米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - 20… 米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - 2023年4月20日)は、日本の元プロボクサー。元日本フライ級王者。元OBF(現OPBF)東洋太平洋バンタム級王者。ヨネクラボクシングジム会長。日本プロボクシング協会常任相談役。日本ボクシングコミッション役員実行委員。本名は米倉 健治、プロボクサー時代のリングネームは米倉 健志(いずれも読みは同じ)。福岡県直方市出身。 福岡県立福岡高等学校在学中にアマチュアボクシングを始めインターハイ出場、明治大学経営学部在学中、全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級制覇、メルボルンオリンピックに日本代表選手として出場。3回戦まで進んだ。 卒業後の1957年、米国シアトルで行われた世界ゴールデングローブに日本代表として出場。
児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 202… 児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 2021年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、日本共産党中央委員を務めた。 広島県生まれ。広島県立安芸郡坂町横浜小学校、広島県立広島第一中学校、広島県立海田高等学校、商船大学航海科を経て、広島大学文学部卒業。同大学院中退。高校に奉職後、教諭として勤務する一方、北海道高教組副委員長等を歴任。 1977年に行われた第11回参議院議員通常選挙及び1983年に行われた第13回参議院議員通常選挙に日本共産党公認で北海道選挙区から立候補するも落選。同年に行われた第37回衆議院議員総選挙に旧北海道1区から立候補するも落選。1986年に行われた第38回衆議院議員総選挙に再び旧北海道1区から立候補し初当選した。
佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002… 佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授。 1932年、大阪府大阪市上本町で佐原忠雄・香代の次男として生まれた。父方の祖父は備後福山藩(広島県福山市)の家老のいえであったという。 幼稚園児のときに公園で拾った土器片に興味を持ったことが考古学を志す契機となった。国民学校初等科4年生の時の担任教師の影響で、浜田青陵『博物誌』を読んだ。国民学校初等科5年生の時、東京へ転居。1947年、日本人類学会が主催した「中学生の為の人類学講座」へ参加して、縄文学の創設者山内清男に感銘を受け、東大の山内研究室に出入するようになった。山内から個人指導を受け、縄文土器の文様の研究に没入するようになった。
宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、… 宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、1932年5月25日 - 2012年2月27日)は、京都市右京区出身の日本の女優。旧芸名は山中美佐。父は俳優の田中春男。
道端 進(みちはた すすむ、1930年5月25日 - 202… 道端 進(みちはた すすむ、1930年5月25日 - 2022年8月3日)は、日本の経営者。京都中央信用金庫理事長を務めた。 石川県出身。1953年に立命館大学経済学部を卒業し、1954年に京都中央信用金庫に入社した。1969年に理事に就任し、1972年に常務、1979年に専務、1997年に副理事長を経て、1989年5月に理事長に就任。2002年6月には会長に就任。 1996年10月に黄綬褒章を受章。 2022年8月3日に心筋梗塞のために死去。92歳没。
伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25… 伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25日 - 2005年(平成17年)4月21日)は、日本の実業家。 日本生命保険の社長や会長、経済同友会副代表幹事、生命保険協会会長を務めた。また生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務めた。日本人として8人目の「保険の殿堂」入り。 秋田県羽後町出身。羽後町立羽後中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、1953年(昭和28年)に一橋大学経済学部を卒業し、日本生命入社。大阪本社人事課配属。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。大学同期の渡辺滉(元三和銀行頭取)と親しい仲であった。のちに日本生命副会長や東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた小林玉夫は大学同期で同期入社。
