高橋 宏邦(たかはし ひろくに、1941年10月23日 - … 高橋 宏邦(たかはし ひろくに、1941年10月23日 - )は、実業家である。九州耐火煉瓦(現・黒崎播磨)元会長。 1941年福岡県生まれ。1965年、山口大学文理学部卒業。同年3月、九州耐火煉瓦株式会社に入社。1989年(平成元年)7月、同社研究部長。1991年(平成3年)6月、同社取締役。1997年(平成9年)6月、同社常務取締役。2001年(平成13年)6月、同社代表取締役及び専務取締役に就任。2003年(平成15年)3月、営口九州耐火材料有限公司副董事長。同年4月、同社代表取締役社長。2007年(平成19年)4月、同社取締役相談役に就任。耐火煉瓦業界に大きく貢献した人物である。 1980年(昭和55年)『熱間流し込み材の開発と実用化』で第13回市村産業賞貢献賞を受賞した。
佐藤 光昭(さとう みつあき、1941年9月16日 - )は… 佐藤 光昭(さとう みつあき、1941年9月16日 - )は、日本の経営者。九州電力元副社長。 1941年生まれ。1964年3月、山口大学経済学部卒業。同年4月、九州電力入社。2001年6月、同社常務取締役。2003年6月、同社代表取締役副社長に就任。 2004年6月、安川電機取締役に就く。 2009年6月、学校法人中村産業学園(九州産業大学・九州造形短期大学)の理事長に就任(2011年6月まで)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 20… 神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 2023年5月29日)は、日本の実業家。CKD元社長、一般社団法人日本フルードパワー工業会(JFPA)元中部支部長。 1941年の生まれ。山口県下松市の出身である。山口県立徳山高等学校卒業。1964年3月に山口大学経済学部を卒業。同年4月にCKDに入社、後に同社代表取締役社長になる。2005年6月に同社相談役に就任した。2010年6月12日退職。東海山口県人会会長である。 2023年5月29日、誤嚥性肺炎のため死去。81歳没。 中国江蘇省無錫市の市内に無錫市機械資産経営有限公司との合弁で「無錫喜開理気動工業有限公司」を運営していたが、今後の中国市場の発展拡大に伴う生産対応及び世界市場への積極的な販売促進を目的に、グローバルな生産拠点が不可欠と考え、中国江蘇省無錫市の無錫国家新技術産業開発区(工業新区)の新会社の設立に携わった。
光井 一彦(みつい かずひこ、1941年4月28日 - )は… 光井 一彦(みつい かずひこ、1941年4月28日 - )は、実業家。宇部マテリアルズ相談役。山口県出身。 1941年4月28日、山口県に生まれる。山口大学工学部を卒業。同年4月宇部興産(現・UBE)に入社。1997年(平成9年)4月、同社科学・樹脂事業本部ケミカル生産統括部長。同年6月、同社取締役、化学・樹脂事業本部ケミカル生産統括部長。1999年(平成11年)6月、同社常務取締役、化学・樹脂事業本部機能性材料事業部長。2001年(平成13年)6月、同社専務執行役員、化学・樹脂セグメントCOO兼次世代事業開発担当。2002年(平成14年)10月、宇部マテリアルズ特別顧問に就任。2003年(平成15年)6月、代表取締役社長。
吉川征治( よしかわ せいじ、1940年12月12日 - )… 吉川征治( よしかわ せいじ、1940年12月12日 - )は、日本の実業家。エックスネットの創業者、初代社長である。 1940年生まれ。山口県の出身である。1959年3月に山口県立山口高等学校を卒業。1963年3月に山口大学工学部を卒業。同年4月に宇部興産に入社。1971年4月に野村総合研究所に入社、1986年4月に野村證券に移り株式開発室長等を歴任した。1991年6月、機関投資家向けに有価証券管理システムを提供するエックスネットを設立し、社長に就任した。また、2004年12月に日本ユニシスと共に合弁会社UXを設立し、2005年から事業活動を開始した。
万波 誠(まんなみ まこと、1940年10月19日 - 2… 万波 誠(まんなみ まこと、1940年10月19日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。元宇和島徳洲会病院泌尿器科部長。岡山県備前市出身。 1940年、岡山県の生まれ。岡山県立閑谷高等学校卒業。1969年に山口大学医学部卒業。1970年、愛媛県宇和島市立病院に勤務。1975年、アメリカ・ウィスコンシン大学留学、インドネシア出身のオランダ人外科医ベルツァー(Folkert O. Belzer)の元で腎臓移植を学ぶ。日本に帰国後の1977年、宇和島市立病院で初めて腎臓移植手術を行った。その後、これまでに約1,000件の腎臓移植手術を行ったと言われている。2004年、新規開院した宇和島徳洲会病院に転職し現職となる。
