田中 森一(たなか もりかず、1943年(昭和18年)6月8… 田中 森一(たなか もりかず、1943年(昭和18年)6月8日 - 2014年(平成26年)11月22日)は、日本の検察官、弁護士(1988年2月 弁護士登録〈大阪弁護士会〉、2008年1月に禁錮以上の刑の確定により法曹資格喪失)。 長崎県平戸市(現)出身。生家は貧しく、苦学の末に岡山大学法文学部在学中に司法試験に一発合格し、検察官となった。 上司の土肥孝治(後に検事総長)から検事としての捜査能力を評価され、出世コースである大阪地検特捜部検事、東京地検特捜部検事を歴任し、「特捜のエース」と謳われて数々の汚職事件を担当した。 1987年(昭和62年)のバブル景気絶頂期に弁護士へ転身。山口組などの暴力団幹部や仕手筋、総会屋など、いわゆる裏社会の人間の顧問弁護士を多く務めたほか、許永中や中岡信栄などの裏社会の人物との親交も深く、「闇社会の守護神」、「闇社会の代理人」などと呼ばれていた。
髙野 利雄(たかの としお、1943年4月18日 - )は、… 髙野 利雄(たかの としお、1943年4月18日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁検事正や、名古屋高等検察庁検事長、国際研修協力機構理事長等を歴任した。瑞宝重光章受章。 1966年中央大学法学部卒業。1968年札幌地方検察庁検事。1969年釧路地方検察庁帯広支部検事。1971年東京地方検察庁検事。1973年札幌地方検察庁検事。1975年水戸地方検察庁検事。1978年東京地方検察庁検事。1987年東京地方検察庁特別捜査部副部長。1989年東京地方検察庁刑事部副部長。1990年法務大臣官房営繕課長。1992年東京地方検察庁総務部長。1993年東京地方検察庁刑事部長。1994年最高検察庁検事。
町田 幸雄(まちだ ゆきお、1942年(昭和17年)7月3日… 町田 幸雄(まちだ ゆきお、1942年(昭和17年)7月3日 - 2020年 (令和2年) 9月6日)は、日本の検察官。弁護士(西村あさひ法律事務所オブ・カウンセル)。元次長検事。位階は正三位。 1969年(昭和44年)検事任官。盛岡地検検事正、法務省入国管理局長、最高検総務部長、同刑事部長等を経て、2002年(平成14年)に公安調査庁長官。 その後、2004年(平成16年)仙台高検検事長、2004年(平成16年)次長検事を歴任し、2005年(平成17年)に定年退官。退官後は弁護士登録し、西村ときわ法律事務所に入所。各種企業役員を務める。 2013年、瑞宝重光章受章。 2020年 (令和2年) 9月6日、死去。
頃安 健司(ころやす けんじ、1942年(昭和17年)4月1… 頃安 健司(ころやす けんじ、1942年(昭和17年)4月16日 - )は、日本の検察官。弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。元大阪高等検察庁検事長。 1967年(昭和42年)検事任官。法務大臣官房長、最高検総務部長、同刑事部長、法務総合研究所長等を経て、2001年(平成13年)に札幌高検検事長。2002年(平成14年)名古屋高検検事長、2003年(平成15年)大阪高検検事長を歴任し、2004年(平成16年)に退官。2014年、瑞宝重光章受章。 退官後は弁護士登録し、各種企業役員を務める。
熊﨑 勝彦(くまざき かつひこ、1942年〈昭和17年〉1月… 熊﨑 勝彦(くまざき かつひこ、1942年〈昭和17年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉5月13日)は、日本の検察官、弁護士(第一東京弁護士会)。検察官として最高検察庁公安部長、東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)などを務め、退官後には第13代日本野球機構コミッショナーなどを務めた。位階勲等は従三位瑞宝重光章。 1942年(昭和17年)1月24日、岐阜県益田郡萩原町(現・下呂市)出身。岐阜県立益田高等学校(現・岐阜県立益田清風高等学校)、明治大学法学部を経て、旧司法試験に合格。1972年、30歳で検事任官。同期に大林宏(検事総長)、横田尤孝(最高裁判所判事)、中尾巧(大阪高等検察庁検事長)、三井環(大阪高等検察庁公安部長)などがいる。
熊崎 勝彦(くまざき かつひこ、1942年1月24日 - )… 熊崎 勝彦(くまざき かつひこ、1942年1月24日 - )は、日本の元検察官、弁護士(第一東京弁護士会)、熊崎勝彦綜合法律事務所 所長。元・最高検察庁公安部長。東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)を経験している。吉本興業株式会社顧問。第13代日本野球機構コミッショナー。