渡辺 富美雄(わたなべ ふみお、1928年5月25日 - )… 渡辺 富美雄(わたなべ ふみお、1928年5月25日 - )は、日本の日本語学者・国語教育学者。 山梨県富士吉田市生まれ。1956年東京都立大学大学院人文科学研究科国語学修士課程修了。新潟大学教育学部助教授、教授、1978年頃文部省初等中学教育局小学校教育課教科調査官および同教育局主任視学官を経て、1997年頃東京家政学院大学教授、同大学院研究科長。新潟県の方言研究を行った。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
多田 真鋤(ただ ますき、1927年5月25日 - 2015… 多田 真鋤(ただ ますき、1927年5月25日 - 2015年7月12日)は、日本の政治学者。専門は、西洋政治思想史。法学博士。慶應義塾大学名誉教授。 福岡県生まれ。1950年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1950年同法学部助手・同法学部通信教育課程インストラクター、1956年同法学部助教授、1963年同法学部教授、1968年同通信教育部長、88年慶應義塾大学早期退職、同名誉教授、「近代ドイツ政治思想研究」で法学博士の学位を取得、横浜商科大学商学部教授。1998年横浜商科大学定年退職。日本文化大学法学部客員教授。2003年日本文化大学退職。この他に、旧司法試験第一次試験考査委員や維新政党・新風講師も務めた。
石田 善人(いしだ よしひと、1926年5月25日 - 19… 石田 善人(いしだ よしひと、1926年5月25日 - 1996年12月4日)は、日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は日本中世史。 神戸市生まれ。県立明石中学校(現:兵庫県立明石高等学校)、東京高等師範学校、1952年京都大学文学部卒業。卒業論文は、「畿内の一向一揆に関する一考察」。 1961年神戸大学教育学部講師、1962年同助教授を経て、1970年に岡山大学教養部教授。1992年に定年退官し、神戸女子大学教授。1992年、岡山大学名誉教授。1993年、文化庁地域文化功労者表彰。1996年、兵庫県文化賞受賞。逝去にあたり、正四位・勲三等旭日中綬章を贈られた。 日本中世における惣村の研究を大きく進めた。
山川 久明(やまかわ ひさあき、1925年5月25日 - 2… 山川 久明(やまかわ ひさあき、1925年5月25日 - 2005年1月7日)は、日本の実業家で、学校経営者だった人物。元学校法人旭川大学理事長。新潟県出身。 この他、公職として長らく旭川建設業協会監事に就任。また、旭川の文化人団体会長も務めた。 建設人では異色の文筆好きで、文化人であった為、長らく学校法人旭川大学理事長を務め上げた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
望月 幸明(もちづき こうめい、1924年5月25日 - 2… 望月 幸明(もちづき こうめい、1924年5月25日 - 2020年8月8日)は、日本の政治家。山梨県公選第4代知事。位階勲等は正四位旭日重光章。 山梨県南巨摩郡中富町(現在の身延町)出身。旧制身延中学(現在の山梨県立身延高等学校)卒業。松本高等学校文科乙類(現在の信州大学人文学部)を経て東京大学法学部卒業。日本発送電株式会社勤務を経て山梨県庁に入り、天野久知事時代に県人事委員会総務課長を務める。県教育長、県総務部長などを歴任し、天野知事が5期目で田邊圀男に敗退した後も県政への働きを評価され、1977年(昭和52年)3月に山梨県副知事となる。自民党所属の金丸信は天野前知事支持であったが、金丸が中央政界で地位を上げていくと県議会においても金丸派が最大与党となっており、1979年(昭和54年)の田邊知事4期目をかけた山梨県知事選挙において、野党社会党県本部は田邊知事の4選を阻止するために保革連合で社会党寄りとされていた望月を擁立する。
笠石 徳五郎(かさいし とくごろう、1924年5月25日 -… 笠石 徳五郎(かさいし とくごろう、1924年5月25日 - 没年不詳)は、福岡県出身のプロ野球選手。 豊国商業学校から1943年に阪急軍へ入団。 1946年に中部日本でプロ野球に復帰するが、1948年限りで退団し、八幡製鉄に入社。 1950年に西鉄クリッパースでプロ復帰。翌年に退団し、その後は東洋高圧でプレーした。 2010年に発行された『ライオンズ60年史』によると、既に故人とのこと。
鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 200… 鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 2000年6月1日)は日本の実業家。三菱化成(現三菱ケミカル)代表取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。勲一等瑞宝章受章。 東京府(現・東京都)出身。旧制京北中学校を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。陸上競技部出身。三菱化成(のちの三菱化学、現在の三菱ケミカル)代表取締役社長、同社取締役会長、同社相談役、三菱化成生命科学研究所代表取締役、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。1986年藍綬褒章受章。1993年ダイヤ高齢社会研究財団初代理事長。
白川 一(しらかわ はじめ、1922年5月25日 - 198… 白川 一(しらかわ はじめ、1922年5月25日 - 1982年3月15日)は、鹿児島県出身のプロ野球選手(外野手)。 鹿児島商業学校から社会人野球の星野組を経て、1950年に創設された毎日オリオンズへ入団。 1953年に現役を引退。1955年から1957年までコーチを務めた。
米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 201… 米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 2015年12月6日)は日本の実業家。伊藤忠商事の社長・会長、経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章、藍綬褒章、トルコ共和国功労勲章受章。
辛 道煥(シン・ドファン、朝鮮語: 신도환、1922年5月2… 辛 道煥(シン・ドファン、朝鮮語: 신도환、1922年5月25日 - 2004年3月24日)は、大韓民国の政治家、柔道家(青濤館4・5・6段、大韓柔道会7・8・9・10段)。第4・8・9・10・12代韓国国会議員。本貫は寧越辛氏。号は滄帆(チャンボム、창범)。キリスト教徒。 大邱生まれ、日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。大邱達城普通学校、大邱啓聖学校、1943年に明治大学法学科卒業。1950年代に東京大学法学部、コロンビア大学国際法課程修了。 1958年の第4代総選挙に無所属で出馬して当選し、同年に大韓体育会長署理を務め、翌年に大韓反共青年団を設立し団長を務めた。大韓反共青年団は3・15不正選挙と四月革命の引き金となる「高大生被襲事件」で暴力団の動員に関与したとみなされたため、1960年に不正選挙関連の容疑で死刑を求刑されたが無罪で解放された。
跡田 禎三(あとだ ていぞう、1922年5月25日 - 19… 跡田 禎三(あとだ ていぞう、1922年5月25日 - 1994年7月1日)は、日本の経営者。名古屋鉄道副社長、岐阜乗合自動車社長を務めた。大分県出身。 1936年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に名古屋鉄道に入社。1968年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1978年6月に副社長に就任。1985年6月に取締役相談役に就任。1979年8月には岐阜乗合自動車社長に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 1994年7月1日急性心不全のために死去。72歳没。
石井 忠重(いしい ただしげ、1920年〈大正9年〉5月25… 石井 忠重(いしい ただしげ、1920年〈大正9年〉5月25日 - 2007年〈平成19年〉8月10日)は、昭和時代の政治家。神奈川県厚木市長。厚木市名誉市民。 神奈川県愛甲郡南毛利村(現厚木市愛名)出身。神奈川県立厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)を経て、1941年(昭和16年)東京高等工業学校機械科(現東京科学大学)を卒業し、逓信省航空試験所に入り、1942年(昭和17年)現役入隊。1945年(昭和20年)復員。1951年(昭和26年)南毛利農協専務理事、1954年(昭和29年)南毛利地区農業委員長を経て、1955年(昭和30年)厚木市議会議員に当選。1959年(昭和34年)2月、38歳の若さで厚木市長に就任した。
