野口 昌吾(のぐち しょうご、1938年2月17日 - )は… 野口 昌吾(のぐち しょうご、1938年2月17日 - )は、日本の実業家。元通商産業省大臣官房審議官。 1956年に栃木県立栃木高等学校、1960年に東京大学経済学部を卒業。1962年4月、通商産業省に入省した。入省同期に、堤富男、坂本春生、深沢亘(特許庁長官、日本鋼管副社長)、平戸正尚(札幌通産局長、島津製作所専務)、三上義忠(中小企業庁次長、知的財産研究所専務理事)、山下正秀(原子力発電技術機構常務理事)などがいる。 資源エネルギー庁総務課海洋開発室などを経て、同省の産業政策局消費経済課長、機械情報産業局電気機器課長、衆議院商工委員会政府委員、同省大臣官房審議官を歴任。1989年6月に退官した。
大武浩幸(おおたけ ひろゆき 1938年1月23日-2020… 大武浩幸(おおたけ ひろゆき 1938年1月23日-2020年6月19日)は、日本の実業家。栃木県那珂川町出身。 1956年3月、株式会社ワタル商会(現ワタル株式会社及びワタル不動産株式会社)入社 1968年3月、同社取締役就任。 1973年11月、株式会社ユニカフェ取締役就任。1977年11月同社常務取締役就任、1989年11月同社専務取締役を就任を経て、1991年11月同社代表取締役に就任。 2001年9月、同社は東京証券取引所市場第一部に上場。現在に至る。 日本家庭用レギュラーコーヒー工業会幹事(現任)、全日本コーヒー公正取引協議会常任理事(現任)、社団法人全日本コーヒー協会技術環境委員会委員長、独立行政法人中小企業基盤整備機構 新事業開拓促進出資事業に係る出資先選定委員会(現 出資先候補評価委員会)委員などを務める。
小島 勝平(こじま かつへい、1936年〈昭和11年〉1月2… 小島 勝平(こじま かつへい、1936年〈昭和11年〉1月28日 - 2007年〈平成19年〉4月24日)は、日本の実業家。小島電気商会(後の株式会社小島電機、現在の株式会社コジマ)創業者で、代表取締役社長、代表取締役会長を歴任した。 1955年4月に栃木県宇都宮市で小島電気商会を創業、家電の安売り販売を開始。1963年より法人化して株式会社小島電機を設立。 小島電機は栃木県内で1972年から多店舗化へ展開、店舗網を拡充して大量販売。1984年から栃木県外に進出し多店舗展開、1985年までに中堅家電販売店へ成長。小島勝平は全国一の家電量販店激戦区北関東YKK で、群馬県のヤマダ電機(山田昇)、茨城県のケーズデンキ(加藤修一)、栃木のヌマニウ、第一家電と家電量販店の激しい価格競争、出店競争。
高野 正三(たかの しょうぞう、1935年(昭和10年)2月… 高野 正三(たかの しょうぞう、1935年(昭和10年)2月8日 - )は、日本の実業家。調味料「ろく助塩」の開発者であり、東洋食品株式会社( 東京都港区赤坂8丁目13−19)の創業者として知られている。 現在の栃木県那須烏山市に生まれた。祖父・伊予作と父・正一が同地で写真館を営んでおり、幼少期から写真の撮影や修整技術を観察を通じて学んだ。 1952年(昭和27年)、17歳のときに父の師匠が営む北海道・幾春別の「小林写真館」で写真家としての修行を開始した。1954年(昭和29年)、技術向上のため東京・神田神保町の「丹羽写真館」に入社した。1956年(昭和31年)、広告写真を学ぶため「阿部スタジオ」の阿部正二に師事した。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。 栃木県佐野市生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学卒業後、野村證券に入社。入社後、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国ペンシルベニア大学大学院に留学し、ウォートン・スクールで経営学修士(MBA)を取得した。帰国後、野村證券外国部次長を経て、1968年にニューヨーク支店長に就任。翌1969年、ニューヨーク支店は現地法人格を有する米国野村證券(Nomura Securities International Inc.)に再編され、寺澤は同社の初代代表取締役社長に就任した。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。
熊久保 勅夫(くまくぼ ときお、1931年8月7日 - 20… 熊久保 勅夫(くまくぼ ときお、1931年8月7日 - 2012年12月30日)は、日本の実業家、馬主。東北サファリパーク、那須サファリパーク、エビスサーキット、那須ワールドモンキーパーク、岩手サファリパーク創業者。息子は熊久保信重。 勅夫は、満州事変がはじまる前月の1931年8月7日、栃木県黒磯市(現在の那須塩原市)高林にて、酒造業や木材・木炭の取引業などを営む熊久保家の次男として生まれた。学校の勉強よりも自然から学ぶことを好んで山を駆け回り、「普通の悪ガキ」に育った少年時代を過ごした勅夫は、戦後の混乱期の中で高校を出ると同時に、東京都江東区深川の材木問屋へ丁稚奉公に行き、そこで3年間の修行を積んだ。
