下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 200… 下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 2006年4月29日)は、日本の厚生官僚。元社会保険庁長官。広島県広島市中区吉島出身。愛称は「シモケン」。
8月20日生まれ:365人
下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 200… 下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 2006年4月29日)は、日本の厚生官僚。元社会保険庁長官。広島県広島市中区吉島出身。愛称は「シモケン」。
黒野 清宇(くろの せいう、1930年8月20日 - 201… 黒野 清宇(くろの せいう、1930年8月20日 - 2017年7月5日)は、日本の書家。かな書を中心に活動し、日展で特選、日展会員賞、文部科学大臣賞を受賞したほか、日本藝術院賞を受賞した。愛知教育大学名誉教授。 愛知県生まれ。本名は黒野貞夫。愛知学芸大学(のちの愛知教育大学)を卒業し、宮本竹逕に師事した。1955年、日展出品作「後撰和歌集抄」で初入選した。 1976年に日展特選、1989年に日展会員賞、2002年に日展文部科学大臣賞を受賞した。また、第36回日展出品作「梅の花」により、2004年度の第61回日本藝術院賞を受賞した。 愛知教育大学では教授を務め、のちに名誉教授となった。2008年に中日文化賞、2010年に東海テレビ文化賞を受賞した。
鈴村 進(すずむら すすむ、1930年8月20日 - 202… 鈴村 進(すずむら すすむ、1930年8月20日 - 2021年12月19日)は、日本の著作家、評論家。 愛知県出身。名古屋大学法学部卒業。会社役員を経て、文筆家となる。歴史ビジネス書、のちには大河ドラマ関連本を書く。
菊池 康郎(きくち やすろう、1929年〈昭和4年〉8月20… 菊池 康郎(きくち やすろう、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2021年〈令和3年〉11月3日)は、囲碁のアマチュア強豪。東京都大田区出身。専修大学卒業。 世界アマチュア囲碁選手権戦優勝、全日本アマチュア本因坊戦等国内アマ大会優勝20数回を数え、アマ四強と呼ばれた一人。緑星囲碁学園を主宰し、山下敬吾を始め、多数のプロ・アマ棋士を育成した。国際囲碁交流にも尽力、緑星囲碁学園代表、国際囲碁友好会理事長、全国子ども囲碁普及会代表、一般社団法人全日本囲碁協会理事長。 大田区蒲田に生まれ、3歳頃に囲碁好きの父の影響で囲碁を覚え、碁会所で腕を磨く。高輪中学時代に横浜市中山に疎開し、相原忍三段や、伊藤友恵、小泉重郎らの指導を受ける。
大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8… 大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8月20日 - 1994年 <平成6年> 12月19日)は日本の大蔵・経済企画官僚。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 東京府神田生まれ。第一高等学校、東京大学法学部卒業。1953年 大蔵省入省(理財局総務課)。1980年12月1日に経済企画庁長官官房審議官(調整局担当)。1982年7月2日 国民生活局長。1983年7月12日 総合計画局長。1985年6月10日に経済企画審議官となり、1986年6月3日より経済企画事務次官。1987年6月23日に退官。同年 大和銀行総合研究所(現:りそな総合研究所)初代理事長(〜1993年4月28日)。1994年12月19日 死去。
鈴木 正(すずき ただし、1929年8月20日 - 2014… 鈴木 正(すずき ただし、1929年8月20日 - 2014年10月23日)は、日本の経営者。第一製薬社長を務めた。 愛知県出身。1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に第一製薬に入社。1973年に取締役に就任し、1975年に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1999年6月に会長に就任し、2004年7月には相談役に就任。 2003年11月に旭日中綬章を受章。 2014年10月23日、肺炎のために死去。85歳没
池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月2… 池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉2月28日)は、日本の政治家。 国土庁長官(第27代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣兼阪神・淡路復興対策担当大臣(村山改造内閣)、衆議院懲罰委員長、同災害対策特別委員長、衆議院議員(7期)、社会民主党国会対策委員長(初代)などを歴任。 北海道室蘭市生まれ、釧路市出身。旧制釧路中学校、旧制弘前高校を経て、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後は北海道日高支庁管内の学校教員に奉職し、北海道教職員組合の書記長も務めた。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧北海道4区から立候補し、初当選。
