伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 20… 伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 2024年5月7日)は、日本の政治家。元沖縄県平良市長(3期)、元宮古島市長(1期)。 1933年、当時、父が教員として赴任していた沖縄県宮古郡多良間村(多良間島)で生まれる。多良間島で4歳まで過ごした後、父の転勤により伊良部町字佐和田(現宮古島市伊良部佐和田)、次いで小学1年生時に平良町(現宮古島市平良)に移り、1941年には台湾に移り住んだ。 岡山大学医学部卒。琉球政府立宮古南静園園長、沖縄県宮古保健所所長、沖縄県立宮古病院院長などを経て、1964年に伊志嶺医院を開業。 1994年に平良市長に初当選。以後、3期にわたって平良市長を務める。
佐藤 孝尚(さとう たかなお、1933年1月19日 - )は… 佐藤 孝尚(さとう たかなお、1933年1月19日 - )は、水球選手。1956年に、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。1960年ローマオリンピック日本代表にも選ばれたが、予選敗退となった。1964年の東京オリンピックのときは、強化コーチを務め、民放テレビの解説者もした。 ほかに、全日本高校選手権、全日本選手権、アジア大会、ユニバーシアードにも出場し、数々の大会でチーム主将を務めた。1986年からは、トライアスロン競技にも参加し、63歳になるまで大会参加を続けた。 アイスホッケー優勝 『ジェットシューターズ』 世界新記録に1秒及ばず (南伊豆・熱海・三保の松原・伊東の4大会) 70歳以上部門 MVP受賞 会長就任(http://n-ows.jp/)
笹本 孝(ささもと たかし、1933年1月19日 - )は、… 笹本 孝(ささもと たかし、1933年1月19日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京生まれ。1963年、早稲田大学仏文科卒。1967年、同大大学院博士課程単位取得満期。パリ第3大学へ留学。跡見学園女子大学講師、助教授、教授、2002年定年退任。フランス現代詩が専門。
郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 … 郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 - 2006年(平成18年)12月12日)は、日本の野球審判。元日本学生野球協会常任理事。 旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校・中学校)時代に身体を壊して野球が出来なくなった時に野球部監督であった島岡吉郎から「選手でダメなら審判をやれ」と審判への転向を勧められる。 明治大学卒業後に日本放送協会(NHK)に入職し、運動部記者を務めていたが、父親の事業を継ぐためにNHKを退職。事業の傍らアマチュア野球審判員となり、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年~1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた。
花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年… 花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年12月14日)は、岐阜県出身のプロ野球選手、野球解説者。 岐阜高等学校(1948年8月までの校名は岐阜第一高等学校)では、エースとして1948年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが、小倉高の福嶋一雄に抑えられ完封負け。翌1949年の夏の甲子園でも順調に勝ち進み、決勝に進出。佐々木信也のいた湘南高と対戦するが3-5で逆転負け、準優勝にとどまる。チームメートに河合保彦、森和彦らがいた。卒業後は慶應義塾大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは1951年秋季リーグから2季連続優勝、右翼手、四番打者として活躍する。リーグ通算86試合出場、265打数76安打、0本塁打、49打点、打率.287。
武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本… 武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本の心理学者、社会福祉学者。関西学院大学教授、同大学学長、理事長を歴任した。関西学院大学名誉教授。関西福祉科学大学名誉教授。関西学院大学の定年退職後は関西福祉科学大学教授を務めた。関西学院大学ファイターズ元監督。東京都出身。 関西学院中学部・高等部を経て、1952年関西学院短期大学英文科卒業、1954年同大学文学部社会事業学科卒業、1956年同大学院文学研究科教育学専攻修了。カナダ、アメリカ合衆国に渡り、1958年トロント大学大学院社会福祉専攻修了(M.S.W)、1962年にはミシガン州立大学大学院カウンセリング心理博士課程修了(Ph.D)。