塚本 芳和(つかもと よしかず、1930年5月26日 - 2… 塚本 芳和(つかもと よしかず、1930年5月26日 - 2010年4月17日)は、日本の実業家。 ※和久井孝太郎・堀之内勝一との共著
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。
新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年… 新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年7月28日)は、元日本経済新聞社社長。栃木県那須烏山市出身。 1949年、早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。1963年政治部長、1970年編集局長となり、取締役労務担当、常務社長室長、副社長大阪本社代表、電波担当などを経て、リクルート事件に絡み当時の森田康社長が引責辞任したことを受け、1988年7月、社長に就任。 1991年、イトマン事件初公判の冒頭陳述で検察側が「被告が日経の協力者に1,000万円を支払った」と指摘した問題では、直ちに調査委員会を設置して「社内協力者」が実在しないことを証明。検察側には一歩も引かない姿勢を示して、事実上、過ちを認めさせ、言論報道機関としての日経の信用回復に全力を挙げた。
殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月1… 殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月15日 - )は、日本の経営者。栃木県足利市出身。 興国化学工業(現在のアキレス)創立者・殿岡利男の長男。1945年に桐生工業専門学校を卒業し、1947年に興国化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1971年6月に副社長に就任し、1977年1月には社長に昇格した。1992年6月に会長を経て、2001年6月には取締役相談役に就任した。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章した。
高村 武次(たかむら たけじ、1923年 - 2005年)は… 高村 武次(たかむら たけじ、1923年 - 2005年)は、日本の映画監督、元岩波映画製作所社長。 旧制栃木県立栃木中学校を経て東京帝國大学法学部卒。
大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年… 大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年)10月9日 - 2019年(令和元年)9月7日)は、日本の実業家。大塚商会創業者。後を継いだ大塚裕司は長男。 大塚裕司大塚商会代表取締役社長は長男。 母校である栃木県立真岡高等学校に対し、下記のような寄付を行ったほか、同窓会副会長を務める等、熱心な支援を行っていた。
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30… 舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30日 - 2006年〈平成18年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、剣道家、実業家。最終階級は陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。 栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれて育つ。幼少期からきかん坊で近所のガキ大将であった。小学校と尋常高等小学校を終えて公民学校を卒業すると、さらに早稲田中学講義録で独学し、専門学校入学者検定試験に合格する。
竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9… 竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9日 - 2003年(平成15年)7月29日)は、日本の実業家。不動産会社である地産の代表取締役社長。徳間書店と致知出版社の事実上の創業者。 栃木県黒磯町生まれ。福島県立白河中学校、明治大学政治経済学部を卒業後、1943年(昭和18年)に読売新聞社 に入社 する。読売新聞社会部記者などを歴任し、読売争議の際は急進的な組合側の急先鋒となる。 1946年(昭和21年)に読売新聞を退社してアサヒ芸能新聞社を経営し、『アサヒ芸能新聞』、『日東新聞』を創刊する。 1952年(昭和27年)の大阪讀賣新聞創刊と1975年(昭和50年)の中部讀賣新聞創刊に「読売の大番頭」務臺光雄の命で携わり、「務臺(読売)の黒子役」とも言われる。
