平田 辰一郎(ひらた しんいちろう、1940年8月4日 - … 平田 辰一郎(ひらた しんいちろう、1940年8月4日 - )は、日本の政治家、通産官僚。元衆議院議員(1期)。薬丸自顕流顕彰会顧問 鹿児島県鹿児島市出身。東京教育大学附属駒場高等学校卒業。1965年、東京大学工学部卒業。通商産業省に入省。 1981年4月18日、敦賀原子力発電所1号機内の一般排水路から放射性物質漏えい事故が発生。日本原子力発電株式会社による「事故隠し」が社会問題になるが、このとき平田は原子力発電運転管理課長として事故に対処した。資源エネルギー庁技術課長、新産業技術研究所長などを歴任。日本の原発推進におけるキーマンであったと言われる。 1986年7月の第38回衆議院議員総選挙の旧鹿児島1区に無所属で立候補し落選。
中村 寿文(中村 壽文、なかむら としふみ、1939年8月4… 中村 寿文(中村 壽文、なかむら としふみ、1939年8月4日 - 2024年12月1日)は、日本の政治家。元青森県議会議員(7期)、元八戸市長(1期)。 父は衆議院議員で八戸市長を務めた中村拓道。青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。東北電力、衆議院議員船田中秘書を務める。父の死後、1976年・1979年・1980年の衆議院選挙に立候補するが落選。1976年は七日会保守系無所属候補、1979年は新自由クラブ公認候補、1980年は西岡武夫の保守刷新会議系候補だった。 1983年の青森県議会議員選挙で八戸市から無所属で立候補し、トップ当選。以後5期青森県議を務める(そのうち4期はトップ当選)。
茂出木 雅章(もでぎ まさあき、1939年(昭和14年)8月… 茂出木 雅章(もでぎ まさあき、1939年(昭和14年)8月4日 - )は、日本の料理人。東京都出身。慶應義塾大学法学部卒業。 現在も続く東京・日本橋にある西洋料理の老舗・たいめいけんの現社長である。 1939年にたいめいけんを営む茂出木心護の長男として生まれる。子どものころから親の料理にふれ、大学卒業後は本格的に料理人の道を歩むことに。 1967年には三代目になる長男の茂出木浩司が誕生。 1978年にたいめいけんの創業者・茂出木心護が亡くなると、二代目オーナーとなり現在に至っている。料理に関する講演や著作も多い。 1960年から続いている「お料理110番」も父親から引き継いで、行っている。 また現在では「日本の凧の会」の会長も父親から引き継いで務めている。
西原 正(にしはら まさし、1937年8月4日 - )は、日… 西原 正(にしはら まさし、1937年8月4日 - )は、日本の国際政治学者。財団法人平和・安全保障研究所理事長。国際安全保障学会会長。防衛大学校名誉教授。専門は、国際政治学。大阪府出身。
辻 三太郎(つじ さんたろう、1937年8月4日 - )は、… 辻 三太郎(つじ さんたろう、1937年8月4日 - )は、日本の俳優、声優、お笑いタレント。本名、辻 茂。旧芸名は辻しげる、辻シゲル。東京都出身。
松山 和夫(まつやま かずお、1937年8月4日- )は、… 松山 和夫(まつやま かずお、1937年8月4日- )は、日本の経営者。B-Rサーティーワンアイスクリーム社長、会長を務めた。 青森県出身。1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に明治乳業に入社した。 1984年にハインツジャパン副社長に就任し、1987年にボーデンインターナショナルインク社長、1990年にボーデンジャパン社長を経て、1994年9月にB-Rサーティーワンアイスクリーム顧問に就任し、1995年3月には社長に昇格。2008年1月から2020年3月までに会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日… 小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日本の被爆体験証言者、通訳。平和のためのヒロシマ通訳者グループ代表。 被爆体験を英語で証言できる数少ない被爆者として年間およそ2,000人に自らの体験を伝え続けている。夫は小倉馨(広島平和記念資料館第3代館長)。 広島市生まれ。 1945年8月6日、8才の時に爆心地より2.4キロの広島市牛田町で被爆。1959年、広島女学院大学英文学部卒業。 1962年、広島市役所勤務の小倉馨(米国生まれで17歳年上)と結婚。 1979年8月、夫の小倉馨が平和宣言を書いている途中で、くも膜下出血で亡くなる(妻・桂子が42歳、長男が12歳、長女が15歳の時)。
