荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7… 荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7月10日 - )は、日本の政治家、元岡山県赤磐市長(1期)。旭日双光章受章。 岡山県出身。岡山県立瀬戸高等学校卒。吉井町農業共済組合に就職後、吉井町役場に勤務し、収入役など各役職を歴任する。1998年 吉井町長に当選し、2期務める。2005年、吉井町は合併により、赤磐市が発足。合併後の赤磐市長の市長選挙に立候補し、2人を破って当選した。赤磐市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元赤磐市議の井上稔朗に敗れて落選した。
奈良 明彦(なら あきひこ、1937年(昭和12年)9月16… 奈良 明彦(なら あきひこ、1937年(昭和12年)9月16日 - )は、日本の政治家、元山梨県上野原市長(1期)。 山梨県出身。東京薬科大学薬学部卒。地元で薬局を経営し、その後、大和開発興業を設立し、社長となる。上野原町議会議員を経て、山梨県議会議員(自民党)となり、上野原町長となる。上野原町は隣接の秋山村と合併し、2005年に上野原市が発足、合併後の市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、2009年に退任した。
有吉 威(ありよし たけし、1937年(昭和12年)3月3日… 有吉 威(ありよし たけし、1937年(昭和12年)3月3日 - 2018年(平成30年)4月19日)は、日本の実業家、政治家、福岡県直方市長(2期)。 福岡県立鞍手高等学校から西南学院大学に進学。大学在学中から有吉鉱業社長、九州酸素社長を務める。1965年(昭和40年)直方ガス社長に就任。 1995年(平成7年)より直方市長に2選。市長在職中、成人式での若者の道徳性の無さに「やかましい!」と一喝し、「これで祝辞といたします」との一言だけで退席した[要出典]。 2003年(平成15年)2月、公共工事に関する贈賄容疑で福岡県警に逮捕され、市長を辞職した。 2018年(平成30年)4月19日、81歳で死去。
新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )… 新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、沖縄市長、沖縄県議会議員などを歴任した。 1937年、越来村仲原(後の沖縄市の一部)に生まれ、コザ高等学校に学ぶ。 高校卒業後、沖縄群島社会福祉協議会(のち、沖縄社会福祉協議会:沖縄県社会福祉協議会の前身)に勤務する。この頃には、地元のコザ市山里で青年会長を務めており、1958年ころには、それまで男性だけが踊っていたエイサーへの女性の参加を進めるなどした。 1967年に当時のコザ市役所に入り、経済民生部長を務め、沖縄市となった後には福祉部長、経済部長、中部広域市町村協議会事務局長などを歴任し、1989年に退職した。 1990年の沖縄市長選挙に、日本社会党、日本共産党、沖縄社会大衆党の推薦と、公明党の支持を得て出馬し、4選を目指していた現職の桑江朝幸を破って初当選を果たした。
内藤 正行(ないとう まさゆき、1936年〈昭和11年〉3月… 内藤 正行(ないとう まさゆき、1936年〈昭和11年〉3月10日 - 2025年7月8日)は、日本の政治家、元岐阜県本巣市長(1期)。 新潟大学農学部卒。岐阜県庁に入り、農政部長、県農業公社理事長を歴任する。岐阜県庁を退職後、1996年に本巣郡糸貫町の町長選挙に立候補し、当選する。糸貫町長を2期務め、糸貫町は2004年近隣の本巣町、真正町、根尾村と合併し、本巣市となる。合併後の市長選挙に立候補し、当選した。本巣市長を1期務めた。2008年に退任した。現在、社会福祉法人の評議員を務める。2011年、旭日小綬章受章。 2025年7月8日、老衰性肺炎のため、死去した。89歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
關 淳一(せき じゅんいち、關の字は新字体で「関 淳一」とも… 關 淳一(せき じゅんいち、關の字は新字体で「関 淳一」とも表記される、1935年(昭和10年)8月13日 - 2024年(令和6年)6月9日)は、第17代大阪市長。医学博士。 大阪府大阪市出身。祖父は社会政策学者で第7代大阪市長の關一(ただし、出生前に一が死去したため、直接の面識はない)。 医師から行政職に転じた経歴を持つ。 2期8年にわたって市長をつとめた磯村隆文の下で助役を務め、磯村の後継候補として2003年の市長選挙に日本共産党を除く各政党の相乗り推薦を得て出馬、元大阪城天守閣館長の渡辺武(日本共産党推薦)らを破り当選。就任当初、助役に弁護士の大平光代を起用し、異例の市役所外部からの人事として話題となった。