宗像 紀夫(むなかた のりお、1942年1月12日 - )は… 宗像 紀夫(むなかた のりお、1942年1月12日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁特捜部長、最高検察庁刑事部長、名古屋高等検察庁検事長、内閣官房参与、中央大学大学院教授等を歴任した。瑞宝重光章受章。 福島県田村郡三春町出身。福島県立安積高等学校卒業。生家は裕福ではなく、司法試験合格者を多数輩出し、他の私学より学費が安かった中央大学法学部に進んだ。中央大学法学部の司法試験受験サークル「真法会」に入って勉学に励んだ。1965年に中央大学法学部を卒業し、同年の司法試験に合格。司法修習第20期を修了し、1968年に検事任官。 福島地方検察庁検事在職中、福島県政汚職事件では、東亜相互企業の町井久之(本名・鄭建永)ら3人からの贈賄も絡み福島県庁総務部長を逮捕・起訴し、追って当時の木村守江福島県知事を収賄の疑いで起訴する。
獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11… 獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11月2日 - 2024年(令和6年)8月3日)は、日本の政治家、弁護士、検察官。滋賀県彦根市長(通算3期)、彦根市議会議員(通算4期)、聖泉大学・聖泉短期大学理事長を務めた。 滋賀県彦根市出身。彦根市立城西小学校、彦根市立西中学校、滋賀県立彦根東高等学校を経て、1964年3月、京都大学法学部卒業。司法試験に合格し、神戸地方検察庁検事を経て、1969年に弁護士登録した。日本弁護士連合会理事を務める。 1979年、彦根市議会議員選挙に立候補し、初当選する。1985年、彦根市長選挙に立候補したが、現職の井伊直愛に敗れ、落選する。1989年の市長選に再出馬し、10期目を目指していた井伊を下して当選した。
木藤 繁夫(きふじ しげお、1940年(昭和15年)9月29… 木藤 繁夫(きふじ しげお、1940年(昭和15年)9月29日 - )は、日本の検察官。弁護士(牛島総合法律事務所オブ・カウンセル)。元東京高等検察庁検事長。
五十嵐紀男(いがらしのりお、1940年8月30日 - )は、… 五十嵐紀男(いがらしのりお、1940年8月30日 - )は、日本の検察官、公証人、弁護士。公安調査庁総務課長、東京地検特捜部長、最高検検事、千葉地検検事正、横浜地検検事正等を歴任した。 北海道稚内市生まれ。 北海道苫小牧東高等学校を経て、北海道大学法学部在学中に旧司法試験合格。大学卒業後、1965年東京地方検察庁検事。東京地方検察庁特別捜査部副部長(財政・経済担当)、公安調査庁総務部総務課長、最高裁判所司法研修所教官、東京地方検察庁総務部長等を歴任。 1991年から東京地方検察庁特別捜査部長を務め、金丸信自由民主党経世会会長を巡る東京佐川急便事件などを手掛けた。1993年最高検察庁検事。同年大分地方検察庁検事正。
河内 悠紀(かわち ゆうき、1940年〈昭和15年〉2月14… 河内 悠紀(かわち ゆうき、1940年〈昭和15年〉2月14日 - 2023年〈令和5年〉6月21日)は、日本の検察官。弁護士(河内法律事務所)。元大阪高等検察庁検事長。位階は従三位。 1966年(昭和41年)検事任官。盛岡地検検事正、公安調査庁次長、京都地検検事正等を経て、1998年(平成10年)に法務総合研究所長。 その後、1999年(平成11年)仙台高検検事長、2001年(平成13年)名古屋高検検事長、2002年(平成14年)大阪高検検事長を歴任し、2003年(平成15年)に定年退官。2010年(平成22年)、瑞宝重光章受章。 退官後は弁護士登録し、住友倉庫監査役等を務める。2010年日本振興銀行特別調査委員会委員長。
石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月… 石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月4日 - )は、日本の元検察官、元弁護士(2023年5月15日付で法曹資格を喪失)。 山口県出身。1958年下松工業高校工業化学科卒業。1962年中央大学法学部を卒業後、同年に23歳で司法試験合格。司法修習生17期を経て、1965年に検事任官。任官同期に原田明夫(検事総長)ら。 1982年東京地検特捜部副部長に就任。岡田茂の三越事件、リッカー事件、平和相互銀行事件、新薬スパイ事件、撚糸工連事件などに関わる。 1986年10月、河井信太郎以来、私立大学出身者としては2人目の法務省刑事局刑事課長に就任。 その後、法務省大臣官房会計課長を経て、1989年に東京地検特捜部長に就任し、金丸信の巨額脱税事件、ゼネコン汚職事件などを指揮した。
