山口 明穂(やまぐち あきほ、1935年6月16日 - )は… 山口 明穂(やまぐち あきほ、1935年6月16日 - )は、日本の古典国語学者、東京大学文学部名誉教授。
6月16日生まれ:304人
山口 明穂(やまぐち あきほ、1935年6月16日 - )は… 山口 明穂(やまぐち あきほ、1935年6月16日 - )は、日本の古典国語学者、東京大学文学部名誉教授。
藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひ… 藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひでお)、1934年6月16日 - )は、日本の男性脚本家、小説家、放送作家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本脚本家連盟会員。京都嵯峨芸術大学客員教授。 東京都出身。東京都立墨田川高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科卒(1958年)。 1960年代中盤から1970年代中盤までは実写のアクション番組や特撮物の脚本家として、1970年代から1980年代はテレビアニメーションの脚本家として活躍した。1980年代中盤以降は、活動の中心を小説の執筆に当てている。代表作に、テレビアニメーション『マジンガーZ』、『六神合体ゴッドマーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』、小説『宇宙皇子』シリーズなど。
石城 謙吉(いしがき けんきち、1934年6月16日 - )… 石城 謙吉(いしがき けんきち、1934年6月16日 - )は、日本の動物生態学者、北海道大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1961年北海道大学農学部卒業。1969年同大学院博士課程修了、「北海道産イワナ属魚類の形態並びに生態に関する研究」で農学博士。1970年北海道大学農学部苫小牧演習林助手、1972年助教授を経て、農学部教授、1999年定年退官、名誉教授となる。
増本 一郎(ますもと いちろう、1934年6月16日 - )… 増本 一郎(ますもと いちろう、1934年6月16日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2… 高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2001年8月19日)は、日本の政治家、経済評論家。
森 幸男(もり ゆきお、1933年6月16日 - )は、日本… 森 幸男(もり ゆきお、1933年6月16日 - )は、日本の厚生・環境官僚。元環境事務次官。
鬼澤 慶一(おにざわ けいいち、1932年6月16日 - 2… 鬼澤 慶一(おにざわ けいいち、1932年6月16日 - 2021年9月5日)は、日本の芸能ジャーナリスト、芸能評論家。芸能リポーターの草分け的存在だった。 東京都出身。青山学院大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社した。1965年に報知新聞社に移籍し、記者として活動した。1970年に報知を退社し、フリーの芸能評論家として活動を始める。1971年よりTBSのワイドショー『モーニングジャンボ』の初代リポーターとなる。辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。『ザ・ベストテン』(TBS)の情報提供者としても知られている。 俳優の渥美清の結婚式に招待され友人代表として出席したが、鬼澤はその事を渥美の死まで公表することはなく、渥美の没後にその時の記念写真と共に初めて公開している[要出典]。
田辺 久之(たなべ ひさゆき、1932年6月16日 - 20… 田辺 久之(たなべ ひさゆき、1932年6月16日 - 2023年3月18日)は、日本の図書館情報学者・オペラ研究家・ナチュラリスト。 義弟(妻の弟)はドイツ文学者で東京大学名誉教授の小堀桂一郎。義姪(妻の姪)は宗教史学者の小堀馨子。義祖父(妻の祖父)は日本画家の小堀鞆音。 元常葉学園大学教授。国際青少年音楽祭監督。とこはカルチャー講座講師(オペラ)。プッチーニ友の会日本名誉会員。日本学校図書館学会理事(2003~)、日本音楽芸術マネージメント学会会員、静岡県演奏家協会顧問(2015~)、日本気象協会会員、静岡地学会会員。 文化庁民謡調査、音楽放送解説、新聞音楽評等の音楽啓蒙活動に1968年からかかわる。
藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 20… 藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 2023年3月24日)は、日本の音楽学者。文化・音楽評論家。位階は従四位。 国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専攻は民族音楽学・音楽人類学・比較芸術学。 京都府京都市生まれ。名古屋育ち。名古屋大学文学部哲学科卒業。 名城大学助教授を経て、国立民族学博物館助教授、教授、副館長。1996年3月退官、名誉教授。 また、1988年に国立の総合研究大学院大学文化科学研究科が設置されると、教授・比較文化学専攻長、文化科学研究科長を併任し、1996年3月退官、名誉教授。 その後は中部大学中部高等学術研究所副所長、教授を務めた。特任客員教授。
森 楙(もり しげる、1932年6月16日 - )は、日本の… 森 楙(もり しげる、1932年6月16日 - )は、日本の幼児教育学者、教育社会学者、広島大学名誉教授。 長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身。筆名・森しげる。1955年広島大学教育学部卒。1960年同大学院教育学研究科教育学専攻博士課程満期退学。1961年広大教育学部助手、1962年広島県立保育専門学校主事、1965年立命館大学産業社会学部助教授、1971年広島大学助教授、1983年教授、同年「G.H.ミードの幼児社会化論の研究」で広島大学より教育学博士の学位を取得。広島大学評議員、附属幼稚園長、教育学部附属幼年教育研究施設長、附属学校部長を兼任、1996年定年退官、名誉教授、日本保育学会、日本教育社会学会、日本子ども社会学会の理事を務めた、広島修道大学教授、くらしき作陽大学客員教授。
児玉 彰三郎(こだま しょうざぶろう、1931年6月16日 … 児玉 彰三郎(こだま しょうざぶろう、1931年6月16日 - 1969年11月19日)は、日本の歴史学者。元新潟大学助教授。専門は郷土史、新潟史、上杉氏。 1931年東京生まれ。1955年東京大学文学部国史学科卒業後、1959年に東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程修士課程を修了する。都立高校教諭を経て、1963年に新潟大学人文学部講師となる。1967年に助教授に昇格するも、1969年に交通事故により38歳で死去した。墓所は青山霊園。 この間、小千谷市史編修委員、新井市史編纂委員、栃尾市史編輯委員、市島家文書取扱委員などを務めた。また著書『上杉景勝』が2010年に復刊された。
酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は… 酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、国税庁次長、国際金融局長、商工組合中央金庫副理事長、ニコス生命保険取締役会長などを歴任。 富山県出身。第四高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中の1952年10月 国家公務員6級職試験を合格。1953年 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1968年6月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1969年8月 大臣官房文書課長補佐(総括・審査)。1977年6月 国際金融局総務課長。1978年6月17日 福岡国税局長。1979年7月10日 大臣官房審議官(理財局担当)。1981年6月26日 理財局次長(理財担当)。
高杉 玄(たかすぎ げん、1931年6月16日 - 2001… 高杉 玄(たかすぎ げん、1931年6月16日 - 2001年4月6日)は、日本の俳優。本名:須藤 東三郎。 東京都出身。特技は乗馬、殺陣。 早稲田大学卒業。大学在学中に劇団ひよこ座に参加。1958年に劇団が解散した後はフリーで活動し、1959年にアクタープロに所属。その後、加藤事務所、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
丸山 工作(まるやま こうさく、1930年6月16日 - 2… 丸山 工作(まるやま こうさく、1930年6月16日 - 2003年11月19日)は、日本の生化学者。千葉大学名誉教授。 東京府生まれ。父は作家の丸山義二、弟にドイツ文学者の丸山匠がいる。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)から武蔵高等学校 (旧制)を経て、1953年東京大学理学部動物学科卒業、1956年同大学院博士課程中退。 東京大学教養学部助手、1962年理学部助手、1965年教養学部助教授、1972年京都大学理学部教授、1977年千葉大学理学部教授、1994 - 1998年学長。1998年千葉大学で全国で初めて高校からの「飛び入学」制度を導入した。1999年大学入試センター所長、2001年理事長。
