青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9… 青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は東。 和歌山県伊都郡高野口町(現橋本市)出身。九度山町立九度山小学校卒業。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場したが予選落ちに終わった。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し優勝した。 高校卒業後は、帝塚山学院短期大学を経て三冷社に入社。1958年アジア競技大会では主将として出場し、女子100m平泳ぎで準優勝した。
友川 賢次(ともかわ けんじ、1935年12月9日 - )は… 友川 賢次(ともかわ けんじ、1935年12月9日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 宮崎大宮高校から1953年に洋松ロビンスへ入団。1955年は開幕直後から一軍に上がるが、40打席無安打と不振を極める。しかし8月16日に中日の杉下茂から初安打。その後は主に中堅手として起用され、同年は49試合に先発出場。その後も準レギュラーとして活躍するが、1958年オフに国鉄スワローズへ移籍。1959年限りで引退した。
小澤 三敏(おざわ みとし、1935年12月9日 - )は、… 小澤 三敏(おざわ みとし、1935年12月9日 - )は、日本の経営者。住友重機械工業社長を務めた。京都府京都市出身。 1958年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に住友重機械工業に入社。1986年6月に取締役を就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年4月に社長に就任。1999年4月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。
ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 繁子(もり しげこ)、旧… ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 繁子(もり しげこ)、旧姓:小鷹狩(こたかり)、1933年12月9日 - 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。社団法人日本歌手協会7代目会長(後に名誉会長)。 東京都新宿区出身。青山学院女子高等部(現:青山学院高等部)卒業。1952年にキングレコードよりレコードデビュー。
吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 20… 吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 2018年2月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。東京国税局長を経て、トマト銀行社長、会長を務めた。 鳥取県八頭郡用瀬町出身。旧制鳥取県立鳥取第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)、鳥取県立八頭高等学校を経て、一橋大学経済学部を卒業し、1957年大蔵省(現:財務省)に入省(大臣官房文書課)。 1959年6月近畿財務局理財部。1960年6月東京国税局調査査察部。1961年6月銀行局金融制度調査官付。1964年7月広島国税局米子税務署長。1966年6月関東信越国税局総務部総務課長。1972年5月外務省在香港日本国総領事館領事。1979年6月東京国税局総務部長。
盛 貢(もり みつぐ、1932年(昭和7年)12月9日 - … 盛 貢(もり みつぐ、1932年(昭和7年)12月9日 - 2026年(令和8年)2月20日)は、日本の政治家。元青森県西津軽郡木造町長(5期)。 青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身。青森県立木造高等学校卒。柴田村(のち木造町、現・つがる市)農業協同組合専務理事、木造町議会議員、同町農業協同組合組合長理事を経て、1983年(昭和58年)木造町長に就任。5期務める。2003年(平成5年)に退任。同年、岩木川左岸地区土地改良事業促進協議会会長となる。このほか、木造町出身の横綱旭富士の後援会長を務めた。 2004年4月の春の叙勲で旭日小綬章を受章する。 2026年2月20日、老衰のためつがる市内の福祉施設で死去した。
髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2… 髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2006年12月19日)はフランス文学者、翻訳家。東京都出身。
菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の… 菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の農学者、東北大学名誉教授。農学博士。専門は作物生理学。 山形県鶴岡市生まれ。1955年東北大学農学部卒業。農林省中国農業試験所勤務、1962年農林省農業技術研究所、1966年「大麦の出穂性に関する育種学的研究」で東北大学農学博士。1978年東北大学農学部助教授、82年教授。87年農学研究所長、89年遺伝生態研究センター長。96年定年退官、名誉教授。1983年日本作物学会賞受賞。
岩下 守道(いわした もりみち、1931年12月9日 - 2… 岩下 守道(いわした もりみち、1931年12月9日 - 2015年1月18日)は、長野県北佐久郡北御牧村(現役当時、現・同県東御市)出身の読売ジャイアンツや国鉄スワローズなどに在籍したプロ野球選手。 小県農業高校では投手で、球速は速かったが制球に難があり、それを補うためにコーチをする者もいない中でカーブの投げ方を自分で考案したという。1949年夏に読売ジャイアンツ(巨人)が初めて選手公募を行った際、卓球部主将の尾崎直司(のち八千代市議会議員)が岩下に内緒で申し込んだのがきっかけで入団テストを受け、応募者1,300名の中で総合得点ではトップ合格。支度金10万円、給料15,000円の条件で入団した。
日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9… 日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9日 - )は、日本の評論家、作家。日本財団特別顧問。多摩大学名誉教授。三谷産業株式会社監査役。 兵庫県生まれ。日本長期信用銀行取締役、ソフト化経済センター理事長、東京財団会長、社会貢献支援財団会長 などを歴任。原子力安全システム研究所最高顧問会議・顧問。2001年に共同で立ち上げた市民満足学会の会長。多摩大学名誉教授。著書『新・文化産業論』でサントリー学芸賞1979年度社会・風俗部門受賞。 アメリカや中国に否定的であり、日本の国益を潰そうとする国の第一に挙げている。[要出典]また、自著で「日本は核武装をすべきだ(原子爆弾を持て)」と主張している。
青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 198… 青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 1989年4月26日)は、日本の議員秘書。竹下登の秘書として知られている。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。島根県立大社高等学校、明治大学工学部卒業。大学卒業後、ベアリングメーカーに就職したが1953年に島根選出の高橋円三郎衆議院議員の秘書となって政界に職を得る。1956年に高橋が死亡したためやはり島根選出の小瀧彬の秘書となる。1958年に小瀧が死去すると、ほぼ同時期に高橋の地盤を継いで衆議院議員となった竹下登の秘書となる。以降、竹下が首相の座に上り詰めるまで、30年間にわたり秘書を勤める。 初当選当時の竹下は、県議時代から議員報酬の大半を政治活動に充てるなど、家計が自転車操業状態にあった。
杉山 真治郎(すぎやま しんじろう、1930年12月9日 -… 杉山 真治郎(すぎやま しんじろう、1930年12月9日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは内野手(二塁手、三塁手、遊撃手)。
村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )… 村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )は、日本の古典中国文学者、早稲田大学名誉教授。日本詩経学会会長・日本中国学会顧問・斯文会参与。専門は中国古典学(特に詩経学)漢文学、江戸・明治漢学。
棚橋 昭夫(たなはし あきお、1929年(昭和4年)12月9… 棚橋 昭夫(たなはし あきお、1929年(昭和4年)12月9日 - 2019年)は、元日本放送協会職員。演芸評論家。愛称は「タナヤン」。 大阪府大阪市天満生。実家は天満市場鮮魚仲介業、大阪外国語大学卒業(おもに中国語を学ぶ)。1952年、NHK松山放送局入局。1956年にNHK大阪放送局に移り、ラジオ文芸課のスタッフとなり、「上方演芸会」、「お父さんはお人好し」などのお笑い番組の演出や「横堀川」、「流れ雲」などテレビドラマをプロデュースする。 1976年にNHK放送センター(東京都)に移り、引き続きドラマ、演劇などを手掛けた後1980年に大阪局に戻る。その後定年退職し、NHKサービスセンター大阪支局長を経て、フリーの演芸評論家となる。
竹内 郁郎(たけうち いくお、1929年12月9日 - )は… 竹内 郁郎(たけうち いくお、1929年12月9日 - )は、日本の社会学者、東京大学名誉教授。 東京市(現東京都北区)出身。1955年東京大学文学部社会学科卒、同大学院修士課程修了、東京大学新聞研究所助教授、1976年教授、84年所長、1990年定年退官、名誉教授、静岡県立大学教授、1993年東洋大学教授、2000年退職。