石塚 克彦(いしづか かつひこ、1937年8月4日 - 20… 石塚 克彦(いしづか かつひこ、1937年8月4日 - 2015年10月27日)は、日本の舞台演出家。本名同じ。画号は「烏山(うざん)」。武蔵野美術学校洋画科卒。日本劇作家協会会員。 古美術研究で奈良に遊学後、平城京発掘に参加。シナリオライター山形雄策に師事。劇団新制作座、統一劇場を経て、1983年、劇団ふるさときゃらばんを創立。脚本・演出・美術プランナーとして、第1作ミュージカル『親父と嫁さん』を上演、文化庁芸術祭賞を受賞。1987年、第3回日本舞台芸術家組合賞を受賞。 1991年、日米合作ミュージカルのメインライターとして「LABOR OF LOVE」を上演、日米両国ツアー、バルセロナオリンピック芸術祭に招聴される。
北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 202… 北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 2024年2月22日)は、日本の国語学者・言語学者。位階は従三位。学位は文学博士(筑波大学・1981年)(学位論文「日本語助動詞の研究」)。筑波大学名誉教授・元学長。新潟産業大学名誉学長。独立行政法人日本学生支援機構元理事長、文化審議会委員(国語分科会会長)。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校、1960年、東京教育大学卒業。1968年、同大学大学院文学研究科国語学博士課程中退。東京都公立学校教員、和光大学講師、助教授を経て、1974年に筑波大学文芸・言語系助教授。1981年「日本語助動詞の研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。1984年に同大学教授に就任。
北小路 敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 20… 北小路 敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 2010年11月13日)は、日本の左翼政治活動家、元中核派最高幹部。 1936年生まれ。父親は京都市立中学校の国語科の教師、京都旭丘中学事件の際の教頭で、その後京都府議会議員を務めた北小路昂。 1954年、日本共産党に入党。1956年、京都市立紫野高等学校卒業、京都大学経済学部入学。1958年9月、共産党を離党。 1960年の安保闘争では、全学連の指導者として知られる(樺美智子が死亡した6・15国会突入デモの最高指揮者。副委員長加藤昇、都学連副委員長西部邁が補佐。)。当時は共産主義者同盟(ブント)に所属していた。1962年京都大学経済学部卒業。
真野 清以志(まの せいし、1936年8月4日 - 2018… 真野 清以志(まの せいし、1936年8月4日 - 2018年1月1日)は、日本の経営者。上新電機社長を務めた。大阪府堺市出身。 1959年に大阪大学法学部を卒業し、同年に南海電気鉄道に入社。1962年4月に大阪ナショナル電化製品販売に転じ、1965年4月に大阪ナショナル中央販売社長を経て、1974年2月から1986年3月までに大阪ナショナル商事社長を務めた。1986年5月から1991年1月までに上新電機社長を務めた。 2018年1月1日肺炎のために死去。81歳没。
金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同… 金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同時通訳の先駆者、国際適応学・異文化社会学の提唱者、多くの企業での国際適応訓練の指導者、文明評論家、元東洋学園大学人文・経営両学部教授。 金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ☆上記以外の英文著作 ※金山宣夫公式ホームページより記載 'Corporate Dynamuseum', in Shushoku Janaru, August 〜November 1979,May〜June 1980, Nihon Rikuruto Senta ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 アジア・オセアニア編(基本的な注意点の指摘、担当部分5頁/236頁)、アメリカ・カナダ編(基本的な注意点の指摘、担当部分15頁/218頁)、1974〜75年、日本航空(ダイヤモンド社編) ※金山宣夫公式ホームページより記載 (連載分だけを記し、別記ないものは月刊) ※金山宣夫公式ホームページより記載 アンケートやインタビューによる国際調査(+印はその他の方法による近年の調査) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 (*印は5回以上訪問) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 金山宣夫公式ホームページより記載