今井 千鶴子(いまい ちづこ、1928年6月16日 - 20… 今井 千鶴子(いまい ちづこ、1928年6月16日 - 2025年7月4日)は、俳人。 元波止浜町長の今井五郎と俳人の今井つる女の長女として東京に生まれる。両親からの影響で早くから句作し、東京女子大学国語科を卒業後、星野立子主宰の「玉藻」社に勤務。高濱虚子の口述筆記を行うなどした。1989年、深見けん二らとともに「珊」創刊。2008年、句集 『過ぎゆく』により第8回俳句四季大賞受賞。他の句集に『吾子』『梅丘』『花の日々』など。「ホトトギス」「玉藻」同人。日本伝統俳句協会理事。愛媛俳壇、南日本新聞俳壇選者。娘の今井肖子も俳人。 2025年7月4日、肺炎により東京都内で死去。97歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
吉住 侑子(よしずみ ゆうこ、1928年6月16日 - 20… 吉住 侑子(よしずみ ゆうこ、1928年6月16日 - 2014年7月20日)は、作家。 千葉県生まれ。本名・根本美代。早稲田大学国文学専攻科修了。『文学者』『三田文学』『季刊文科』などに作品を発表。1985年「遊ぶ子どもの声きけば」で北日本文学賞受賞。2004年「戯れの秋」で小島信夫文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日… 林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は正三位。 大蔵大臣(第97代)、厚生大臣(第62代)、衆議院議員(11期)などを歴任した他、日中友好議員連盟や日中友好会館の会長も務めた。 山口県下関市貴船町出身。豊浦中学4年修了、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部を卒業する。同年、通商産業省に入省する。入省同期に栗原昭平、諸口昭一(札幌通産局長、東商大卒)などがいる。通産省では、通産大臣秘書官、通産省重工業局産業機械課長を歴任する。 1969年(昭和44年)に通産省を退官。同年末の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で周東英雄の後継者として旧山口1区から立候補し、初当選した(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 201… 加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 2015年4月30日)は、愛知県瀬戸市出身の日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。新制作協会会員。旭日小綬章受章。
藤枝 和博(ふじえだ かずひろ、1927年(昭和2年)6月1… 藤枝 和博(ふじえだ かずひろ、1927年(昭和2年)6月16日 - )は、日本の政治家。元東京都荒川区長。勲四等旭日小綬章。 北海道斜里郡斜里村(現斜里町)出身。 1951年(昭和26年)3月、早稲田大学法学部を卒業する。 1953年(昭和28年)4月、東京都庁に入り都立工業短大庶務課長、総務局副監察員、公害局副参事、教育庁施設計画課長、高等学校教育課長などを歴任する。 1977年(昭和52年)荒川区企画部長に転じ、1979年(昭和54年)同区助役を経て、1989年(平成元年)9月、荒川区長に当選し、3期務める。 2001年(平成13年)引退した。2002年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
森田 功(もりた いさお、大正15年(1926年)6月16日… 森田 功(もりた いさお、大正15年(1926年)6月16日 - 平成10年(1998年)3月3日)は、日本の医師・作家。 大正15年(1926年)6月16日三重県一志郡竹原村(美杉村竹原宝生を経て現三重県津市)に生まれる。父は竹原村村長を務める森田治と母きみの四男として誕生した。昭和8年(1933年)竹原尋常小学校に入学した。小学校時代成績は万年2位、悪童5人組の年長者で腕白だったと伝えられる。昭和14年(1939年)三重県立第一中学(現三重県立津高等学校)の受験に失敗、1浪後の翌年入学した。昭和20年(1945年)旧制広島高等学校理科に入学したが、8月6日軍需工場で労働作業中に被爆し、3日後三重の実家へ帰郷した。
内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月… 内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉8月21日)は、日本の俳優、ナレーター。本名は同じ。 福岡県小倉市出身。旧制常磐中学校、日本大学予科卒業。劇団民藝、其田事務所を経て、さいど事務所に所属していた。 血液型はAB型。身長165cm、体重60kg。 映画制作を志し、俳優養成所へ入所。当初は演出家希望だったが、指導者の勧めで演劇コースへ進む。 1950年、宇野重吉・加藤嘉・北林谷栄・鈴木瑞穂らと共に劇団民藝の創立に参画するも、1970年に退団。 1952年に公開された吉村公三郎監督の『暴力』でスクリーンデビュー。 大河ドラマへ多数出演したほか、山口百恵主演の赤いシリーズでは3作品でナレーションを担当していた。
佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日… 佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2008年〈平成20年〉11月9日)は、日本の実業家。元佐田建設社長。佐田一郎元参議院議員の娘婿で、息子は佐田玄一郎元衆議院議員。 バブル期には勢いに乗って好調な業績を維持したが、不幸にも建設業界の不況の波に飲み込まれてしまった。スポーツ社長として知られ、特にバスケットボールには造詣が深く、自社でチームを運営する傍ら、日本クラブバスケットボール連盟では会長を長年務めていた(晩年は名誉会長)。 1925年(大正14年)、群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)に、松村瑳一郎の五男として生まれる。1942年(昭和17年)群馬県立前橋工業学校を卒業。
平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 20… 平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 2003年6月5日)は、日本の経済学・社会思想史学者。京都大学名誉教授。 神戸市生まれ。1948年京都帝国大学経済学部卒、1951年京都大学大学院経済学研究科修了。1964年「ロックにおける人間と社会」で京大経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1968年教授。1975年経済学部長。1989年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、副学長、2000-2002年学長を務めた。第11期、第12期日本学術会議会員。2002年勲二等瑞宝章受勲。
西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 201… 西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 2019年11月2日)は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。1944年、第一高等学校理科卒業。1947年、東京帝国大学理学部地理学科卒業、同副手。1949年,助手。1955年から1958年まで西ドイツのボン大学に留学。1958年、東京大学教養学部助教授。1961年、「日本における自然地域の変貌」で東京大学理学博士。1971年、教授。1986年、定年退官、名誉教授、立正大学教授。1996年、退職。その後も、富士学会名誉会長などを務めていた。2005年、瑞宝中綬章受章。 2019年11月2日13時38分、急性腎不全のため東京都多摩市の病院で死去。
加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16… 加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2020年〈令和2年〉6月14日)は、日本の俳優、声優、漁師。本名同じ。東宝を経て、新星プログループに所属していた。神奈川県出身。 1925年6月16日、神奈川県鎌倉市長谷に生まれる。 石川島航空工業青年学校(のちの石川島工業高等学校)を経て、1946年、鎌倉アカデミア演劇科に入学。1949年、卒業。卒業後は、一時漁師を務めていた。 1950年の準専属契約(同期は今井和雄、緒方燐作など)を経て、1954年に東宝と専属契約する。大部屋俳優として、ノンクレジットも含めて、多数の映画に出演。 1971年の東宝専属俳優廃止後は、新星プロに所属。
伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016… 伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016年9月29日)は、日本の造園家・作庭家・環境デザイナー。広島県出身。 1947年、東京農業大学農学部造園学科を卒業し、清水建設入社、設計部に配属。1963年に独立し、伊藤造園設計事務所創立。東京農業大学講師、日本造園修景協会常務理事、日本造園学会理事を歴任。 北の丸公園池他一連の造園設計で、日本造園学会賞計画設計作品部門受賞。1989年第11回日本公園緑地協会北村賞受賞。1994年園芸文化賞受賞。
