別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
4月6日生まれ:355人
別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
崎山 理(さきやま おさむ、1937年4月6日 - )は、日… 崎山 理(さきやま おさむ、1937年4月6日 - )は、日本の人類学者・言語学者。国立民族学博物館・滋賀県立大学名誉教授。 1937年、大阪市生まれ。1962年、東京外国語大学フランス語学科卒業。1967年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1964-66年、インドネシア大学・ガジャ・マダ大学文学部給費留学。京都大学博士(文学)。 大阪外国語大学外国語学部・広島大学総合科学部助教授、国立民族学博物館助教授、同第5研究部教授、同民族文化研究部教授を経て、2001年、定年退職。1984-85年、パプアニューギニア大学(英語版)学芸学部客員助教授。1993-94年、総合研究大学院大学文化科学研究科長。
佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日… 佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日 - 2022年〈令和4年〉6月21日)は、日本の実業家。元NEC代表取締役会長。位階勲等は従四位旭日重光章。 1936年(昭和11年)4月6日に愛知県名古屋市で出生。父は佐々木直(第22代日本銀行総裁)で、父が日本銀行名古屋支店勤務の時に出生し、2歳まで名古屋で過ごした。祖父は佐々木藤太郎(朝鮮総督府官僚)。 東京都杉並区立第七小学校から、中高一貫校の成蹊中学校・高等学校へ進学し、卒業。 1959年に東京大学工学部電気工学科卒業後、東京大学大学院数物系研究科で修士課程修了。 1961年4月に日本電気に入社し、1999年に代表取締役会長となる。
大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6… 大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6日 - )は、日本の俳人・日本文学研究者。専門は日本近世文学。上智大学名誉教授。公益社団法人日本伝統俳句協会副会長、国際俳句交流協会常務理事、慶大俳句丘の会会長、横浜俳和会顧問、和の句会主宰。 東京府東京市蒲田区生まれ。山梨県、福岡県、大阪府で育ち、大阪府立豊中高等学校を経て、1960年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。同年、日本テレビに入社するも退職し、1961年、慶應大学大学院文学研究科国文学専攻に進学。1968年、博士課程単位取得満期退学。1970年、同大学附属研究所国際センター専任講師、1973年、上智大学文学部専任講師、1974年、助教授、1981年、教授。
榎本 英雄(えのもと ひでお、1936年4月6日 - )は、… 榎本 英雄(えのもと ひでお、1936年4月6日 - )は、日本の中国語学者、明治学院大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東京外国語大学中国語科卒業。1979~1981年上海復旦大学に研究留学。明治学院大学助教授を経て、教授、2016年定年、名誉教授。1981~2001年「NHKテレビ中国語会話」講師。2004年10月~2005年3月「NHKテレビ中国語講座」担当。
黒﨑 晏夫(くろさき やすお、1936年(昭和11年)4月6… 黒﨑 晏夫(くろさき やすお、1936年(昭和11年)4月6日 - 2017年(平成29年)7月23日) は、日本の機械工学者。工学博士。東京工業大学名誉教授。元プラスチック成形加工学会会長。 満洲国生まれ、岡山育ち。1960年東京工業大学理工学部機械工学課程卒業。東京工業大学サッカー部出身。1962年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1965年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士、東京工業大学助手。1974年東京工業大学助教授。パデュー大学留学を経て、1982年東京工業大学教授。1988年日本機械学会熱工学部門長。 1997年定年退官、東京工業大学名誉教授、電気通信大学知能機械工学科教授。
中村 凪子(なかむら なぎこ、1936年4月6日 - )は、… 中村 凪子(なかむら なぎこ、1936年4月6日 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。早稲田大学文学部美術史学科卒。英米の若者向け小説、児童文学、動物関連のノンフィクションなどの翻訳を主として行う。