豊嶋 秀直(とよしま ひでなお、1939年3月30日 - )… 豊嶋 秀直(とよしま ひでなお、1939年3月30日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁公安部長や、最高検察庁検事、公安調査庁長官、福岡高等検察庁検事長等を歴任した。 1961年中央大学法学部卒業。1962年旧司法試験合格。1965年東京地方検察庁検事。1988年東京高等検察庁検事。1990年東京地方検察庁公安部長。1991年公安調査庁総務部長。1993年最高検察庁検事。1994年長崎地方検察庁検事正。1995年熊本地方検察庁検事正。1996年浦和地方検察庁検事正。1997年大阪地方検察庁検事正。同年公安調査庁長官。1999年高松高等検察庁検事長。2000年福岡高等検察庁検事長。2001年東京弁護士会弁護士登録。
飯田 英男(いいだ ひでお、1938年11月15日 - )は… 飯田 英男(いいだ ひでお、1938年11月15日 - )は、日本の検察官、弁護士。札幌高等検察庁検事長や、福岡高等検察庁検事長を経て、定年退官後、関東学院大学教授、りそなホールディングス取締役、日本無線取締役等を歴任した。瑞宝重光章受章。 中央大学法学部卒業後、1965年札幌地方検察庁検事。1994年和歌山地方検察庁検事正。1995年大阪高等検察庁次席検事。1996年神戸地方検察庁検事正。1997年大阪地方検察庁検事正。1999年札幌高等検察庁検事長。2001年福岡高等検察庁検事長。同年定年退官、東京弁護士会弁護士登録。2002年奥野総合法律事務所入所、エコス監査役。2003年関東学院大学法学部教授。
則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、… 則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、日本の元検察官、弁護士。大阪府出身。 1999年、月刊誌「噂の眞相」5月号が「高検検事長が愛人ホステスを公費出張に同伴し偽名で宿泊、愛人と別れる際には慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせた」という女性スキャンダルをスクープとして報道し、朝日新聞が同年4月9日付でこれを引用する形で一面トップ記事としたことから主要新聞、スポーツ紙、週刊誌も大々的にこの問題を報じ、混乱の責任をとらされる形で辞任に追い込まれた。女性スキャンダルがここまで大きくなった背景には、時の法相・中村正三郎が指揮権を発動しようとするなど権力の私的行使により辞職するなど法務省・捜査当局に対する世間の厳しい風当たりや、ゴシップ誌の「噂の真相」を新聞が引用する形で一面記事にするという極めて異例な報道展開であったことも一因にある。
杉原 弘泰(すぎはら ひろやす、1938年5月18日 - 2… 杉原 弘泰(すぎはら ひろやす、1938年5月18日 - 2020年11月28日)は、日本の検察官。位階は正三位。 石川県立金沢泉丘高等学校を経て、金沢大学法文学部卒業。 法務省保護局長、公安調査庁長官、高松高等検察庁検事長、広島高等検察庁検事長、大阪高等検察庁検事長などを歴任。公安調査庁長官時代はテロ事件を起こしたオウム真理教に対して破壊活動防止法に基づく解散請求(オウム真理教破壊活動防止法問題)を行ったが、公安審査委員会により却下された。 退官後は第一東京弁護士会登録。国士舘大学教授、東京福祉大学特任教授などを歴任。また、王子製紙、イオンクレジットサービス株式会社、北海道銀行、三菱ケミカルホールディングス、北陸電力等の社外監査役を務めた。
村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月… 村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月13日 - )は、日本の検察官。弁護士(青陵法律事務所)。元東京高等検察庁検事長。
逢坂 貞夫(おおさか さだお、1936年6月8日 - )は、… 逢坂 貞夫(おおさか さだお、1936年6月8日 - )は、日本の元検察官(13期)。弁護士。元大阪高等検察庁検事長。大阪大学法学部出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
