つ。父は上州銀行や上州信託、高崎倉庫株式会社の取締役をはじめ、上州電気鉄道株式会社の監査役を務めるなど群馬県経済界の重鎮であった。 1913年3月に県立高崎中学校、1917年7月に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に進学。
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。
舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 19… 舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 1966年12月2日)は、新潟県出身の実業家、政治家。日本金属の創業者。三国鋼帯株式会社取締役、舟崎鋼業合資会社代表社員。 新潟県佐渡郡金丸村生まれ。旧制佐渡中学校(現在の新潟県立佐渡高等学校)を経て、1917年に早稲田大学理工学部機械科を卒業する。東京銅板技師、高砂鉄工所技師長、三船商事・日本特殊鋼材・日本航空機工業・日本ペニシリン製薬の各社長を歴任した。 1946年から2回、新潟1区から衆議院議員に当選(日本進歩党)。戦後、萩野由之(東京帝国大学教授)の遺した蔵書を高額で買い取り、母校新潟県立佐渡高等学校に寄付した。舟崎文庫の名で保存されている。
藤縄 清治(ふじなわ せいじ、1893年3月12日 - 19… 藤縄 清治(ふじなわ せいじ、1893年3月12日 - 1967年4月22日)は、明治から昭和にかけての政治家。 1893年3月12日、新潟県中頸城郡潟町村大字土底浜(現・上越市大潟区土底浜)に、酒造家の藤縄正朔、妻ミカの次男として生まれる。女6人男3人の9人兄弟である。姉には、女子裁縫学校を創設し初代校長となった藤縄ヒサ、改称し、高田実科女学校(共に学校法人古川学園上越高等学校)二代校長となった古川フジなどがいる。藤縄家は代々土底浜の漁師であったが、正朔の代から酒造業を始めた。正朔は、晩酌のかたわらに藤縄たちを呼び、「人間、生を受けたからには、自ら働き、自らの手で業を興せ。決して人に頼ってはならない。
神山 栄一(榮一、かみやま えいいち、1892年(明治25年… 神山 栄一(榮一、かみやま えいいち、1892年(明治25年)11月3日 - 1952年(昭和27年)6月25日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県古志郡長岡町(現長岡市表町二丁目)で、神山敬太郎の長男として生まれた。1907年(明治42年)新潟商業学校(現新潟県立新潟商業高等学校)を卒業した。 1912年(大正元年)12月、一年志願兵として入隊し、1916年(大正5年)3月、陸軍歩兵少尉に任じられた。以後、新潟市在郷軍人会副会長、同市在郷軍人会連合分会阪之上区分会長、同市軍友会幹事を務めた。 肥料・砂糖・麦粉等の卸問屋を営み、1926年(大正15年)12月、親族で合資会社神山商店に改組し代表社員に就任。