保田 茂(やすだ しげる、1939年6月3日 - )は、日本… 保田 茂(やすだ しげる、1939年6月3日 - )は、日本の農学者、農学博士。神戸大学名誉教授、兵庫農漁村社会研究所代表。 兵庫県出身。1973年、兵庫県有機農業研究会を設立。事務局長として有機農業の普及につとめる。1974年より「食品公害を追放し安全な食べ物を求める会」を組織し、安全な食べ物を求める消費者運動を推進。日本有機農業学会会長、日本有機農業研究会副理事長を歴任。農業経営・地域活性化分野で活動、農業経営学に有機農業という新しい分野を切り開き、理論と実践を統合。最近では食育に取り組んでいる。1985年、京都大学農学博士、論文の題は「有機農業の展開過程に関する経済的研究」。2015年、兵庫県社会賞受賞。
木下 陽三(きのした ようぞう、1939年6月3日 - )は… 木下 陽三(きのした ようぞう、1939年6月3日 - )は、山口県出身の工学者、実業家。九州工業大学工学部工業化学科卒業。 三井化学元副社長、東セロ元代表取締役社長、東セロ相談役を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
相原 俊子(あいはら としこ、1939年〈昭和14年〉6月3… 相原 俊子(あいはら としこ、1939年〈昭和14年〉6月3日 - )は、日本の元体操選手。旧姓、白須(しらす)。現在は群馬県高崎市に在住し、群馬県スポーツ指導者協議会理事を務めていた。 後に同じ日本代表としてオリンピックでメダルを獲得する池田敬子が学んだ三原高等学校で学ぶ。3年連続でインターハイに出場し、3年時には個人総合4位に入賞。日本体育大学に進学。 1960年のローマオリンピックでは団体総合で4位入賞。1962年プラハで開催された世界選手権では団体総合で3位、個人でも床6位、個人総合10位の記録を残した。1964年の東京オリンピックでは、池田らとともに出場した女子団体総合で銅メダルを獲得。
小野 武年(おの たけとし、1938年6月3日 - 2022… 小野 武年(おの たけとし、1938年6月3日 - 2022年12月15日)は、日本の医学者・生理学者。富山医科薬科大学名誉教授・元学長。位階は従三位。 英領マレー半島ケランタン州コタバル市生まれ。1964年鹿児島大学医学部卒業。1969年金沢大学大学院医学研究科修了、「摂食中枢の抑制機構について」で医学博士。同年金沢大学医学部生理学助手。1973年助教授。1977年富山医科薬科大学医学部生理学教授。2004年富山医科薬科大学学長。同名誉教授、富山大学大学院医学薬学研究部・特任教授。1984年セッシェノフ賞受賞、1994年中日文化賞受賞。2015年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。
神田孝夫(かんだ たかお、1937年6月3日 - )は、日本… 神田孝夫(かんだ たかお、1937年6月3日 - )は、日本の法学者(民法)、弁護士。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1989年)。小樽商科大学名誉教授、元北海学園大学大学院法務研究科教授。北海道斜里郡斜里町出身。
小木曽 絢子(おぎそ あやこ、1937年6月3日 - )は、… 小木曽 絢子(おぎそ あやこ、1937年6月3日 - )は、日本の翻訳家。日本推理作家協会会員。 東京都世田谷区生まれ。福岡県立修猷館高等学校、東京女子大学文学部卒業。 英語教師だったが、SF好きの息子の影響で40歳頃から翻訳を勉強し、1986年にアンドレ・ノートン『スター・ゲイト』小隅黎(柴野拓美のペンネーム)との共訳で、翻訳家としてデビューした。 紀伊国屋書店で、当時世界的には無名だったロイス・マクマスター・ビジョルドの『自由軌道』を発掘し、翻訳を企画。相談先の東京創元社が『戦士志願』の翻訳を企画していたのもあり、小木曽単独による翻訳出版が決まった。出版後、米国在住のビショルドを訪ね、親密な仲となった。
平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005… 平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005年3月13日)は、日本の作曲家。生涯の大半をパリで過ごした。 1937年、東京都生まれ。東京藝術大学を経て、フランスのパリ音楽院でアンリ・デュティユー、アンドレ・ジョリヴェ、オリヴィエ・メシアンらに作曲を学ぶ。1971年に作曲クラス一等賞を得て同院を卒業し、同年リリー・ブーランジェ賞を受賞してパリの楽団にデビューする。その後そのままパリに居住し、作曲活動を続けた。またエコール・ノルマル音楽院の作曲科教授として多くの後進の指導に当たった。日本人生徒では山下恵、斉木由美、三浦則子、法倉雅紀、岸野末利加、岡谷かおりなどが挙げられる。台湾人生徒では連憲升、楊金峯、王思雅、陳兪州などが挙げられる。
