宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月… 宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月1日 - )は愛知県出身の日本の日本画家。本名は豊。社団法人日展会員を経て日展理事、日春展顧問。 1929年(昭和4年)9月1日、愛知県に生まれる。愛知県立松蔭高等学校卒業。始め川合玉堂、後に奥田元宋に師事。 1962年(昭和37年)「凪」が新日展に入選。以後1993年(平成5年)第25回日展にて日展会員賞、1997年(平成9年)第29回日展にて文部大臣賞。 2004年(平成16年)、2003年(平成15年)第35回改組日展出品作「暮れゆく函館」が平成15年度(第60回)日本芸術院賞。
村上哲朗(むらかみ てつろう、1929年9月1日 - )は、… 村上哲朗(むらかみ てつろう、1929年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。仙台国税局長、税務大学校長、自動車保険料率算定会副理事長などを歴任した。 東京府出身。東京大学経済学部経済学科在学中に国家公務員六級職試験(経済職、法律職)を合格。東大経済学部経済学科を卒業し、1953年 大蔵省に入省(銀行局検査部審査課) 。同期に吉野良彦、水野繁、大場智満、宮下創平、宮本保孝、楢崎泰昌、名本公洲らが居り、更に新制組に西垣昭、梅沢節男、矢崎新二らが居た。 1957年10月から東京国税局調査査察部で勤務する 。1958年11月 東京国税局の調査官として比較的のんびりと過ごしていたが、突如として主計局の勤務を命ぜられた。
松恵山 邦治(まつえやま くにはる、1929年9月1日 - … 松恵山 邦治(まつえやま くにはる、1929年9月1日 - 2001年8月31日)は、立浪部屋に所属した元力士。本名は柏谷 邦治(かしわだに くにはる)。現在の宮崎県延岡市出身。身長168cm、体重102kg。最高位は東十両17枚目。得意技は右四つ、寄り。 1950年5月場所に初土俵、1955年3月場所に十両昇進。1957年5月場所に廃業した。引退後は故郷に帰ってちゃんこ料理店を開業した。2001年8月31日に死去、71歳没。現在、宮崎県には松恵山の教え子が開いた松恵山相撲道場がある。また、佐渡ヶ嶽部屋に所属している9代尾車(元幕内・琴恵光)は孫であり、この道場の出身者である。
森 納(もり おさむ、昭和3年(1928年)9月1日 - 平… 森 納(もり おさむ、昭和3年(1928年)9月1日 - 平成24年(2012年))は、日本の医師、郷土史研究家。森医院理事長。医学博士。 鳥取県西伯郡夜見村(現・米子市夜見町)に生まれる。鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)を経て、昭和26年(1951年)米子医学専門学校卒業。昭和27年(1952年)鳥取大学医学部第二内科研究生、西伯病院勤務。 昭和36年(1961年)島根県大田市祖式診療所長。昭和41年(1966年)鳥取県岩美郡国府町糸谷で開業。岩美郡医師会理事、鳥取県東部医師会理事、鳥取県医師会理事を歴任した。 森が20歳になる前、米子医学専門学校3年の時に父が死去。残されたものは先祖伝来の土地の一部、五反ほどの畑と借金だけであった。
高萩 保治(たかはぎ やすはる、1928年9月1日 - 20… 高萩 保治(たかはぎ やすはる、1928年9月1日 - 2016年10月2日)は、日本の音楽教育学者。 東京生まれ。1950年武蔵野音楽学校卒。小・中・高校での音楽教育に従事。1965年米国コロンビア大学ティーチャースカレッジ大学院修士課程修了。1969年武蔵野音楽大学助教授、1973年東京学芸大学助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、国立音楽大学客員教授、日本大学芸術学部教授。日本音楽教育学会、国際音楽教育協会(ISME)の会長を務めた。高萩宏は甥である。
鶴田 卓彦(つるた たくひこ、1927年9月1日 - 202… 鶴田 卓彦(つるた たくひこ、1927年9月1日 - 2020年3月13日)は、日本の新聞経営者。日本経済新聞社社長、横綱審議委員会12代委員長。茨城県水戸市出身。 茨城県水戸市生まれ。旧制茨城中学校(現、私立茨城中学校・高等学校)を経て早稲田大学第一政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。経済部長等を経て、1977年取締役選任。1993年社長に就任する。在任中は48ページ一連印刷体制の整備やカラー設備の増強で新聞増に貢献したほか、BSジャパン(現BSテレビ東京)の設立で衛星放送に参入し、日経グループを総合メディアとして発展させる。 2003年3月に会長に退くが、子会社の架空取引疑惑などが発覚し、5月に相談役に退いた。
