下河辺 俊行(しもこうべ としゆき、1942年6月14日 -… 下河辺 俊行(しもこうべ としゆき、1942年6月14日 - )は、日本の実業家。下河辺牧場代表。 下河辺孫一の長男として東京府(現・東京都)に生まれる(出生地は北海道浦河郡浦河町)。 成蹊中学校・高等学校を経て、1965年成蹊大学政治経済学部経営学科卒業後、日本鉱業(後のジャパンエナジー、現・ENEOS)入社。翌年退社して父が競走馬を育成するために千葉県に設立した下河辺牧場に入社、1969年北海道沙流郡門別町(現・日高町)にある日高支場の代表となった。 父・孫一の死後下河辺牧場の代表となり、千葉県の牧場を「下河辺トレーニングセンター」と改称、弟の行信が代表となった。下河辺牧場は日高の牧場が核となっており、俊行の長男・行雄は繁殖を、次男・隆行は育成・調教を担当している。
柴田 一(しばた おさむ、1942年〈昭和17年〉6月14日… 柴田 一(しばた おさむ、1942年〈昭和17年〉6月14日 - )は、日本の実業家。株式会社卑弥呼社長兼会長。
増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 20… 増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 2015年4月2日)は映画評論家、司会者、実業家。 元モデルで、『MEN'S CLUB』に登場したこともある。本名:増田元臣。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)出身。 東京本郷で3代続いた看護婦家政婦紹介所経営者の家庭に生まれる。幼時に父を亡くし、母と姉に育てられた。 慶應義塾大学法学部在学中から増田貴光の筆名で「映画の友」に映画批評を寄稿。「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題するコラムを目にとめた三島由紀夫から手紙を貰い、以後三島と親交を結んだ。1970年に三島が自決すると「ぼくは三島先生に殉死したい」と語ったこともある。 大学卒業後、日本航空に入社するも1年で退社し渡米。
生島 孝子(いくしま たかこ、1941年〈昭和16年〉6月1… 生島 孝子(いくしま たかこ、1941年〈昭和16年〉6月14日 - )は、東京都出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1972年(昭和47年)11月、東京都渋谷区にて失踪した。失踪当時、彼女は31歳であった。 1941年(昭和16年)6月14日生まれ。失踪当時は妹とともに渋谷区笹塚に居住し、港区役所支所の電話交換手の仕事をしていた。彼女は身長153センチメートルくらいで血液型はO型である。 1972年(昭和47年)11月1日、一日の年次休暇届けを出して勤務先を休んだ。その日の朝、出勤する同居の妹に「夕方に電話があったら出かける」と声をかけた。妹が夜に帰宅すると彼女は不在で、秋冬の衣類の入れ替えを行うなどの家事を済ませており、翌日出勤時に着用する自身の衣服一式が揃えてあった。
出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 … 出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 - )は、日本の音楽評論家。 大阪府豊中市出身。関西大学文学部独文科卒。 高校生から大学生の頃に、東映京都撮影所で時代劇のサウンドトラックの写譜のアルバイトに従事する。関西大学文学部独文学科を卒業後、1964年に京都の楽器・レコード店の十字屋(現JEUGIA)に入社する。1971年に退社、独立しフリーの音楽評論家となる。 当時きわめて人気の高かった晩年のカール・ベームの演奏を、リズムの硬直した凡演と酷評した。晩年のベームを神格化するような音楽愛好家全体の雰囲気からすれば傍若無人ともいえる批評活動を行ったが、今日のベームの評価からすれば、そのスタンスはあながち的外れではなかった。
高木 あきこ(たかぎ あきこ、1940年6月14日 - )は… 高木 あきこ(たかぎ あきこ、1940年6月14日 - )は、日本の児童文学作家、作詞家。 東京都出身。父親は、芥川賞を辞退したことで知られる小説家・ドイツ文学者の高木卓。祖母の安藤幸はヴァイオリニストで、その兄姉には郡司成忠、幸田露伴、幸田成友、幸田延がいる。 東京学芸大学学芸学部国語科卒業。大学在学中よりサトウハチロー主宰の木曜会にて童謡を学ぶ。 1972年、「たいくつな王様」で第5回日本児童文学者協会新人賞受賞。2002年、「おやつのうた」で日本童謡賞受賞。2007年、詩「どこか いいところ」で第25回新美南吉児童文学賞、第54回産経児童出版文化賞産経新聞社賞受賞。
