田口 俊樹(たぐち としき、1950年6月12日 - )は、… 田口 俊樹(たぐち としき、1950年6月12日 - )は、日本の翻訳家。文芸同人誌「駱駝」「桟」同人。マルタの鷹協会会員。
6月12日生まれ:311人
田口 俊樹(たぐち としき、1950年6月12日 - )は、… 田口 俊樹(たぐち としき、1950年6月12日 - )は、日本の翻訳家。文芸同人誌「駱駝」「桟」同人。マルタの鷹協会会員。
石丸 周象(いしまる しゅうぞう、1950年6月12日 - … 石丸 周象(いしまる しゅうぞう、1950年6月12日 - )は、日本の国土交通技官。国土交通省四国運輸局長などを経て、津軽海峡フェリー代表取締役社長を務めた。 愛媛県出身。1975年に九州大学工学部造船学科を卒業後、1976年に運輸省(現・国土交通省)へ入省した。運輸省海上技術安全局造船課企画調整官などを経て、1996年、運輸省東北運輸局船舶部長。 海上技術安全研究所企画部次長(海上技術安全研究所技官)を経て、2002年、国土交通省総合政策局技術安全課長。2004年には人事院人材局首席試験専門官に転任した。 2006年から国土交通省神戸運輸監理部長。2007年に国土交通省四国運輸局長に昇任。2008年に退官し、日本中小型造船工業会の常務理事に就任した。
面出 薫(めんで かおる、1950年6月12日 - )は、日… 面出 薫(めんで かおる、1950年6月12日 - )は、日本の建築照明デザイナー。東京都生まれ。男性。 1950年、東京に生まれる。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、同大学院美術研究科修士課程を修了。ヤマギワを経て、1990年に株式会社ライティング プランナーズ アソシエーツを設立、代表取締役。住宅照明から建築照明、都市・環境照明の分野まで幅広い照明デザインのプロデューサー、プランナーとして活躍するかたわら、東京藝術大学非常勤講師、そして武蔵野美術大学客員教授としても教鞭を振る。市民参加の照明文化研究会・照明探偵団を組織し団長として精力的に活動を展開中。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
鈴木 良平(すずき りょうへい 1949年6月12日 - )… 鈴木 良平(すずき りょうへい 1949年6月12日 - )はサッカー指導者、解説者。ドイツサッカー協会(DFB)の公認S級ライセンスを取得している。 東海大学卒業後、1973年に西ドイツ(当時)のボルシア・メンヒェングラートバッハへ留学し、名将ヘネス・ヴァイスヴァイラー監督の下でコーチ修業。また同時にケルン体育大学にも通い、S級ライセンスを取得した。 1975年10月に帰国して三菱養和に所属し、サッカー日本ユース代表監督などを務めたのち、1984-85年シーズンには西ドイツ・ドイツ・ブンデスリーガ1部のアルミニア・ビーレフェルトのヘッドコーチ兼ユース監督を35歳という若さで務めたが、チーム事情の関係もあり、年間順位16位となって翌年の2部リーグ落ちさせてしまった。
和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 202… 和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 2023年11月4日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。革命家。日本赤軍元メンバー。 宮城県仙台市出身。仙台第三高校卒業後、1968年に慶應義塾大学文学部に入学。[要出典] 映画少年だったが、医学部が米軍から研究資金を受けていたことが報道されたことを契機に起きた学内の抗議運動がきっかけで学生運動に参加、マルクス主義戦線派に近いノンセクトグループで活動していた。一方で新宿の映画館「アンダーグラウンド蠍座」でアルバイトをしており、三島由紀夫、寺山修司、若松孝二といった文化人の知遇を得る機会を持った。大学中退後、若松孝二の下で働き始め、1971年から1972年にかけて、若松と足立正生の映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の『赤バス隊』と呼ばれた上映隊で全国を巡った。
保持 卓一郎(やすもち たくいちろう、1947年6月12日 … 保持 卓一郎(やすもち たくいちろう、1947年6月12日 - )は、RNB南海放送の元男性アナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山岡 葉子(やまおか ようこ、1947年6月12日 - 20… 山岡 葉子(やまおか ようこ、1947年6月12日 - 2001年12月25日)は日本の女性声優。神奈川県出身。 劇団若草、劇団現代、現代制作舎、江崎プロダクション、同人舎プロダクションを経て、オフィス薫に所属していた。 2001年12月25日に死去。54歳没。 特技は歌、中国語。趣味はバードウォッチング。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