栗崎 昇(くりさき のぼる、1937年6月3日 - 2020… 栗崎 昇(くりさき のぼる、1937年6月3日 - 2020年8月)は、日本の挿花家。華道家。 福岡県飯塚市出身。京都にて「飾花の会」、東京にて「花教室」を主宰。多くの後輩を輩出、弟子にフラワーアーティストの土屋宗良、ダニエル・オスト、又弟子に柿崎順一などがいる。表千家の茶人でもある。
沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本… 沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本の実業家。富士電機ホールディングス代表取締役社長や、電気学会会長、富士通取締役、日本原子力発電取締役、月島機械取締役、パナソニック電工取締役などを歴任した。 1955年北海道室蘭清水丘高等学校卒業。1959年北海道大学工学部電気工学科卒業、富士電機製造入社。1987年富士電機取締役。1991年富士電機常務取締役。1994年富士電機専務取締役。1995年富士電機代表取締役副社長。1998年富士電機代表取締役社長、富士通取締役。2000年電気学会会長。2002年室蘭市ふるさと大使。2003年日本原子力発電取締役。2006年富士電機ホールディングス相談役、月島機械取締役。
市川 慎一(いちかわ しんいち、1936年6月3日 - 20… 市川 慎一(いちかわ しんいち、1936年6月3日 - 2019年1月6日)は、フランス文学者、日欧交渉史研究者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院博士課程修了。1966-1970年フランスのモンペリエ大学に留学。早稲田大学文学部教授。2002年に定年後は、学習院女子大学非常勤講師。慶應義塾大学特別招聘教授、マドリッド・アウトノマ大学客員教授を歴任。2016年春、瑞宝中綬章受勲。2019年1月6日、肺炎のため死去。82歳没。叙従五位。 百科全書・18世紀啓蒙思想を中心とするフランス思想・文学および比較文化専攻。
別府 恵子(べっぷ けいこ、1936年6月3日 - )は、日… 別府 恵子(べっぷ けいこ、1936年6月3日 - )は、日本のアメリカ文学者、神戸女学院大学・松山東雲女子大学名誉教授。 大阪府豊中市生まれ。神戸女学院高等部卒、神戸女学院大学文学部英文学科卒業、ミシガン大学大学院で文学修士、教育学博士号取得。1970年神戸女学院大学英文学科専任講師。留学のため3年ほど休職。1974年助教授、1982年教授、1999年定年退任、名誉教授、松山東雲女子大学学長。2007年退任、名誉教授。2015年春、瑞宝中綬章受勲。
小田 襄(おだ じょう、1936年6月3日 - 2004年1… 小田 襄(おだ じょう、1936年6月3日 - 2004年1月24日)は、日本の彫刻家国際的金属造形作家で、ステンレスを使った作品で知られる。紫綬褒章受章・日本美術家連盟理事長・教育者として多摩美術大学・東北工業大学において多数の後進の教育に携わった。
茂木 雅夫(もぎ まさお、1936年6月3日 - )は、 日… 茂木 雅夫(もぎ まさお、1936年6月3日 - )は、 日本文学研究者、作家。 茨城県行方市に生まれる。茨城県立麻生高等学校普通科を卒業した後に作家を志望して上京。1960年に早稲田大学文学部日本文学科を卒業。この年の4月から聖光学院中学校・高等学校の国語教諭として2000年3月まで勤務。1994年9月から2012年3月まで日本大学(大学院)芸術学部文芸科の非常勤講師を勤めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、… 田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、日本の言語学者。専門は社会言語学。モンゴル研究も行う。言語と国家の関係を研究。国際言語として日本語の漢字を批判。一橋大学名誉教授。2009年モンゴル国北極星勲章受章。著書に『言語からみた民族と国家』(1978年)、『名前と人間』(1996年)、『ことばとは何か』(2004年)など。 兵庫県養父郡八鹿町(現養父市)生まれ。兵庫県立八鹿高等学校を経て、1953年、東京都立戸山高等学校卒業。1956年11月、草創期の言語学研究会運営委員となる。1957年、東京外国語大学外国語学部第六部第二類(モンゴル語学)を卒業。同年東京外国語大学言語学研究室副手となる。
楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990… 楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。 福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で立候補。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。 1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
湯川 仁(ゆかわ まさし、旧姓:藤原、1933年6月3日 -… 湯川 仁(ゆかわ まさし、旧姓:藤原、1933年6月3日 - 1980年5月28日)は、日本の哺乳類研究家。広島県出身。 広島県比婆郡比和町(現庄原市比和地区)に生まれた。比婆郡を中心とする広島県北東部で、主に小型哺乳類の研究、特に食虫類やげっ歯類の標本収集、生活史の研究を行なった。比和自然科学博物館を基盤として行動していたが、その立場は博物館の学芸員補(1953年 - 1958年)、および比和町教育委員会職員(1958年以降)であり、実質的には在野のアマチュア研究家であった。1980年没。 死後に湯川の研究は再評価され、1997年には「第1回 野生動物の保護をめざすもぐらサミット」が比和町で開かれた。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。
髙窪 貞人(たかくぼ さだと、1932年6月3日 - )は、… 髙窪 貞人(たかくぼ さだと、1932年6月3日 - )は、日本の法学者。刑事法・英米法専攻。
西中 清(にしなか きよし、1932年6月3日 - 2016… 西中 清(にしなか きよし、1932年6月3日 - 2016年2月22日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(7期)。 大阪府池田市出身。1956年京都工芸繊維大学工芸学部卒。聖教新聞記者、公明党京都府本部事務長となり、1969年の総選挙で旧京都2区から立候補して初当選。7期務めた。衆院交通安全委員長などを歴任した。1993年に引退した。 2016年2月22日、急性呼吸不全のため死去。83歳没。 峯山昭範(参議院議員)は義弟。
和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2… 和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。本名は名の読みが「つとむ」。 ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室(現在のFIRST AGENT)と業務提携していた。 妻は衣装デザイナーのワダ・エミ(2021年没)。 三重県松阪市生まれ、鹿児島県鹿屋市出身。鐘紡勤務だった父・和田義太郎(後に鹿屋市議、鹿屋商工会議所会頭)は転勤が多く、生後半年で松阪から京都府福知山市に移り、小学校就学前に愛知県東春日井郡鷹来村(現・春日井市)(春日井市立鷹来小学校の前身にあたる鷹来尋常高等小学校)、小学校3年生時に福島県信夫郡庭坂村(現・福島市)へ引っ越し、1年半を過ごした。
原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - )は、福岡… 原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。
坂野上 明(さかのうえ あきら、1930年6月3日 - 20… 坂野上 明(さかのうえ あきら、1930年6月3日 - 2015年7月20日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 新潟県出身。1953年に東北大学経済学部を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1989年1月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1993年1月に社長に就任。1999年1月に会長に就任し、2001年1月に相談役に就任。 北海道文化放送取締役も務めた。 2015年7月20日に老衰のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 200… 菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は、日本の歌人・文芸評論家・国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学(現北海道小樽潮陵高等学校)、1953年北海道大学文学部国文学科卒業、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1957年北海道苫小牧西高等学校教諭。1959年北海道札幌西高等学校教諭、1962年旭川工業高等専門学校助教授、1969年北海道工業大学助教授。1972年同教授、1977年北海学園大学教養部教授。1993年同人文学部教授。北海学園大学教養部長や、同学生部長、同附属図書館長、同人文学部長・大学院文学研究科長を歴任。