福江 俊喜(ふくえ としき、1940年8月14日 - )は、… 福江 俊喜(ふくえ としき、1940年8月14日 - )は、日本の教育者。労働運動家。 山口県阿武郡地福村(現・山口市)出身。1959年3月山口県立山口高等学校卒業(第65期)、1963年3月山口大学文理学部東洋史学専攻卒業。同年、山口県立柳井商工高等学校非常勤講師、1964年 同校教諭に就任。以後、山口県立徳佐高等学校、山口県立田布施農業高等学校、山口県立徳山商業高等学校教諭を歴任。山口県高校生交流集会事務局長。1989年 - 2001年 山口県高等学校教員組合(県高教組)執行委員長、1994年 - 2003年 山口県労働組合総連合議長を務めた。
上原 春男(うえはら はるお、1940年3月28日 - 20… 上原 春男(うえはら はるお、1940年3月28日 - 2017年8月11日)は、日本の教育者、工学者。特定非営利活動法人海洋温度差発電推進機構理事長。専門は海洋温度差発電(OTEC)、凝縮熱伝達。効率的な海洋温度差発電システムであるウエハラサイクルの発明者。福島第一原子力発電所・3号機の設計者でプレート式冷却装置の開発者でもある。工学博士を取得。
山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 20… 山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 2021年11月2日)は、日本の実業家。日立物流名誉相談役、元社長。世界貿易センタービルディング役員。 山口県山口市出身。1962年に山口大学経済学部卒業。同年、日立物流に入社。同社取締役、同社常務などを経て1998年6月、同社専務取締役。2003年2月、同社長。同社名誉相談役山口大学理事及び同大経済学部鳳陽会理事長。世界貿易センタービルディングの役員だった。 2021年11月2日、病気のため死去。81歳没。 時代の最先端サービスである「システム物流」を強力に進める。社長に就任した際、トップとして企業の未来を見据えると同時に、自ら交渉の現場へ奔走。
石部 修平( いしべ しゅうへい、1939年10月13日- … 石部 修平( いしべ しゅうへい、1939年10月13日- )は、日本の経営者。荒川化学工業元代表取締役社長である。 1939年の生まれ。岡山県の出身である。1958年3月に岡山県立倉敷青陵高等学校を卒業。1962年3月に山口大学文理学部を卒業し、荒川化学工業に入社。同社商品開発部長・生産部長・常務取締役を経て、1992年に同社の2代目代表取締役社長に就任した。2002年に同社会長・相談役となる。 2003年に「近畿おかやま会」会長に就く。
菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )… 菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )は、日本の国文学者。文学博士(2006年、早稲田大学にて取得)。岡崎女子短期大学元教授。 長崎県長崎市生まれ。1960年山口大学教育学部第一中等学科卒業。1962年早稲田大学大学院修士課程修了。2006年「天平の歌人大伴家持」で早稲田大学にて博士(文学)。高校教師をしながら『万葉集』を中心に古代日本文学について執筆する。岡崎女子短期大学元教授、神奈川県立衛生短期大学教授。 陶芸工房「飛天窯」主宰。短歌同人誌「伶」主宰。
大谷 武雄( おおたに たけお、1937年7月30日[要出典… 大谷 武雄( おおたに たけお、1937年7月30日[要出典] - )は、日本の経営者。品川白煉瓦元社長。 山口県出身である。1960年3月、山口大学文理学部卒業。同年、品川白煉瓦に入社。1999年6月28日、同社専務に就任し、2004年同社相談役となる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩田 幸雄(いわた ゆきお、1937年1月27日 - )は、… 岩田 幸雄(いわた ゆきお、1937年1月27日 - )は、山口放送の代表取締役会長である。 1959年に山口大学文理学部を卒業し、同年4月に山口放送に入社。 1988年7月からテレビ制作局長を、1989年6月から取締役テレビ制作局長を、1993年6月から常務取締役総務本部長を、1999年7月から専務取締役総務本部長を務めた後、2006年6月に赤尾嘉文の後任として山口放送の代表取締役社長に就任。2018年6月から子会社であるKRYプロモーション(山口放送本社内)の代表取締役社長を務めた後、2019年6月に山口放送の代表取締役会長に就任した。 山口放送初の日本民間放送連盟賞受賞作である『29年目の戦傷』(山口県柱島沖で爆沈した戦艦陸奥の引き揚げをテーマにした作品)にディレクターとして携わり、1972年に第20回同賞のテレビ社会番組部門で優秀賞を受賞した。