大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 20… 大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 2024年3月12日)は、日本のイタリア文学者、フランス文学者、翻訳家。本名「てるお」だが「あきお」と読むこともある。 アルベルト・モラヴィアの作品を数多く訳した。(児童向けを含め)フランス文学の訳書も出している。 英文学の翻訳者大久保康雄は遠縁の親戚に当たる。 茨城県結城郡西豊田村(現・八千代町)生まれ。1945年第一高等学校入学を経て、東京大学文学部仏文科卒。 2024年3月12日、老衰のため死去。96歳没。
木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日… 木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日 - )は、日本の外交官。フランス駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京都出身。父は外交官の木内良胤、母は宮内次官、枢密顧問官を歴任した関屋貞三郎の長女淑子。次男は元衆議院議員の木内孝胤。 東京大学法学部を卒業し、1951年(昭和26年)4月、外務省に入省する。外務省ではパリ、モスクワ、ワシントンD.C.、ロンドン等の在外公館勤務を経て、田中角栄が首相時代、総理大臣秘書官を務めた。 退官後は、住友銀行顧問、アクサ生命保険会長、アジア開発キャピタル会長などを歴任した。また、細川内閣では細川護熙首相の私的諮問機関であった「経済改革研究会」のメンバーとして規制改革に関するレポートを作成した。
福井 芳男(ふくい よしお、1927年9月1日 - 2014… 福井 芳男(ふくい よしお、1927年9月1日 - 2014年10月21日 )は、日本のフランス文学者、フランス語教師。東京大学教養学部教授を経て、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1952年、東京大学文学部仏文科卒、同年、特別研究生。1953年より1年間、パリ大学に留学。1960年、CNRS研修生。国際基督教大学助教授。1962年、中央大学助教授。1964年、パリ大学文学博士、1965年、「17世紀フランス詩の洗練」で辰野隆賞受賞、フランス教育功労章オフィシエ受章。1969年、中央大学教授、1971年、東京大学教養学部教授。1986年、放送教育開発センター教授、1988年、東京大学を定年退官し名誉教授、1989年、放送教育開発センター研究開発部長、1991年、同定年退職し、放送大学客員教授、のち、帝京平成大学教授。
梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、… 梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、日本の精神病理学者。 島根県出雲市出身。本名・敬二。1950年徳島医科大学卒。57年「ヘモグロビン及びその誘導体の抗原性」で鳥取大学医学博士。鳥取大学医学部講師、1958年中央鉄道病院勤務、精神神経科医長、1981年晴和病院医長、1983年東京新生病院副院長。パトグラフィーで知られた。
本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 200… 本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 2003年12月5日)は、日本の環境工学者、工学博士。大阪府八尾市出身。 産業環境管理協会が1996年に本多にちなんだ「リサイクル技術開発本多賞」を設けた。 1927年大阪府八尾市に生まれる。 1948年新潟農林専門学校農芸化学科(現新潟大学農学部)卒。1948年から1983年まで、大阪市立生活科学研究所(現大阪市立環境科学研究センター)勤務。1962年工学博士号を取得。1970年大阪市立大学非常勤講師、1985年同大学工学部教授。 「ごみ博士」と呼ばれ、処理技術検討委員会委員として香川県の豊島ゴミ問題に関わった。 1983年紫綬褒章を受章。