中尾 嘉伸(なかお よしのぶ、1934年〈昭和9年〉12月2… 中尾 嘉伸(なかお よしのぶ、1934年〈昭和9年〉12月27日 - 2009年〈平成21年〉6月27日)は、日本の政治家、元岡山県津山市長(3期)。 岡山県英田郡美作町(現・美作市)出身。中央大学法学部卒。製紙会社を経営し、津山青年会議所理事長、津山商工会議所副会頭などを務める。1995年、津山市長に当選。3期務める。3期目の途中であった2006年(平成18年)1月、再開発ビル「アルネ・津山」への税金投入が批判を浴び、市長解職(リコール)成立で失職した。同年3月の津山市長選挙に立候補したが、元岡山県議会議長の桑山博之に敗れた。 2009年に胃癌で死去した。
小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日… 小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日 - )は、日本の政治家、元千葉県四街道市長(1期)。 東京都出身。中央大学法学部卒。四街道市でメダカを保護するNPO法人の理事となり、当時、四街道市が進めていた地域交流センターの建設や保育所民営化に反対する活動を行った。 2008年(平成20年)の市長選挙に立候補し。「ハコモノ行政」からの脱却などを訴えて、現職の高橋操を150票差で破って、初当選する。 2010年(平成22年)、脳梗塞を発症して市内の病院に入院。リハビリ治療に専念していたが、公務復帰の目途が立たない状況となり職務を続けることが困難となったため、任期半ばで辞職した。 また割り箸アートの作家としても知られており、これまでに数々の作品を発表している人物でもある。
児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月… 児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2026年〈令和8年〉1月11日)は、日本の政治家、初代広島県安芸高田市長(1期)。 広島県高田郡高宮町(現・安芸高田市)出身。鳥取大学農学部卒。高校講師や来原農協専務理事、郡農協支所長を歴任した。1969年(昭和44年)高宮町議会議員に当選して、3期務める。その間、1978年(昭和53年)に同議長に就任した。1980年(昭和55年)高宮町長に当選。高宮町議時代から地域振興会の活動に取り組む。高宮町長を6期務めた。2004年(平成16年)、高田郡全域の6町が合併し、安芸高田市が発足。合併後の市長選挙に立候補し無投票で当選した。
山崎 甚右衛門(山﨑 甚右衞門、やまざき じんうえもん、19… 山崎 甚右衛門(山﨑 甚右衞門、やまざき じんうえもん、1934年〈昭和9年〉1月17日 - 2025年〈令和7年〉10月25日)は、日本の政治家、元滋賀県野洲町長(3期)・野洲市長(1期)。 滋賀県野洲市出身。滋賀県立野洲高等学校卒。野洲町役場に入り、総務部長、助役などを経て、1995年の野洲町長選挙で野洲町長に当選した。町長を3期務め、2004年野洲町は合併により野洲市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選。野洲市長を1期務め、2008年に退任した。2009年、旭日小綬章受章。 2025年10月25日、うっ血性心不全のため守山市内の病院で死去。91歳没。叙従五位。
水谷 尚(みずたに しょう、1933年(昭和8年)7月10日… 水谷 尚(みずたに しょう、1933年(昭和8年)7月10日 - 2013年(平成25年)10月13日)は、日本の政治家、愛知県津島市長(1期)、愛知県議会議員(2期)、津島市議会議員(5期)。 愛知県海部郡八開村(現・愛西市)出身。横浜市立大学商学部卒業。 津島市議会議員を5期務め、1991年(平成3年)4月の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。1995年(平成7年)の県議選は自民党公認で立候補し再選。同年11月、藍綬褒章を受章。 1999年(平成11年)4月の県議選は、元津島市長の井桁克の息子の井桁亮に敗れ落選。同年11月末、津島市長の山田克己が翌年の市長選への不出馬を表明し、「後継指名はしない」と述べた。
斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月… 斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月4日 - 2016年〈平成28年〉1月22日)は、日本の政治家、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)長(第9代 - 第12代)。 現在のさいたま市岩槻区に生まれる。埼玉県立春日部高等学校卒。岩槻町役場に入り、市制施行後は土木課長、産業建設、総務の各部長、助役を経て、1985年の岩槻市長選挙に立候補し、元市長を破って初当選した。以来1998年まで市長を4期務めた。1997年に4回目の当選を果たして半年後の1998年1月、市内の再開発に関し、納入業者から200万円を受け取ったとして、収賄容疑で逮捕された。逮捕後に市長を辞職。同年6月、浦和地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年、追徴金200万円の有罪判決を受けた。
三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日… 三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日 - 2011年3月20日)は、日本の政治家、元千葉県君津市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 長崎県出身。中央大学法学部卒。 君津市役所に入り、助役などを務める。1998年、君津市長選挙に立候補し、現職を破り、初当選する。2002年に再選。市長を2期務め、2006年に退任した。2010年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2011年3月20日に死去。死没日付をもって叙正六位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
曽根 薫(そね かおる、1932年〈昭和7年〉1月4日 - … 曽根 薫(そね かおる、1932年〈昭和7年〉1月4日 - )は、日本の政治家、元広島県江田島市長(1期)。旭日双光章受章。 広島県出身。広陵高等学校卒。広島県安芸郡江田島町役場に入り、企画課長、総務課長、助役などを経て、2003年江田島町長に当選、1期務める。2004年江田島町は近隣の町と合併し、江田島市が発足。合併後の市長選挙に立候補し当選した。市長は1期務め、2008年に退任した。このほか広島県地方港湾整備促進期成同盟会会長を務めた。2009年春の叙勲で旭日双光章を受章。
有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 … 有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 - 2017年(平成29年)4月22日)は、第12代松本市長、松本広域連合長(初代)、長野県議会議員(民社党公認)、長野県農業後継者育成協会長。長野県松本市並柳生まれ。ハード事業(箱物行政)に積極的であった。 長野県松本市出身。1949年(昭和24年)に長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、農業に従事した、1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけて松本市農業委員を務める。1971年(昭和46年)に民社党公認で長野県議会議員に初当選し、1992年3月に松本市長に初当選、以降3期を務め、行政改革を推進するとともに、福祉ひろばを全地区に設置するとともに、美術館や市民芸術館の建設など芸術文化の振興に尽力した。
末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015… 末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015年8月17日)は、日本の政治家、東京都田無市長(4期)、田無市議会議員(5期)。 山梨県北巨摩郡須玉町(現在の北杜市)出身。山梨県立峡北高等学校(現・山梨県立北杜高等学校)卒業。卒業後は日本国有鉄道に入り、八王子機関区に勤務する。のちに田無町に移り、1963年に田無町議会議員に初当選。以後、市制施行(1967年)を挟んで連続5期務め、議長を務めた。その後、田無市助役を経て、1985年、田無市長に当選した。 1993年4月25日に行われた市長選挙に立候補して、新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:34.34%(前回比:-pts) 1997年4月20日に行われた市長選挙に立候補して、新人2人を破って4選を果たした。
鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - … 鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - )は、元島原市長。長崎県島原市出身。