飯塚 毅(いいづか たけし、1918年(大正7年)7月8日 … 飯塚 毅(いいづか たけし、1918年(大正7年)7月8日 - 2004年(平成16年)11月23日)は、日本の実業家、公認会計士、税理士。TKC創業者。日本会計研究学会太田賞受賞。鹿沼市名誉市民。TKC全国会名誉会長。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現鹿沼市)生まれ。鹿沼町立鹿沼尋常高等小学校(現鹿沼市立鹿沼中央小学校)、栃木県立鹿沼農商学校(現栃木県立鹿沼商工高等学校)を経て、1939年福島高等商業学校(現福島大学経済経営学類)卒業。1943年東北帝国大学法文学部法科(現東北大学法学部)繰り上げ卒業。大日本帝国陸軍主計少尉を経て、日本の降伏後、1946年計理士登録。1952年税理士登録。1963年紺綬褒章受章。
小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日… 小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日 - 2007年3月9日)は、日本の実業家。元三井鉱山(現 日本コークス工業)社長。元三井鉱山会長。元三井鉱山相談役。栃木県出身。 旧制栃木県立栃木中学校(現・栃木県立栃木高等学校)を経て、東京商科大学(現 一橋大学)を卒業。三井鉱山(現・日本コークス工業)社長、同会長および相談役を歴任。 2007年、急性呼吸不全のため89歳で死去。
舘野 万吉(たての まんきち、1915年6月20日 - 20… 舘野 万吉(たての まんきち、1915年6月20日 - 2015年11月18日)は、日本の実業家。元日本製鋼所社長。 旧制栃木県立栃木中学校を経て、1933年に東京帝国大学工学部卒業。1940年、日本製鋼所入社、大日本帝國海軍呉工場(広島)で戦艦大和、戦艦武蔵等の建造に従事した。1979年同社社長就任(のち相談役)。横浜カントリークラブ名誉理事。 1977年に藍綬褒章、1987年に勲二等瑞宝章を受章。 2015年11月18日、老衰のため死去。100歳没。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) -… 仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) - 1975年(昭和50年))は栃木県足利郡御厨町(現足利市)町議会議員・実業家・農業技術研究家。栃木県のイチゴ栽培技術を確立し、同県を日本有数のイチゴ生産地に発展させた。
永田 英太郎(ながた えいたろう、1911年(明治44年)1… 永田 英太郎(ながた えいたろう、1911年(明治44年)11月4日 - 2002年(平成14年)9月19日)は、日本の実業家。栃木県出身。元栃木市長。永田製作所創業者。栃木市名誉市民。 1911年(明治44年)、栃木県栃木町(現栃木市)に生まれる。1930年(昭和5年)に旧制栃木県立栃木中学校(現 栃木県立栃木高等学校)、1934年に立教大学文学部を卒業。 1956年、栃木市教育委員に就任し、その翌年に永田製作所を創設。1965年に栃木市教育委員長、1969年に栃木商工会議所副会頭となる。 1979年、第11代栃木市長に就任。1988年、勲四等瑞宝章を受章。2002年(平成14年)、逝去。享年92(満91歳没)。
秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年〈明治42年〉7月7… 秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年〈明治42年〉7月7日 - 2001年〈平成13年〉11月22日)は、日本の逓信官僚、実業家。日本電信電話公社総裁。 群馬県山田郡矢場川村(現・栃木県足利市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を経て、1934年(昭和9年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業後、日本無線電信に入る。 戦後逓信省に入り、1947年(昭和22年)総務局監理課長。1949年(昭和24年)AT&T留学、電気通信省経理局会計課長となる。1952年(昭和27年)日本電信電話公社が発足すると同社に移り、資材部長、経理局長、理事、総務理事を経て1965年(昭和40年)副総裁。