高野 紀子(たかの のりこ、1936年 (昭和11年) 8月… 高野 紀子(たかの のりこ、1936年 (昭和11年) 8月4日 - )は、日本の音楽学者、国立音楽大学名誉教授、元学長。 満州国時代に日本の租借地であった関東州の大連市に生まれる。東京芸術大学音楽学部楽理科を卒業し、さらに同大学専攻科を修了後、ドイツ政府留学生としてチュービンゲン大学に留学した。 中世ルネッサンス音楽ないし初期バロック音楽の声楽作品の演奏研究を専門として、永く国立音楽大学音楽研究所に所属し、古楽器を用いた初期のオペラ作品の復元演奏に取り組んだ。 1970年代から国立音楽大学が継続的に取り組む歌唱法研究において、科学研究費助成事業の代表を務める。その成果は1989年に、フランチェスカ・カッチーニ作品のオペラ『ルッジェーロの救出(イタリア語版、英語版)』(La liberazione di Ruggiero)と、クラウディオ・モンテヴェルディ作品のオペラ『オルフェオ 』(L'Orfeo)の古楽器を用いた演奏会形式による復元上演を企画・構成し、同年『ルッジェーロの救出』の復元演奏を収めたCDが発表された際には、その監修に当たった。
佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、… 佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、将棋棋士、九段。2002年、引退。坂口允彦九段門下。棋士番号は79。鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。 5歳の頃、将棋を趣味としていた兄の影響を受けて将棋を覚える。 1952年に奨励会入会。1959年前期の予備クラスにおいて関東優勝をし、東西決戦で関西の星田啓三六段に勝ち、1959年10月1日付けで四段昇段(プロ入り)。 順位戦では、初参加から2期目の第16期(1961年度)C級2組で10勝2敗・1位となり初昇級。1年置いて、第18期(1963年度)C級1組順位戦で8勝3敗・2位の成績でB級2組に昇級。 1962年、第6回古豪新鋭戦で米長邦雄(三段)に勝ち決勝進出するが、大内延介(三段)に敗れて準優勝。
藤本 大三郎(ふじもと だいさぶろう、1935年8月4日 -… 藤本 大三郎(ふじもと だいさぶろう、1935年8月4日 - )は、日本の生化学者、作家、東京農工大学名誉教授。 東京生まれ。1959年東京大学理学部化学科卒業、1961年同大学院博士課程修了、理学博士。東京医科歯科大学医学部助手、東大医学部助手、1968年東北大学理学部助教授、1974年浜松医科大学医学部教授、1986年東京農工大学農学部教授。1999年定年退官、名誉教授、東亜大学教授。2016年瑞宝中綬章受勲。 コラーゲンの権威とも言われ、生化学と老化について研究したほか、小説も書いた。
井上 達也(いのうえ たつや、1935年8月4日 - 200… 井上 達也(いのうえ たつや、1935年8月4日 - 2006年2月15日)は、日本の経営者。京都信用金庫理事長を務めた。 京都府京都市出身。1956年に同志社大学法学部を卒業し、同年に京都信用金庫に入社。1975年に理事に就任し、1977年に常務、1984年に専務を経て、1986年7月に副理事長に就任し、1989年1月には理事長に昇格。2004年6月に会長に就任。 2006年2月15日に肺炎のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内山 龍一郎(うちやま りゅういちろう、1934年〈昭和9年… 内山 龍一郎(うちやま りゅういちろう、1934年〈昭和9年〉8月4日 - )とは、元NHKアナウンサー。東京都出身。
岩田 龍子(いわた りゅうし、1934年8月4日- )は、日… 岩田 龍子(いわた りゅうし、1934年8月4日- )は、日本の経済学者。 愛知県江南市出身。1959年東京大学経済学部卒、69年同大学院博士課程満期退学。ジョンズ・ホプキンス大学で修士号、イリノイ大学に学ぶ。1966年東大助手、71年イリノイ大学助手、1972年武蔵大学経済学部助教授、74年教授。国際大学教授、九州大学教授、日本福祉大学教授を務めた。77年『日本的経営の編成原理』で日経・経済図書文化賞受賞。妻は岩田 (沈) 奇志・熊本大学准教授。