石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知… 石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知県安芸市出身の競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの200mバタフライ銀メダリスト。 1935年4月6日、高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校を経て日本大学卒業。 中学校の時に野球をしていたが、水泳部の大会に出場したことがきっかけで水泳を始めた。大学1年の時に100mバタフライで日本記録を出した。 1956年メルボルンオリンピック男子200mバタフライ銀メダリストで、1957年9月7日に神宮プールで、富田一雄、古川勝、石原勝記との400mメドレーリレーの世界記録、9月14日に100mバタフライの世界記録を保持した。 日本選手権水泳競技大会では、100mバタフライで1956年から1958年まで3連覇、200mバタフライでも1955年から1957年まで3連覇した。
中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし か… 中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし かつひこ)、1935年4月6日 - 2009年3月29日)は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
嶋田 正義(しまだ まさよし、1935年4月6日 - 202… 嶋田 正義(しまだ まさよし、1935年4月6日 - 2021年11月30日)は、日本の教育者、政治家。兵庫県神崎郡福崎町長(通算5期)。兵庫県町村会理事。全国小さくても輝く自治体フォーラム呼びかけ人。 福崎町出身。神戸大学教育学部卒業後、郷里の中学校での15年間に及ぶ教員生活を経て、福崎町議会議員(日本共産党公認)に転じる。町議は5期20年にわたり務めた。 1995年12月3日投開票の町長選挙に無所属(「明るい福崎町をつくる会」推薦)で立候補、現職の松岡忠能を破り初当選を果たす。当時、共産党籍を持つ首長は山田兼三兵庫県南光町(現佐用町)長、関口荘六新潟県三和村(現上越市)長に次いで3人目となった。
志甫 溥(しほ ひろし、1935年(昭和10年)4月6日 -… 志甫 溥(しほ ひろし、1935年(昭和10年)4月6日 - )は、日本の実業家。TBS元会長。 兵庫県宝塚市出身。1958年(昭和33年)に東京大学教養学部を卒業後、ラジオ東京に入社した。報道番組のインタビューとドキュメンタリー制作や政治取材に長く携わり、1990年に取締役に選任され、常務等を経て、1996年に若い砂原幸雄社長を支えるために会長に就任した。2001年に相談役に退く。 ほかに毎日新聞社監査役、新潟放送取締役、東京エレクトロン監査役なども歴任した。
仁平 圀雄(にひら くにお、1933年(昭和8年)4月6日 … 仁平 圀雄(にひら くにお、1933年(昭和8年)4月6日 - )は、日本の警察官僚。元警視総監。
小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 20… 小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 2016年12月29日)は、日本の女優。本名:勅使河原トシ子(旧姓:小林)。 東京市中央区築地生まれ。1946年4月、学校を中退して日劇ダンシングチーム(NDT)に入団。1947年2月、初舞台。 1949年、松竹の木下恵介監督にスカウトされ、映画『破れ太鼓』でスクリーンデビュー。これは高峰秀子が予定されていた大役での出演であった。翌1950年に松竹に正式入社し、木下の指示で俳優座養成所に1年間通う。1951年、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』での演技は特に有名。 1956年、映画監督の勅使河原宏と結婚し、後に三人の娘をもうける。 1960年、松竹を退社してフリーになり、以後他社の映画や舞台で活躍した。