今井 清輔(いまい きよすけ、1934年11月14日 - )… 今井 清輔(いまい きよすけ、1934年11月14日 - )は元パナソニック電工代表取締役相談役。埼玉県出身。趣味・特技は渓流釣り、ランプ収集、絵画鑑賞、ハンティングなど。 1958年に山口大学経済学部経営学科を卒業と同時に松下電工に入社。マーケティング部長、広報部長を経て、1989年に取締役に就任。経営企画室長も務め、1991年に常務取締役、1992年に代表取締役副社長を経て、1994年2月に代表取締役社長に就任。その間に大阪工業会副会長も務めた。2000年2月に代表取締役会長に退き、2003年12月1日に代表取締役相談役に退く。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
西岡 昭彦(にしおか あきひこ、1934年10月12日 - … 西岡 昭彦(にしおか あきひこ、1934年10月12日 - 2003年2月17日)は、日本の経営者。ナショナル住宅産業(現・パナソニック ホームズ)代表取締役社長。山口県出身。 1957年3月山口大学経済学部を卒業。同年4月ナショナル住宅産業入社。1996年6月、代表取締役社長就任。1998年6月退職。 2003年2月17日、胃がんのため大阪府守口市内の病院で逝去。68歳没。 1993年に同社「サンヴァリエ」が月間942棟の受注最高記録を達成。 創業30周年を機に「感動満足企業」を掲げて新たなスタートを切った。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
足立 明男(あだち あけお、1934年(昭和9年)1月13日… 足立 明男(あだち あけお、1934年(昭和9年)1月13日 - 2023年7月)は、日本の美術教育者。山口県立美術館副館長、山口県立萩美術館・浦上記念館館長、山口情報芸術センター館長などを歴任した。 1934年、山口県生まれ。山口大学教育学部卒業後、山口県内の小学校・中学校の教員として16年働いた後、1973年には山口県立美術館設立準備室にスタッフとして着任。その後、東京国立近代美術館での研修を経て、1979年の山口県立美術館開館から学芸課課長に着任、1989年から副館長を兼任。1991年からは山口県立萩美術館・浦上記念館の設立準備に着手し、1996年の開館から館長に就任。2007年4月から山口情報芸術センターの館長を務めた後、2018年4月からは顧問に就任している。
古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4… 古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4月22日)は、日本の西洋史学者。専門はイギリス史。山口大学名誉教授。 朝鮮京城生まれ。福岡県立三潴高等学校卒、1951年佐賀大学入学、1953年九州大学編入学、1955年同文学部史学科卒、1960年同大学院西洋史博士課程満期退学。1976年関西学院大学・文学博士。 1960-1965年明治学園高等学校教諭、1965年九州大学助手、1968年山口大学教養部助教授、1975年教授。1996年定年退官、名誉教授、1997年京都女子大学教授。2006年定年退職。
木下 謙治(きのした けんじ、1933年 - )は、日本の社… 木下 謙治(きのした けんじ、1933年 - )は、日本の社会学者、教育者。山口大学名誉教授である。 1933年、静岡県で生まれる。1943年、戦火を避けるため、福岡県に移住。福岡県立京都高等学校を卒業。1958年3月、九州大学文学部卒業し、同大学院文学研究科社会学専攻博士課程に進むが、1963年に中退。その後、1986年に山口大学人文学部教授、1996年-1997年に九州大学文学部教授に就任する。続いて、1997年-1998年筑紫女学園大学文学部教授、1998年-1999年に福岡県立大学人間社会学部教授、2001年に筑紫女学園大教授、2004年-2006年まで宇部フロンティア大学人間社会学部教授に歴任。
