久野 光朗(くの みつろう、1931年(昭和6年)9月3日 … 久野 光朗(くの みつろう、1931年(昭和6年)9月3日 ‐ 2018年(平成30年)2月)は、日本の会計学者。専門は会計学で、特に、アメリカ会計史や歴史哲学を研究。小樽商科大学名誉教授、元北海道情報大学学長。元日本会計史学会会長。片野一郎ゼミ出身。日本会計研究学会賞等受賞。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 19… 小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 1999年12月9日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒。同大学院を経て、1961年藤女子大学助教授、のち教授。1962年、大炊絶の筆名で「私小説論の成立をめぐって」で第5回群像新人文学賞評論部門受賞。同年より『位置』を主宰、1968年、沢田誠一らとともに『北方文芸』を創刊、長く編集長の座にあった。伊藤整、小林多喜二など北海道出身の文学者のほか、野間宏など戦後文学を研究。1974年、北海道文化賞奨励賞受賞。藤女子大学教授在任中に、小樽文学館長を兼務(『小林多喜二とその周圏』著者紹介)。両職共に在任中に逝去。
小林 恭治(こばやし きょうじ、1931年9月3日 - 20… 小林 恭治(こばやし きょうじ、1931年9月3日 - 2007年3月8日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都出身。息子は広告写真家の小林恵介、娘はニュースキャスターの小栗泉。従甥にはライターの竹熊健太郎がいる。 代表作に『おそ松くん(第1作)』(イヤミ)、『ひょっこりひょうたん島』(マシンガン・ダンディ)、『巨人の星』(ナレーション)などがある。 中学時代、文化祭で中野重治の詩を読んだところ快感で、学校の教師が「読むということがいかにも面白いか」というのを植え付けたという。それが一生の仕事のようなものになったため、1990年にはその教師をありがたく思っていると話している。 高校時代に詩の朗読研究会に参加し、詩の朗読の勉強を始める。
澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日… 澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日本のノンフィクション作家、社会運動家。東京都港区青山出身。 編集者を経て『妻たちの二・二六事件』(1972年)で作家に。綿密な取材で、真実に迫る作品を執筆。作品に『火はわが胸中にあり』(1978年)、『もうひとつの満州』(1982年)、『滄海よ眠れ』(1985~86年)など。 大工の長女として生まれる(下に妹と弟)。父親は小学校卒業後伊豆での見習修業を経て大工となり、久枝が4歳の時、家族で満洲へ移住し、吉林市の満鉄社宅で暮らした。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げ山口県立防府高等学校に編入した。1947年夏に東京に移り焼野原の原宿に建てた6畳のバラックで育つ。
阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 … 阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2023年または2024年)は、日本の女優・声優。東京府豊多摩郡代々幡町(現:東京都渋谷区)出身。夫は映画評論家の深沢哲也。 俳優座養成所の第1期生。 1952年俳優座準劇団員となり、同年映画「慟哭」でデビューする。1954年青年座に参加するがすぐに脱退、同年新東宝と専属契約。1957年劇団現代座に入るがまもなく脱退。同年、深沢哲也と結婚。 以前はプロダクションMAY・25に所属していた。 声優としては、NHKの人形劇『新八犬伝』の玉梓役が有名。登場時の「我こそは玉梓が怨霊」という決まり文句は、辻村ジュサブローによる迫力ある造形の人形と相まって、当時の視聴者の子どもに強い印象を与えた。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日… 成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2008年〈平成20年〉4月4日)は、日本の俳人。国宝・犬山城の元城主であり、旧所有者。称号としては愛知県犬山市初の名誉市民を贈られている。角川書店やテレビ朝日にも勤務していた。 父は尾張藩付家老・犬山藩主成瀬正成の末裔で、成瀬家11代当主の成瀬正勝。母は旧松尾藩主太田資美の長男で子爵である資業の娘、文子。東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。学位は文学士。1972年(昭和47年)に父の正勝の死去に伴い第12代城主をつとめる。犬山城は2004年(平成16年)4月に成瀬家が設立した財団法人の犬山城白帝文庫に移管された。 長女は財団法人犬山城白帝文庫理事長の成瀬淳子、長男は成瀬正浩。
大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 20… 大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 2015年4月27日)は、国文学者。 東京生まれ。明治大学文学部国文科卒、同大学院修士課程中退。明治大学文学部助教授、同教授、2001年定年退任。筆名・大野純。日本文芸思想史専攻。中世文学が専門だが、日本近代文学も論じた。