麻生 宗由(あそう もとよし、1932年(昭和7年)4月6日… 麻生 宗由(あそう もとよし、1932年(昭和7年)4月6日 - 2001年(平成13年)5月3日)は日本のフランス文学者。元・法政大学教授。 1932年(昭和7年)4月6日、東京に生まれる。中央大学文学部フランス文学科を卒業し、同大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大南 正瑛(おおなみ まさてる、1931年4月6日 - 20… 大南 正瑛(おおなみ まさてる、1931年4月6日 - 2023年5月20日)は、日本の工学者。勲等は瑞宝重光章。学位は工学博士(京都大学・1960年)。立命館大学名誉教授・京都橘女子大学名誉教授。材料力学専攻。 京都府生まれ。学校法人立命館総長、立命館大学学長、京都橘女子大学(現:京都橘大学)学長を歴任した。 また、社団法人日本私立大学連盟常務理事、文部科学省大学設置・学校法人審議会常任委員、大学入試センター運営委員、財団法人大学コンソーシアム京都副理事長、文部科学省大学設置分科会運営委員、同省中央教育審議会専門委員、同省大学評価・学位授与機構評議員を歴任した。
桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみ… 桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日 - 2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優。 東京市四谷区(現・新宿区)に、家具屋の一人娘として生れる。四谷第三国民学校出身。1946年、東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)[要出典]に在学中、母親の急逝に伴い中退して、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する(卒業と同時に入団とも)。初舞台は同年11月浅草松竹座公演の「秋の踊り」。同期に千草かほる、小柳久子(小柳ひさ子)などがいる。 1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中、『女』のロケで国際劇場を訪れた木下惠介監督の目に留まり、その次作となる『肖像』で映画デビューする。
室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 201… 室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 2019年3月23日)は、日本の中距離走選手。石川県羽咋郡中甘田村(現・志賀町)出身。 塩田を営む室矢家の7人兄弟の次男として出生する。幼少より塩田の仕事の手伝いや船の櫓漕ぎ、素潜りでの貝採りなどで足腰を鍛えた。時代が軍国主義に向かう中で室矢も旧制中学校の半ばで志願兵となった。実際に戦地へ送られることなく終戦を迎え、新制石川県立羽咋高等学校の1回生として復学した。羽咋高では1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した広橋百合子より陸上競技の指導を受けた。元々走ることに自信を持っていた室矢は旧制中学最後の大会となる1947年(昭和22年)の全国中学陸上に800mで出場、2位に入賞した。
栗田 幸雄(くりた ゆきお、1930年4月6日 - 2024… 栗田 幸雄(くりた ゆきお、1930年4月6日 - 2024年5月17日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。福井県知事(公選第11・12・13・14代)。福井県鯖江市出身。 福井県工業技術センター(工業試験場)の整備や、福井県立大学の創設(1992年)、福井県産業振興施設(1995年)、福井県立音楽堂(1997年)、福井県児童科学館(1999年)、福井県立恐竜博物館(2000年)の建設など、産業や芸術文化、学術・教育分野等において大型公共施設の整備・拡充に積極的であった。 交通政策では、福井空港拡張整備計画、舞鶴若狭自動車道舞鶴東IC―小浜西IC間の延伸開通(2003年)や中部縦貫自動車道基本計画の促進による高速道路網整備、北陸新幹線や琵琶湖若狭湾快速鉄道の新線建設計画促進、JR小浜線電化(2003年)による高速鉄道網整備、敦賀港の港湾整備などを推し進めた。
大塚 雄司(おおつか ゆうじ、1929年4月6日 - 201… 大塚 雄司(おおつか ゆうじ、1929年4月6日 - 2010年1月10日)は、日本の政治家。建設大臣(第56代)、衆議院議員(6期)。 東京府赤坂区生まれ。港区立青南小学校、東京府立第一中学校、1954年慶應義塾大学経済学部卒業。 1969年、東京都議会議員選挙に出馬し、初当選。1973年に2期目の当選を果たしたが、任期途中の1976年に辞職。同年の第34回衆議院議員総選挙に旧東京都第1区から自由民主党公認で出馬し、当選。 なお旧東京1区は定数が3議席になった第31回衆議院議員総選挙以降3度、自民が1、非自民(革新系)が2議席を獲得する構図が続いていたが、大塚が初めて衆院議員に当選したこの選挙では、保守系無所属の麻生良方、自民党新人の与謝野馨、大塚の保守系候補が3議席を独占し、日本社会党所属の前職加藤清政が落選の憂き目を見た。