吉中 六(よしなか ろく、1946年6月12日 - )は、日… 吉中 六(よしなか ろく、1946年6月12日 - )は、日本の俳優、スーツアクター。本名および旧芸名は吉中 正一。 大阪府大阪市出身。中央商業高等学校(現・中央学院大学中央高等学校)卒業。SKY企画を経て、エレメンツ所属。 身長169cm。体重65kg。特技は殺陣、乗馬。
山内 隆司(やまうち たかし、1946年6月12日 - )は… 山内 隆司(やまうち たかし、1946年6月12日 - )は、大成建設の元名誉顧問。代表取締役会長(2015年4月から2023年3月)等を歴任。 岡山県邑久町(現瀬戸内市)出身。大阪府立天王寺高等学校から、東京大学工学部建築学科 に進学し、内田祥哉研究室に在籍した。1969年5月 に卒業し、同年6月に大成建設株式会社に入社。 ヒルトン東京、そごう川口店、センシティタワーなどを手掛け、1999年6月に執行役員関東支店長となる。2002年4月常務役員建築本部長、2005年6月取締役専務役員建築本部長、2006年4月取締役専務役員社長室長などを経て、2007年4月代表取締役社長に就任(前任は葉山莞児)。
今野 雅方(こんの まさかた、1946年6月12日 - )は… 今野 雅方(こんの まさかた、1946年6月12日 - )は、日本の教育者、翻訳家、哲学者。日本論文教育センターGlobe代表。ミュンヘン大学東アジア研究所専任講師、駿台予備学校論文科講師等。長年若い世代を主な対象とした論文教育を手がけ、現在はヘーゲル精神現象学の註解ゼミを中心とした教育活動を展開している。
瀧田 佳子(たきた よしこ、1943年6月12日 - )は、… 瀧田 佳子(たきた よしこ、1943年6月12日 - )は、アメリカ文学・比較文学の研究者、東京大学・大学評価・学位授与機構名誉教授。 広島県生まれ。旧姓・中山。
槌田 誠(つちだ まこと、1943年6月12日 - 1999… 槌田 誠(つちだ まこと、1943年6月12日 - 1999年1月7日)は、岡山県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。
佐々木 一哲(ささき いってつ、1942年6月12日 - )… 佐々木 一哲(ささき いってつ、1942年6月12日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学中退。劇団若草、劇団三期会、さち子プロを経て、エスプレイングに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 20… 神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 2023年5月29日)は、日本の実業家。CKD元社長、一般社団法人日本フルードパワー工業会(JFPA)元中部支部長。 1941年の生まれ。山口県下松市の出身である。山口県立徳山高等学校卒業。1964年3月に山口大学経済学部を卒業。同年4月にCKDに入社、後に同社代表取締役社長になる。2005年6月に同社相談役に就任した。2010年6月12日退職。東海山口県人会会長である。 2023年5月29日、誤嚥性肺炎のため死去。81歳没。 中国江蘇省無錫市の市内に無錫市機械資産経営有限公司との合弁で「無錫喜開理気動工業有限公司」を運営していたが、今後の中国市場の発展拡大に伴う生産対応及び世界市場への積極的な販売促進を目的に、グローバルな生産拠点が不可欠と考え、中国江蘇省無錫市の無錫国家新技術産業開発区(工業新区)の新会社の設立に携わった。
山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
牛久 崇司(うしく たかし、1940年6月12日 - 201… 牛久 崇司(うしく たかし、1940年6月12日 - 2010年8月29日)は、日本の実業家。キッコーマン元社長(11代目)兼COO。創業家以外から初めてトップに就任。栃木県栃木市出身。
松田 治(まつだ おさむ、1940年6月12日 - 2006… 松田 治(まつだ おさむ、1940年6月12日 - 2006年)は、日本の古典古代文学者。 奄美大島生まれ。鹿児島県大島郡笠利町宇宿(現奄美市笠利町宇宿)出身。東京教育大学文学部卒業。東京大学大学院西洋古典学修士課程修了。 流通経済大学教授、つくば国際大学教授。
荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は… 荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は、日本のジャズ・ベース奏者、作曲家である。 1939年6月12日、神戸市に生まれた。御影に住んでいたが、第二次世界大戦のあおりで鳥取県との県境に近い日本海側の美方郡諸寄に疎開していた。小学校に上がるころに終戦を迎え、芦屋山手小学校に通った。そこでの同窓生にジャズ・ミュージシャンの清水閏、木村新弥らがいる。 戦後はラジオでFENをよく聴いていた。中学のときにジャズに興味を持ち、高校に入りベニー・グッドマンのレコードを入手した。 本格的な楽器の演奏経験がなかったにもかかわらず、高校3年のときに神戸のジャズ喫茶でベースを担当する羽目になったのが演奏活動の始まりであった。
鎌田 慧(かまた さとし、1938年6月12日 - )は、日… 鎌田 慧(かまた さとし、1938年6月12日 - )は、日本のルポライター。シューレ大学アドバイザー。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業後に上京し、零細工場で働く。カメラ工場の見習工などを経て、1959年10月中央謄写学院印刷部を退職、1960年4月早稲田大学第一文学部 [要検証 – ノート]露文科に入学。 大学卒業後、業界紙(鉄鋼新聞社)記者、月刊誌「新評」編集部を経て、フリーのルポライターとなる。トヨタ自動車の期間工の経験をもとに『自動車絶望工場』を発表した。 1990年(平成2年)、『反骨 鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞受賞。翌年、『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞受賞。1994年(平成6年)に発表した葛西善蔵の評伝『椎の若葉に光あれ』をはじめ、大杉栄、太宰治、鈴木東民、坂本清馬などを題材に、伝記も多数執筆している。
東田 巍(ひがしだ たかし、1938年6月12日 - )は、… 東田 巍(ひがしだ たかし、1938年6月12日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(捕手)。
田村 俊磨(たむら としま、本名同じ。1938年6月12日 … 田村 俊磨(たむら としま、本名同じ。1938年6月12日 - )は、日本の元実業家である。登司麿(読み同じ)の名を使うこともある。 阪東妻三郎の次男であったが、本人は俳優業に全く興味はなく、慶應義塾大学経済学部卒業後は会社員になる。その間、あくまで付き合いで木下恵介監督の映画「笛吹川」(1960年)に兄・高廣が演じる役の少年時代に田村登志麿名義で出演、1965年7月17日のNHKドラマ『破れ太鼓』に田村登志麿名義で、他の兄弟と共に出演した。 高廣、正和が松竹を退社後は約3年間、2人のマネージャーも務めていた。その後は貿易会社の社長を務めていたが、2021年現在は既に社長を退き引退生活を送っているという。
大室 幹雄(おおむろ みきお、1937年6月12日 - 20… 大室 幹雄(おおむろ みきお、1937年6月12日 - 2021年9月13日)は、日本の歴史人類学者、日本の文芸評論家、文明評論家、中国文化評論家。 東京都出身。早稲田大学を卒業し、東京大学大学院修了。 その後高等学校教諭、山梨大学教授を経て千葉大学教授。退官後は千葉大学名誉教授。 2004年(平成16年)に刊行『ふくろうと蝸牛 柳田国男の響きあう風景』により、同年度芸術選奨を受賞。 ウェブ上において確認される、大室に対するまとまった評価を行っている評者を記す。
吉津 正(よしづ ただし、1937年(昭和12年)6月12日… 吉津 正(よしづ ただし、1937年(昭和12年)6月12日 - 1984年(昭和59年)9月24日)は、テレビ朝日のプロデューサー。中国生まれ。 1958年(昭和33年)早稲田大学演劇科を卒業後、東映に入社。卒業論文のテーマは「映画とテレビの共存共栄」。当時の東映社長大川博に、「君、これからはテレビの時代になるよ」と言われたことが忘れられないと語る。 1963年(昭和38年)日本教育テレビに出向する(のち移籍)。しかし、結核を患い、1年間の闘病を余儀なくされる。サラリーマンにとって、病気はマイナス。特に体が資本といわれるテレビ業界では、大きな病気というのは致命的でもある。吉津の場合も結核の治療期間が、彼にある種の挫折感を与えたのは確かだった。
江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月1… 江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 - 2013年(平成25年)2月8日)は、株式会社リクルートの創業者として知られる日本の実業家。「昭和最大の起業家」「東京大学が生んだ最大のベンチャー起業家」とも評されるが、「リクルート事件」の贈賄側人物としても知られる。また奨学金財団として江副育英会を創設し理事長を務めた。 東京大学在学中に就職斡旋の事業に着手してリクルートを創業し、大企業に成長させた。情報をビジネス化するという発想がなかった時代に、就職、転職、住宅などの情報を提供にはじまり、情報産業の旗手となった。「自ら機会をつくり、機会によって自らを変えよ」は江副の遺した社訓として知られ、江副の作ったリクルートは起業家集団としても知られ、日本最大のビジネスモデルとして現在も影響を与え続けている。