安藤 方之(あんどう まさゆき、1933年または1934年 … 安藤 方之(あんどう まさゆき、1933年または1934年 - 1996年6月11日)は、日本の狂言師である。鷺流狂言師。 山口県山口市仁保中郷生まれ。山口大学教育学部卒業後、小学校・中学校の教員に採用される。狂言に関心を持つようになり、1977年に山口鷺流狂言保存会(1954年結成)に入る。狂言師としての活動に邁進し、山口県の文化継承に貢献した[要出典]。1996年6月11日、腎癌のため62歳で死去。 同時期に加屋野幸治、小林栄治、梶山亀久男がいる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小川 信(おがわ まこと、1932年9月6日 - 2016年… 小川 信(おがわ まこと、1932年9月6日 - 2016年1月8日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 山口県出身。1955年山口大学農学部卒。山口県農業協同組合中央会参事、同総務部長、農政会議事務局長を歴任した。1990年の総選挙で旧山口1区から立候補して初当選。衆議院では地方行政委員会(現在の総務委員会)などに所属した。1993年の総選挙に落選した。 2016年1月8日に呼吸不全のため死去。83歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931… 広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931年(昭和6年)4月9日 - )は日本の数学者。ハーバード大学元教授。京都大学数理解析研究所元所長。日本人で2人目のフィールズ賞受賞者である。専門は代数幾何学で、フィールズ賞受賞対象の研究は「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」。日本学士院会員。
上領 英之(かみりょう ひでゆき、1930年12月4日 - … 上領 英之(かみりょう ひでゆき、1930年12月4日 - )は、日本の経営学者。広島修道大学名誉教授。博士(経営学)(1995年、広島修道大学にて取得)。 兵庫県神戸市出身。山口大学経済学部を卒業。マサチューセッツ工科大学経営学大学院修士課程修了。九州産業大学助教授、教授、広島修道大学教授。1995年「企業財務構造論 史的考察をふまえて」で広島修道大学博士(経営学)。2002年定年退官。同大学名誉教授。上領経済政策研究所代表取締役、環境経済総合研究所所長、至聖会理事。北川訓司と地球連邦財団を結成。
河野 稠果(こうの しげみ、1930年(昭和5年)10月29… 河野 稠果(こうの しげみ、1930年(昭和5年)10月29日 - )は日本の人口学者、麗澤大学名誉教授。 広島県の生まれ。1949年旧制山口高等学校卒業、1953年山口大学文理学部社会学専攻卒業、1958年、アメリカ・ブラウン大学大学院社会学研究科博士課程修了(Ph.D.in sociology)。同年厚生省人口問題研究所入所。1961年から1963年、インド・ボンベイ国際連合人口研修・研究センター教授として出向。1963年厚生省人口問題研究所厚生技官。1965年、ユーゴスラビア世界人口会議では座長を勤めた。1967年、国際連合本部人口部専門官へ転任。1973年から1978年まで同人口推計課長。
松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 20… 松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 2023年5月25日)は、日本の経営者である。日立金属元社長。 山口県防府市出身。旧制防府中学校(現・山口県立防府高等学校)を卒業。山口大学経済学部卒業(第一期生)後、日立金属に入社。その後、同社の2代目代表取締役社長に就任。 1990年に藍綬褒章、2001年に勲三等旭日中綬章を受章。 2023年5月25日、脳梗塞のため死去。92歳没。
二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日… 二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日 - 2019年〈令和元年〉7月27日)は、山口県宇部市出身の教育者・政治家。学校法人宇部学園学園長。元参議院議員、元科学技術政務次官、元山口県宇部市長。 1930年(昭和5年)7月1日、山口県宇部市で二木謙吾の次男として生まれる。山口県立宇部高等学校を経て山口大学工学部を卒業したのち、学校法人宇部学園で勤務。 1977年(昭和52年)、宇部曹達工業労働組合(現・セントラル硝子労働組合)等からなる「明日の宇部市をよくする会」や宇部市議会保守系議員団から宇部市長選挙への立候補要請を、また、当時の宇部市長である新田圭二からも後継指名を受け、二木は同年2月28日に同市長選挙への立候補を表明した。
野上 啓二(のがみ けいじ、1928年2月12日 - 201… 野上 啓二(のがみ けいじ、1928年2月12日 - 2018年4月2日)は、日本の経営者。岡山県出身。 1948年に山口経済専門学校を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1980年9月に取締役に就任し、1986年9月には常務に就任した。 1987年10月に豊田通商専務に就任し、1988年6月には副社長に就任し、1989年6月に社長に昇格した。1995年6月から1998年6月までに会長を務めた。 JR東海、トヨタ自動車で顧問を務めた。 2018年4月2日老衰のために死去。90歳没。