黄 信介(こう しんかい、1928年8月20日 - 1999… 黄 信介(こう しんかい、1928年8月20日 - 1999年11月30日)は台湾の政治家。祖籍は福建省安渓。原名は黄金竜。 1940年代初め、小学を卒業した黄信介は日本に渡り印刷工として働きながら旧制上野中学(現在の東京都立上野高等学校)に学んだ。1946年台湾に戻り、1948年には北京大学に合格するも国共内戦により入学は実現しなかった。1949年に台湾地方行政専科学校(現在の 国立台北大学)に入学し、1951年に卒業した。 黄信介は学生時代政治活動に積極的に参加するようになり、専科学校入学直後には中国国民党に入党している。1950年冬、国民党の指示に従い、1954年以降の台北市長選挙に応援として参加し候補者当選に貢献した。
嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2… 嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2025年8月5日)は、日本の農学者。長野県塩尻市出身。信州大学繊維学部 名誉教授、農学博士(1960年 東京大学)。 高度経済成長期、製糸業も自動繰糸機全盛期へと向かう中(1950~1960年代)、製糸工程の統計的管理法、定粒繰糸・定繊自動繰糸の基礎理論を確立。戦後日本の製糸業界発展に寄与すると共に、現在は世界的に普及した自動繰糸機の工程管理手法の礎を築いた。 信州大学教授就任後(製糸・管理工学)は、数多くの学生を指導、国際的にも門戸を拡げ世界各国の学生を受け入れた。 教授時代の中国蘇州丝绸工学院(現:蘇州大学)との交流は、後に岡谷蚕糸博物館名誉館長就任後に、岡谷市と蘇州絲博物館(英語版)との学術交流協定締結へと繋がった。
宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 199… 宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。信光電機有限会社の代表取締役社長として家電量販店「城南電機」を経営した。 身長154センチメートル (cm) と小さな体躯と独特のダミ声に加え、明るいキャラクターで「城南電機の宮路社長」としてテレビ番組などに出演した。 和歌山県日高郡中津村(現在の日高川町)出身。1928年8月20日に地元で有数の材木商に四男四女の次男として出生する。 高津尾小学校を卒業後、1940年に和歌山県立和歌山工業学校機械科へ進学する。その後に太平洋戦争が勃発し、1941年12月から1年半、兵庫県明石市内の飛行機部品工場へ学徒動員される。
河内 良弘(かわち よしひろ、1928年8月20日 - )は… 河内 良弘(かわち よしひろ、1928年8月20日 - )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、天理大学名誉教授。専門は東洋史、特に東北アジア史。満洲族に関する研究に従事。 佐賀県武雄市出身。1950年から1951年まで千葉県成田町立中学校教諭。1954年京都大学文学部東洋史学科卒業、同大学院博士課程満期退学。1973年天理大学教授、1987年京都大学文学部教授。1992年定年退職、名誉教授、天理大学教授、1999年定年、名誉教授。2016年日本学士院賞受賞。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
河村 元雄(かわむら もとお、1928年8月20日 - 20… 河村 元雄(かわむら もとお、1928年8月20日 - 2017年3月31日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。 愛媛県出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友倉庫に入社した。1982年6月に取締役に就任し、1983年12月に常務を経て、1987年6月に社長に就任し、1994年6月には会長に就任した。2004年6月に取締役相談役に就任し、2005年6月には相談役に就任した。 1992年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2017年3月31日、老衰のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
