伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10… 伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10月18日 - 令和2年(2020年)2月27日)は、日本の神道学者。皇學館大学名誉教授、元学長。専門は神道思想史。 神社本庁で参与および教学顧問、神道史学会で顧問を務めた。 北海道函館市生まれる。 昭和42年(1967年)に皇學館大學文学部卒業。昭和44年(1969年)に同大大学院文学研究科国史学専攻修了、福井市立郷土歴史博物館学芸員。 昭和59年(1984年)に皇學館大學神道研究所助教授、昭和59年(1984年)に皇學館大學文学部助教授、平成元年(1989年)に皇學館大學文学部教授。平成5年(1993年) - 皇學館大學神道研究所所長[要出典]、平成6年(1994年)に皇學館大學学生部長[要出典]。
スピーディ早瀬(スピーディはやせ、1941年10月18日 -… スピーディ早瀬(スピーディはやせ、1941年10月18日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は叶 哲郎(かのう てつろう)。広島県出身。フライ級で2度、日本タイトルを獲得した。 広島県松本商業高校在学中の1960年、インターハイでモスキート級優勝。中央大学で活躍後、中村ジムからプロデビュー。 1970年公開の映画・実写版「あしたのジョー」にウルフ金串役で出演している。 1962年7月13日、プロデビュー。 1965年4月24日、後の世界王者バーナベ・ビラカンポに敗れる。 1967年4月10日、元世界王者海老原博幸に敗れる。 1967年8月27日、日本フライ級王座決定戦で高山勝義に勝利し、タイトル獲得。
松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )… 松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )は、日本の医学者。住友病院名誉院長・最高顧問。元大阪大学医学部附属病院 病院長、大阪大学名誉教授。アディポネクチンの発見者であり、「メタボリックシンドローム」の提言者としても知られる。和歌山県田辺市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
2代目 花柳 錦之輔(はなやぎ きんのすけ、1941年(昭和… 2代目 花柳 錦之輔(はなやぎ きんのすけ、1941年(昭和16年)10月18日 - 1988年(昭和63年)11月21日)は、花柳流の日本舞踊家。本名は青山 克己。学習院大学経済学部卒業。父が初代錦之輔(2代目壽楽)。 4歳で父の元に入門。1965年に2代目錦之輔を襲名した。 実の子が3代目錦之輔。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
吉永 正人(よしなが まさと、1941年10月18日 - 2… 吉永 正人(よしなが まさと、1941年10月18日 - 2006年9月11日)は、鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市)出身の元騎手・元調教助手・元調教師。 騎手時代は「吉永スペシャル」と呼ばれた追い込みや逃げなど極端な作戦を取る個性派の騎手として知られ、中央競馬史上3頭目の三冠馬・ミスターシービーや、1982年の春の天皇賞馬・モンテプリンスなどの主戦騎手を務めた。 死別した最初の妻との間には一男二女を授け、長男の吉永護は元騎手・現調教助手。作家の吉永みち子は2番目の妻で、一男を授けた。 実弟の吉永良人は馬事公苑花の15期生の一人で元騎手、調教助手。 馬生産を営む吉永牧場の次男として生まれる。同場は吉永の曾祖父で、薩摩藩の馬術指南役を務めていた吉永新九郎が1890年代後半に興した一帯で最古の馬生産牧場である。
峰 国安(みね くにやす、1940年10月18日 - )は、… 峰 国安(みね くにやす、1940年10月18日 - )は、長崎県西彼杵郡野母崎町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 幼少期の1945年8月9日、たまたま塀に登って眺めていた「夕日のような景色」は、長崎市内に投下された原子爆弾であった。 戦後は海に沈む鉄クズを拾っては換金し、軍艦島にも上り、コンクリートだらけの廃墟で草木が一つもない異様な光景を目の当たりにした。 実家は漁師で、船乗りであった父を手伝いながら野球に没頭し、中学時代は駐留軍の米兵と草野球をしたこともあった。 海星高校では無敵のエースに成長し、2年次の1957年夏の県大会で優勝するが、西九州大会1回戦で敗れる。3年次の1958年は準決勝へ進出するが、西海学園に延長11回サヨナラ負けで甲子園出場を逃す。