田原 源一郎(たはら げんいちろう、1929年12月9日 -… 田原 源一郎(たはら げんいちろう、1929年12月9日 - 2007年1月4日)は、日本の実業家、馬主、元カーレーサー。 東京都台東区元浅草にある広告物製作業を手がける株式会社田原屋の代表取締役を務めた。 1929年、東京都出身。早稲田大学を卒業後株式会社田原屋を設立した。全日本旗業連合会会長、東京旗商業協同組合理事長を歴任。2007年1月4日、肺炎のため死去。77歳没。 かつてはカーレーサーとして活躍。1963年の第1回日本グランプリでは国内スポーツカーB-IIクラス(1300cc - 2500cc)にダットサン・フェアレディ1500で出場し、優勝する。SCCN(ニッサンスポーツカークラブ)の初代会長であり、1965年以降は日本自動車連盟 (JAF) 内の各委員会の委員、委員長を務めた。
風間 喜代三(かざま きよぞう、1928年12月9日 - )… 風間 喜代三(かざま きよぞう、1928年12月9日 - )は、日本の言語学者、東京大学名誉教授。 1926年、東京生まれ。1952年東京大学文学部言語学科卒業、高津春繁の指導を受け、比較文法学を研究。ウィーン大学留学。 帰国した後、名古屋大学助教授、東京大学文学部助教授を経て教授。1978年10月には「印欧語の親族名称の研究」を東大に提出して文学博士号を取得。1989年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も法政大学第一教養部教授を1999年まで務めた。 日本における比較言語学の第一人者のひとりとして印欧語の語源研究などにも携わっている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
川村 茂邦(かわむら しげくに、1928年12月9日 - 1… 川村 茂邦(かわむら しげくに、1928年12月9日 - 1999年4月1日)は、日本の経営者。大日本インキ化学工業社長を務めた。 関東州大連市出身。1953年に東京大学法学部政治学科を卒業。日本長期信用銀行での勤務を経て、1959年に大日本インキ化学工業に転じ、1966年5月に取締役に就任し、1972年12月に常務、1974年11月に専務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1978年6月には社長に昇格。1994年3月に特別顧問に就任。 1999年4月1日呼吸不全のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中沢 昭二(なかざわ しょうじ、1927年 (昭和2年) 1… 中沢 昭二(なかざわ しょうじ、1927年 (昭和2年) 12月9日 - )は、日本の脚本家、放送作家。 高知県出身。海南中学校(現・高知小津高等学校)卒業。日本放送作家協会会員。
水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年… 水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年5月)は、日本のジャーナリスト、医事評論家。大阪府出身。 父は作曲家・声楽家で元岡山大学教育学部長の水野康孝。1948年大阪外国語大学ロシア語学科卒業後、山陽新聞入社。社会部デスク時代に企画連載「ガンを追って」で日本新聞協会賞を受賞。その後独立して医事問題の評論家となり、老人保健福祉審議会、医道審議会等の委員を歴任。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
戸口 幸策(とぐち こうさく、1927年12月9日 - 20… 戸口 幸策(とぐち こうさく、1927年12月9日 - 2016年9月17日)は、日本の音楽学者、成城大学名誉教授。専門はイタリア音楽史。別名、あずさ・まゆみ。 和歌山県生まれ。1953年東京大学経済学部卒。イタリアで音楽学を学び、1964年成城大学助教授、教授、1998年定年退任、名誉教授。 和歌山県文化賞受賞。1979年イタリア政府よりカヴァリエーレ(ナイト)勲章授与。1996年『オペラの誕生』で京都音楽賞受賞。
宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉1… 宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉12月9日 - 2003年〈平成15年〉2月26日)は、日本の編集者、紀行作家。元中央公論社常務取締役。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。 父は陸軍大佐で後に衆議院議員となった宮脇長吉。娘に作家の宮脇灯子。 編集者として日本出版史に残る企画に数多く携わり、名編集者と謳われる。作家北杜夫を世に出したのも功績の一つである。紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。また熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語などを殊更に羅列したり、評論家ぶったりするなどの、ごく一部の趣味者に見られる嫌味さが作品内にはほとんどなく、飄々とした文体が多くの人々に受け入れられ、鉄道ファンにとどまらない多くの愛読者を惹きつける。