乾 裕幸(いぬい ひろゆき、1932年〈昭和7年〉1月19日… 乾 裕幸(いぬい ひろゆき、1932年〈昭和7年〉1月19日 - 2000年〈平成12年〉9月22日)は、日本の国文学者。元関西大学教授。専門は井原西鶴や松尾芭蕉などの俳諧。 和歌山県那賀郡池田村(後の打田町、現・紀の川市)生まれ。1954年高野山大学卒業。在学中、天理大学図書館に通い、中村幸彦、木村三四吾の知遇を得る。 卒業後は府立高校教員(地方公務員)として池田市立中学校教諭となった後、地方公務員を退職したが、引き続き私立学校教員として、大谷高等学校教諭を経て、1970年親和女子大学助教授、1976年同教授。1978年帝塚山学院大学教授。1981年『ことばの内なる芭蕉』で芭蕉祭文部科学大臣奨励賞。
桑名 一博(くわな かずひろ、1932年1月19日 - )は… 桑名 一博(くわな かずひろ、1932年1月19日 - )は、日本のスペイン文学者、翻訳家。多くの翻訳書がある。 東京生まれ。1956年東京外国語大学スペイン語学科卒業。1963年龍谷大学講師、1965年神奈川大学助教授、1972年愛知県立大学助教授、1975年教授、1980年外国語学部長、1983年東京外国語大学教授、1995年定年となり清泉女子大学教授を務めた。 1988年、フランシスコ・デ・ケベード『大悪党』をはじめとするスペイン古典文学の翻訳で会田由賞受賞。 ホセ・オルテガ・イ・ガセットのほか、ガブリエル・ガルシア=マルケスなど20世紀ラテンアメリカ文学の翻訳も多く出した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
多田 尋子(ただ ひろこ、1932年1月19日 - 2026… 多田 尋子(ただ ひろこ、1932年1月19日 - 2026年3月22日)は長崎県生まれの小説家。長崎市出身。日本女子大学国文科卒業。本名・石亀尋子(いしがめ ひろこ)。 駒田信二の朝日カルチャーセンターの小説教室に通っていた。 2026年3月22日、敗血症のため横浜市の病院で死去。94歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 … 明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 - )は、日本の外交官、国際公務員、政治家。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)顧問、国際教養大学名誉教授、同大学トップ諮問会議委員、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授。国際連合事務次長や国際連合事務総長特別代表を歴任。 戦国時代のキリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている。母親の実家は、忠犬ハチ公の生家であった。 秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)出身。築山小学校在学時に秋田市に移住。県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)から旧制山形高校(現在の山形大学人文学部および理学部)を経て、東京大学に進学。
吉田 秀太郎(よしだ ひでたろう、1931年1月19日 - … 吉田 秀太郎(よしだ ひでたろう、1931年1月19日 - )は、日本のスペイン語学者、大阪外国語大学名誉教授。 香川県・仲多度郡仲南町出身。1953年大阪外国語大学イスパニア語科卒、1956年チリ大学卒。1957年大阪外国語大学講師、助教授、72年教授、95年定年退官、名誉教授。
柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 20… 柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 2015年10月4日)は、日本の実業家。朝日放送の元社長・会長・相談役。 大阪府大阪市出身。旧制大阪高等学校を経て、1953年に京都大学文学部卒業後、朝日新聞社へ入社。深代惇郎とは同期。社会部員、外報部員、サイゴン、パリ各支局長、ヨーロッパ総局長、1976年東京本社外報部長、1983年大阪本社編集局長、1987年朝日放送取締役、1989年常務、1990年専務、1995年6月社長、2002年6月27日会長、2005年6月28日相談役。その他には大阪日伊協会会長、社団法人アジア協会アジア友の会会長などを歴任した。 ※この他宝塚歌劇で上演された「凱旋門」(2000年・雪組)や「琥珀色の雨にぬれて」(2002年・花組)の公演プログラムにも本人の執筆によるエッセイが掲載されている。
吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 19… 吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 1987年10月28日)は、日本の英文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市出身。東京外国語大学英米語科卒業。横浜市立大学教授を務めた。また、日本英文学会会員であった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日… 広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日- 2014年12月4日 )は、日本の経営者。東京証券社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1954年に同志社大学経済学部を卒業し、同年4月に日興證券に入社した。1981年12月に取締役に就任し、1983年9月に常務、1985年11月に専務を経て、1987年8月に副社長に就任し、1990年6月には東京証券社長に就任した。1995年6月に会長に就任し、1998年4月には相談役に就任。 2014年12月4日、慢性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
田渕 勲二(田淵 勲二、たぶち くんじ、1930年1月19日… 田渕 勲二(田淵 勲二、たぶち くんじ、1930年1月19日 - 1997年10月9日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 京都府出身。1949年福知山工専卒。翌年日本通運大阪梅田支店に入る。日通では労組役員を務め、1981年に全日通委員長に就任した。1986年の第14回参議院議員通常選挙で比例区から日本社会党公認で立候補して当選した。1992年の第16回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。1997年10月9日、心不全のため東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去、67歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月… 須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月1日) - 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者・翻訳家。 20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごした。日本に帰国し40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として注目され、50代後半からは随筆家としても脚光を浴びた。代表的な著作に『ミラノ霧の風景』(1990年)、『コルシア書店の仲間たち』(1992年)など。 死去後の2014年に、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設されている。 大手の空調・衛生設備業者、須賀工業(旧須賀商会)経営者の家に生まれる。
片桐 大忍 (かたぎり だいにん、1928年1月19日 - … 片桐 大忍 (かたぎり だいにん、1928年1月19日 - 1990年5月1日)は、日本の曹洞宗の僧侶で、ミネソタ禅センターの開山。 アメリカ中部での日本からの禅の拡大に大きく貢献した。 泰蔵院(福井県)の林ダイチョウの下で出家し、永平寺の橋本恵光の下で3年間修行した。その後、駒澤大学に入学した。 1963年に、曹洞宗務庁よりロサンゼルスの禅宗寺に派遣された。 1965年にサンフランシスコの桑港寺に行き、鈴木俊隆と、後の1969年に分離設立されたサンフランシスコ禅センターの活動を助けた 。 サンフランシスコでの勤務中、彼は自分の坐禅会を作ることを考え始めた。その後ほどなくして鈴木老師が亡くなり、モントレーに坐禅会を結成した。
酒井 恒(さかい ひさし、1928年1月19日 - 2008… 酒井 恒(さかい ひさし、1928年1月19日 - 2008年8月1日)は、日本の解剖学者。 東京府(現・杉並区)生まれ。1954年東京大学医学部卒、1959年同大学院生物系研究科解剖学博士課程修了、「鍍銀法殊にRomanes法による変性軸索の追求」で医学博士。東大助手、1961年金沢大学医学部助教授、1973年名古屋大学医学部教授、92年定年退官、名誉教授。1987年『ターヘル・アナトミアと解体新書』で日本翻訳出版文化賞受賞。