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日… 井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者、実業家、教育者、弁理士。位階は正三位。 栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)出身。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。 祖先は会津藩の家老であり、親戚には飯盛山で自刃した白虎隊の井深茂太郎や明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した井深八重がいる。日露間で樺太・千島交換条約が締結された後、祖父基が公務員として千島列島を巡回し、明治11年に占守島を訪れているが、その際に現地で撮影された集合写真に収まっていた吏員の一人が祖父基であることを後に井深大自身が確認している。
関 湊(せき みなと、1907年(明治40年)12月12日 … 関 湊(せき みなと、1907年(明治40年)12月12日 - 1984年(昭和59年)9月14日)は日本の実業家、経営者。学校法人獨協学園理事長。 昭和期の日本の実業家・学校法人経営者。明治期に西周らにより設立された獨逸学協会学校を母体とした学校法人獨協学園再建を天野貞祐(元文部大臣)と根津嘉一郎(東武鉄道2代目総帥)から託され、獨協医科大学等を創設し現在の獨協学園の基礎を作った。獨協学園理事長を務めた他、社会福祉法人関記念会の発起人会を立ち上げ設立に大きく尽力した。現在は獨協医科大学を協力病院とし、地域の高齢者福祉の中核事業を担う存在にまで成長している。 1907年(明治40年)、栃木県塩谷郡喜連川町(現・さくら市)に生まれる。
椎名 時四郎(しいな ときしろう、1907年1月19日 - … 椎名 時四郎(しいな ときしろう、1907年1月19日 - 2007年12月3日)は、日本の実業家。栃木県出身。元住友商事副会長。 1924年(大正13年)、旧制栃木県立栃木中学校(現 栃木県立栃木高等学校)修了。東京商科大学(現 一橋大学)卒業。元住友商事副会長。1973年(昭和48年)、(財)日本ラグビーフットボール協会会長に就任。1979年(昭和54年)、同 名誉会長に就任。1995年(平成7年)、同 名誉相談役に就任。 2007年12月3日、肺炎により100歳で死去。
矢野 登(やの のぼる、1903年8月25日 - 1993年… 矢野 登(やの のぼる、1903年8月25日 - 1993年4月17日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)出身。1921年栃木県立小瀬農学校卒。1938年三共日産自動車(株)を創立。ほか三共物産(株)、(株)東武宇都宮百貨店、日産プリンス栃木販売(株)を創立。代表取締役などに就任した。この他宇都宮商工会議所副会頭や栃木県石油協同組合理事長を歴任。1968年の第8回参議院議員通常選挙に栃木県選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選。第2次田中内閣で通商産業政務次官を務めた。1974年7月の第10回参議院議員通常選挙で落選。同年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
金井 喜一郎(かない きいちろう、1901年9月 - 196… 金井 喜一郎(かない きいちろう、1901年9月 - 1961年7月16日)は、日本の映画監督、映画プロデューサー、作画監督、撮影監督、アニメーション作家(英語版)であり、実業家である。出生名佐藤 喜一郎(さとう きいちろう)、養子縁組後本名金井 喜一郎、筆名金井 木一路(かない きいちろ)。 日本初のアニメーション作家のひとりである北山清太郎の助手からキャリアを始め、アニメーション映画の撮影・作画、独立後はドキュメンタリー映画の製作も行ったことで知られる。東京線画フィルム製作所、都商会、都映画社、「目黒スタジオ」として知られる東京録音現像をそれぞれ創立し、代表を務めた。 1901年(明治34年)9月、栃木県足利郡足利町(現在の同県足利市)に生まれる。
臼井 芳一(うすい よしかず、1899年1月28日 - 19… 臼井 芳一(うすい よしかず、1899年1月28日 - 1980年2月9日)は、日本の経営者。伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)社長を務めた。 栃木県栃木市出身。1921年に東京高等工業学校窯業学科を卒業した。 日本陶器(ノリタケカンパニーリミテドを経て、現在のノリタケ)での勤務を経て、1924年に伊奈製陶に転じ、1933年に取締役、1948年9月に常務を経て、1963年12月に社長に就任した。1968年10月、相談役に就任した。 1967年10月に藍綬褒章を受章した。 1980年2月9日、脳梗塞のため死去した。81歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