平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 … 平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 - )は、日本の政治家、元岐阜県山県市長(2期)。 岐阜県出身。岐阜県立長良高等学校卒。岐阜県庁職員、中部女子短期大学事務局長を経て。山県郡高富町の町長となる。高富町は2003年に伊自良村、美山町と合併し、山県市となる。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で初当選した。4月27日に就任した。2007年の市長選挙でも無投票で再選。山県市長を2期務めた。2011年4月26日に退任した。
白井 貫(しらい かん、1929年〈昭和4年〉12月1日 -… 白井 貫(しらい かん、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2009年〈平成21年〉11月14日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(2期)。歯科医師。 千葉県出身。日本歯科大学卒。歯科医院を開業する。1991年の富津市長選挙に立候補し、落選。1996年、富津市長野口岡治の死去による市長選挙に立候補し、初当選する。2000年に再選。2004年の市長選挙で三選を目指したが、元千葉県議会議員の佐久間清治に敗れて落選した。
臼井 千秋(うすい ちあき、1927年(昭和2年)9月9日 … 臼井 千秋(うすい ちあき、1927年(昭和2年)9月9日 - 2023年(令和5年)2月1日)は、第2代東京都多摩市長。 1948年に東京農工大学を卒業。1977年に多摩市議会副議長を経て、1979年には市長に初当選。5期を務め、1999年に引退して勲三等瑞宝章を受章。2001年には名誉市民に選ばれる。趣味はゴルフ・ドライブ・写真。 2023年2月1日、老衰のため死去、95歳。生涯市内百草に居住していた。長男がいる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 -… 小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉9月11日)は、日本の政治家、千葉県四街道市長(2期)。 千葉県出身。明治大学政治経済学部卒。印旛郡千代田町(のち四街道町を経て、四街道市)役場に入り、教育長、収入役を務めた。1992年の四街道市長選挙に立候補し、初当選する。1996年に再選。当選後の9月に死去した。
田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月1… 田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月11日 - 2003年(平成15年)4月8日)は、日本の政治家、第25・26代松山市長。 松山市出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現 愛媛県立松山商業高等学校)を卒業後、1945年、第11師団(香川県善通寺市)に入隊。 終戦後の1946年、松山市役所職員に採用される。市民課長、企画管理部長を歴任し、助役を3回にわたり(1979年6月25日-1979年7月9日、1983年6月25日-1984年12月25日、1987年6月25日-1989年10月10日)務める。 1991年、5選を狙う当時の現職市長中村時雄に対抗して出馬し初当選。「しあわせひろがるまち松山」をスローガンに、その後2期8年間にわたって松山市長を務めた。
西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月1… 西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月10日 - 2006年(平成18年)8月29日)は、名古屋市長(3期)。父は中津川市長の西尾彦朗(1899年(明治32年) - 1986年(昭和61年))。 岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)出身。旧制高知高等学校を経て昭和24年に京都大学工学部土木工学科卒業後、名古屋市に入り、名古屋市水道局(現・名古屋市上下水道局)に入局。水道畑を歩む。名古屋水道労働組合初代青年婦人部長、名古屋市水道局技監、水道局長、名古屋市助役などを歴任した。 1985年(昭和60年)、社会党・公明党・民社党から誘いを受け、名古屋市長選挙へオール与党候補として立候補し初当選した。
栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 201… 栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 2013年10月9日)は、日本の政治家、浜松市長(5期)。