藤原 秀次郎(ふじわら ひでじろう、1940年10月18日-… 藤原 秀次郎(ふじわら ひでじろう、1940年10月18日- )は、日本の経営者。しまむら社長、会長を務めた。神奈川県横須賀市出身。 1963年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にフジワラストアーに入社した。1970年9月に島村呉服店(現在のしまむら)に転じ、1976年に取締役、1982年に専務を経て、1990年5月には社長に就任した。社長在任時には、流通業界では屈指の低オペレーションを確立させ、小さな衣料品店であった同社を日本有数の衣料チェーン店に育て上げたので、「中興の祖」と呼ばれている。2005年5月には会長に就任。 2009年6月から2011年6月までに埼玉経済同友会代表幹事を務めた。
大原 謙一郎(おおはら けんいちろう、1940年(昭和15年… 大原 謙一郎(おおはら けんいちろう、1940年(昭和15年)10月18日 - )は、日本の実業家。大原総一郎の長男で、大原孫三郎、野津鎮之助の孫に当たる。大原家9代目当主。長女・大原あかねは(公財)大原美術館代表理事。 (公財)大原美術館評議員(現在は大原芸術財団)、(公財)大原記念倉敷中央医療機構理事会長、(公財)倉敷民芸館理事長兼館長、(一社)人文知応援フォーラム代表理事会長。 これまでに(株)クラレ副社長、(株)中国銀行副頭取、岡山経済同友会代表幹事、倉敷商工会議所会頭、日本商工会議所政策副委員長、(公社)岡山県文化連盟会長などを歴任。 東京大学経済学部卒業後、イエール大学大学院経済学博士課程に学び単位取得退学。
冨沢 宏(とみさわ ひろし、1940年10月18日 - )は… 冨沢 宏(とみさわ ひろし、1940年10月18日 - )は、日本の大蔵官僚。血液型はA型。大阪国税局長、国税庁次長、JTサービス代表取締役、国立印刷局理事長(初代)などを務めた。 東京府武蔵野町出身。東京都立西高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1963年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。大臣官房秘書課調査係長心得、総理府内閣総理大臣官房審議室調査企画担当主査などを経て、1969年7月 枚方税務署長。 大蔵大臣秘書官(事務担当)などを務め、1978年7月 大臣官房企画官兼主税局総務課。1979年7月 大臣官房文書課広報室長。1980年6月 東京国税局査察部長。 1986年6月10日に関税局企画課長となり、1987年6月25日から関税局総務課長。
長尾 克子(ながお かつこ、1939年10月18日 - 20… 長尾 克子(ながお かつこ、1939年10月18日 - 2003年6月23日)は、工業技術史学者。 1939年、北海道紋別郡遠軽町で生まれた。旧姓・加藤。北海道札幌西高等学校を卒業し、北海道学芸大学に進学。学生時代は革マル派に関わるが、後に離れた。1963年に北海道学芸大学を卒業し、高校教師となった。一方で北海道大学経済学部で学び、1967年に卒業。 卒業後は、北海道大学経済学部助手に採用された。1973年、法学者の長尾龍一と結婚。1974年、同大学大学院経済学研究科博士課程を中退し、旭川大学専任講師となった。しかし、1978年に東京へ移るため退職。 その後は、1980から1998年まで、法政大学経済学部非常勤講師として教鞭を執った。
廣瀬 徹也(ひろせ てつや、1939年〈昭和14年〉10月1… 廣瀬 徹也(ひろせ てつや、1939年〈昭和14年〉10月18日 - )は、日本の元外交官。駐アゼルバイジャン特命全権大使、駐ジョージア特命全権大使などを務めた。 1939年(昭和14年)大阪市生まれ。1958年大阪府立清水谷高等学校卒業。1961年大阪外国語大学(現・大阪大学)短期大学部英語科卒業。1963年(昭和38年)京都府立大学文家政学部文学科(英米文学専攻)卒業し外務省入り。語学研修生(専門職)として派遣を機にトルコに通算11年間、イスラエルや米国、カナダでは在トロント総領事館の首席領事として在外勤務。1990年北米局北米第一課地域調査官。1993年欧亜局ロシア課新独立国家(NIS)室の室長。
