植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 20… 植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 2009年6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 参議院議員(5期)、総理府総務長官(第24代)、沖縄開発庁長官(第5代)などを歴任。 京都府生まれ。京都府立京都第一中学校を経て、第三高等学校にて学んだ。その後、東京帝国大学法学部に入学した。東京大学時代は学生運動に関わり、渡邉恒雄らとともに、共産党勢力を排除した新「新人会」の創設に加わった。またクリスチャンでもあったため、東大YMCA代表も務めた。 1950年に大学を卒業すると、日本放送協会に勤務した。その後、警視総監を経て政治家となった町村金五の秘書を務めた。 1962年、35歳の誕生日直後に京都府知事選挙に自由民主党公認で立候補するが、現職の蜷川虎三に敗れ落選。
増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月1… 増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月18日 - 1996年〈平成8年〉12月2日)は、日本の内務及び建設官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 広島県広島市出身。旧制広島一中、旧制広島高校を経て1946年東京帝国大学工学部土木工学科卒。同年内務省に入る。1948年、建設省発足に伴い同省に移る。1972年北陸地方建設局長、1974年河川局長に就任する。1976年に退官。翌年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補して当選した。1981年鈴木善幸改造内閣で大蔵政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1991年に首都圏建設資源高度センター社長に就任した。
岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月… 岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月23日 - 2014年(平成26年)1月5日)は、日本の政治家。三重県津市長(5期)。 三重県出身。津市市議会議長をしていた岡村末次郎の長男として生まれる、旧制津中学から旧制第八高等学校を経て、軍事色が強まった昭和17年9月東京帝国大学文学部西洋史学科に入る。東京帝国大学では野球部に入り東京六大学野球に打ち込んだ。近鉄バッファローズの監督になった立教大学野球部の西本幸雄と練習試合を行う。慶應義塾大学野球部の別当薫とも試合をしている。帝国大学在学中学徒動員で昭和18年に出征、日本帝国陸軍中部第三十八部隊に入隊、東満州に出兵した。昭和20年8月関東軍の主力が内地防衛のため帰国した中、8月12日牡丹江衛門を出て行軍した。
嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 199… 嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 1997年5月11日)は、日本の官僚、政治家。法務大臣(第43代)、参議院議員(5期)を務めた。 現在の石川県小松市出身。旧制小松中学校時代には体格のよさから相撲部に所属、角界から入門の話があったような強さだった。旧制第四高等学校を経て、1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部卒業後、大蔵省入省。主税局配属。1948年8月 横浜税関監視部。1950年5月 津税務署長。1951年8月 大阪国税局総務部総務課長。1955年6月 東京国税局調査査察部次長。1960年7月 東京国税局間税部長。1961年7月 経済企画庁調整局政策課長。
沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 198… 沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 1985年10月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 現在の秋田県鹿角市出身。東京帝国大学卒業後、三菱金属に入社。全日本金属鉱山労働組合副委員長、同事務局長、総評幹事などを歴任する。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で落選した。同年、松野孝一(自由民主党)の死去による参議院議員補欠選挙で秋田地方区から立候補して初当選。2期務めた。この間、参議院建設委員長や参議院国会対策副委員長などを務めた。1977年の第11回参議院議員通常選挙では自民党公認の野呂田芳成に敗れて落選。