白崎 秀雄(しらさき ひでお、1920年5月25日-1992… 白崎 秀雄(しらさき ひでお、1920年5月25日-1992年2月22日)は、作家、美術評論家。福井市出身。 法政大学修了。1966年「真贋」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。伝記小説に新境地を開き、骨董、書画、日本絵画、篆刻などの関連著作が多い。北大路魯山人を世に広めた人物としても知られる。魯山人の芸術性・技術的な特異性を鋭く評価した。
松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月2… 松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月25日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、日本の柔道家。段位は講道館8段。 昭和天覧試合(1940年)準優勝者、第1回全日本選手権大会(1948年)優勝者であり、後に天理大学等で柔道師範や1964年東京オリンピック日本代表の監督を務めた。 福岡県久留米市で洋品雑貨の卸売業を営む家の長男として生まれる。福岡県中学明善校入学後は授業で柔道を経験したが、クラブ活動ではバレーボール部に所属。中学3年の始めに上級生の強引な勧誘を受け、嫌々ながら柔道を始めたというのが柔道人生への第一歩となった。 1937年4月に武道専門学校に入学するも、親元を離れた解放感から酒色に溺れ、不摂生が祟って2年生の9月には体調を崩して結核を患い、故郷・福岡での安静生活を余儀なくされる。
大森 創造(おおもり そうぞう、1918年(大正7年)5月2… 大森 創造(おおもり そうぞう、1918年(大正7年)5月25日 - 1999年(平成11年)11月14日)は、昭和期の政治家。参議院議員、茨城県東茨城郡圷村長。 茨城県東茨城郡、のちの桂村(現城里町)で生まれる。九州大学中国文学科を卒業。又一貿易上海支店に勤めた。 1956年(昭和31年)日本社会党に入党。圷村民主同盟を結成した。圷村長に就任し2期在任。茨城県議会議員に選出され3期在任した。また、社会党茨城県連書記長、同党基地対策委員長などを務めた。 1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙に茨城県地方区から社会党公認で出馬して初当選。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
宇野 錦次(うの きんじ、1917年5月25日 - 1997… 宇野 錦次(うの きんじ、1917年5月25日 - 1997年2月6日)は、京都府出身のプロ野球選手。
小泉 英信(こいずみ ひでのぶ、1917年5月25日 - 1… 小泉 英信(こいずみ ひでのぶ、1917年5月25日 - 1985年11月3日)は、日本の経営者。東京都出身。 1941年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に東京ガスに入社。 1973年9月に関東タール製品社長に就任し、1976年6月には北海道ガス社長に就任。 1985年11月3日心筋梗塞のために死去。68歳没。
小森 健吉(こもり けんきち、1917年5月25日 - 19… 小森 健吉(こもり けんきち、1917年5月25日 - 1991年12月14日)は、日本の教育学者。 京都府出身。京都帝国大学法学部卒、同大学院修士課程修了。滋賀県立短期大学助教授、佛教大学教授。88年定年退職、名誉教授。教育社会学。
吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日… 吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日 - 1988年(昭和63年)8月1日)は、内観法(内観療法)の創始者。奈良県大和郡山市生まれ。奈良県立郡山園芸学校(現奈良県立郡山高等学校)卒。実業家出身で、浄土真宗木辺派の僧侶、刑務所の教誨師、篤志面接委員としても活躍した。 内観法は精神医学や心身医学に応用され、森田療法と並んで代表的な日本製の精神療法(心理療法)として知られる。なお、白隠の内観法と区別して吉本内観法と呼ばれることもある。 吉本の創始した内観法(単に内観とも)とは次のようなものをさす。 集中内観と日常内観の2つの段階に分けられる。 集中内観は研修所や病院などの静かな部屋に一週間こもり、外界とのやり取りを制限し、自分とかかわりの深い他者(特に母親が重視される)に対して自分がどうであったかを、次の三つの観点から調べるものである。
