川上 康男(かわかみ やすお、1946年12月21日 - )… 川上 康男(かわかみ やすお、1946年12月21日 - )は、日本の実業家である。株式会社長府製作所代表取締役会長、サンポット株式会社取締役、下関商工会議所会頭、山口県商工会議所連合会会頭。 1946年、長府製作所の実質的創業者である川上米男の四男として山口県下関市に生まれる。静岡大学工学部を卒業後、1971年に長府製作所に入社。その後、取締役営業所長や取締役宇都宮工場長を歴任し、1997年12月9日に代表取締役社長に就任。社長在任中には、東証一部上場を果たし、暖房機器メーカーのサンポットを子会社化するなど会社を大きく成長させた。2012年3月23日付で代表取締役会長に就いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
堤 俊作(つつみ しゅんさく、1946年12月21日 - 2… 堤 俊作(つつみ しゅんさく、1946年12月21日 - 2013年9月1日)は、日本の指揮者。 1946年生まれ。桐朋学園大学卒業。指揮を齋藤秀雄に師事。東京交響楽団副指揮者、及び 同正指揮者を経て、1975年に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を設立、常任指揮者として17年にわたってその育成に努めた。1974年、ロンドンでルパート指揮者コンクールに入賞。1978年、ジュネーブ国際音楽コンクール指揮部門で最高位を受賞。ロンドン交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、シモン・ボリバール交響楽団などに客演。バレエ音楽の指揮者としても活動。1988年から1992年まで札幌交響楽団の専属指揮者。その間、三枝成彰のヴァイオリン協奏曲の委嘱公演、東南アジア演奏旅行などを行った。
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 … 松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、日本の画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 北海道北見市に生まれた。本名読み・おさふみ。北海道札幌西高等学校時代の教諭に菱川善夫がいた。東京藝術大学美術学部卒業。その後、同大学院に学んだ。 美術史家としては、今村紫紅など近代の日本画家を研究した。1983年、青梅市立美術館の開設準備に携わり、副館長などを経て2009年の退職まで務めた。並行して、実作や評論を行った。 短歌を大野誠夫に学び、歌誌「作風」を編集。1984年、大野の死により「作風」を退会。その後は無所属だった。また、句集や詩集の著作もある。
榊原 茂樹(さかきばら しげき、1945年12月21日 - … 榊原 茂樹(さかきばら しげき、1945年12月21日 - )は、日本の経営学者。経営学博士(論文博士・1988年)。神戸大学名誉教授。元日本経営財務研究学会会長。 愛知県生まれ。兵庫県立神戸高等学校卒、1968年神戸大学経営学部卒業。 同年住友化学工業入社。 1972年神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了、1988年「資本資産の価格形成モデルとその応用に関する理論的・実証的研究」で経営学博士の学位を取得。 1972年神戸大学経営学部助手、1975年講師、1979年助教授、1988年教授、2000年経営学部長。2006年定年退官、名誉教授、関西学院大学商学部教授を務め、2014年退職。この間2007年から2010年まで日本経営財務研究学会会長。
沖山 秀子(おきやま ひでこ、1945年12月21日 - 2… 沖山 秀子(おきやま ひでこ、1945年12月21日 - 2011年3月21日)は、日本の女優、ジャズ、歌謡歌手。 鹿児島県出身。両親は沖永良部島出身。後に兵庫県神戸市灘区に転居している。関西学院大学在学中に映画『神々の深き欲望』に出演。 以後『喜劇 女は度胸』、『わが恋わが歌』、『いつか来るさよなら』、『アッと驚く為五郎』、『喜劇 男は愛嬌』、『ズンドコズンドコ全員集合!!』、『どですかでん』(黒沢明監督作品)、『真剣勝負』、『黒木太郎の愛と冒険』、『十九歳の地図』、『陽炎座』、『赤目四十八瀧心中未遂』に出演。 『グレープフルーツのような女 性乱の日々』では監督兼脚本を務めた。 歌手としては、シングル『ダンチョネ節 / ピエロが街にやって来る』、アルバム『Summertime』をリリース。
小池 征人(こいけ まさと、1944年12月21日 - 20… 小池 征人(こいけ まさと、1944年12月21日 - 2024年10月26日)は、日本の記録映画作家。 満州国生まれ。敗戦に伴い母・兄弟姉妹とともに引上げ、山梨県鰍沢町(現富士川町)にて育つ。 1967年に中央大学法学部卒業ののち、東京大学新聞研究所に3年間所属し日高六郎のもとで研究。土本典昭の助監督として記録映画界へ入る。 日本映画学校(現日本映画大学)にて「人間研究」の講師を務める。 2024年、神奈川県藤沢市内の病院にて死去。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