宮崎 尚志(みやざき なおし、1934年8月4日 - 200… 宮崎 尚志(みやざき なおし、1934年8月4日 - 2003年5月2日)は、日本の作曲家。東京府出身。多摩美術大学客員教授。 映画、ドラマ、CMなどの音楽や、歌謡曲、校歌、社歌、聖歌など幅広いジャンルの作曲、編曲を手掛けた。生涯に作曲した作品は1万曲を超えており、1日に60曲以上作ったこともあったという。大林宣彦監督の映画に自主制作時代から携わり続けたことや、広島東洋カープ応援歌「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(作詞・有馬三恵子)を作曲したことで知られる。CM音楽の分野においては、コカ・コーラの初代CMソングなど、作曲した曲がたびたびACC・CMフェスティバルの受賞対象となった。2006年に放映されたコカ・コーラTVCMにも、40年以上前に宮崎が作曲したメロディが使われている。
前山 隆(まえやま たかし、1933年8月4日 - 2024… 前山 隆(まえやま たかし、1933年8月4日 - 2024年12月9日)は、日本の文化人類学者。 岩手県出身(北海道生まれ)。岩手県立福岡高等学校卒。1960年静岡大学文理学部哲学専攻卒。1961-1962年ブラジル・サンパウロ大学人類学留学生。1967年サンパウロ社会学政治学院社会科学修士。1975年コーネル大学人類学博士。76年サンパウロ州立大学講師、助教授(文化人類学)。1977年信州大学人文学部助教授(比較文化論)。1980年筑波大学歴史人類学系助教授。1985年静岡大学人文学部教授。1997年定年退官、阪南大学国際コミュニケーション学部教授。2004年退職。 ブラジル移民について研究した。
青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 202… 青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 2022年5月10日)は、日本の詩人。本名は春美。 兵庫県出身。兵庫県立西宮高等学校卒業、関西学院大学文学部を経て、大阪文学学校に学ぶ。小野十三郎に師事し、1974年、第13回現代詩手帖賞を受賞。1982年、『鯨のアタマが立っていた』で第32回H氏賞を受賞。1988年、第12回井植文化賞を受賞。奈良市在住。関西詩人協会会員。「PO (雑誌)」「歴程」「たうろす」同人。 2022年5月10日午後0時28分、誤えんによる窒息のため奈良市で死去。88歳没。
小菅 桂子(こすげ けいこ、1933年8月4日 - 2005… 小菅 桂子(こすげ けいこ、1933年8月4日 - 2005年8月10日)は、日本の食文化研究家。専門は食文化史。 東京都出身。昭和女子大学短期大学部国文学科卒業後、國學院大學文学部史学科編入、同学科卒業。毎日映画社製作部に入社。のちに退社し、杉野女子大学博物館非常勤講師、別府大学短期大学部生活科教授、くらしき作陽大学食文化学部教授、國學院大學日本文化研究所共同研究員、昭和女子大学近代文化研究所研究員をつとめた。 2005年、慢性呼吸不全のため死去。72歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
相原 康彦(あいはら やすひこ、1933年(昭和8年)8月4… 相原 康彦(あいはら やすひこ、1933年(昭和8年)8月4日 - 2020年(令和2年)11月10日)は、日本の工学者。位階は従四位。 工学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、航空工学の権威として知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
林 淳司(はやし じゅんじ、1933年8月4日 - 2000… 林 淳司(はやし じゅんじ、1933年8月4日 - 2000年3月21日)は運輸官僚。元運輸事務次官、元川崎重工業副会長。鳥取県出身。 1957年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、同年に運輸省入省。1979年、大臣官房文書課長。1987年4月、大臣官房国有鉄道改革推進総括審議官。同年10月、航空局長。1989年6月、運輸事務次官。2000年3月21日、呼吸不全のため慶應義塾大学病院で死去。66歳没。
六代目 澤村田之助(ろくだいめ さわむら たのすけ、新字体:… 六代目 澤村田之助(ろくだいめ さわむら たのすけ、新字体:沢村、1932年(昭和7年)8月4日 - )は歌舞伎役者。屋号は紀伊國屋、定紋は釻菊、替紋は波に千鳥。舞踊の名取名は藤間 勘之(ふじま かんじ)。本名は山中 宗雄(やまなか むねお)。人間国宝。