土居 通芳(どい みちよし、1926年12月9日 - 197… 土居 通芳(どい みちよし、1926年12月9日 - 1975年3月16日)は、日本の映画監督、脚本家である。脚本執筆時のペンネームは北 一郎(きた いちろう)。シャンソン歌手の石井好子は義姉(土居の兄の妻)。仲間内からはツーホーさんの愛称で親しまれた。 1926年(大正15年)12月9日、東京に生まれる。 1948年(昭和23年)、上智大学経済学部を卒業後、新東宝に入社、助監督となる。おもに阿部豊、渡辺邦男に師事し、1954年(昭和29年)チーフ助監督となるかたわら、脚本も執筆する。 1958年(昭和33年)、監督に昇進、高倉みゆき主演の『不如帰』で映画監督としてデビューする。土居は大蔵貢社長の大のお気に入り監督で、デビュー作でいきなりカラー・シネスコ大作の担当となった。
佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日… 佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日 - 1964年〈昭和39年〉8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。身長173.2cm(172cmとも)。本名は中井 寛一(なかい かんいち)。監督や共演者からは、本名から「寛ちゃん」と呼ばれた。 女優・エッセイストの中井貴惠と、俳優の中井貴一は実子である。 京都市下京区柳馬場仏光寺南の商家で父・敬蔵、母・イトコの二男として生まれ、両親と5歳上の兄と2歳上の姉のもとで育つ。聚楽小学校から京都市立第二商業学校(後の北野中学)を卒業し早稲田大学専門部政経科(のちの政治経済学部)に入学。中学3年生の頃に母、大学入学時に父を亡くすが、兄と姉が親代わりとなり佐田の生活を支えた。
永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は… 永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は、日本の美術史家、美術評論家。女子美術大学名誉教授。 神戸市生まれ。本籍は群馬県。京城帝国大学予科在学中に敗戦を迎え、引揚後、旧制松本高等学校理科甲類に編入。1948年東北帝国大学文学部東洋芸術史学科卒業後、東北帝国大学助手、1949年女子美術大学芸術学部講師、助教授、教授を歴任。1989年から1991年まで女子美術大学付属高等学校・中学校長(第十代)。1991年に女子美術大学を定年退職し、名誉教授の称号を得る。同年、沖縄県立芸術大学教授に就任し、1999年に沖縄県立芸術大学を退職。
宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月… 宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月9日-2014年12月5日)は、日本の小説家。北九州市森鷗外記念館理事。 福岡県小倉市(現北九州市小倉南区)生まれ。小倉高等女学校(現福岡県立小倉西高等学校)卒業。大学職員、市役所職員などとして働く傍ら、「製鉄文化」「九州作家」などの同人誌にて活動。 1979年「冬の蛾」で第10回九州芸術祭文学賞地区優秀作。1985年「いちじく」で第9回神戸女流文学賞受賞。1986年「今様ごよみ」で第10回歴史文学賞受賞。1994年北九州市民文化賞受賞。
中本 冨夫(なかもと とみお、1922年12月9日 - 20… 中本 冨夫(なかもと とみお、1922年12月9日 - 2019年7月20日)は、日本の政治家。旧山口県大島郡橘町議(7期)、橘町議会副議長、第17・20代橘町議会議長、橘町長(4期)、大島郡周防大島町長(1期)を歴任した。 1922年12月9日、現在の山口県大島郡周防大島町に生まれる。1940年、山口県立安下庄中学校(現山口県立周防大島高等学校)卒業。1944年、麻布獣医専門学校(現麻布大学)卒業。農林省畜産試験場に勤務した後、地元で獣医師をする。1963年10月、橘町議会議員に初当選する。その後、副議長、第17代橘町議会議長(1976年12月13日から1979年10月9日)、第20代橘町議会議長(1987年10月12日から1989年10月9日)を歴任した。
島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 -… 島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 - 2013年3月31日)は、日本のロシア語翻訳家、ノンフィクション作家、歌人。 東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨出身。父は慶應予科教授の島原逸三。1939年普連土女学校卒。1941年玉成保母養成所卒、森村幼稚園に勤務。1944年慶應義塾大学工業図書館勤務。1945年から1946年に母と父が死去。1961年慶應義塾大学附属外国語学校ロシア語科卒。1965年同校講師、1966年日ソ学院講師、東京ロシア語学院講師。 1946年から同人誌「創作」(若山牧水創刊)会員。 島原の遺稿をまとめた芹生一(本名・島原健三〈1928年 - 〉、成蹊大学名誉教授、工業化学)は弟。
