平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月… 平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の政治家、実業家。財務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、経済産業大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任。 四日市市天ヶ須賀(富洲原地区住吉町)生まれ。実業家だった父の方針で、特別教育を受けるために公立の四日市市立富洲原小学校ではなく私立小学校(暁学園)の暁小学校、暁中学校で学び、三重県立四日市高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業[要出典]。 石膏ボードメーカーの千代田建材工業に入社して、1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで同社の社長を務める。
木田 久主一(きだ くすいち、1948年(昭和23年)2月1… 木田 久主一(きだ くすいち、1948年(昭和23年)2月13日 - )は、日本の政治家。元三重県鳥羽市長(3期)、元三重県議会議員(2期)、元鳥羽市議会議員(2期)。 三重県加茂村(現・鳥羽市河内町)出身。鳥羽市立加茂小学校、鳥羽市立加茂中学校、三重県立伊勢高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月、三重大学農学部卒業。同年4月から農業に従事。 1991年(平成3年)4月の鳥羽市議会議員選挙に初当選。同年5月1日に市議に就任。1995年(平成7年)に再選。 1999年(平成11年)4月、三重県議会議員選挙に初当選。県議時代は自由民主党に所属した。2003年(平成15年)に再選。 2005年(平成17年)4月17日に行われた鳥羽市長選挙に出馬し初当選した。
川崎 二郎(かわさき じろう、1947年(昭和22年)11月… 川崎 二郎(かわさき じろう、1947年(昭和22年)11月15日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、自民党一億総活躍推進本部長、自民党三重県連会長。
野呂 昭彦(のろ あきひこ、1946年8月28日 - )は、… 野呂 昭彦(のろ あきひこ、1946年8月28日 - )は、日本の政治家。
藤岡 和美(ふじおか かずみ、男性、1946年6月20日 -… 藤岡 和美(ふじおか かずみ、男性、1946年6月20日 - )は、日本の政治家。元三重県久居市(現・津市)長(2期)。旭日双光章受章。 三重県一志郡久居町(のち久居市)出身。三重県立松阪高等学校を経て、1969年、日本大学法学部卒。同年三重県庁に入り、県教育委員会教職員課課長補佐、人事課長となり、1995年退職。翌年2月11日の久居市長選挙で無投票当選した。2000年2月6日に無投票で再選を果たした。2001年に市長を辞職し、同年の参議院議員選挙において三重県選挙区から自由民主党公認で立候補したが落選した。その後、2005年に久居市議会議員選挙に立候補して当選する。同年NPO法人市民風車夢の風理事長に就任。
蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )… 蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )は、日本の実業家、政治家、馬主。 三重県桑名市に本社を置く、建設資材の総合商社であるヒルカワ金属株式会社の代表取締役会長を務める。 1946年、三重県出身。三重県立桑名高等学校の定時制を卒業後に就職し、1984年7月7日に37歳で独立して現在の会社を設立した。 2006年に行われた桑名市議会議員選挙では1,727票を獲得し当選。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄、紫二本輪、緑袖、冠名には「ヒルノ」を用いるが、かつては「ビック」を用いた。現在は「株式会社ヒルノ」の法人名義として馬主登録をしている。
北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年〈昭和19年〉11… 北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年〈昭和19年〉11月11日 - )は、日本の政治家、政治学者。 三重県知事(第4代、2期)、衆議院議員(4期)、三重県議会議員(3期)を歴任。早稲田大学大学院公共経営研究科名誉教授、および早稲田大学マニフェスト研究所(プロジェクト研究所)顧問・前所長。富士通株式会社社外取締役。四日市大学客員教授。 1944年(昭和19年)11月11日、三重県鈴鹿市に生まれた。三重県立神戸高等学校、早稲田大学商学部卒業。学位は商学士(早稲田大学)。大日本印刷に勤務した。 1972年(昭和47年)、補選で三重県議会議員に初当選し、連続3期務めた。 1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選した。
三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、… 三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、日本の実業家、政治家。 衆議院議員(1期)、国民の生活が第一副幹事長・選挙対策委員会副委員長、カネ美食品株式会社社長、愛知県議会議員(4期)、新党きづな副代表などを歴任した。県議時代は「三輪敦昭」という名前で活動した。 三重県桑名郡(現在の桑名市)生まれ。三重県立桑名高等学校中途退学。親類が経営する惣菜店に勤務した後、1969年にカネ美食品を創業する。1971年3月に同社を株式会社化し、初代代表取締役に就任した。1983年に同社の代表取締役を退任し、その後は不動産会社を経営。なお、カネ美食品は2002年にユニーの持分法適用関連会社となった。