高鳥 修(たかとり おさむ、1929年(昭和4年)6月3日 … 高鳥 修(たかとり おさむ、1929年(昭和4年)6月3日 - 2019年(令和元年)10月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員、竹下内閣の総務庁長官、宮沢改造内閣の経済企画庁長官を歴任する。派閥は佐藤栄作→田中角栄→竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎派に所属した。 1929年(昭和4年)6月3日新潟県西頸城郡能生町(現在の糸魚川市)に生まれる。7歳のとき両親と死別し、以後祖父で衆議院議員、貴族院議員を務めた高鳥順作に育てられる。旧制新潟高等学校を経て1953年(昭和28年)東京大学法学部を卒業する。1954年(昭和29年)25歳で地元、能生町長に当選する(全国最年少)。
赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 199… 赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 1995年9月23日)は、日本の医学者(小児科学)。 長野県出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和27年(1952年)旧制松本医科大学医学部卒業。同28年米国留学、同30年(1955年)信州大学助手、同38年(1963年)医学部助教授、同44年(1969年)教授、同63年(1988年)信州大学医学部附属病院長、平成元年(1989年)学長。
小田切 茂造(おだぎり しげぞう、1926年6月3日 - )… 小田切 茂造(おだぎり しげぞう、1926年6月3日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手。
坂井 豊司(さかい とよじ、1925年6月3日 - 2016… 坂井 豊司(さかい とよじ、1925年6月3日 - 2016年4月)は日本の野球選手。ポジションは内野手。
熊谷 文雄(くまがい ふみお、1925年6月3日 - 198… 熊谷 文雄(くまがい ふみお、1925年6月3日 - 1984年3月)は日本の大蔵官僚。印刷局長を務めた。 大阪府出身。第1回国家公務員六級職試験を合格。東京大学法学部政治学科卒業。1949年 大蔵省入省。主計局配属。1953年10月 粉河税務署長。1965年7月 福岡国税局総務部長。同年10月23日 大臣官房文書課広報室長。1966年12月5日 大臣官房専門調査官兼大臣官房文書課広報室長。1967年8月 経済企画庁長官官房調査官。同年8月 経済企画庁調整局財政金融課長。1969年8月 大阪国税局総務部長。1971年6月 証券局証券業務課長。1972年5月1日 証券局業務課長。同年6月 国税庁長官官房総務課長。
堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5… 堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5月29日)は日本の東洋史学者。明治大学名誉教授、東洋文庫研究員。『世界史の基本法則』の唐代担当、『均田制の研究』など西嶋定生と共に東京学派を代表する研究者として活躍し、退任後は『漢の劉邦-ものがたり漢帝国成立史』など一般向けの著書を多く出した。
上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月… 上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月3日 - 1980年(昭和55年)9月14日)は昭和期の作曲家。兄は同じく作曲家の上原げんと。 青森県つがる市出身。東洋音楽学校卒業。1945年(昭和20年)、召集され満州へ出征。シベリア抑留を経験し、帰国後、兄上原げんとのもとで作曲を学ぶ。後に作曲家になる船村徹と知り合い、共にバンドの仕事をするなどして、1953年(昭和28年)テイチクレコードの専属作曲家になる。主に石原裕次郎とコンビを組み、「俺は待ってるぜ」、「錆びたナイフ」、「赤いハンカチ」などを作曲した。1980年(昭和55年)9月14日心臓疾患にて死去。56歳没。墓所は東京都の小平霊園。