池田 忠雄(いけだ ただお、1932年(昭和7年)8月4日 … 池田 忠雄(いけだ ただお、1932年(昭和7年)8月4日 - 2016年(平成28年)2月21日)は、日本の元政治家。大阪府和泉市の市議会議員(1963年 - 1975年)、市長(第6 - 10代、1975年 - 1995年)を歴任した。位階は従四位。勲三等瑞宝章。
寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(… 寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(昭和6年)8月4日 - 1992年(平成4年)9月24日)は、日本の漫画家。新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)生まれ、同県新発田市育ち。男性。新漫画党総裁。愛称は「テラ(寺)さん」。 伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で、特に藤子不二雄Ⓐの自伝的漫画『まんが道』で、頼もしくて理想的な先輩として描かれた。妻は作曲家・中村八大の実妹。 父親は軍人で、5人兄弟の3男だった。新潟県立新発田高等学校時代に野球部に所属する。同時期に少年漫画雑誌『漫画少年』と出会い、漫画投稿を始める。卒業後は知人の紹介で地元警察の事務職へ就職するが、電電公社(現:NTT)の電報電話局に転職。
石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 200… 石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手、コーチ、政治家。
葉貫 磨哉(はぬき まさい、1931年8月4日 - 2000… 葉貫 磨哉(はぬき まさい、1931年8月4日 - 2000年11月2日)は、日本の歴史学者、博士。駒澤大学教授、板橋区史編纂委員・調査会古代・中世部会長などを歴任。福島県出身。 安達郡本宮町(現:本宮市)坊屋敷の石雲寺で、葉貫勇山とタケの次男(男2人女2人の4人兄弟の3番目)として誕生。福島県立安達高等学校(ラグビー部に所属)、1955年に駒澤大学文学部地理歴史学科卒業。恩師に岩井大慧、丸山二郎、藤井秀雄。「駒澤大学史学会」設立に尽力。1956年9月、駒澤大学文学部助手。1957年4月、同講師兼助手。1958年、日本仏教史研究会発起人の一人として尽力。1960年4月、法政大学大学院日本史学専攻修士課程(夜学)に入学。
竹前 栄治(たけまえ えいじ、1930年8月4日 - 201… 竹前 栄治(たけまえ えいじ、1930年8月4日 - 2015年7月14日)は、日本の政治学者、占領史研究家。学位は、法学博士。東京経済大学名誉教授。 長野県須坂市出身。1951年長野県須坂西高等学校卒業、1955年東京教育大学文学部社会科学科法律政治学専攻を卒業し、世田谷区立尾山台中学校教諭に赴任。1958年から東京都立工業短期大学附属工業高等学校(現東京都立工業高等専門学校)教諭、1962年東京都立工業高等専門学校教諭。1963年旧・東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。1964年東京都立工業高等専門学校助教授、1968年東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻博士課程単位取得満期退学。
川崎 恭治(かわさき きょうじ、1930年8月4日 - 20… 川崎 恭治(かわさき きょうじ、1930年8月4日 - 2021年11月12日)は、日本の物理学者。九州大学名誉教授。専門は化学物理学、統計力学。
正木 馨(まさき かおる、1930年8月4日 - )は、日本… 正木 馨(まさき かおる、1930年8月4日 - )は、日本の厚生官僚。社会保険庁長官などを務めた。広島県出身。 2007年6月1日の衆議院内閣委員会で、民主党の細野豪志議員が天下りに関して質問を行った。この中で、元社会保険庁長官の正木馨氏の天下りによる報酬と退職金が、合計で2億9000万円以上に上ることが明らかにされた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
傳田 功(でんだ いさお、1928年8月4日 -2011年)… 傳田 功(でんだ いさお、1928年8月4日 -2011年)は、日本の農学者。滋賀大学名誉教授・京都学園大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 長野県生まれ。1953年、旧制京都大学農学部農林経済学科卒。大学院研究奨学生。1956年、農学部助手。1960年、講師。1965年、滋賀大学農学部助教授。1966年、「近代日本農業思想史研究」で京都大学より農学博士の学位を取得。1971年7月、教授。1993年、定年退官、滋賀大学名誉教授、京都学園大学経済学部教授。1996年、学長。2002年、定年。2007年、瑞宝中綬章受賞。