川岸 光男(かわぎし みつお、1942年(昭和17年)9月1… 川岸 光男(かわぎし みつお、1942年(昭和17年)9月17日 - )は、日本の政治家。元三重県鈴鹿市長(2期)。元三重県議会議員(5期)。旭日中綬章受章。 三重県四日市市出身。1965年三重県立神戸高等学校卒。卒業後は本田技研に入り、労働組合で活動し、同社労働組合委員長となる。1979年三重県議会議員選挙に鈴鹿市選挙区から立候補し、当選。5期務め、1998年に第92代副議長となる。 2003年の鈴鹿市長選挙に立候補し、元県議らを破って当選する。※当日有権者数:144,525人 最終投票率:63.73%(前回比:-6.54pts) 2007年の市長選挙では無投票で再選。鈴鹿市長を2期務め、2011年に引退した。
中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日… 中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日 - 2017年〈平成29年〉4月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、国家公安委員会委員長(第80・81代)、拉致問題担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災)、法務大臣(第54代)、衆議院予算委員長、民社党副委員長、自由党副党首、民主党副代表などを歴任した。父は元衆議院議員の中井徳次郎。 満洲国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。終戦後の1946年(昭和21年)9月に三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。上野市立白鳳幼稚園・上野市立西小学校・上野市立崇広中学校を経て、東京都へ父と引越して東京都立立川高等学校、1969年(昭和44年)3月慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業した。
斎藤 十朗(齋藤 十朗、さいとう じゅうろう、1940年〈昭… 斎藤 十朗(齋藤 十朗、さいとう じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月5日 - 2025年〈令和7年〉3月17日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。自由民主党所属。参議院議員(6期)、厚生大臣(66代)、参議院議長(21・22代)、自由民主党参議院議員会会長等を歴任した。 厚生大臣・警察庁長官を務めた斎藤昇は父。妻は表千家家元千宗左の妹。 三重県伊賀市(旧伊賀町)出身。1958年(昭和33年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。 1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒業後、三井銀行、ロンドン大学留学を経て、父・昇の死去に伴う1972年(昭和47年)の参議院議員補選に父の後を継いで立候補して初当選する。
井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月1… 井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月12日 - 2019年(平成31年)2月21日)は、日本の政治家。三重県出身で、参議院議員(1期、三重県選挙区)、第15代四日市市長(3期)を務めた。 三重県四日市市海蔵地区生まれ。三重県立四日市高等学校、名古屋大学法学部卒業。 民間企業で働きながら司法試験に26歳で合格。司法修習20期を経て、弁護士登録。司法修習の同期には高村正彦(元外務大臣)、江田五月(参議院議長)、横路孝弘(衆議院議長)、神崎武法(元公明党代表)、松尾邦弘(元検事総長)らがいる。四日市市ぜんそく公害訴訟の原告弁護団の一員を務める。 その後三重県弁護士会会長も務める。
石井 智(いしい さとし、1938年5月1日 - )は、日本… 石井 智(いしい さとし、1938年5月1日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 1938年(昭和13年)生まれで、三重県出身。1957年(昭和32年)に三重県立宇治山田高等学校を卒業。横浜ゴムに入社した。その後伊勢市議会議員(2期)三重県議会議員(2期)を経て、日本社会党の角屋堅次郎衆議院議員の後継者となった。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で三重2区から立候補して初当選をした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で再選されて、藤波孝生(無所属)を破り、三重県唯一の日本社会党衆議院議員となり、2期を務めた。民主党が結党された際には新党に加わらず社会民主党の所属議員となり、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には、藤波孝生の衆議院議員復帰の動きに対して選挙区での再選の可能性がない事から総選挙立候補を辞退して、政界から引退した。
