小山 道夫(こやま みちお、1929年(昭和4年)8月21日… 小山 道夫(こやま みちお、1929年(昭和4年)8月21日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、昭和から平成時代初期の政治家。埼玉県蓮田市長。 埼玉県南埼玉郡綾瀬村(蓮田町を経て現蓮田市)出身。1950年(昭和25年)早稲田大学専門部商科卒業。1982年(昭和57年)から蓮田市長を2期務めた。
8月21日生まれ:334人
小山 道夫(こやま みちお、1929年(昭和4年)8月21日… 小山 道夫(こやま みちお、1929年(昭和4年)8月21日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、昭和から平成時代初期の政治家。埼玉県蓮田市長。 埼玉県南埼玉郡綾瀬村(蓮田町を経て現蓮田市)出身。1950年(昭和25年)早稲田大学専門部商科卒業。1982年(昭和57年)から蓮田市長を2期務めた。
吉村 精仁(よしむら せいじ、1928年8月21日 - 20… 吉村 精仁(よしむら せいじ、1928年8月21日 - 2019年1月23日)は、日本の経営者。丸一鋼管社長を務めた。大阪府出身。 1948年に大阪専門学校(現在の近畿大学)応用化学科を卒業し、同年に丸一鋼管に入社し、取締役にも就任した。195年に副社長に就任し、1965年には社長に昇格。2003年には会長に就任。 2019年1月23日、死去。90歳没。
小島 義郎(こじま よしろう、1928年8月21日 - 20… 小島 義郎(こじま よしろう、1928年8月21日 - 2009年3月2日)は、日本の英語学者・英語教育者。早稲田大学名誉教授。 長野県出身。東京外事専門学校(東京外国語大学の前身の一つ)英米科卒。テキサス大学に留学。南山大学講師、日本大学理工学部助教授、早稲田大学教育学部助教授をへて、教授を務め、94年定年退職し、名誉教授。虚血性心不全のため逝去。80歳没。1977年4月から1983年3月までNHK「基礎英語」の講師を務めたほか、英語辞典を多く編纂した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
豊住 崟(とよずみ たかし、1928年8月21日 - 201… 豊住 崟(とよずみ たかし、1928年8月21日 - 2016年9月9日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長、会長を務めた。 三重県出身。1948年に松山経済専門学校を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1980年9月に取締役に就任し、1986年9月にダイハツ工業に転じ、1988年9月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任。 1992年11月に藍綬褒章を受章した。
山中 典士(やまなか のりお、1928年8月21日 - 20… 山中 典士(やまなか のりお、1928年8月21日 - 2017年1月20日)は、装道礼法きもの学院、社団法人全日本きものコンサルタント協会の創立者である。 滋賀県米原市出身。1943年(昭和18年)に海軍飛行予科練習生(甲飛13期)となり、1945年(昭和20年)に鈴鹿海軍航空隊で終戦を迎える。京都外国語短期大学卒業。 1964年(昭和39年)に「装道礼法きもの学院」と「全日本きものコンサルタント協会」を創立し、協会は1969年(昭和44年)に通商産業省、1992年(平成3年)に文部省に社団法人として認可を受ける[要出典]。 2017年(平成29年)1月20日、心不全のため逝去した。 笑顔が可愛く、博識、お人柄も素晴らしい方でした。
平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 199… 平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 1993年1月26日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部卒業。学位は、医学博士(東京大学・1960年)(学位論文「坐禅の脳波的研究」)。東京大学医学部附属病院分院長、東京家政大学教授、日本精神神経学会理事長(任期:1973年 - 1977年)も務めた。 禅宗の僧侶を脳波測定し、α波など、精神状態と脳波の関連性について研究を行った。脳波研究での草分け的な存在。日本睡眠学会の設立にも参加した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2… 末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2015年1月29日[リンク切れ])は、日本の医学者。専門は呼吸器外科学。学位は、医学博士。国立がんセンター名誉総長。東京都済生会中央病院名誉院長。神奈川県出身。 1987年度高松宮妃癌研究基金学術賞受賞。
渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2… 渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2010年7月21日)は、日本の経営コンサルタント。 三重県松阪市出身。旧制津中学校、官立第一高等学校文科を経て東京大学法学部を卒業。学生時代は全国学生運動の中枢で活動。1952年に読売新聞社に入り経営技術担当記者となる。1962年にチェーンストア経営研究団体ペガサスクラブを設立、主宰。1963年にチェーンストア経営専門コンサルティング機関である日本リテイリングセンターを設立。1967年読売新聞嘱託となり、1969年に退職、コンサルタント専業となる。専門はチェーンストアの経営政策・経営戦略と基礎技術論。 渥美は、高度経済成長を達成する中でも日本人の生活の豊かさは国際水準から見れば成熟していないと捉え、製造業に比べて立ち遅れていた日本の流通分野を、チェーンストア産業づくりの推進によって近代化し、生活水準の向上を実現することをロマンとして掲げた。
飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 200… 飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家。大分県竹田市生まれ。 父は1916年に日本統治下の朝鮮・京城から渡日した朝鮮人、母は日本人で、戸籍上は母の私生児であった。旧制竹田中学を卒業後、1944年陸軍航空士官学校に入学するも、終戦のため中途退学。1949年第五高等学校文科卒。新制高校の教師や、業界誌編集などの後、文筆業などに従事した。 1964年「炎」(『詩と眞實』)で芥川賞候補、『文學界』に転載される。1975年初の著書を刊行、1978年父の秘密を描いた「海の向うの血」ですばる文学賞佳作。1980年「ソウルの位牌」で、1981年「隻眼の人」で芥川賞候補、1982年、終戦直後に自決した航空士官学校時代の自身の区隊長であった上原重太郎大尉の真相を追う『自決』が直木賞候補となり注目される。
篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 201… 篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 2015年10月31日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ、特にドイツの政治史。 1925年、東京都目白生まれ。第一高等学校から東京帝国大学へ進み、政治学を専攻する。しかし、太平洋戦争の下で同世代は兵役あるいは学徒として出生してゆき、篠原も兵役に就くが外地に出るまえに敗戦を迎え、自身は結核を発症した。。東京帝国大学へ復学し、1950年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。1950年4月より東京大学法学部助手となった。しかし、再び結核を発病し、伏臥生活を送りつつ、ドイツ語の資料を読んで助手論文を執筆。 1953年7月、東京大学法学部助教授に昇進。
柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 20… 柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 2017年3月5日)は、日本の画家、随筆家。 広島県呉市に生まれる。広島県呉第一中学校、東京美術学校(東京藝術大学の前身校の一つ)油絵科卒業。卒業後、同級生であり画家の伊能由利子と結婚。 黒澤映画美術助手となる。東宝「生きる」「静華命」「安五郎出世」などを担当。 1952年、長男誕生後に川崎市立住吉中学校美術教師となる。 1960年、親友のアメリカ人夫妻と3人でヨット旅行に出発。アムステルダムから運河をたどってヨーロッパを縦断、地中海、バミューダ諸島などを経て大西洋を横断、アメリカ合衆国ニューポートまでの10ヶ月に及ぶヨットの旅だった。この旅が転機となり「ヨットと海」を描きはじめる。
畠山芳雄(はたけやま よしお、1924年8月21日- )は… 畠山芳雄(はたけやま よしお、1924年8月21日- )は、日本の経営コンサルタント。 北海道帯広市出身。1944年陸軍経理学校本科卒。46年札幌財務局勤務、工場、商社などに勤務の後、49年日本能率協会に入り、55年チーフ・コンサルタント、60年理事、67年常務理事。75年専務理事。81年理事長。
吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 19… 吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 1980年3月8日)は、上方の漫才師、漫談家。かつての女道楽を「おんな放談」という形にアレンジし、一世を風靡した。本名、杉森(旧姓・米沢)芙美子。鳥取県鳥取市出身。 鳥取県の米卸問屋・米沢徳治の三女として誕生した。1927年(昭和2年)に一家で大阪に移り住み、その頃から三味線、琴、日本舞踊などを習う。1938年(昭和13年)に小学校を卒業したが、母、姉を結核で相次ぎ亡くした。1940年(昭和15年)頃、父である浅田家朝日門下で「朝日・小日奈」を名乗った。17歳のときに親子漫才により「和歌山県有楽座」で初舞台を踏み、地方や中国大陸などをドサ回りする。
石橋 秀雄(いしばし ひでお、1923年8月21日 – 20… 石橋 秀雄(いしばし ひでお、1923年8月21日 – 2002年1月27日 )は、日本の東洋史学者。 島根県に生まれる。1941年に関東州立旅順中学校から旅順高等学校文科乙類に進学し、1943年9月に卒業。同年10月に東京帝国大学文学部東洋史学科に入学し、1949年に東京大学文学部東洋史学科を卒業。同大学大学院に進学する傍ら、城北学園で教員を務め、1954年9月に東京大学文学部助手となる。1957年に日本女子大学助教授に転じ、同大学教授となったのち、1967年に立教大学文学部に移る。1989年に同大学を定年退職した後は、1994年までフェリス女学院大学教授。立教大学名誉教授、フェリス女子大学名誉教授。
大井 道夫(おおい みちお、1922年8月21日 - 200… 大井 道夫(おおい みちお、1922年8月21日 - 2007年5月2日)は、昭和後期の日本の環境官僚。農学博士(東京大学、1978年)。官僚時代は尾瀬国立公園の指定や東海自然歩道の制定に発案、関与したことで知られる。 「『身近な自然』論」を唱えた。 新潟県出身。入学した東京帝国大学農学部林学科では森林利用学を、卒業後に進学した同大学大学院で造園学・風致工学を、それぞれ専攻した。 1948年に厚生省国立公園部に入省し、1965年より計画課長となる。1971年の環境庁発足後は自然保護局の勤務となる。環境庁では長官官房参事官や公害研修所長(1974年より)を務めた。 在職中に、以下の施策の発案、策定に関与した。
沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 20… 沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 2013年4月27日)は、日本の女性の歌人である。中国残留孤児帰国運動にも携わった。 父は国文学者の沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。妹は女優で声優でもあった沼波輝枝。また、名付け親は、安井てつ(元東京女子大学学長)。
市倉 宏祐(いちくら ひろすけ、1921年8月21日 - 2… 市倉 宏祐(いちくら ひろすけ、1921年8月21日 - 2012年7月19日)は、日本の哲学者。現代フランス哲学の研究者。専修大学名誉教授。
平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月… 平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、日本の政治家。元岐阜県各務原市長。岐阜県郡上市(旧・郡上郡大和町)出身。
坂崎 利一(さかざき りいち、1920年8月21日 - 20… 坂崎 利一(さかざき りいち、1920年8月21日 - 2002年1月11日)は、日本の細菌学者。
堤 重久(つつみ しげひさ、1917年8月21日 - 199… 堤 重久(つつみ しげひさ、1917年8月21日 - 1999年1月31日)は、日本の文芸評論家、京都産業大学名誉教授。 太宰治の一番弟子で、著書に『太宰治との七年間』がある。 東京新宿の開業医の息子。旧制東京府立高等学校(後の東京都立大学)3年在学時、18歳のとき、『晩年』を読んで衝撃を受け、太宰治に心酔する。府立高の1級上で友人だった小田切秀雄の紹介で清水幾太郎の門人となる。 東京帝国大学(現・東京大学)文学部独文科で木村謹治や相良守峯、中島健蔵、辰野隆に師事。大学在学中、平田次三郎、山下肇、小島輝正たちと共に「新思潮」に参加。 1940年初冬に太宰の門人となる。1942年大学卒業後は東大図書館に勤務しつつ、作家を志して長篇小説を執筆。