大坪 稔(おおつぼ みのる、1927年(昭和2年)8月4日 … 大坪 稔(おおつぼ みのる、1927年(昭和2年)8月4日 - 1995年(平成7年)7月8日)は、日本の民法学者。鹿児島大学名誉教授、西日本短期大学学長。専門は財産法。 1927年(昭和2年)8月4日、福岡県八女市に生まれる。1953年(昭和28年)に法政大学法学部法律学科を卒業し、1955年(昭和30年)に同大学大学院社会科学研究科(私法学専攻)を修了する。 1957年(昭和32年)に西日本短期大学専任講師、1964年(昭和39年)に九州産業大学商学部助教授を経て、1967年(昭和42年)に同教授。1974年(昭和49年)に北九州大学法学部に転任し、1982年(昭和57年)に鹿児島大学法文学部に転任する。
天田 昭次 (あまた あきつぐ、1927年8月4日 - 20… 天田 昭次 (あまた あきつぐ、1927年8月4日 - 2013年6月26日) は、日本の刀工。人間国宝に認定されている。 本名は誠一。同じく刀工である天田貞吉の長男。新潟県北蒲原郡本田村(現・新発田市)生まれ。1940年に、「日本刀鍛錬伝習所」に入門。「新作名刀展」で正宗賞を3回受賞。「伊勢神宮式年遷宮神宝太刀」を制作。1990年に全日本刀匠会理事長。1997年に日本刀で人間国宝の認定を受ける。山城伝、相州伝、備前伝など様々な作風で知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
栗山 仙之助(くりやま せんのすけ、1925年8月4日 - … 栗山 仙之助(くりやま せんのすけ、1925年8月4日 - )は、日本の経営工学・経営学者。大阪工業大学名誉教授・第3代工経会会長、青藍会初代会長・名誉会長。工学博士(大阪大学)・経営学博士(大阪市立大学)。元摂南大学学長。日本学術会議経営情報研究連絡委員会1996委員長・第18期情報技術革新と経済・社会特別委員会元委員。日本経営工学会(JIMA)第21期会長・名誉会員。日本情報経営学会(JSIM)元副会長・名誉会員。国際経営工学会連合名誉理事。経営行動学会理事。日本データプロセシング協会常任理事。日本セキュリティマネジメント学会副会長。瑞宝中綬章受章。 専門は、経営工学・経営情報学、経営学・経営管理、技術経営(MOT)・技術マネジメント(特にSIS、CIM・MRP、OA、FA)、社会システム工学、経済工学・マーケティング科学。
江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 200… 江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 2004年7月26日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 佐賀市生まれ。東亜同文書院大学第44期生、京都大学文学部東洋史学科卒。毎日新聞社に入り、北京支局長となるが文化大革命に際し国外追放となる。受難の書「燕山夜話」紹介解説で1966年菊池寛賞受賞、1968年米中関係全国委員会の招請で渡米報告、1979年論説委員で退社、日本大学商学部教授を務め、95年退職。上海師範大学客員教授。
近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 … 近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 - 1992年4月28日)は、日本の俳優。埼玉県川越市出身。 日本大学専門部芸術科(現・藝術学部)卒業。1944年に東宝に入社。1953年に東宝を退社しフリーランスとなる。1955年に日活に入社。その後はシナリオ文芸協会に所属していた。アクション映画を中心に主に悪役で活躍。 1960年代後半からはテレビドラマにも本格的に進出し、バイプレイヤーとして様々な役柄を演じた。 1992年4月28日午後4時10分、急性心肺機能不全のため、東京医科大学病院にて死去。66歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019… 天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019年3月23日)は、日本の経営者。静岡県出身。 1947年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1977年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に顧問に就任した。その一方で、1985年3月に愛知製鋼社長に就任し、1993年3月に会長を経て、1996年6月から相談役を務めた。愛知県バスケットボール協会会長なども歴任。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2019年3月23日老衰のために死去。94歳没。