金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5… 金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。国民民主党三重県連代表。衆議院議員(1期)、三重県議会議員(4期)、四日市市議会議員(4期)、民主党・旧国民民主党三重県連代表などを務めた。 勲章は藍綬褒章2000年(平成12年)、旭日小綬章2007年(平成19年)。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市工業高等学校卒業後、富士電機(現富士電機リテイルシステムズ)に入社。四日市市最大の労働組合である富士電機労組に加入し、組合活動に従事する。 1975年に四日市市議会議員選挙に立候補して初当選した。以後当選4回。1990年に四日市市議を辞職して、三重県議会議員選挙の補欠選挙に立候補して当選。
伊藤 忠治(いとう ちゅうじ、1934年〈昭和9年〉5月2… 伊藤 忠治(いとう ちゅうじ、1934年〈昭和9年〉5月2日 - 2013年〈平成25年〉5月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)。中央選挙管理会委員長。出身の全電通労組(全国電気通信労働組合)を支持母体としている労組出身の郵政族議員。電電公社民営化後は、NTT労組を中心とする通信系労組である情報労連(情報産業労働組合連合会)を支持母体としていた。 支持者から「忠(ちゅう)さん」の愛称で親しまれていた。 1934年(昭和9年)、三重県津市北丸之内の自営業者(家具製造業)の家庭に生まれた。伊藤家は裕福な実業家だったが、戦後の混乱で父は事業に失敗して、伊藤家は貧困家庭となり働かざるをえなくなる。
常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )… 常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )は、日本の政治家、元公明党参議院議員(1期)。 三重県出身。三重県立松阪北高等学校(現在の三重県立松阪工業高等学校)卒。松阪市議、公明党三重県本部書記長、副本部長、本部長、党中央委員を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが落選した。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区から立候補して当選する。1994年、新進党結党に参加。参議院議員を1期務め、1995年に政界を引退した。 2003年、救急救命士制度の導入に尽力した議員経験者として、NHK総合のドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』から取材を受けた。
藤波 孝生(ふじなみ たかお、1932年12月3日 - 20… 藤波 孝生(ふじなみ たかお、1932年12月3日 - 2007年10月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。 三重県度会郡神社町(現在は伊勢市)出身。三重県立宇治山田高等学校卒業。早稲田大学商学部時代は雄弁会で活躍。当時の愛称は「神様」。 大学卒業後、家業の和菓子店に従事。伊勢青年会議所を組織し、副理事長に就任。それを選挙母体として1963年三重県議会議員に当選。1期務めた。 浜地文平から後継に指名され、1967年、自由民主党から第31回衆議院議員総選挙に三重県第2区から立候補し初当選し、以後当選11回(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・中尾栄一・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・水野清など)。
坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年(昭和5年)1月1日… 坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年(昭和5年)1月1日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 三重県伊勢市出身。名古屋逓信講習所(現在の郵政大学校)卒業。郵便局に勤務した。全逓信労働組合三重地区書記長、全逓信労働組合副委員長、全逓信労働組合執行委員長、三重県労働協議会副委員長、部落解放同盟の三重県共闘会議議長を歴任。 1977年(昭和52年)の第11回参議院議員通常選挙で、日本社会党公認で三重県選挙区から立候補して、284483票(得票率34.7%)を獲得し、自由民主党の久保田藤麿や新自由クラブの候補者の田中覚を破り47歳で当選する。1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙で自由民主党候補の水谷力に敗れて落選する。
鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日… 鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日 - 2022年8月15日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(4期)。 三重県三重郡富田町(現・四日市市)生まれ。旧制桑名中学、旧制八高を経て名古屋大学経済学部卒業。自治省に入省。1964年、愛知県庁に出向し、課長に就任。 1974年7月31日、愛知県副知事の寺井久が辞任。同年8月1日、愛知県教育委員会教育長の仲谷義明がそのあとを受けて副知事に就任。同日、鈴木は教育長に就任。1975年2月、仲谷は愛知県知事に初当選。仲谷知事のもとで管理教育体制を引き継ぐ。 1978年、教育長を退任。同年、愛知県総務部長に就任。1979年、同副知事に就任。