大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26… 大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26日 - 1994年(平成6年)2月3日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長の大島靖。 和歌山県、現在の田辺市出身。第三高等学校を経て、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学。1943年(昭和18年)12月、現役入営。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集。同年12月、召集解除となる。1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格。 卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月1… 武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治家。徳島市長。徳島県徳島市出身。勲三等瑞宝章受章。位階は従五位。 旧制徳島県立徳島中学校、旧制第三高等学校卒業。1941年、東京帝国大学法学部卒業。大学卒業後、満州国総務庁高等官の試補となる。終戦後は徳島に戻り、徳島県庁の秘書課長や副知事などを歴任。 1967年に徳島市長に就任。2期に渡って市長を務める。就任中はポルトガルレイリアと姉妹都市の協定を結んだり、市内の下水道や排水場の整備に貢献する等の業績を残している。 また徳島県信用保証協会の会長や日本下水道協会の副会長などを歴任。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)1… 村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)11月27日 - 1972年(昭和47年)8月26日)は、日本の政治家、内務・通産官僚。衆議院議員(2期)を務めた。従四位勲三等。 1918年(大正7年)、広島県に生まれる。広島県立広島第一中学校を経て東京府立第四中学校へ転校し、その後、第一高等学校を卒業。卒業後は短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学。1945年に卒業した。同年6月、海軍主計少尉に任官。舞鶴施設本部付兼第101部隊長を務めて終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学法学部を卒業。
湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年… 湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年9月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5 期)。 1918年、和歌山県海南市生まれ。和歌山県立和歌山中学校を経て第三高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学法学部在学中、高等文官試験行政科試験に合格。大学卒業後、厚生省に入省した。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。飛龍に配属。第15警備隊勤務を経て、1942年8月、旭東丸主計長に就任。同年11月、主計大尉に進み、以後、第二軍需部部員、第四南遣艦隊スラバヤ連絡所長を歴任し同副官として敗戦を迎えた。1945年9月、海軍主計少佐に進む。
長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 200… 長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省選挙局長(1963年〜1966年)、行政局長(1966年〜1969年)、財政局長(1969年〜1971年)、自治事務次官(1971年~1972年)、公選8-13代岡山県知事(6期)、全国知事会会長(1995年~1996年)を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 1917年、岡山県吉備郡服部村(現・岡山県総社市南溝手)に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1941年、高等文官試験行政科に合格する。
松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日… 松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の建築家・土木技術者、政治家。郷里である富山県小矢部市の市長を4期14年務めた。市長としては「メルヘン建築」の建設で知られる。 1917年(大正6年)、富山県西礪波郡東蟹谷村平桜(現在の小矢部市平桜)に生まれる。砺波中学校(現在の富山県立砺波高等学校)、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進む。 東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入省。重要河川の改修工事に携わる。建設省北陸地方建設局長在任中の1969年(昭和44年)には、集中豪雨による富山大橋の橋桁沈下に対応した。同年、建設省を退官。
豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 200… 豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 2001年7月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(1期)。名瀬市長(1期)。 鹿児島県名瀬市(奄美市)出身。鹿児島県立大島中学校 (旧制)四年修了で第七高等学校造士館 (旧制)に進学、卒業。1939年、高等試験行政科試験に合格、翌年東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入り、畜産局資料課長、大臣官房広報課長、大阪、熊本の各営林局長となり、1967年の第31回衆議院議員総選挙に奄美群島区から無所属で立候補したが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で保岡武久を破り、初当選した。しかし、1972年の第33回衆議院議員総選挙では保岡武久の息子の保岡興治に敗れて落選。
