矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 197… 矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 1976年4月9日)は、日本の作曲家。 若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗、北爪道夫、荻久保和明、糀場富美子、尾高惇忠、池上敏など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。完璧主義、寡作主義で知られる。 矢代秋雄は、1929年9月10日、東京の大森で西洋美術、美術史を専門とする評論家、矢代幸雄の長男として生まれた。
川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 20… 川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 2022年9月26日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長、会長を務めた。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1949年、山口経済専門学校卒業。同年、日産火災海上保険に入社。1982年7月、取締役。1985年7月に常務、1988年4月に専務を経て、1989年6月、社長。1995年6月、会長。2000年6月に相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2022年9月26日肺炎のために死去。93歳没。
畑 英次郎(はた えいじろう、1928年〈昭和3年〉9月10… 畑 英次郎(はた えいじろう、1928年〈昭和3年〉9月10日 - 2023年〈令和5年〉8月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 通商産業大臣(第56代)、農林水産大臣(第19代)、衆議院議員(7期)、民主党副代表、太陽党幹事長、大分県日田市長(3期)等を歴任した。 大分県日田市生まれ。1946年、武蔵工業専門学校(現東京都市大学)を中退し、出身地である日田市の市役所に入庁。その後、旧大分1区選出の衆議院議員・広瀬正雄の秘書に転じる。 1968年、日田市長選挙に立候補し、初当選。市長を3期11年務め、1979年に3期目の任期途中で辞職。同年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党の公認を受け、旧大分1区から広瀬の地盤を引き継いで出馬し、当選した(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元らがいる)。
杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 200… 杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 2008年3月11日)は、日本の数学者。理学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。1946年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。1953年、東京大学理学部数学科卒業。1961年、理学博士。東京大学教養学部助教授、教授、1989年、定年退官、名誉教授。1989年、津田塾大学学芸部教授。2003年より津田塾大学理事。2008年3月11日に死去。79歳没。 俳優杉浦直樹は従兄弟である。
姫田 忠義(ひめだ ただよし、1928年9月10日 - 20… 姫田 忠義(ひめだ ただよし、1928年9月10日 - 2013年7月29日)は、日本のドキュメンタリー映画監督、映像民俗学者。株式会社民族文化映像研究所(民映研)名誉所長。特定非営利活動法人「地球ことば村・世界言語博物館」顧問。 中央大学経済学部名誉教授で中国近現代史研究者の姫田光義は弟。長男はフルート演奏家の姫田大。次男の姫田蘭はミュージシャン、プロデューサー、民族文化映像研究所ブログ「民映研ジャーナル」担当。 兵庫県神戸市和田岬(現在は兵庫区内)に生まれる。父はガス会社の工員であった。兄や姉は高等小学校どまりであったが、国鉄(当時は鉄道省)で働いていた9歳年上の兄の援助で、1941年に兵庫県立第四神戸中学校(兵庫県立星陵高等学校の前身校の一つ)に進学。