中村 英勝(なかむら ひでかつ、1917年〈大正6年〉8月2… 中村 英勝(なかむら ひでかつ、1917年〈大正6年〉8月21日 - 2011年〈平成23年〉4月1日)は、日本の西洋史学者。専門はイギリス議会史・政党史。お茶の水女子大学名誉教授。 東京府東京市麴町区三番町(現・東京都千代田区九段南または九段北)生まれ。 父親の中村勝麻呂は史料編纂官(東京帝国大学文科大学史学科卒)。母方の祖父は大槻文彦、姉は中野好夫の二番目の妻・静。妻は翻訳家の中村妙子(1947年10月に結婚)。 1941年東京帝国大学史学科卒業、同学史料編纂所嘱託。1943年10月同学大学院進学とともに特別研究生、1945年9月大学院修了、同学文学部副手、1946年3月同助手。1947年12月東京女子高等師範学校講師、1949年6月新制大学発足とともにお茶の水女子大学文学部(1950年より文教育学部)史学科専任講師となり1950年助教授、1965年教授を歴任(この間に附属幼稚園長にも就任)、1983年4月1日定年退官、名誉教授。
五島 昇(ごとう のぼる、1916年(大正5年)8月21日 … 五島 昇(ごとう のぼる、1916年(大正5年)8月21日 - 1989年(平成元年)3月20日)は、日本の実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。 東京府東京市神田区駿河台(現・東京都千代田区神田駿河台)に、五島慶太、万千代(旧姓久米)の長男として生まれる。学習院初等科、中等科 (旧制)、高等科 (旧制) を経て東京帝国大学経済学部を卒業。学生時代は野球部に籍を置き捕手としてならしたが、のちにゴルフ部へ転部。ゴルフがきっかけで知遇を得た東京芝浦電気副社長・津守豊治の紹介で同社に入社した。昇には父の跡を継ぐ気がなかった。 慶太には昇と進という二人の息子がいた。兄・昇は常日頃から父に反抗し「絶対に(父の)を跡を継がない」と放言していた。
早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21… 早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21日 - 1982年 (昭和57年)12月7日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。自治大臣、国家公安委員会委員長、労働大臣、厚生大臣を歴任した。 1916年(大正5年)8月21日、現在の和歌山県田辺市に生まれる。田辺市立田辺第一小学校、旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校文科甲類を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。東大では矢部貞治の門下で、同期生には中曽根康弘(後の首相)、小沢辰男(後の厚相)がいる。高等文官試験に合格し東大卒業後、内務省に入省する。
橋本 正吾(はしもと しょうご、1916年8月21日 - )… 橋本 正吾(はしもと しょうご、1916年8月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
森本 芳夫(もりもと よしお、1915年(大正4年)8月21… 森本 芳夫(もりもと よしお、1915年(大正4年)8月21日 - 2014年(平成26年)4月28日)は日本の実業家、元北陸電力社長・会長。元北陸経済連合会会長。富山県出身。
井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月2… 井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、昭和から平成時代の政治家。兵庫県小野市長。位階は従五位。 兵庫県小野市出身。旧制小野中学校(現在の兵庫県立小野高等学校)を卒業。1939年(昭和14年)日本大学商経学部経済科卒業。同年日本放送協会に入った。その後、1946年(昭和21年)、山陽利器に入社した。さらに、1951年(昭和26年)、小野町立病院に入った。そして、1952年(昭和27年)明石市役所に奉職し収入役を務めた。 1976年(昭和51年)の小野市長選挙に立候補して、保守・革新双方の推薦を得て、共産党が支持する新人を破って初当選を果たした。
宇野 脩平(うの しゅうへい、1913年8月21日 - 19… 宇野 脩平(うの しゅうへい、1913年8月21日 - 1969年4月24日)は、日本の歴史学者。 和歌山県那賀郡粉河町生まれ。1931年、和歌山県立粉河中学校卒業。1940年、東洋大学文学部国文学科卒業。同年、財団法人龍門社渋沢栄一伝記資料編纂所に編纂員として勤務し、土屋喬雄の指導を受ける。1943年、東京外国語学校連成科蘭語科修了。その後兵役につき、シベリア抑留を経験後、1947年に復員。1948年、財団法人水産研究会研究員。1949年、日本常民文化研究所常任理事。1951年東洋大学講師、1957年東京女子大学文学部助教授、1962年同教授。