早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21… 早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21日 - 1982年 (昭和57年)12月7日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。自治大臣、国家公安委員会委員長、労働大臣、厚生大臣を歴任した。 1916年(大正5年)8月21日、現在の和歌山県田辺市に生まれる。田辺市立田辺第一小学校、旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校文科甲類を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。東大では矢部貞治の門下で、同期生には中曽根康弘(後の首相)、小沢辰男(後の厚相)がいる。高等文官試験に合格し東大卒業後、内務省に入省する。
川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991… 川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991年1月15日)は日本の内務・自治官僚・政治家。元衆議院議員(1期)。 神奈川県出身。横浜一中、水戸高卒業。1940年、東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省、長野県特高課長などを務めた。総理秘書官、自治省官房調査官を経て消防庁次長を務める。その後、日本消防協会常任顧問。1952年第25回衆議院議員総選挙(日本自由党公認)、1953年第26回衆議院議員総選挙(無所属)、1958年第28回衆議院議員総選挙(無所属)で神奈川県第1区(中選挙区。横浜市全域が選挙区)から立候補するも落選し、1971年横浜市長選挙に自民党推薦で立候補し現職の飛鳥田一雄に敗れたが、1976年、第33回衆議院議員総選挙で神奈川県第4区から新自由クラブから立候補し、初当選。
鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年 <大正4年> 5月… 鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年 <大正4年> 5月28日 - 2006年 <平成18年> 4月11日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 鹿児島県知覧町(現南九州市)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。1940年に農林省入省。全農林労働組合委員長を経て1959年、第5回参議院議員通常選挙全国区に日本社会党から出馬し初当選。1971年、第9回参議院議員通常選挙で鹿児島地方区に回り、当選。決算委員長や公害対策環境保全特別委員長などを歴任した。 1985年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2006年4月11日、呼吸不全のため東京都新宿区の病院で死去。
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1… 中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(4期)。総理府総務長官、沖縄開発庁長官、危機管理担当大臣などを務めてきた。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業。陸奥に配属。1942年10月、特設巡洋艦りおん丸主計長となりラボールに赴任し、航空用ガソリン輸送に従事。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年1月、ラボールで戦傷を受け、同年5月、海軍病院を退院し、海軍省兵備局第3課兼運輸総局船員局に転じて終戦を迎えた。
大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日… 大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。 1915年1月30日、和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業、1939年に内務省へ入省。 1949年から大阪府労働部長を務め、1954年に在ジュネーヴ領事へ転じた。1959年に労働省審議官に就任し、1960年には労働省労働基準局長に着任。1963年5月31日から中馬馨大阪市長のもとで大阪市助役となった。
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 197… 高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、日本の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。 1914年(大正3年)熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1936年(昭和11年)、東京帝国大学卒業後、内務省に入省する。1937年(昭和12年)に香川県警警務課長。 1941年(昭和16年)に厚生省に配転され、1945年(昭和20年)より同省庶務課長、1955年(昭和30年)より医務局次長、1956年(昭和31年)より児童局長、1960年(昭和35年) より官房長、1962年(昭和37年)4月より保険局長を経て、同年7月社会保険庁長官に就任。