矢野 政男(やの まさお、1898年(明治31年)12月1日… 矢野 政男(やの まさお、1898年(明治31年)12月1日 – 1968年(昭和43年)10月11日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)で、矢野留松の二男として生まれる。1916年(大正5年)栃木県立烏山中学校(のち栃木県立烏山高等学校)を卒業した。 1928年(昭和3年)烏山町で矢野自動車商会を設立し、事業の成長に伴い東野自動車株式会社に改組して宇都宮市に進出した。その他、栃木県中央貨物自動車取締役社長、宇都宮自動車取締役社長、芳南交通取締役社長、両毛酸素取締役社長、三共工業取締役社長、茨城県日産自動車販売取締役社長、東野鉄道(のち東野交通)取締役社長、那須高原開発取締役社長、金桝商会取締役社長、東野観光取締役社長、北関運輸取締役社長、東武宇都宮百貨店会長、三共石油会長などを務めた。
金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7… 金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7月7日 - 1983年(昭和58年)10月6日)は、大正から昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(2期)、栃木県栃木市長。幼名は亀吉で、35歳の時に益太郎と改名した。 栃木県下都賀郡栃木町入舟町(現栃木市入舟町)で、染物屋・金子忠吉(ただよし)の二男として生まれる。1912年(明治45年)3月、栃木町立第一尋常高等小学校高等科を卒業した。 その後上京し、働きながら独学し、山室軍平の導きでキリスト教に入信。雑司ヶ谷で小間物屋を開業したが、労働農民運動に加わった。1926年(大正15年)日本労農党に入党。 1929年(昭和4年)に帰郷して栃木県下の労農運動を大屋政夫、石山寅吉らと指導した。
河野 文彦(こうの ふみひこ、1896年(明治29年)11月… 河野 文彦(こうの ふみひこ、1896年(明治29年)11月22日 - 1982年(昭和57年)8月11日)は、日本の航空技術者、実業家。三菱重工業社長。栃木県大田原市生まれ。次女は岩倉具忠の夫人。 1921年、東京帝国大学工学部機械科を卒業し、三菱内燃機製造に入社する。 三菱内燃機製造では機体設計を担当した。 1937年、陸軍九七式司令部偵察機の主任設計技師を務める(同機の試作機の1機は朝日新聞社に払い下げられ、ロンドンへの飛行を実施した「神風号」として著名になった)。このほか、海軍の九六式艦上戦闘機や零式艦上戦闘機などの軍用機の設計に関与した。 三菱重工第一製作所、川崎機器製作所各所長を経て、1950年に三菱日本重工取締役となる(同年、三菱重工業は財閥解体により3社に分割)。
菊地 吉治郎(きくち よしじろう、1896年7月31日 - … 菊地 吉治郎(きくち よしじろう、1896年7月31日 - 1967年9月19日)は、日本の経営者。札幌テレビ放送社長を務めた。栃木県出身。 1914年に真岡中学校を卒業。1920年2月に北海タイムス記者に就任し、1950年1月には社長に就任。1957年4月から1961年5月までに札幌テレビ放送社長を務めた。 1967年9月19日腺癌のために死去。71歳没。
相羽 有(あいば たもつ、1895年8月8日 - 1979年… 相羽 有(あいば たもつ、1895年8月8日 - 1979年4月6日)は、日本の民間航空業及び自動車業の草分けとして活躍した実業家。1916年(大正5年)羽田の地に日本飛行学校を設立し、後の東京国際空港(羽田空港)の礎を築いた。通称・羽田の父。 日本最初期の自動車学校も開設しており、日本のスチュワーデス(エア・ガール)の生みの親としても知られる。 1895年(明治28年)8月に栃木県宇都宮町伝馬町の呉服商相瀬屋・相羽正吉の四男として生まれる。家は裕福だったが4歳で父を、5歳で母を亡くし、伯父の田中千代吉に養育された。 小学生の頃にはライト兄弟初飛行のニュースに大きな衝撃を受ける。その後、宇都宮商業学校を中途退学し、横浜にあった英国人学校のフェアモント・アカデミーに入学。