秋本 正(あきもと ただし、1912年(大正元年)8月21日… 秋本 正(あきもと ただし、1912年(大正元年)8月21日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 兵庫県揖保郡に生まれる。明石中学校、第三高等学校を経て、1933年(昭和8年)4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1935年(昭和10年)10月、高等試験行政科に合格。1936年(昭和11年)3月、同大を卒業し、台湾総督府警務局保安課に奉職する。1939年(昭和14年)7月、台南州新営郡守となり、府事務官警務局保安課勤務を経て、陸軍司政官に転出した。
小林 正(こばやし ただし、1911年8月21日 - 197… 小林 正(こばやし ただし、1911年8月21日 - 1975年3月30日)は、日本のフランス文学・比較文学者。東京大学名誉教授。 満州・旅順生まれ。東京帝国大学文学部仏文科卒、1942年東京外国語学校教授、1954年東京大学仏文科助教授。スタンダールが専門で、1962年「『赤と黒』成立過程の研究」で文学博士。 1963年教授、また比較文学講座でも授業を担当し、文学部の西洋近代語近代文学専攻の創設に尽力した。1972年定年退官し名誉教授、同年より成城大学教授。 日本比較文学会理事、東京日仏会館常務理事などを歴任。レジオン・ドヌール勲章を授与された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
遠山 啓(とおやま ひらく、1909年8月21日 - 197… 遠山 啓(とおやま ひらく、1909年8月21日 - 1979年9月11日)は、熊本県下益城郡(現・宇城市)出身の日本の数学者。数学教育の分野でよく知られる。
小野川 秀美(おのがわ ひでみ、1909年8月21日 - 1… 小野川 秀美(おのがわ ひでみ、1909年8月21日 - 1980年7月20日)は、日本の東洋史学者。学位は、文学博士(論文博士・1961年)(学位論文「清末政治思想研究」)。京都大学名誉教授。 高知県安芸郡生まれ。高知県立高知城北中学校、高知高等学校文科乙類を経て、1933年京都帝国大学文学部史学科(東洋史学専攻)卒業。 東方文化研究所嘱託員を経て、1940年(昭和15年)、東方文化研究所(現:京都大学人文科学研究所)助手就任。1951年(昭和26年)に京都大学人文科学研究所助教授。1961年(昭和36年)学位論文「清末政治思想研究」で文学博士の学位を取得。1965年(昭和40年)に同教授に就任する。
岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 20… 岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 2004年10月28日)は、日本の民俗学者、歌人。 福島県相馬生まれ。國學院大學高等師範部卒。1962年「本邦小祠の研究」で國學院大學文学博士。相馬女子高等学校教頭。東北学院大学教授。1963年「本邦小祠の研究」で柳田賞受賞。歌人。
児井 英生(こい えいせい、1908年8月21日 - 199… 児井 英生(こい えいせい、1908年8月21日 - 1992年3月10日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家、作詞家、実業家である。日活の契約プロデューサーだった時代に石原裕次郎を売り出し、小林旭をスターにした人物として知られる。本名は兒井 英男(こい ひでお)、大都映画でのペンネームは高樹 彦九郎(たかぎ ひこくろう)である。児井プロダクション代表。 1908年(明治41年)8月21日、兵庫県神戸市に鉄道院の高級官吏(神戸運輸事務所長)だった児井英松と公卿の娘だった母の長男として出生。姉が2人の末っ子だった。父の転職により、東京の渋谷に移住し、旧制中学校の私立芝中学校を経て、早稲田大学法学部に入学するが、2年次に政経学部に、3年次に文学部に転部し卒業後、衣笠貞之助に誘われ1931年に松竹キネマ京都撮影所監督部に入社した。
吉村 信吉(よしむら しんきち、1907年(明治40年)8月… 吉村 信吉(よしむら しんきち、1907年(明治40年)8月21日 - 1947年(昭和22年)1月21日)は、日本の湖沼学者。 1907年8月21日、吉村信二、千代の子として東京市牛込区(現・新宿区)に生まれる。東京府立第五中学校(現・東京都立小石川高等学校)、浦和高等学校、東京帝国大学理学部地理学科卒業。中学時代に五中の同窓会誌に千葉県東金の雄蛇ヶ池における湖沼観測の結果を発表している。卒業論文は「鳥取県多鯰ケ池の湖沼学的研究」であった。1937年、東京帝国大学にて学位を受け、学位論文は「日本の湖沼の溶解性酸素」であった。東京文理科大学講師、東北帝国大学講師、九州帝国大学講師、陸軍予科士官学校教官、資源科学研究所員を務めた後、1945年3月に中央気象台(現・気象庁)海洋課陸水掛長となる。