東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2… 東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2015年4月5日)は、日本の教育心理学者。名桜大学名誉学長。元琉球大学学長。 太平洋戦争末期の沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。当時、米国生まれの兄フランク・ヒガシが米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られた。 戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1970年に琉球大学教育学部教授、1973年に教育学部長、1984~1990年に学長。沖縄県名護市の名桜大学の設立に携わり、1994~2000年に初代学長を務めた。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れた。
野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008… 野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008年3月7日)は、日本の経営学者、法政大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制浦和高等学校、東京大学経済学部卒業。1953年東京大学大学院中退、1960年法政大学大学院博士課程中退。1960年法政大学経済学部専任講師、1963年経営学部助教授、1969年より教授。1986年「日本証券市場成立史」で法政大経済学博士。法政大学経営学部教授を1999年に定年、名誉教授。鉄道研究でも知られた。 2008年3月7日、食道癌のため死去。
諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日… 諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日本の経済史学者、神奈川大学名誉教授。ドイツを中心としたヨーロッパの経済史が専門。 静岡県静岡市生まれ。1945年旧制静岡県立静岡中学校卒業。1948年旧制静岡高等学校卒業。1952年東京大学経済学部卒業。同大学院修了、1970年「ドイツ初期資本主義研究」で経済学博士の学位を取得。 福島大学経済学部講師、助教授、1965年神奈川大学経済学部教授、1999年定年、名誉教授。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
谷本 巍(たにもと たかし、1928年9月10日 - 201… 谷本 巍(たにもと たかし、1928年9月10日 - 2017年5月7日)は、日本の政治家。社会民主党の参議院議員(2期)。位階は従四位。 福島県郡山市出身。早稲田大学中退。1954年に日本大学法学部を卒業。在学中の1951年、日本農民組合に入る。1958年全日本農民組合連合会(全日農)を結成し、米価、酪農などの各運動を指導。全日農青年部書記長、中央常任委員などを経て、1969年書記長に就任。米価審議会委員も務めた。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選し、2期務めた。 議員在職中には参議院逓信委員会と懲罰委員会で委員長を務めた。2001年の第19回参議院議員通常選挙で落選した。
横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 198… 横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 1981年4月18日)は、日本の俳優、声優。妻は女優の川口敦子。 東京府豊多摩郡杉並町(現東京都杉並区)出身。劇団俳優座に所属していた。 早稲田大学第一文学部卒業後、劇団俳優座養成所に第2期生として入団。同期には小林昭二、滝田裕介などがいる。1953年の卒業と同時に正式に俳優座に入団。舞台の傍ら映画、テレビにも出演するようになり、インテリタイプの悪役として注目され、悪役を演じる機会が多くなっていった。また、アニメ、洋画吹き替えなど声優としても活動した。ジェームズ・メイソンの声を吹き替えることが多かった。 川口敦子とは1957年に結婚し、一女がいた。
有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 20… 有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 2020年5月24日)は、日本のピアニストおよびピアノ教育者。桐朋学園大学名誉教授。日本ショパン協会理事、および、財団法人日本ピアノ教育連盟相談役をつとめる。 1927年9月10日生まれ。井口基成、安川加壽子、ベヴァリッジ・ウェブスター(英語版)に師事する。1943年、17歳のとき、第12回毎日新聞社音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)のピアノ部門で第1位入賞を果たす。1948年、東京音楽学校を卒業する。 ピアニストとして活躍する。ソリストとして、また、NHK交響楽団や東京交響楽団と共演する。 ピアノ教育者としての活躍が、より有名である。