成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年… 成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年2月26日)は、日本のデザイナー、彫刻家。青森県出身。 神戸市生まれで、翌年より両親の故郷青森県に移り父方の出身地である青森市にて育つ。俳優の成田浬は息子、漫画家の成田美名子は従兄弟の娘。 生後8ヶ月の時、青森市の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかった。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学。8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校。4年生時の学校分離により大庄村立大庄尋常第二小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。
丸茂 明則(まるも あきのり、1929年 <昭和4年> 9月… 丸茂 明則(まるも あきのり、1929年 <昭和4年> 9月3日 - 2011年 <平成23年> 10月16日)は、日本の官僚・経済学者。位階は従四位。 東京生まれ。1952年青山学院大学文学部英米文学科卒業。1955年早稲田大学第二政治経済学部卒業。1956年経済企画庁入庁。1957年アメリカ合衆国商務省に国連留学生として派遣。1970年フランスOECD日本政府代表部勤務。1983年経済企画庁調整局審議官。1985年経済企画庁調査局長。1986年国際大学教授、三菱信託銀行顧問。1994年国際大学副学長。1999年勲三等瑞宝章受勲。2000年国際大学名誉教授。没後、従四位追贈。
小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 200… 小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 2000年4月1日)は、日本の洋画家。
日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 20… 日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 2003年3月11日)は千葉県出身の作曲家。 東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)の吹奏楽部でフルートを演奏。中央大学経済学部に進学、進駐軍キャンプでジャズを演奏していた。同大学を卒業後の1952年、バンド「日暮雅信とブルーキューバン」を結成、クラブやNHKの音楽番組に出演。1956年にバンドを解散、作曲活動に専念することになる。 1961年、「管弦楽のための二つの祈り」で毎日音楽コンクール管弦楽部門に入選。以降、管弦楽、室内楽、声楽、舞踏音楽などの分野で活躍するほか、映像作品の音楽も手掛けた。また、楽器の入門書も数多く執筆している。
祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 20… 祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 2012年1月15日)は、日本近代文学・演劇の研究者。 兵庫県出身、愛知県名古屋市で育つ。武蔵高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1957年同大学文学部大学院(旧制)修了。1960-1965年東京都立戸山高等学校講師。和光大学助教授、教授を務め、1997年定年となり名誉教授。劇団民藝顧問。
大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006… 大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006年10月28日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 東京府出身。小学生時代に大蔵官僚であった父大野龍太が帝人事件で逮捕・起訴され、無実の罪で3年半のあいだ未決勾留された経験から弁護士志望となる。 第一高等学校 (旧制)を経て、1951年、東京大学法学部卒業。在学中は政治思想史の丸山眞男ゼミに所属。一旦会社勤めをした後、1954年に弁護士登録。弁護士としては海野普吉に師事。弁護士としては悪徳の栄え事件、砂川事件、西山事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件、芸大事件を担当した。 1993年4月に最高裁判事に就任。1997年9月に定年退官。
宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 20… 宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 2010年1月9日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1969年)。第9代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。1997年から2010年まで日本学士院会員。元理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、元厚生省社会保障制度審議会会長、財団法人医療経済研究機構所長。神奈川県生まれ。 1962年エコノミスト賞、1977年日経・経済図書文化賞、1983年神戸賞、1998年勲一等瑞宝章。2010年正四位。指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)などがいる。 指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)、叶芳和(元国民経済研究協会理事長)、武蔵武彦(千葉大学名誉教授)、荒井一博(一橋大学名誉教授)、松水征夫(広島大学名誉教授)、野本了三(広島大学教授)、藤垣芳文(成蹊大学教授)、花井敏(南山大学名誉教授)、進藤孝生(日本製鉄会長)など。
枡井 雅一郎(ますい まさいちろう、1925年(大正14年)… 枡井 雅一郎(ますい まさいちろう、1925年(大正14年)9月3日 - 2016年(平成28年)5月28日)は、昭和から平成時代の薬学者。日本薬学会有功会員。電気化学的手法を取り入れた薬学研究で知られる。 東京都に生まれる。1949年(昭和24年)東京大学医学部薬学科を卒業後、同大学同学科の研究生、助手を経て、1954年(昭和29年)大阪大学医学部薬学科(のち薬学部として独立)講師となる。のち同助教授を経て、1965年(昭和40年)に教授、1973年(昭和48年)薬学部長となった。1989年(平成元年)定年退職(大阪大学名誉教授)。ほか、日本薬学会評議員、理事、近畿支部長などを歴任した。勲二等瑞宝章。
榎原 好(えばら よしみ、1924年9月3日 - 1998年… 榎原 好(えばら よしみ、1924年9月3日 - 1998年5月27日)は、プロ野球選手(投手)・野球解説者。左投両打。
山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月… 山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月3日 - 2013年(平成25年)2月27日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。第15代航空幕僚長。海兵71期。海軍での最終階級は海軍大尉。航空自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。 1923年(大正12年)9月3日、福岡県に生まれる。戸畑中学を経て1939年(昭和14年)海軍兵学校第71期生として入校。1942年(昭和17年)11月14日、卒業、少尉候補生。戦艦「武蔵」、敷設艦「津軽」乗組を経て1943年(昭和18年)6月、少尉任官、霞ヶ浦海軍航空隊40期飛行学生に入隊。大分空・筑波空で戦闘機操縦訓練を受けた。 1944年(昭和19年)6月末「紫電」装備の341空戦闘第402飛行隊に配属。
亀山 健吉(かめやま けんきち、1922年9月3日 - )は… 亀山 健吉(かめやま けんきち、1922年9月3日 - )は、日本の言語哲学者。日本女子大学名誉教授。 岐阜県出身。1948年東京帝国大学文学部倫理学科卒業。1950-51年ガリオア留学生としてクレアモント大学院に留学。56-58年A.v.フンボルト財団留学生としてハイデルベルク大学、テュービンゲン大学に留学。日本女子大学教授、93年定年、名誉教授、城西国際大学教授。1984年のヴィルヘルム・フォン・フンボルト『言語と精神―カヴィ語研究序説』で日本翻訳出版文化賞受賞。99年勲三等瑞宝章受勲。
橋本 邦治(はしもと くにはる、1922年9月3日 - 20… 橋本 邦治(はしもと くにはる、1922年9月3日 - 2010年8月19日)は、東京府(現・東京都)府中市出身(東京市浅草区 (現・台東区浅草)生まれ)の競馬評論家。 父方の祖父は日本画家の橋本雅邦。 1923年9月1日に発生した関東大震災の影響で府中に移り、以後同所で育った。父が野戦重砲兵であったため、子供の頃から馬が好きであった。1933年に東京競馬倶楽部が従来使用していた目黒競馬場に代わる新競馬場を府中に新設したことが競馬との最初の出会いになり、1935年にはガヴアナーが東京優駿に勝利した後で急死して、墓地に運ばれる、悲運な姿を目撃している。 太平洋戦争真っ只中の1944年、東京高等農林学校を卒業。
鈴木 美嶺(すずき みれい、1921年9月3日 - 1991… 鈴木 美嶺(すずき みれい、1921年9月3日 - 1991年10月11日)は、日本のアマチュア野球選手、東京六大学野球審判員、公式記録員。 兵庫県出身。旧制愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)から旧制第八高等学校へ進学した。その後、東京帝国大学文学部西洋史学科に進み、野球部に入部。内野手として東京六大学野球リーグ戦でプレーした。また、1946年から1949年まで東京六大学野球の審判員を務めたこともある。 1950年、東京帝国大学卒業後に毎日新聞社に入社し、運動部記者として健筆を揮う傍ら、1954年に東京六大学野球連盟規則委員となり、1961年まで務める。 1955年の暮れ、それまでプロ野球とアマチュア野球が別々に発行していた規則書(ルールブック)の一本化が図られることになり、日本野球規則委員会が設置される。