高橋 武生(たかはし たけお、1935年(昭和10年)7月2… 高橋 武生(たかはし たけお、1935年(昭和10年)7月26日 - 2013年(平成25年)2月25日)は、日本の検察官。位階は正三位。 弁護士。福岡高等検察庁検事長、証券取引等監視委員会委員長を務めた。 1963年(昭和38年)検事任官。山形地検、横浜地検、東京地検各検事正等を経て、1997年(平成9年)福岡高検検事長。1998年(平成10年)に退官し、証券取引等監視委員会委員に就任。2001年(平成13年)に同委員長。 2007年(平成19年)に弁護士登録。2008年(平成20年)の春の叙勲で瑞宝重光章を受章。 2013年(平成25年)2月25日、急性心不全で死去。叙正三位。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
荒川 洋二(あらかわ ようじ、1935年(昭和10年)1月3… 荒川 洋二(あらかわ ようじ、1935年(昭和10年)1月3日 - 2018年(平成30年)11月22日)は、日本の検察官。弁護士(弁護士法人サン総合法律事務所)。元大阪高等検察庁検事長。位階は正三位。 1959年(昭和34年)検事任官。大阪高検次席検事、神戸地検、大阪地検各検事正等を経て、1995年(平成7年)高松高検検事長、1996年(平成8年)大阪高検検事長を歴任し、1997年(平成9年)に退官。 その後、弁護士登録し、各種企業役員を務める。2005年(平成17年)の秋の叙勲で瑞宝重光章を受章。 2018年11月22日、急性心不全のため死去、83歳。叙正三位。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日… 緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日 - )は、日本の元検察官、元法務官僚、元弁護士。元公安調査庁長官。東京都目黒区のハーベスト投資顧問株式会社代表取締役。 父は検察官・弁護士の緒方浩、兄は化学者で上智大学副学長・千歳科学技術大学学長の緒方直哉。 父・浩が当時、岡崎検事局に勤務していたため愛知県岡崎市で生まれた。父はその後、名古屋、金沢、東京と転勤し、昭和14年(1939年)、満洲国最高検察庁検事として満州に赴任することになった。昭和14年(1939年)11月初旬、一家5人が満州国へと到着した。緒方と兄は、父に命じられていたこともあり、幼い頃から剣道を習っていた。 終戦後約1ヵ月をかけて母、兄、姉そして緒方の家族4人は無事に日本まで引き揚げてきた。
堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024… 堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024年11月24日)は、日本の検察官、弁護士、福祉事業家。さわやか法律事務所所長、第一東京弁護士会所属、公益財団法人さわやか福祉財団会長、全日本社会貢献団体機構名誉顧問。 法務省大臣官房人事課課長、甲府地方検察庁検事正、法務省官房長、さわやか福祉推進センター所長などを歴任した。 京都府出身の弁護士である。京都大学を卒業後、検察官として任官し、東京地方検察庁では特別捜査部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した。その後、甲府地方検察庁の検事正や法務省の官房長などを歴任した。退官後は弁護士として活動するとともに、さわやか福祉推進センターを開設するなど福祉事業家として活動した。
亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は… 亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は、日本の法律家、検察官、弁護士。元最高裁判所裁判官。 1956年、東京大学法学部卒業。司法修習生。1958年、横浜地方裁判所・家庭裁判所判事補。 1960年、法務省司法法制調査部付検事。1967年、法務省刑事局付検事。 1970年、法務省刑事局参事官。1976年、法務省刑事局青少年課長。 1979年、東京地方検察庁公判部副部長。1980年、東京地方検察庁刑事部副部長。 1981年、法務大臣官房審議官(刑事局担当)。1984年、東京高等検察庁刑事部長。最高検察庁検事。 1986年、札幌地方検察庁検事正。1988年、前橋地方検察庁検事正。1989年、最高検察庁総務部長。
松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、… 松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、日本の検察官。元東京地検特捜部部長。 北海道函館市出身。北海道函館工業高等学校電気科を経て、苦学しながら1957年中央大学法学部を卒業。会社勤務の傍ら司法試験に挑み続け、1963年検事任官。山本清二郎の下で日通事件に関わった。ロッキード事件では児玉誉士夫の取調べ担当にあり、さらに1976年7月27日午前6時半、特捜部資料課事務官の4人らと共に、目白台の田中邸に出向き、田中角栄を逮捕、東京地検への同行を求めた。 1985年東京高検特別公判部長(政治家被告人のための公判担当)、1987年8月東京地検特捜部長、1989年最高検検事。以後、1990年大津地検検事正、1991年最高検検事、同年水戸地検検事正を経て、1993年7月法務省矯正局長に。