野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009… 野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009年1月1日)は、日本の元プロボクサー。元ボクシング日本フライ級王者。野口ボクシングジム名誉会長。愛媛県出身。プロボクサーであり、野口ボクシングジム創始者のライオン野口の次男。キックボクシング創始者の野口修は兄、自身の長女は野口ボクシングのジムマネージャー、長男は野口ボクシングジム3代目会長を務める。
深谷 克己(ふかや かつみ、1939年6月14日 - )は、… 深谷 克己(ふかや かつみ、1939年6月14日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。早稲田大学名誉教授。 1939年、三重県久居市(現・津市)生まれ。1958年早稲田大学政治経済学部に入学するも、翌年退学。1969年早稲田大学文学部史学科国史専修入学、1968年同大学院文学研究科史学専攻博士課程入学。1971年早稲田大学第一・第二文学部助手、1974年同専任講師、1977年助教授。1980年「百姓一揆の歴史的構造」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。1982年同教授。同年、家永教科書裁判で証言を行う。この頃から、安丸良夫らと民衆思想研究会を開催する。 1990年、アジア民衆史研究会を設立して安在邦夫とともに代表に就任。
山岡 永知(やまおか ながとも、1938年6月14日 - )… 山岡 永知(やまおか ながとも、1938年6月14日 - )は、日本の法学者。専攻は英米法、国際取引法。日本大学法学部名誉教授・元非常勤講師。 東京都生まれ。日本大学付属第三高等学校を経て、1962年日本大学工学部建築学科卒業。1965年同大学大学院理工学研究科建築工学専攻修士課程修了、同大学生産工学部副手。1969年生産工学部専任講師、日本大学法学部法学専攻科修了、1972年同大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了。1974年生産工学部専任講師を退職。1975年ジョージ・ワシントン大学ロースクール修了、1977年テュレーン大学ロースクール修了。1985年秋田経済法科大学法学部専任講師、1986年日本大学法学部専任講師、1995年同教授。
杉原 輝雄(すぎはら てるお、1937年6月14日 - 20… 杉原 輝雄(すぎはら てるお、1937年6月14日 - 2011年12月28日)は、大阪府茨木市出身のプロゴルファーである。約50年に渡って現役を続行してきた存在感の大きさから、日本プロゴルフ界のドンと呼ばれた。永久シード権獲得者である。
小林 一宏(こばやし かずひろ、1937年6月14日 - 2… 小林 一宏(こばやし かずひろ、1937年6月14日 - 2020年10月7日)は、日本のスペイン史家、上智大学名誉教授。 群馬県出身。上智大学文学部卒、マドリード大学卒、コレヒオ・デ・メヒコ史学科博士。上智大学外国語学部助教授、教授。2008年定年、名誉教授。
瀬田 悌三郎(せた ていさぶろう、1937年6月14日 - … 瀬田 悌三郎(せた ていさぶろう、1937年6月14日 - )は、日本の地方公務員。東京都総務局長や、東京都副知事、首都高速道路公団理事長、日本宝くじ協会理事長などを歴任した。 1956年東京都入庁。1960年中央大学法学部卒業。1972年文京区教育委員会事務局文京総合体育館長。1973年文京区教育委員会事務局社会教育課長。1975年文京区保健衛生部管理課長。同年東京都水道局副主幹(局務担当)。1979年東京都水道局総務部主計課長。1982年東京都総務局人事部職員課長。1984年東京都総務局主幹(人事部職員課長事務取扱)。1985年東京都総務局主幹(区市町村行財政連絡調整担当)。1987年東京都総務局参事。
山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 19… 山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 1991年12月27日)は、日本の映画監督、脚本家。1970年代に松竹の映画で活動した。 東京府東京市向島区寺島町(現・東京都墨田区東向島)で帽子屋の息子として生まれた。小学生の頃から浅草の映画館に通うほどの大の映画好きで、都立両国高校3年の時には年間800本を記録した。その一方で演劇部で活躍し、舞台俳優を目指し劇団俳優座への入団を志したが、方向転換して日本大学芸術学部映画学科に入学し、1960年に卒業後、松竹に入社。高橋治、小林正樹、中村登、篠田正浩、野村芳太郎らの作品の助監督につく。作風では、他社(日活)であるが鈴木清順の作品の影響を受けたという。