江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月1… 江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月10日 - 2015年(平成27年)3月13日)は日本の医師、社会福祉事業者、教育者。学位は医学博士。岡山県名誉県民。 岡山県笠岡市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校卒業後、岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)に進学し、勤務医を経て総合医療福祉施設・社会福祉法人旭川荘の創設に参加、旭川荘の第2代理事長(後に名誉理事長)となった。また日本で最初の医療福祉と健康科学を統合した大学である川崎医療福祉大学の初代学長を務めた他、国の福祉審議会委員も歴任した。2015年3月13日、心不全のため死去。88歳没。叙従四位。 岡山大学病院スペシャルニーズ歯科センター教授の江草正彦は次男。
中尾 英俊(なかお ひでとし、1924年9月10日- 201… 中尾 英俊(なかお ひでとし、1924年9月10日- 2014年12月21日)は、日本の法学者で、弁護士。西南学院大学名誉教授。湘潭大学名誉教授。法学博士(九州大学、1962年)。2001年勲三等瑞宝章受章。 東京市(東京都)生まれ福岡県育ち。父の勤務の都合で、主に東京と郷里福岡で幼少年時代を過ごす。東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)卒業後、1943年4月東京商科大学商学専門部(現一橋大学)に入学する。翌年8月東京商科大学商学専門部在学のまま海軍予備生徒、1945年6月海軍少尉候補生を命ぜられ、特殊潜航艇蛟龍艇長として訓練を受け、出撃待機中に終戦を迎える。同年9月少尉任官、復員。郷里の福岡に帰り約1年間実家にて農業に従事する。
市川 武(いちかわ たけし、1924年〈大正13年〉9月10… 市川 武(いちかわ たけし、1924年〈大正13年〉9月10日 - 2020年〈令和2年〉5月22日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。 裾野市出身。1947年(昭和22年)九州帝国大学工学部土木工学科卒業。 1952年(昭和27年)静岡県庁に奉職し、1969年(昭和44年)港湾課長、1977年(昭和52年)土木部技監を経て、1978年(昭和53年)裾野市長に当選。4期務めた。 2020年(令和2年)5月22日死去、95歳。
北田 栄作(きただ えいさく、1923年9月10日 - 20… 北田 栄作(きただ えいさく、1923年9月10日 - 2007年3月19日)は、日本の大蔵官僚。国際金融局次長、造幣局長、第三相互銀行取締役副頭取、同行代表取締役頭取、第三銀行代表取締役頭取(初代)などを歴任。 三重県出身。東京大学法学部政治学科卒業。東大法学部政治学科在学中に第一回目の国家公務員六級職試験をトップで合格。1949年 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1953年7月 長浜税務署長。1962年6月 理財局総務課長補佐。1969年8月 主計局主計官(外務、通商産業担当)。1972年6月 理財局総務課長。1973年6月26日 東海財務局長。1974年7月10日 銀行局検査部長。1975年11月20日 大臣官房審議官(関税局担当)。
後藤 秀夫(ごとう ひでお、1923年9月10日 - 199… 後藤 秀夫(ごとう ひでお、1923年9月10日 - 1991年2月14日)は、日本の昭和期の戦後に活躍したプロボクサー。和歌山県出身。日本フェザー級チャンピオン。 アマチュア時代は強豪として鳴らした技巧派のアウトボクサー。早稲田大学在学時、当時花形スポーツであった学生ボクシングのスターとなる(後藤をモデルに「大学の虎」(鶴田浩二主演)なる映画も製作された)。 大学卒業後の1949年プロ入り、いきなり8回戦からデビュー。翌年、13戦目で早くも日本タイトルに挑戦、ベビー・ゴステロを判定で下し見事日本フェザー級チャンピオンとなる。その翌月には秋山政司の持つライト級タイトルに挑戦したが、判定で敗れた。
杉浦 宏(すぎうら ひろし、1923年9月10日 - 200… 杉浦 宏(すぎうら ひろし、1923年9月10日 - 2005年5月6日)は、日本の教育学者。 東京出身。早稲田大学教育学部卒。北里大学助教授、教授、東京国際大学教授。ジョン・デューイを主として研究した。 2005年5月6日、前立腺癌のため死去。