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 20… 鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。 山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。
井上 次郎(いのうえ じろう、1928年4月6日 - 196… 井上 次郎(いのうえ じろう、1928年4月6日 - 1969年4月29日)は、昭和時代中期日本の実業家。現在のイオングループの源流となった企業の1社・シロの創業者。大阪府出身。 1928年(昭和3年)4月6日、大阪府豊能郡庄内村(現在の豊中市庄内)で飯田家に生まれる。関西大学経済学部を卒業後、井上米子との結婚に伴い入婿し井上姓となった。 1955年(昭和30年)、実兄の義雄と共同で衣類の生地小売、染色、機械販売およびアパートの賃貸を業務とする飯田株式会社を創業し、同年12月15日より米子と夫婦でアパートの1階を改装した店舗で婦人服の仕立業を始めた。1961年(昭和36年)6月、アパートを鉄筋コンクリート4階建て構造に建て替え「シロ」の1号店とする。
境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日 - 1… 境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日 - 1991年9月9日)は、日本の漫画家である。日本漫画家協会会員。 東京市本郷区(現在の東京都文京区)本郷生まれ。駒込学園高等学校を経て、1950年、拓殖大学政経科卒業。 在学中から近藤日出造に師事して大人漫画家となり、1950年に漫画集団の同人となる。昭和30年代から40年代にかけて、独特のデフォルメのキャラクターを描いて一世を風靡。 「若手落語会」「東横落語会」などを主宰した湯浅喜久治と知人だったことから、若手落語家たちと友達同様に交流することになる。談志・円楽・志ん朝らとは若手時代からつきあいで、1969年からの柳朝・志ん朝の「二朝会」はプロデューサー的に関わった。
増岡 重昂(ますおか しげたか、1927年4月6日 - 19… 増岡 重昂(ますおか しげたか、1927年4月6日 - 1998年2月27日)は、日本の実業家。 広島県呉市に増岡登作・ツマ夫妻の三男として生まれた。1951年早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業、父が創立した増岡組に入社した。同年中国砂利(中国物産の前身)及び鉄鋼ビルディング両社の取締役に就任。翌1952年には増岡組東京支店次長、アシエ及び東京通信倉庫両社の取締役に就任した。その後1953年に増岡組取締役に、翌1954年には増岡組常務に就任し、さらに1957年東京青年会議所理事に就任した。1958年には福岡製紙(1983年本州製紙に吸収合併された)社長に就任した。1960年には福岡製紙社長を退任したが、平の取締役として福岡製紙には残った。
豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年… 豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年4月6日 - 2013年1月10日)は、日本の編集者、著作権研究者。 1925年生まれ。旧制獨協中学校、旧制第二高等学校を経て、陸軍予備士官学校で終戦を迎える。1943年(昭和18年)早稲田大学に入学。1946年(昭和21年)、師である言語学者・金田一京助の移動に伴い、國學院大學に転入。1949年(昭和24年)卒業。同年、小学館に入社。『小学一年生』から始まり、二年から六年まで学習雑誌の編集部に在籍、51年『小学六年生』編集長、1959年に日本初の週刊少年誌となる『週刊少年サンデー』を創刊、初代編集長に就任する。63年『女性セブン』初代編集長。
中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年… 中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年1月8日)は日本の杜氏、画家、陶芸家[要出典]。岩手県出身の南部杜氏である。 1925年(大正14年)4月6日、岩手県更木村(現在の北上市更木)の農家に生まれた。 1942年(昭和17年)11月5日、17歳のときから宮城県米谷町(現在の登米市)の酒蔵、佐藤酒造店で働き始めた。1943年(昭和18年)3月20日から徴用されて横浜の高射砲を製作する工場で働き、1944年(昭和19年)4月に徴兵検査を受けて甲種合格。終戦後は岩手に戻った後、宮城県石巻市の平孝酒造で平野佐五郎のもと働いた。1948年(昭和23年)から岩手県の喜久盛酒造で働いた後、1954年(昭和29年)11月から宮城県塩竈市の浦霞に移っていた平野佐五郎に再び入門した。