吉原米治 (よしはら よねじ、1928年2月8日 ‐) は、… 吉原米治 (よしはら よねじ、1928年2月8日 ‐) は、日本の元政治家。元日本社会党衆議院議員(通算5期)。国会議員白書には「よねはる」とある。
藤本 篤(ふじもと あつし、1928年 - )は、日本の歴史… 藤本 篤(ふじもと あつし、1928年 - )は、日本の歴史学者。大阪市史編纂所元所長。大阪人権博物館元理事。 1928年米国ワシントン州生まれ。1953年3月、山口大学文理学部第一回卒業生。専攻は国史学。大阪市史編纂所長、大阪人権博物館理事などを歴任。
江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 … 江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 - 1987年〈昭和62年〉5月25日)は、日本の政治家。参議院議員(当選2回)。日本国有鉄道に入り、建設局計画課長、広島鉄道管理局長を経て、1980年以来参議院議員に2回当選する。 山口県下関市出身。江島鐡雄の長男。旧制山口県立豊浦中学校(同級生に林義郎)、海軍兵学校(76期)、山口高等学校を経て、1951年に東京大学第一工学部土木工学科を卒業した。 卒業後は日本国有鉄道に入り、東京鉄道管理局施設部工事第一課長、外務省サンフランシスコ総領事館領事、国鉄建設局計画課長、広島鉄道管理局長などを歴任。 1980年6月、第12回参議院議員通常選挙山口県選挙区に自由民主党公認で藤本万次郎を連合後援会会長に迎える万全の布陣で出馬、日本社会党新人浜西鉄雄、日本共産党新人伊藤潔を破って初当選。
須磨 吉仲(すま よしつぎ、1927年7月4日 - 2016… 須磨 吉仲(すま よしつぎ、1927年7月4日 - 2016年6月10日)は、日本の経営者。NTN社長を務めた。 広島県出身。1945年に陸軍士官学校予科を経て、1949年に山口経済専門学校を卒業し、同年3月に三和銀行に入行。1973年8月にエヌ・テー・エヌ東洋ベアリング(のちのNTN)に転じ、1973年11月に取締役に就任し、1976年8月に常務、1978年10月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1987年1月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1999年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2016年6月10日に脳梗塞のために死去。88歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
中村 勝人(なかむら かつと、1927年〈昭和2年〉6月27… 中村 勝人(なかむら かつと、1927年〈昭和2年〉6月27日 - 2011年〈平成23年〉7月22日)は、日本の政治家、地方公務員。山口県宇部市長(第21・22代)。 1927年(昭和2年)6月27日、山口県吉敷郡東岐波村(現・宇部市)に生まれる。旧制宇部工業専門学校(現・山口大学工学部)を卒業したのち、1950年(昭和25年)に東岐波村役場へ入所。東岐波村が宇部市に編入された後は、宇部市役所で庶務課長、財務課長、企画調整部次長、市民部長を歴任した。 市役所退職後は常勤監査委員を務めていたが、1987年(昭和62年)7月18日、当時の二木秀夫参議院議員(第18・19・20代宇部市長)に後継市長候補者として推薦され、宇部市議会の正副議長と議会主要5会派から市長選への出馬要請を受けた。
安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 20… 安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日)は、日本の画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。東京都小金井市在住。文化功労者。 40年以上にわたって描かれた代表作の1つ『旅の絵本』シリーズ全10冊のうち9冊までの累計発行部数は、152万部を記録している(2022年1月末時点)。 子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く[要出典]。
平井 龍(ひらい とほる、1926年(大正15年)1月3日 … 平井 龍(ひらい とほる、1926年(大正15年)1月3日 - 2008年(平成20年)2月17日)は、日本の政治家。山口県知事(第37-41代)。従三位勲一等。山口県柳井市出身。