網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011… 網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011年2月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 三重県三重郡菰野町出身。1951年、岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)卒業。薬剤師になる。 1959年、愛知県議会議員に名古屋市千種区選挙区から立候補し初当選。以後5期20年県議を務め、日本社会党愛知県本部書記長、副委員長を歴任した。 1979年、第35回衆議院議員総選挙に衆議院旧愛知2区から社会党公認で立候補するが次点で落選。1980年の総選挙も次点で落選。 1983年春の褒章で藍綬褒章受章。同年第37回衆議院議員総選挙において初当選。1986年の総選挙は落選。1990年の総選挙で返り咲く。
水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19… 水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19日 - 1994年(平成6年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 三重県桑名市出身。1951年(昭和26年)早稲田大学政治経済学部卒業。桑名市議会議員、三重県議会議員、第64代三重県議会議長(1971年(昭和46年)5月 - 1972年(昭和47年)5月)、全国都道府県議長会副会長、自由民主党三重県支部連合会幹事長を歴任した。1982年(昭和57年)春の褒章で藍綬褒章受章。 1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙の三重県選挙区で日本社会党所属の坂倉藤吾を破り当選した。自由民主党に所属して、予算委員会理事、農林水産委員、国会対策委員、商工局次長、出版局次長を務めた。
田口 一男(たぐち かずお、1925年(大正14年)5月11… 田口 一男(たぐち かずお、1925年(大正14年)5月11日 - 1983年(昭和58年)5月1日)は日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員。三重県尾鷲市出身。
栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 201… 栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 2013年10月9日)は、日本の政治家、浜松市長(5期)。
田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 … 田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 - 2014年〈平成26年〉11月1日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第66代)、通商産業大臣(第46・47代)、運輸大臣(第48代)、労働大臣(第33代)、衆議院議員(当選14回)、自由民主党国会対策委員長(第26代)などを歴任。 三重県松阪市(旧・大足村)に生まれる。父親の田村秢は、弁護士出身で三重県会議員を経て、1942年(昭和17年)の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。 旧制三重県立宇治山田中学校を経て、1950年(昭和25年)に慶應義塾大学法学部卒業。中外炉工業、三重交通勤務と中学校の代用教員を経て、参議院議員の前田穰の秘書となる。
岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月… 岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月23日 - 2014年(平成26年)1月5日)は、日本の政治家。三重県津市長(5期)。 三重県出身。津市市議会議長をしていた岡村末次郎の長男として生まれる、旧制津中学から旧制第八高等学校を経て、軍事色が強まった昭和17年9月東京帝国大学文学部西洋史学科に入る。東京帝国大学では野球部に入り東京六大学野球に打ち込んだ。近鉄バッファローズの監督になった立教大学野球部の西本幸雄と練習試合を行う。慶應義塾大学野球部の別当薫とも試合をしている。帝国大学在学中学徒動員で昭和18年に出征、日本帝国陸軍中部第三十八部隊に入隊、東満州に出兵した。昭和20年8月関東軍の主力が内地防衛のため帰国した中、8月12日牡丹江衛門を出て行軍した。
前川辰男(まえかわ たつお、1920年 <大正9年> 12月… 前川辰男(まえかわ たつお、1920年 <大正9年> 12月12日 - 2017年 <平成29年> 12月31日)は、三重県の地方議員。環境運動家。日本自然保護協会会員。ナチュラリスト。位階は従五位。 高花平(新興住宅団地)連合自治会長。四日市市議会議員を7期務め、昭和56年5月15日から ~昭和57年5月18日まで四日市市議会議長を務める。日本社会党所属。 四日市ぜんそくで四日市コンビナート企業と九鬼喜久男四日市市長を糾弾して、塩浜地区の公害患者の味方となり公害対策に貢献した。俳人や本の執筆者として活躍した文化人である。 三重県四日市市(塩浜地区)出身。一志郡(久居市)生まれ。 四日市市塩浜地区を中心とする四日市コンビナートから大気汚染で発生した四日市ぜんそくの公害裁判の公害患者による訴訟を推進するため政治家となる。