原 正文(はら まさふみ、1943年12月21日 - )は日… 原 正文(はら まさふみ、1943年12月21日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 新日本製鐵などに所属し、日本代表としても1970年のアジア競技大会など、国際Aマッチ5試合に出場した。 高校時代はFWを務めており、その経験を生かした果敢なオーバーラップを得意としていた。
竹中 登一(たけなか とういち、1941年12月21日 - … 竹中 登一(たけなか とういち、1941年12月21日 - )は、日本の実業家、獣医師、医学博士。アステラス製薬代表取締役社長CEO、同社代表取締役会長、日本製薬団体連合会会長、筑波大学連携大学院基礎医学系客員教授、東京大学大学院薬学系研究科特任教授等を歴任した。旭日重光章、紫綬褒章受章。 愛知県刈谷市生まれ。愛知県立刈谷高等学校を経て、1964年岐阜大学農学部獣医学科卒業、獣医師免許取得、山之内製薬(現アステラス製薬)中央研究所薬理研究員。1980年東邦大学医学博士。2006年岐阜大学名誉博士。 1993年山之内製薬取締役創薬研究本部長。1997年常務取締役創薬研究本部長兼研究開発本部長。1999年専務取締役(経営企画・海外事業担当)。
海保 宣生(かいほ のぶお、1941年12月21日- 201… 海保 宣生(かいほ のぶお、1941年12月21日- 2015年4月19日)は、東京都出身の元バスケットボール選手、スポーツ指導者。元バスケットボール男子日本代表。 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に所属するサッカークラブである鹿島アントラーズ及びモンテディオ山形の運営会社幹部を務めていたことでも知られる。 東京都出身。立教大学経済学部経済学科を卒業後、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。籠球団(バスケットボール部)に所属し、1964年東京オリンピックのバスケットボール競技において日本代表チームの一員として活躍した。現役引退後は立教大学体育会バスケットボール部の監督を経て住友金属の監督も歴任した。
鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )… 鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )は、日本の慈善活動家。男性。 滋賀県甲賀市出身。甲賀忍者甲賀二十一家荘内三家の内の一家鵜飼党本家鵜飼孫六の直系16代目、勝山より7代目、玄達より11代目、鵜飼舎杖より12代目の直系の子孫。生家は代々医家(博天堂医院)を営む。15代鵜飼晃の3男としてに生まれる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、株式会社高島屋に就職。一般社団法人恵水会、株式会社恵水会等を運営し障がい者福祉に尽力している。 高校卒業後、髙島屋に勤務。定年後はユニマットライフ顧問、鵜飼行政法務事務所所長、有限会社ユーアイシー代表取締役、株式会社恵水会取締役社長、特定非営利活動法人あけぼの会理事長、一般社団法人恵水会理事長、特定非営利活動法人健康倶楽部緑の会理事長、株式会社恵水会社長を務める。
関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 20… 関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 2014年3月3日)は、日本の文芸評論家。主に坂口安吾と太宰治の研究者として知られる。 弘前学院大学客員教授、近畿大学教授(国際人文経済研究所副所長)、早稲田予備校現代文担当講師などを務めた。 東京府生まれ。本名、山田光男(やまだみつお)。日本大学芸術学部文芸学科卒業。近畿大学では柄谷行人の側近だったが、単著は一冊もない。 2006年3月に近畿大学の運営に不満をもち、柄谷行人とともに近畿大学教授の職を辞任。近畿大学には関井の他にも柄谷側近を自認する者はいたが、職を辞することまで柄谷と行動を伴にしたのは関井のみである。 2014年3月3日午後8時30分、虚血性心疾患のため東京都練馬区の自宅で死去。
高齋 正(こうさい ただし、1938年12月21日 - 20… 高齋 正(こうさい ただし、1938年12月21日 - 2025年6月28日)は、日本の作家、自動車評論家。高斎 正とも表記される(高斉 正の表記も見受けられるが、一般的ではない)。 群馬県前橋市生まれ。のちにSF作家仲間となる豊田有恒とは群馬大学附属小学校・中学校の同級生であり、大学進学後も交友した(1960年、豊田に『SFマガジン』の存在を伝えたのは高斎)。1957年群馬県立前橋高等学校卒業。1961年慶應義塾大学経済学部卒業。 自動車レース小説を多く書く。SF作家でもあり、日本SF作家クラブ第3代事務局長を務めた(星新一が初代会長をつとめた際の、事務局長であった)。2013年、他のベテラン作家らとともに、日本SF作家クラブの名誉会員に。