野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21… 野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉8月20日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(1期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 千葉県出身。旧制木更津中学校を経て、明治大学商学部卒。豊橋第二陸軍予備士官学校に入るが、終戦により閉校。戦後、陸上自衛隊に入り、一等陸尉に進む。南房総開発(株)代表取締役、木更津信用金庫理事、(株)南房総クラブ代表取締役を務めた。 政界では君津郡天羽町(のち富津町を経て、富津市)議会議員、同町長となり、千葉県議会議員を5期務め、議長を務めた。また、自民党千葉県連副幹事長、政調会長、総務会長などを務めた。1991年に落選。
黒坂 正則(くろさか まさのり、1924年〈大正13年〉8月… 黒坂 正則(くろさか まさのり、1924年〈大正13年〉8月25日 - 2013年 <平成25年> 8月16日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(3期)。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 千葉県出身。木更津中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学第二工学部土木工学科卒。卒業後は建設省に入省後、千葉県庁に出向、土木部長、県住宅供給公社理事長などを務め、1983年、富津市長選挙に立候補し、初当選する。市長を3期務め、1995年の市長選挙で元千葉県議会議長の野口岡治に敗れた。1996年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
岸中 士良(きしなか しろう、1924年(大正13年)6月9… 岸中 士良(きしなか しろう、1924年(大正13年)6月9日 - 1994年(平成6年)5月12日)は、立川市長(3期)。医学博士。 石川県出身。1949年(昭和24年)日本医科大学卒。1958年(昭和33年)に立川市で岸中外科医院を開業する。1975年(昭和50年)の立川市長選挙に立候補して当選し、3期務めた。1987年(昭和62年)に引退した。1994年死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日… 小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日 - 2019年(平成31年)1月16日)は、山口県徳山市(現・周南市)市長、岡山県副知事。従四位。死の約3年前に第一生命多額詐取事件の主犯に成る、女性社員の勤続50年を祝う会に出席していた。
星野 平壽(ほしの へいじゅ、1924年(大正13年)4月1… 星野 平壽(ほしの へいじゅ、1924年(大正13年)4月14日 - 2005年(平成17年)5月2日)は、第3代東京都小金井市長。 東京府北多摩郡小金井村(小金井町を経て、現在の東京都小金井市)生まれ。1958年(昭和33年)日本大学法学部を卒業。卒業後は小金井町役場に入り、小金井市建設部長、ロータリークラブ役員などを務めた。 1979年(昭和54年)自民党・公明党・民社党・新自由クラブ推薦で市長に初当選。1981年(昭和56年)女性同伴出張問題で市議会の激しい追及を浴びて、同年2月17日市長の星野に対する不信任決議が可決。27日に市議会を解散したが、改選後の市議会でも再度不信任されることが確実になったことから4月15日に辞任を表明、同年5月8日付で市長を辞職した。
宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8… 宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8日 - 1994年〈平成6年〉5月15日)は、日本の政治家、千葉県松戸市長(6期)。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 千葉県出身。旧制千葉県立東葛飾中学校(現千葉県立東葛飾中学校・高等学校)卒。卒業後は松戸市雇となる。その後書記、教育、建設、企画調査、企画財政の各課長を歴任し、松戸市長松本清の下で助役に就任する。 1973年、松戸市長松本清が死去し、松本の後継者として松戸市長選挙に立候補し、初当選する。市長を6期務め、在任中は「計画行政」を推進した。6期目途中の1994年に死去した。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