前田 真三(まえだ しんぞう、1922年6月3日 - 199… 前田 真三(まえだ しんぞう、1922年6月3日 - 1998年11月21日)は、日本の写真家。上高地、奥三河、富良野(北海道美瑛町・上富良野町)などにおいて風景写真や山岳写真を多数撮影し、「色彩の魔術師」と呼ばれた。 長男は写真家の前田晃で、父親が設立した写真事務所「丹渓」を継いでいる。 前田真三が写真活動のために1967年(昭和42年)に設立した会社の社名「丹渓」は、前田真三と南アルプスにある「丹渓山荘」(長野県伊那市)との親交から付けられたとされる。この社名から、前田真三の作風を「丹渓調」と呼ぶことがある。「風景写真は出合いの瞬間が大切」を持論としている。風景を撮影する際に、とかく一カ所に留まって天候や光線の状態が良くなる時を待ちながらシャッターチャンスをうかがうという消極的な姿勢になりがちなことに対し、前田真三の場合は、風景に出合った瞬間に手際よく写してゆくという、積極的に風景を求めてゆく姿勢で取り組んでいる。
小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966… 小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966年10月27日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学国文科入学。学徒出陣で伊豆大島で陸軍少尉。1948年、東京大学国文科卒。養徳社勤務を経て、1952年、学習院教授。1956年に東京大学国語国文学会賞受賞(久松賞)を受賞。1956年、共立女子大学短期大学部助教授。1960年、学習院大学助教授。1964年、教授。貞門俳諧を専門とした。44歳で死去。
高木督夫(たかぎ ただお、1922年6月3日 - 2012年… 高木督夫(たかぎ ただお、1922年6月3日 - 2012年12月8日)は、日本の経営学者。法政大学名誉教授。労働問題が専門。 大阪市出身。1946年東京帝国大学経済学部卒。労働科学研究所研究員、理事、法政大学工学部助教授、教授を務め、1993年定年となり名誉教授、立命館大学教授を務めた。労働者教育協会理事。
工藤 綏夫(くどう やすお、1921年6月3日 - 2015… 工藤 綏夫(くどう やすお、1921年6月3日 - 2015年1月17日)は、日本の倫理学者。秋田大学名誉教授。 秋田県生まれ。1946年東京文理科大学哲学科倫理学専攻卒、秋田大学教育学部助教授、教授、1985年定年退官、名誉教授、日本赤十字看護大学教授。 1995年勲二等瑞宝章叙勲。 2015年1月17日、老衰のため死去。93歳歿。没後に正四位に叙された 。
笠原 和夫(かさはら かずお、1920年6月3日 - 199… 笠原 和夫(かさはら かずお、1920年6月3日 - 1998年4月10日)は、大阪府出身のプロ野球選手(外野手)・監督。
松井 源吾(まつい げんご、1920年6月3日 - 1996… 松井 源吾(まつい げんご、1920年6月3日 - 1996年1月11日)は、日本の構造家。早稲田大学建築学科で長く教鞭をとりながら、菊竹清訓や黒川紀章など著名な建築家と数多くの建築を生み出してきた構造設計者の一人である。学外では、構造設計事務所ORS事務所を創設し、設計活動を展開した。また、現場打ち中空ボイドスラブ工法など、研究開発した工法も多数。早稲田大学退官後は、構造設計の賞として松井源吾賞を創設。構造エンジニア、構造設計者らの育成と地位の向上にも力を注いでいた。 代表作に、菊竹清訓や黒川紀章など一連の建築作品における構造設計、早稲田大学理工学部51号館(1967年)、中銀カプセルタワービル(1972年)、BIGBOX高田馬場(1973年)、世田谷美術館(1985年)、坂茂の紙の家(1995年)の構造設計など多数。
林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 19… 林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 1999年11月3日)は、日本の洋画家。千葉県野田市出身。 生まれ育った千葉の故郷等を主題に、様々な風景画、主に民家を描く事で知られる。 1919年、千葉県野田市に生まれる。 1946年にシベリア抑留を経験し、敗戦後、日本に戻り画家を志すようになる。 齢50を過ぎてから画家デビューするという異色の経歴を有しており、数多くの古民家を描き続けてきた事で知られる。 全国の民家を訪ね歩く事により、日本固有の藁葺文化を世界に伝え浸透させるために活動する。 数ある作品の中でも、山梨県忍野村風景が大多数を占めており、優美性と写実性に富んだ独特の技法が絶大な人気を呼び起こした。