田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22… 田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22日 - 2013年(平成25年)4月22日)は、昭和期の政治家。民社党衆議院議員、いわき市長。 鹿児島県大島郡龍郷町芦徳出身。 1932年鹿児島県立大島中学校 (旧制)卒業。1936年大阪高等学校 (旧制)文科卒業。1939年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は満州国政府に勤めながら、大同学院を卒業。1940年に従軍し、1945年に陸軍主計大尉で復員。 戦後、福島県の現いわき市に移り、1946年大日本炭鉱勿来鉱業所勤務。1947年(昭和22年)福島県議会議員に当選。右派社会党公認で、1953年(昭和28年)に第3回参議院議員通常選挙福島県選挙区で初当選。
木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日… 木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日)は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。 岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身。東京帝国大学法学部卒業。 田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した。 自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった。
岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 198… 岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 1988年11月12日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)。 広島市南区松原町出身。旧制広島一中、旧制広島高等学校卒業。1937年(昭和12年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年、鉄道省入省。大阪鉄道局書記。運輸省観光局長、大臣官房長、鉄道監督局長を務める。 1963年(昭和38年)4月19日-運輸事務次官就任。1964年(昭和39年)、運輸事務次官退任。 1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙全国区当選。1971年(昭和46年)、第9回参議院議員通常選挙再選。1972年(昭和47年)、七日会(田中派)理事。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
松井 誠(まつい まこと、1912年(大正元年)10月29日… 松井 誠(まつい まこと、1912年(大正元年)10月29日 - 1972年(昭和47年)11月10日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、参議院議員。 新潟県佐渡郡真野村(真野町を経て現佐渡市)で生まれる。両親は父の勤務地の朝鮮在住のため祖父母の元で成長した。佐渡中学校(現新潟県立佐渡高等学校)、第四高等学校(首席卒業)を経て、東京帝国大学法学部法律学科に進学。1935年(昭和10年)高等試験行政科試験、同司法科試験に合格。1936年(昭和11年)同大学を卒業し、満州国国務院司法部の司法官となるが、病のため1940年(昭和15年)に退官した。義兄が勤務していた京城医学専門学校附属医院で療養後、東京帝国大学医学部附属病院に転院し、退院して1944年(昭和19年)東京の前野法律事務所で弁護士として勤めた。
中垣 國男(なかがき くにお、1911年6月24日 - 19… 中垣 國男(なかがき くにお、1911年6月24日 - 1987年4月2日)は、日本の政治家、実業家。第16代法務大臣。衆議院議員を通算9期務めた。 鹿児島県日置郡市来町(現・いちき串木野市)に木場善太郎の四男として生まれる。同町にあった、鹿児島県第二師範学校附属小学校で学んだのち、1931年3月、鹿児島県立商船水産学校(現・鹿児島県立鹿児島水産高等学校)卒業。東京帝国大学の試験に落ち、行くところを探していたときに水産学校の教諭に勧められ東洋大学文学部哲学科に入学。 当時、東洋大学には成績上位者に対しドイツに2年、インドに3年留学できる制度があった。成績の良かった中垣は留学を勧められるも、1934年秋、強度の神経衰弱に陥ってしまう。
吉田 豊信(よしだ とよのぶ、1911年(明治44年)4月3… 吉田 豊信(よしだ とよのぶ、1911年(明治44年)4月30日 - 1984年(昭和59年)7月21日)は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(4期)。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 兵庫県飾磨郡白浜村(現・姫路市)生まれ。旧制姫路中学校卒業後、東京帝国大学法学部に進み、高等試験並びに内務省幹部採用試験に合格した。1934年(昭和9年)、内務省に入省、大阪府、岩手県で勤務ののち、1938年(昭和13年)、陸軍に召集され姫路の第10師団歩兵第39連隊に入隊した。その後、甲種幹部候補生採用試験に合格、東京の陸軍経理学校への入校を経て、陸軍主計少尉に任官し、第10師団経理部で物資統制主任将校を務めた。1942年(昭和17年)2月、召集解除により内務省に復帰し、福岡県、愛知県で勤務、終戦後は厚生省佐世保引揚援護局総務部長、愛知県教育部長を務める。
黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月… 黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月25日 - 1986年〈昭和61年〉10月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、内閣官房長官。1981年勲一等瑞宝章受章。父親は戦前の立憲民政党代議士の黒金泰義。 山形県米沢市出身(北海道生まれ)。旧制武蔵高校を経て、東京帝国大学法学部に入学。肺結核に罹患し4年間、病床で過ごしたため、ひとの倍をかけ大学を卒業する。 高等文官試験に一番で合格し、1935年に大蔵省に入省。理財局属。戦後、津島寿一、池田勇人両蔵相の秘書官を務める。父の死後は、米沢に近い赤湯町(現・南陽市)出身の結城豊太郎が後見役を担ったほか、郷里の偉材である池田成彬とも接する機会が多かった。
伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日… 伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日 - 1974年(昭和49年)9月26日)は、日本の政治家、内務官僚。1947年4月6日から1971年4月30日まで、24年の長きに渡って一宮市長を務めた(第5代-第10代)。一宮市名誉市民。 愛知県愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区)に生まれた。愛知県立一宮中学校(現・愛知県立一宮高等学校)卒業。1930年(昭和15年)3月、旧制第八高等学校卒業。1932年(昭和7年)10月、高等試験行政科試験に合格。1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業すると同時に内務省に入省し、地方事務官・厚生事務官・内務事務官を経験。陸軍司政官としてスマトラ島に渡り、ランボン州やパレンバンで産業部長を務め、現地で太平洋戦争終戦を迎えた。
木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月… 木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月5日 - 2000年〈平成12年〉11月28日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階は正四位。 香川県大川郡津田町(現さぬき市)で生まれた。1937年(昭和12年)東京帝国大学法学部を卒業。高等試験行政科試験に合格し拓務省に入省。外務省に移り外務書記生となりメキシコ公使館などで勤務。その後、陸軍中野学校を卒業し、陸軍大尉に進み除隊した。 三土忠造代議士の秘書を経て、大映に入社。永田雅一の社長秘書、外国部長などを務めた。東瀝青建設取締役も務めた。 1963年(昭和38年)、第30回衆議院議員総選挙に旧香川1区から自由民主党公認で出馬し初当選。
古屋 五郎(ふるや ごろう、1910年 <明治43年> 1月… 古屋 五郎(ふるや ごろう、1910年 <明治43年> 1月2日 - 1994年 <平成6年> 9月4日)は、日本の政治家、陸軍軍人。山梨県北巨摩郡菅原村長および初代白州町長(ともに現在の北杜市)。最終階級は陸軍衛生兵長。位階は従六位。応召先の陸軍病院長が行った物資の横領や従軍看護婦の強姦行為を告発した人物として知られる。 1910年(明治43年)1月2日、山梨県北巨摩郡菅原村字竹宇(現北杜市)の旧家古屋浜吉・ふじの三男として生まれる。旧制甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)に進学するも、兄二人が東京帝国大学在学中に病よって倒れたことから、同じ轍をふまないようにと両親の考えにより卒業後は進学を諦め、家業の農業を継ぐ傍ら1927年(昭和2年)から菅原村役場の書記として勤務をはじめる。
任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19… 任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19日 - 1970年(昭和45年)12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。金沢工業大学教授。 石川県金沢市出身。瓢箪町小学校、旧制石川県立金沢第三中学校、旧制第四高等学校、東京帝国大学農学部卒業。大学を出た1934年(昭和9年)は満洲国への移民の呼び声があった時代で自らも現地へ赴き、終戦まで開拓地建設とその土地改良、農業土木事業に勤しんだ。終戦後は妻や娘とともにソビエト連邦に抑留され、1946年(昭和21年)に引き揚げ、農林省に入る。 金沢農地事務局課長、奈良県農地部長を歴任して1955年(昭和30年)本省に戻る。1963年(昭和38年)北陸農政局長。
吉田 重延(よしだ しげのぶ、1909年2月14日 - 19… 吉田 重延(よしだ しげのぶ、1909年2月14日 - 1989年8月7日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。岳父は中野猛雄。 熊本県天草郡栖本村(現・天草市)の農家に生まれる。東京帝国大学農学部農学実科(実科は1935年に東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)を卒業後は帰郷し農作業に従事する。その後熊本県職員、栖本村長を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧熊本2区から自由党公認で立候補し初当選する。以後連続7回当選。 自民党では宏池会に所属する。自治政務次官、衆院大蔵委員長等を歴任。1972年にはリベリアのウィリアム・R・トルバート新大統領の就任式典に政府特使として派遣された。