林 尚孝(はやし なおたか、1933年6月12日 - 202… 林 尚孝(はやし なおたか、1933年6月12日 - 2020年11月27日)は、日本の農学者。 関東州大連市(現・中華人民共和国大連市)出身。宇都宮市立戸祭国民学校(現・宇都宮市立戸祭小学校)入学。岡谷市立国民学校(現・岡谷市立岡谷田中小学校、岡谷市立神明小学校)卒業。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)入学、長野県諏訪清陵高等学校卒業。1954年東京大学農学部農業工学科卒業。農林省(現・農林水産省)関東東山農業試験場技官、東京大学農学部助手、山形大学農学部助教授を経て、1968年茨城大学助教授、1984年同大学教授、東京農工大学大学院教授併任。茨城大学評議員、同大学農学部附属農場長、同大学農学部長、同大学大学院農学研究科長を歴任。
佐藤牧夫(さとう まきお、1933年6月12日 - )は、日… 佐藤牧夫(さとう まきお、1933年6月12日 - )は、日本のドイツ文学者、東北大学名誉教授。中世ドイツ叙事詩が専門。 岩手県生まれ。東京都立大学 (1949-2011)大学院独文科博士課程満期退学。山形大学講師、助教授、東北大学教養部助教授、文学部独文科教授。97年定年退官、名誉教授、奥羽大学教授。2004年退職。2013年瑞宝中綬章受勲。
船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日… 船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉2月16日)は、日本の作曲家、歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。位階は従三位。 栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。栃木県立今市中学校(旧制中学校)、東洋音楽学校ピアノ科卒業。 獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたことなどもあり音楽の道を志す。
牛木 素吉郎(うしき そきちろう, 1932年6月12日 -… 牛木 素吉郎(うしき そきちろう, 1932年6月12日 - )は、新潟県中頸城郡津有村(現:上越市)出身のサッカージャーナリスト、元サッカー選手。元兵庫大学経済情報学部教授。 太平洋戦争中は朝鮮で暮らしていたが、12歳で終戦に伴って日本に帰国。親戚を頼って新潟県中頸城郡津有村(現:上越市)に移った。 中学時代にサッカーを知り、新潟県立新潟高等学校を卒業後、東京大学文学部社会学科に入学してア式蹴球部に在籍した。1956年に大学を卒業して東京新聞に入社。1959年に読売新聞へ移り、運動部編集委員として30数年間スポーツ記者を務めた。また、1969年には読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の設立に携わった。
杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998… 杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998年8月12日)は、日本の元俳優。福岡県福岡市地行東町出身。本名同じ。 俳優・杉狂児の四男。1941年、世田谷区立松沢小学校在学中、島耕二監督映画『次郎物語』の主人公で映画デビュー、この作品では主人公次郎役を幸彦と実兄・杉裕之の二人で演じる。映画の前半では幸彦が演じ、後半を裕之が演じた。1942年、東宝に入社し『翼の凱歌』などに出演するが、その後はしばらくまで学業に専念する。 中学、高校は明星学園を卒業、1955年に明治大学文学部演劇科を卒業したのち再び俳優を志す。同年5月、日活に入社しアクション映画に多数出演。1962年、日活を退社してフリーとなりテレビなどに出演する。
西原 邦子(にしはら くにこ、1931年(昭和6年)6月12… 西原 邦子(にしはら くにこ、1931年(昭和6年)6月12日 - 2024年(令和6年)9月23日)は、日本の詩人。 香川県丸亀市に生まれる。丸亀高等女学校(現・香川県立丸亀高等学校)を経て、食糧学校(現・東京栄養食糧専門学校)栄養科卒。北川冬彦および深尾須磨子に師事する。1957年、第4回「時間」新人賞受賞。1973年より翌年まで、フランスに滞在。1975年、町田志津子・小川アンナ・芹澤加寿子とともに詩誌『塩』を創刊。