河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 20… 河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。 東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し、弁護士となった。駿河台大学名誉教授。位階は従三位。 検察官時代は刑法、刑事訴訟法に渡って多くの論文を執筆した。有名なものに、放火罪の既遂時期における新効用消失説がある。判例は、当該物が独立して燃焼に至った場合に既遂になるという独立燃焼説を採用しているが、これを現代の不燃性建造物の増加に対応できないと批判した上で、目的物の燃焼を必要とせず、火力によって効用を失うに至った場合に既遂になるとの説を提唱した。 テレビ番組は、日テレ系の番組に限って出演している。
佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
根來 泰周(ねごろ やすちか、1932年〈昭和7年〉7月31… 根來 泰周(ねごろ やすちか、1932年〈昭和7年〉7月31日 - 2013年〈平成25年〉11月4日)は、日本の検察官。位階は正三位。 東京高等検察庁検事長を最後に検察官を定年退官した後、弁護士(第一東京弁護士会所属)、公正取引委員会委員長、日本野球機構コミッショナーなどを務めた。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立向陽高等学校、京都大学法学部を卒業。京大在学中に司法試験と国家公務員I種試験に合格、法曹への道を選ぶ。 生家が浄土真宗本願寺派の寺であるため、僧侶の資格も取得している。浄土真宗本願寺派玄妙寺住職、浄土真宗本願寺派特別審事・監正局長を務めた。好きな言葉は親鸞聖人の開いた浄土真宗の教えを漢字四字で表した平生業成という。
吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月1… 吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、日本の検察官(第18代検事総長)。弁護士。岡山市生まれ。位階は正三位。 日通事件、ロッキード事件など数多くの事件を東京地検特捜部で手がけ、俗にいう“現場派”として検事総長を歴任。2004年(平成16年)4月29日、瑞宝大綬章受章。 ロッキード事件の際、吉永副部長は新聞記者に対して「黙れ」「とにかく今後P3Cと書くことはならん」と言い、違反したら地検の会見には出させないと脅した。翌日からP3Cが紙面からきれいさっぱり消えたという。また、実質的な司法取引による刑事免責を与えられたロッキード社幹部のアーチボルド・コーチャンの証言について、吉永副部長は「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と新聞記者に言ったという。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2… 藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2001年5月5日)は京都府出身の検察官。 1945年8月15日の敗戦を大阪陸軍幼年学校で過ごし、1946年旧制京都府立桃山中学校に復学。旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学法学部卒業。司法修習8期を経て、東京地方検察庁検事に任官。海外のロースクールへ留学。東京地方検察庁特別捜査部長、最高検察庁刑事部長、次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。退官後帝京大学法学部教授。 2001年5月5日、急性多臓器不全のため死去。71歳没。叙正三位、叙勲一等授瑞宝章。 1990年代後半の司法試験制度について、あまりにも単純に法律知識に偏り過ぎており、経済や歴史、文学、一般社会を幅広く知る人間を司法界は求めるべきだとの考えを持っていた。
米田 昭(よねだ あきら、1930年 <昭和5年> 6月25… 米田 昭(よねだ あきら、1930年 <昭和5年> 6月25日 - 2000年 <平成12年> 9月3日)は、日本の検察官。位階は正三位。 旧制成蹊高等学校を経て、1953年東京大学法学部卒業。東京大学在学中に司法試験に合格。公安調査庁長官、仙台高等検察庁検事長(1991年12月12日-1993年6月24日)を歴任。2000年9月3日、肝細胞癌のため死去。死没日付をもって正三位に叙された。