亀井 光(かめい ひかる、1909年(明治42年)1月1日 … 亀井 光(かめい ひかる、1909年(明治42年)1月1日 - 1986年(昭和61年)9月26日)は、日本の内務・労働官僚、政治家。参議院議員(1期、自由民主党)、福岡県知事(第6代-第9代)。陸軍司政官。 自由民主党元衆議院議員の太田誠一は女婿。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)古船場町出身。藤吉の三男。 旧制小倉中学、旧制福岡高等学校を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部卒業。内務省に入省。社会局属。労働省労働基準局長、労政局長などを歴任し、1960年(昭和35年)労働事務次官。1962年(昭和37年)参議院議員に当選、大蔵政務次官をつとめた。 1967年(昭和42年)4月、保守・中道統一候補として福岡県知事選挙に出馬し当選。
安達 良助(あだち りょうすけ、1908年(明治41年)9月… 安達 良助(あだち りょうすけ、1908年(明治41年)9月20日 - 1967年(昭和42年)5月11日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 山形県山形市出身。東京帝国大学を中退した。 1933年(昭和8年)山形県履物組合連合会理事に就任。その他、山形県桐樹奨励会理事、同木履工業組合理事、同桐材統制組合理事、山形県桐材(株)監事、山形県下駄統制組合理事長、同桐紙工業組合理事長、日本木履製造組合連合会常任理事、山形市体育会理事、山形県体育協会理事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から民主党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、国民民主党に所属し参議院議員を1期務めた。
夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年(明治41年)9月8日… 夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年(明治41年)9月8日 - 1997年(平成9年)9月30日)は、参議院議員(2期)。長野県長野市長(3期)。長野県議会議員。 長野市生まれ。松本高等学校文科甲類、1932年東京帝国大学法学部卒業。1955年長野県議会議員当選、2期目の途中で辞職し、1962年長野市長選挙に当選、1974年第10回参議院議員通常選挙長野県選挙区に自由民主党から出馬し、初当選。1979年第2次大平内閣科学技術政務次官、1980年第12回参議院議員通常選挙で再選した。 長野市長在任中は篠ノ井市等との2市6町村合併による「大長野市」の実現に尽力した。
小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月… 小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月15日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)、長岡市長(5期18年)。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校、旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学農学部卒業。農林省官僚となるが、同省の先輩に当たる和田博雄の勧めにより辞職。1950年6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で立候補し初当選を果たした。議員在職中は安保条約やベトナム賠償問題などで、政府の姿勢を厳しく質したことから「マムシの孝平」と渾名される。1956年、再選。 その後社会党を離党し、革新系無所属として1961年の新潟県知事選挙に挑み落選(当選は自民党推薦の塚田十一郎)。
川上 為治(かわかみ ためじ、1907年〈明治40年〉10月… 川上 為治(かわかみ ためじ、1907年〈明治40年〉10月10日 - 1984年〈昭和59年〉5月6日)は、昭和期の官僚、政治家。参議院議員、中小企業庁長官。 鹿児島県日置郡、のちの金峰町(現南さつま市)で生まれる。旧制の私立福山中学校(現鹿児島県立福山高等学校)を経て、第一高等学校を卒業。1933年(昭和8年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業した。同年、商工省に入省し商務局属に任官。以後、同省事務官、北京興亜院商工課長、商工省石炭課長などを務めた。 戦後は物価庁第三部長、通商産業省(現経済産業省)鉱山局長、同公益事業局長、中小企業庁長官などを歴任した。
鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年〈明治40年〉10… 鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年〈明治40年〉10月3日 - 1981年〈昭和56年〉4月1日)は、日本の宮内官僚、政治家、華族(侯爵)。旧佐賀藩鍋島家第13代当主。貴族院議員。 12代当主・直映の嫡男で、母は黒田長知の次女・禎子。学習院を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学文学部を卒業。1933年(昭和8年)宮内省に入省し、式部官兼主猟官に就任。 父の死去に伴い、1943年(昭和18年)12月28日に家督を相続し侯爵を襲爵。同日、貴族院侯爵議員に就任し、火曜会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院の廃止まで在任した。 式部官を務めていたこともあり、1949年(昭和24年)、昭和天皇の戦後巡幸が佐賀市内で行われた際には、御泊所となった楊柳亭で拝謁する機会を得ている。
塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月1… 塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月17日 - 1980年(昭和55年)11月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。参議院議員(4期)。自治大臣、厚生大臣。自由民主党高知県連会長。板垣退助先生顕彰会顧問。土佐市名誉市民。 1907年(明治40年)5月17日、塩見熊吉の二男として高知県高岡郡戸波村浅井(現土佐市)に生まれる。初代土佐市長の塩見俊雄は実兄。母は塩見良。 1921年(大正10年)4月、高知県立第一中学校(翌年「高知県立高知城東中学校」と改称。現高知県立高知追手前高等学校)に入学。この時の同期生に板垣退助の孫・乾一郎がいた。同校卒業後、旧制高知高等学校に進み、更に東京帝国大学法学部で学を修める。
桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)… 桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)4月9日 - 1976年(昭和51年)3月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は南日。 富山県上新川郡山室村(現富山市)で南日恒太郎の四男として生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部農学科を卒業した。 1931年、東礪波郡油田村三郎丸(砺波町を経て現砺波市)の大地主、12代・桜井宗一郎の養子となり、農林省に入省した。三重県耕地課長、和歌山県農地部長、農林省土地改良課長、同設計課長、同建設部長などを歴任。この間、東京大学講師、日本農業土木学会副会長、国際かんがい排水委員会日本代表なども務めた。
金子 正則(かねこ まさのり、1907年〈明治40年〉3月2… 金子 正則(かねこ まさのり、1907年〈明治40年〉3月29日 - 1996年〈平成8年〉10月21日)は、日本の政治家、判事。6期24年の間、香川県知事を務めた。位階は従三位。 1907年(明治40年)3月29日、香川県丸亀市に生まれる。香川県立丸亀中学校、第六高等学校を経て、1929年(昭和4年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業、司法官試補となる。1931年(昭和6年)に大阪地方裁判所および大阪区裁判所の判事に就き(兼任、以下同)、翌1932年に旭川地方裁判所および旭川区裁判所の判事に転任。その後、1935年に札幌地方裁判所および札幌区裁判所、1936年(昭和11年)に長野地方裁判所および長野区裁判所、1937年(昭和12年)に東京地方裁判所および東京区裁判所の判事を歴任している。
藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月… 藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月10日 - 1992年〈平成4年〉4月17日)は、日本の新聞記者、官僚、政治家。衆議院議員、総理府総務副長官(事務担当)。 岡山県出身。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 時事新報、読売新聞の記者を経て官界に転じ、逓信大臣秘書官、司法大臣秘書官、綜合計画局参事官、戦災復興院事務官、建設省弘報課長、総理府総務副長官(事務)を歴任。臨時恩給等調査会委員、南方同胞援護会設立委員、中央青少年問題協議会副会長、日本民主党事務局長、自由民主党事務局長も務めた。 1958年(昭和33年)の衆議院総選挙で岡山県第2区から自民党公認で出馬するが次々点で落選(ちなみに次点は藤井勝志)、1960年(昭和35年)の総選挙でトップ当選して衆議院議員となるが、この時大規模な選挙違反を起こして運動員や妻が検挙される。
小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月1… 小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月10日 - 1988年〈昭和63年〉1月31日)。は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、建設大臣(第23-24代)、国務大臣環境庁長官(第3代)を歴任。 宮崎県西諸県郡小林村(後の西諸県郡小林町、小林市)に、森長興(西諸県貯蓄銀行頭取、宮崎県会議員等歴任)の息子(資料により二男や四男)として生まれる。1919年に細野小学校を卒業。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を1923年に、第三高等学校を1926年に卒業。第三高等学校と東京帝国大学ではボート部に所属。1928年高等文官試験司法科に合格。村上朝一最高裁判所長官は、ともに高等文官試験の勉強をした学生時代の親友。