大下 高明(おおしも たかあき、1921年9月3日 - 20… 大下 高明(おおしも たかあき、1921年9月3日 - 2010年7月1日)は、日本の経営者。フマキラー社長を務めた。広島県出身。長男は大下俊明。 1944年に明治大学商学部を卒業し、後に大下回春堂(現在のフマキラー)に入社。 1950年に取締役に就任し、1960年には社長に昇格。世界初の電気蚊取り器「ベープマット」の開発を進め、1963年には販売に漕ぎ着けた。1985年には会長に就任。 1981年4月に藍綬褒章を受章。 2010年7月1日老衰のために死去。88歳没。
有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年… 有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年6月30日)は、俳人。
橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日 - 20… 橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日 - 2019年)は、日本の西洋中世史家。東京都立大学名誉教授。 中近世ヨーロッパにおける家父長的奴隷制説を提起して、通説と鋭く対立し、特に日本におけるドイツ史研究に大きな影響を及ぼした。また、家父長的奴隷制説を証明する史料として、ドイツのグリム編『ヴァイステューマー』を重視し、その本格的解読に取り組んだわが国の先駆的研究者でもある。日本史についても、安良城盛昭の家父長制的奴隷制論と連携し、『源氏物語』や親鸞などに関して独自の見解を示し、家父長的奴隷制を軸とする射程範囲の広い歴史観を展開していた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019… 佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019年8月31日)は、日本の東洋史学者、大阪市立大学名誉教授。古代中国の交易・水利の研究などを行い、 1920年、山形県で生まれた。東北帝国大学法文学部を卒業し、同大学大学院中退。 卒業後は大阪市立大学助教授に就いた。のち教授昇格。1961年、学位論文『中国古代工業史の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年に大阪市立大学を定年退官し、同校の名誉教授となった。退任後も流通科学大学などで教鞭をとった。2019年に死去。
大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 … 大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、昭和から平成の日本画家。本名は大野慶蔵。 埼玉県秩父に生まれる。 小谷津任牛や奥村土牛に師事する。1948年(昭和23年)再興第33回院展にて初入選。ほか1986年(昭和61年)再興第71回院展にて日本美術院賞(大観賞)、2008年(平成20年)再興第93回院展にて文部科学大臣賞、2011年(平成23年)再興第96回院展にて内閣総理大臣賞などを受賞した。2001年(平成13年)10月17日、日本美術院同人に推挙された。2019年(平成31年)3月1日、肺炎のため死去。98歳。代表作に『谷川岳』など。
水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本… 水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本の思想史家。日本の社会思想史研究の代表的人物で、世界でのアダム・スミス研究推進者の一人。1998年12月日本学士院会員に就任。18世紀スコットランド研究国際学会 (Eighteenth-Century Scottish Studies Society) 生涯業績賞を2001年に受賞[3]。名古屋大学名誉教授、名古屋大学高等研究院アカデミー会員。水田からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している[4][5]。
鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004… 鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004年10月7日)は、日本の英文学者、英米演劇研究家、翻訳家。本名は鳴海 弘。 テネシー・ウィリアムズ、エドワード・オールビー、ニール・サイモンの戯曲やアガサ・クリスティなどの小説を翻訳した。文学座座友。 1919年新潟県長岡市に、1922年に東京市に移り関東大震災に遭う。東京府立第五中学校、東京商科大学予科を経て、1940年に東京商科大学(現・一橋大学)卒業。会社員となるがアマチュア演劇団体に所属。 1944年弘前市歩兵連隊に応召。敗戦後、田舎にこもる。1949年帰京。1951年慶應義塾高校教諭、コロンビア大学に留学。1952年帰国、文学座の文芸演出部員となる。