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は… 奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者。 長野県飯田市生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1962年東京大学経済学部卒業。三井物産に入社後、2年程で退職し学士入学して教員免許を取得。のち芝中学校・高等学校社会科教諭に着任。大学在学中に『コスモス』に入会、宮柊二に師事する。1967年、「荒涼たる風景」で第13回角川短歌賞候補。1985年には「コスモス」の仲間である桑原正紀や高野公彦らと同人誌『棧橋』を創刊。 橘曙覧などの近世和歌を消化し、現代短歌の一領域として「ただごと歌」を認知させた。教師時代の奥村に短歌の手引きを受け、後に『コスモス』に入会した教え子に、影山一男や大松達知がいる。
井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14… 井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14日 ‐ 2011年(平成23年)3月20日)は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員。 和歌山県生まれ。三重県南牟婁郡鵜殿村出身。1955年(昭和30年)和歌山県立新宮高等学校を卒業。同県新宮市議会議員、紀南地区労働組合協議会書記次長、和歌山県振動病をなくす会顧問、日本共産党紀南地区委員長、同党和歌山県常任委員などを務めた。 1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙で旧和歌山県第2区から出馬し初当選。当選1回。議員在職中の1980年(昭和55年)4月25日、衆議院建設委員会にて浜田幸一元代議士の土地転がし問題を暴露した。同年の第36回総選挙で落選。
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県… 村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県出身の画家。
高橋 幸一(たかはし こういち、1935年6月14日 - )… 高橋 幸一(たかはし こういち、1935年6月14日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。 原町高校から神奈川大学へ進学するも中退し、1955年に毎日オリオンズへ入団。同年退団。
石川 博康(いしかわ ひろやす、1935年6月14日 - )… 石川 博康(いしかわ ひろやす、1935年6月14日 - )は、日本の経営者。サンケイビル社長を務めた。 群馬県出身。1959年に東京大学文学部社会学科を卒業し、同年にフジテレビジョンに入社。1963年にアメリカのニューヨーク大学に留学。1984年にサンケイビル副社長を経て、1986年6月から1990年6月までに社長を務めた。 2011年4月に旭日中綬章を受章。 1フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。2フジテレビジョン、産業経済新聞社、ニッポン放送、サンケイビル、ポニーキャニオン、文化放送を中心に構成する日本最大級のメディア・コングロマリット。
藤本 秀朗(ふじもと ひでろう、1935年6月14日 - 2… 藤本 秀朗(ふじもと ひでろう、1935年6月14日 - 2022年1月15日)は、日本の実業家、会社経営者。 ユニデンホールディングス創業者。東京都出身。 1960年、藤本秀朗は日本大学商学部を卒業し、中堅輸出商社のツルミ貿易(株)に就職した。入社2年目で米国駐在になった。 1966年、藤本はツルミ貿易からトランシーバーメーカーの株式を買収し、「ユニ電子産業(株)」(現・ユニデンホールディングス)を設立。日本で生産したトランシーバーを米国にOEM(相手先ブランドでの生産)で輸出し、業績を拡大。 1974年12月、藤本は会社名を「ユニデン株式会社」に商号変更。 1976年には、売上高が400億円を突破するまでに急成長した。
濱野 正(はまの ただし、1933年〈昭和8年〉6月14日 … 濱野 正(はまの ただし、1933年〈昭和8年〉6月14日 - )は、日本のヴァイオリニスト・編曲家。 ヴァイオリニストとして山形交響楽団などで演奏したほか、山形県立山形北高等学校で指導した。編曲家として手がけた楽譜はオーケストラ譜、弦楽合奏譜、ヴァイオリン ソロ譜、映画音楽まで多岐にわたり500曲を超える。 富山県高岡市の旅館の三男に生まれた。高岡市立定塚小学校の同じクラスに 藤本弘 (後の藤子・F・不二雄) がいた。藤本が病気療養中に書いた絵日記に感銘を受けた濱野は、手描きの漫画本の刊行を夢見てその作成に力を入れる。その後、小学校5年の時にヴァイオリン音楽に魅力を覚え、高岡市立南部中学校(現在は廃校)入学後もヴァイオリンの修練に励む。