山田 酉吉(やまだ ゆうきち、1916年5月25日 - 19… 山田 酉吉(やまだ ゆうきち、1916年5月25日 - 1987年4月1日)は、日本の実業家。味覚糖創業者で、社長、会長を歴任。 鹿児島県大島郡伊仙村(後に伊仙町)西伊仙出身。1932年に伊仙尋常高等小学校高等科を卒業し、同年4月から大阪市の菓子卸問屋に勤める。1936年11月、大阪市にて菓子卸小売店を経営。1941年9月、菓子統制により卸業者11店で配給組合を結成し、支配人となる。1943年8月、株式会社大和鉄工所を設立して代表取締役に就いて航空機部分品の生産に従事するが、1945年6月7日に戦災を受けて会社解散。奈良県に疎開。 戦後の1948年3月、大阪市に菓子卸業の株式会社誠商会を設立し、会長に就く。
杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月… 杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月25日 - 1999年 <平成11年> 11月6日)は、日本の哲学者、民話研究家。位階は正四位。 福井県福井市出身。1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了、1965年「様相論理学研究」で京都大学文学博士。1949年福井大学助教授、1957年教授、1976年定年退官、名誉教授、岡山大学教授となり、1980年福井県立博物館長に就任。1970年福井県文化賞、1983年郷土史研究賞「忠直配流―その説話と史実」で受賞、1987年勲二等瑞宝章受勲。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - … 沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1952年)(学位論文「労働法原理の論理的構造」)。東京都立大学名誉教授。同大学第5代総長。 1914年、富山県高岡市出身。1938年、京都帝国大学法学部法律学科卒業。 大学院生の際に徴兵を受け、復員後の1946年に夕刊京都新聞社へ入社。同社では論説委員や労組委員長を歴任したが、1950年のレッドパージで退社を余儀なくされた。 1951年、東京学芸大学教授に就任し、翌1952年には(旧)東京都立大学へ移る。1952年、「労働法原理の論理的構造」で立命館大学より法学博士の学位を取得。
徳恵翁主(トクヘオンジュ、とくけいおうしゅ、韓国語: 덕혜옹… 徳恵翁主(トクヘオンジュ、とくけいおうしゅ、韓国語: 덕혜옹주、1912年5月25日 - 1989年4月21日)は、朝鮮国王・大韓帝国皇帝高宗の王女。日本領朝鮮京畿道京城府出身。出生名は李 德惠(イ・トクヘ、り とくけい、韓国語: 이덕혜)。「翁主」は、大韓帝国皇帝の後宮所生の皇女の称号。ただし、徳恵は韓国併合後の出生かつ特例的に王族(王公族)として扱われ、徳恵姫(とくえひめ)となった。 結婚後の日本名は宗 徳恵(そう とくえ)、離婚後は梁 徳恵(ヤン・トクヘ、りょう とくけい、韓国語: 양덕혜)。 日韓併合から2年後の1912年(明治45年)5月25日、日本の王族・徳寿宮李太王となっていた高宗と側室の梁春基との間に誕生。
鳥尾 鶴代(とりお つるよ、1912年5月25日 - 199… 鳥尾 鶴代(とりお つるよ、1912年5月25日 - 1991年12月27日)は、日本の子爵・鳥尾敬光の妻。旧姓下條(げじょう)。のち鳥尾佳代、鳥尾多江と名乗った。美貌と社交術に長け、マダム鳥尾としてマスコミを賑わせた。下条正雄の孫。 日本画家で貴族院議員の祖父・下條桂谷(正雄)の末子・小四郎の娘として、祖父の持つ東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の豪邸で生まれ贅沢に育つ。母方祖父は津田出。1919年、女子学習院初等科に入学。平民出身のため華族の生徒からいじめられた。祖父が亡くなったことで麹町の家は嗣子の伯父のものとなり、1923年3月、鶴代一家は神奈川県大磯の祖父の別荘に転居。派手な都会暮らしに慣れた父は帝国ホテルにも部屋を借り、鶴代も1年ほどホテルから通学、その後一家は、麹町の伯父宅2階を借りるなど転居を繰り返し、最終的に隠田(現・原宿)に落ち着く。
磯貝 正義(いそがい まさよし、1912年5月25日 - 2… 磯貝 正義(いそがい まさよし、1912年5月25日 - 2008年7月25日)は、日本の歴史学者。山梨大学名誉教授。山梨県立考古博物館初代館長、武田氏研究会会長、山梨県史編さん委員会委員長。専門は日本古代史。 岐阜県土岐郡時村(瑞浪市土岐町)に、父・磯貝謙造、母・操の長男として生まれる。磯貝家は岩村藩大給松平家家臣で、母方の実家伊東家は長百姓の家柄。磯貝家は祖父や叔父が製糸工場を経営しており、父の謙造は小学校校長。 岐阜県大垣中学校、第八高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、大学院へ進む。大学時代は古代史学を専攻し坂本太郎に学び、卒業論文は「律令時代に於ける地方政治、特に郡司を中心として」。