上野 三郎(うえの さぶろう、1894年〈明治27年〉9月 … 上野 三郎(うえの さぶろう、1894年〈明治27年〉9月 - ?)は、日本の実業家。 栃木県宇都宮市生まれ。肥料商、栃木県多額納税者・上野松次郎の三男。1921年、慶應義塾大学部理財科卒業。 藤本ビルブローカー本店東京支店各勤務。下野製紙取締役東京支店長、三和製紙、旭土地各取締役をつとめる。 五代上野松次郎の三男、六代上野松次郎の弟である。1928年、分家した。趣味は洋画、登山、書道。宗教は曹洞宗。東京府在籍で、住所は東京市本郷区駒込上富士前町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉… 柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉9月2日 - 1993年〈平成5年〉11月18日)は、日本の実業家。日本航空初代社長を務めた。 栃木県足利町(現足利市)に生糸商・柳田武一郎、さとの次男として生まれる。 高等科2年を終えた、数え年で13歳のとき、上京して諸井時三郎の養子となった。諸井時三郎の妻くらは母さとの妹である。 京華中学校、第一高等学校を経て1917年(大正6年)4月に東京帝国大学を卒業するとともに、日本銀行へ入行する。 1942年(昭和17年)5月に日銀理事となり、1945年(昭和20年)10月に日銀副総裁に就任。しかし、国の外資事業の責任者であったことから、1946年(昭和21年)6月に公職追放を受け、日銀を去る。
村瀬 直養(むらせ なおかい、1890年10月12日 - 1… 村瀬 直養(むらせ なおかい、1890年10月12日 - 1968年8月8日)は、日本の商工官僚、政治家、実業家。商工次官、貴族院議員、法制局長官、綜合計画局長官。 栃木県宇都宮市出身。本籍・愛知県。村瀬七三郎の長男として生まれる。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、兵庫県立洲本中学校(現・兵庫県立洲本高等学校)、第五高等学校を経て、1914年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。1913年11月、文官高等試験に合格し、1914年7月、農商務省に入り農商務属・大臣官房文書課に配属された。 鉱業監督官、兼工場監督官、兼農商務参事官、法制局参事官、内閣書記官・内閣官房会計課長、法制局第二部長などを歴任し、その間1925年に農商務省が農林省と商工省に分割され、商工省に属した。
6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年〈明治20年… 6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年〈明治20年〉8月31日 - 1954年〈昭和29年〉10月5日)は、日本の商人(油屋、肥料商)、政治家(貴族院議員)、栃木県多額納税者、実業家、銀行家。下野貯蓄銀行頭取。前名・順一。勲四等。 栃木県宇都宮市本郷町出身。上野松次郎の長男。1936年、父・松次郎の隠居により家督を相続し、翌1937年に6代目松次郎を襲名し、家業の肥料商を継承した。 また銀行、会社の重役であった。宇都宮商工会議所会頭、栃木県農工銀行頭取、下野貯蓄銀行頭取。また1925年(大正14年)に鹿沼銀行、宇都宮銀行、下野実業銀行、喜連川銀行、烏山産業銀行、今市銀行が合同して発足した下野中央銀行の頭取となった。
小平 重吉(こだいら じゅうきち、1886年9月10日 - … 小平 重吉(こだいら じゅうきち、1886年9月10日 - 1960年4月3日)は、栃木県出身の日本の政治家、実業家。 1886年(明治19年)9月10日、栃木県下都賀郡石橋町(現下野市)に生まれる。栃木県立宇都宮農学校(のち栃木県立宇都宮農業高等学校、現在の栃木県立宇都宮白楊高等学校)卒業、明治大学予科を中退。1927年(昭和2年)の栃木県会議員選に立候補し当選し3期務める。1930年からは6年間は石橋町長も兼任した。 1937年(昭和12年)には第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)では推薦に漏れ落選した。1947年(昭和22年)4月に初代公選栃木県知事に当選。
荻山 音吉(おぎやま おときち、1885年〈明治18年〉6月… 荻山 音吉(おぎやま おときち、1885年〈明治18年〉6月26日 - 1945年〈昭和20年〉7月)は、日本の商人(酒醤油商)、栃木県多額納税者、実業家、政治家。栃木県会議員。日本鉱泉社長。宇都宮モーター商会社長。宇都宮実業学校理事。 栃木県足利市の酒醸造業植田家に三男として生まれる。23歳の時に栃木県宇都宮市荻山家の養子となり、1913年に家督を相続して襲名する。「大津屋」と称し、酒類醤油商を営む。1919年、宇都宮酒類商組合長となる。 1922年、日本鉱泉を創立、社長となる。1926年、宇都宮市会議員に当選する。市会においては中立派である。1945年、宇都宮空襲によって戦災死した。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。