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018… 古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。 復員し宇部市立高等学校(現:山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、1953年に山口大学教育学部を卒業。中学教師を経て山口新聞社に入り、記者や編集局長を務める。1970年に退社し作家専業となった。 郷土作家として、作品の大多数は、戦国期の毛利家、幕末期の長州藩、明治維新後の山口県(周防国・長門国)の関連人物を取り挙げた歴史小説・随筆であった。 古川は、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を2度聴いている。
小野 喜孝(おの よしたか、1924年11月5日 - 200… 小野 喜孝(おの よしたか、1924年11月5日 - 2002年4月9日)は、日本の経営者。井筒屋元代表取締役社長。 福岡県出身。山口経済専門学校卒業後、井筒屋に入社する。1984年同社代表取締役社長に就任。 1991年〜1997年まで、在九州スリランカ名誉領事兼任していた。 1993年財団法人童心会(中津平成ロータリークラブ)4代目理事長に就任し、2000年まで務めた。 2002年4月9日16時43分、肺癌のため北九州市小倉北区の病院にて死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村上 允英(むらかみ のぶひで、1923年10月25日 - … 村上 允英(むらかみ のぶひで、1923年10月25日 - 1994年7月20日)は、日本の地質学・岩石学学者。杉石の分析・命名。山口大学名誉教授。日本地質学会副会長、山口地学会会長。正四位勲三等旭日中綬章。 主要な研究テーマは、西南日本の白亜紀/古第三紀酸性火山/深成活動の時間的・空間的変換。1976年には、恩師である九州帝国大学理学部杉健一により1942年から1944年に瀬戸内海の岩城島で発掘された未解決鉱物の分析を成功させ、杉健一の名前に因み杉石と命名した。
小倉 馨(おぐら かおる、1920年(大正9年)10月13日… 小倉 馨(おぐら かおる、1920年(大正9年)10月13日 - 1979年(昭和54年)7月13日)は、広島平和文化センター事務局長、広島平和記念資料館館長等を歴任した広島市職員である。日系アメリカ人2世。 広島県佐伯郡廿日市町(現・廿日市市)出身である。1920年、両親のアメリカ在住中にワシントン州シアトル市で生まれた。現地の小学校を卒業後に帰国する。帰国後は旧制崇徳中学校を経て、1942年(昭和17年)に旧制山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業し、兵役に就いてセレベス島で終戦を迎える。 1948年(昭和23年)から広島アメリカ文化センター、1953年(昭和28年)から東京国際文化会館に勤務している。
鈴木 六林男(すずき むりお、1919年9月28日 - 20… 鈴木 六林男(すずき むりお、1919年9月28日 - 2004年12月12日)は、俳人。本名・次郎。 山口高等商業学校(現・山口大学)中退。初学時代は「串柿」に投句し、永田耕衣、加藤滋の選を受ける。学生時代に同人誌「螺線」を創刊、「蠍座」「京大俳句」「自鳴鐘」に関わり西東三鬼に師事、新興俳句運動に参加した。 1940年応召、中国大陸、フィリピン諸島を転々とし、1942年、バターン・コレヒドール戦での負傷により帰還、退院後に除隊。戦後に商業学校にもどり中退。「青天」「雷光」「夜盗派」「梟」「風」「頂点」などに関わり、社会性俳句の中心作家として注目を受ける。1971年、「花曜」を創刊・主宰。季を無季の地続きにあるものとして捉え、戦後も戦争句・無季句を詠み続けた。
後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 20… 後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 2011年8月22日)は、兵庫県神戸市出身の実業家。はごろもフーズ元社長。シーチキンの生みの親。静岡県静岡市の名誉市民。 はごろもフーズ代表取締役会長の後藤康雄は、磯吉の次男。社長の後藤佐恵子は、康雄の長女(磯吉の孫)である。 1919年、兵庫県神戸市生まれ。山口高等商業学校経済研究科(現・山口大学経済学部)卒業。はごろもフーズの前身である後藤物産を創業者の先代から引き継ぎ、1947年後藤物産社長に就任。その後、社名を後藤物産缶詰、後藤缶詰、はごろも缶詰に改称。社長を務める。1987年にはごろもフーズに改称して同社長から同会長。2007年同社顧問に就任する。