太田 愛人(おおた あいと、1928年8月20日 - )は、… 太田 愛人(おおた あいと、1928年8月20日 - )は、日本の牧師。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡中学を経て、東京神学大学大学院修士課程修了。日本キリスト教団大町教会牧師、柏原信濃村伝道所牧師を経て、横浜上星川教会牧師。月刊通信誌「辺境通信」発行人。1980年『羊飼の食卓』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 202… 後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 2024年1月15日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1968年)。神戸商科大学名誉教授・元学長。2006年瑞宝中綬章受章。 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学経済学部卒業。1954年同大学院修了、名古屋大学助手、1957年神戸商科大学講師、1959年助教授、1965年教授、1968年「企業の投資決定論」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1986年学長。1990年定年退任、名誉教授、追手門学院大学経営学部教授。2001年日本経営財務研究学会会長。2006年瑞宝中綬章受章。
岡部 英男(おかべ ひでお、1928年8月20日 - 202… 岡部 英男(おかべ ひでお、1928年8月20日 - 2020年2月4日)は、日本の政治家。位階は正五位。 茨城県議会議員(7期)、茨城県議会議長、衆議院議員(1期)を歴任。自由民主党所属。 茨城県出身。1951年に法政大学工学部卒業。茨城県議を7期務め、1985年に議長に就任した。1998年2月、塚原俊平の死去に伴う衆議院茨城5区の補欠選挙で当選した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、民主党の大畠章宏に敗れて落選した。2014年、旭日中綬章受章。 2020年2月4日、肺炎のため死去。91歳没。死没日をもって正五位に叙される。
青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2… 青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2006年6月29日)は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授。英国中世史が専門。 1926年、広島県で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1952年に卒業。 卒業後は、東洋大学助教授に就いた。1961年、日本女子大学助教授に転じた。後に教授昇格。1997年に日本女子大学を定年退任し、名誉教授となった。2000年に勲三等瑞宝章を受章。
中野 道義(なかの みちよし、1926年8月20日 - 19… 中野 道義(なかの みちよし、1926年8月20日 - 1996年1月25日)は、愛媛県出身のプロ野球選手。
田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2… 田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2008年7月14日)は、日本の生物学者。 広島県広島市出身。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授。理学部生物学科の植物形態学講座の研究を引っ張った。植物の染色体研究のほか、広島大学附属植物遺伝子保管研究施設では、植物の組織培養(クローン)の研究を行った。その後、1989年から1993年まで広島大学学長、広島市立大学初代学長となった。2000年、勲二等旭日重光章受章。 2008年7月14日午前1時43分、呼吸不全のため広島県東広島市の病院で死去。82歳没。
仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 200… 仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 2005年3月13日)は、日本の教育者。北海道高等学校体育連盟、北海道高等学校野球連盟の元会長。元プロ野球選手。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 北海道札幌市に生まれ、4歳で小樽市に移住。旧制小樽中学校から東京高等師範学校(現・筑波大学)に進学。在学中は東都大学リーグで活躍し、母校の一部昇格に貢献した。卒業後東和ゴムに入社したが、プロ野球再編問題によるセ・リーグ誕生に伴い新設され、選手が不足していた新球団国鉄スワローズの誘いに応じて入団。シーズン途中の入団だが、同期に金田正一がいる。投手として国鉄に2年在籍後に引退。本人は後に当時を振り返って、「プロで食べていこうという心づもりは無く、野球の大学をちょっと覗いてみようというぐらいの気持ちだった。
桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 20… 桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 2011年10月16日)は、日本の画家。 戦後、安部公房、勅使河原宏らとともに「世紀の会」に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる。また、小河内ダム建設反対運動に加わり、ルポルタージュ絵画を製作した。 その後も、鋭い批判精神で社会を見据えた作品を発表し続けた。
宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月2… 宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月20日 - 2005年(平成17年)10月19日)は、東けんじとコンビ漫才「Wけんじ」を結成した日本の漫才師、または司会者、俳優。本名は寺島 文雄(てらしま ふみお)。宮城県亘理郡逢隈村(現:亘理町)出身。血液型A型。趣味は読書。晩年はマセキ芸能社に所属していた。 座右の銘「努力ある所に自信あり」。競馬、競輪、オートレース、麻雀、パチンコと何でもござれの大の博打好き。 3歳の時に養子に入った巣鴨の家の隣が大都映画の撮影所であったことから、遊び場として出入りしているうちに7歳で子役としてデビュー。 大都映画の専属俳優から軽演劇界、新宿ムーランルージュを経て、歌手の春日八郎の専属司会を約10年勤め話芸を磨いた。
田村 學造(たむら がくぞう、1924年(大正13年)8月2… 田村 學造(たむら がくぞう、1924年(大正13年)8月20日 - 2002年(平成14年)12月14日)は日本の農芸化学者、微生物学者。農学博士、東京大学名誉教授、文化功労者。 父・憲造、母・要子の次男として生まれる。憲造は東京帝国大学医学部教授でカンフルやジギタリスといった強心剤の研究で知られており、親子2代で学士院賞を受賞し、学士院会員に推挙されている。兄・善蔵も東京大学薬学部教授という学者一族である。學造は成蹊高等学校を経て、東京帝国大学農学部農芸化学科に進学し、発酵学講座にて坂口謹一郎教授の指導を受ける。卒業後しばらく農林省水産試験場の嘱託をしていたが、1949年に坂口の下で助手に採用され、1959年には坂口の後任となった有馬啓教授のもとで助教授となった。
小野田 隆(おのだ たかし、1923年8月20日 - 200… 小野田 隆(おのだ たかし、1923年8月20日 - 2009年7月25日)は、元東京都新宿区長。
内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )… 内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )は、日本の社会政策学者。立教大学名誉教授。 福島県田村郡三春町生まれ。実家の家業は味噌醤油の醸造業。1941年福島県立田村中学校卒業。1943年立教大学経済学部予科入学。在学中に学徒出陣で海軍に入隊するが、病気のため半年ほどで除隊。1945年立教大学経済学部本科入学。立教でも教鞭を執っていた東京大学教授の大河内一男と出会い、東大の大河内ゼミに参加。1947年に大河内に代わって隅谷三喜男が立教で社会政策を担当するようになり、隅谷ゼミに参加し、引き続き東大の大河内ゼミにも参加。1948年立教大学経済学部卒業、同研究科入学。籍は立教にあったが、実際は東大で大河内・隅谷の指導を受けた。
阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月… 阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉8月)は、日本の医学者。医学博士(名古屋大学)。ミシシッピ州立大学(英語版)医学部教授。テキサス・ハート・インスティテュート教授。国立循環器病センター研究所副所長。テルモ社長。日本人工臓器学会名誉会長。世界で初めて人工心臓を開発し、人工心臓の父と呼ばれる。 1957年、クリーブランド・クリニック(アメリカ・オハイオ州)に留学。そこで、人工心臓の開発に取り組み、1958年、ウィレム・コルフ博士とともに、世界で初めて開発した人工心臓を使って、イヌを約1.5時間生存させることに成功した。その後、ニューヨーク州立大学、ミシシッピ州立大学、テキサス・ハート・インスティテュートで研究開発、改良を進め、動物実験での生存記録更新等成果を出した。
八戸 芳夫(はちのへ よしお、1922年8月20日 - )は… 八戸 芳夫(はちのへ よしお、1922年8月20日 - )は、日本の農学者、北海道大学名誉教授。 北海道生まれ。北海道帝国大学農学部畜産学科卒、1956年「蜜蜂の口吻長に関する研究」で農学博士。農林省畜産試験場に勤め、1962年北海道大学農学部助教授となり、1964年教授。1986年定年退官、名誉教授となる。養蜂が専門。