野元菊雄(のもと きくお、1922年9月10日 - 2006… 野元菊雄(のもと きくお、1922年9月10日 - 2006年7月31日)は、日本の言語学者。
星島 一夫(ほしじま かずお、1922年9月10日 - 20… 星島 一夫(ほしじま かずお、1922年9月10日 - 2003年8月3日)は、日本の経済学者(社会政策論)。愛媛大学名誉教授。経済学博士。岡山県岡山市出身。 1922年(大正11年)岡山県岡山市生まれ。旧制釜山中学、旧制第六高等学校を経て、1948年(昭和23年)京都帝国大学法学部卒、昭和26年愛媛大学文理学部助手、昭和44年法文学部教授、附属図書館長、昭和60年法文学部長、愛媛大学退官後松山大学経済学部教授、平成5年今治明徳短期大学長。この間株式会社えひめ勤労者生活情報センター所長も務める。社会政策、労働問題を精力的に研究し、特に来島グループの坪内寿夫の経営姿勢や労務管理に批判的であった。後年には伊賀貞雪・愛媛県知事の推進した「生活文化」を賞賛した。
末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 20… 末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者、論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授。 戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史・科学哲学と比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。 1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。
東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 201… 東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 2016年8月4日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は農業経済学。 大阪府生まれ。旧制金鐘中等学校、1947年関西大学経済学部を卒業。京都大学大学院経済学研究科で山岡亮一の下農業経済学を専攻し、1950年より母校の関西大学経済学部で教鞭を執り、1961年教授就任。『日本の農業政策』で経済学博士の学位を取得。1996年勲三等瑞宝章受章。 アメリカ農業問題に関して先駆的業績を残し、日本農業経済学会理事、関西農業経済学会(現:地域農林経済学会)副会長などを歴任。関西大学では経済学部長を務め、学長事務代行を一時兼務するなどして、大学紛争の収拾に奔走した。
芳賀 日出男(はが ひでお、1921年9月10日 - 202… 芳賀 日出男(はが ひでお、1921年9月10日 - 2022年11月12日)は、日本の写真家、民俗研究家。日本・世界の祭り・民族・民俗芸能の写真取材をおこなった。子息は写真家の芳賀日向。 関東州大連(現・中華人民共和国遼寧省内)に生まれる。慶應義塾大学文学部を卒業した[要出典]。大学では折口信夫に教えを受け、それに触発されて卒業後に民俗を撮影する写真家となる。 1973年に全日本郷土芸能協会を設立した(のちに理事長を務める)。1985年に株式会社芳賀ライブラリーを設立して取締役会長となる[要出典]。 複数の賞や顕彰を受けている(詳細後述)。 100歳を超えた2021年にも活動していた。 2022年11月12日、老衰のため死去。
伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961… 伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961年1月16日)は日本の編集者、出版社経営者。書肆ユリイカ代表。 釜山広域市生まれ。旧制京城中学校卒業まで、京城で過ごす。旧制福岡高等学校を経て、1943年、京都帝国大学経済学部卒業。出征して北支や内蒙古で転戦し、戦後に上京して前田出版社に勤務。 原口統三『二十歳のエチュード』の出版を手がけ、同書をベストセラーとする。1948年、同書の紙型を持って独立し、書肆ユリイカを創立。1950年頃から主に詩書を出版。1956年、詩誌『ユリイカ』を創刊。没後の1962年に遺稿集『ユリイカ抄』が刊行され、その業績により第1回藤村記念歴程賞を受けた。