水谷 光男(みずたに みつお、1923年(大正12年)12月… 水谷 光男(みずたに みつお、1923年(大正12年)12月30日 - 2016年(平成28年)8月28日)は、三重県伊勢市長(5期)。 三重県桑名郡多度町(現・桑名市)出身。1946年、國學院大學国史学科卒。同年、三重県庁に入る。県庁では知事公室県民室広報係長、県民室長補佐、県民室長、東京事務所長、農林水産、生活環境、福祉の各部次長、北勢県民局長を経て、1980年、伊勢市助役となる。1984年、伊勢市長に当選、2004年まで4期20年務めた。2005年旭日中綬章を受章。2013年瑞宝単光章を受章。2016年8月に死去した。死去後、死没日をもって正八位から従四位に叙された。
永利 友喜 (ながとし ともき 1923年6月24日 - 2… 永利 友喜 (ながとし ともき 1923年6月24日 - 2018年2月23日)は、東京都小金井市長(2期)。 1923年東京府に生まれる。日本大学法学部卒。卒業後は国鉄に入り、日本社会党東京都本部執行委員となる。 小金井市議会議員を2期務め、1971年市長に就任。 革新市政を行い、 ごみやし尿を収集する多摩清掃公社を直営化、 学校など30の市施設に各々3人配置の90人の準職員を配置などを行なった。 小金井市長を2期務め、1979年に市建設部長の星野平壽に市長を譲った。 2018年2月23日に94歳で亡くなった。
吉野 和男(よしの かずお、1923年(大正12年)3月26… 吉野 和男(よしの かずお、1923年(大正12年)3月26日 - 2020年(令和2年)2月21日)は、第3代東京都府中市長。東京都市長会会長、全国市長会副会長を歴任。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
加藤 寛嗣(かとう かんじ / ひろつぐ、1920年(大正9… 加藤 寛嗣(かとう かんじ / ひろつぐ、1920年(大正9年)9月26日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、第14代四日市市長。三重県四日市市塩浜地区馳出町出身。 三重県四日市市の旧家の加藤寛の長男で、三重県知事の田中覚は従兄弟であった。ハワイ州で生まれた。1944年(昭和19年)9月に東京帝国大学経済学部を卒業し、津海軍工廠に配属され終戦を迎えた。1945年(昭和20年)11月、三菱銀行に入行した。1946年(昭和21年)4月、日本肥料株式会社四日市工場に転じた。東海瓦新化成株式会社、三菱油化株式会社旭工場総務部長を経て、1967年(昭和42年)12月に三菱油化を退職した。 その間、1947年(昭和22年)に四日市市議会議員に当選し、以後12年間に各委員長、副議長を歴任した。
大久保 慎七(おおくぼ しんしち、1920年(大正9年)5月… 大久保 慎七(おおくぼ しんしち、1920年(大正9年)5月22日 - 2015年(平成27年)2月1日)は、第10-12代東京都小金井市長。 東京府北多摩郡小金井村(小金井町を経て、現在の東京都小金井市)で生まれる。東京府立第二商業学校(のち東京都立第二商業高等学校)卒。小金井市土地開発公社理事長、総務部長、1979年-1985年助役を経て、1987年市長に初当選。3期つとめ、1999年引退。税理士、不動産鑑定士を務めた。趣味は謡曲。 1985年の周辺住民の反対を受けてその後も迷走する小金井ごみ問題の当事者。任期中も解決できず、引退後市長に当選した稲葉孝彦も意向を受けた。 2000年、勲四等瑞宝章受章。
伏見 格之助(ふしみ かくのすけ、1919年〈大正8年〉3月… 伏見 格之助(ふしみ かくのすけ、1919年〈大正8年〉3月12日 - 2007年〈平成19年〉7月2日)は、日本の政治家、東大阪市長。日本社会党と日本共産党の推薦で革新市政を12年間担った。 岡山県岡山市出身。旧制大阪府立八尾中学校(現・府立八尾高等学校)を経て、大阪府天王寺師範学校(現・大阪教育大学)卒。大阪教職員組合委員長、日本社会党大阪府本部書記長となる。 1967年(昭和42年)4月の大阪府議会議員選挙に日本社会党から立候補(布施市選挙区)も次点。 1970年6月の東大阪市長選挙に日本社会党と日本共産党の推薦で立候補。現職の初代市長で自由民主党の辰巳佐太郎を破り初当選した。 1967年4月の東京都知事選挙で社会党・共産党推薦の美濃部亮吉が初当選するなど革新自治体ブームの最中であり、同2月に誕生 したばかりの人口50万人を抱える全国15番目の大都市 に革新市政が生まれた衝撃は大きく、翌1971年の大阪府知事選挙で黒田了一革新府政が誕生するきっかけとなった。