夏樹 静子(なつき しずこ、本名:出光 静子(いでみつ しず… 夏樹 静子(なつき しずこ、本名:出光 静子(いでみつ しずこ))、1938年12月21日 - 2016年3月19日)は、日本の小説家。旧姓名の五十嵐 静子名義による作品もある。 日本の女性推理小説家の草分けであり、繊細な心理描写と巧みなトリックによる『蒸発』『Wの悲劇』などの秀作により「ミステリーの女王」と称された。夫は新出光会長の出光芳秀(いでみつ よしひで)。兄は小説家の五十嵐均。 1938年、東京府(現東京都)港区芝西久保に生まれる。1943年、静岡県熱海市に転居。戦時中は榛原郡川根町に疎開した。熱海市立第一小学校、熱海市立熱海中学校、日本女子大学附属高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を卒業。
十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2… 十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2018年11月18日)は、日本文学研究者。専門は日本近代文学。学習院大学名誉教授。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て、1960年京都大学文学部国文学科卒、1966年、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1967年京都府立大学講師、1968年同助教授を経て、1978年学習院大学教授。2007年、定年退職、学習院大学名教授。2008年日本近代文学館副理事長。2010年より花園大学客員教授。 京大で中村光夫の教えを受け、二葉亭四迷研究を始める。1981年、『島崎藤村』で亀井勝一郎賞受賞。 2018年11月18日、虚血性心疾患のため、死去。
足利 健亮(あしかが けんりょう、1936年12月21日 -… 足利 健亮(あしかが けんりょう、1936年12月21日 - 1999年8月6日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。元京都大学教授。没後従四位勲三等旭日中綬章。 1936年、北海道勇払郡追分町(現:安平町)の浄土真宗大谷派寺院に生まれた。北海道苫小牧東高等学校を卒業し、京都大学文学部に進学。藤岡謙二郎の影響を受け、人文地理学の道に進み、日本の古代歴史地理研究に取り組むようになった。1961年に卒業し、同大学大学院文学研究科に進んだ。 1962年、京都大学助手に採用された。1966年、追手門学院大学講師に就いた。1968年、大阪府立大学助教授となった。1974年、京都大学教養部助教授に転じた。
葛城 隆雄(かつらぎ たかお、1936年12月21日 - 2… 葛城 隆雄(かつらぎ たかお、1936年12月21日 - 2013年7月27日)は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 大分上野丘高校では2年生の時、1953年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東九州大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗れ甲子園出場はならなかった。高校の1年上に太田文高がいた。 1955年、別当薫監督率いる毎日オリオンズに入団。高卒新人ながら活躍を見せた。 1956年にはレギュラー遊撃手となり、規定打席(22位、打率.250)にも到達。 1957年は三塁手に回り、リーグ3位の91打点を記録した。 1958年は遊撃手に戻るが、1打点差で中西太(西鉄)の三冠王を阻み、打点王を獲得。
秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は、… 秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は、日本の小説家。 京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校、同志社大学文学部(美学)卒業。同大大学院中退。1959年上京して医学書院に勤める。1969年、「清経入水」が太宰治賞を受賞し文壇にデビュー。1971年「廬山」で芥川賞候補。74年医学書院を辞めてフリーとなるが、東横学園女子短期大学で非常勤講師を務め、1992年から東京工業大学客員教授も務めた。2015年京都府文化賞・功労賞受賞。 作家の秦建日子は長男。長女・朝日子の夫は押村高。評論家の北沢恒彦は兄。文芸評論家・作家の黒川創は甥。「大きな古時計」で知られる作詞家の保富康午は妻の兄にあたる。