堀越 克明(ほりこし かつあき、1919年9月10日 - 2… 堀越 克明(ほりこし かつあき、1919年9月10日 - 2011年11月8日)は、日本の教育者。学校法人堀越学園理事長、穎明館中学・高等学校理事長、日本私立中学高等学校連合会会長を務めた。 1919年東京府(現・東京都)生まれ。東京大学農学部卒業。中央教育審議会委員・総務庁国際青年事業推進会議企画委員長、財団法人日本私学教育研究所常任顧問を歴任。堀越高等学校の前身・堀越高等女学校を創立した堀越千代の孫[要出典]。 校長就任後の1973年、同校の創立50周年記念の際に芸能・スポーツのコースを設置。 政治的・思想的には保守の立場に立ち、新しい歴史教科書をつくる会に賛同したほか、日本会議「『日本の教育改革』有識者懇談会」(民間教育臨調)代表委員も務めた。
村田 敏郎(むらた としろう、1919年9月10日 - 20… 村田 敏郎(むらた としろう、1919年9月10日 - 2007年4月17日)は、日本の薬学者(薬物動態学・生物薬剤学)、文部官僚。勲等は勲二等。学位は医学博士(県立鹿児島医科大学・1961年)、薬学博士(東京大学・1961年)。静岡薬科大学名誉教授、財団法人日本薬剤師研修センター名誉会長、社団法人日本薬学会有功会員、社団法人日本薬物動態学会名誉会員。 東京帝国大学医学部助手、東邦女子医学薬学専門学校教授を経て、文部省や厚生省に勤務し、札幌医科大学医学部助教授、熊本大学薬学部教授、静岡薬科大学薬学部教授、静岡薬科大学学長(第5代)、財団法人日本薬剤師研修センター理事長(初代)、学校法人共立薬科大学理事長、財団法人日本薬剤師研修センター会長(第2代)などを歴任した。
野田 弘(のだ ひろむ、1919年9月10日 - 1997年… 野田 弘(のだ ひろむ、1919年9月10日 - 1997年1月10日)は、昭和時代日本の教育者。作詞家としての別名義に小川 楠一(おがわ くすいち)がある。 1919年(大正8年)、香川県三豊郡上高野村(現在の三豊市豊中町上高野)に生まれる。1939年(昭和14年)に香川県師範学校本科二部を卒業、県内各地で小学校教員を務めた。教員としては国語の指導に力を入れ、学習指導に関する著書を多数執筆している。 丸亀市立城北小学校の校長職に在った1953年(昭和28年)に香川県が実施した「香川県民歌」歌詞の一般公募で応募作が入選し、翌1954年(昭和29年)1月に制定される(「小川楠一」名義)。1960年代には、文部省の派遣で当時アメリカ合衆国の統治下にあった沖縄へ出向した。
木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10… 木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10日 - 1993年〈平成5年〉4月18日)は、日本の柔道家・プロレスラー。段位は講道館柔道七段。鬼の木村の異名を持つ。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称されることが多い。身長170 cm、体重85 kgと小兵ながら、トレーニングにより鍛え抜かれた強靭な肉体、爆発的な瞬発力、得意技である切れ味鋭い大外刈りのスピードとパワー、高専柔道で身につけた寝技技術、またこれらを支える一日10時間を越える練習量と柔道に命を賭す強靭な精神力を武器に15年間不敗を成し遂げた。
小西 友七(こにし ともしち、1917年〈大正6年〉9月10… 小西 友七(こにし ともしち、1917年〈大正6年〉9月10日 - 2006年〈平成18年〉9月10日)は、日本の英語学者。英和・和英辞典編纂者。神戸市外国語大学名誉教授。英語語法文法学会初代会長。京都府出身。 大の阪神ファンであったため、編集主幹を務めた「ジーニアス和英辞典」に阪神びいきの例文が多いことで知られた。
小林 一郎(こばやし いちろう、1916年〈大正5年〉9月1… 小林 一郎(こばやし いちろう、1916年〈大正5年〉9月10日 - 2009年〈平成11年〉4月11日)は、日本の国文学者。田山花袋研究の第一人者。東洋大学短期大学学長を務めた。 群馬県桐生市生まれ。旧制桐生中学校、二松学舎専門学校を経て、東洋大学文学部国文科卒業。 1975年、「田山花袋研究」で文学博士号取得(東洋大学)。伝記的、実証的研究によって田山花袋研究の基礎を作った。館林市田山花袋記念館顧問。花袋のほか、森鷗外・夏目漱石・川端康成・太宰治についての研究も行う。 2009年4月11日、心臓疾患のため92歳で死去。
岡野 良定(おかの よしさだ、1916年9月10日 - 20… 岡野 良定(おかの よしさだ、1916年9月10日 - 2008年1月30日)は、実業家、元三菱自動車工業会長。サッカー選手、サッカー指導者、三菱重工業サッカー部(現:浦和レッズ)創設者、初代監督。選手時代のポジションはフォワード。 広島県広島市白島(現:中区白島)出身。広島一中(現:広島県立国泰寺高校)、広島高等学校卒業。一中時代からサッカー一筋で一中の2つ上の先輩にのちに東洋工業サッカー部を創設する山崎芳樹がいる。広高時代、1938年の第14回全国高等学校ア式蹴球大会では主将・フォワードとしてチームを優勝に導く。京都帝国大学経済学部進学後も蹴球部で活躍、1941年卒業。同年、三菱重工業入社。