水野 高明(みずの たかあき、1907年 <明治40年> 8… 水野 高明(みずの たかあき、1907年 <明治40年> 8月21日 - 1996年 <平成8年> 2月12日)は、日本の土木工学者。九州大学総長や、日本コンクリート工学協会会長を務めた。位階は正三位。 福岡県出身。1930年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。1935年内務省技師。1938年九州帝国大学助教授。1943年九州帝国大学教授。1948年九州大学工学博士。1967年九州大学総長。1969年九州大学名誉教授。1978年から1993年まで攻玉社工科短期大学学長。1984年日本コンクリート工学協会会長。間組顧問なども務めた。昭和52年度土木学会功績賞受賞。1981年、勲二等旭日重光章を受章。
太田 利雄(おおた としお、1907年(明治40年)8月21… 太田 利雄(おおた としお、1907年(明治40年)8月21日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 愛知県名古屋市に生まれる。名古屋商業学校、東京外国語学校専修科英語科に入学する。その後、同校を退学し中央大学専門部法律科に入学し、1937年(昭和12年)3月、卒業した。同年10月、高等試験行政科に合格し、1938年(昭和13年)4月、台湾総督府文教局社会課に奉職した。1939年(昭和14年)5月、台南州北門郡守に就任し、台南州警務部警務課長同社会教育官、文教局勤務などを経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政官に任じた。
坂口 精(さかぐち せい、1907年〈明治40年〉8月21日… 坂口 精(さかぐち せい、1907年〈明治40年〉8月21日 - 1989年〈平成元年〉3月14日)は、三井物産の技術顧問、日本専売公社理事・生産部長。旧姓・岩田。 島根県・岩田助太郎の五男。鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)、坂口惣五郎の養子となる。1928年、鳥取高農を卒業。専売局秦野たばこ試験場に勤務する。 1933年に退職、北海道帝国大学農学部農業生物学科に入学する。1936年に北海道帝国大学農学部農業生物学科を卒業する。専売局に入り本局、鹿児島、水戸各局、たばこ試験場、高松、東京、宇都宮各地方局等を経て1949年に専売公社本社生産課長に就任する。 技術課長より1958年に郡山地方局長に転じ、1959年に理事本社生産部長となり1962年に退任、三井物産技術顧問に就く。
吉村 静枝(よしむら しずえ、1907年〈明治40年〉8月2… 吉村 静枝(よしむら しずえ、1907年〈明治40年〉8月21日 - 1996年〈平成8年〉10月10日)は、日本の福祉事業家。香川県で唯一の乳児院である「豊島神愛館」の創立者。香川県綾歌郡坂出町(現在の坂出市)の坂出育愛館や香川県小豆郡土庄町の豊島神愛館で、40年以上にわたり主として児童福祉分野の事業に挺身し、豊島神愛館では700名以上の戦災孤児をはじめとした子供たちを養育した。別表記は吉村シヅヱ、吉村シヅエ。 坂出町(現在の香川県坂出市横津町)で誕生した。大阪炭屋町産婦会に学び、1921年(大正10年)に香川県丸亀市で看護婦となった。この頃にキリスト教に入信した。1935年(昭和10年)に大阪府乳幼児保護協会保健婦の経緯を経て保育を学び、1938年(昭和13年)には大阪府立社会衛生学院専攻科を卒業した。
石川 覚七郎衛門(いしかわ かくひちろうえもん、1906年(… 石川 覚七郎衛門(いしかわ かくひちろうえもん、1906年(明治39年)8月21日 - 1981年(昭和56年)4月30日)は、日本の教育学者。勲等は勲三等瑞宝章。熊本大学教授。 熊本県立八代高等女学校、熊本県立青年学校教員養成所教諭、熊本青年師範学校教授、熊本大学教育学部教授、熊本音楽短期大学教授、九州女学院短期大学教授などを歴任した。 熊本市下職人町に亀井豊作の四男として生まれる。1931年(昭和6年)第五高等学校文化乙類を卒業後、東京帝国大学文学部宗教史宗教学科入学。1932年(昭和7年)石川サイと結婚し石川姓となる。1933年(昭和8年)教育学科に転科。1936年(昭和11年)同大学教育学科卒。
今里 英三(いまざと えいぞう、1905年(明治38年)8月… 今里 英三(いまざと えいぞう、1905年(明治38年)8月21日 - 2007年(平成19年)8月20日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から8代目)。奈良県奈良市八島町出身。 1930年(昭和5年)、慶應義塾大学経済学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1958年(昭和33年)に取締役経理局長となる。以後、1960年(昭和35年)常務取締役、1965年(昭和40年)専務取締役を経て、1971年(昭和46年)に取締役副社長。1973年(昭和48年)5月、近鉄中興の祖といわれた佐伯勇の後任として社長に就任する。近鉄社長としては初の私大卒であり、退任後も現社長の小林哲也(早稲田大学卒)まで私大卒の社長はいなかった。