新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 200… 新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 2005年12月11日)は、日本の国文学者。北海道大学助教授・青山学院大学教授を経て、青山学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。東京芝生まれ。父は神戸市日蓮宗妙法華院住職・新間智啓。神戸一中、六高を経て、1940年東京帝国大学文学部国文学科卒、同大副手。佐佐木信綱に師事した歌人でもある。1946年白百合女子専門学校教授、1950年北海道大学文学部助教授、1957年文部省教科書調査官、1966年青山学院大学教授、1986年定年、名誉教授。中古・中世和歌と近代短歌を研究、特に「梁塵秘抄」と与謝野晶子研究で知られる。2005年、呼吸不全のため88歳で死去。
松村 明(まつむら あきら、1916年9月3日 - 2001… 松村 明(まつむら あきら、1916年9月3日 - 2001年11月22日)は、日本の国語学者。位階勲等は正四位勲三等瑞宝章。称号は文学士、東京大学名誉教授。『大辞林』の編纂者として知られる。
横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日… 横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日 - 2012年(平成24年)2月6日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。関西大学名誉教授。 父貫次・母せつの長男として兵庫県神戸市生田区(現中央区)に出生。 神戸市立諏訪山尋常小学校、神戸市立山手尋常小学校(転入)、兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校文科(甲類入学)を経て、1937年4月、京都帝国大学文学部史学科に入学(国史学専攻)。 1940年3月、京都帝国大学文学部史学科卒業、1941年4月海軍機関学校教授。1946年6月 関西大学教授。1964年、関西大学文学部長(~1966年)。1972年、学校法人関西大学理事(~1977年)。
野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 19… 野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 1997年3月2日)は、日蓮宗の僧、刻字作家。 立正大学卒。1966年「周武法難の研究」で立正大学文学博士。立正大学仏教学部教授。87年定年退任、名誉教授。中国仏教史が専門。
赤澤 時之(あかさわ よしゆき、1915年9月3日 - 20… 赤澤 時之(あかさわ よしゆき、1915年9月3日 - 2003年12月3日)は、日本の植物学者である。植物分類学を専門とし、四国の植物を研究し、阿部近一が発見したヒナノシャクジョウ科のタヌキノショクダイ Thismia abei (Akasawa) Hatus.やホシザキシャクジョウ Oxygyne shinzatoi (Hatus.) C.Abe et Akasawaを記載した。 徳島県板野郡(現、鳴門市)に生まれた。東京帝国大学を卒業し、上海自然科学研究所を経て、高知女子大学の教授を務めた。高知を中心にした四国の植物を研究し、1974年に土佐植物研究会を設立し、初代の会長を務め、教員やアマチュア植物愛好家に植物への関心を広めた。
小林 久明(こばやし ひさあき、1915年9月3日 - 19… 小林 久明(こばやし ひさあき、1915年9月3日 - 1990年12月17日)は、日本の経営者。三菱鉱業セメント社長を務めた。長野県長野市出身。 1939年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1948年に三菱鉱業に入社。1963年に三菱セメントに出向し、1967年5月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1973年11月に三菱鉱業セメント専務、1974年11月に副社長を経て、1976年6月には社長に就任。1986年6月には会長に就任。 1987年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1990年12月17日心不全のために死去。75歳没。
家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 20… 家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史学者。専門は思想史(日本思想)。学位は文学博士(東京大学)。東京教育大学名誉教授。甥に歴史学者の家永遵嗣がいる。 国民精神文化研究所の機関誌『国民精神文化』第九巻第二号によると、1月11日から3月20日までの課程修了者29人の1人。クラスの科目は、「皇国の道」(紀平正美)、「皇国哲理」(佐藤通次)、「国体と政治」(大串兎代夫)、「大東亜教育論」(伏見猛弥)など。なお、文部省発令事項の東京教育大学が作成した正規の年譜からは削除している。国民精神文化研究所の歴史部門責任者の東京高師の長老松本彦次郎に知られ、東京高師へ栄転。
寺内 一隆(てらうち かずたか、1912年9月3日 - 戦死… 寺内 一隆(てらうち かずたか、1912年9月3日 - 戦死)は、愛媛県出身のプロ野球選手(外野手)。