斉藤 惇(さいとう あつし、1939年〈昭和14年〉10月1… 斉藤 惇(さいとう あつし、1939年〈昭和14年〉10月18日 - )は、日本の実業家。第14代日本野球機構コミッショナー。株式会社KKRジャパン・KKR Global Instituteシニアフェロー。斎藤 惇とも表記される。 野村證券株式会社副社長、住友ライフ・インベストメント株式会社最高経営責任者、株式会社産業再生機構社長、株式会社東京証券取引所代表取締役社長、株式会社東京証券取引所グループ取締役兼代表執行役社長、株式会社日本取引所グループ取締役兼代表執行役グループCEOなどを歴任した。 1939年、熊本県にて生まれた。熊本県立済々黌高等学校から慶應義塾大学商学部商学科に入学。ゼミは会計学を選択。
内山 美樹子(うちやま みきこ、1939年10月18日 - … 内山 美樹子(うちやま みきこ、1939年10月18日 - 2022年8月3日)は、日本の近世文学、特に18世紀浄瑠璃の研究者。文学博士(早稲田大学・論文博士・1989年)。早稲田大学名誉教授。2019年瑞宝中綬章受章。 実業之日本社で『少女の友』主筆だった内山基(1903年 - 1982年)と、内田百閒の娘で同誌の編集者でもあった翻訳家の内山多美野(1913年 - 1988年)の長女として東京に生まれる。1962年、早稲田大学文学部演劇学卒業。1971年、同大学院博士課程単位取得満期退学。早稲田大学第一文学部教授、1989年、『浄瑠璃史の一八世紀』で文学博士(早稲田大学)の学位を取得。第22回河竹賞受賞。
大城 将保(おおしろ まさやす、1939年〈昭和14年〉10… 大城 将保(おおしろ まさやす、1939年〈昭和14年〉10月18日 - )は、沖縄県南城市出身の歴史研究者、作家。ペンネーム「嶋津与志」(しま つよし)で作家活動を行っている。「沖縄平和ネットワーク」代表世話人。特定非営利活動法人沖縄県芸術文化振興協会理事長、新沖縄県史編集委員。 沖縄戦での住民の被害調査、平和研究、小説執筆などを行っている。沖縄戦研究では沖縄県史の編集に携わった後、県立博物館長などをつとめた。嶋津与志名では『琉球王国衰亡史』や映画『GAMA 月桃の花』のシナリオ作品などがある。また家永教科書裁判や大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判では原告側(集団自決への日本軍による強制を否定する側)の引用文献著者として登場する。
野口 貴史(のぐち たかし、1938年10月18日 - 20… 野口 貴史(のぐち たかし、1938年10月18日 - 2020年)は、日本の俳優。 本名及び旧芸名は野口 泉(のぐち いずみ)。 愛媛県西条市出身。東宝芸能学校卒業後、鶴田浩二の付き人になる。 東映へ入社すると、本名で1963年より始まるヤクザ映画に多数出演。 1969年の後半より改名。 『仁義なき戦いシリーズ』では、第1作から第5作『仁義なき戦い 完結篇』までに出演し、第1作から『仁義なき戦い 頂上作戦』(第4作)までは広能昌三に仕える忠実な子分・岩見益夫役を演じた。 ピラニア軍団の一員でもあった。
佐藤 亮一(さとう りょういち、1937年10月18日 - … 佐藤 亮一(さとう りょういち、1937年10月18日 - 2020年11月11日)は、日本の日本語学者。専門は方言学。山形県山形市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1960年東北大学文学部国語学科卒業、1963年同大学院文学研究科国語学専攻課程修士課程修了(文学修士)、1966年同博士課程単位取得退学。1966年聖和学園短期大学助教授、1968年国立国語研究所第一研究部地方言語研究室に入室、1975年同室長、1989年フェリス女学院大学文学部教授、1994年東京女子大学現代文化学部教授、2006年退職。 国立国語研究所では、「日本言語地図(LAJ)」「方言文法全国地図(GAJ)」、「日本方言大辞典」などの編纂にあたった。
板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日… 板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日 - 2017年12月6日)は、日本の漫画家。板井レンタロー、荒井太郎、板井たけお、板井太郎、板井練太郎などの名義による作品も多い。 兵庫県芦屋市生まれ、東京都杉並区に育つ。父親は大分県出身。 杉並区立久我山中学校から日本大学第二高等学校に進学。中学2年生のときに、手塚治虫の漫画作品に感銘を受け、漫画家を目指した。日大第二高時代に『漫画少年』にアマチュア投稿をしたことがある。 1955年に日本大学商学部に進学。同時に単行本『関が原の決戦』(曙出版)でデビュー。大学卒業後、仲間の園山俊二と東海林さだおらと『学漫グループ』に参加したことがある。