馬橋 隆二(まばし りゅうじ、1918年(大正7年)8月31… 馬橋 隆二(まばし りゅうじ、1918年(大正7年)8月31日 - 2000年(平成12年)5月16日)は、大宮市長(第13代 - 第15代)。弁護士。 埼玉県大宮町出身。1942年(昭和17年)明治大学法学部卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年(昭和18年)9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。横須賀鎮守府付工廠勤務となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。同年9月、予備役に編入され解員(復員)となる。 戦後の1948年(昭和23年)二級事務官吏銓衡に合格し、運輸省に入る。一方で高等試験司法科試験にも合格した。
和合 正冶(わごう しょうじ、1917年2月27日 - 20… 和合 正冶(わごう しょうじ、1917年2月27日 - 2004年3月7日)は、松本市長(11代:1976年3月 - 1992年3月)、全国市長会副会長、長野県市長会会長。
斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月… 斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月1日 - 2000年(平成12年)2月1日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第11代市長、栄典は、従五位・勲四等・旭日小綬章、山形県出身。 1916年(大正5年)山形県に生まれる。 1934年(昭和9年)小樽高等商業学校を卒業する。 1949年(昭和24年)鶴岡市役所に入り、同市助役となる。1979年(昭和54年)無所属で鶴岡市長選挙に立候補し初当選した。1983年(昭和58年)11月20日の同市長選挙で佐藤俊次(共産党公認)を破り、2回目の当選をした。1987年(昭和62年)の同市長選挙で3回目の当選を果たした。1991年(平成3年)に市長を勇退。
荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年… 荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年6月15日)は、日本の政治家、広島市市長(第27~30代)。
板垣 武四(いたがき たけし、1916年〈大正5年〉2月13… 板垣 武四(いたがき たけし、1916年〈大正5年〉2月13日 - 1993年〈平成5年〉8月12日)は、1971年初当選の第7代札幌市長。北海道上川郡和寒村(現:和寒町)出身。 1916年2月13日、呉服屋を営む家庭の13人兄弟の11番目として、北海道上川郡和寒村(現:和寒町)に生まれた。小学校4年時に兄や母親と死別し、継母と仲良くなれず別の兄の住む札幌に移る。山鼻小、札幌一中(現:札幌南高)を経て、北海道帝国大学予科へ進学するも、法学への道を諦めきれず予科を退学し上京。 旧制第一高等学校を経て、札幌一中時代の友人の下宿に居候しつつ三浪を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年に三菱電機神戸製作所入社、神戸大空襲に被災し緑豊かな六甲山地の光景から望郷の思いが募り、札幌への帰郷を決意、1946年、札幌市役所に入職。
後藤 聰一(ごとう そういち、1916年(大正5年)1月2日… 後藤 聰一(ごとう そういち、1916年(大正5年)1月2日 - 2003年(平成15年)3月30日)は、第19-21代東京都八王子市長。 東京都南多摩郡由井村打越(現八王子市打越町)に多摩一とも呼ばれた精穀業「後藤常吉水車」を営む家に生まれる。 1933年(昭和8年)八王子市役所に臨時職員として就職、同年3月八王子市立商業公民学校後期を卒業した。 後藤は職員として働きながら東京府立第二商業学校を中退した後、1942年(昭和17年)に東京主計商業学校第二本科を卒業した。 1936年(昭和11年)に第二乙種合格、第二補充兵として編入される。体重は49キロと軽かったが視力も良く馬に乗れたため1938年(昭和13年)9月に野砲第1連隊の砲兵に応召。
肥後 正典(ひご まさのり、1915年(大正4年)12月27… 肥後 正典(ひご まさのり、1915年(大正4年)12月27日 - 2004年(平成16年)9月28日)は、日本の政治家、鹿児島県指宿市長(2期)。医師、医学博士。鹿児島県議会議員、山川町議会議員も務めた。位階は正五位。 鹿児島県指宿市出身。旧制鹿児島県立指宿中学校(現鹿児島県立指宿高等学校)、日本医科大学予科を経て、1943年日本医科大学卒業。陸軍に入隊し、陸軍軍医学校卒業後、上海検疫官(陸軍軍医大尉)。1946年7月復員、1946年10月開業。復員後は旧揖宿郡山川町に居住。1953年新制鹿児島大学・旧制県立鹿児島医科大学の桝屋富一内科教室専攻生。1955年4月30日から山川町議会議員を務める。