安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970… 安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970年10月4日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。筆名に中田 精一。 北海道小樽市生まれ。1937年東京帝国大学仏文科卒、東京都立大学教授を務めた。 バルザックが専門だが、ルソー『新エロイーズ』を初めて完訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮崎 辰雄(みやざき たつお、1911年〈明治44年〉9月3… 宮崎 辰雄(みやざき たつお、1911年〈明治44年〉9月3日 - 2000年〈平成12年〉2月22日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は勲一等。 神戸市長(第13代)、神戸市山岳連盟会長などを歴任した。 旧制神戸三中(現:兵庫県立長田高等学校)を経て、旧制姫路高校に入学するも、河本敏夫退学問題に端を発する全校ストライキに参加し放学処分となる。その後1936年(昭和11年)立命館大学専門部法学科卒業。大学卒業後は神戸市役所入庁。神戸市助役を経て、1969年(昭和44年)から神戸市長を5期20年務めた他、財団法人神戸都市問題研究所の創設者・理事長としても活動した。市長初当選時は自由民主党・日本社会党・公明党・民社党を与党としていたが、1973年の市長選では自民党が支持を撤回、替わって日本共産党が推薦に加わる。
牧瀬 菊枝(まきせ きくえ、1911年9月3日 - 1997… 牧瀬 菊枝(まきせ きくえ、1911年9月3日 - 1997年)は、昭和期に活動した女性史研究者、生活記録運動家。旧姓島崎。 1911年(明治44年)に生まれる。1932年(昭和7年)、実践女子専門学校(現在の実践女子大学)を卒業。同年岩波書店に入社し、1940年(昭和15年)まで勤務する。1937年(昭和12年)に牧瀬恒二と結婚。戦後に、生活記録運動や思想の科学研究会の活動に参加し、聞き書きの手法で庶民生活の歴史を発掘した。 1911年(明治44年)9月3日、静岡県富士市の禅寺に生まれる。実践女子専門学校国文科に進むが、良妻賢母の養成を旨とする校風にはなじめなかったという。1932年(昭和7年)に実践女子専門学校を卒業後、岩波書店に就職し編集者となった。
桂田 芳枝(かつらだ よしえ、1911年〈明治44年〉9月3… 桂田 芳枝(かつらだ よしえ、1911年〈明治44年〉9月3日 - 1980年〈昭和55年〉5月10日)は、日本の数学者。数学の分野で日本初の女性博士号取得者であり、北海道大学(旧北海道帝国大学)で最初の女性教授、女性名誉教授である。日本国外でも、スイスの数学者であるハインツ・ホップ(英語版)との共同研究「リーマン空間の閉曲面の合同定理」で、高い評価を受けた。 1911年(明治44年)、北海道余市郡赤井川村で誕生した。父は余市郡余市町の小学校の校長であり、「子供は大きな夢を持ってのびのびと育つべき」という、当時としては先進的な考えの持ち主だった。芳枝は北海道の大自然を駆け回って育つ一方、学校では算術に夢中になった。
宇治山 哲平(うじやま てっぺい、1910年9月3日 ‐ 1… 宇治山 哲平(うじやま てっぺい、1910年9月3日 ‐ 1986年6月18日)は、日本の美術家。始め木版画を主に制作するが後に油彩の抽象画に転向。輝いた栄誉には第12回毎日芸術賞をはじめ、第32回西日本文化賞などがある。本名は宇治山哲夫。 明治43年(1910年)、大分県日田市に生まれる。日田工芸学校で漆芸蒔絵の技法を習得し、日田漆器株式会社に入社。漆工や木工デザインを担当する。同時に独学で木版画を学び、様々な芸術賞に入選する。油彩画の制作を始めると同時にアトリエを奈良県天理市に構える。 1961年(昭和36年)、大分県立芸術短期大学(現大分県立芸術文化短期大学)教授となり別府市に移る。1971年(昭和46年)からは、同短大の学長を務めた。
池田 遊子(いけだ ゆうし、本名:保夫、1909年9月3日 … 池田 遊子(いけだ ゆうし、本名:保夫、1909年9月3日 - 2006年4月9日)は日本の彫刻家。仏像の制作を中心に制作活動を行う。その傍らアバンギャルドな作品も多数制作。1950年代には大阪市立美術館の三階屋根裏部屋を仕事場とし、次々と意欲的な作品を生み出した。
井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 194… 井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 1945年4月25日)は、日本の探偵小説評論家、翻訳家。1930年代のいわゆる「本格ミステリの黄金時代」の海外作品を、日本に多数紹介した。戦前における最もすぐれた探偵小説評論家といわれる。 1908年(明治41年)9月3日、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。 1926年(大正15年)、愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)卒業。名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)に進学し、1930年(昭和5年)に卒業。バス会社に入社するが、名古屋市営バスと併合されて解散になったため、1937年(昭和12年)から名古屋市立白鳥尋常高等小学校(現・名古屋市立白鳥小学校)教員、1941年(昭和16年)から名古屋女子商業学校(現・名古屋経済大学市邨中学校・高等学校)教師(英語担当)。