辻井 市太郎(つじい いちたろう、1910年(明治43年)5… 辻井 市太郎(つじい いちたろう、1910年(明治43年)5月25日 - 1986年(昭和61年)9月20日)は、クラリネット奏者、指揮者、作曲家、編曲家であり、日本吹奏楽指導者協会会長、日本マーチングバンド指導者協会(JMBDA)(現日本マーチングバンド協会)会長、大阪市音楽団(現Osaka Shion Wind Orchestra)団長を務めた。 作曲家・音楽評論家・相愛大学名誉教授の辻井英世は長男、大阪音楽大学名誉教授で尼崎市吹奏楽団や近畿大学吹奏楽部など関西の著名なアマチュア吹奏楽団で指揮者をつとめた辻井清幸は次男。 明治43年(1910年)、京都府京都市に生まれる。京都両洋中学校でクラリネットと吹奏楽を学び、昭和3年(1928年)に卒業後、同年、大阪市音楽隊(昭和21年(1946年)大阪市音楽団に改称、現Osaka Shion Wind Orchestra)に入隊。
岩本 政敏(いわもと まさとし、1910年5月25日 - 没… 岩本 政敏(いわもと まさとし、1910年5月25日 - 没年不明)は、日本の経営者。文化放送社長、会長を務めた。東京都出身。 1933年に早稲田大学商学部を卒業。 日本放送協会での勤務を経て、1957年11月に日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に転じ、1960年11月に取締役に就任し、1965年に常務、1972年11月に専務を経て、1979年6月には文化放送社長に就任。1987年7月に会長を経て、1990年6月には相談役に就任。 1984年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
石山 権作(權作、いしやま ごんさく、1909年(明治42年… 石山 権作(權作、いしやま ごんさく、1909年(明治42年)5月25日 - 1968年(昭和43年)8月20日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県秋田市手形字大沢で生まれる。1924年(大正13年)中通尋常高等小学校高等科を卒業した。 東北パルプ(現日本製紙)に入社。1948年(昭和23年)東北パルプ労働組合委員長に就任し、秋田市議会議員、秋田県労働組合会議議長、同顧問、秋田県労働金庫(現東北労働金庫)理事長、同顧問、全国紙パルプ労働組合連合会中央執行委員会、日本社会党秋田県本部委員長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から社会党左派公認で出馬して次点で落選。
横内 要(よこうち かなめ、1908年〈明治41年〉5月25… 横内 要(よこうち かなめ、1908年〈明治41年〉5月25日 - 1989年〈平成元年〉 4月30日)は、日本の政治家。山梨県韮崎市長(4期)。位階は正五位。山梨県知事の横内正明と元韮崎市長の横内公明の父。 山梨県北巨摩郡韮崎町(現:韮崎市)で生まれた。1927年甲府市立商業学校(現・甲府市立甲府商業高等学校)卒。1937年北巨摩郡竜岡村会議員に当選。1955年山梨県議会議長に当選。県議会議長も務めた。1962年韮崎市長に当選。市長を4期16年務め、1977年に自治大臣表彰を受ける。翌1978年に韮崎市長を退任。退任後、市から名誉市民を贈られた。1989年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
藤林 甲(ふじばやし こう、1908年5月25日 - 197… 藤林 甲(ふじばやし こう、1908年5月25日 - 1979年8月21日)は、日本の照明技師である。牧野省三のマキノ・プロダクションにキャリアを始め、東宝を経て戦後、日活の製作再開とともに新東宝から移籍、石原裕次郎主演作のほとんどすべての照明を設計した。テレビ映画では、ユニオン映画の初期作品を手がけたことで知られる。本名は同じで読みが「ふじばやし まさる」。初期別名藤林 まさる(ふじばやし まさる)。日本映画テレビ照明協会の第5代・第7代会長を歴任した。 1908年(明治41年)5月25日、福岡県福岡市に生まれる。 1921年(大正10年)3月、旧制小学校を卒業、同年4月、福岡県筑紫郡堅粕町(現在の同県福岡市博多区堅粕)の福岡県立福岡中学校(現在の福岡県立福岡高等学校)に入学するも、のちに中途退学する。