石井 ふく子(いしい ふくこ、1926年〈大正15年〉9月1… 石井 ふく子(いしい ふくこ、1926年〈大正15年〉9月1日 - )は、日本のテレビプロデューサー、舞台演出家。TBSテレビプロデューサー。 東京府東京市下谷区池の端(現・東京都台東区下谷池之端)出身。伊志井寛の長女にあたる。新東宝の女優活動から出発し、ラジオ東京(現・TBS)に入社。その後は、テレビドラマのプロデューサーとして、橋田壽賀子や平岩弓枝らとタッグを組み、多くのヒットドラマを世に送った。フリーとなった後は舞台演出なども手掛けている。また、橋田文化財団にも協力している。 父は、劇団新派の俳優伊志井寛(ただし、戸籍と血縁ともに関係がない)。母は分川本の君鶴と呼ばれた芸者で、小唄の家元になった三升延である(両親について詳しくは後述「人物」の欄)。
一龍齋 貞鳳(いちりゅうさい ていほう、1926年9月1日 … 一龍齋 貞鳳(いちりゅうさい ていほう、1926年9月1日 - 2016年12月27日)は、日本の講談師、政治家。本名、今泉 正二(いまいずみ しょうじ)。選挙では「一竜斉テイホー」の表記も使用していた。 参議院議員(1期)、環境政務次官(三木改造内閣・福田赳夫内閣)などを歴任した。 福島県出身。旧制法政大学第二中学校卒業。1938年に5代目一龍齋貞丈に入門するが、戦争のため一時中断。1946年に貞鳳を名乗る。1954年、真打昇進。 3代目江戸家猫八、三遊亭小金馬(現:2代目三遊亭金翁)とともに、NHKのバラエティコメディ番組『お笑い三人組』で人気を得る。今泉良夫の名で司会活動もしていた。1965年、芸術祭賞奨励賞受賞。
右遠 俊郎(うどお としお、1926年9月1日 - 2013… 右遠 俊郎(うどお としお、1926年9月1日 - 2013年10月11日)は、日本の作家・文芸評論家。 岡山県生まれ。少年期を大連で過ごし、旅順高等学校に進む。戦後、東京大学国文科卒。『新日本文学』などに小説、評論を発表。1959年「無傷の論理」で芥川賞候補(この時は該当者なしだった)。その後日本民主主義文学会(当時の名称は文学同盟)に加入する。1989年『小説朝日茂』で多喜二・百合子賞受賞。 2013年10月11日に肺炎のため死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
日下部 甲太郎(くさかべ こうたろう、1926年(大正15年… 日下部 甲太郎(くさかべ こうたろう、1926年(大正15年)9月1日 - )は、日本の環境技官・厚生官僚で、公園行政家。 環境庁参事官や公害研修所所長、日本環境協会や国立公園協会理事を務めた。長年にわたり日本の自然保護行政に携わりまた自然保護に関わる調査研究,自然とのふれあいの促進などに多大な貢献を果たした[要出典]。 兵庫県出石町出身で東京府に移り住んだ両親のもと、東京で生まれ育つ。幼少期は体が弱かったが、昭和初期の登山ブームの中で植物や山が好きだった父親がよく山に連れていってくれたおかげで丈夫になったとしている。こうした経験から山が好きになる。 宮沢賢治への興味から東北地方にあこがれ、賢治の出身地である花巻市にも比較的近い仙台市の旧制第二高等学校に入学する。
津田 信 (つだ しん、 1925年9月1日 - 1983年… 津田 信 (つだ しん、 1925年9月1日 - 1983年11月22日) は、日本の小説家。東京府出身。本名は、山田 勝雄 (やまだ かつお)。 東京府立第三商業学校卒業。満州の予備士官学校に在学中の1944年に応召し、第59師団に配属される。翌1945年の敗戦によりソ連軍の捕虜となるが、発疹チフスに罹患したためシベリア抑留は免れた。 1947年に帰国後、小島政二郎に師事し、徳田秋声の作品を研究。日本経済新聞社勤務中から小説を発表。1966年に同社を退社し、筆一本となる。受賞には至らなかったが、『日本工作人』などで芥川賞や直木賞の候補に合計8回上っている。 著書『幻想の英雄』で、フィリピンのルバング島から30年ぶりに帰国して注目されていた元陸軍少尉、小野田寛郎のベストセラー『わがルバング島の30年戦争』(1974)およびその元になった週刊誌連載の「手記」のゴーストライターであると名乗りを挙げ、「手記」に書けなかった部分や執筆にまつわる出来事を明らかにして話題になった。
荒川 宗一(あらかわ そういち、1925年9月1日 - 20… 荒川 宗一(あらかわ そういち、1925年9月1日 - 2010年8月24日)は、静岡県出身のプロ野球選手(外野手)。