奥田 直榮(おくだ なおしげ、 1918年6月3日 – 19… 奥田 直榮(おくだ なおしげ、 1918年6月3日 – 1988年10月20日)は、日本の考古学者。 子爵奥田直久の長男として生まれる。1931年、 学習院初等科を卒業し、東京高等学校に進学。山内清男らから考古学を学ぶようになる。満洲帝国国務院大陸科学院ハルビン分院に勤務。戦後は、根津美術館に勤務しつつ、学習院大学輔仁会史学部で後進の指導に当たる。1957年に江ヶ崎城跡の発掘調査に携わったことをきっかけに、中世考古学、城郭史研究を主とした研究テーマにするようになる。
渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 … 渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、指導者。拓殖大学レスリング部創設者。 広島県高田郡向原町(現安芸高田市)出身。拓殖大学在学中の1938年、レスリング部を同好会として創部。1940年、同レスリング部は正式に部に昇格した。戦後は郷里・向原中学教諭に奉職。自ら現役選手として毎年国体の広島県チームの一員として活躍。また向原中学を始め、教え子たちが創部した広島県立向原高校や広島県立白木高校などを指導した。特に向原高校レスリング部は戦後の広島高校レスリングをリード、他校にレスリング部創設を促した。グレコローマン・ライトヘビー級で1964年東京オリンピックに出場した中浦章らが教え子。
青園 謙三郎(あおぞの けんざぶろう、1917年〈大正8年〉… 青園 謙三郎(あおぞの けんざぶろう、1917年〈大正8年〉6月3日 - 1993年〈平成5〉3月2日)は、福井県の郷土史研究家、実業家。位階は従五位。身をマスコミ業界に置きながら、生涯にわたり郷土の歴史を研究した。郷土史に関する著作が多くある。 1963年(昭和38年)4月、個人蔵の紙本著色柴田勝家像を発見した。 特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡の保存には、金沢大学法文学部教授・井上悦夫の奔走と福井県教育委員会の迅速な対応があったが、その際、青園も関係していた。すなわち1970年(昭和45年)8月18日、井上が農業構造改造事業の工事で遺構が破壊されていることを発見し、その夜当時福井テレビ副社長であった青園を通じて、須知邦武副知事に工事中止を申し入れたのである。
野村 晋一(のむら しんいち、1916年6月3日 - 199… 野村 晋一(のむら しんいち、1916年6月3日 - 1991年11月10日)は、日本の獣医、競馬評論家。 福島県白河市出身。1941年東京帝国大学農学部獣医学科卒。農林省日高種馬牧場嘱託。 1956年「馬の肘関節及び肘関節の機構学的研究」で東京大学農学博士。東大農学部助教授、1966年教授、1977年定年退官、名誉教授。 1971年日本農学賞、読売農学賞受賞。1989年勲三等瑞宝章受章。
一色 孝(いっしき たかし、1915年6月3日 - 1958… 一色 孝(いっしき たかし、1915年6月3日 - 1958年4月15日)は、日本の薬学者(薬学博士〈東京大学)。 1957年に新設された東北大学医学部薬学科の初代教授として赴任し、学科のカリキュラム立案、学科の教室や研究室の新設・改設などに従事した。一年後の名古屋の学会に出席中、研究室火災の報を受け、急遽、仙台に戻る夜行列車途中の伊達駅付近で急逝した。 東京帝国大学薬学科の朝比奈泰彦研究室で石館守三助教授の指導のもとで薬学研究をスタートし、石館守三教授の新設講座設立(薬品分析化学講座)に伴い、副手、助手、助教授として研究を行った。 1943年の秋頃、古河町の実家に疎開し以後古河から通勤したが戦時中でありしばしば研究を中断せざるを得なかった。
松本 正(まつもと ただし、1915年6月3日 - 2005… 松本 正(まつもと ただし、1915年6月3日 - 2005年11月13日)は、日本の工学者。北海道大学名誉教授。北海道工業大学元学長。北海道伊達市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
金 沃周(キム・オクチュ、朝鮮語: 김옥주、1915年6月3… 金 沃周(キム・オクチュ、朝鮮語: 김옥주、1915年6月3日 - 1980年9月12日)は、日本統治時代の朝鮮の労働運動家、独立運動家、大韓民国の教員、政治家。制憲韓国国会議員。 元国会議員の金善周(朝鮮語版)は兄。 全羅南道光陽郡津上面出身。光陽公立普通学校(現・光陽西初等学校(朝鮮語版))、ソウル養正高等普通学校、早稲田大学法科卒。朝鮮化学工業株式会社に入社したが、朝鮮人の労働者待遇改善を求めた運動および反日思想事件に関与したため、10ヶ月間投獄された。解放後は光陽津上国民学校教員、無所属の制憲国会議員、大韓民国憲法・政府組織法起草委員を務めた。国会議員在任中の1949年に国会フラクチ事件の連座により懲役6年を言い渡された。