薗田 坦(そのだ たん、1936年〈昭和11年〉10月18日… 薗田 坦(そのだ たん、1936年〈昭和11年〉10月18日 - 2016年〈平成28年〉4月22日)は、日本の宗教学者(宗教哲学)。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は文学博士。京都大学名誉教授、仁愛大学名誉教授、日本学士院会員。 京都大学文学部助手、大阪市立大学文学部教授、京都大学文学部教授、京都大学大学院文学研究科教授、龍谷大学文学部教授、仁愛大学学長などを歴任した。 1936年10月18日、和歌山市生まれ。1959年京都大学文学部(宗教学専攻)卒。1964年同大学院博士課程単位取得満期退学。 大阪市立大学助教授、京都大学助教授、1989年 京大にて文学博士、京大文学部教授(西洋近世哲学史)、2000年定年退官、龍谷大学教授、仁愛大学学長。
田中 美代子(たなか みよこ、1936年10月18日 - 2… 田中 美代子(たなか みよこ、1936年10月18日 - 2023年12月21日)は、日本の文芸評論家。本名は木暮美代子。 埼玉県秩父市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。1965年に『文学者』に発表した「三島由紀夫小論」で注目される。 田中が郵送した『文学者』を読んだ三島は書簡を返信し、新潮文庫版『獣の戯れ』の解説執筆を要請し、以後も『午後の曳航』や『天人五衰』などの文庫解説を書き、講談社版『三島由紀夫短篇全集』全6巻の解説を担当。新潮社での旧版『三島由紀夫全集』編纂も務めた。 三島からは「真のリズール(文学作品を深く読解する者・精読者)」と呼ばれて信頼されたが、生前の直接の面会はなかった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小田 剛(おだ たけし、1935年10月18日 - )は、日… 小田 剛(おだ たけし、1935年10月18日 - )は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。 長崎県出身。1958年に九州工業大学鉱山工学科を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1998年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2001年4月に取締役を経て、同年6月から相談役を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
正司 泰一郎(しょうじ たいいちろう、1935年(昭和10年… 正司 泰一郎(しょうじ たいいちろう、1935年(昭和10年)10月18日 - )は日本の元政治家。元兵庫県宝塚市長。旭日中綬章。 兵庫県に生まれる。甲南大学経済学部を卒業し、オハイオ州立大学大学院を修了。 宝塚青年会議所理事長、兵庫県議会議員を務めた。1983年(昭和58年)第37回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から無所属で立候補したが落選した。 1991年(平成3年)2月7日、宝塚市長に就任し、2003(平成15年)まで3期在任して引退した。 2010年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 現在は正司邸の正司家当主となっている。
川本 八郎(かわもと はちろう、1934年10月18日 - … 川本 八郎(かわもと はちろう、1934年10月18日 - )は、学校法人立命館の常任相談役、第9代理事長。大学職員(学校事務職員)から学校法人のトップに上り詰め、大南正瑛、長田豊臣両総長を支えて辣腕を奮った。理事長時代には「改革」の手腕を評価される一方で、学園規模の拡大や産学連携の促進といった施策に対して、ワンマン的、経営主義との批判もあった。 全共闘によって破壊されたわだつみ像の再建運動に関わった。
乾 晴美(いぬい はるみ、1934年〈昭和9年〉10月18日… 乾 晴美(いぬい はるみ、1934年〈昭和9年〉10月18日 - 2025年〈令和7年〉2月26日)は、日本の政治家。位階は正五位。 科学技術政務次官(第45代)、参議院議員(1期)、AWA女性問題研究所代表などを務めた。遠縁に工学者の佐藤大記がいる。 徳島県石井町出身。1957年(昭和32年)、徳島大学学芸学部を卒業。教員を務め、1982年(昭和57年)、徳島県青少年婦人室長補佐を経て、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙に連合の会から徳島県選挙区から立候補して自由民主党の亀長友義を破り当選。 1993年(平成5年)に誕生した細川内閣では科学技術政務次官を務めた。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙で落選した。