大橋 俊雄(おおはし しゅんのう、1925年〈大正14年〉9… 大橋 俊雄(おおはし しゅんのう、1925年〈大正14年〉9月1日 - 2001年〈平成13年〉12月26日)は、日本仏教史学者。初名は「登志夫」、のち「俊雄」(としお→しゅんのう)。 神奈川に生まれる。1948年大正大学仏教学部仏教学科卒業。元々は真宗大谷派の門徒の家に生まれたが、浄土宗にて得度・受戒し、横浜市泉区岡津町の西林寺に入り住持を務める。[要出典] 横浜市立高等学校や、藤嶺学園藤沢高等学校教諭、大正大学非常勤講師、日本文化研究所講師などを務めた[要出典]。1992年「一遍智真の宗教に関する成立史的研究」により、立正大学から文学博士の学位を受ける(論文は未刊行)。晩年、浄土宗本山蓮華寺貫主となる。
小山 博也(おやま ひろなり、1925年9月1日-2018年… 小山 博也(おやま ひろなり、1925年9月1日-2018年5月15日)は、日本の政治学者、埼玉大学名誉教授。 北海道生まれ。1945年山形高等学校文科乙類卒業。1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、東京大学社会科学研究所助手。1953年9月埼玉大学文理学部助教授、67年同経済学部教授、79年7月経済学部長。1991年定年退官、名誉教授、山梨学院大学法学部教授。1997年退職。
橋本 峰雄(はしもと みねお、1924年(大正13年)9月1… 橋本 峰雄(はしもと みねお、1924年(大正13年)9月1日 - 1984年(昭和59年)3月7日)は、日本の哲学者であり、京都・法然院の第30代貫主でもあった。 1924年、徳島県で生まれた。旧制大阪高等学校を経て、京都大学文学部哲学科へ進学。同級生の梅原猛と藤沢令夫とは、この頃からの親友。卒業後、浄土宗で出家し仏門入りして、西洋哲学を学ぶ異色の学者として知られていた。 神戸大学文学部教授として、哲学・倫理学専攻を担当した。また、「京都ベ平連」の結成に参加するほか、思想の科学研究会・現代風俗研究会の会員としても研究活動に参加した。1984年に死去。 1991年、現代風俗研究会がにその業績を記念して「橋本峰雄賞」を創設した。
黒川 正昭(くろかわ まさあき 1924年9月1日 - 20… 黒川 正昭(くろかわ まさあき 1924年9月1日 - 2019年12月21日)は、日本の裁判官。 京都府出身。徳島地方裁判所判事などを務めた後に1965年(昭和40年)大阪高等裁判所判事、1967年(昭和42年)札幌高等裁判所判事、1973年(昭和48年)大阪地方裁判所判事、1976年(昭和51年)金沢家庭裁判所所長、1977年(昭和52年)大津地方裁判所署長兼大津家庭裁判所所長などを歴任。その後、大阪地方裁判所所長、広島高等裁判所長官、1986年(昭和63年)から1988年(平成元年)にかけて大阪高等裁判所長官を務めて退官した。2019年(令和元年)誤嚥性肺炎にて死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
沖原 豊(おきはら ゆたか、1924年9月1日 - 2004… 沖原 豊(おきはら ゆたか、1924年9月1日 - 2004年8月16日)は、日本の教育学者。 ハワイ生まれ、山口県出身。1939年山口師範学校入学、1944年熊本陸軍予備士官学校に入学。天草で敗戦を迎え、1951年広島文理科大学教育学科卒。1968年「日本国憲法の教育規定に関する研究」で広島大学より教育学博士の学位を取得。1953年広島大学教育学部助手、講師、1961年助教授、1972年教授、1984年教育学部長、85年学長。名誉教授。1972年総理府青年の船団長を務めた。1981年日本ユネスコ国内委員。広島文理大での学生時代に長田新による『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』の編集に協力した。
勝井 信勝(かつい のぶかつ、1924年(大正13年)9月1… 勝井 信勝(かつい のぶかつ、1924年(大正13年)9月1日 - 1999年(平成11年)9月3日)は、日本の化学者。学位は、理学博士(北海道大学)。専門は天然物有機化学・植物病理学。北海道大学名誉教授。北海道岩見沢市出身。位階は正四位。 北海道大学理学部化学科卒。同大学院理学研究科博士課程修了。その後、同理学部講師、同理学部助教授、同理学部教授。1988年(昭和63年)北海道大学停年退官。同名誉教授。北海道東海大学工学部教授。1995年(平成7年)北海道東海大学定年退職。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 家族は、祖父に勝井組創業者の勝井森太郎、父に、勝井建設工業初代社長の勝井勝太郎。
尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 201… 尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 2013年5月4日)は、日本の歴史学者。文学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「幕藩体制の政治的原理と朱子学との関係に関する研究」)。東京大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。幼少期は旧満州(中国東北部)に移住。第三高等学校を経て1943年東京帝国大学文学部国史学科入学するも同年12月に学徒出陣。1945年8月の終戦は第二航空軍(満州)教官。翌年に復員。 1949年、東京大学文学部国史学科卒業。1958年、名古屋大学文学部講師、1962年1月、名古屋大学文学部助教授。同年4月、東京大学文学部助教授を経て、1970年、東京大学文学部教授。
大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 200… 大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 2001年9月10日)は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、函館ドックでの勤務を経て、1949年にシエル石油に入社。1969年に取締役に就任し、1975年に常務、1978年に専務、1981年に副社長を経て、1982年には社長に就任。昭和石油との合併を取り仕切り、1985年に昭和シェル石油社長に就任。1989年3月に副会長に就任し、1991年3月に取締役相談役を経て、1993年3月に相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年9月10日に肺炎のために神奈川県横浜市の病院で死去。
藤田 雄五(ふじた ゆうご、1923年(大正12年)9月1日… 藤田 雄五(ふじた ゆうご、1923年(大正12年)9月1日 - 2014年(平成26年)1月19日)は日本の実業家、元アンリツ社長。東京都出身。
朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1… 朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1日 - 2001年12月)は、現在の愛媛県西予市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は水野 元幸。180cm、86kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 1940年5月場所初土俵、1946年11月場所十両昇進。以後3場所務める。1949年1月場所限りで廃業した。
清水 善夫(しみず よきお、1922年〈大正11年〉9月1日… 清水 善夫(しみず よきお、1922年〈大正11年〉9月1日 - 2013年〈平成25年〉9月19日)は、日本の内科医、小児科医。医学博士。新潟県西蒲原郡黒埼村第19代村長、黒埼町初代町長。原爆症患者第1号の担当医。 新潟県西蒲原郡黒埼村大字金巻(現 新潟市西区金巻)出身。1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1947年(昭和22年)10月に東京大学医学部内科学教室内科学第二講座(担任:佐々貫之教授)副手に就任、1951年(昭和26年)4月から引き続き同講座(担任:美甘義夫教授)で研究。
山西 義政(やまにし よしまさ、1922年(大正11年)9月… 山西 義政(やまにし よしまさ、1922年(大正11年)9月1日 - 2020年(令和2年)4月1日)は、日本の実業家。イズミ創業者。 生まれは広島県佐伯郡玖波村(現大竹市玖波町)、のちに広島市宇品(現南区)へ移り住む。最終学歴は宇品尋常高等小学校(広島市立宇品小学校)卒業。 貧しい家庭に育ち、父親は呑んだくれで母親は病弱、それに妹と4人で暮らしていた。その他にも兄弟はいたが、養子や親戚に出されていた。尋常高等小時代の11歳か12歳ぐらいから働き始め、新聞配達とシジミやハマグリの行商で家計を支えた。自分が稼いだ金で二重焼き(今川焼きの広島での通名)を2つ買って食べることが最高の贅沢だった。 父親が亡くなったこともあり、尋常高等小卒業後は進学せず、昼は軍需工業、夜は荷物運びと働き続けた。
大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。