片岡 節次郎(かたおか せつじろう、1933年6月14日 -… 片岡 節次郎(かたおか せつじろう、1933年6月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手。 兵庫高校から早稲田大学に進学するも中退して1953年に読売ジャイアンツへ入団。 1955年に国鉄スワローズへ移籍し、同年1軍初登板。1956年に引退。
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月1… 中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位は法学士。勲等は勲一等旭日大綬章。財団法人異文化コミュニケーション財団理事。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。 大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校(旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業。1955年(昭和30年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。 母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。
由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日… 由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日 - )は、日本の経営史学者。学位は、経済学博士。明治大学名誉教授。専門は日本経営史・日本経済史。 長野県南佐久郡青沼村(現・佐久穂町)生まれ。与志本代表・由井七郎右衛門の息子、由井定右衛門の甥。 旧制武蔵高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1960年、東京大学大学院社会科学研究科経済史学博士課程修了。明治大学経済学部講師。1963年、助教授。1965年、「中小工業政策の史的研究」で東京大学より経済学博士の学位を取得。1968年、明治大学経営学部教授、日本経営史研究所専務理事に就任し、文部省大学設置審議会委員を務める。1998年に退官、名誉教授。
稲名 嘉男(いなな よしお、1931年(昭和6年)6月14日… 稲名 嘉男(いなな よしお、1931年(昭和6年)6月14日 - 2014年(平成26年)10月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。静岡県清水市長。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 清水市出身。1952年(昭和27年)法政大学経済学部卒業。1960年(昭和35年)稲名製材社長となる。 1963年(昭和38年)4月、静岡県議会議員に初当選後、1974年(昭和49年)7月から1975年(昭和50年)5月まで同副議長、同年9月から1976年(昭和51年)6月まで同議長。その後、1977年(昭和52年)8月から1985年(昭和60年)8月まで清水市長を2期務めた。ほか、自由民主党静岡県連副会長を歴任した。
日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 200… 日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家、文芸評論家。東大社会学科卒。新聞社特派員としての韓国・ベトナム駐在経験が創作の基調。ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。『あの夕陽』(1975年)で芥川賞受賞。日本芸術院会員。 東京府豊多摩郡生まれ。5歳の時に父親の仕事のため朝鮮に移り、小中学校時代を慶尚南道密陽で暮らした。1942年にソウルに移って、龍山中学に通う。敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。
茂木 幹弘(もてぎ みきひろ、1929年〈昭和4年〉6月14… 茂木 幹弘(もてぎ みきひろ、1929年〈昭和4年〉6月14日 - )は、ディスクジョッキー、プロデューサー。 東京生まれ。東京外国語大学モンゴル語科卒業。1954年文化放送にアナウンサーとして入社。音楽番組ディスクジョッキーとして活躍。1967年チーフプロデューサーとなる。 1974年退社し、米国でコミュニケーション論などを学んだのち、フリーパーソナリティ、ディスクジョッキー。 1977年コミュニケーション文化研究所を設立し、代表。