瀧澤 三郎(たきざわ さぶろう、1923年8月4日 - 20… 瀧澤 三郎(たきざわ さぶろう、1923年8月4日 - 2004年6月9日)は、日本の経営者。東京都出身 1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋紡績に入社。1976年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年12月には副社長に就任した。1985年5月に社長に昇格した。病で倒れた茶谷周次郎の後任として就任し、繊維分野の高付加価値化を進め、フィルムやエンプラなどの非繊維分野の拡充にも力を入れた。1992年6月に会長に就任した。 日本繊維産業連盟会長、日本化学繊維協会会長、関西経済連合会副会長なども歴任した 1989年11月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010… 石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010年7月17日)は、日本のシャンソン歌手、エッセイスト、実業家(芸能プロモーター)。日本シャンソン界の草分けであり、半世紀以上に亘り牽引し続けた業界の代表・中心人物として知られている。日本シャンソン協会初代会長。東京都出身。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業、東京音楽学校声楽専科卒業。 政治家・石井光次郎の次女として生まれ、母の勧めにより6歳からピアノを習う。ただ、歌は好きだがピアノは好きになれなかったという。ピアノを教えていた岡本たま(音楽家岡本敏明の妻)は、そんな好子にピアノを無理強いすることなく、ただ好きな歌を歌うよう勧めた。
朴 炫洙(パク・ヒョンス、박현수、1922年8月4日 - 2… 朴 炫洙(パク・ヒョンス、박현수、1922年8月4日 - 2009年11月14日)は、大韓民国の軍人。最終階級は陸軍少将。 全羅南道出身。上智大学在学中、学徒出陣して陸軍航空隊に配属。終戦時少尉。 帰国後、軍事英語学校を卒業し、参尉に任官(軍番105番)。1951年3月、第35連隊長。砲兵戦力の強化人員として「16人の砲兵将星」の一人に選抜され、光州砲兵学校で3か月の基礎訓練を受けたのち米国に留学、帰国後は首都師団砲兵団長を経て第2軍団砲兵団長、第2師団長。1955年6月より再度渡米し、米陸軍指揮幕僚大学に留学。帰国後は連合参謀本部第1部長、第20師団長、第6軍団(朝鮮語版)副司令官、第1軍管区司令官、第5軍管区司令官を経て1960年、朴正煕の後任で釜山の陸軍軍需基地司令官になった。
岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4… 岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長としてマダガスカル攻撃に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍大尉。 香川県綾歌郡山田村出身。税務署職員であった父が勤務していた愛媛県松山市に生まれる。四人兄弟妹の次男であった。岩瀬は父の転勤により、小中学校で三度の転校を経験した。入学した中学は滋賀県立膳所中学で、徳島県立池田中学に転入し、1938年(昭和13年)、中学4年で陸軍士官学校と海軍兵学校に合格した。海兵進学を選択し、1941年(昭和16年)3月に卒業した。岩瀬は海兵69期生で、このクラスは343名の同期生中223名が戦死している。
鎌田 英夫(かまた ひでお、1921年(大正10年)8月4日… 鎌田 英夫(かまた ひでお、1921年(大正10年)8月4日 - 2009年(平成21年)4月23日)は、日本の官僚。会計検査院事務総長や、会計検査院長を務めた。退官後、大成建設常任顧問。 愛媛県出身。海軍中将・鎌田道章の長男として生まれる。1947年(昭和22年)東京大学法学部政治学科卒業。同年10月会計検査院に入り、終戦処理検査第一課、法規改善課、管理課、出資検査第二課を各勤務。その後、第一局大蔵検査課調査官を経て、1962年(昭和37年)4月第五局上席調査官、1966年(昭和41年)1月官房会計課長、1967年(昭和42年)4月第二局参事官、同年7月第四局参事官、1969年(昭和44年)7月第五局参事官を歴任。