根岸 重治(ねぎし しげはる、1928年〈昭和3年〉12月4… 根岸 重治(ねぎし しげはる、1928年〈昭和3年〉12月4日 - 2017年〈平成29年〉7月22日)は、日本の検察官。裁判官。弁護士。位階は正三位。 東京府出身。元東京高等検察庁検事長。元最高裁判所判事。 1953年(昭和28年)、東京大学法学部卒業と同時に検察官に任官。大津地検検事正、法務大臣官房長、最高検総務部長、同刑事部長等を経て、1988年(昭和63年)に次長検事。1990年(平成2年)に東京高検検事長となり、1991年(平成3年)定年退官。 弁護士登録となり、プロ野球フリーエージェント問題等研究専門委員会委員を2年間務めた。 1994年(平成6年)から1998年(平成10年)に定年退官するまで最高裁判所判事を務める。
村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2… 村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2000年12月25日)は、日本の検察官。広島高等検察庁検事長などを務めた。位階は正三位。勲等は勲二等。 福岡県北九州市出身。1952年東京大学法学部卒業。大学3年の在学中に司法試験合格を果たす。 著書は約30冊におよび、警察官向けのテキストが多く、中には東京地方検察庁特別捜査部長などを歴任した河上和雄や藤永幸治との分担執筆や共著の書籍もある。 元最高裁判所裁判官である団藤重光を支持する。 1998年、勲二等旭日重光章を受章。2000年12月25日、肝臓疾患のため死去。 刑法を研究する。刑事責任について、精神科医に精神医学は未知の分野であることを告げられ、また、道路交通の実務体験では、目撃証言や裁判官の見解次第で過失か否かが次々と覆ることなどから、責任能力や過失については運が良いか悪いかが決め手であるとし、これを「運天主義」と呼んだ。
佐藤敏夫(さとう としお、1928年〈昭和3年〉9月8日‐?… 佐藤敏夫(さとう としお、1928年〈昭和3年〉9月8日‐?)は、日本の弁護士、元・検察官、元・裁判官。元・北海道武蔵女子短期大学教授。北海道出身。札幌弁護士会所属。 1951年北海道大学法文学部卒業。同年、司法試験合格。1954年札幌地方検察庁検事。1954年旭川地方検察庁検事。1957年札幌地方裁判所岩見沢支部判事補。1961年東京地方裁判所判事補。1964年札幌地方裁判所判事補を経て、1968年札幌高等裁判所判事を経て、裁判所を退官。1969年弁護士登録。1970年北海道武蔵女子短期大学教養学科教授(~1983年)。1985年北海道弁護士会連合会理事長。また日本弁護士連合会副会長も兼職。その後、2006年ごろ逝去 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> … 大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> 8月11日 - 2005年 <平成17年> 7月2日)は、日本の検察官。東京地検特捜部長や、東京地検検事正、次長検事、最高裁判所判事等を歴任した。位階は正三位。 東北帝国大学工学部では工業力学を専攻し、戦闘機設計を目指す。しかし、卒業時は敗戦後だったため、やむなく鉱山関係の企業に就職。「法律家になるな」と生前に厳命していた父の残した書物を頼りに1年間独学して、初挑戦で司法試験を突破した。 弁護士を半年経験した後に検事任官。東京地検特捜部では武州鉄道汚職事件などの捜査に加わる。東京地検次席検事在籍時に発覚したダグラス・グラマン事件では異例の捜査開始宣言をした。
金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月… 金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月3日 - 2016年2月1日)は、大韓民国の検察官、弁護士、政治家。第5・9・15代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。仏教徒。元国会議員の金光俊は兄、呉俊碩は妹の夫。元韓国住宅金融公社社長の金璟浩は息子、元大韓医師協会会長の秋武辰は娘婿。また、元公報処次官・青瓦台政務首席秘書官の李源宗のおばの夫である。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海邑出身。1943年中央大学予科卒。1944年満洲国高等考試司法科合格、1945年朝鮮弁護士試験合格。1946年京城帝国大学法文学部(現・ソウル大学校法科大学)卒。司法要員養成所修了。