水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )… 水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )は、日本の経済学者。経済評論家。経済学博士(名古屋大学)、中京大学名誉教授。「日本経済の分析と展望」などを研究テーマとしてテレビ、ラジオへの出演多数。愛知県名古屋市出身。兄は名古屋大学名誉教授の水谷伸治郎。
須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 201… 須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 2017年1月2日)は、日本の映画監督、脚本家、映画評論家、思想評論家。 ドキュメンタリー映画や思想や生き方についての評論集の著作を数多く輩出している。 大阪府生まれ、幼少期に山口県下関市に移住、戦時中に川棚温泉に疎開後、再び下関市に戻り旧制豊浦中学に入学、学校制度の変更後山口県立豊浦高等学校在学中、新聞部に所属、山口県秋吉台でおこなわれた1泊2日の反戦・平和キャンプ集会に参加、県警警備部刑事の撮影した写真によって参加が学校に明るみに出て、反省文を提出すれば無期停学にするという学校の処分を、何もやましい事がないのに反省文は出せないと拒否し、強制退学となる。
稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )… 稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )は、日本の俳優。旧芸名:稲吉 靖(読みは同じ)。 東京市(現:東京都)中野区野方出身。 明治大学商学部卒業。東京コドモサークル、劇団こけし座、劇団山王、衣笠プロ、東映、三木事務所、天知プロダクション を経て、エヌ・エー・シー、中里事務所 に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )… 北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )は、千葉県佐原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 佐原一高卒業後、日本ビールに入社。エースとして都市対抗の常連となる。1956年の産業対抗では決勝に進出、熊谷組を無失点に抑え好投するが、9回裏サヨナラ負けを喫する。同大会では敢闘賞を獲得した。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。1958年の都市対抗では3勝を挙げて準決勝に進出するが、日本石油に惜敗。 1959年に国鉄スワローズへ入団すると、1年目から主力投手として活躍。長年エースとして君臨していた金田正一を凌ぐ、37先発322回2/3を投げ、18勝20敗・防御率2.51(リーグ6位)の好成績をマーク。
寺内 小春(てらうち こはる、1931年10月18日 - 2… 寺内 小春(てらうち こはる、1931年10月18日 - 2010年5月12日)は、日本の作家、脚本家。女性。 京城府生まれ。その後、福島県に引き揚げ、福島県立安達高等学校卒業。 22歳で結婚し、子育てを経て35歳からシナリオ研究所を受講。TBSの大山勝美プロデューサーに認められ、1972年に田宮二郎主演の「知らない同志」を執筆。 その後、「華岡青洲の妻」で脚本家として本格デビューを果たす。「麗子の足」・「イキのいい奴」で第5回向田邦子賞(1985年度)を受賞。 「はね駒」(昭和61年放送NHK連続テレビ小説)ではギャラクシー賞を受賞。 2010年5月12日、心筋梗塞の為に死去。78歳没。
桜井 信夫(さくらい のぶお、1931年10月18日 - 2… 桜井 信夫(さくらい のぶお、1931年10月18日 - 2010年8月18日)は、日本の詩人、児童文学作家。日本民話の会会員。 東京出身。國學院大學文学部国文学科卒業。 1999年に長編叙事詩集『ハテルマシキナ よみがえりの島・波照間』で第29回赤い鳥文学賞、第39回日本児童文学者協会賞、第3回三越左千夫少年詩賞特別賞受賞。 妻は児童文学作家の中島信子。
桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] … 桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] - 2020年11月16日)は、日本の政治家。元札幌市長(在任1991年 - 2003年、3期)。 1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任。1983年6月、札幌市助役に着任。 1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる。