安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓:岸〈きし〉、1928年〈昭和… 安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓:岸〈きし〉、1928年〈昭和3年〉6月14日 - 2024年〈令和6年〉2月4日)は、日本の書家。岸信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍寛信・安倍晋三・岸信夫の母。 三代にわたる政治家一家である岸・安倍家の「ゴッドマザー」的存在で、長らく清和政策研究会所属議員夫人たちのリーダーを務め、政界に信奉者が多いことから「政界のゴッドマザー」と称されていた。 岸信介・良子夫妻の第2子・長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前(現:東京都中野区中野)に生まれた。父:信介の満州国政府への赴任中(1936年 - 1939年)は、中野の家で母方の祖母:千代に育てられた。 1941年に一家は新宿区新宿柏木に転居したが、1945年に洋子が白百合高等女学校(現:白百合学園中学校・高等学校)を卒業した後、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し、洋子も山口銀行の田布施支店に勤務した。
八木 貞二(やぎ ていじ、1928年(昭和3年)6月14日 … 八木 貞二(やぎ ていじ、1928年(昭和3年)6月14日 - 2009年(平成21年)12月7日)は、宮内庁侍従次長。農学博士。 誠実で穏やかな侍従であったと伝えられ、長年にわたり天皇に仕えた。学生時代から登山に親しみ、当時皇太子であった明仁上皇の日本山岳会への入会のきっかけを作った。大学では鯨を研究した。1945年(昭和20年)、静岡中学卒業。1949年(昭和24年)、旧制静岡高等学校卒業。東京大学農学部水産学科卒業。1964年(昭和39年)東宮侍従となり、1989年(平成元年)即位に伴い侍従に就任。1995年(平成7年)から1999年(平成11年)まで、侍従次長を務めた。定年退職後も天皇の御用係として、さらに数年勤めた。
赤羽 信久(あかばね のぶひさ、1928年 <昭和3年> 6… 赤羽 信久(あかばね のぶひさ、1928年 <昭和3年> 6月14日 - 2008年 <平成20年> 5月12日)は、日本の通商産業技官。科学技術庁原子力安全局長や、科学審議官、新技術開発事業団理事長などを歴任した。 東京出身。1953年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学科卒業、通商産業省入省。科学技術庁長官官房総務課長補佐を経て、1968年科学技術庁原子力局放射能課長。1970年工業技術院標準部繊維化学規格課長。1971年科学技術庁原子力局核燃料課長。 1973年通商産業省基礎産業局化学製品課長。1974年通商産業省大阪通商産業局通商部長。1975年工業技術院総務部研究業務課長。1977年科学技術庁長官官房参事官。
前川 祐一(まえかわ ゆういち、1926年6月14日 - 2… 前川 祐一(まえかわ ゆういち、1926年6月14日 - 2001年8月31日)は、英文学者。東京府生まれ、父はフランス文学者の前川堅市。東京大学文学部英文学科卒業。1991年まで立教大学教授、その後中京大学教授。 ウォルター・ペイターなど19世紀イギリス文学を専攻。アーサー・シモンズ『象徴主義の文学運動』(岩野泡鳴が初訳)を訳している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 20… 藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。 1925年、母の実家のある長野県松本市で生まれた。国鉄官僚の父の転任にともなって各地を転々とした。旧制広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学し、上級生だった頃に西洋絵画集を購入。ラファエロの大作『アテナイの学堂』のプラトンとアリストテレスの部分を切り取り、部屋に飾った。北村透谷の「ホメロス在りし時、プラトン在りし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり」という美文とあいまって、第三高等学校 (旧制)の受験勉強の気休めにしていたのが、哲学への憧憬の始まりだったと回想している。