小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - … 小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 父は鳥取県倉吉市2代目市長の小谷善高。 東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため、1944年3月末、当地に引っ越す。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した。 大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社。
佐瀬 昌盛(させ まさもり、1934年〈昭和9年〉12月21… 佐瀬 昌盛(させ まさもり、1934年〈昭和9年〉12月21日 - 2026年〈令和8年〉2月24日)は、日本の国際政治学者。防衛大学校名誉教授、拓殖大学客員教授。専門はヨーロッパの国際政治、安全保障論で、米ソ東西冷戦研究の第一人者。 1934年(昭和9年)関東州大連市生まれ。東京大学大学院国際関係論専門修士課程修了。ベルリン自由大学に留学後、東京大学教養学部の助手となる。成蹊大学の助教授を経て、防衛大学校の教授に就任。2000年(平成12年)退官後に拓殖大学海外事情研究所の教授、所長となる。 2007年4月、日本の集団的自衛権に関する憲法解釈の見直しを検討する、安倍晋三内閣総理大臣の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の有識者委員を務めた。
明石 謙(あかし けん、1934年12月21日 - 2005… 明石 謙(あかし けん、1934年12月21日 - 2005年11月5日)は、日本のリハビリテーション科医。運動学および義肢装具学の第一人者。岡山県備前市吉永町生まれ。川崎医科大学リハビリテーション医学教室の初代教授、川崎リハビリテーション学院の学院長、日本リハビリテーション医学会常任理事を歴任した。日本のリハビリテーション医学の創成期を築き上げた医師のひとり。 岡山県立和気閑谷高等学校の学生時代に医師になりたいと希望するようになったが、成績は最上位ではなく、1953年の卒業と同時に岡山大学理学部物理学科へ入学した。英語と物理学、数学の成績が向上したため、1955年4月に同大学医学部医学科に入学することとなった。
湯浅 実(ゆあさ まこと、本名・湯浅 實(読みは同じ)、19… 湯浅 実(ゆあさ まこと、本名・湯浅 實(読みは同じ)、1934年12月21日 - 2019年8月3日)は、日本の俳優。満洲国生まれ。身長168cm、体重70kg。東京都立大学中退。 NHK俳優養成所を卒業後、演劇集団「三十人会」を結成。 1969年、劇団青年座に入団。 1975年から1982年まで『中学生日記』で風間先生を演じた。 近藤芳正とは師弟関係にある。 2000年、紀伊國屋演劇賞受賞。 病気療養していたが、2019年8月3日2時3分(JST)、誤嚥性肺炎のため入院先の東京都内の病院で逝去。84歳没。
横堀 正一(よこほり しょういち、1934年12月21日 -… 横堀 正一(よこほり しょういち、1934年12月21日 - 2008年1月14日)は、昭和から平成時代の労働運動家。高等学校教員。千葉県高等学校教職員組合(千葉高教組)委員長。新社会党中央本部書記長、千葉県本部常任顧問。 高知県加美郡土佐山田生まれ。1958年早稲田大学教育学部英文科卒。モーターマガジン社を経て、1960年~1966年に習志野市立習志野高等学校、1966年~1972年に千葉県立船橋高等学校に勤務。その間に千葉県高等学校教職員組合(千葉高教組)の役員となり、1974年度~1989年度に書記長、1990年度~1995年度に中央執行委員長を務めた。1996年~1999年新社会党千葉県本部書記長、1997年~1998年新社会党中央本部執行委員、1998年~2005年副書記長、2005年書記長。
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は… 高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所理事長等を歴任。
林信行(はやし のぶゆき、1932年12月21日 - )は日… 林信行(はやし のぶゆき、1932年12月21日 - )は日本の大蔵官僚。放送大学学園総務部長、島根医科大学事務局長、徳島大学事務局長などを務めた。 北海道出身。北海道釧路湖陵高等学校卒業。1958年9月 大蔵省入省(主計局司計課)。主計局総務課長補佐(歳入・国債)、主計局共済課共済調査官、主計局主計監査官などを経て、1985年5月 放送大学学園総務部長。1987年9月 島根医科大学事務局長。1990年4月1日 徳島大学事務局長。1993年3月31日 退職。
有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月… 有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月21日 - 2022年(令和4年)8月15日)は、日本の歴史学者、東京商船大学名誉教授。専門は日本近代政治史。 山梨県西八代郡市川大門町(現:市川三郷町)に生まれる。生家の市川有泉家は江戸後期に巨摩郡東南湖村出身(南アルプス市東南湖)の初代・久紀(市右衛門)を祖とする。酒造業を営み、父の直松は市川大門町長・政友会系の県議会議員。祖父は市川大門村初代村長で漢詩人の有泉米松(蘆堂)。兄の亨は県議会議員。 市川小学校、市川国民学校初等科を卒業し、1945年4月に山梨県立甲府中学校に入学する。戦時下には勤労動員され、陸軍飛行場(ロタコ)の工事にも従事する。
竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月… 竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月21日 - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本のスピードスケート選手である。長野県茅野市出身、長野県岡谷南高等学校、日本大学を卒業。ヤシカに所属していた。 日本大学在学時の1956年(昭和31年)の冬季オリンピック、コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m11位、1500m36位だった。4年後の1960年(昭和35年)スコーバレーオリンピックでは500m43位に終わった。 池袋スケートセンターの開場式でスケーティングを披露。 1999年脳こうそくのため死去。
中野昌康(なかの まさやす、1931年(昭和6年)12月21… 中野昌康(なかの まさやす、1931年(昭和6年)12月21日 - )は、日本の 医師、微生物学者(細菌学、ウイルス学、免疫学)、慶應義塾大学医学博士、国際エンドトキシン学会会長、自治医科大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
中村 保男(なかむら やすお、1931年12月21日 - 2… 中村 保男(なかむら やすお、1931年12月21日 - 2008年12月9日)は日本の翻訳家、作家。 東京府生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業、1958年同大学院修士課程修了。在野の福田恆存に師事し、1957年福田を中心に沼沢洽治、谷田貝常夫、横山恵一と読書会「蔦の会」を結成する。 初期の訳書では、福田と共訳のコリン・ウィルソン『アウトサイダー』(1957年)、G・K・チェスタートン「ブラウン神父シリーズ」(1959 - 1961年)が代表的である。単独では伝記の『フランクリン』(R・バーリンゲーム、時事通信社、1956年)、小説の『苦力』(マルク・ラジ・アナンド、新潮社、1957年)などが挙げられる。
松澤 正芳(まつざわ まさよし、1930年12月21日- … 松澤 正芳(まつざわ まさよし、1930年12月21日- )は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。埼玉県出身。 1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に藤田観光に入社した。1976年3月に取締役に就任し、1979年3月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年7月に副社長に就任し、1990年11月には社長に昇格した。1997年3月に会長を経て、1998年10月に相談役に就任。
風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は… 風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は、日本の医師、医学博士、開業医、風間病院院長、酒田風間氏分家・東美系の一族。
佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 … 佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 - 2010年〈平成22年〉5月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名:佐藤 慶之助(さとう けいのすけ)。 佐藤家は先祖代々会津藩士で、戊辰戦争に敗れて以降は漆器材料の卸商を営んでいた。また、二・二六事件に参加し刑死した渋川善助の妻絹子は叔母。 福島県立会津工業学校(現・福島県立会津工業高等学校)染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込んでいたが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという「根っからの新劇人」。 その後1951年に上京し、俳優の小沢栄太郎の芝居を見て、「ふてぶてしいまでに人間の暗い面を表現している」と憧れた。
小川 国夫(おがわ くにお、1927年(昭和2年)12月21… 小川 国夫(おがわ くにお、1927年(昭和2年)12月21日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の小説家。静岡県藤枝市出身。大阪芸大教授。 20歳でカトリックに入信。仏留学中に地中海沿岸を巡った経験から書いた『アポロンの島』が島尾敏雄の推挽により注目を集め、「内向の世代」の代表作家と目された。堅固で簡潔な文体でもって、自然や人間存在の原形を描き出し、聖書の世界を描く物語やエッセイを数多く手がけた。日本芸術院会員。 三男の小川光生は、サッカーライター・翻訳家。 静岡県志太郡藤枝町長楽寺(現在の藤枝市本町)に小川富士太郎・まきの長男として生まれる。母まきの弟は竹内壽平。1933年、青島幼稚園に入園。