藤島 昭(ふじしま あきら、1924年〈大正13年〉1月2日… 藤島 昭(ふじしま あきら、1924年〈大正13年〉1月2日 - 2010年〈平成22年〉11月21日)は、日本の検察官。弁護士。次長検事。最高裁判所判事。五鬼上堅磐最高裁判事は岳父。 東京府出身。都立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。第七二一海軍航空隊に配属。同年6月、海軍主計少尉に任官。九州海軍航空隊富岡基地勤務で終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1948年(昭和23年)東京大学法学部法律学科を卒業。1950年(昭和25年)検事任官。造船疑獄では捜査から公判までを通して担当した。東京高検次席検事、東京地検検事正等を経て、1981年(昭和56年)法務事務次官。
徳永 功(とくなが いさお、1923年8月22日 - 200… 徳永 功(とくなが いさお、1923年8月22日 - 2005年6月25日)は、日本の検察官、弁護士。熊本県生まれ。 短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
安倍 治夫(あべ はるお、1920年4月2日 - 1999年… 安倍 治夫(あべ はるお、1920年4月2日 - 1999年8月16日)は、日本の弁護士、検察官。 1920年4月2日生まれ。北海道根室市出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1949年に東京大学法学部政治学科を卒業。 1951年に札幌地検検事となり、その後東京地方検察庁・法務省刑事局・福岡高等検察庁で検事職に従事した。この間に法務総合研究所教授・国連アジア極東犯罪防止研修所教授も務めた。ハーバード大学に留学して刑事学を専攻し、1953年に卒業。
鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919… 鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国の政治家、検察官、弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。 本貫は延日鄭氏(朝鮮語版)。資産家の鄭雲漢は父、第4代国会議員の鄭南沢は兄、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家の鄭春沢も兄弟である。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁(朝鮮語版)検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
王 育霖(おう いくりん、台湾語: Ông Io̍k-lîm… 王 育霖(おう いくりん、台湾語: Ông Io̍k-lîm、1919年 - 1947年)は、台湾の検察官。日本本土初の台湾人検事。二・二八事件で中華民国政権により処刑される。台南市出身。 言語学者、台湾独立活動家の王育徳は弟。 旧制台北高等学校尋常科、同高等科を経て、東京帝国大学法科(東大法学部)卒業。東大在学中に高等試験司法科合格。東大の恩師の田中耕太郎(後に最高裁判所長官)や小野清一郎の推薦もあり、日本初の台湾人検事として京都地方裁判所に勤務した。 第二次世界大戦後、台湾に戻り、新竹市で検事として勤務した。台北市立建国高級中学(旧台北一中)の教師も務めた。 李筱峰によれば、二二八事件の掃討期間に、王育霖は私服憲兵や警察に逮捕され、保安司令部第二処(もと西本願寺)に監禁・拷問された後、三月末に処刑され、遺体は現在も見つかっていない。
長島 敦(ながしま あつし、1918年3月17日 - 200… 長島 敦(ながしま あつし、1918年3月17日 - 2004年10月15日)は、日本の検察官。最高裁判所判事。栃木県出身。伯父の長島毅は大審院長。 1941年(昭和16年)京都帝国大学法科を卒業。1942年(昭和17年)に司法官試補。検事になったのは起訴猶予になった容疑者が立ち直った例をみたのがきっかけ。その後海軍法務科士官となり、大尉で終戦。 第一線で被疑者の取調べなど検察の実務経験は短く、約3年間しかない。それ以外は法務省で秘書課長や青少年課長など事務、政策立案作業に携わった。1956年(昭和31年)から日米法律学者の交換計画でアメリカのスタンフォード大学に2年間留学した。1970年(昭和45年)4月にアジア極東犯罪防止研究所の所長に就任し、日本人として初の所長となる。