新居 猛(にい たけし、1920年(大正9年)8月4日 - … 新居 猛(にい たけし、1920年(大正9年)8月4日 - 2007年(平成19年)10月5日)は、日本の家具デザイナー。インテリア・デザイナー協会名誉会長。徳島県徳島市出身。旧制徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)卒業。 1920年(大正9年)に徳島市の剣道具製造業の家に生まれた。デンマークの家具の美しさに影響されたのがきっかけで椅子づくりにのめり込む。1969年(昭和44年)、有限会社ニーファニチアを設立し代表取締に就任する。1974年(昭和49年)、自身の作品であるニーチェアXがニューヨーク近代美術館にて永久収蔵が認められた。その後、インテリア・デザイナー協会の名誉会長となる。 2007年10月5日、急性敗血症のため死去。
城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - … 城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - 2001年3月9日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。元四日市大学学長。 満州国大連市生まれ。大連第二中学校を経て、1942年第二高等学校文科乙類卒業。1945年に東京帝国大学経済学部経済学科卒業後、大蔵省入省。1950年名古屋大学経済学部助教授。1964年名古屋大学経済学部教授。1968年名古屋大学経済学部長。1975年名古屋大学経済学博士。退官後、中部工業大学教授、四日市大学学長。1995年勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988… 杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988年10月20日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 神奈川県小田原市出身。國學院大學文学部で高柳光寿、渡辺世祐の指導を受け日本中世史を学び、1941年に卒業。卒業論文は「中世末期に於ける夫役に就て」。その後、兵役につき、戦後、1946年國學院大學図書館司書、翌1947年から東京大学史料編纂所に勤務し、1966年に助教授、1972年4月から1976年4月まで教授。1976年から駒澤大学文学部教授。 地方史研究協議会の創立にも加わっており、史料・文書や自治体史の編修に尽力した。
多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006… 多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006年9月30日)は、日本の俳優。本名:田足井 重二〈たたらい しげじ〉。 宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)出身。東京府立第九中学校卒業。新倉事務所に所属していた。 新築地劇団研究生、苦楽座、劇団民藝など舞台俳優として活動し、数多くの映画・テレビドラマに出演。頑固ながら根は優しい役などに定評があり、軽妙な役もこなせる貴重なバイプレーヤーとして活躍した。 1917年(大正6年)8月4日、宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)に、父・重一と母・利の次男として生まれる。幼少時代は家業の都合で石巻、仙台、東京と居を移す。西巣鴨第二小学校を経て、1935年(昭和10年)に東京府立第九中学校を卒業後、国際ホテル学校に入学し、5カ月で中退、帝国ホテル食堂部に就職する。
千原 大五郎(ちはら だいごろう、1916年8月4日 - 1… 千原 大五郎(ちはら だいごろう、1916年8月4日 - 1997年6月3日)は、日本の建築史家、工学博士。一級建築士資格所有。東京都生まれ。専門は東洋建築史。 南アジアの宗教建築の体系化を考案し、拓殖大学教授、日本ユネスコ国内委員会委員、株式会社大建設計相談役などを歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
内藤 莞爾(ないとう かんじ、1916年8月4日 - 201… 内藤 莞爾(ないとう かんじ、1916年8月4日 - 2010年9月17日)は、日本の社会学者。九州大学名誉教授。