野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1… 野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1995年3月6日)は、日本の政治家。位階は従三位。 厚生大臣(第57代)、衆議院議員(7期)、三重県議会議員などを歴任した。 1919年(大正8年)生まれ。三重県飯南郡飯高町出身。父は宮前村長などを務めた野呂庫二郎。 東京高等師範学校卒業。戦後、三重県議会議員選挙への立候補を目指すも公職追放を受けた父・庫二郎にかわって27歳で三重県議会議員選挙に地元の飯南郡から立候補して当選し、県議会議員となった。自由民主党三重県連の幹事長などを歴任した後、1959年(昭和34年)には三重県議会議長に就任した。 その後、三重県議を辞職し1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
和田 春生(わだ はるお、1919年3月15日 - 1999… 和田 春生(わだ はるお、1919年3月15日 - 1999年10月17日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 東京府東京市四谷区四谷左門町生まれ。三重県伊勢市出身。1939年鳥羽商船学校(現鳥羽商船高等専門学校)卒、山下汽船に航海士として入社。1945年全日本海員組合に参加し、1948年組織部長。1950年総評結成に参加して常任幹事となるが、1952年秋季闘争での総評の敗北を機に総評主流の左傾的傾向を批判、海員組合・全繊同盟・全映演・日放労の「四単産批判」取りまとめの中心となる。その後、日放労を除いた3単産を中心に総評内の右派系単産をまとめ1954年に全労会議を結成して初代書記長となり、解散まで右派労働戦線の旗手的存在だった。
小林 ちづ(こばやし ちづ、1918年(大正7年)11月22… 小林 ちづ(こばやし ちづ、1918年(大正7年)11月22日 - 平成時代まで存命。没年は不明)は、日本社会党衆議院議員。衆議院議員(1期)当選1回。小林正美(日本社会党衆議院議員)の未亡人。三重県では数少ない女性議員であった。 福岡県戸畑市生まれ。1936年(昭和11年)に、奈良県育英高等女学校を卒業した。その後に衆議院議員となる小林正美と結婚をして、職業は議員秘書を務めた。 1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙では同じ選挙区から複数候補者を樹立する日本社会党執行部の方針で三重1区から日本社会党の2人目の公認候補として、小林ちづの夫の小林正美も出馬したが、亀山市を境界として、四日市市を中心とする北部地域は新人の四日市市出身の小林正美候補の地盤で、伊賀や津市などの南部地域は現職の中井徳次郎候補の地盤とする地盤割りが成功して小林正美・中井徳次郎の2人共が当選した。
角屋 堅次郎(かどや けんじろう、1917年(大正6年)3月… 角屋 堅次郎(かどや けんじろう、1917年(大正6年)3月15日 - 2017年(平成29年)4月7日)は、日本の農林技官、労働運動家、政治家。衆議院議員(11期)。 三重県度会郡豊浜村(現伊勢市豊浜)出身。学歴は宇治山田中学(現三重県立宇治山田高等学校)を卒業。その後三重高等農林学校(現在の三重大学)農業土木学科を卒業し、さらに満洲大同学院を卒業した。 満洲国開拓総局などに勤務。従軍して陸軍中尉で終戦を迎えた。その後、農林省に勤務して、農林技官、全農林中央執行委員長、日本社会党三重県本部委員長などを歴任する。 1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙で左派社会党から立候補するが落選。
今井 正郎(いまい まさお、1916年(大正5年)5月3日 … 今井 正郎(いまい まさお、1916年(大正5年)5月3日 - 1995年(平成7年)7月19日)は、昭和から平成時代の政治家。三重県亀山市長。亀山市名誉市民。 亀山市出身。1941年(昭和16年)京都帝国大学法学部卒業。満州石油に入社し、三協油脂勤務、南国船舶人事庶務各課長を務める。 1956年(昭和31年)三重県中小企業団体中央会事務局長を経て、1959年(昭和34年)から11年間に渡り亀山市収入役を務める。1970年(昭和45年)同市長に当選し、6期務め1994年(平成6年)引退した。
杉本 龍造(すぎもと りゅうぞう、1913年(大正2年)1月… 杉本 龍造(すぎもと りゅうぞう、1913年(大正2年)1月8日 - 1997年(平成9年)2月10日)は、日本の政治家。三重県鈴鹿市長を務めた。位階は正五位。勲等は旭日中綬章。鈴鹿市名誉市民。 河芸郡箕田村(現在の鈴鹿市)出身、家業は代々続いた造り酒屋で屋号は箕田屋と言われていた。夫人も四日市市の造り酒屋から輿入れしている。 1942年6月、河芸郡神戸町議会議員、翌1943年2月に合併により鈴鹿市議会議員に就任。1946年に33歳の若さで鈴鹿市の2代目市長に就任。翌1947年、公職選挙法施行による市長選挙に立候補し、無投票のまま公選市長として就任。 1957年5月三重県市長会会長、1970年6月全国市長会副会長、1971年7月全国市長会相談役を歴任。