三田 勝茂(みた かつしげ、1924年(大正13年)4月6日… 三田 勝茂(みた かつしげ、1924年(大正13年)4月6日 - 2007年(平成19年)7月28日)は、日本の実業家、元日立製作所社長・会長。元経済団体連合会副会長。東京都出身。
飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000… 飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000年6月19日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、投手)・コーチ・監督、解説者。 シーズン154試合出場は杉山光平と 佐々木信也と共に日本タイ記録。パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)も受賞している。 温厚な性格で「仏の徳さん」と呼ばれ親しまれた。 浅野綜合中学校では1939年の第16回選抜中等学校野球大会に出場し、2回戦(初戦)で北神商業中学校に敗退する。卒業後は東京鉄道管理局に就職して野球部に入部し、エースで4番打者だったが社会人では一塁手へ転向し、同じく4番打者として活躍した。1942年の第16回都市対抗野球大会では2回戦で全京城に敗退するが、打率.556を記録して打撃賞を獲得した。
渡辺 六郎(わたなべ ろくろう、1924年4月6日 - 20… 渡辺 六郎(わたなべ ろくろう、1924年4月6日 - 2015年10月14日)は、日本の経営者。タカラスタンダード社長、会長を務めた。 東京都出身。1950年に慶應義塾大学文学部を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1964年に日本エナメル(のちのタカラスタンダード)に転じ、取締役に就任し、1967年に常務、1971年に専務を経て、1983年に社長に就任。1998年に会長に就任。 2015年10月14日心不全のために死去。91歳没。
武田 郁夫(たけだ いくお、1923年4月6日 - 2012… 武田 郁夫(たけだ いくお、1923年4月6日 - 2012年7月4日)は、日本の製造技術者、実業家。タケダ理研工業(現在のアドバンテスト)創業者。 愛知県出身。1943年4月に日本大学旧工学部電気科に入学した。1944年に学徒動員により逓信省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の神代分室に勤務した。 1945年日本大学電気工学科卒。戦後の1945年11月に電気試験所に正式に採用された。 1950年11月にレッドパージにより電気試験所を退職し、千野製作所(現在のチノー)を退職した3人の技術者とともに八島製作所を創業した。 その後、1954年6月に愛知県豊橋市でタケダ理研工業株式会社を設立した。
田村 善藏(たむら ぜんぞう、1922年(大正11年)4月6… 田村 善藏(たむら ぜんぞう、1922年(大正11年)4月6日 - 2008年(平成20年)6月8日)は、日本の薬学者、分析化学者。薬学博士、東京大学名誉教授。薬理学者の田村憲造は父、農芸化学者の田村学造は弟である。 1922年(大正11年)4月6日、東京帝国大学医科大学助教授(当時)の田村憲造の長男として生まれる。東京高等師範学校附属中学校から、旧制第一高等学校へ進み、東京帝国大学医科大学薬学科へ入学する。薬学科へ進んだのは、父・憲造の共同研究者であった石館守三が新設された薬品分析化学講座の教授をしており、憲造からの勧めがあったからだという。1945年(昭和20年)4月、決戦教育措置要綱により授業停止となり、賀茂海軍衛生学校へ学徒勤労動員となった。
守本 順一郎(もりもと じゅんいちろう、1922年4月6日 … 守本 順一郎(もりもと じゅんいちろう、1922年4月6日 - 1977年10月1日)は、社会思想史学者。 東京生まれ。1950年東京大学経済学部卒業。55年名古屋大学法学部講師。助教授、62年教授、「中国封建思想成立史論」で名大法学博士。東洋政治思想史担当。55歳で死去。門下生に今中比呂志、舟橋喜恵、岩間一雄、雀部幸隆、巣山靖司ら。