岡田 芳朗(おかだ よしろう、1930年6月12日 - 20… 岡田 芳朗(おかだ よしろう、1930年6月12日 - 2014年10月21日)は、日本の歴史学者、暦学者、女子美術大学名誉教授。日本古代史専攻。暦の会会長。東久留米市文化財保護審議会会長。新宿区文化財保護審議会会長。杉並区文化財保護審議会委員。 東京市日本橋区生まれ。1953年早稲田大学教育学部卒業。1956年同大学院修士課程修了。女子美術大学助教授、教授、1994年定年、名誉教授、文化女子大学教授。2001年退職。日本カレンダー暦文化振興協会最高学術顧問のほか、暦の歴史を研究する民間団体「暦の会」を1973年に設立し、会長を務めた。 2014年10月21日に肺炎のため死去。84歳没。死後、所蔵していた蔵書や資料が遺族から国立天文台に寄贈され、三鷹図書室岡田芳朗文庫となった。
大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 20… 大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 2007年9月19日)は、日展会友として京都、奈良、愛媛県の神社仏閣、鎧、風景等を画き続けた京都市在住の日本画家である。特に人物画は妻と幼子を描いた1点のみであり、今も大政邸に保管されている。 1929年愛媛県松山市に生れる。小野竹喬に師事し、1952年京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)日本画科を経て制作活動を続ける。1959年京展 市長賞受賞を受賞し、福田平八郎に認められる。翌年以降は1960年京展 NHK賞受賞、1961年京展 紅賞受賞、1962年朝日新人展 招待出品をし、1963年に日展初入選する。以降入選回数25回。また、同年からの3年間の第1回京都秀作展、第2回京都秀作展、第3回京都秀作展推薦出品をする。
白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12… 白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12日 - 2016年(平成28年)2月26日)は、元競輪選手。千葉県習志野市出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。日本競輪学校創設以前の期前選手で選手登録番号2224。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。初出走は1950年3月1日の神戸競輪場。「輪聖」と呼ばれる。 1928年6月12日、千葉県習志野市に生まれる。近所の自転車屋に「いい身体してるから、競輪選手になったらどうだ」と勧められたのがきっかけで試験を受け、10日練習しただけで合格。さらにその2か月後には当時の慢性的な選手不足も手伝い、競輪のことをほとんど知らないまま神戸競輪場で競輪選手としてデビューし、翌4月に10連勝を達成してA級に特進した。
柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018… 柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018年1月2日)は、翻訳語研究者、比較文化論研究者。桃山学院大学名誉教授。本名・章新(ゆきよし)。 東京生まれ。父は農商務省の官吏。旧制浦和高等学校に進むが、20歳の時肺結核を病み、サナトリウムで8年の療養を余儀なくされる。その後東京大学に入り、はじめ理系だったが「文転」し、教養学部国際関係論を卒業した。同期に蓮實重彦がおり、在学中、「東京大学新聞」に「黒船ショック以後」「武内宿祢」などを載せ、五月祭賞を受賞、堀田善衛らの賞賛を受けた。卒業後は評論家となるべく、私塾講師などをしながら著述を出すが、1987年、大学時代のフランス語の師であった平井啓之の誘いで桃山学院大学教授となる。
遠山 サキ(とおやま サキ、1928年〈昭和3年〉6月12日… 遠山 サキ(とおやま サキ、1928年〈昭和3年〉6月12日 - 2018年〈平成30年〉12月15日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道の浦河町でアイヌ文化全般の知識や技能、技術を体得した伝承者であり、日本国内外で活躍したアイヌ文化伝承者の第一人者とされる。 北海道浦河町の姉茶地区で誕生した。8歳のときに姉茶尋常小学校に入学、小学3年で野深小学校に転入したが、アイヌの生まれであることを理由にいじめに遭い、あまり学校には通わずに少女時代を過ごした。 結婚後に子供たちが独立した頃より、アイヌの衣装の製作を始めた。さらに、浦河を代表する伝承者の1人である浦川タレからアイヌ文化の教えを受けて、次第にアイヌ文化に傾倒していった。