山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月2… 山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の政治家、内務・建設官僚。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。自治大臣(第32代)、国家公安委員会委員長(第41代)を歴任した。 現在の三重県桑名市に生まれる。旧制富田中学、松本高等学校文科甲類を経て1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中に高等文官試験行政科に合格し、1936年、大学卒業。 1936年、内務省に入省する(同期に山田正雄陸上幕僚長)。入省後、愛媛県で別子銅山の公害調査、富山県で内務省高等官として都市計画等の地方行政に携わる。終戦後の1946年、当時内務政務次官であった世耕弘一の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発に携わった後、神奈川県国家地方警察隊長、国家地方警察本部人事課長、防衛庁人事局長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、建設省官房長を務め、建設事務次官を最後に退官。
永岡 茂之(ながおか しげゆき、1910年(明治43年)10… 永岡 茂之(ながおか しげゆき、1910年(明治43年)10月16日 - 1992年(平成4年)9月28日)は、日本の政治家。三重県名張市長(4期) 。位階は正五位。 三重県那賀郡国津村(現・名張市)出身。1929年、三重県立名賀農学校(のち三重県立名張高等学校、三重県立上野農業高等学校を経て、現・三重県立伊賀白鳳高等学校)卒。1950年、国津村議会議員となり、2期務め、1954年、合併による名張市発足により、名張市議会議員となる。名張市議を5期務め、議長も務めた。1970年、名張市助役となり、1974年、名張市長に就任した。市長を4期務め、1990年に退任。翌1991年、勲三等瑞宝章を受章。1992年に死去。
田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15… 田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15日 - 2002年(平成14年)8月10日)は、日本の政治家で、三重県知事(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。三重県四日市市塩浜地区出身。学歴は東京帝国大学卒業である。元四日市市長の加藤寛嗣は従兄弟である。1944年(昭和19年)佐藤喜代子と結婚して、2女をもうける。喜代子と死別後の1975年(昭和50年)には元総理大臣三木武夫の妻睦子の妹である三重子と再婚した。元衆議院議員の松崎哲久は義理の息子、映画監督として人気のあった藤田敏八は甥(姉の子)である。 1909年(明治42年)12月15日、三重県四日市市蔵町の母の実家で生まれる。塩浜尋常小学校、塩浜高等小学校、三重県立第二中学校(現・四日市高校)から東京府立第五中学校(現・小石川高校)へ転校して、第八高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。
中井 徳次郎(中井 德次郎、なかい とくじろう、1907年(… 中井 徳次郎(中井 德次郎、なかい とくじろう、1907年(明治40年)5月29日 - 1991年(平成3年)12月18日)は、三重県出身の政治家。三重県上野市(現在の伊賀市)の市長だった。日本社会党に所属して衆議院議員を6期務めた。長男の中井洽も衆議院議員となった。 三重県立上野中学校、第八高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業後、高等文官試験合格。 満洲にわたり全満洲の電気供給事業を統制して電力・電燈の供給事業を独占的に行う満洲電業株式会社に入社。企画主計課長、文書課長を歴任した後、長男の洽が満洲で誕生した。終戦で三重県に引揚げた。 1947年(昭和22年)に全国で最初の日本社会党の公認候補者として三重県上野市長に当選し、以後2期、革新的な市政を行った。
梅川 文男(うめかわ ふみお、1906年〈明治39年〉4月9… 梅川 文男(うめかわ ふみお、1906年〈明治39年〉4月9日 - 1968年〈昭和43年〉4月4日)は、日本の政治家・プロレタリア文学者・労農運動家。三重県松阪市の第6代市長を歴任。 田村元(元衆議院議長・自民党最高顧問)の先輩にあたり、小津安二郎(映画監督)の後輩にあたる。また「堀坂山行」の筆名で多くの詩やエッセイ本を発表している。 1906年(明治39年)4月9日、飯南郡松阪町大字新町(現・松阪市新町)に生まれる。その後、三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)を卒業する。 1924年(大正13年)、松阪第二尋常小学校代用教員となる。1926年(大正15年)、松阪第一尋常小学校に転勤し、準教員となる。
富井 清(とみい きよし、1903年(明治36年)3月28日… 富井 清(とみい きよし、1903年(明治36年)3月28日 - 1974年(昭和49年)5月19日)は、日本の政治家、医師、尺八奏者。1967年から1971年まで京都府京都市長を1期4年務める。医学博士。富井舜山とも号す。 三重県生まれ。1925年(大正14年)金沢医科大学医学専門部を卒業後、京都府立医科大学眼科副手を経て、京都府保険医協会理事長や京都府医師会長、京都府公安委員を歴任。 1967年1月8日、京都市長の井上清一が在職中に死去。井上の死去に伴って2月26日に行われた京都市長選挙挙に、日本社会党・日本共産党や府市内の労働組合に加え府医師連盟などで作る「全京都市民会議」に推されて立候補。
齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28… 齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28日 - 1972年〈昭和47年〉9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は正三位。 運輸大臣、厚生大臣、警察庁長官を務めた。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。 三重県阿山郡東柘植村(現在・伊賀市)出身。父・角蔵、母・のぶへの長男として生まれる。 上野中学、八高を経て、東京帝国大学入学。 1925年(大正14年)に東京帝大農学部農学科を卒業し、1926年(大正15年)高等試験に合格した。1927年(昭和2年)、内務省に入省した。1928年(昭和3年)に東京帝大法学部政治学科を卒業する。地方局属、地方局行政課長、大臣官房文書課長、防空総本部総務局長等を歴任した。
九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)… 九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)6月7日 - 1986年(昭和61年)10月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。九鬼産業グループを経営する四日市九鬼家当主。九鬼紋十郎という名は、本家の九鬼紋七とともに四日市九鬼家で当主が代々襲名していた。三重県四日市市出身。 1902年(明治35年)6月7日に、九鬼水軍の末裔である四日市九鬼家の当主8代目九鬼紋七の実弟の九鬼紋十郎(1869年生まれ、幼名・金松)の長男として誕生した。幼名は九鬼金平。のち九鬼紋十郎を襲名した。父である先代の紋十郎(金松)は先々代紋十郎の養子となり、家業の肥料商と紋十郎の名を継ぎ、四日市米穀株式取引所理事などを務めた多額納税者であった。
岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1… 岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉2月18日)は、日本の内務官僚・政治家。 東京帝国大学経済学部卒業後、内務省に入省。警察畑を歩み公職追放後の1955年(昭和30年)衆議院議員に東京4区から初当選(連続当選6回)。岸内閣の内閣官房副長官、労働・行政管理・通産の各政務次官、自民党東京都連幹事長などを歴任したが、入閣はできず1972年の衆院選で落選し政界を引退した。墓所は多磨霊園。 1901年(明治34年)1月10日、三重県津市出身。 水戸高校を卒業し、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部経済学科卒業・高等文官試験行政科に合格する。
松本 一郎(まつもと いちろう、1900年(明治33年)3月… 松本 一郎(まつもと いちろう、1900年(明治33年)3月15日 - 1968年(昭和43年)10月26日)は、日本の農業関係者、政治家。衆議院議員。 三重県一志郡、のちの一志町(現津市)で生まれた。明治大学専門部法科で学んだ。尾崎行雄の秘書を務めた。 一志郡大井村長、三重県会議員、三重県耕地協会長、三重県農業共済組合連合会長、三重県畜産会長などを務めた。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙おいて三重県第1区で民主党から出馬し当選し、第24回、第25回、第29回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算四期務めた。この間、衆議院建設委員長、同農林水産委員長、第2次池田内閣・科学技術政務次官、民主党会計監督、民主自由党相談役、同民情部長、自由民主党全国組織副委員長、全国農業共済協会副会長などを務めた。
山高 しげり(やまたか しげり、別名:金子しげり、金子茂、1… 山高 しげり(やまたか しげり、別名:金子しげり、金子茂、1899年1月5日 - 1977年11月13日)は、日本の政治家、婦人運動家、フェミニスト。婦人参政権獲得期成同盟会(婦選獲得同盟)の創設に加わり、全国地域婦人団体連絡協議会の初代理事長となったほか、参議院議員を2期務めた。 1899年1月5日に三重県津市で、三重県師範学校校長であった父・幾之丞と母・とみの間に次女として生まれた。幼い頃の戸籍名はひらがなではなく、漢字の「茂」であった。子どもの頃は教師であった両親の仕事の都合でさまざまな場所に住んでいた。父が亡くなって以降は母子家庭で育っており、これが後年に母子保護活動に尽力するようになった大きな理由のひとつである。
羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月1… 羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月19日 - 1974年(昭和49年))は、昭和期の内務官僚、政治家。官選第35代富山県知事、公選第3代(通算第39代)福井県知事(在任期間は1955年4月26日~1959年4月22日、1期4年)。 三重県多気郡出身。羽根貞助の長男として生まれ、幼少期に富山県上新川郡大沢野村(現富山市)へ移住した。立命館中学校、大阪市立高等商業学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学経済学部を卒業。立命館大学助教授となる。 1929年、内務省に入省し岐阜県属となる。以後、高知県書記官・警察部長、栃木県部長・警察部長、新潟県警察部長、愛知県警察部長などを歴任。