林 英作(はやし えいさく、1922年〈大正11年〉6月16… 林 英作(はやし えいさく、1922年〈大正11年〉6月16日 - 2003年〈平成15年〉6月24日)は、日本の薬学者(有機化学)。勲等は勲三等。学位は薬学博士(東京大学・1951年)。静岡薬科大学名誉教授、社団法人日本薬学会有功会員。 東京帝国大学医学部助手、東京大学医学部助手、静岡薬科大学薬学部教授、静岡薬科大学附属図書館館長などを歴任した。 東京府出身の有機化学を専攻する薬学者である。含窒素芳香族複素環式化合物の研究に従事し、特に芳香族ジアジン類の研究で知られている。東京帝国大学、東京大学、静岡薬科大学、といった教育・研究機関で教鞭を執った。 1922年(大正11年)6月16日、東京府にて生まれた。
岩田 孝八(いわた こうはち、1922年(大正11年)6月1… 岩田 孝八(いわた こうはち、1922年(大正11年)6月16日 - 2012年(平成24年)7月3日)は、日本の実業家である。長崎屋の創業者として知られた。 神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 藤沢商業学校(現在の藤沢翔陵高等学校)卒業。2年間の浪人生活を経て、日本国際航空工業(のちの日産車体)に入社。その後、軍隊生活を経験してから家業のふとん屋に就いた。 戦後間もなく氷水屋『オアシス』を開業。彼は連日自転車に乗って、アイスキャンディを売った。この稼ぎをもとにして、1948年(昭和23年)に平塚市で長崎屋布団店として開業する。1950年(昭和25年)には衣料品専門店に転業。その年の11月、原町田に支店の第1号が誕生した。
前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)… 前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)6月16日 - 1989年(平成元年)9月18日)は東京都出身の指揮者、大学教授。 東京都生まれ。加賀前田家の支藩である富山藩の前田家、男爵前田利功の三男。 1942年東京音楽学校(現東京藝術大学)声楽科卒業。同研究科にて指揮法を学ぶ。橋本國彦、尾高尚忠、クルト・ヴェスに師事。 NHK交響楽団、東京混声合唱団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団等を指揮。 また東京室内混声合唱団、東京大学音楽部コールアカデミーなどの指導に当たった。 教育者として、山形大学、横浜国立大学、東京音楽大学にて教鞭をとった。 息子にチェロ奏者・上野学園大学教授の前田幸康がいる。
伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 … 伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 - 2015年〈平成27年〉9月28日)は、昭和から平成時代の政治家。秋田県大曲市長。旧姓は杉山。位階は正六位。 大曲市(現・大仙市)出身。1937年(昭和12年)3月、秋田県立大曲農業学校卒業。同年4月から樺太庁に入り、殖産部林業課に勤務する。 1949年(昭和24年)角間川町役場に奉職し、1955年(昭和30年)合併により大曲市となる。大曲市財政課長、総務課長、1974年(昭和49年)収入役、1976年(昭和51年)助役を経て、1979年(昭和54年)大曲市長に当選。同年10月21日に就任した。2期務め、1987年(昭和62年)引退した。
薮田 東三(やぶた とうぞう、1916年6月16日 - 19… 薮田 東三(やぶた とうぞう、1916年6月16日 - 1986年8月3日)は、日本の経営者。滋賀県大津市出身。 1940年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 取締役を経て、1972年9月に常務に就任した。1977年3月に愛知製鋼副社長に就任し、1980年3月から社長を務めた。 1986年8月3日転移性肺腫瘍のために死去。70歳没。
堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日… 堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日 - 2022年〈令和4年〉3月20日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。位階勲等は正四位勲二等。日本会議代表委員。アジアと日本の平和と安全を守る全国フォーラム初代会長。 新潟県糸魚川市出身。水産学校校長堀江英一の次男として生まれた。7歳から12歳まで樺太で過ごし、糸魚川中学、東京陸軍幼年学校(34期)、陸士予科を経て、陸軍士官学校を卒業(第50期、35番/426名)。旧軍時代は歩兵科士官で、太平洋戦争中に陸軍大学校を卒業し(57期)、第18軍参謀としてパプアニューギニアで終戦を迎えた。 終戦後、1946年(昭和21年)3月に復員し、妻の郷里宮崎県日南市で林業に従事した後、警察予備隊及び保安隊を経て陸上自衛隊で勤務。
熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 … 熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、東京大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1932年に盛岡中学を卒業。1940年に東京帝国大学工学部卒業、1943年東京帝国大学大学院満期退学。戦後東京大学教授となり、定年後名誉教授となる。その後は岩手大学で教授を務め、退職後はノーリツ基礎研究所所長もつとめた。 内燃機関研究を主に行い、国際燃焼学会で活躍した。 一般向け著作として、「火」(1979年)、「エンジンの話」(1981年)(いずれも岩波新書)がある。
中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャ… 中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャンス、강 창수)、1913年6月16日 - 2013年1月8日)は、朝鮮半島出身の空手家。空手道拳道会初代会長。空手十段。 素手で材木を切断する『垂木切り』の演武で知られている。これは、中村の正拳突きや手刀で打たれた材木が「折られた」というよりは「切られた」ような滑らかな断面になることから名付けられた。 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によれば、同じく朝鮮半島北部出身の力道山と力士時代から親交があり、力道山から朝鮮語で兄さんを意味する「ヒョンニム」と呼ばれ慕われていたという。相撲を廃業しプロレスに転向する際には空手を伝授、これが力道山の代名詞となった必殺技・空手チョップ誕生に繋がったとされる。
煤孫 伝(すすまご つとう/でん、1911年6月16日 - … 煤孫 伝(すすまご つとう/でん、1911年6月16日 - 没年不明)は、岩手県花巻市出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手、外野手。 盛岡商業学校(現・岩手県立盛岡商業高等学校)在学中は、1930年の甲子園東北大会決勝で、東北中学を相手に猛打を振るい語り草となった(試合自体は敗れ、甲子園出場とはならなかった)。卒業後は、日本大学、仙台鉄道局(現・JR東日本東北硬式野球部)でプレーした。 1937年春、大東京軍に入団。岩手県出身者としては初のプロ野球選手となった。1937年5月1日の名古屋戦(洲崎球場)で一塁手の守備(浅原直人の代役)としてデビュー。5月8日の金鯱戦(上井草球場)ではプロ初打席初安打をマークし、6月1日の金鯱戦(甲子園球場)では初ホームランを打つなど、前評判通りの打棒を見せ、1937年春季シーズンはレギュラーとして定着した(規定打席にも到達し26位だった)。
山本 達郎(やまもと たつろう、1910年〈明治43年〉6月… 山本 達郎(やまもと たつろう、1910年〈明治43年〉6月16日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の東洋史学者。東京大学名誉教授を務め、文化勲章も受賞。元号『平成』の名付け親である。妻は原邦造の次女・澄子(壽美子)。 東京生まれ。父は貴族院議員を務めた松村真一郎。第5代日本銀行総裁をはじめ、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣などを歴任した祖父・山本達雄男爵の養子となり家を継いだ。幼少期は新しい幼児教育を謳ったベラ・アーウィンの玉成(ぎょくせい)幼稚園に通い、第2回卒園児となる。 1933年(昭和8年)に東京帝大文学部東洋文学科を卒業後、東方文化学院研究員を務め、1934年(昭和9年)発表の論文「鄭和の西征」で注目される。
岩崎 一太(いわさき かずた、1910年6月16日 - 19… 岩崎 一太(いわさき かずた、1910年6月16日 - 1980年3月5日)は、日本の経営者。中国放送社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1940年に広島県瀬戸内高等学校を卒業。中国新聞社での勤務を経て、1952年5月に中国放送に転じ、1958年1月に理事に就任し、同年2月に常勤監査役、1969年5月に常務、1972年5月に専務を経て、1973年5月には社長に就任。 1980年3月5日、閉塞性黄疸のために在任中に死去。。69歳没。
阿部 喜三男(あべ きみお、1909年6月16日 - 197… 阿部 喜三男(あべ きみお、1909年6月16日 - 1970年11月22日)は、日本の国文学者。近世俳諧が専門。 1933年、東京帝国大学文学部国文科卒。台北第一中学校教諭、東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)教諭、海軍教授。戦後は明治大学政治経済学部助教授、教授。在職中に61歳で死去。小躯斗酒も辞さないほどの酒好きだった。