和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20… 和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20日 - 1986年(昭和61年)4月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議員(3期)。公明党に所属した。位階は正五位。 鹿児島県垂水市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)から1937年に士官学校へ進み、1940年に陸軍士官学校本科(54期)を卒業。陸軍大尉で復員。その後、公職追放となる。 1963年、鹿児島県議会議員に当選し、3期務める(鹿児島市区選出)。3期目の1972年11月に県議会議員を辞職し、第33回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)、第10回参議院議員通常選挙(鹿児島県選挙区)、第34回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)に立候補するが落選。
上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1… 上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1999年11月27日)は、日本の中国史学者。中国古代史専攻。東京大学教授、関東学院大学教授などを歴任。 上原専禄の長男として東京府北豊島郡滝野川(現・北区滝野川)に生まれる。1942年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部東洋史学科入学。しかし、太平洋戦争の戦局悪化により、1943~1945年学徒兵として従軍。 戦後、1948年に東京大学卒業、同大学院に入学。1953年より母校の東京大学教養学部専任講師となり、1955年助教授、1967年教授。1982年に定年退官。名誉教授の称号を辞退し、その後は関東学院大学教授として教鞭をとった。1987年に関東学院大学も退職。
田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 20… 田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 2004年7月22日)は、元卓球選手。卓球用品総合メーカー株式会社タマスの創業者。山口県柳井町(現・柳井市)出身。 旧制柳井商業学校 (現・山口県立柳井商工高等学校) 卒業。1946年、全日本卓球選手権大会では男子シングルス決勝で藤井則和に0-2で敗れ準優勝。1949年、田中良子と出場した全日本選手権混合ダブルス決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。1950年、卓球用品総合メーカー株式会社タマスを創業した。1957年、『卓球レポート』を創刊した。1983年、バタフライ卓球道場を建設した。 株式会社タマスは、ブランド名であるBUTTERFLY(バタフライ)として知られている。
山本 朗(やまもと あきら、1919年〈大正8年〉8月20日… 山本 朗(やまもと あきら、1919年〈大正8年〉8月20日 - 1998年〈平成10年〉1月11日)は、日本の新聞記者、実業家。中国新聞社第4代社長。 広島県広島市出身。中国新聞創業家に生まれる。子供時代から優等生で広島高等師範学校附属小学校を5年で修了し、広島県立広島第一中学校に入学。旧制中学を4年修了で旧制広島高等学校に進学。自転車通学で3年間無遅刻、無欠席を続け卒業時には皆勤賞を受けた。同期に永野厳雄(広島県知事)、1年後輩に松谷健一郎(中国電力会長)などがいる。 旧制高校卒業後、東京帝国大学経済学部に進学。1941年4月、実父の山本實一が社長を務める中国新聞社に入社。県政記者などを担当していたが、1944年(昭和19年)3月召集令状が来て呉海兵団へ入隊。
高木 一見(たかぎ かずみ、1919年(大正8年)8月20日… 高木 一見(たかぎ かずみ、1919年(大正8年)8月20日 - 1997年(平成9年)3月18日)は、日本の実業家。毎日放送(MBS)元社長。 広島県出身。東北大学法文学部卒業後、1947年(昭和22年)に毎日新聞社へ入社。 1955年(昭和30年)、大阪テレビ放送(現・朝日放送テレビ)の設立と同時に出向し、経理部長をつとめた後、新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に転籍して財務部長。その後経理部長、総務局長、テレビ営業局長、取締役テレビ編成制作局長を経て、1968年常務、1969年専務、1979年副社長をそれぞれ歴任。1980年(昭和55年)、第3代社長坂田勝郎の後を受けて毎日放送第4代代表取締役社長に就任した。
武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月… 武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月20日 - 1986年(昭和61年)6月8日)は、日本の小説家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学独文科卒。 早稲田大学在学中に同人誌「炬火」に参加。 芥川賞候補に4回推されるが、いずれも受賞を逸した。 1960年作の「自由ヶ丘夫人」(光文社)はベストセラーとなり、1960年8月に映画化(東宝、監督佐伯幸三。出演:新珠三千代・池部良・淡路恵子・安西郷子・加東大介・浜美枝・有島一郎・杉葉子)されて、自由が丘の高級住宅街としてのイメージアップにつながった。また全国に「〜丘」という地名が出来るきっかけともなった。この他に「芦屋夫人」(1959年)、「銀座夫人」(1962年)がある。