佐々木 荒(ささき あらし、1928年1月19日 - 201… 佐々木 荒(ささき あらし、1928年1月19日 - 2011年5月26日)は、日本の経営者。古河機械金属社長、会長を務めた。 鳥取県出身。1953年に東京大学法学部商法律学科を卒業し、同年に古河鉱業(のちの古河機械金属)に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 2000年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2011年5月26日、肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 20… 正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 2006年10月18日)は、日本の弁護士(自由法曹団)。日本共産党衆議院議員。
滝浦 静雄(たきうら しずお、1927年1月19日 - 20… 滝浦 静雄(たきうら しずお、1927年1月19日 - 2011年6月14日)は、日本の哲学者。東北大学名誉教授。 フランス及びイギリスの哲学を研究、メルロ=ポンティの翻訳を多く行った。 岩手県紫波郡紫波町出身。1951年、東北大学文学部哲学科卒業。1962年岩手大学助教授、1971年東北大学教授を経て、1985年東北大学文学部部長に就任。1989年定年退官、名誉教授。 その後岩手県立大学盛岡短期大学部学長、日本哲学会委員、日本現象学会委員などを務め、2005年秋に瑞宝中綬章受勲した。 2011年6月14日、胃癌のため宮城県仙台市内の病院で死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19… 水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19日 - 1994年(平成6年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 三重県桑名市出身。1951年(昭和26年)早稲田大学政治経済学部卒業。桑名市議会議員、三重県議会議員、第64代三重県議会議長(1971年(昭和46年)5月 - 1972年(昭和47年)5月)、全国都道府県議長会副会長、自由民主党三重県支部連合会幹事長を歴任した。1982年(昭和57年)春の褒章で藍綬褒章受章。 1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙の三重県選挙区で日本社会党所属の坂倉藤吾を破り当選した。自由民主党に所属して、予算委員会理事、農林水産委員、国会対策委員、商工局次長、出版局次長を務めた。
巖本 眞理(いわもと まり、1926年1月19日 - 197… 巖本 眞理(いわもと まり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)は、日本の女性ヴァイオリニスト。 日本初の室内楽定期演奏会94回の偉業を達成した。 教育者巌本善治と若松賤子の長男である巌本荘民(まさひと)とアメリカ人巌本マーグリートの間の長女として東京西巣鴨に生まれた。出生時の戸籍名は巖本メリー・エステル。6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。 ハーフとして差別を受け、病弱だったためもあり、1935年に私立帝国小学校を4年生で中退。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1938年4月、13歳にして第6回日本音楽コンクールで一位となり、天才少女と呼ばれる。1939年11月11日、レオ・シロタの伴奏で第一回独奏会を開く。
日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19… 日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19日 - 2015年(平成27年)2月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。成人T細胞白血病の成因がウイルスであることを指摘した。京都大学・熊本大学名誉教授。秋田県名誉県民。
遠藤 忠夫(えんどう ただお、1925年1月19日 - 20… 遠藤 忠夫(えんどう ただお、1925年1月19日 - 2008年11月24日)は、日本の社会運動家、書店経営者。 宮城県で生まれ、仙台高等工業学校を卒業して国鉄仙台鉄道局で勤務した。退職して日本共産党へ入党し、宮城県委員長などを経て党本部財政部で勤務したが1950年の党分裂時に除名されて離党した。1950年に東京神田でウニタ書舗(ウニタ書店とも)を創業して左翼や新左翼系の出版物を専門的に扱う書店として知られ、1970年代以降は経営が不振で1982年9月20日に閉店した。 ウニタ書舗以降、重信房子と個人的な信頼関係による日本赤軍の連絡役として知られ、北朝鮮と独自の連絡手段を有するとされた。1991年に拉致被害者家族の一部が予定した実名会見を中止するよう働きかけた、と北朝鮮による拉致被害者家族連絡会は公表した。