関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1… 関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1日 - 2002年(平成14年)10月30日)は、日本の経済学者。元高知大学学長、同大学名誉教授。専門は経済史、農業経済学。高知県生まれ。 1921年9月1日、高知県長岡郡大篠村大埇(現南国市)において、海軍武官の父関田繁里と母豊榮の長男として生まれる。幼少期は郷里で祖父母のもとに過ごし、1927年に父母のもとへ上京。1934年3月、東京市世田谷区立八幡尋常小学校を卒業。同年4月、父の赴任先の長崎県立佐世保中学校を受験し入学。1935年秋頃、父の転勤に伴い麻布中学校に転入。1937年夏頃、父の死に伴い帰郷し高知県立高知城東中学校に転入。
嘉納 芳治(かのう よしじ、1921年〈大正10年〉9月1日… 嘉納 芳治(かのう よしじ、1921年〈大正10年〉9月1日 - 没年不明)は、日本の実業家。菊正宗酒造元取締役、元監査役。 妻は九代目嘉納治郎右衛門(本嘉納家9代目当主)の五女・周子。長男はフジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長、関西テレビ放送代表取締役会長などを務めた嘉納修治。 兵庫県出身。神戸市東灘区在住。灘の酒造家である嘉納家の一門・乾嘉納家出身。本嘉納商店(現:菊正宗酒造)取締役を務めた嘉納治朗の長男として生まれる。父・治朗は本嘉納家の親戚にあたる嘉納治郎平の四男として生まれ、嘉納百蔵の養子となり本嘉納商店に入社後、嘉納治郎右衛門の片腕として活躍した。 1944年(昭和19年)大阪帝国大学工学部醗酵工学科を卒業後、菊正宗酒造に入社。
江尻 宏一郎(えじり こういちろう 1920年9月1日 - … 江尻 宏一郎(えじり こういちろう 1920年9月1日 - 2015年4月21日)は、日本の実業家。三井物産第6代社長。神奈川県横浜市生まれ。位階は従三位。 父は三井物産勤務の商社マンだった。東京府立一中卒業後、柔道の力量を見込まれ第六高等学校に入学した。六高を経て、東京帝国大学法学部入学。中学時代から柔道部に所属し、六高、東大と通じてキャプテンを務めた。六高柔道部先輩に永野重雄、同部同期に亀長友義(参議院議員、農林事務次官)らがいた。同じクラスの石井多加三(国際電電社長、郵政事務次官)とは親友だった。1943年(昭和18年)9月、戦時中の折、東京帝大法学部を繰り上げ卒業し、父と同様三井物産入社。
王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 20… 王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 2018年6月11日)は、中国出身の日本の料理研究家。日本に帰化、本名・王城純子〈おうき・じゅんこ〉。 中国・ハルビン出身。水運業、酒精工場、イースト工場、銀行業などを手がけた実業家である馬延喜の長女として生まれる。レオ・シロタに師事することを希望し、母を伴って三兄と妹とともに日本に留学した。1937年に東京音楽学校予科に入学。1938年から同校本科器楽部ピアノ専攻で学び1941年3月に卒業。同年4月に同校研究科器楽部ピアノ専攻に進学した。1942年に東京音楽学校の満州国建国十周年慶祝音楽使節団にピアニストとして参加し、満洲、朝鮮の各地を巡って演奏した。
脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ … 脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ 1997年(平成9年)12月12日)は、日本の政治家。1971年から1995年までの6期24年にわたり高松市長を務めた。日本社会党県副委員長、全国革新市長会会長などを歴任。高松市名誉市民。 高松市出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て中央大学法学部を卒業。戦後は帰郷し、同郷の成田知巳(後の日本社会党委員長)の秘書を16年間務める。 前市長・三宅徳三郎の1期限りでの引退表明を受け行われた1971年の高松市長選挙に、社会党と共産党の推薦を受け立候補。自身としては3回目の挑戦であったが、当時全国各地で革新自治体が誕生していたことや、保守陣営が分裂したことも手伝い初当選。
森 国五郎(もり くにごろう、1919年9月1日 - 194… 森 国五郎(もり くにごろう、1919年9月1日 - 1945年)は、大分県出身のプロ野球選手。
児島 泰彦(こじま やすひこ、1918年(大正7年)9月1日… 児島 泰彦(こじま やすひこ、1918年(大正7年)9月1日 - 1945年(昭和20年)6月12日)は、日本の水泳選手。ベルリンオリンピック100メートル背泳ぎに出場。