根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 -… 根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 - 1990年3月19日)は、昭和期の日本の政治家。位階は正三位、勲一等旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員。秋田県大曲市(現在の大仙市)出身。 秋田県立秋田農業学校(現秋田県立大曲農業高等学校)を経て、1932年京都帝国大学農学部農林経済学科卒業。満州国に渡り、役人を経て、建国大学の助教授を務めた。終戦で日本に引き上げ、1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧秋田2区から秋田県民主党より立候補し当選する(当選同期に鈴木善幸・中曽根康弘・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・中村寅太など)。 その後民主党に所属するが、炭鉱国管問題に反対し田中角栄、幣原喜重郎、原健三郎、佐々木秀世らと民主党を脱党し、吉田茂の自由党に入党する。
三上 作夫(みかみ さくお、1907年(明治40年)5月25… 三上 作夫(みかみ さくお、1907年(明治40年)5月25日 - 1996年(平成8年)7月24日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最後の連合艦隊作戦参謀で、戦後は自衛艦隊司令官を務める。最終階級は日本海軍では海軍中佐、海自では海将。妻は今村信次郎海軍中将の娘。 広島県芦品郡宜山村(現・福山市駅家町)大橋出身。福山中学を経て海軍兵学校56期を卒業。同期生に高橋赫一、大谷藤之助、田辺弥八らがいる。三上は砲術学校高等科を修了した砲術専攻士官で駆逐艦の砲術長や戦艦日向の副砲長、砲術学校教官などを務めた。海軍大学校甲種37期を卒業。中島親孝、岡田貞外茂、藤村義一らが同期である。在校中に海軍少佐に進級し、第一水雷戦隊砲術参謀として太平洋戦争開戦を迎え、真珠湾攻撃などに参戦した。
宮本 晃男(みやもと てるお、1907年5月25日-1992… 宮本 晃男(みやもと てるお、1907年5月25日-1992年)は、飛行機・自動車の技術者、評論家。 1930年東京市立深川工業学校(後の東京都立本所工業高等学校)自動車専修科卒。1932年東京帝国大学造兵学科委託研究生修了。逓信省航空局技術課勤務。一等整備士、航空機関士。運輸省自動車局車両課勤務(運輸技官)。日本自動車連盟事業部長。1970年自動車問題研究会を設立、初代会長となる。自動車ジャーナリスト協会顧問。自動車技術会顧問。1982年勲五等瑞宝章受勲。
四方 実一(しかた じつかず、1907年5月25日 - 19… 四方 実一(しかた じつかず、1907年5月25日 - 1997年1月22日)は、日本の教育心理学者。 京都府出身。東京文理科大学心理学科卒、1961年「算数問題解決の教育心理学的研究」で東京教育大学文学博士。京都学芸大学助教授、教授。1966年校名変更で京都教育大学教授。71年定年退官、名誉教授。
麻生平八郎(あそう へいはちろう、1906年5月25日 - … 麻生平八郎(あそう へいはちろう、1906年5月25日 - 1998年11月15日)は、日本の商学者。商学博士(明治大学)。元明治大学総長。従四位勲二等旭日重光章。千葉県出身。 この他、東京農業大学、立正大学、法政大学、中央大学、福岡大学などで兼任講師。 石井常雄『人物点描 麻生平八郎先生の追憶』(紫紺の歴程 4号、2000年)
角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 19… 角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 1994年3月26日)は日本の小説家。伝奇小説と呼ばれる時代小説、探偵小説で活躍した。 神奈川県横須賀市に生まれ、父は佐倉藩士の家系で、海軍工廠印刷部創設要員だったが、翌1907年に浅草で印刷業を始めて一家で移転する。小学生の頃から、俳句、短歌、新体詩の投稿をしており、滝沢馬琴、山東京伝、黒岩涙香を愛読、中学時代はトルストイ、ドストエフスキーなどを愛読していた。 東京府立三中時代の1921年(大正10年)に『現代』誌のスポーツ小説の懸賞に応募して二等となる。英語教師からシャーロック・ホームズの話を聞いて探偵小説に興味を持ち、翌1922年に『新趣味』に「毛皮の外套を着た男」を発表してデビュー。