森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年… 森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年11月15日)は、日本の俳優。本名:鈴木 威。秋田県由利郡下浜村(現 秋田市)出身。
太田垣 貴美(おおたがき たかみ、1924年1月19日 - … 太田垣 貴美(おおたがき たかみ、1924年1月19日 - 1991年11月12日)は、日本の経営者。北大阪急行電鉄社長を務めた。兵庫県城崎郡城崎町(現在の豊岡市)出身。 1946年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、1948年4月に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1967年11月に北大阪急行電鉄に出向し、取締役、常務、専務を経て、1980年6月に社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1991年11月12日に死去。67歳没。
江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 198… 江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 1982年7月17日)は、日本の小説家。本名・中野美与志。 岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)生まれ。高山高等女学校中退。 『文芸首都』同人から、同人誌『東海文学』を主宰。1950年「南海鳥獣店」で新潮文学賞佳作入選。1963年『脱走記』(江夏美子名義)で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となる。1970年『下々の女』で田村俊子賞受賞。 口腔がんを患い、闘病生活のなか、1982年7月17日に首を吊って自殺した。享年59。
中村 明(なかむら あきら、1923年〈大正12年〉1月19… 中村 明(なかむら あきら、1923年〈大正12年〉1月19日 - 2009年〈平成21年〉6月7日)は、日本の実業家。昭和発電元社長。昭和電工元取締役。大口自家発電施設者懇話会(JIKACON)元会長。第28代自由民主党総裁・第102・103代内閣総理大臣の石破茂の義父。 新潟県出身。医師の中村安蔵・きい夫妻の六男として生まれる。1946年(昭和21年)東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、昭和電工に入社。1975年(昭和50年)取締役に就任。1979年(昭和54年)3月退職し、昭和発電(昭和電工の系列会社)社長に就任した。1988年(昭和63年)3月昭和発電解散後、昭和電工顧問に就任。1993年(平成5年)3月退任。
岩井 栄太郎(いわい えいたろう、1923年1月19日 - … 岩井 栄太郎(いわい えいたろう、1923年1月19日 - 2002年12月23日)は、日本の経営者。京都府出身。 1949年に立命館大学法学部を卒業。1954年11月にホテルはとや、1963年4月にはとや不動産をそれぞれ創立し、各社社長に就任。1972年7月に両社が合併し発足したハトヤ観光社長に就任し、1975年3月には会長に就任。1994年5月に京都放送社長に就任。 1973年2月に紺綬褒章を受章し、1983年11月に藍綬褒章を受章。。 2002年11月23日肺炎のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
神保 五彌(じんぼ かずや、1923年1月19日 - 200… 神保 五彌(じんぼ かずや、1923年1月19日 - 2009年12月6日)は、日本近世文学研究者。早稲田大学名誉教授。 1923年(大正12年)1月、山口県防府市に生まれる。1942年(昭和17年)10月、早稲田大学文学部文学科国文学専修に入学するも、翌年12月に応召されて南方戦線に出征。ビルマで終戦を迎え、1947年(昭和22年)2月まで捕虜生活を送る。1948年(昭和23年)4月、早稲田大学に復学し、翌年卒業。1964年(昭和39年)早稲田大学文学部助教授、翌年教授。1993年(平成5年)定年退職。2009年、膵臓癌のため86歳で死去した。 井原西鶴の浮世草子、為永春水の人情本、洒落本、滑稽本といった近世文学全般について研究した。
柳瀬 睦男(やなせ むつお;栁瀨 睦男、1922年1月19日… 柳瀬 睦男(やなせ むつお;栁瀨 睦男、1922年1月19日-2008年12月7日)は、日本の物理学者、科学哲学者、カトリック司祭。 大阪府出身。東京帝国大学理学部卒。1961年「最良の観測装置」で東大理学博士。上智大学理工学部助教授、1964年教授、副学長、同生命科学研究所長、同アジア文化研究所長、81年学長。1995年4月、勲二等瑞宝章を受章。相対性理論や量子力学が現代社会におよぼす哲学的意味を追究した。
羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 19… 羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 1994年11月23日)は、日本の鳥類学者。
山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 201… 山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 2014年6月13日)は、日本史学者・日本古典研究者。東京大学史料編纂所教授、関東学院大学文学部教授を経て、田園調布学園大学名誉教授。 東京府生まれ。1943年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所教授、定年前に1975年関東学院大学文学部教授、1989年退職、田園調布学園大学教授、のち名誉教授。1977年「平安朝文学の史的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。『栄花物語』を専門として、平安朝の歴史と文学を横断する研究をおこない、藤原道長の日記『御堂関白記』の注釈を続けた。劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」平安行事監修。横須賀市史編さん委員会委員長として『新横須賀市史』作成に携わる。
高田 久成(たかだ ひさなり、1920年1月19日 - 20… 高田 久成(たかだ ひさなり、1920年1月19日 - 2007年10月7日)は、日本の実業家、馬主。台湾出身。 名馬テンポイント等の馬主として知られ、京都馬主協会の役員を務めた。元中外炉工業株式会社取締役。 日本中央競馬会(JRA)の馬主としても知られた。勝負服の柄は桃、黄銭形散、白袖で、冠名は特に用いなかった。 所有馬は大半が地元である関西の小川佐助、戸山為夫、鹿戸幸治、鹿戸明厩舎に所属していたが、プリテイキャストのように関東の石栗龍雄厩舎に所属した馬もいた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
竹下 一記(たけした かずき、1920年 <大正9年> 1月… 竹下 一記(たけした かずき、1920年 <大正9年> 1月19日 - 2003年 <平成15年> 12月22日)は、日本の郵政官僚、経営者。郵政事務次官、熊本県民テレビ社長を歴任。位階は従三位。 熊本県出身。1941年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に高文行政科にも合格し、逓信省に入省。1962年5月に広島郵便局長、1964年6月に東京郵便局長、1966年7月に大臣官房長、1967年7月に簡易郵便局長、1969年11月に郵務局長を経て、1971年7月から1973年7月までに郵政事務次官を務めた。 1974年4月に簡易保険福祉事業団理事長を経て、1981年11月から1995年5月までに熊本県民テレビ社長を務めた。
大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月… 大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月19日 - 2000年(平成12年)11月4日)は、日本の芸術家、皮革工芸家。下田市名誉市民。本名は大久保 ふく。勲三等瑞宝章(1989年)、文化功労者(1995年)、文化勲章(2000年)。日本芸術院会員。皮革造形美術グループ「ド・オーロ」代表。モンゴル芸術大学名誉教授。日本の皮革工芸の第一人者として知られた。 静岡県賀茂郡下田町生まれ。下田尋常高等小学校(現在の下田市立下田小学校)を経て、1935年に静岡県立下田高等女学校(のちの静岡県立下田南高等学校、現在の静岡県立下田高等学校)を卒業。同郷の日本画家・中村岳陵の絵画に魅せられて画家を志し、同年、女子美術専門学校(現在の女子美術大学)師範科西洋画部入学。
朴 忠勲(パク・チュンフン、朝鮮語: 박충훈 / 朴忠勳、P… 朴 忠勲(パク・チュンフン、朝鮮語: 박충훈 / 朴忠勳、Park Choong-hoon、1919年1月19日 - 2001年3月16日)は、大韓民国の商工官僚、軍人、政治家を務めた人物である。本貫は密陽朴氏。 全羅南道済州郡(現在の済州特別自治道)出身。京城第一公立高等普通学校、日本の同志社高等商業学校をそれぞれ卒業後、韓国へ帰って大韓民国陸軍歩兵学校(朝鮮語版)を卒業した。 大韓民国空軍軍人として国防部経理局長などを務め、1961年に空軍少将を最後に予備役へ編入となり軍を離れた。予備役編入後に商工部に転じ、貿易局長、次官を歴任。 1963年に朴正煕大統領による第三共和制政権が発足すると商工部長官に就任し、張基栄(朝鮮語版)国務副総理とコンビを組み、大韓民国経済の市場自由化や輸出政策振興に取り組んだ。