小西 俊造(こにし しゅんぞう、1918年11月3日 - 2… 小西 俊造(こにし しゅんぞう、1918年11月3日 - 2012年10月27日)は、日本の教育者。医学者。山口大学第6代目学長。医学博士(1950年、京都大学にて取得)。 兵庫県出身。1942年9月に京都大学医学部卒業。1950年「麻疹予防に関する研究」で同大学にて医学博士。1963年10月、山口県立医科大学教授に就任。1969年4月山口大学医学部附属病院長、1978年3月同大学学長となる。1984年2月同大学任期満了にて退官。同大学名誉教授となる。2012年10月、故郷の相生市にて多臓器不全のため93歳にて他界。
玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - … 玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - 1985年10月18日)は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学・1960年)。東京大学名誉教授。正四位、勲三等旭日中綬章。 弟に発生学の専門家、千葉大学名誉教授の玉野井逸朗がいる。 経済学者大河内一男の弟子の一人。 専攻は経済理論、経済学史。後期にはエコロジーや反近代主義に関心を移し、カール・ポランニーやイヴァン・イリイチを日本に紹介した。 著作集全4巻がある。 1984年、小出昭一郎、槌田敦、河宮信郎、室田武、藤田祐幸らとエントロピー学会を設立している。エントロピー読本に村上陽一郎、武谷三男、鶴見和子、廣松渉、伏見康治、宇井純、野坂昭如らの著名人が執筆しているのは玉野井芳郎の影響力が貢献している。
国塚 一乗(くにづか かずのり、1917年1月16日 - 没… 国塚 一乗(くにづか かずのり、1917年1月16日 - 没年不明)は、日本の軍人、事業家。 太平洋戦争において通訳将校として活躍。杉田一次に評価され、その部下でインド国民軍の編成やインド独立に影響を与えた藤原岩市の通訳として従事。以後モーハン・シンやスバス・チャンドラ・ボースからの信任を得る。 山口高等商業学校卒。戦前は神戸の貿易会社に勤務。1939年1月、広島第二電信連隊入営。半年後に陸軍通信学校に入学。英語で修養日記を書くことが注目され、第5師団司令部付を命じられ参謀付将校へ昇進する。 太平洋戦争開戦時の1941年12月8日早朝、タイ最南端のシンゴラに上陸。日泰軍事協定直前の上陸であり、激しい抵抗に遭遇する。
桑田 俊晴(くわた としはる、1915年10月3日 - 19… 桑田 俊晴(くわた としはる、1915年10月3日 - 1997年2月3日)は、日本の経営者。関西ペイント社長、会長を務めた。鳥取県出身。 1936年に山口高等商業学校を卒業し、同年に関西ペイントに入社した。1967年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1978年に社長に就任し、1983年から会長に就任した。 1986年に勲三等瑞宝章を受章。 1997年2月3日心不全のために死去。81歳没。
伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996… 伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996年10月15日)は、日本の銀行家。山口銀行頭取を務めた。 山口県出身。1935年に山口高等商業学校を卒業し、同年に百十銀行に入行。1944年3月に山口銀行に転じ、1960年4月に取締役、1967年4月に常務、1970年4月に専務を経て、1974年5月には頭取に就任。1992年6月から会長を務めた。 1983年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1996年10月15日呼吸不全のために死去。82歳没。
今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日… 今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日 - 1997年(平成9年)11月17日)は、昭和期の日本の政治家、経済評論家。衆議院議員(8期)。 山口県出身。山口高等商業学校(現山口大学)卒業。1945年、日本社会党の結党に参加した。 1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に旧山口1区(定数4)から社会党公認で立候補し、トップで初当選した。 1951年の社会党の左右分裂では右派社会党に参加、1955年に両派は統一するも1959年に脱党し、1960年1月の民社党の結成に参加した。委員長西尾末広の下で党政策審議会長に就任。同年11月の第29回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で4番目の得票数で当選し、返り咲き。