西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - … 西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - 2003年1月14日)は、日本の実業家、経営学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1957年)(学位論文「経営分析 その理論と方法に関する研究」)。国鉄監査委員、健保組合連会長、東洋英和女学院理事長を歴任。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章、勲二等瑞宝章受章。 福井県敦賀市出身。1926年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。三機工業、東京建鉄を経て、1934年芝浦製作所に入社。芝浦マツダ工業経理部長、芝浦製作所経理部長を経て、1945年取締役。のち常務、専務、副社長を歴任。1957年「経営分析 その理論と方法に関する研究」で商学博士(早稲田大学)の学位を取得。
奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 20… 奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。学位は、文学博士。現在[いつ?]でも織田信長研究の権威と評されている。 兵庫県洲本市生まれ。1928年(昭和3年)に國學院大學を卒業後、東京帝国大学史料編纂掛に勤務、『大日本史料』第2・9・10編や『史料綜覧』の編修に携わる。1941年(昭和16年)に東京帝国大学史料編纂官補、1954年(昭和29年)に東京大学史料編纂所助教授に就任。引き続き『大日本史料』第10・11・12編の編修にあたった。この間、1945年(昭和20年)6月12日には、『皇室御経済史の研究』が評価されて帝国学士院より恩賜賞を受賞。
大河内信敬 (おおこうち のぶひろ、1903年 (明治36年… 大河内信敬 (おおこうち のぶひろ、1903年 (明治36年) 8月21日 - 1967年 (昭和42年) 12月1日) は、日本の画家。東京府東京市下谷区(現東京都台東区下谷)出身。物理学者・子爵の大河内正敏の次男。母は大河内信古の娘・一子。娘に女優の河内桃子がいる。号は清水丁三。 明治大学商科卒業。水彩画を板倉賛治、版画を小泉癸巳男、その他岡田三郎助や寺内萬治郎に師事。1933年、「画室の一隅」で第14回帝展に入選。1937年より1年間ヨーロッパに渡り、各地の美術を視察した。1940年、光風会会員となる。1947年、朝井閑右衛門らと新樹会を結成。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
石本 雅男(いしもと まさお、1902年 <明治35年> 8… 石本 雅男(いしもと まさお、1902年 <明治35年> 8月21日 - 2003年 <平成15年> 7月30日)は、日本の法学者。専門は、民法・不法行為責任論。岡山県出身。大阪大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。位階は従四位。 神戸学院大学法学部の設置にも関与した。1984年日本学士院賞受賞。 旧制岡山中学(現:岡山朝日高校)、旧制第六高等学校を経て、1926年京都帝国大学法学部卒。京都帝国大学在職中に滝川事件が起こり、抗議のため同大学を辞職した。100歳になっても、家族の介助による口述筆記により論文を書き上げた、というエピソードも残っている。2003年死去。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