岩田 久二雄(いわた くにお、1906年(明治39年)5月2… 岩田 久二雄(いわた くにお、1906年(明治39年)5月25日 - 1994年(平成6年)11月29日)は、日本の昆虫学者・生態学者。 学位は理学博士(京都帝国大学、1944年)。 常木勝次とともに日本における昆虫の行動研究の草分けであり、ハチ類の習性研究をほぼ生涯の課題とした。高校生(旧制)時代から孤独性の狩り蜂や花蜂の習性研究を行い、特に狩り蜂の習性研究を発展させた。岩田の業績で特筆されるのは、個々の種の習性(行動 behaviour の連鎖たる habit )の記述のみでなく、繁殖習性の要素を5つの単位習性に分類し、種間の習性を普遍的に比較できる方法を提示したことであり、これによってこの分野は近代的な進化生態学・動物行動学に進む道筋の一つを得た。
村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月… 村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月25日 - 1987年(昭和62年)2月13日)は、日本の裁判官、検察官、司法・法務官僚。第6代最高裁判所長官。 東京帝国大学法科(現・東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)卒業。大阪地裁、京都地裁、東京地裁などで裁判官生活を送り、1938年に司法省民事局に勤務。戦時中に陸軍司政官になりジャカルタに派遣されたが、敗戦のため抑留生活をした。復員後に再び司法省民事局に勤務し、民法の改正作業に携わった。その後、1948年から法務庁民事局長(後に法務省民事局長)を10年務めた。1952年4月19日に法務府民事局長として「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」と題する通達を出した(これによりサンフランシスコ平和条約が発効した同年4月28日に在日朝鮮人と在日台湾人は平和条約国籍離脱者として外国人となった)。
中村 英男(なかむら ひでお、1904年5月25日 - 19… 中村 英男(なかむら ひでお、1904年5月25日 - 1988年2月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。参議院議員(2期)。歯科医師。 現在の島根県江津市出身。旧制島根県立浜田中学校(現在の島根県立浜田高等学校)、1927年日本歯科医学専門学校卒業。卒業後は帰郷し、歯科医を開業する傍ら農民運動を指導する。戦後、日本社会党島根県連を結成し、副委員長となる。島根県議を2期務め、1952年の第25回衆議院議員総選挙で島根全県区から日本教職員組合の政治団体である日本教職員政治連盟公認で立候補して初当選。以来連続5期当選した(その後は無所属を経て左派社会党から日本社会党に入る)。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選。
田村 実造(たむら じつぞう、1904年5月25日 - 19… 田村 実造(たむら じつぞう、1904年5月25日 - 1999年2月24日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授、京都女子大学学長。 1904年、山口県生まれ。1929年京都帝国大学文学部史学科卒業。 1940年に京都帝国大学助教授となり、1947年に教授、文学部長を務め、1968年に定年退官する。京都女子大学学長。主著に『中国征服王朝の研究』、東洋史教科書作成にも多く参加した。1930年代に中国東北部の実地調査を行い、契丹・遼代の遺跡墳墓を発掘、契丹文字を初めて学会に紹介した。
田村 実造(たむら じつぞう、1904年5月25日 - 19… 田村 実造(たむら じつぞう、1904年5月25日 - 1999年2月24日)は、東洋史学者、京都大学名誉教授、元京都女子大学学長。
佐藤 美子(さとう よしこ、1903年5月25日 - 198… 佐藤 美子(さとう よしこ、1903年5月25日 - 1982年7月4日)は、日本の声楽家・オペラ歌手である。日本国内で初めて『カルメン』を演じ、「カルメンお美」と呼ばれる。 1903年5月25日、神戸税関の職員の佐藤友太郎とフランス人の母・ルイズのもと、5人兄弟の末っ子として生まれた。兄に英夫、勇次、明来がいる。後に妹のミチが生まれた。姉の綾子は鹿児島県出身の弁護士で薬品貿易業を営む大嶺俊介の妻となる。 父の友太郎は長崎県出身の佐藤元狩の長男として文久2年8月に生まれた。元狩は維新後京都府に出仕しフィラデルフィア万国博覧会委員として渡米したが、1876年4月30日にサンフランシスコにおいて病死した。
飯田 信夫(いいだのぶお、1903年(明治36年)5月25日… 飯田 信夫(いいだのぶお、1903年(明治36年)5月25日‐1991年(平成3年)8月19日)は昭和期の作曲家、指揮者。妻は女優の夏川静江。娘に女優の夏川かほる。