山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10… 山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10日 - 昭和20年(1945年)8月11日)は、歌人、詩人、国文学者。 岐阜県奥美濃の郡上市生まれ。國學院大學文学部国文科卒。折口信夫に師事。林富士馬らと文芸同人誌を興す。田中京子(山川京子)と結婚後5日目に召集され、敗戦直前に台湾で爆撃のため28歳で死去。 . NCID BB08934063
国東 文麿(くにさき ふみまろ、1916年9月10日 - 2… 国東 文麿(くにさき ふみまろ、1916年9月10日 - 2012年11月3日)は、日本の国文学者。早稲田大学名誉教授。 早稲田大学卒、早稲田大学商学部教授、1987年定年、同名誉教授。『今昔物語集』が専門。 1990年、勲四等瑞宝章を受章。2012年11月3日、老衰のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 久一(よしだ きゅういち、1915年9月10日 - 2… 吉田 久一(よしだ きゅういち、1915年9月10日 - 2005年10月16日)は、日本の社会福祉学者。日本社会事業大学名誉教授。 新潟県生まれ。大正大学文学部史学科卒業。1943年応召し中国、満洲、沖縄、石垣島などに駐屯。戦後は日本社会事業大学助教授、教授を務め、1981年定年退任。日本社会事業大学名誉教授、東洋大学教授。「福祉と宗教と平和」をテーマとして社会福祉と近代仏教を専攻とした。2003年に第37回仏教伝道功労賞を受賞。
飯田 良一(いいだ りょういち、1914年9月10日 - 1… 飯田 良一(いいだ りょういち、1914年9月10日 - 1979年2月6日)は、日本の経営者、銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。新潟県出身。 1937年に高等文官試験行政科司法科に合格、1938年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年大蔵省に入省。1963年5月から1966年9月までに国民金融公庫理事を務めた。1966年11月に武蔵野銀行専務に就任し、1968年11月に副頭取を経て、1977年6月には頭取に就任。 1979年2月6日、がん性腹膜炎のため在任中に死去。64歳没。
小林 茂(こばやし しげる、1914年9月10日 - 199… 小林 茂(こばやし しげる、1914年9月10日 - 1993年8月21日)は、歴史学者、部落解放運動家。 大阪府出身。東京文理科大学卒業。下関市立大学教授をへて、名古屋学院大学教授。 近世農業経済史、萩藩の明治維新史などを研究。部落解放研究所名誉理事を務めた。
石川 敏治(いしかわ としはる、1912年(大正元年)9月1… 石川 敏治(いしかわ としはる、1912年(大正元年)9月10日 - 2015年(平成27年)6月16日)は、昭和から平成時代の政治家。愛知県高浜市長。 高浜市出身。1927年(昭和2年)高浜高等小学校卒業。 1947年(昭和22年)高浜町議会議員、1955年(昭和30年)同議長を経て、1973年(昭和48年)から高浜市長に4選。1989年(平成元年)引退した。
家城 巳代治(いえき みよじ、1911年9月10日 - 19… 家城 巳代治(いえき みよじ、1911年9月10日 - 1976年2月22日)は、日本の映画監督、脚本家。 東京都出身。東京府立三中、弘前高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業後、1940年に松竹大船へ入社する。助監督部で渋谷実の下で働く。渋谷により『激流』(1944年)が着手される直前に召集されたため、家城が代打で初監督を務めた。 戦後は、撮影所に設立された労働組合の委員長に就任して経営側と渡り合ったが、1950年、連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージの波が映画界にも及ぶと、松竹の追放者第一陣のリストに名を連ね退社を余儀なくされた。 その後独立プロダクションを支え、以降、『雲ながるる果てに』『ともしび』『異母兄弟』などの名作映画を作り上げ、社会派の映画監督として活躍する一方、草創期のテレビドラマで演出家としても活躍した。