森 宏一(もり こういち、1901年8月21日 - 1993… 森 宏一(もり こういち、1901年8月21日 - 1993年2月9日)は、日本の哲学者。本名は杉原圭三。 1901年、東京府生まれ。東京帝国大学を卒業。唯物論研究会の創立以来の会員として活動する。社会主義の立場から、実存主義、西田幾多郎・田辺元の哲学を批判した。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年… 小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年(明治32年)8月21日 - 1977年(昭和52年)12月11日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 茨城県新治郡九重村生まれ、同県河内郡龍ケ崎町出身。旧制土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)、慶應義塾大学部理財科を卒業後、興亜製作所社長、茨城県塩業株式会社取締役。 次いで茨城県肥料卸商業組合、竜ヶ崎地方生活必需品配給統制組合、同食料品配給統制組合、同食糧営団格理事長。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に茨城全県区から出馬し当選。衆議院経済安定委員長となり、茨城県司法保護委員。日本進歩党院内総務、民主党民情部長、民主自由党会計監督を務める。
山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21… 山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21日/31日 - 1964年〈昭和39年〉5月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県佐波郡采女村長。 群馬県佐波郡采女村(現・伊勢崎市)に、群馬県会議員・長沼宗雄の六男として生まれる。13歳の時叔父・山田沢吉の養子となる。群馬県立勢多農林学校卒。 1929年(昭和4年)采女村長に就任。経済安定本部事務嘱託、言語文化研究所嘱託、采女剛志、大正用水各耕地整理組合長、采女農業協同組合長、伊勢崎鉄工代表社員、伊勢崎重工業、伊勢鉄航空工業、日本樽材工業、山田不動産各社長などを務める。 1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙において群馬県から日本進歩党公認で立候補して当選する。
石井 桂(いしい けい、1898年8月21日 - 1983年… 石井 桂(いしい けい、1898年8月21日 - 1983年12月3日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。建築家。工学博士。 埼玉県出身。1923年東京帝国大学工学部建築学科卒。警視庁に入り、建築課長となり、戦災復興院東京建築出張所長、東京都建築局長などを経て、1953年の第3回参議院議員通常選挙において東京地方区から自由党公認で立候補して当選。その後、自由民主党に移り、6年後の1959年の第5回参議院議員通常選挙で落選。その3年後の第6回参議院議員通常選挙で再選。6年後の1968年の第8回参議院議員通常選挙で落選した。この間に第2次岸内閣科学技術政務次官、参議院法務委員長などを歴任した他、自由民主党本部が入居する自由民主会館の設計を務めた(1966年竣工)。
三村 一(みむら はじめ、1897年8月21日 - 1980… 三村 一(みむら はじめ、1897年8月21日 - 1980年4月28日)は、日本の農学者。専門は畜産学。 長野県諏訪郡落合村(現富士見町)生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、盛岡高等農林学校を経て、大正12年(1923年)京都帝国大学農学部卒業。昭和2年(1927年)九州帝国大学助手、同16年(1941年)助教授、同24年(1949年)宮崎大学教授、同30年(1955年)信州大学農学部教授、同37年(1962年)同大学長を歴任。同43年(1968年)退官、同年11月、勲二等旭日重光章受章。主な研究内容にはニワトリの人工授精や、日本在来馬に関するものがある。 弟の三村二は東京医科歯科大学歯学部教授、政治家の小川平吉は叔父、同じく政治家の小川一平、小川平二、外交官の小川平四郎は従兄弟にあたる。
有賀 幸作(ありが こうさく、1897年(明治30年)8月2… 有賀 幸作(ありが こうさく、1897年(明治30年)8月21日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦大和最後の艦長として有名である。長野県南信地方に多い姓である有賀は、「ありが」ではなく「あるが」と読む例が多いが、当人は相手が聞き返すことを嫌い、ありがの読み方で通した。軍帽裏のネーム刺繍もアリガとしていた。 長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)に金物商・村長、有賀作太郎の長男(惣領)として生まれた。父の作太郎は旅順攻囲戦に参加して二〇三高地戦で殊勲をあげ、功六級金鵄勲章と多額の年金を授かるにいたった勇士だったが、息子の軍人志願には反対した。有賀は活発な少年として育ち、長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を卒業。