服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年 <大正8年>… 服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年 <大正8年> 4月6日 - 1987年 <昭和62年> 9月1日)は、日本の経営者。服部時計店(現・セイコーグループ)の第4代社長・会長を務めた。位階は正四位。 東京都出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学予科を経て、1940年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 終戦後の1946年4月、京都帝国大学文学部に入学。1949年に京都大学文学部国史学科卒業。卒業後、日本中世史の研究を継続するために京大3年次から東京に戻り、通い続けてきた東大史料編纂所への入所を希望したが、採用者がなく、紆余曲折の末に1950年、母校の慶大経済学部副手に採用。1951年、同経済学部助教授に昇格するも、翌1952年度限りで辞職した。
高木 文雄(たかぎ ふみお、1919年(大正8年)4月6日 … 高木 文雄(たかぎ ふみお、1919年(大正8年)4月6日 - 2006年(平成18年)2月14日)は日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、弁護士、日本国有鉄道(国鉄、現JR)総裁等を歴任した。位階勲等は従三位勲一等。 大阪国税局長在任中の1968年1月31日、部落解放同盟中央本部と7項目の密約を結ぶ。大阪府同和建設協会(同建協)加盟業者など同和地区出身業者が提出する税務申告書は無審査で通すという内容であり、これ以降、部落解放同盟傘下企業は国税庁黙認のもとに脱税する特権を得たとされる。いわゆる同和利権問題の起源の一つである。 官僚時代は、官界の頂点とされる大蔵事務次官をつとめたが、人事慣行では主計局長から昇格するところを、高木は主税局長から昇格している。
中田 易直(なかだ やすなお、1919年4月6日 - 201… 中田 易直(なかだ やすなお、1919年4月6日 - 2015年1月21日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「近世対外関係史の研究」)。中央大学名誉教授。日本近世史専攻。特に近世経済史・近世対外関係史を専門とする。米国初期日本占領政策の研究も行った。 秋田県仙北郡角館町(現仙北市)生まれ。本籍は大館町(現大館市)。1943年東京帝国大学文学部国史学科を卒業。中村孝也、辻善之助、坂本太郎に師事する。中村孝也『徳川家康文書の研究』編纂に尽力した。1985年「近世対外関係史の研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得。 1945年文部省国史編修院編修官補となり、その後、文部省科学局科学官補として文部省史料館の設立の事務に携わる。
貫 達人(ぬき たつと、1917年4月6日 - 2009年1… 貫 達人(ぬき たつと、1917年4月6日 - 2009年11月17日)は、日本の歴史学者。青山学院大学文学部名誉教授。 1917年、東京小石川区(現・東京都文京区)で中国哲学者・宇野哲人の三男として生まれた。その後、貫正雄の養子となった。東京帝国大学文学部国史学科で学び、1941年に卒業。 東京大学史料編纂所所員として勤務。鎌倉市史編纂員を務めた後、東洋大学助教授に就いた。その後、文部省教科書調査官、神奈川県立博物館(現・神奈川県立歴史博物館)学芸部長。1968年に青山学院大学文学部教授となり、1976年からは文学部長を務めた。1982年より副学長。1987年に青山学院大学を定年退職し、名誉教授となった。
福田 定良(ふくだ さだよし、1917年(大正6年)4月6日… 福田 定良(ふくだ さだよし、1917年(大正6年)4月6日-2002年(平成14年)12月11日)は、日本の哲学者。元法政大学教授。本名は瀬川行有(せがわゆきあり)。 1917年(大正6年)4月6日、東京に生まれる。1940年(昭和15年)に法政大学法文学部哲学科を卒業する。 戦時中は徴用労働者として南方戦線(ハルマヘラ島)に投入され、その体験記『めもらびりあ―戦争と哲学と私』を1948年(昭和23年)に発表する。 1948年(昭和23年)、法政大学教授に就任する。 1959年、加太こうじ、柳田邦夫、タカクラ・テル、佐藤忠男らと「大衆芸術研究会」を創設。 1970年(昭和45年)に学園闘争で法政大学を辞職、その後、だれもができる哲学を主張し、生活者の感覚に根ざした哲学を追求した。