守部 政喜(もりべ まさき、1915年9月1日- 1988年… 守部 政喜(もりべ まさき、1915年9月1日- 1988年7月2日 )は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。 北海道出身。1939年に北海道帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入省。1960年6月郵政省審議官に就任。1961年11月に名古屋テレビ放送取締役に就任し、1973年8月に専務、1981年6月に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。 1988年7月2日、脳内出血のため出張先のアメリカカルフォルニア州で急逝。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加藤 勝重(かとう かつしげ、1914年9月1日 - 200… 加藤 勝重(かとう かつしげ、1914年9月1日 - 2000年9月6日)は、現在の埼玉県さいたま市出身の日本画家。浦和画家。 浦和画家の発祥(関東大震災以降)以前に浦和に出生。川端画学校に学び、はじめは洋画を描いていたが、日本画に転向した。山岳風景を多く描いた。「響」などの作品は埼玉県立近代美術館に所蔵されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
笹本 恒子(ささもと つねこ、1914年9月1日 - 202… 笹本 恒子(ささもと つねこ、1914年9月1日 - 2022年8月15日)は、日本の写真家。一般に「女性報道写真家第一号」とされる。肖像写真も得意とする。 従来は1918年(9月1日)生まれとする文献があったが(例えば、下記「参考文献」欄記載の「日本写真家事典」)、2011年に刊行された「好奇心ガール、いま97歳」(下記「著書」を参照)により1914年生まれであることが明確にされた。 東京府荏原郡大崎町(現在の東京都品川区上大崎)生まれ。順心高等女学校卒業後、大妻技芸学校高等家政科に通うも、絵の勉強に専念したかったため中退。その後、父親には内緒で絵の研究所と洋裁学校に通った。 戦前、女性報道写真家がいなかった頃に東京日日新聞(現在の毎日新聞)の挿絵のアルバイト(社会面のカット)として活躍後、東京日日新聞・社会部長の小坂新夫(笹本が子供のころ、笹本家の離れを借りて住んでいた)にすすめられ、(1939年に仮入社し、母親の病気を理由とする10か月の休職ののち、1940年(昭和15年)4月に)財団法人・写真協会(新聞記者・写真家の林謙一らを中心に設立された内閣情報部による国策機関。
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日… 緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。 教員・緒方竜之進の息子として鹿児島県に生まれる。伊集院中学、東京府立四中を経て、陸軍士官学校に入校。陸軍大学校を恩賜軍刀組で卒業。第3飛行団司令部員、第51教導飛行師団参謀、大本営参謀等を務めたのち、陸軍省軍務局課員で終戦を迎える。 戦後は公職追放を経て、1952年(昭和27年)7月に警察予備隊に入隊。1954年(昭和29年)7月に航空自衛隊の発足と同時に転官。空自では航空保安管制気象群司令、空幕人教部副部長を務めたのち、陸自に転身して陸幕第5部副部長、その後は防衛研修所副所長、統合幕僚会議事務局長と空自の主流ポストを歩いてはこなかったが、術科教育本部長となり、1968年(昭和43年)7月にFX(次期主力戦闘機)の調査団長として渡米。
青柴 憲一(あおしば けんいち、1912年9月1日〈大正元年… 青柴 憲一(あおしば けんいち、1912年9月1日〈大正元年〉 - 1945年11月1日〈昭和20年〉)は、京都府出身のプロ野球選手(投手)。 1930年に立命館大学野球部に所属。1932年から1933年頃、旧関西六大学リーグ戦での快速球は京都の野球界を風靡しており、京都商業学校時代の沢村栄治から目標とされる程の存在だった。また、島秀之助も戦前で最も印象に残った選手の一人として、青柴憲一の名を挙げている。大学時代のチームメイトに後藤正・村川幸信(社会人野球の明電舎でもバッテリーを組んだ)がいる。 立命館大学を中退して、渡辺商店や東洋ベアリングでプレー。1934年のベーブ・ルース率いる全米選抜チーム来日時には、11月8日の湯の川球場(北海道函館市)での試合に全日本選抜チームの投手として先発。