李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1… 李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1日 - 1987年2月28日)は、大韓民国の官僚、検察官、憲法学者、政治家。第10代韓国国会議員、第14代保健社会部長官。本貫は全州李氏。号は仁山(인산、インサン)。日本名は李家 坰鎬。 岳父は制憲国会議員の晋直鉉、娘の李玲愛(朝鮮語版)とその夫の金賛鎮(朝鮮語版)も国会議員を務めたことがある。 全羅南道光陽に生まれた。1940年に京城法学専門学校を卒業。1942年に九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)を卒業し、1943年に高等文官試験司法科に合格した。朝鮮光復後の1947年に憲法学者としてソウル大学校法科大学助教授、1950年に東国大学校教授を務めた。
林 博(はやし ひろし、1917年(大正6年)7月11日 -… 林 博(はやし ひろし、1917年(大正6年)7月11日 - 1994年(平成6年)5月4日)は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。衆議院議員。 東京府出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 司法省に入省し、司法官試補に任官。横浜地方検察庁検事、東京地方検察庁検事、経済安定本部経済査察官を歴任した。その後、弁護士を開業した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に東京都第6区から出馬したが落選。同補欠選挙、第25回、第26回総選挙でも落選したが、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に日本民主党公認で出馬して初当選。第28回総選挙では落選し、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
竹中 知之(たけなか ともゆき、1917年(大正6年)7月3… 竹中 知之(たけなか ともゆき、1917年(大正6年)7月3日 - 1990年(平成2年)8月)は、日本の検察官であり、弁護士でもある。大分弁護士会会長を務めた後、大分県地方労働委員会会長を務める。岡山県高梁市出身。 1917年(大正6年)岡山県上房郡川面村(現:高梁市)の竹中家に出生する。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1935年(昭和10年)同校を卒業する。同年、旧制第六高等学校文科乙類へ進学し、1938年(昭和13年)同校を卒業、東京帝国大学法学部へ進学する。1941年(昭和16年)10月、東大在籍中に司法試験に合格。同年12月、第二次世界大戦の影響で、同大学政治学科を3ヶ月繰上げ卒業になった。
金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月2… 金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月28日 - 1991年6月3日)は、満洲国および大韓民国の検察官、政治家、弁護士。第11代韓国国会議員。 慶北大邱出身。中央大学法学科卒。高等文官試験司法科合格。新京地方検察庁検察官、京城地方法院甕津支庁長、大邱地方検察庁部長検事・次長検事、全州地方検察庁・大邱高等検察庁次長検事、春川地方検察庁・大田地方検察庁・大邱地方検察庁検事長、統一主体国民会議運営委員、国家保衛立法会議議員・政治関係法特別委員長、民主正義党創党発起人、韓日議員連盟法的地位特別委員長、弁護士を務めた。
辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月2… 辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月23日 - 2004年(平成16年)8月28日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。京都市出身。位階は正三位。 1947年(昭和22年)検事任官。法務大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長等を経て、1976年(昭和51年)に次長検事。1978年(昭和53年)東京高検検事長、1979年(昭和54年)に検事総長に就任。 1981年(昭和56年)に定年退官後、弁護士登録し法制審議会委員等を務めた。1988年(昭和63年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。死後、正三位に叙された。