岩井 一成(いわい いっせい、1916年4月6日 - 199… 岩井 一成(いわい いっせい、1916年4月6日 - 1996年1月22日)は、日本の薬学者、薬化学者。父は医学者の岩井誠四郎。 東京出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学医学部薬学科を卒業後、同年4月東京帝国大学医学部に奉職、その後4年間にわたる海軍短期現役勤務を経た後、1946年(昭和21年)1月同大学医学部薬化学教室副手に復職、落合英二教授のもとで戦後の薬化学教室の再興に当り、同教室の中心テーマであったヘテロ環化学の発展に貢献した。 1951年(昭和26年)から5年間助教授として九州大学薬学科の建設に参画、津田恭介教授を助けて薬化学教室の基礎を築いた。 1956年(昭和31年)に退職して、三共に入社。
綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不… 綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(内野手)。 川越中学出身。1931年に第8回選抜野球大会へ3番ファーストとして出場したがチームは初戦で杉浦清、野口明らがいた中京商業に0-11で敗れた。卒業後に立教大学へ進学し、景浦將と共にクリーンナップを打つなど活躍した。 1936年に大学を中退して東京セネタースへ入団。1938年に応召。 戦後はノンプロの豊岡物産で監督兼選手として都市対抗野球大会に出場し、日本球界初の天覧試合にも出場している。 1950年から1953年まで、富士製鐵室蘭の監督を務めた。
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 19… 亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)初代会長。 代表作にフジテレビジョンの旧シンボルマーク(8マーク)や日本電信電話(NTT)のマーク(ダイナミックループ)、TDKおよびニコンFのロゴマーク、1964年東京オリンピックのポスター、サンケイアトムズ、ヤクルトスワローズのユニフォームがある。 没後、亀倉雄策の遺族の寄付により、亀倉の業績を讃えるとともにグラフィックデザインのさらなる発展をめざして亀倉雄策賞が設けられている。
黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 -… 黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 - 2003年11月6日)は、日本の医学者、精神科医。神戸大学名誉教授。 鹿児島県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1935年第七高等学校造士館 (旧制)卒業。京都帝国大学医学部卒。1948年医学博士。大阪市立大学医学部助教授、神戸医科大学助教授、1959年同教授、1966年神戸大学教授、1980年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、1986年退任。精神神経科学。 1988年、勲三等旭日中綬章を受章。2003年11月6日、肺炎のため死去。
杉本 盛(すぎもと のぼる、1914年(大正3年)4月6日 … 杉本 盛(すぎもと のぼる、1914年(大正3年)4月6日 - 生没不明)は、昭和時代の競泳選手。 高知県に生まれる。日本大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場し5位に入賞した。
平野 仁啓(ひらの きみひろ/じんけい、1914年4月6日 … 平野 仁啓(ひらの きみひろ/じんけい、1914年4月6日 - 1996年11月25日)は、日本の文芸評論家。 広島県生まれ。本名・保。明治大学文学部卒、明大教授、1985年定年退職、名誉教授。20代には、同人文芸誌「批評」にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6… 中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6日 - 1987年(昭和62年)4月15日)は、昭和時代の空手家。山口県出身。日本空手協会設立者、初代首席師範。松濤館流空手道の中興の祖。日本空手協会主席師範で九段。死後、十段を授与された。 1913年4月13日、 山口県で生まれたが 、先祖は信濃国(現在の長野県)出身で剣術師・ 真田家の家臣で、後の信州松代藩で先祖代々剣術指南を務めていた家柄である。 曾祖父の中山兵右衛門は神道無念流の剣術家としてしられ、中山の祖父は東京で外科医を開業し家族の中で最後に剣術を教えていた。 中山の父親は軍医で柔道家の中山直道。父親は台北に配属されたので形成期の時期はそこで過ごした。
伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010… 伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010年12月3日)は、日本の鉱山学者(工学博士)。 1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部鉱山及冶金学科を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に就職。 1941年(昭和16年)に東京帝国大学助教授となり、1954年(昭和29年)には東京大学教授に昇任。 1974年(昭和49年)4月に定年退官、東京大学名誉教授の称号を授与された。 石炭鉱山における安全工学が専門分野。中でも坑内温度・坑内粉塵制御用の通気管理技術の研究に携わった。 昭和30年以降の石炭産業関連の重大災害時には、政府の依頼で災害調査団長としての任務を数々遂行した。 なお、功績を称えて、「伊木賞」(功績賞と奨励賞)という賞が設立(平成9年3月14日)されている。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
塩出 英雄(しおで ひでお、1912年4月6日 - 2001… 塩出 英雄(しおで ひでお、1912年4月6日 - 2001年3月20日)は昭和-平成時代の日本画家。 明治45年(1912年)4月6日、広島県福山市生まれ。17歳の時美術に志を立て、1931(昭和6)年上京し姻戚関係にあった尾道出身の片山牧羊に日本画の手ほどきを受ける。同年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)日本画科に入学。主に山口蓬春の指導を受けるかたわら、学科では同校の教頭金原省吾から東洋美学や東洋美術史、国文や漢文まで広く学び、その後金原が没する58年まで薫陶を受けることになる。また学外でも高楠順次郎に仏教学を学び、高楠が没する45年まで師事する。36年に美術学校を卒業するが、この間35年より奥村土牛に師事し、昭和12年(1937年)より院展で活躍。
福島 玄一(ふくしま げんいち、1911年4月6日 - 19… 福島 玄一(ふくしま げんいち、1911年4月6日 - 1994年)は、宮城県出身の歯科医師、サッカー選手、サッカー審判員。 東京府立第五中学校(現:東京都立小石川中等教育学校)でサッカーを始め、日本歯科医学専門学校(現:日本歯科大学)でもサッカー部に入部。1933年に大学を卒業し以降も第一生命保険などでプレーした。 1936年の全日本蹴球選手権大會(第16回天皇杯全日本サッカー選手権大会)で線審を務め以降、日本サッカー協会の審判員として活動を続けた。1958年からは国際審判員としてAFCユース選手権や1964年の東京オリンピックで主審を務めた。1969年には国際Aマッチ10試合以上の条件をクリアし、国際サッカー連盟(FIFA)から日本人初の審判特別功労賞(FIFA Referees’Special Award)を受賞した。
中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 199… 中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 1990年7月25日)は、日本の歴史学者。 京都市出身。1934年京都帝国大学文学部史学科卒。第三高等学校 (旧制)教授、名古屋大学文学部教授、大阪市立大学教授を務め、1974年定年退官、椙山女学園大学教授、愛知学院大学教授を務めた。歴史記述の方法論、西洋近代史を専門とした。
岡田 広(岡田 廣、おかだ ひろし、1910年(明治43年)… 岡田 広(岡田 廣、おかだ ひろし、1910年(明治43年)4月6日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。軍恩連盟全国連合会理事長。 現在の栃木県矢板市出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部教育学科を卒後、石黒奨学資金研究員。翌年陸軍に召集され、宇都宮輜重兵第14連隊に入営し、1938年(昭和13年)より日中戦争に出征。1940年(昭和15年)、招集解除となり、石黒忠篤農林大臣秘書官。 1941年(昭和16年)に再招集され、同年7月より関特演により宇都宮にて新規編成された独立自動車第38大隊の第4中隊長に任ぜられる。8月の編成完結をもって満州牡丹江、台湾基隆を経て太平洋戦争後は南方戦線に投入され、フィリピン攻略戦に参加、翌年ニューブリテン島ラバウルに派遣され、1943年(昭和18年)8月19日、中隊将兵180名とともにニューアイルランド島ラトブに分遣。