山嵜 義三郎 (やまさき よしさぶろう、1907年 <明治4… 山嵜 義三郎 (やまさき よしさぶろう、1907年 <明治40年> 9月3日 - 2007年 <平成19年> 6月28日)は、日本の社会政策学者。神戸大学名誉教授。 京都市生まれ。1925年京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校)卒業。1915年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。八木助市に師事し、ヘンリー・ジョージなどの土地制度論の研究を行った。 1932年神戸商業大学(現神戸大学)卒業。1936年同大学研究科修了。1937年大連高等商業学校教授。1948年神戸経済大学附属経営学専門部教授。1951年神戸大学経済学部助教授。1953年神戸大学経済学部教授。1962年経済学博士。1965年神戸大学経済学部長。
松川 七郎(まつかわ しちろう、1906年9月3日 - 19… 松川 七郎(まつかわ しちろう、1906年9月3日 - 1980年11月7日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。経済学史・統計学史専攻。日本学士院賞受賞。 宮城県出身。東京帝国大学経済学部卒。一橋大学教授、1967年ウィリアム・ペティ研究で日本学士院賞受賞。70年定年後、中央大学教授。77年退職。指導学生に竹村孝雄(元中央大学教授)など。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小竹 武夫(おだけ たけお、1905年9月3日 - 1982… 小竹 武夫(おだけ たけお、1905年9月3日 - 1982年5月2日)は、日本の中国文学者。石川県金沢市生まれ。京城帝国大学卒。兄の小竹文夫とともに『史記』を現代語訳し、ついで単独で『漢書』を全訳、1978年中日文化賞、1980年読売文学賞を受賞した。金沢美術工芸大学教授などを務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
北上 四郎(きたかみ しろう、1904年(明治37年)9月3… 北上 四郎(きたかみ しろう、1904年(明治37年)9月3日 - 1953年7月25日)は、兵庫県出身の昆虫学者、登山家。男性。特にアミカ科昆虫の分類学的研究で知られる。日本でアミカの幼虫を初めて発見したのも北上である。 1904年、兵庫県武庫郡山田村 上谷上(現在の神戸市北区山田町上谷上)において、北上倉太良・りつの四男として生まれた。旧制第四高等学校(現在の金沢大学)を卒業し、1924年に京都帝国大学(現:京都大学)理学部動物学科に進学。 登山の愛好家でもあった北上は、大学在学中に早月川(富山県)へ出かけてイワナ釣りをしていた所、イワナの胃の中から当時日本未発見であったアミカの幼虫を発見した。
長谷川 保(はせがわ たもつ 、1903年9月3日 - 19… 長谷川 保(はせがわ たもつ 、1903年9月3日 - 1994年4月29日)は、日本の福祉事業家・教育者・政治家。 衆議院議員(7期)、衆議院文教委員長、社会福祉法人聖隷福祉事業団理事長、学校法人聖隷学園理事長、聖隷学園浜松衛生短期大学学長などを歴任した。 福祉事業家として、結核療養所など医療施設の設立を推進し、多くの患者を救うことに尽力した。これらの医療施設は、のちに聖隷福祉事業団や聖隷学園などで構成される聖隷グループに発展した[要出典]。また、日本で初めて特別養護老人ホームやホスピスをつくった人物としても知られている[要出典]。なお、政治家としても活動しており、衆議院議員を7期務め、社会福祉の向上に力を注いだ[要出典]。
紙 恭輔(かみ きょうすけ、1902年9月3日 - 1981… 紙 恭輔(かみ きょうすけ、1902年9月3日 - 1981年3月24日)は、日本初の本格的ジャズプレーヤー。作曲家、指揮者。日本のジャズ・軽音楽・映画音楽の草分け。広島県広島市大手町(現在の同市中区大手町)生まれ。岳父は貴族院議員男爵、日本橋簡易商業夜学校(現在の中央学院大学)初代校長南岩倉具威。 広島高等師範学校附属中学校(現在の広島大学附属高校)の一級下に桜田武。紙は級長で音楽もよくできた。同校から、第五高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。中学時代、14、15歳から近くの目黒キネマ(映画館)で、当時ナンバーワン・オーケストラだった波多野オーケストラ(ハタノ・オーケストラ)のメンバー(楽士)、主にベース奏者として、暗がりの中で無声映画の伴奏を行ったといわれる。
劔木 亨弘(劒木 亨弘、けんのき としひろ、1901年9月3… 劔木 亨弘(劒木 亨弘、けんのき としひろ、1901年9月3日 - 1992年11月29日)は、日本の政治家、文部官僚。参議院議員(4期)、文部大臣(第88-89代)。位階は正三位。 福岡県田川郡大任村(現大任町)に、開業医・劔木元享の長男として生まれる。豊津中学、第五高等学校を経て、1927年、東京帝国大学法学部を卒業。2年後の1929年、文部省に入省する(嘱託)。香川県学務課長、本省教学局思想課長、専門教育局大学教育課長などを務め、戦後の1947年、学校教育局次長となり、6・3・3・4制導入に伴う法整備や予算確保に尽力する。その後大学学術局長、文部事務次官を経て、1951年、周囲の推しにより福岡県知事選に出馬するも落選、首相吉田茂のはからいにより、内閣官房副長官に就任する。