岸田 稚魚(きしだ ちぎょ、1918年(大正7年)1月19日… 岸田 稚魚(きしだ ちぎょ、1918年(大正7年)1月19日 - 1988年(昭和63年)11月24日 )は、俳人。本名は順三郎。 東京都北区生まれ。石田波郷に師事。父・録三郎は龍川の俳号で増田龍雨の門下。家は代々酒屋であった。 1936年、巣鴨商業学校卒業。1939年、のちに書家として活躍する兄・稚候に連れられ「馬酔木」(主宰:水原秋桜子)の新年句会に参加。翌年11月、「馬酔木」に投句を始める。1940年、結核の療養のため、茅ヶ崎の南湖院に入院、「療養知識」の俳句欄(選者:石田波郷)に投句。1943年、波郷の主宰誌「鶴」に参加。1948年、「鶴」休刊、波郷の命により、「寒雷」(主宰:加藤楸邨)に移る。
深田 金之助(ふかだ きんのすけ、1917年1月19日 - … 深田 金之助(ふかだ きんのすけ、1917年1月19日 - 1986年11月27日)は、日本の映画監督、映画製作者、元撮影技師である。 1917年(大正6年)1月19日、島根県八束郡揖屋村(現在の松江市東出雲町揖屋)に生まれる。松江商工学校(現在の学校法人島根学園)を卒業後、松江高等簿記学校(現在の松江西高等学校)に進学したが、中途退学した。 1935年(昭和10年)、日活に入社し、日活京都撮影所撮影部で撮影助手になる。1941年(昭和16年)、技師に昇進、同年5月11日に公開された『天兵童子 第一話 幼き英雄』(監督組田彰造)で撮影技師としてデビューするとともに、『天兵童子』4部作すべてを手がける。
田中 次郎 (たなか じろう、1917年〈大正6年〉1月19… 田中 次郎 (たなか じろう、1917年〈大正6年〉1月19日 - 2017年〈平成29年〉9月28日[要出典])は、日本の航空機・自動車技術者。 立川飛行機入社後、陸軍に入隊し、陸軍機の各種エンジン評価を担当。1944年(昭和19年)から、軍籍のまま元の勤務先の立川飛行機にて、試作遠距離偵察爆撃機キ74の与圧室装備等の設計仕上げを担当。戦後、米軍にキ74とキ77を引き渡すための修理・整備を行う。 その後、立川飛行機から分離した東京電気自動車(後のたま電気自動車→たま自動車→プリンス自動車工業)にて電気自動車、そしてガソリン自動車の開発に従事する。 日産自動車と合併後、同社役員を経て、日産ディーゼル工業副社長を歴任し、1986年(昭和61年)、同社を顧問で退社。
小倉 朗(おぐら ろう、1916年〈大正5年〉1月19日 -… 小倉 朗(おぐら ろう、1916年〈大正5年〉1月19日 - 1990年〈平成2年〉8月26日)は、日本の作曲家。本名:小倉 晋(すすむ) 、旧姓は小林。 鉄道技師小林源松の五男として福岡県門司市(現北九州市門司区)の鉄道官舎に生まれ、生後3ヶ月から東京市京橋区木挽町(現東京都中央区)の銅鉄商小倉家の養子として東京に育つ。6歳からピアノの手ほどきを受け、蓄音機やオルガン、ギター、マンドリンがある家で育つ。母から音楽家になるよう勧められ、声楽家下八川圭祐の紹介で深井史郎に師事する。易に凝っていた母から「朗」の字を贈られる。 1933年、早稲田第一高等学院仏文科にはいるが、下八川圭祐の主宰するコーラスで歌ったり、新交響楽団の打楽器の見習いなどをやり、学校は1学期で中退。
常陸海 光房(ひたちうみ みつふさ、1916年1月19日 -… 常陸海 光房(ひたちうみ みつふさ、1916年1月19日 - 没年不明)は、茨城県筑波郡谷和原村(現つくばみらい市)出身で時津風部屋(入門時は荒汐部屋)に所属した大相撲力士。本名は飯塚 光房。最高位は東前頭12枚目。身長171cm、体重90kg。 茨城県筑波郡谷和原村(現つくばみらい市)出身。荒汐部屋に入門し、1936年5月場所に初土俵を踏む。順調に昇進し、1941年5月に新十両、1943年1月には西十両2枚目で10勝5敗と入幕確実の星を挙げる。その場所限りで荒汐部屋は閉鎖され、力士たちは双葉山道場に引き取られることになった。そのため、新入幕の1943年5月場所から廃業まで双葉山道場→時津風部屋の所属となった。
池田 雅雄(いけだ まさお、1915年1月19日 - 198… 池田 雅雄(いけだ まさお、1915年1月19日 - 1988年11月27日)は、日本のジャーナリスト、相撲評論家である。 長年にわたり、ベースボール・マガジン社の雑誌『相撲』の編集者・顧問として幅広く相撲研究に取り組み、多くの記事やエッセイを著した。本名での執筆とともに、〈国立浪史〉〈葛飾太郎〉のペンネームもしばしば使用した。奈良県桜井市出雲名誉区民、実兄はベースボール・マガジン社創設者の池田恒雄、息子は早稲田大学教授の池田雅之、姪はエッセイストの工藤美代子、姪は池田晶子、從孫は産経新聞記者の猪谷千香。 東京市本所区南二葉町(現在の墨田区亀沢)出身。「相撲の神様」として有名な野見宿禰神社の近くで育ち、少年時代は本場所前に相撲部屋の親方に連れられて必勝祈願に参詣するのを楽しみにしていたという。