荘 英介(しょう えいすけ、1918年〈大正7年〉8月20日… 荘 英介(しょう えいすけ、1918年〈大正7年〉8月20日 - 2019年〈平成31年〉4月6日)は、日本の実業家。元スピードスケート選手。元日本スケート連盟名誉会長。元王子製紙専務。元王子製袋社長。 慶應義塾大学経済学部卒業。王子製紙所属のスピードスケート選手として活躍。現役を引退後は北海道苫小牧市にある王子製紙の苫小牧工場長に就任。監査役を経て1981年に王子製袋社長に就任。 また1992年には日本スケート連盟会長に就任。1998年に同連盟の会長を退任後は名誉会長となる。1999年、勲四等瑞宝章を受章。 2019年4月6日、東京都豊島区の自宅にて老衰のため死去。享年100歳。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
渋谷 直蔵(しぶや なおぞう、旧字体: 澁谷 直藏、1916… 渋谷 直蔵(しぶや なおぞう、旧字体: 澁谷 直藏、1916年(大正5年)8月20日 - 1985年(昭和60年)12月16日)は、日本の政治家、労働官僚。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。 福島県出身。旧制石川中学校、旧制第二高等学校(文科乙類)、1940年東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業後、内務省入省。東京府内務部地方課属。それから2ヶ月後に東京府議会副議長の長女と結婚。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。1941年1月、経理学校を卒業したが病のため療養。同年4月、横須賀海兵団付となる。1942年5月、主計大尉に進む。1943年、武山海兵団予備学生教官兼副官に転じた。
山崎 正(やまざき ただし、1916年〈大正5年〉8月20日… 山崎 正(やまざき ただし、1916年〈大正5年〉8月20日 - 1968年〈昭和43年〉1月19日)は、日本の作詞家。代表作の『お富さん』は春日八郎の歌唱により戦後日本の復興を代表するヒット曲のひとつとなった。 東京市亀戸町に生まれ、母親の再婚を機に群馬県高崎市に転居、旧制高崎中学卒業後、東京美術学校に入学、高橋掬太郎門下で作詞を学び、歌謡同人誌「幌馬車」の同人となる。 1937年、日中戦争による召集で高崎歩兵第15連隊に入隊、同年9月20日、傷病により現地の野戦病院に収容、翌10月4日に満州チチハル陸軍病院に転院。病院で作詞を続け『踊る支那兵』を「幌馬車」に発表。帰還後に前橋市の料亭「鳥辰」の長女ふみ子と結婚、1942年に作詞した『暁の門出』『茶作り次郎長』『軍歌千里」がレコード化されプロの作詞家としてデビューするも、1944年に再び召集、東部軍管区宇都宮師管区歩兵第三補充隊(東部第38部隊)の兵長として内地で終戦を迎える。
大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月2… 大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月20日 - 2014年(平成26年)3月12日)日本の小説家・評論家。本名は同じく「巨人」と書いて「のりと」。マルクス主義の立場を堅持し、唯物論的観点から個人の尊厳を創作で追究した。小説・批評のいずれにおいても、常に主体を明確にした、論理性を重んじる文体を用いた。 戦後、「近代文学」などに小説・評論を発表。戦後文学・思想の方向性を巡る論争で積極的に発言する。1955年から25年間書き継いだ『神聖喜劇』のほか、『五里霧』(1997年)、『迷宮』(2004年)など。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)、旧制福岡高等学校卒業、九州帝国大学法文学部中退。
中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年(大正4年)8月2… 中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年(大正4年)8月20日 - 2001年(平成13年)11月11日)は、日本の政治家。民社党参議院議員(2期)。 兵庫県出身。1933年(昭和8年)大阪府立阿倍野高等女学校(現・大阪府立阿倍野高等学校)卒、同校補習科修了。神戸生活協同組合理事、神戸市生活指導研究会指導員、宝塚市議会議員などを務める。 1965年(昭和40年)の第7回参議院議員選挙に民主社会党(後の民社党)公認で兵庫県選挙区から出馬して当選。1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙で2選。1975年6月26日、衆議院外務委員会、ILO102号条約批准に伴う母性保護の国内措置が不充分と、攻撃。