深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、… 深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、日本の劇作家。本名・大岡かね子。 静岡県沼津市生まれ。沼津学園高等女学校(現・飛龍高等学校)卒業。1970年代より『ユリイカ』や『文藝』に戯曲作品を発表している。そのほかにラジオドラマ『堀川の姫』、小説『花びら闇』がある。 夫は詩人の大岡信、息子は作家の大岡玲、娘は画家・詩人の大岡亜紀。
松浦 昭(まつうら あきら、1929年10月18日 - 19… 松浦 昭(まつうら あきら、1929年10月18日 - 1996年3月18日)は、日本の政治家・官僚。北海道勇払郡追分町(現安平町)出身。 水産庁時代、日ソ漁業交渉を何度も手掛け、漁業関係に貢献している。 議員としての最後の務めとなった宮沢内閣不信任案採決では、病気で足腰が弱った中で登壇し賛成票を投じた。 嵯峨源氏の松浦氏の後裔。父は松浦栄で、元衆議院議員にして北海学園大学名誉教授。弟は松浦保で、元慶應義塾大学教授。親族に、北海道大学名誉教授・北海学園大学元学長の農業経済学者・高倉新一郎がいる。
伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18… 伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18日 - 2001年12月14日)は、三重県四日市市出身で高嶋部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲見 徳男(いなみ とくお)(旧姓伊藤)。引退後は若者頭(友綱部屋(高嶋を襲名していた巴潟の名跡変更によるもの)所属)として停年まで勤務した。177cm、92kg。最高位は西十両12枚目。得意技は左四つ、寄り。 1949年5月場所初土俵、1955年5月場所十両昇進。1958年9月場所で引退してからは若者頭に転じ、1994年10月定年退職。1999年まで間垣部屋で指導した。
馬場 のぼる(ばば のぼる、1927年10月18日 - 20… 馬場 のぼる(ばば のぼる、1927年10月18日 - 2001年4月7日)は、日本の漫画家・絵本作家。本名:馬場 登(読み同じ)。 手塚治虫・福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれた。やがて大人漫画や絵本も執筆し、日本経済新聞の連載4コマ漫画『バクさん』、絵本『11ぴきのねこ』シリーズ等が代表作となった。 青森県三戸郡三戸町大字川守田字元木平に3人姉弟の末っ子として生まれる。『のらくろ』『冒険ダン吉』などの児童漫画に親しんだ。旧制岩手県立福岡中学校4年修了後の1944年、海軍予科練14期生として土浦海軍航空隊に入隊。練習機が不足していたため、秋田県北秋田郡上大野村の同隊グライダー訓練基地に転じ、特攻隊員として出撃を待つ間に敗戦をむかえる。
七ッ海 操(ななつうみ みさお、1927年10月18日 - … 七ッ海 操(ななつうみ みさお、1927年10月18日 - 1994年12月24日)は、茨城県猿島郡七郷村(※現役当時、現・同県坂東市大谷口)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は野口 操(のぐち みさお)。最高位は西前頭12枚目(1954年5月場所)。現役時代の体格は188cm、109kg。得意手は左四つ、吊り、小股掬いなど。 小学校を卒業後、地元の消防署に勤務していたが、19歳の時に立浪部屋へ入門。1947年6月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、本名と同一の「野口」。その後「七ッ海」に改名したが、これは、故郷の猿島郡七郷村に因んでいる。 以来、恵まれた体躯を生かして順調に出世し、1952年9月場所で新十両に昇進。
貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - … 貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - 1998年11月13日)は、日本の地理学者。出身は三重県桑名市(旧桑名郡桑名町)。専門は地形学・第四紀学。(旧)東京都立大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 地形発達史研究や、活断層研究などが専門である。この分野に興味を持ったのは、旧制桑名中学校(現・三重県立桑名高等学校)時代に桑名駅西口から桑名中学へ至る地域に細長い丘の列があることを発見し、その成因が気になったことがきっかけである。研究者になった貝塚は自らこの謎に挑み、「桑名市西部の断層地形」の題名で地理学評論に論文を発表した。 戦後の日本における第四紀学、地形学の指導的な役割を果たした。
岡野 眞治(おかの まさはる、1926年10月18日 - 2… 岡野 眞治(おかの まさはる、1926年10月18日 - 2019年1月3日)は、日本の科学者。理学博士。 1926年、神奈川県鎌倉市出身で、鎌倉市に在住していた。 1945年に入学した電波科学専門学校(後の東海大学)は、日本の現代物理学の父と呼ばれる仁科芳雄が校長を務めており、卒業後は仁科が率いていた科学研究所(現理化学研究所)に入所する。 日本における放射線研究の第一人者であり、科学技術庁長官賞を2度にわたって受賞。 理化学研究所在籍時代には1954年には水素爆弾実験で第5福竜丸が被爆したビキニ事件では日本政府による調査団の一員としてビキニ環礁へ赴いたり、チェルノブイリ原子力発電所事故が発生したウクライナ・プリピャチ周辺、東京電力福島第一原発事故が発生した福島県各地等、あらゆる場所で放射線状況を詳しく調査・測定している。
田中 融二(たなか ゆうじ、1926年10月18日 - 19… 田中 融二(たなか ゆうじ、1926年10月18日 - 1998年5月12日)は、日本の翻訳家。東京・千駄ケ谷生まれ。 大学予科から海軍予備学校生徒となり、東京大空襲で父を、広島の原爆で母を失い、敗戦後に一橋大学卒業。 1952年日本新聞協会、1963年ダイヤモンド・タイムに勤務。さまざまな職業に就きつつ翻訳をし1953年「ソビエト無銭旅行」で翻訳家としてデビュー。1957年沼田茂の名で「或る遺書」により文学界新人賞受賞。小説は翌年「鶏」を『文學界』に発表したのみで、以後翻訳家として生計を立てる。推理もの、SF、ビジネスものなど多数を翻訳、E・S・ガードナー、レン・デイトンなどが多かった。 最後はがんを宣告され、北海道の小樽で自動車に排気ガスを引き込んで自殺した。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
土井 新吉(どい・しんきち、1925年10月18日 - 20… 土井 新吉(どい・しんきち、1925年10月18日 - 2004年6月16日)は、日本国のスポーツジャーナリスト。
川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2… 川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2012年1月30日)は、日本の団体役員。日本放送協会会長(第13代)。 東京都出身。武蔵高等学校、1943年3月東京帝国大学経済学部を卒業。 1946年NHKに入局。職員局長、人事局長、報道局長を歴任。 1973年に理事に就任し、1976年から専務理事、人事本部長。1980年NHK美術センター(現NHKアート)社長。1982年、NHK会長に就任。1988年までの2期を務めた。 2012年1月30日、心不全のため死去。90歳没。
真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18… 真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1981年〈昭和56年〉1月10日)は、日本の法制官僚、裁判官、弁護士。内閣法制局長官。 福井市出身。弁護士・真田一夫、政乃夫妻の七男として生まれた。福井県立福井中学校、第三高等学校を卒業。大学在学中に高等試験司法科試験に合格。京都帝国大学法学部を卒業。1942年(昭和17年)1月、司法官試補となり東京地方裁判所判事に任官。召集され陸軍の戦車隊に配属されたが、海軍短期現役士官を志願し海軍法務官に転じ、終戦時は海軍法務中尉であった。 戦後、裁判官に復帰したが、1947年(昭和22年)法制局に転じ参事官となり、第二部長、第一部長、内閣法制次長などを歴任。