古谷 弘(ふるや ひろし、1920年12月9日 - 1957… 古谷 弘(ふるや ひろし、1920年12月9日 - 1957年8月23日)は、日本の経済学者。元・東京大学教授。専門は線型分析。静岡県御殿場生まれ。
永利 勇吉(ながとし ゆうきち、1920年12月9日 - 1… 永利 勇吉(ながとし ゆうきち、1920年12月9日 - 1962年6月27日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手・捕手)、野球解説者。 嘉穂中学から立教大学へ進み、野球部へ入部。当初は外野手だったが、捕手難だったため、1942年の春季リーグ前に捕手へコンバートされた。同年の春季リーグでは打率.500で首位打者を獲得した。 その後、社会人野球の強豪チームの星野組で荒巻淳らと共に都市対抗野球大会でプレーし、第19回都市対抗野球大会では本塁打2本を放ちこの大会チームは準優勝。永利は久慈賞を受賞した。 1948年に阪急ブレーブスに入団。1950年に宇高勲に引き抜かれ西日本パイレーツへ移籍となる。同年は開幕から5番・左翼手を務めたが、シーズン途中に関口清治と守備位置を交換し、3番・右翼手に定着した。
沢田 和夫(澤田和夫、さわだ かずお、1919年12月9日 … 沢田 和夫(澤田和夫、さわだ かずお、1919年12月9日 - 2024年4月11日)は、カトリック東京教区司祭。 東京高等学校、東京帝国大学法学部を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍大学校付となり、海軍省大臣官房に転じた。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。海軍将校として対米通訳の任にあたる。 ローマ・ウルバノ大学(神学大学)を卒業し、カトリック教会司祭叙階。神学・哲学博士。上智大学・聖心女子大学専任講師を務めた。川口、清瀬、関口、浅草橋、各教会司祭を務めた。
島谷 清(しまたに きよし、1918年12月9日 - 201… 島谷 清(しまたに きよし、1918年12月9日 - 2014年9月25日)は、日本の経営者。島根県出身。 1947年に東北帝国大学法学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。 1968年に取締役に就任し、1973年に安田倉庫に転じ、1976年に社長に就任し、1986年には会長に就任。 2014年9月25日老衰のために死去。95歳没。
松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 20… 松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 2012年3月12日)は日本の農芸化学者。東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。生理活性天然物の合成に関する研究領域の第一人者として活躍した。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1938年旧制静岡高等学校理科卒業、1941年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。同年台湾製糖に入社し、理化学研究所に研究員として派遣され、1942年に理研研究員のまま理研栄養食品に移り、1945年住友化学に勤務しながら京都帝国大学に4年間派遣された。1953年東大助教授となり、1956年同教授。1967年から1978年まで理研主任研究員を兼ねる。
門司 親徳(もじ ちかのり、1917年12月9日 - 200… 門司 親徳(もじ ちかのり、1917年12月9日 - 2008年8月16日)は、日本の海軍軍人、実業家。短現6期。最終階級は海軍主計少佐。戦後は日本興業銀行取締役総務部長、丸三証券社長を務める。 1917年12月9日、東京府に生まれる。1933年に東京府立第六中学校を、1937年に浦和高等学校を、1941年に東京帝国大学経済学部を卒業し、日本興業銀行に入社。 1941年4月18日、6期短期現役海軍主計科士官として海軍経理学校に入校。同期生に中曽根康弘、鳩山威一郎がいる。8月11日、同校を卒業。8月、戦艦「陸奥」に乗組。1941年10月2日、「瑞鶴」に乗組、庶務主任に就任。12月、真珠湾攻撃及びマレー作戦により太平洋戦争開戦。
町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 19… 町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 1993年10月5日)は、日本の美術史家。名古屋大学教授等を経て、武蔵野美術大学名誉教授。 1916年、東京府東京市麹町区で日本画家・町田曲江の子として生まれた。東京府立第三中学校で学ぶが、病気のため2年遅れて1936年に卒業。同年、姫路高校に進学。卒業直前の1940年3月に治安維持法違反の疑いで神戸詩人事件に連座して検挙され、18ケ月にわたって拘禁された。1942年、東京帝国大学文学部に入学して美学を専攻した。大学では、児島喜久雄の下で学んだ。1944年に卒業し、その後は同大学大学院に進学。 1946年からは大学院在籍のまま、長尾美術館へ勤務。