塩田 雄次(しおた ゆうじ、1913年(大正2年)1月19日… 塩田 雄次(しおた ゆうじ、1913年(大正2年)1月19日 - 1994年(平成6年)1月8日)は、日本の実業家。羽後銀行頭取、北都銀行初代会長。 塩田団平の次男として、秋田県平鹿郡雄物川町(現:横手市)に生まれる。 秋田県立秋田中学校、慶應義塾大学法学部卒業後、第百銀行(後に三菱銀行に吸収合併、現在の三菱UFJ銀行)に入行。21年あまり在籍し品川支店次長等を歴任する。 1958年には、羽後銀行に転じ、その後頭取に昇格する。頭取在任時には、本店の横手市から秋田市への移転や本店新館の建設、さらにはオンラインシステムの導入、店舗網の整備等、経営の近代化を推進した。1988年には代表取締役会長に退き、1993年に秋田あけぼの銀行との合併で誕生した北都銀行会長に就任した。
笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - … 笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - 2002年6月22日)は、日本の脚本家、小説家。本名:笠原 良三郎。社長シリーズなどの喜劇映画の脚本を多く手がけた。 栃木県足利郡足利町(現:足利市)出身。1932年に日本大学芸術学部を中退し、1936年に日活多摩川撮影所脚本部に入社。1941年に新興シネマ脚本部に転属後、大映東京撮影所脚本部に移籍。1955年に東宝撮影所の契約者となる。弟子に東映ヤクザ映画の隆盛を支えた笠原和夫などがいる。オリジナル作品は自らノベライゼーションを行っている。 2002年6月22日、死去。90歳没。 銀座の若大将 - 日本一の若大将 海の若大将 - エレキの若大将 アルプスの若大将 - 歌う若大将 レッツゴー!若大将 - 南太平洋の若大将 - ゴー!ゴー!若大将 フレッシュマン若大将 - ニュージーランドの若大将 ブラボー!若大将 - 俺の空だぜ!若大将 社長になった若大将(テレビドラマ) 加山雄三 - 大矢茂 - 草刈正雄 田中邦衛 - 高松しげお - 湯原昌幸 星由里子 - 酒井和歌子 - 吉沢京子 - いけだももこ - 坂口良子 有島一郎 - 飯田蝶子 - 中真千子 - 三條美紀 - フランキー堺 - 高橋恵子 藤本真澄 - 神谷一夫 - 大森幹彦 - 安武龍 - 田波靖男 田波靖男 - 笠原良三 杉江敏男 - 福田純 - 古澤憲吾 - 岩内克己 - 小谷承靖
藤牧 義夫(ふじまき よしお、1911年〈明治44年〉1月1… 藤牧 義夫(ふじまき よしお、1911年〈明治44年〉1月19日 - 1935年〈昭和10年〉9月2日失踪)は、日本の版画家。1930年代の東京下町を描いた創作版画を手掛け、隅田川周辺を題材にした長大な白描絵巻版画で知られる。24歳で行方不明となり、長い間幻の木版画家だったが、1978年の遺作展によって再び注目された。 群馬県館林市出身。藤牧家は代々館林藩に仕えた士族だが、父は明治維新後永年教職にあり、小学校長も歴任し、「三岳」と号し絵や書をよくした。2歳で実母を、13歳で父親を亡くす。父没後に家族で日用雑貨小売を自宅で始め、その二軒隣りに、七歳年上の藤野隆秋(天光)が住んでいた。 義夫は小学校時代から美術が得意で周囲を驚かせた。
高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 19… 高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 1997年5月20日)は、日本の官僚、裁判官。竹下改造内閣で法務大臣を務めた。甥に外交官の青木盛久がいる。名前は正巳とも。 1910年(明治43年)静岡県沼津出身。東京府立四中、旧制三高を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部卒業。内務省入省。第二次世界大戦後、1951年(昭和31年)には日ソ交渉全権委員の随行員としてソビエト連邦を訪問している。 その後、地方自治庁部長などを経て、内閣法制次長時代に自衛隊を「必要最小限の戦力」と解釈する。1964年(昭和39年)から1972年(昭和47年)にかけて第1次佐藤内閣~第3次佐藤内閣まで内閣法制局長官を務め、東大確認書問題、自衛隊の交戦権問題、沖縄返還や沖縄公用地問題について法律面から佐藤内閣を支えた。
苅田 久徳(かりた ひさのり〈きゅうとく〉、1910年1月1… 苅田 久徳(かりた ひさのり〈きゅうとく〉、1910年1月19日 - 2001年8月3日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督・審判員、解説者・評論家。 長女はSKD戦後8期生を経て大映の女優として活動した苅田とよみ、三女は映画『妻の日の愛のかたみに』主題歌等で知られる歌手の苅田千賀子。 少年時代から横浜で有名な野球少年であったが、旧制本牧中学校から進んだ旧制法政大学の1年目は失策が多かった。チームの低迷もあって、応援団が「あんな下手くそを使うな」と藤田信男監督に怒鳴り込む騒ぎもあったが、藤田は「野球をやるのはワシらだ。帰れ!」と追い返している。その後のハワイ遠征で受けた藤田の猛ノックが守備開眼の転機となり、2年目からは東京六大学一の堅守の遊撃手として名を馳せ、初優勝に貢献。