植谷 久三(うえたに ひさみつ、1911年9月10日 - 2… 植谷 久三(うえたに ひさみつ、1911年9月10日 - 2004年11月26日)は、日本の経営者。山一證券社長、会長を務めた。三重県出身。 1935年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に山一證券に入社。 1954年に取締役に就任し、1958年に常務、1966年9月に専務を経て、1968年11月に副社長に就任し、1972年5月には社長に昇格。1980年12月に会長に就任し、1987年4月に取締役相談役に就任。 1977年10月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2004年11月26日老衰のために死去。93歳没。
小宮 賢一(こみや けんいち、1911年9月10日 - 19… 小宮 賢一(こみや けんいち、1911年9月10日 - 1990年6月3日)は、日本の建築系内務官僚。都市計画家。建築行政家。 現在運用されている建築基準法や都市計画法制定に尽力。建築の審査・行政指導方面で活躍した人物。 一方で、戦前期東武鉄道に造成開発された分譲住宅地常盤台 (板橋区)原案の設計者としても知られる。 東京出身。1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、内務省本省大臣官房都市計画課に入省配属。市街地建築物法の運用、防火防空都市計画を担当した。 1937年(昭和12年)には、砧台付近を想定して戦前開催が中止となった当時の東京オリンピック選手村試案を制作し『建築と社会』11月号にて発表している。
篠田 義雄(しのだ よしお、1911年9月10日 - 198… 篠田 義雄(しのだ よしお、1911年9月10日 - 1988年4月2日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長、会長を務めた。岐阜県岐阜市出身。 1935年に東京商科大学を卒業し、同年に大阪商船(のちの大阪商船三井船舶)に入社。1964年4月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1972年5月に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格。1976年6月に会長に就任し、1980年6月には相談役に就任。 1976年11月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1988年4月2日心不全のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
横田 良一 (1911年9月10日 - 1936年1月10日… 横田 良一 (1911年9月10日 - 1936年1月10日)は戦前に活躍した、日本の男性歌手である。 「天草小唄」「アリランの唄」などのヒット曲がある。本名は中道實穂。
湧永 満之(わくなが まんじ、1910年9月10日 - 19… 湧永 満之(わくなが まんじ、1910年9月10日 - 1992年8月9日)は、実業家。 湧永製薬創業者。 広島県高田郡甲田町(現安芸高田市)出身。1929年、旧制崇徳中学(現崇徳高校)卒業。野村信託勤務後、共同で大阪に商社を設立、薬品担当の役員だった1950年代前半、人を介して紹介された元ベルリン大学教授・シュネル博士のニンニク研究のすすめを受け独立。1955年6月、湧永薬品を設立した。当初はシュネル博士の研究室で作った薬品を販売する会社であった。このため製品の遅れや営業の不慣れがあって経営は苦難があった。湧永は専門家でも研究者でもないが、こうした販売業と並行し素人の強みで体当たりでニンニク研究にも没頭。
平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年〈明治43年〉… 平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年〈明治43年〉9月10日 - 2002年〈平成14年〉11月30日)は、日本の作曲家。本名、平井 保喜(ひらい やすき)。 高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。父親・惣太郎の影響で、家にはオルガンや蓄音器がある等、音楽的に恵まれた環境で育った。伊野小学校から、1923年(大正12年)に旧制土佐中学校(現:土佐中学校・高等学校)入学。土佐中学校在学中に当時の校長:三根円次郎(ディック・ミネの父)が生徒向けに用意していた蓄音機で音楽を聴き、独学でヴァイオリンを練習したことがNHKのラジオ番組で息子の平井丈一朗によって語られた。1929年(昭和4年)に東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)ヴァイオリン科に進学し、ローベルト・ポラックに師事して1934年(昭和9年)に卒業。