近江谷 左馬之介(おうみや さまのすけ、1925年6月14日… 近江谷 左馬之介(おうみや さまのすけ、1925年6月14日 - 1999年10月11日)は、マルクス経済学者。元九州大学経済学部教授。 神奈川生まれ。小牧近江(本名:近江谷駧)の長男。1948年東京大学経済学部経済学科卒業。東京大学社会科学研究所に勤務。1949年6月-1952年3月東京大学社会科学研究所助手。1955年6月九州大学経済学部助教授。のち九州大学経済学部教授を経て、『現代の世界』編集長。 向坂逸郎の門下生で、社会主義協会に所属した。九大在職中の向坂が東京滞在中に自宅で開いていた『資本論』の研究会に参加していた。1985年6月に社会党の綱領等基本問題検討委員会の新宣言作業小委員会が宣言草案「日本社会党の新宣言――愛と知と力のパフォーマンス」を取りまとめた際、社会主義協会は機関誌『社会主義』の緊急号外「日本社会党の新宣言(草案)批判」を発行し、近江谷『社会主義』編集長を委員長とする「『新宣言』に関する小委員会」作成の論文という形で「新宣言」を全面的に批判した。
長島 甲子男(ながしま かねお/きねお、1924年6月14日… 長島 甲子男(ながしま かねお/きねお、1924年6月14日 - )は、鹿児島県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。
長 幸男(ちょう ゆきお、1924年(大正13年)6月14日… 長 幸男(ちょう ゆきお、1924年(大正13年)6月14日 - 2007年(平成19年)1月30日)は、日本の経済学者。 東京出身。東京帝国大学経済学部卒。妻は武田清子。高崎市立短期大学助教授、専修大学助教授、教授、1970年東京外国語大学教授。1985-1989年学長。1993年多摩大学教授。1999年秋、勲二等瑞宝章受勲。 大塚久雄の影響を受け、近代日本の経済思想史、金融論を研究、東洋経済新報社刊の『石橋湛山全集』を編纂した。
久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - … 久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - 2002年8月11日)は日本の小児科・精神科医師、医事評論家。 名古屋大学講師、愛知医科大学教授を経て久徳クリニック院長を勤め、人間形成医学研究所長も務めた。「母原病」という言葉を同名著書によって広めたとされる。 1924年6月14日、愛知県名古屋市に生まれる(出身地を大阪府高槻市とする文献もある)。 1949年、名古屋大学医学部卒業。 1950年、名古屋大学小児科学教室入局。 1951年、名古屋第一赤十字病院小児科勤務。 1955年、名古屋大学に復帰。 1959年、名古屋大学医学部附属病院分院小児科長。同年に名古屋大学の医学博士となった。
志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 199… 志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 1999年6月27日)は、日本のアナウンサー、音楽評論家である。本名は小島幸雄。東京府東京市京橋区生まれ。 東京・京橋の写真館に生まれる。専修大学を卒業。1952年(昭和27年)、開局直後のラジオ東京(現・TBSラジオ)の嘱託アナウンサーとなり、局内の「シマさん」の愛称から志摩夕起夫を名乗る。4月1日に放送開始となったラジオ東京の深夜番組「イングリッシュ・アワー」を三國一朗などと担当。同番組は1962年6月9日まで10年間続けられた。これにより、日本でのディスクジョッキーの草分けとして、音楽と自由なおしゃべりで進行するラジオ番組の原型を作り上げた。
石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2… 石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2012年2月6日)は、日本の写真家。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ。3歳のときに、両親の故郷である高知県高岡町(現・土佐市)に移り住む。1939年、高知県立農業学校(現・高知県立高知農業高等学校)を卒業後に再渡米し、カリフォルニア大学農業スクールで農業を学ぶ。第二次世界大戦中の1942年から1944年まで、日系人の強制収容によりコロラド州南東部のアマチ収容所に収容され、この期間に写真に興味を持つようになる。1944年、沿岸の州への居住禁止を条件に解放され、シカゴに移住する。ノースウェスタン大学建築科から転じて、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真を学び、1952年に卒業。