楠見 義男(くすみ よしお、1905年3月24日 - 199… 楠見 義男(くすみ よしお、1905年3月24日 - 1996年2月2日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。農林次官。 兵庫県出身。 1925年第六高等学校 (旧制)文科甲類卒、1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年農林省に入る。大臣官房秘書課長、同調査課長、満洲国産業部参事官兼理事官、同総務庁企画処長、農林省総務局長、資材局長、食糧管理局長官、農林次官などを歴任する。1947年の第1回参議院議員通常選挙において全国区から無所属で立候補して当選した(のち緑風会に入る)。国会内では農林委員長を務めた。1953年の第3回参議院議員通常選挙でも再選されたが、栃木県佐野市の投票所においてこの選挙で次点となった平林剛(左派社会党)の所属政党が誤って「日本共産党」と表示されたため、翌1954年9月に楠見ほか下位当選者6名の当選が取り消された。
松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治3… 松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治38年)1月2日 - 1970年(昭和45年)11月30日)は、日本の政治家。長野県長野市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 長野市生まれ。家業は鋼材商「鍋久」で、代々「松橋久左衛門」を襲名する。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1929年東京帝国大学経済学部卒業。家業の鋼材商「鍋久」を承継し、長野市連合青年会長、長野市会議員を経て、昭和14年(1939年)長野県会議員となる。 同21年(1946年)長野市長臨時代理者となり、翌年に施行された初の公選による長野市長選挙で当選。また戦後の特例で長野県議会議員を兼務し、議長として「分県論」を収束させた。
足鹿 覚(足鹿 覺、あしか かく、1904年(明治37年)1… 足鹿 覚(足鹿 覺、あしか かく、1904年(明治37年)12月28日 – 1988年(昭和63年)5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員。全日本農民組合連合会長。 生家は半農半漁で家計は苦しく、そうした環境が彼に労働者としての自覚を促した。 東京帝国大学セツルメント労働学校を終えた後、帰郷して農民運動をする。1926年(大正15年)労働農民党の創立に参加し、労働組合運動にも参加。 1931年(昭和6年)米子市会議員、1935年(昭和10年)鳥取県会議員を経て、戦後は日本社会党に入り、1949年(昭和24年)から衆議院議員に7期当選。1968年(昭和43年)から参議院議員1期。農政を中心とする思想・見識は国民の共感を得た。
田中 尭平(堯平、たなか ぎょうへい、1904年(明治37年… 田中 尭平(堯平、たなか ぎょうへい、1904年(明治37年)12月15日 – 1963年(昭和38年)11月2日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 山口県豊浦郡、のちの豊田町(現下関市豊浦町)で生まれる。豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)、山口高等学校を卒業。山高在学中から社会主義の研究を始め、東京帝国大学に進学してから実際の活動に加わった。1932年(昭和7年)東京帝大法学部政治学科を卒業。山口市で弁護士を開業した。 1945年(昭和20年)日本共産党に入党し、労働組合の法律顧問を務めた。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に山口県第2区から共産党公認で出馬して落選。
穂積 七郎(ほづみ しちろう、1904年9月30日 - 19… 穂積 七郎(ほづみ しちろう、1904年9月30日 - 1995年12月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。 父は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。兄は「アジア学生文化協会」などの設立者で社会教育家の穂積五一。義父は愛知県知事を1期務めた小畑忠良。新城市長の穂積亮次は子。 愛知県八名郡七郷村(現・新城市)出身。旧姓は鈴木。生まれる前の1904年6月27日に父を亡くした。 旧制愛知県豊橋中学校を経て、旧制第七高等学校造士館を1926年に卒業。同年東京帝国大学に入学。共に入学した兄の穂積五一は国家主義者らからなる「帝大七生社」に所属していたが、左翼の「新人会」とも交流し、両者の仲介も行った。
岩尾 精一(いわお せいいち、1904年(明治37年)9月2… 岩尾 精一(いわお せいいち、1904年(明治37年)9月20日 - 1981年(昭和56年)10月15日)は、日本の政治家。日田市長を務めた。 大分県日田郡日田町(現・日田市)に生まれる。1922年福岡県立中学修猷館、1929年3月第七高等学校造士館理科甲類を経て、1932年3月東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。さらに満洲国の大同学院に学び、同年10月に卒業。 卒業後、満洲国において、奉天省洮南県属官となり、同県参事官に進み、1935年9月浜江省綏梭県参事官に転じ、同省庶務科長、総務庁人事課長、牡丹江省開拓庁長を歴任した。 戦後、日田漆器社長を経て、1952年10月日田市長に当選。以後1968年10月まで4期16年を務め、日田市発展の基礎を築いた。