万年 東一(まんねん とういち、1908年〈明治41年〉9月… 万年 東一(まんねん とういち、1908年〈明治41年〉9月10日 - 1985年〈昭和60年〉3月28日)は、日本の元陸軍軍人(上海特務機関)、右翼活動家、愚連隊の首領、総会屋。右翼団体大日本一誠会初代会長。全日本女子プロレス初代会長。山形県飽海郡松嶺町出身。安部磯雄襲撃事件、渋谷事件などで知られる。 明治41年(1908年)9月10日に山形県飽海郡松嶺町で生まれた。父は小学校の教頭だった。東一は次男だったが、長男は生まれてすぐに死亡した。 大正8年(1919年)、父が東京の親戚の事業を手伝うことになり、一家で上京した。 同年、父が手伝った事業は失敗し、父は裁判所の書記官に任官した。一家は京王線の沿線に住んだ。
梅村 淸明(うめむら せいめい、1908年9月10日 - 1… 梅村 淸明(うめむら せいめい、1908年9月10日 - 1995年7月14日)は、日本の体育学者、教育者。 中京商業学校創立者の梅村淸光の子息として茨城県水戸市において生まれた。旧制愛知第一中学校(現 愛知県立旭丘高等学校)、名古屋高等商業学校(現名古屋大学)、神戸商業大学(現神戸大学)をそれぞれ卒業する。 神戸商業大学卒業後に父が興した中京商業学校の教諭となる が、1933年に父の逝去により中京商業学校校長(梅村学園2代目校主)となる。1935年には1932年ロサンゼルスオリンピック陸上競技日本代表で、日本陸上競技選手権大会女子100mを3連覇した渡辺すみ子と婚姻する。 1942年に日本軍に召集されて出征。
日野 勝次郎(ひの かつじろう、1906年9月10日 - 1… 日野 勝次郎(ひの かつじろう、1906年9月10日 - 1995年5月7日)は、日本の経営者。河北新報社代表取締役を務めた。宮城県出身。 1930年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、同年10月に河北新報社に入社。1946年1月に監査役に就任し、1947年8月に取締役、1949年7月に常務、1962年4月に専務を経て、1963年10月には代表取締役(現在の社長の地位に相当)に就任。1970年1月に副会長に就任し、1972年8月に取締役相談役を経て、1978年3月には相談役に退いた。河北ビル社長、東北放送取締役も務めた。 1977年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1995年5月7日肺炎のために死去。
大野 實雄(おおの じつお、1905年(明治38年)9月10… 大野 實雄(おおの じつお、1905年(明治38年)9月10日 - 1994年(平成6年)11月26日)は、日本の法学者・裁判官だった人物。商法学者。専門は商法全般。早稲田大学名誉教授。「大野実雄」とも表記された。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1930年早稲田大学法学部仏法科卒業。司法官試補(東京地方裁判所)。1931年、東京地方裁判所判事に就任。1948年、東京地方裁判所退官。早稲田大学法学部教授。1951年、教務部長。1958年、早稲田大学図書館長。1964年、第一法学部長。1970年、比較法研究所長。1971年、日本公証法学会理事長。
武内 俊子(たけうち としこ、1905年9月10日 - 19… 武内 俊子(たけうち としこ、1905年9月10日 - 1945年4月7日)は、童謡詩人、童謡作詞家、童話作家。僧侶であり世界探険家の渡辺哲信は叔父にあたる。広島県福山市の勝願寺住職足利瑞義の姪。 1905年(明治38年)広島県三原市西町の浄念寺に生まれる。 1912年4月広島市に転居、学齢期の6歳から土手町(現在の南区比治山町)で育った。広島県立第一高等女学校(現在の広島皆実高校)を経て、広島女子専門学校(現在の県立広島大学)に進学したが中途で退学。 その後、結婚して東京の世田谷に居住。1929年(昭和4年)頃から、童謡や童話の創作を始める。女性の社会進出が困難を伴った昭和初期にあって、4人の子供の育児と両立させ創作に励んだ詩人だった。
中村 綗(なかむら けい、1905年〈明治38年〉9月10日… 中村 綗(なかむら けい、1905年〈明治38年〉9月10日 - 没年不詳)は、日本の都市計画家。建築行政家。建築家。建築行政と都市計画に広く関わった人物。日本国内の都市や建築の他、戦前期は台湾で活躍し、戦後は関西方面で活動する。京都市生まれ。 1928年(昭和3年)、京都帝国大学工学部建築学科卒業。同年に警視庁建築技師。1933年(昭和8年)から、都市計画地方委員会の技師として、愛知県に赴任。 1937年(昭和12年)から台湾に赴任。同地の都市計画令施行を受け、台湾総督府土木局都市計画技師に就任。2年前から台湾に赴任していた京都帝大の先輩である内務局土木系技師の早川透とともに、都市計画事業にまい進する。