磯村 哲(いそむら てつ、1914年12月9日 - 1997… 磯村 哲(いそむら てつ、1914年12月9日 - 1997年8月23日)は、日本の法学者。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1976年)(学位論文「市民法学-社会法学の展開と構造-」)。京都大学名誉教授。兵庫県出身。 息子は、神戸大学名誉教授・早稲田大学大学院法務研究科教授の磯村保。
新田 長夫(にった たけお、1914年〈大正3年〉12月9日… 新田 長夫(にった たけお、1914年〈大正3年〉12月9日 - 2005年〈平成17年〉3月5日)は、日本の実業家。ニッタ社長。大阪ゴム工業会相談役。ニッタ創業者新田長次郎の孫。ニッタ会長・新田長彦の父。 大阪府大阪市出身。新田長三の長男。1939年に大阪帝国大学工学部応用化学科を卒業、新田帯革製造所に入社した。1945年に新田ベルト、新田ゴム工業各取締役に選ばれ、ついで新田ゴム工業社長に就任。芦原自動車教習所取締役をつとめる。 住所は大阪市浪速区芦原町、堺市出島海岸通2丁目、兵庫県西宮市上甲東園1丁目・2丁目。宗教は真言宗。趣味は写真、水泳、ゴルフ。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
安井 源治(やすい げんじ、1914年12月9日- 1998… 安井 源治(やすい げんじ、1914年12月9日- 1998年9月22日)は、フランス文学者。 京都府生まれ。1938年早稲田大学文学部卒、早大教授、85年定年退任、名誉教授。パスカルなどフランス思想が専門。
桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月… 桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉12月10日)は、日本の写真家、写真評論家、編集者。 東京府東京市下谷車坂町(現東京都台東区東上野)に生まれる。濱谷浩とは幼なじみ。1926年に東京市立第二中学校(現都立上野高校)入学。1931年の卒業後、体をこわし進学を断念。家業の質屋を手伝うが商売が厭わしく、同じ町内に住んでいた濱谷の影響もあって、中古のベスト・ポケット・コダックを手に入れ写真を撮りはじめる。1934年にはライカI(C)型をフォーディス距離計付きで父親に200円で買ってもらい、アマチュア写真家として活発に活動を始め、1934年のうちに浅沼商会発行の写真雑誌『写真新報』主催、シュミット商会協賛のライカ作品公募コンクール第2回の特賞を獲得している。
森下 二次也(もりした ふじや 1913年(大正2年)12月… 森下 二次也(もりした ふじや 1913年(大正2年)12月9日 - 2005年12月29日)は、日本の経済学者。 大阪府に生まれる。富田林中学校を卒業後、大阪商科大学 (旧制)高商部を経て、1937年(昭和12年)、同大市政科を卒業。1958年(昭和33年)大阪市立大学商学部長に就任。退任後、同大名誉教授。その後、大阪学院大学教授を務めた。 2005年12月29日午後0時55分、心不全のため大阪府羽曳野市内の病院で死去、92歳。 主な著作は次の通り。
大島 清(おおしま きよし、1913年12月9日 - 199… 大島 清(おおしま きよし、1913年12月9日 - 1994年10月8日)は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。専攻はマルクス経済学における経済原論、金融論。東京教育大学教授、筑波大学副学長、立正大学・帝京大学教授を歴任。妻は作家の芝木好子。元住所(現在は退去済み)「東京都杉並区高円寺北497」。 1913年、北海道室蘭市の網元の家に生まれる。小樽高等商業学校を経て、東北帝国大学卒業。東北帝大では宇野弘蔵に師事し、卒業後は宇野経済学の立場から経済原論、金融論の研究で成果をあげた。 大島が入学した当時の東北帝国大学は旧制高等学校卒業生以外の枠外学生も入学を許可されており(傍系入学という)、傍系入学者の中に優秀な2人の大島清(もう一人はのちの法政大学教授の大島清)がいて、しばしば間違われた。
松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 20… 松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 2001年4月8日)は、日本の政治評論家、歴史家。 新潟県新潟市生まれ。1938年東京帝国大学卒業、東京日日新聞社に入社、戦後、毎日新聞政治部長、論説委員、編集局次長を経て、政治評論家に。1971年から『サンデー毎日』の「サンデー時評」を担当、幕末史の研究者でもあり、1979年『大久保一翁』で毎日出版文化賞受賞。1983年の東京都知事選に、革新統一候補として立候補し、148万2169票を獲得したが、鈴木俊一に敗れた。2001年、肺炎のため88歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2… 瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。