橋本 清吉(はしもと せいきち、1898年〈明治31年〉8月… 橋本 清吉(はしもと せいきち、1898年〈明治31年〉8月14日 - 1955年〈昭和30年〉7月2日)は、日本の内務官僚・政治家。正五位、勲四等。衆議院議員(改進党、当選1回)。 1898年(明治31年)三重県宇治山田町(現在の三重県伊勢市)で、橋本善三郎の二男として生まれた。 旧制 三重県立第四中学校(現:三重県立宇治山田高等学校)、旧制 第一高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。卒業直前の1921年(大正10年)10月、高等試験行政科試験に合格し、卒業後1922年5月に、内務省に入り大阪府警察部の警部となる。その後内務省官僚として鳥取県警察部長、警視庁刑事部長、静岡県警察部長、内務省書記官・警保局警務課長、京都府総務部長、警保局保安課長などを歴任。
堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 19… 堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 1974年4月13日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)、厚生大臣。 三重県松阪市出身。堀木利右衛門の三男として生まれる。目白中学、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年4月に鉄道省に入り、鉄道局書記となり東京鉄道局庶務課文書掛に勤務。鉄道局副参事・新橋運輸事務所営業主任、東京鉄道局運輸課旅客掛長などを歴任。1929年(昭和4年)7月に在外研究員に発令され、1931年(昭和6年)8月まで欧州に出張した。 帰国後、新橋運輸事務所長、大阪鉄道局運輸課長、運輸局旅客課長などを経て、1938年(昭和13年)4月、鉄道大臣秘書官兼大臣官房文書課長に就任し、中島知久平に仕えた。
須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 198… 須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 1988年11月18日)は、日本の音楽家、政治家。元日本共産党参議院議員(4期)。筆名は鳥羽英夫。 三重県鳥羽市出身。旧制東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)を卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で教鞭を執るかたわら、1922年からは宝塚歌劇団の作曲家、指揮者に就任。1928年に発生した三・一五事件で日本共産党中央委員会が壊滅する中、地下活動を続ける党に対し資金援助を行ったため、1930年2月に検挙され投獄される。留置場で作曲した「しぐれに寄する抒情」は後に三浦環により愛誦された。1935年にドイツに渡りゲオルク・シューマンに師事。
水谷 昇(みずたに のぼる、1896年〈明治29年〉5月23… 水谷 昇(みずたに のぼる、1896年〈明治29年〉5月23日 - 1988年〈昭和63年〉7月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。桑名市長(5期) 。書家。位階は従四位。 三重県河芸郡、のちの河芸町(現津市)で生まれた。1916年(大正5年)三重師範学校卒。小学校訓導、桑名高等女学校教諭を経て、桑名町議、同議長、桑名市議、同議長、木曽岬村長、三重県議などを歴任し、1946年の第22回衆議院議員総選挙で三重県から立候補するが次点。しかし翌1947年に長井源が辞職したことから、3月19日に繰り上げ当選となった。以来連続4期務め、衆議院図書館運営委員長、第3次吉田内閣で文部政務次官を務めた。
片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月… 片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月19日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家。衆議院議員(2期)。地方議員(三重県会議員・四日市市会議員)。三重郡富洲原町の教育者。 1896年(明治29年)4月19日、三重県三重郡富洲原町(現・四日市市)に生まれる。富田一色地区の三重県下の富豪で名門の商家であった片岡家(有力者の片岡徳松の一粒種の子供)の一人っ子であった。金持ちの1人息子でボンボンと呼ばれて、片岡氏は北勢四十八家の1つで堺村城主だった片岡家の一族である。型破りの人物で、親譲りの監元買別所(四日市市に立地)と、米穀取引所仲買店(名古屋市に立地)と、回漕店(三重郡富洲原町に立地)を切廻して一分の隙もなかった。
田村 秢(たむら みのる、1894年〈明治27年〉10月3日… 田村 秢(たむら みのる、1894年〈明治27年〉10月3日 - 1991年〈平成3年〉11月19日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(当選1回)。ZTV代表取締役社長田村憲司、衆議院議長田村元の父。自由民主党衆議院議員田村憲久の祖父。TBSテレビアナウンサーの田村真子は曽孫にあたる。 三重県宇治山田市岩淵町(現・伊勢市)出身。 宇治山田中学(旧三重県立第四中学校)を1912年に卒業し、金沢の第四高等学校を経て、1917年、東京帝国大学に入学。1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。 松阪市で弁護士を開業した。後に三重県弁護士会会長を3期務め、日本弁護士会連合会理事を務めた。 三重県会議員、同議長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙で三重2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する(いわゆる「翼賛候補」)。