西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 200… 西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 2002年11月28日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手・監督。ポジションは外野手。
千田 九一(ちだ くいち、1912年9月1日 - 1965年… 千田 九一(ちだ くいち、1912年9月1日 - 1965年12月12日)は、日本の漢文学者。 山口県出身。1936年東京帝国大学文学部支那文学科卒。竹内好、武田泰淳らの中国文学研究会に参加、戦後は機関誌『中国文学』の編集にあたる。また高見順らの文芸同人誌『日暦』にも参加した。戦後、小野忍とともに『金瓶梅』を訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山本 大(やまもと たけし、1912年9月1日- 2001年… 山本 大(やまもと たけし、1912年9月1日- 2001年8月19日)は、日本史学者。高知大学名誉教授。 高知県生まれ。1937年東京帝国大学文学部国史学科卒業。高知大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授。高知県の歴史を中心に研究した。
吉田 正太郎(よしだしょうたろう、1912年9月1日 - 2… 吉田 正太郎(よしだしょうたろう、1912年9月1日 - 2015年7月30日)は、日本の天文学者、光学設計者である。 非球面光学系の先駆者であり、理論面、実務面の双方において優れた業績を残した。学究活動の傍ら、一般や青少年向けの本を執筆して知識の向上に努めた。
唐橋 東(からはし あずま、1912年(大正元年)9月1日 … 唐橋 東(からはし あずま、1912年(大正元年)9月1日 - 2012年(平成24年)4月26日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(日本社会党、1期)、福島県喜多方市長(4期)。位階は従四位、勲等は勲三等。 孫に俳優・イラストレーターの唐橋充がいる。 福島県耶麻郡高郷村(現喜多方市)出身。1932年(昭和7年)福島師範学校専攻科(福島大学人間発達文化学類の前身)卒業。地元で小学校教員や中学校長などを務め、日本教職員組合の活動を行う。その後、福島県議を4期務める福島県議を4期務める。その後、1967年の総選挙において福島県第2区から日本社会党公認で出馬し初当選するも、再選を期した1969年の総選挙で落選。
有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 195… 有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 1959年7月20日)は、東京府東京市(現在の東京都新宿区)出身で錦嶌部屋に所属した大相撲力士。本名は金子 元五郎(かねこ もとごろう)。身長171cm、体重111kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭11枚目(1944年5月場所)。有明吾郎とは別人物。 1929年5月場所、錦島部屋から初土俵を踏む。最初の四股名は錦谷であった。四つに組むと力を出す相撲であったが、体も硬く勝ち身が遅く、あまり稽古熱心な方ではなかった。新十両は1936年1月場所、しかしその後も幕下と十両の間を往復し、新入幕は1941年1月場所、入門から12年も経過していた。
川手 泰二(かわて たいじ、1911年9月1日 - 1986… 川手 泰二(かわて たいじ、1911年9月1日 - 1986年8月22日)は、日本の新聞記者、会社経営者。名古屋放送株式会社代表取締役社長、会長。全国朝日放送取締役。 山梨県北杜市(旧須玉町若神子)出身。父は、昭和初期に立憲政友会所属で山梨県選出の衆議院議員だった川手甫雄。兄は、山梨トヨタ自動車社長やテレビ山梨取締役を務めた川手淳一。弟は、日軽アルミニウム工業専務を務めた川手雄三。 山梨県立甲府中学校、日本大学法学部卒業。大学卒業後の1936年に朝日新聞社に入社。社会部の事件記者として鳴らし、警視庁キャップを務めた。1961年に東京本社特信部長に就任。 1962年4月、名古屋放送の開局に際して放送界に転じ、取締役東京支社長に就任。
水野 洽(みずの ひろし、1911年9月1日 - 1997年… 水野 洽(みずの ひろし、1911年9月1日 - 1997年11月4日)は、日本の映画監督である[4][5]。別名片岡 均(かたおか きん)[4]。