堺井 秀雄(さかい ひでお、 1909年6月16日 - 19… 堺井 秀雄(さかい ひでお、 1909年6月16日 - 1996年6月3日)は、兵庫県芦屋市出身 のサッカー選手、会社役員。 幼少期は兵庫県神戸市で過ごした。関西学院高等商業学部(現在の関西学院大学商学部)に入学 して、サッカー部に所属。関学クラブの一員として1929年10月および1930年2月に開催された2度のア式蹴球全國優勝競技會(第9回天皇杯全日本サッカー選手権大会および第10回天皇杯全日本サッカー選手権大会)で後藤靱雄らと共に2大会連続で優勝した。そのプレースタイルは地味ながらもシュート力は正確無比であった。 1932年3月に卒業 して、湯浅蓄電池製造(現在のジーエス・ユアサコーポレーション)に入社。
城戸 久(きど ひさし、1908年〈明治41年〉6月16日 … 城戸 久(きど ひさし、1908年〈明治41年〉6月16日 - 1979年〈昭和54年〉10月30日)は、日本の建築学者。名古屋工業大学名誉教授。日本建築史の専門家として、多くの城の再建に携わったことで知られる。建築家の城戸武男は兄。 三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)の生まれ。旧制三重県立上野中学校をへて、1929年名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)建築学科卒。 1934年名高工助教授、1942年教授、戦後学制改革により名古屋工業大学教授に就任。 1949年、「近世日本城廓建築に関する基礎的研究」により京都大学から工学博士を授与。1969年2月、名工大学長代行に就任するが、学内の大学紛争の影響で同年9月に辞任。
土岐 雄三(とき ゆうぞう、1907年6月16日 - 198… 土岐 雄三(とき ゆうぞう、1907年6月16日 - 1989年8月7日)は、日本の作家。 東京生まれ。青山学院商科卒。銀行員のかたわらユーモア小説を書き、放送作家も務めた。山本周五郎の研究もしていた。埼玉県浦和市に住んでいた。 1980年参院選に埼玉県選挙区から無所属で出馬し、落選している。
池田 徳真(池田 徳眞、いけだ のりざね、1904年(明治3… 池田 徳真(池田 徳眞、いけだ のりざね、1904年(明治37年)6月16日 - 1993年(平成5年)12月6日)は、因州池田家第17代当主。 侯爵池田仲博の次男として東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)で生まれた。「徳」の字は大伯父にもあたる第14代当主・池田慶徳からの偏諱である。 1921年(大正10年)1月26日、横浜正金銀行頭取の原六郎夫人である登美子から、衆議院議員の根本正が訳した『日々の力』(メアリ・ダブリュー・ティレストン著)という、一日毎に聖書の一節が書いてある本をもらい、初めて聖書の聖句触れた。このことを徳眞は、自分がクリスチャンになるための主のお導きとしている。同年2月に学習院にてクリスチャンの友人から伝道されたが、信仰へは至らなかった。
下村 ひろし(しもむら ひろし、1904年6月16日 - 1… 下村 ひろし(しもむら ひろし、1904年6月16日 - 1986年4月21日)は、長崎県出身の俳人、医師。本名宏。長崎市生。長崎医科大学卒。在学中、田中田士英の指導で俳句を始める。1933年、「馬酔木」に入会し水原秋桜子に師事。1947年「棕梠(しゅろ)」を創刊・主宰。終生まで長崎で活動したと見られ、初期より異国情緒のある句を詠む。また医師として被爆者の救済に務めた経験ものちの句作に影響を及ぼした。1977年、『西陲集』により第17回俳人協会賞を受賞。句集に『石階聖母』(1963年)『西陲集』(1976年)『西陲集以後』(1988年)。
松尾 あつゆき(まつお あつゆき、1904年6月16日 - … 松尾 あつゆき(まつお あつゆき、1904年6月16日 - 1983年10月10日)は、長崎県出身の俳人。本名、敦之。 1904年(明治37年)、長崎県北松浦郡生まれ。長崎高等商業学校(旧制。現・長崎大学)卒業後、英語教師となる。在学中より自由律俳句に傾倒し、24歳のとき「層雲」に入会、荻原井泉水に師事。のち「層雲」同人、1942年層雲賞受賞。。1945年、生地長崎で原爆に遭い、家と妻、四人の子供のうち長男、次男、次女の三人を失う。11月、重症を生き延びた長女とともに佐世保市に転居、公立学校教員(地方公務員)となり、旧制 佐世保第二中学校の英語教師となる。1948年に再婚、生地を離れ長野県千曲市の高等学校に赴任した。