春日 俊二(かすが しゅんじ、1921年6月14日 - 没年… 春日 俊二(かすが しゅんじ、1921年6月14日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。旧芸名は春日 俊次(読みは同じ)。本名は春日 章良(かすが あきよし)。 新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。東京芸術劇場、劇団青俳、劇団民藝、銀座プロ、劇団新劇場に所属していた。
江橋 慎四郎(えばし しんしろう、1920年(大正9年)6月… 江橋 慎四郎(えばし しんしろう、1920年(大正9年)6月14日 - 2018年(平成30年)4月8日)は、日本の体育学者。専門は社会体育学・レクリエーション学。東京大学名誉教授。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制湘南中学(現在の神奈川県立湘南高等学校)から、旧制二高を経て東京帝国大学文学部に入学した。学生時代には体育会系の水泳部マネジャーと体育会の総務を務めていた。当時の大学生は徴兵が猶予されていたが、兵力不足を補うため、江橋ら文系の学生の学徒出陣が決定した。 戦後、文部省体育局勤務などをへて、東京大学教授。その後鹿児島大学教授や中京大学教授を歴任した。さらに、日本初の国立体育系単科大学である鹿屋体育大学の創立に尽力し初代学長となる。
坂野 常和(さかの つねかず1920年6月14日 - 201… 坂野 常和(さかの つねかず1920年6月14日 - 2011年7月10日)は、日本の実業家。元日本化薬社長。元大蔵省証券局長。父は坂野常善(海軍中将)、叔父は坂野鉄次郎(逓信官僚)、岳父は原安三郎(日本化薬社長・会長)。
駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14… 駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14日 - 1976年(昭和51年)11月20日)は、昭和期の日本の銅版画家、東京藝術大学教授。 油絵や色彩版画の作品も少数あるが、生涯にわたり一貫してエッチングを制作し、モノクロームの世界で、自己の内面、幻想、夢などを表現し続けた。作風は、パウル・クレーの影響が濃い抽象的・幻想的なもの、樹木や風景を繊細で写実的なタッチで描いたものなどがある。大岡信(詩人、評論家)、安東次男(詩人)ら文学者との交流も多く、安東とのコラボレーションによる詩画集『からんどりえ』(1960年)は、版画と詩を同じ紙に刷った、日本では初の試みと言われている。棟方志功、浜口陽三など、同時代の版画家に比べやや地味な存在ではあるが、日本美術界では長らくマイナーな分野であった銅版画の普及と地位向上に貢献した作家として高く評価されている。
福士 勇(ふくし いさむ、1919年6月14日 - 1944… 福士 勇(ふくし いさむ、1919年6月14日 - 1944年)は、日本のプロ野球選手(投手)。青森県青森市出身。 1938年(昭和13年)に青森県立商業学校を卒業後、青森林友倶楽部野球部(青森営林局の社会人野球チーム)へ入団。6月に行われた函館太洋倶楽部(北海道の強豪チーム)との試合で勝利投手となり、7月に行われた都市対抗野球大会県予選では3試合に登板・好投する活躍を見せた。秋にライオン軍へ入団しプロ入り。 入団時は捕手であったが、チームに投手が4人しかいない事情もあり、投手へ転向した。球団名が「朝日軍」となった1941年(昭和16年)はシーズンの敗戦数が28敗となり、これは現在も日本プロ野球(NPB)歴代2位の記録となっている。
河村 憐次(かわむら れんじ、1917年(大正6年)6月14… 河村 憐次(かわむら れんじ、1917年(大正6年)6月14日 - 2014年(平成26年)2月15日)は、日本の政治家。山口県下松市長(4期)、山口県議会議員(5期)、下松市議会議員。位階は従四位。山口県下松市出身。慶應義塾大学法学部卒業。
安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月… 安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月14日 - 2009年(平成21年)10月27日)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。 1917年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。 「中国の会」は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤、新島淳良、今井清一らをメンバーとした。 早稲田大学政経学部教授を務め、文化大革命の際は新島淳良や野村浩一とともにこれを礼賛した。1988年に定年退任、名誉教授となった。また、日中学院長をつとめ、のち名誉学院長。現代中国学会幹事を長く務めた。2009年10月27日、膀胱癌で死去、享年92歳。