平田 源一(ひらた げんいち、1913年2月21日 - 19… 平田 源一(ひらた げんいち、1913年2月21日 - 1995年9月10日)は、日本の経営者。ブラザー工業社長を務めた。広島県出身。 1934年に山口高等商業学校を卒業し、1943年1月にブラザー工業に入社。1946年6月に取締役に就任し、1962年7月に常務、1975年1月に副社長を経て、1979年2月には社長に就任。1981年2月から1987年2月までに監査役を務めた。 1983年3月に勲三等瑞宝章を受章。 1995年9月10日肺炎のために死去。82歳没。
田島 直人(たじま なおと、1912年(大正元年)8月15日… 田島 直人(たじま なおと、1912年(大正元年)8月15日 - 1990年(平成2年)12月4日)は、日本の男子陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピック金メダリスト。位階は正五位。 大阪府において出生。その後、父の郷里である山口県玖珂郡岩国町(現在の岩国市)に戻り、岩国尋常高等小・旧制岩国中学(山口県立岩国高校の前身)に進学。兄・田島元も三段跳の日本チャンピオンになったことのあるジャンパーで、旧制広島一中時代の織田幹雄と親交があり岩国中学に来てよく一緒に練習した。この兄と織田の影響で三段跳を始めた。 山口高校(山口大学の前身)を経て京都帝国大学経済学部(現京都大学)を卒業する。 1932年、ロサンゼルスオリンピックに出場し、走幅跳で6位入賞。
藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2… 藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2000年2月18日)は、日本の経営学者。専門は労務管理。一橋大学名誉教授、山梨学院大学名誉教授である。博士(商学)(1960年、一橋大学にて取得)。紫綬褒章及び勲二等瑞宝章受章。元日本経営学会理事長。 1911年、愛媛県松山市で生まれた。1924年3月、愛媛師範学校附属小学校(現・愛媛大学教育学部附属小学校)を卒業し、愛媛県立松山商業学校(現・愛媛県立松山商業高等学校)に進学。1929年3月に卒業し、同年4月に無試験で山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)に入学した。在学中の1930年4月から1932年3月まで、山口高等商業学校特待生であった。
今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月… 今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月4日 - 1996年(平成8年)12月7日)は、日本の官僚、都市計画家・ランドスケープアーキテクト、政治家。1981年から2期8年にわたり京都府京都市長も務める。 山口県防府市出身。岡山県第二岡山中学校(岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から再興旧制山口高等学校(山口大学の前身)を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部(東京大学農学部の前身)を卒業。折下吉延に師事。卒業後内務省に入り都市計画千葉地方委員会技師。戦前は中国勤務、1939年に北京の華北政務委員会建設総省に派遣となるがそこで終戦を迎える。都市計画の専門家として暫くは北京に残り、1946年の夏に引き揚げ、翌1947年1月に戦災復興院の施設課長に就任する。
黒河 隼人(くろかわ はやと、1909年2月14日 - 19… 黒河 隼人(くろかわ はやと、1909年2月14日 - 1992年2月1日)は、日本の実業家。東陶機器(現TOTO)社長や、同社取締役会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章。 1927年市立下関商業学校(現下関商業高等学校)卒業。1930年山口高等商業学校(現山口大学)卒業、東洋陶器入社。1953年取締役に昇格。1959年常務取締役。1963年専務取締役。1967年取締役副社長。1972年7月、杉原周一社長の急逝に伴い社長就任。東陶不動産取締役社長、日本特殊陶業取締役、日本碍子取締役。1973年日本陶器取締役。1979年取締役会長。1983年相談役。1979年勲二等瑞宝章受章。1992年正四位。 第一次オイルショックを受け、第3次5カ年計画による対応にあたるなどした。