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3… 足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。
白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12… 白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12… 国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12日 - 1953年〈昭和28年〉12月27日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第7代市長。 1913年(大正2年)山形県飽海郡酒田町(現・酒田市)に鐙谷一郎の4男として生れ、 国井家の養子となる。1930年(昭和5年)山形県立酒田中学校(山形県立酒田東高等学校)を卒業する。 1936年(昭和11年)に早稲田大学法学部を卒業。卒業後は 鶴岡水力電気株式会社に入社する。 1946年(昭和21年) 加藤精三市長の下で鶴岡市助役に就任し、 鶴岡市消防長も務める。 1951年(昭和26年)4月、鶴岡市会議員に当選する。 1952年(昭和27年)10月に 鶴岡市長に当選する。
奥瀬 平七郎(おくせ へいしちろう、1911年〈明治44年)… 奥瀬 平七郎(おくせ へいしちろう、1911年〈明治44年)11月13日 - 1997年〈平成9年〉4月10日)は、日本の忍術研究家、小説家、三重県上野市(現・伊賀市)の元市長。三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。 1911年(明治44年)、三重県阿山郡上野町(現・三重県伊賀市)で代々続く醤油製造販売業「細平(こまへい)」の二男として生まれる。父の平十郎(1887年〜1956年)は、家業を従業員に任せ上京。霞翠の号で当時の代表的な投稿雑誌や文芸誌、詩歌誌に数多くの作品を発表、文芸誌『初楓』を創刊、また東京二六新聞記者として、上野町の『伊賀新聞』に小説『鞠子』を71回にわたって連載するなど文筆家として活躍した人物だった。
岩野 見斉(いわの けんせい、1911年(明治44年)4月8… 岩野 見斉(いわの けんせい、1911年(明治44年)4月8日 - 1991年(平成3年)7月23日)は、第13代四日市市長。三重県員弁郡(現:いなべ市)出身。 1938年(昭和13年)3月、京都帝国大学法学部卒業。戦前は旧満州国官吏として勤務。戦後に東海財務局津財務部に奉職。1949年(昭和24年)以降、四日市市役所商工課長、庶務課長、秘書課長、総務部長、水道局長を歴任。 1964年(昭和39年)に市長平田佐矩から四日市市助役に任命され、次代の九鬼喜久男の元でも助役を務めた。1972年(昭和47年)に四日市市長選挙に無所属で立候補し、日本社会党の前川辰男候補と日本共産党の稲垣重郎候補と安藤素滋(無所属)候補との保守革新の3分裂の選挙となった末、当選する。
鈴木 誠一(すずき せいいち、1911年(明治44年) - … 鈴木 誠一(すずき せいいち、1911年(明治44年) - 没年不明)は、東京都小金井市長(3期)。 東京府北多摩郡小金井村(小金井町を経て、現在の東京都小金井市)生まれ。1933年(昭和8年)日本大学法学部を卒業。教員生活を送り、その後は小金井町役場に入り、民生、総務の各課長を務めた。 1955年(昭和30年)小金井町長に初当選。在任中に小金井町は1958年(昭和33年)に市制施行した。 市制施行後は社会福祉協議会の発足、国鉄武蔵小金井駅北口広場の整備、公団小金井団地への入居開始、国鉄東小金井駅の開業などがあった。 市長は1967年(昭和42年)まで務めた。
沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30… 沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30日 - 1965年〈昭和40年〉11月22日)は、福島県内郷市(現・いわき市)長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 青森県弘前市出身。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、旧制第二高等学校を経て、東北帝国大学を卒業する。 卒業後は満州国に渡り、大同学院に入り、満州国の官吏となる。1943年、上海の満州国総領事館領事となる。終戦後は日本に引揚げ、経済安定本部に入り、同嘱託から経済査察官となった。 1951年、福島県内郷町の町長選挙に立候補し、当選する。1954年、内郷町の市制施行により、市長となる。1955年の市長選挙で再選。1959年と1963年の市長選挙で連続当選した。