小幡 欣治(おばた きんじ、1928年6月12日 - 201… 小幡 欣治(おばた きんじ、1928年6月12日 - 2011年2月17日)は、日本の劇作家。 東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。東京都立京橋化学工業学校(後の東京都立羽田工業高等学校で、現在の東京都立つばさ総合高等学校)卒業。 元々演劇や文学に傾倒しているわけではなかったが、演劇雑誌の懸賞募集に初めて戯曲を書いて入選したのをきっかけに、1950年に「悲劇喜劇戯曲研究会」に入会。工員、セールスマンなどを務める傍ら演劇界での活動を続け、1956年に「畸生児」で第2回新劇戯曲賞(後の岸田國士戯曲賞)を受賞。菊田一夫の後継者存在とも言われたことがあった。1975年芸術選奨新人賞受賞。それ以降商業演劇だけでなく新劇を手掛け、1999年には第7回「山本安英の会」記念基金に贈られた。
梅田 佳声(うめだ かせい、本名:梅田 義彦(うめだ よしひ… 梅田 佳声(うめだ かせい、本名:梅田 義彦(うめだ よしひこ)、1928年6月12日 - 2015年8月27日)は、東京都中央区出身の紙芝居師。江戸弁の語りをし、自身で脚色を行い、紙芝居の世界観を形づくった。 1948年に長谷川一夫主宰の新演伎座演技研究所に入所。その後、梅田弘の芸名で多摩川園歌劇団、デン助劇団などの舞台に立ったほか、漫才師としても活躍。のち、ろく膜炎を患い芸能界を引退、東京の印刷会社に勤務。 1981年台東区立下町風俗資料館で紙芝居用の自転車を見かけたことをきっかけに、勤務先を定年後、毎月第1と第3日曜日、同資料館で紙芝居の実演を行うようになった。 1993年ごろ入手した、計600枚からなる怪談仕立ての長編紙芝居「猫三味線」を、1996年、お江戸日本橋亭で2日間にわたり全巻通しで上演。
茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、192… 茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、随筆・童話・脚本も執筆。 主な詩集に、『見えない配達夫』(1958年)、『鎮魂歌』(1965年)、『自分の感受性くらい』(1977年)、『倚(よ)りかからず』(1999年)など。 大阪回生病院で、宮崎洪(ひろし)、勝の長女として生まれる。1937年12月、のり子が11歳の時に、母、勝が結核で死去。。 1939年、愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)入学。卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)薬学部に入学する。19歳の時に終戦を迎え、1946年に同校を繰り上げ卒業。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 20… 菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 2011年1月15日)は、日本の作曲家、音楽評論家。
中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、… 中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、教育学者、早稲田大学名誉教授。
森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 19… 森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 1993年3月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。ヨーロッパの哲学を研究。 フランス・パリ生まれ。1939年京都府立京都第一中学校卒、1942年第一高等学校(文科甲類)卒、1947年京都帝国大学文学部哲学科卒、1949年京都帝国大学大学院修了。1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年同講師、1957年大阪市立大学文学部助教授、1965年京都大学文学部倫理学科助教授、1967年同教授、1985年定年退官、名誉教授。
生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> … 生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> 6月12日 - 2004年 <平成16年> 12月11日)は、日本の経営者。北海道ガス社長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年に東京ガスに入社。1972年9月に取締役に就任し、1973年9月に常務、1977年1月に専務を経て、1981年7月に副社長に就任し、1985年6月には北海道ガス社長に就任。1990年6月に取締役相談役に就任。 1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年12月11日肺水腫のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