秋山 孝之輔(あきやま こうのすけ、1884年10月5日 -… 秋山 孝之輔(あきやま こうのすけ、1884年10月5日 - 1970年10月23日)は、日本の経営者。栃木県栃木市出身。 1905年に慶應義塾大学法学部政治科を卒業し、1910年に大日本製糖に入社。常務、専務、副社長を経て、1949年6月には日本専売公社総裁に就任し、1953年5月までに務めた。慶應義塾大学理事も務めた。 1964年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1970年10月23日心不全のために死去。86歳没。
植竹 喜四郎(うえたけ きしろう、1884年〈明治17年〉1… 植竹 喜四郎(うえたけ きしろう、1884年〈明治17年〉1月17日 - 1963年〈昭和38年〉12月3日)は、日本の歌人(筆名・岸良雄)、実業家。下野鉄工、東野電力、植竹商業各取締役。 栃木県那須郡黒羽町大字黒羽向町(現・大田原市)の素封家・植竹三右衛門の三男。川西小学校卒業後、東京の日本中学校に入学したが、病気のため退学した。19歳、出家を志したが、両親に許可されず断念。 糠塚の植竹農場で、悶々の空白の歳月を過ごす。1911年に上京、神田佐久間町に文芸出版社の「植竹書院」を創設した。 大正時代の重要な文芸書シリーズ「現代傑作叢書」「現代代表作叢書」「文明叢書」「薔薇叢書」を刊行し、また広津和郎らの同人誌「奇蹟」の発行所となった。
2代 見目 清(けんもく きよし、1883年(明治16年)1… 2代 見目 清(けんもく きよし、1883年(明治16年)11月16日 - 1963年(昭和38年)4月5日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・清三。 栃木県塩谷郡太田村(北高根沢村を経て現高根沢町)で、素封家・初代見目清の長男として生まれる。県立宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、早稲田大学政治経済科を卒業。父の死去に伴い1904年(明治37年)5月に家督を相続し2代清を襲名した。 矢口長右衛門らと宝積寺銀行を立上げて取締役となり、1915年(大正4年)頭取に就任。下野実業銀行頭取にも就任し、その後、6銀行合併して下野中央銀行が創立され副頭取に就任し、1926年(大正15年)2月、頭取に就任した。
殿岡 利助(とのおか りすけ、1883年〈明治16年〉10月… 殿岡 利助(とのおか りすけ、1883年〈明治16年〉10月8日 - 1952年〈昭和27年〉12月26日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員。幼名・福三。 栃木県足利郡足利町栄町(現足利市)で、織物製造業(元織)、先代・殿岡利助の長男として生まれる。父の死去に伴い1893年(明治26年)家督を相続した。1897年(明治30年)東京日本橋の織物問屋・安田源蔵商店に奉公し6年間勤めた。その後、3年間兵役に就いて帰郷した。 帰郷後、利助を襲名し、家業の復興に尽くし、殿利織物工場に成長して有限会社となる。「足利銘仙」の開発改良に尽力し、1934年(昭和9年)足利織物同業組合組長に就任。また、足利市会議員、同参事会員、同議長、足利市消防団組頭、同警防団長、大政翼賛会栃木県支部常務などを務めた。
小谷野 伝蔵(小谷野 傳藏、こやの でんぞう、1883年(明… 小谷野 伝蔵(小谷野 傳藏、こやの でんぞう、1883年(明治16年)1月1日 - 1963年(昭和38年)12月)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。埼玉県浦和市長。埼玉県多額納税者。 栃木県栃木町生まれ。栃木中学校卒業。坂倉重平の三男として生まれ、小谷野やさの養子となり、1912年(大正元年)家督を相続する。1915年(大正4年)、浦和商業銀行に入行した。同年、浦和町会議員となる。1919年(大正8年)、北足立郡会議員となる。1921年(大正10年)、浦和商業銀行頭取となった。1922年(大正11年)2月6日、浦和町長兼浦和町会議長となった。1923年(大正12年)8月20日に退任した。
福田 代造(ふくだ だいぞう、1879年6月 - 没年不明)… 福田 代造(ふくだ だいぞう、1879年6月 - 没年不明)は、大正時代の日本の実業家、銀行家。鹿沼銀行取締役、鹿沼産業銀行監査役、鹿沼運輸監査役などを歴任。栃木県多額納税者。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現・鹿沼市)出身。先代福田代造の長男で、出生当時の名前は「長造」。1917年(大正6年)家督を相続して「代造」に改名した。1933年(昭和8年)には鹿沼町会議員に当選した。 鹿沼市にある福田家奥座敷は、2011年に国の有形文化財に登録されている。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