堤 達男(つつみ たつお、1918年〈大正7年〉10月18日… 堤 達男(つつみ たつお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1988年〈昭和63年〉)は、日本の彫刻家、教育者。 構造社会友、静岡県立松崎高等学校講師、鳩巣会会長(初代)、社団法人日展会員などを歴任した。 静岡県出身の彫刻家である。日本美術展覧会での特選を機に評価を確立し、伊豆半島で制作に勤しんだ。また、高等学校にて教鞭を執り、後進の育成にも務めた。彫刻家集団である「鳩巣会」では会長に推戴された。 1918年(大正7年)10月18日、静岡県賀茂郡仁科村に生まれた。幼い頃より美術に関心を持ち、彫刻家になることを志した。静岡県立豆陽中学校を経て、1936年(昭和11年)に東京美術学校に進学、彫刻科で学んだ。
小池 東一郎(こいけ とういちろう、1918年10月18日 … 小池 東一郎(こいけ とういちろう、1918年10月18日 - 2001年1月21日)は、日本の工学者。北海道大学名誉教授、道都大学・北見工業大学元学長。従三位勲二等旭日重光章。新潟県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
細貝 大次郎(ほそがい だいじろう、1917年10月18日 … 細貝 大次郎(ほそがい だいじろう、1917年10月18日 - )は、日本の経済学者・農学者・官僚。経済学博士(拓殖大学)。専門は農業政策。拓殖大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。 茨城県生まれ。1938年宇都宮高等農林学校農政経済科卒業。農商務省に入省。その後、大東亜省広東日本総領事館勤務などを経て、終戦。戦後は、財団法人農政調査会研究員。1954年拓殖短期大学貿易科講師(農村調査論を担当)。1958年拓殖大学政経学部助教授(日本経済史・協同組合論を担当)。1964年拓殖大学政経学部教授。1967年拓殖大学評議員。1979年同政経学部長。1987年同副学長。1988年拓殖大学理事。1989年拓殖大学定年退職。
遠藤 健児(えんどう けんじ、1916年10月18日 - 1… 遠藤 健児(えんどう けんじ、1916年10月18日 - 1994年4月8日)は、日本の経営工学者。 長崎県佐世保市出身。東京帝国大学工学部機械工学科卒、1983年「運搬活性の研究」で慶應義塾大学工学博士。1939年大日本兵器勤務、のち日平産業(改称)で管理技術関係。1955年千葉工業大学教授となり、1962年武蔵工業大学教授。1987年に定年となり、名誉教授。日本工業経営学会会長を務めた。
月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳… 月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である。出生名前川 澄枝(まえかわ すみえ)、結婚後の本名は小林 澄枝(こばやし すみえ)。 1916年(大正5年)10月18日、埼玉県秩父郡秩父町宮ノ側(現在の同県秩父市宮側町)に生まれる。母の妹が女優の五月信子(1894年 - 1959年、本名前川しのぶ)である。 旧制・秩父郡立秩父尋常小学校(現在の秩父市立秩父第一小学校)を卒業した後、1930年(昭和5年)前後に五月信子・高橋義信夫妻の「近代座」に参加し、川村花菱の新派悲劇『母三人』で初舞台を踏む。1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社、同年12月14日に公開された、川村花菱原作、井上金太郎監督のサイレント映画『上州土産百両首』で尾上栄五郎の相手役を務めて、満17歳で映画界にデビューした。
三樹 青生(みき せいき、1915年10月18日 - 200… 三樹 青生(みき せいき、1915年10月18日 - 2000年3月18日)は、日本の翻訳家、作家。本名は三樹 精吉。 米国サクラメント生まれ。1937年大阪外国語学校フランス語部卒業。毎日新聞、静岡新聞、第一新聞記者を経て、1949年より日本新聞協会勤務。英米文学翻訳家。1970年「終曲」で直木賞候補。国語審議会委員も務め、TBSブリタニカ監修部長、帝京大学文学部教授(1996年定年)。大学では社会教育学を指導した。 実子は編集者の三樹創作。
立津 政順(たてつ せいじゅん、1915年(大正4年)10月… 立津 政順(たてつ せいじゅん、1915年(大正4年)10月18日 - 1999年(平成11年)1月28日)は、日本の精神科医。沖縄県出身。統合失調症、一酸化炭素中毒、水俣病などを研究。松沢病院時代は終戦時の精神病療養所の死亡率を発表した。位階は正四位。 小学校時代は沖縄県今帰仁小学校に通学し、優等生であった。1936年旧制水戸高等学校を卒業、1940年3月東京大学医学部卒業。精神科入局(内村祐之教授)東京大学助手を経て1942年12月19日、東京都立松沢病院に勤務。1946年12月東京大学医学博士。論文の題は「本邦人の精神疾患負荷に関する研究」1954年3月医長に昇任。1961年4月1日、第4代熊本大学精神科教授。