白澤 富一郎(しらさわ とみいちろう、1903年(明治36年… 白澤 富一郎(しらさわ とみいちろう、1903年(明治36年)6月16日 - 1990年(平成2年)11月6日)は、日本の電気技術者、実業家。東京電力副社長や、日本原子力発電社長、同社会長、日本原子力産業会議副会長等を務めた。 1926年東京高等工業学校(現東京工業大学)電気科卒業。東京電力副社長を経て、1970年から日本原子力発電取締役社長を務め、もんじゅへの技術協力などを進めた。1977年日本原子力発電取締役会長。1978年蔵前工業会理事長。1982年日本動力協会会長。日本原子力産業会議副会長、原子力委員会新型転換炉実証炉評価検討専門部会長等も歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
肥田 広司(ひだ ひろし、1903年(明治36年)6月16日… 肥田 広司(ひだ ひろし、1903年(明治36年)6月16日 - 1987年(昭和62年)6月4日)は、日本の政治家。広島県議会議員、広島県海田市町長。日米民間外交の第一人者で、広島から始まった親善運動は全国へ広まり、アメリカ本国でも報道された。父・肥田辰之助は広島県議会議長、兄・肥田琢司は衆議院運輸委員長。豊臣四天王として知られる木村重成一族の末裔。 1929年(昭和4年)、明治大学法学部卒業。1931年(昭和6年)から衆議院議長秘書を務め、1933年(昭和8年)に広島県議会議員として初当選後、1935年(昭和10年)と1939年(昭和14年)に連続当選。辰之助及び琢司らと共に父子兄弟連携して政治活動を行い、広島県政で望月派と肥田派の二大派閥として台頭していた。
溝淵 春次(みぞぶち はるじ、1903年(明治36年)6月1… 溝淵 春次(みぞぶち はるじ、1903年(明治36年)6月16日 - 1978年(昭和53年)11月7日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 香川県で溝淵岩吉の五男として生まれる。1919年(大正8年)立命館大学法科を卒業した。その後、日本大学研究室で研究した。 1924年(大正13年)高等試験司法科試験に合格し弁護士を開業した。1930年(昭和5年)大阪府会議員に選出され、立憲政友会大阪支部幹事長を務めた。その他、日本アンチモニイ鉱業社長も務めた。 戦後、日本自由党大阪府連幹事長、同選挙対策委員長などを務めた。1951年(昭和26年)5月の第1回参議院議員通常選挙・大阪府地方区補欠選挙に日本自由党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
芝田 新(しばた あらた、1903年6月16日 - 没年不明… 芝田 新(しばた あらた、1903年6月16日 - 没年不明)は、日本の俳優である。本名川上 勇之進(かわかみ ゆうのしん)。 1903年(明治36年)6月16日、北海道函館市に生まれる。 上京して早稲田大学文科卒業後、大阪市に移る。大阪松竹劇団を経て新声劇の幹部俳優となり、大阪の角座、浪花座などに出演。1933年(昭和8年)には日活太秦撮影所に入社して映画俳優もこなした。映画界入りの最初の年には主演作『峠三里』と『月光人斬橋』を残しているが、以後は脇役に専念。1934年(昭和9年)に第一映画、1936年(昭和10年)には新興キネマへの移籍を経て、のちにフリーとなる。第二次世界大戦中から終戦後にかけてはフリーとして、東宝劇団、東宝撮影所、榎本健一一座、古川緑波一座などで活躍した。
平井 呈一(ひらい ていいち、1902年(明治35年)6月1… 平井 呈一(ひらい ていいち、1902年(明治35年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月19日)は、日本のイギリス文学翻訳者・編集者で、多くの訳書を通じ海外怪奇小説を紹介した。 1902年、神奈川県中郡平塚町(現・平塚市)で生まれる。本名は程一。江戸下町育ちで、没時まで和服で通した。 東京府東京市日本橋区浜町(現・東京都中央区日本橋浜町)の養家で居住。浜町尋常小学校から1920年に日本大学附属中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を経て早稲田大学文学部英米文学科中退。河東碧梧桐に師事して俳句に親しむ。永井荷風と佐藤春夫に師事し、江戸文学に造詣が深い翻訳者となった。中菱 一夫の筆名で、小説「真夜中の檻」「エイプリル・フール」を著している。
桂 壽一(桂 寿一、かつら じゅいち、1902年6月16日 … 桂 壽一(桂 寿一、かつら じゅいち、1902年6月16日 - 1985年11月20日)は、日本の哲学者。専門は西欧近世哲学。 東京生まれ。1926年東京帝国大学卒。旧制新潟高等学校教授を経て、戦後東京大学教養学部教授を務め、1953年文学部哲学科教授、文学部長を務め、1963年定年退官、同年中央大学教授。1965年日本学士院会員。デカルトなど近世初期哲学を専攻。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。