呉 鐸根(オ・タックン、ご たくこん、大正10年(1921年… 呉 鐸根(オ・タックン、ご たくこん、大正10年(1921年)6月12日 - 2013年9月15日)は、韓国の政治家。元検察総長、法務部長官。 元財務部長官の千炳圭は姉妹の夫。元国会議員の金龍周の息子の1人(金武星の兄)は娘婿。 1921年、慶尚北道義城にて出生。本貫は海州呉氏。1943年、明治大学法学部卒業(戦時下の繰り上げ卒業)。史上最年少で日本の高等文官試験(後の国家公務員Ⅰ種試験)に合格。1950年、大邱地検検事に着任して以降、累進し、検察総長、法務長官などを務めた。
伊舎堂 用久(いしゃどう ようきゅう、1920年〈大正9年〉… 伊舎堂 用久(いしゃどう ようきゅう、1920年〈大正9年〉6月12日 - 1945年〈昭和20年〉3月26日)は、日本の陸軍軍人。沖縄戦の陸軍特攻第一号。最終階級は陸軍中佐。石垣島出身。 沖縄県石垣島登野城出身。父・伊舎堂用和は公務員で教育熱心であった。日清戦争、日露戦争に従軍、石垣島出身で初の金鵄勲章を受けている。父の宮古島への赴任 (裁判所勤務) に伴い旧制沖縄県立宮古中学校に入学、翌年再び父の転勤で那覇に戻り沖縄県立第二中学校に転校、同窓に、後に初代自衛隊沖縄地方連絡部長となる又吉康助がいる。その後陸軍予科士官学校入学。1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校卒業。伊舍堂は歩兵を希望していたが、陸軍の航空隊の増設方針で転科を余儀なくされたという。
塚原 雄太(つかはら ゆうた、1920年(大正9年)6月12… 塚原 雄太(つかはら ゆうた、1920年(大正9年)6月12日 - 2011年(平成23年)12月30日)は、日本の教育者、教育研究家。 1920年(大正9年)6月12日、栃木県に生まれる。1944年(昭和19年)に法政大学経済学部を繰り上げ卒業する。学徒出陣で陸軍東部第17部隊に入隊し、1945年(昭和20年)に敗戦により復員する。復員後、土木労務者、米軍PXのバーテンダー、露天商組合事務員などを経て、1947年(昭和22年)に東京荒川区の荒川区立第七中学校の教員となる。1954年(昭和29年)に荒川区立第九中学校にうつり、1957年(昭和32年)から1981年(昭和56年)まで同校第二部(夜間学級)で教鞭をとった。
戸井田 三郎(といだ さぶろう、1918年6月12日 - 1… 戸井田 三郎(といだ さぶろう、1918年6月12日 - 1996年10月13日)は、日本の政治家。衆議院議員。長男は元衆議院議員の戸井田徹。東京都出身。従三位勲一等瑞宝章。
山本 進(やまもと すすむ、1918年6月12日 - )は、… 山本 進(やまもと すすむ、1918年6月12日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 横浜市生まれ。1942年東京帝国大学経済学部卒、毎日新聞社に入り北米、南米特派員をへて経済部副部長を務めた。武蔵大学講師。
篠崎 年子(しのざき としこ、旧姓:村田、1918年6月12… 篠崎 年子(しのざき としこ、旧姓:村田、1918年6月12日 - 2017年10月6日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元長崎県議会議員(1期)。 長崎県佐世保市生まれ。1931年(昭和6年)、佐世保市立大久保小学校卒業、1935年(昭和10年)、佐世保高等女学校卒業後、教職をめざし、長崎県女子師範学校入学。1937年(昭和12年)に卒業後、佐世保市立吉井南小学校、佐世保市立白南風小学校、佐世保市立光園小学校(現在の佐世保市立祇園小学校)、佐世保市立大久保小学校などで勤務。1941年(昭和16年)、教師と結婚。夫の校長就任と同時に退職。その後、夫が49歳で死去したため、1963年(昭和38年)、復職した。
田中 正巳(たなか まさみ、1917年6月12日 - 200… 田中 正巳(たなか まさみ、1917年6月12日 - 2005年8月5日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員、参議院議員。北海道出身。正三位勲一等旭日大綬章。 函館中学、官立新潟高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。1955年、第27回衆議院議員総選挙に初当選(旧北海道3区)。1974年、三木武夫内閣の厚生大臣として初入閣。衆議院予算委員長に就任したが、1979年の第35回衆議院議員総選挙で落選し、1980年に参議院全国区に転出。1992年まで2期務めた。 1987年、勲一等旭日大綬章受章。 2005年8月5日、肝臓癌のため東京都北区の病院で死去。享年88。