正坊地 隆美(しょうぼうじ たかみ、1910年12月9日 -… 正坊地 隆美(しょうぼうじ たかみ、1910年12月9日 - 2004年12月10日)は、日本の実業家。日本コロムビア元代表取締役社長。最大で64億円の累積赤字を出し、1970年前後に経営危機にあったレコード界の名門・日本コロムビアに日立製作所から送り込まれ、経営立て直しに成功させた。また日本レコード協会会長を二度にわたり務めた。 広島県高田郡白木町(現・広島市安佐北区)出身。白木小学校を経て、広島県立職工学校(広島県立広島工業高等学校)電気工学科を卒業後、日立製作所に入社。1960年代後半の日本コロムビアは、神崎丈二社長以下経営陣が内紛を繰り返し、バックアップしていた野村證券の奥村綱雄相談役(当時)と横田郁日本勧業銀行頭取(当時)は、たまりかねて日立製作所の駒井健一郎社長(当時)に駆け込み、1969年5月、日立製作所の西清専務が日本コロムビアに会長として送り込まれ、続いて1970年5月、正坊地が副社長として送り込まれた。
中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 19… 中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 1987年3月28日)は、日本のアメリカ史研究家。
中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 19… 中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 1987年3月28日)は、日本のアメリカ史研究家。 福岡市生まれ。本名は健弌。1933年、東京帝国大学西洋史学科卒。大学院では高木八尺の研究室にいたが、助手時代の松本重治とは入れ替わりだった。大学院時代に趣味である登山を始め松方三郎の指導を受けた。同盟通信社の岩永裕吉は高木とは同じ新渡戸稲造門下で、松本と松方の兄貴分であった。1936年2月に同盟入社。社会部、ついで外信部にうつって日中戦争で華北戦線に従軍した。当時の前線記者は携帯用無線機の技師、それと連絡員の三人で行動し定時に支局と連絡、記事をモールスで送ったり支局からの指令を受け取っていた。
青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - … 青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - 1981年1月3日)は、神奈川県横須賀市出身の日本の裁判官。弁護士。
生江 哲太郎(なまえ てつたろう、1909年(明治42年)1… 生江 哲太郎(なまえ てつたろう、1909年(明治42年)12月9日 - 没年不明)は、日本の飛込競技選手・実業家。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 1909年(明治42年)12月9日、東京府(現在の東京都)に、慶應義塾大学教授の生江惣太郎の息子として生まれる。叔父は青山学院理事を務めた生江孝之。青山学院を卒業後、明治大学法学部に入学した。大学ではラグビーフットボールを行う傍ら、玉川プールで飛込の練習を行い、短期間で上達したために他人を驚かせた。1932年にはロサンゼルスオリンピックで飛板飛込に出場し、8位となった。同年に行われた全国学生飛込大会では高逆飛込で32.70点、飛板飛込で124.54点を獲得しいずれも優勝した。
本郷 新(ほんごう しん 、1905年(明治38年)12月9… 本郷 新(ほんごう しん 、1905年(明治38年)12月9日 - 1980年(昭和55年)2月13日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。息子は俳優の本郷淳、義娘(息子の妻)は柳川慶子。孫は俳優の本郷弦(無名塾所属)。 北海道札幌区(現札幌市)生まれ。父・敏慎(びんしん)は島根県松江市出身で、札幌農学校を卒業後に種苗・農具の会社を設立した。母・楯(じゅん)は山形県鶴岡市出身で、スミス女学院を卒業。キリスト教的な雰囲気の教育方針をとった。6人兄弟の次男。実家は南1条西13丁目。 1919年、旧制・札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)に入学。父の経営する会社が東京に進出したことから、東京の順天中学校に転入。
澁川 善助(しぶかわ ぜんすけ、1905年12月9日 - 1… 澁川 善助(しぶかわ ぜんすけ、1905年12月9日 - 1936年7月12日)は、日本の政治運動家。 福島県若松市七日町の海産物問屋に生まれた。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進む。予科卒業時に「恩賜の銀時計」を贈られるほど成績優秀であったが、陸軍士官学校(39期)本科卒業目前に教官と衝突し退学となる。その後1928年(昭和3年)、明治大学専門部政治経済科に学び、国家主義運動にかかわる。明大卒業後の1932年(昭和7年)に、杉田省吾、西田税、福井幸、加藤春海等とともに維新同志会を結成した。1933年の救国埼玉青年挺身隊事件では取り調べを受けた。1935年には、渋川の拳銃が襲撃事件に使用された嫌疑で起訴されている。