船木 長一郎(ふなき ちょういちろう、1915年〈大正4年〉… 船木 長一郎(ふなき ちょういちろう、1915年〈大正4年〉8月20日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の政治家。元佐呂間町町長。位階は従五位。家族は兄に船木長蔵(元佐呂間漁業協同組合組合長、北海道漁業協同組合連合会副会長)、息子に元椴法華村村長の船木英秀。 佐呂間町出身。漁師の家系に生まれ、1934年に北海道酪農義塾を卒業し佐呂間村産業組合に入職、その後有志とともに運送業者を起業し1940年まで経営するも、ガソリン配給制が敷かれたことにより廃業を余儀なくされ地元農協を経て佐呂間村役場に入職。 1941年の役場入職後は書記補を経て36歳で助役、国鉄湧網線建設の陳情や町内の電力供給を改善すべく自家発電設備の建設・送電線改良や変電所設置に尽力。
藤田 宗一(ふじた そういち、 1914年8月20日 - 1… 藤田 宗一(ふじた そういち、 1914年8月20日 - 1980年9月3日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 20… 増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 2007年5月27日)は、日本の社会運動家、社会運動研究家である。 東京・日本橋新堀町生まれ。開成中学を1931年3月に卒業。翌4月成城高等学校に入学、2学年のとき自由主義教育の理念を掲げる小原國芳主事の解雇反対運動(成城事件)で生徒側の闘争委員を務めた。1935年4月京都帝国大学経済学部に入学、農業経済を専攻しのち地代論を学んだ。在学中、新村猛・中井正一らの『世界文化』の発行に呼応し、反ファシズム人民戦線運動の一環として、1936年5月『学生評論』を創刊した。1938年9月「日本共産主義者団」の事件に連座して検挙されたが、同年12月不起訴で釈放され、1939年3月大学を卒業した。
菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年〈大正元年〉8月20… 菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年〈大正元年〉8月20日 - 1990年〈平成2年〉10月3日)は、日本の政治家(茨城県議会議員、同議長)、実業家、テロリスト。別名は小幡五朗。 茨城県那珂郡前渡村にて農業徳松の三男として生まれ、水戸勤王の遺風を学んで成長した。上京後は自動車の助手を経て岩倉鉄道学校(現・岩倉高等学校)に進学。1929年(昭和4年)10月、同校業務課を卒業し、翌1930年(昭和5年)、東武東上線池袋駅に就職するつもりが、紅緑色盲のため鉄道業務に致命的であると判断されて就職できなかった。失意の中、大洗町の護国堂にいた井上日召のもとに通う。 1930年(昭和5年)、ロンドン軍縮条約をめぐって統帥権干犯問題が起きると、日本国民党(委員長・寺田稲次郎、書記次長・鈴木善一)がその抗議行動のために結成しようとした決死隊に参加。
安藤 正一(あんどう しょういち、1912年8月20日 - … 安藤 正一(あんどう しょういち、1912年8月20日 - 1995年3月22日 )は日本の歯科医師、歯学者。 東京出身。1930年、旧制日本大学中学校(現・日本大学第一高等学校)卒業、1934年日本大学専門部歯科卒業。1964年、日本大学歯学部歯科放射線学講座第3代教授。1973年から1977年まで日本大学歯学部付属歯科病院長。 日本歯科放射線学会会長、総務理事、日本歯科医学会副会長などを歴任した。 1995年3月22日、心筋梗塞のため死去。
菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 19… 菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 1990年10月3日)は、日本の政治運動家、殺人者、テロリスト、超国家主義者、政治家。別名は小幡五朗。
松本 雅明(まつもと まさあき、1912年8月20日 - 1… 松本 雅明(まつもと まさあき、1912年8月20日 - 1993年12月29日)は、東洋史学者。学位は、文学博士(東京大学・1961年)。熊本大学名誉教授。1984年勲二等瑞宝章受章。 熊本県生まれ。1936年東京帝国大学文学部東洋史卒。1961年「詩経における新古の層および思惟展開の径路に関する研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。熊本大学法文学部助教授、文学部教授、1978年定年退官、名誉教授。 1984年勲二等瑞宝章を受章。
神 直道(じん なおみち、1911年(明治44年)8月20日… 神 直道(じん なおみち、1911年(明治44年)8月20日 - 1998年(平成10年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、宗教学者。軍人としての最終階級は陸軍中佐。陸士44期卒で瀬島龍三と同期。
灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年8月20日 - 19… 灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年8月20日 - 1982年10月26日)は、日本の歌手、ウクレレ奏者。本名及び幼名:灰田 稔勝(はいだ としかつ)。ハワイアンやヨーデル、流行歌で、第二次世界大戦前後に数々のヒット曲を飛ばして一世を風靡した昭和を代表する流行歌手である。伸びのある裏声が特徴で、日本の流行歌に都会の香りを持ち込んだ。また、映画俳優としても華々しく活躍した。作曲家でスチールギター奏者の灰田晴彦は兄(のちに有紀彦に改名)。 保谷市(現:西東京市)を気に入り、居を構えていた。 灰田稔勝(のちの勝彦)は、明治政府の移民政策によって広島(現:広島市南区)からハワイに移住した医師・灰田勝五郎の三男として、ハワイのホノルルで生まれた。
板谷 隆一(いたや たかいち、1911年〈明治44年〉8月2… 板谷 隆一(いたや たかいち、1911年〈明治44年〉8月20日 - 1991年〈平成3年〉9月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵60期次席。海兵同期に鈴木實、進藤三郎など。第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。 農業・板谷儀市の二男として佐賀県三養基郡中原村に生まれる。兄は真珠湾攻撃作戦時に空母「赤城」分隊長で、第一次攻撃隊制空隊長を務めた板谷茂(海軍中佐・海兵57期首席)。 旧制三養基中学を経て、海軍兵学校60期を次席で卒業。 海兵次席のエリートながら、日中戦争から太平洋戦争までほとんどの期間を第一線で勤務した。 1937年(昭和12年)8月9日に発生した大山事件(上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫中尉(板谷と海兵同期)が殺害され、第二次上海事変のきっかけの一つとなった)を受け、8月11日に大山中尉の後任として上海海軍特別陸戦隊附 兼 第三艦隊司令部附となる。
鈴木 啓蔵(啓藏、すずき けいぞう、1910年〈明治43年〉… 鈴木 啓蔵(啓藏、すずき けいぞう、1910年〈明治43年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉5月8日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(3期)。位階は正六位。 山形県南村山郡上山町十日町出身。旧制山形中学校(現山形東高校)、早稲田大学中退。1931年に兄の死去に伴い上山町に帰郷。太平洋戦争に応召。1945年終戦は台湾の屏東で迎えた。復員後、山形県に奉職。山形県知事室秘書課長、文書課長、統計課長、東京事務所長、最上事務所長、東南村山地方事務所長を歴任。 1959年より松本長兵衛市長のもと上山市助役を2期務めた。 1971年7月に上山市長選に出馬し、雨谷憲作との一騎打ちを制して初当選。(鈴木啓蔵13,549票、雨谷憲作9,204票) 1975年6月の市長選では、無投票当選し2選。
斎藤 鶴子(さいとう つるこ、1909年8月20日 - 20… 斎藤 鶴子(さいとう つるこ、1909年8月20日 - 2000年9月30日)は、日本の平和運動家。 宮崎県延岡で、7人兄弟中の3姉妹の長女として生まれた。父は教員で、各地の学校で校長を務めた。 1930年に、東京女子高等師範学校附属高等女学校専攻科を卒業した。在学中は幼児教育を専門とした倉橋惣三に師事し、またテニスに打ち込んだ。その後、結婚して東京・中野に定住したが、戦時中の1944年には山形県に疎開していた。 1950年代に、PTA活動に参加するようになったことをきっかけに、社会問題への関心を深め、1954年の第五福竜丸の被爆事件を機に、安井郁らが組織した主婦学習グループ「杉の子会」に加わり、原水爆禁止運動、平和運動に関わり始め、1955年に『朝日新聞』への投書をきっかけに投稿者らの女性グループ「草の実会」に参加して、1967年には「草の実会」を母体に平和研究グループを組織し、原水爆禁止運動などに取り組んだ。
安田 敏雄(やすだ としお、1909年(明治42年)8月20… 安田 敏雄(やすだ としお、1909年(明治42年)8月20日 - 1977年(昭和52年)9月27日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 山梨県南都留郡谷村町下谷(現都留市)で生まれる。1927年(昭和2年)都留中学校(現山梨県立都留高等学校)を卒業した。 谷村町町営電気部(のち東京電燈に合併)に入所。戦後、労働運動に加わり、関東配電労働組合大月分会委員長、南都留労協委員長、東京電力労働組合山梨県支部常任執行委員などを務めた。また社会運動研究会「黎人荘」を設立して主幹に就任。 政界では、社会大衆党に入党。1947年(昭和22年)山梨県議会議員に選出され2期在任し、同副議長を務めた。