宮島 清次郎(みやじま せいじろう、明治12年(1879年)… 宮島 清次郎(みやじま せいじろう、明治12年(1879年)1月20日 – 昭和38年(1963年)9月6日)は、大正・昭和期の経営者・財界人。日清紡績社長・会長、日本工業倶楽部理事長、東京市会議員。 栃木県安蘇郡飯田町(現・佐野市)に、佐野商業銀行頭取などを務めていた実業家・小林庄太郎の二男として生まれる。宇都宮中学(現・栃木県立宇都宮高等学校)時代は舎監いじめなど問題行動が多く、灸を据えるためか、10ヶ月ほど休学して東京の商店に丁稚奉公させられたことがある。この時の経験が、後に働く者の立場を重視する姿勢を涵養したものと思われる。 第四高等学校(現・金沢大学)を経て、1906年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、住友別子鉱業所(現・住友金属鉱山)に入社する。
参木 録郎(みつぎ ろくろう、1878年(明治11年)5月1… 参木 録郎(みつぎ ろくろう、1878年(明治11年)5月10日 - 1935年(昭和10年)1月1日)は日本の実業家。東京瓦斯常務、京浜コークス社長。 栃木県上都賀郡南摩村(現鹿沼市)に参木彦次の四男として生まれる。1897年(明治30年)3月宇都宮中学卒業、同年9月第一高等学校第二部(工科)入学、学生時代はボート競技に勤しんでいた。1900年(明治33年)7月卒業、同年9月東京帝国大学工学部応用化学科入学、1903年(明治36年)6月卒業、級中首位岡本桜に次ぐ成績優秀で銀時計恩賜。同大学院にも学ぶ。 兵庫県神戸市の直木燐寸に入社、1904年(明治37年)陸軍省傘下の王子火薬製造所に奉職、1905年(明治38年)退職、同年4月に自費でドイツ留学、ベルリン大学とドレスデン工科大学で最新の応用化学を学び、研究や実地調査を重ね、1910年(明治43年)帰国、同年5月東京瓦斯と競合となる千代田瓦斯を設立、その後、同社の技術長だった岡本桜の勧めで東京瓦斯入社。
3代 阿由葉 勝作(あゆば かつさく、1877年(明治10年… 3代 阿由葉 勝作(あゆば かつさく、1877年(明治10年)10月13日 - 1952年(昭和27年)8月19日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。幼名は長之助。 2代阿由葉勝作の長男として栃木県足利郡利保村(北郷村を経て現足利市利保町)で生まれる。1894年(明治27年)7月、家督を相続する。慶應義塾に学び、農業を営む傍ら、北郷村長、同村会議員、栃木県会議員、同参事会員、同議長を歴任する。実業家としては東海銀行、足利瓦斯各取締役、野洲新聞社長、東野鉄道取締役、宇都宮常設家畜市場取締役、宇都宮米券倉庫監査役、第二特許織物取締役を歴任する。 1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では栃木県第6区から憲政会所属で出馬し当選。
植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、前名・熊次郎、1877… 植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、前名・熊次郎、1877年〈明治10年〉3月 - 没年不明)は、日本の商人(木材商)、栃木県多額納税者、実業家、政治家。栃木県那須郡川西町長。族籍は栃木県平民。 栃木県那須郡川西町(現・大田原市)に生まれた。先代植竹三右衛門の長男。黒羽肥料合資会社無限責任社員であったが、1918年4月29日にその持分を菊池明弌に譲渡して退社する。1933年、家督を相続し、前名・熊次郎を改め襲名した。木材商を営み、傍ら銀行会社の重役であった。 下野木材、帝國造林、東野鉄道各社長、植竹商業代表取締役、栃木県農工銀行、那須商業銀行、下野実業銀行、黒羽銀行各取締役、下野中央銀行監査役などをつとめる。
斎藤 太兵衛(さいとう たへえ、1876年〈明治9年〉4月1… 斎藤 太兵衛(さいとう たへえ、1876年〈明治9年〉4月1日 - 1961年〈昭和36年〉12月12日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。幼名・善次郎。 栃木県、現在の宇都宮市で、斎藤太平の長男として生まれた。1901年、国民英学会で学ぶ。宇都宮市議、同参事会員、同議長、宇都宮商業会議所特別議員、同副会頭となる。宇陽幼稚園長、下野三楽園理事、下野興業銀行頭取、下野中央銀行、下野貯蓄銀行、下野新聞、宇都宮軌道各(株)取締役、宇都宮瓦斯(株)社長、栃木県農工銀行監査役となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において宇都宮市部から立候補したが落選。1920年の第14回衆議院議員総選挙では栃木1区から憲政会公認で立候補したが48票差で落選。