泉 靖一(いずみ せいいち、1915年6月3日 - 1970… 泉 靖一(いずみ せいいち、1915年6月3日 - 1970年11月15日)は、日本の文化人類学者。東京大学東洋文化研究所教授。専門は文化人類学。 1915年、東京府雑司ヶ谷で政治経済学者の父・泉哲、母・ハツヨの長男として出生。本籍地は北海道夕張郡角田村(栗山町の前身)。東京市青柳尋常小学校に入学したが、4年次に豊島師範学校付属小学校に転入。6年次の時に朝鮮半島に渡り、京城府公立東大門尋常小学校に転入。京城公立中学校、京城帝国大学予科を経て、京城帝国大学法文学部に進学。当初は文学科所属であったが、のち哲学科に転科し、卒業。 卒業後は、京城帝国大学法文学部助手に採用された。その後、同大学理工学部助手兼書記、同大学学生主事補、同大学大陸資源科学研究所嘱託を務めた。
鬼 俊英(おに としひで、1914年〈大正3年〉6月3日 -… 鬼 俊英(おに としひで、1914年〈大正3年〉6月3日 - 1946年〈昭和21年〉)は昭和期の歌手。 福岡県山門郡山川村立山(現在のみやま市山川町立山)出身。神奈川県立湘南中学校を経て立教大学経済学部卒業。在学中は水泳選手としても活躍した。1939年(昭和14年)10月1日にテイチクから歌手デビュー。テイチクレコード盤の「空の勇士」、興亜行進曲など戦時歌謡中心に吹き込む。1941年にはキングレコードへ移籍。終戦後の1946年(昭和21年)、闇市に出回っていた航空機用のメチルアルコールを飲用し急逝。 妻は同じく昭和期の歌手である生島清美。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
朴 良載(パク・ヤンジェ、朝鮮語: 박양재、1913年6月3… 朴 良載(パク・ヤンジェ、朝鮮語: 박양재、1913年6月3日 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 全北完州出身。明治大学法学科卒。金融組合理事を務めた。1950年の第2代総選挙に完州郡甲選挙区から無所属で出馬し当選した。その後は自由党に入党した。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
亀井 孝(かめい たかし、1912年6月3日 - 1995年… 亀井 孝(かめい たかし、1912年6月3日 - 1995年1月7日)は、日本の国語学者、言語学者。一橋大学名誉教授。 東京府生まれ。ユーラシア史学者・亀井高孝の長男。哲学者・亀井裕は弟 慶應義塾幼稚舎、武蔵高等学校 (旧制)を経て、1935年東京帝国大学文学部卒業。1938年同大学大学院を中退し、同大助手に就任。東京商科大学(のちの一橋大学)予科非常勤講師、同教授を経て、戦後、一橋大学助教授を経て教授。1977年定年退官し、名誉教授になる。成城大学教授、1984年に東洋文庫研究員となる。 「国語学よ、死して生れよ」をテーゼとし、方法論それ自体に対する手厳しい批判精神に満ちていた。いわば「学問の在り方を問う立場の飽くなき提示」という知的運動こそが、亀井の学問の真骨頂であった。
板倉 譲治(いたくら じょうじ、明治45年(1912年)6月… 板倉 譲治(いたくら じょうじ、明治45年(1912年)6月3日 - 平成9年(1997年)4月8日)は、日本の財界人。三井銀行取締役社長、全国銀行協会連合会会長等を歴任。父親は貴族院勅選議員の板倉卓造。東京出身。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 19… 落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 1939年12月30日)は、日本の陸上競技選手。 現在の島根県安来市広瀬町生まれ。浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商中学校・高等学校)卒業、明治大学に進む。 1932年の日本陸上競技選手権大会の男子ハンマー投で優勝。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し、男子ハンマー投げで12位。ロス五輪で同じくハンマー投げ代表選手の長尾雄治も明治大学の学生で、古山一郎とともに「明大のハンマートリオ」と呼ばれていたという 明治大学卒業後は、名古屋市で運動公園管理者として働く。1938年9月、松江の歩兵第63連隊に入隊。日中戦争が勃発すると第110師団衛生隊陸軍上等兵として北支へ出征。