関野 雄(せきの たけし、1915年6月14日- 2003年… 関野 雄(せきの たけし、1915年6月14日- 2003年7月23日)は、日本の考古学者、東洋史学者。東京大学名誉教授。 1915年、東京で生まれた。東京帝国大学文学部で東洋史を学び、1939年に卒業。北京に留学し、1941年に帰国し、東京大学文学部助手に採用された。1943年に応召し、1946年に復員。 戦後は東亜考古学会研究員として勤務。後に東京大学文学部助手に就いた。1949年、法政大学助教授に就き、1950年に教授昇格。1951年に東京大学東洋文化研究所助教授に転じた。1957年、学位論文『半瓦当の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。また、同1957年に戦後はじめての考古学者による訪中が日本考古学協会と毎日新聞社の共同主催で組織されると団員として訪中。
金指 正三(かなさし しょうぞう、1914年〈大正3年〉6月… 金指 正三(かなさし しょうぞう、1914年〈大正3年〉6月14日 - 1989年4月24日)は、日本の歴史家。法学博士。法制史、海事慣習制度の研究者。 1914年6月14日、静岡県富士市に生まれる。静岡県立富士中学校、福岡高等学校文科丙類を卒業。1941年3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。1943年、同経済学部経済学科卒業。のち、同大学院経済学研究科修了。1962年、「江戸時代の海難救助制度の研究」により明治大学から法学博士の学位を取得。1952年、海上保安大学校教授。1973年4月から1975年4月まで教頭。1976年11月、海上保安大学校退官、名誉教授の称号を授与される。山陽女子短期大学教授、呉市立図書館長。
永井 智雄(ながい ともお、本名:飯沼 修(いいぬま おさむ… 永井 智雄(ながい ともお、本名:飯沼 修(いいぬま おさむ) 1914年6月14日 - 1991年6月17日)は、日本の俳優。東京都出身。
岡田 春夫(おかだ はるお、1914年6月14日 - 199… 岡田 春夫(おかだ はるお、1914年6月14日 - 1991年11月6日)は、日本の政治家。衆議院副議長(第53-54代)、衆議院議員(15期)。 戦後日本社会党の安全保障問題の代表的な論客として名を馳せ、「爆弾男オカッパル」の異名をとった。幼名・穣。父の初代・岡田春夫も政治家(立憲民政党所属の代議士)で、父の死後名前を「穣」から父と同じ「春夫」に改名した。外交官の岡田晃は弟。長男は岡田宰(弁護士)、次男は岡田充(共同通信客員論説委員・客員大学教授)。 北海道美唄市生まれ。出生地の美唄市には生家が保存されている。1937年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業。製材業、北海道議会議員を経て、1946年戦後初の総選挙で旧北海道4区から衆議院議員に初当選。
大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 -… 大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 - 1989年(平成元年)3月3日)は、日本の建築家。 モダニズムと日本の伝統様式とを決して融合することなく「混在併存」させた建築意匠で知られる。また、教育者として法政大学建築学科の礎を築き、多くの後進を育成した。主な作品に法政大学、香川県立丸亀武道館、普連土学園、国立能楽堂など。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章叙勲。秋田県秋田市生まれ。 父の大江新太郎は明治神宮造営技師を務め、日光東照宮の修理、および明治神宮宝物殿、神田明神の設計を手がけた建築家。長男の大江新は建築家・法政大学名誉教授。
大島 一芳(おおしま かずよし、1912年6月14日 - 1… 大島 一芳(おおしま かずよし、1912年6月14日 - 1983年1月16日)は昭和時代日本のジャーナリスト、新聞経営者。元中日新聞社代表取締役。愛知県出身。 出生名は大島 克巳(おおしま かつみ)で、1952年(昭和27年)3月24日付で「一芳」へ改名した。 1912年(明治45年)、愛知県東春日井郡守山町(現在の名古屋市守山区)で大島寿太郎の長男として出生。祖父の大島竹三郎は小幡大島本家第12代当主で、分家の東大島家第2代当主となった後に新愛知新聞社を創業した大島宇吉は一芳の大叔父に当たる。 1936年(昭和11年)に慶應義塾大学経済学部を卒業して大叔父の宇吉が経営する新愛知新聞社へ入社、戦時中は上海支局駐在。