平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21… 平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21日 - )は、日本の政治家。第31・32代広島市長。大阪府出身。 大阪市住吉区に生まれ、ソウルと広島市で育つ。旧制広島高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、中国新聞社へ入社。1964年に創刊し、1年で廃刊となったスポーツ中国の製作責任者(スポーツ整理部部長) や、常務取締役編集局長、中国放送代表取締役社長などを歴任した後、1991年2月3日に行われた広島市長選挙で保守分裂による候補者乱立のなかから初当選。1995年には再選を果たし、1999年までの2期8年にわたり在職した。 在任中の1994年には広島アジア大会が開催され、また原爆ドームの世界遺産登録に力を注いだ。
池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月2… 池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月21日 - 2015年(平成27年)10月13日)は、神奈川県出身のアンティーク着物収集家。明治以降の和装品コレクションで知られる。着物ブランド「夢工房」「池田重子きものコレクション」等のデザインを手がけ、「日本のおしゃれ展」や「時代布と時代衣裳池田」を主宰した。 横浜市生まれ。1942年(昭和17年)神奈川県立第一高等女学校卒業。1947年(昭和22年)文化服装学院卒業。1973年(昭和48年)新宿京王百貨店にて「時代布屏風展」開催。1976年(昭和51年)東京目黒で「時代布と時代衣裳 池田」開店。1978年(昭和53年)から着物のデザインを発表し始める。
小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2… 小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2010年1月26日)は日本の漫画家、随筆家。 1925年、山梨県にて出生。1943年、甲府工業学校土木科卒業。1954年、毎日新聞にて「フクちゃん」を連載していた横山隆一に勧められ、時事風刺の1コマ漫画『ヒトクチ漫画』の連載を開始し、以後1990年まで続いた。漫画集団の一員で、随筆、マンガ等を寄稿しつつ、70歳よりMacintoshを学び精力的に執筆活動を行った。 2010年1月26日、横浜市内の病院にて心不全で死去。84歳没。
碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月2… 碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月21日 - 2012年〈平成24年〉10月16日[要出典])は、日本の航空・自動車研究家、著作家である。 奄美大島生まれ。鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。東京都立航空工業学校(現:東京都立産業技術高等専門学校)卒業後、1942年(昭和17年)12月より陸軍航空技術研究所に勤務。1949年、横浜工業専門学校(現:横浜国立大学)卒業。 航空機・自動車研究家として各誌に執筆。著書に 『最後の撃墜王』『紫電改の六機』『陸軍「隼」戦闘機』『戦闘機入門』『最後の二式大艇』『夢の超特急走る』『ハイブリッドカーの時代』『ペルシャ湾の軍艦機』『飛龍天に在り』など多数。
守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2… 守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2016年6月16日)は、日本の俳優。本名:森田 寛弥。大阪市出身。最後の所属事務所は夏木プロダクション。妻は元女優の新井麗子。血液型はA型。 大阪府立生野中学校卒業。 神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)在学中に学徒動員。 大日本帝国海軍少尉、映画業界紙記者を経て、1957年にサスペンス映画『三十六人の乗客』でデビュー。 1950年頃には大映京都企画部の入社試験を受けたこともあったという。 『事件記者』で当たり役を得て、ドラマや映画で脇役として活躍した。 2016年6月16日に死去。満91歳没。
勝井 祐輔(かつい ゆうすけ、1924年12月21日 - 2… 勝井 祐輔(かつい ゆうすけ、1924年12月21日 - 2006年4月11日)は、日本の実業家。新潟県出身。 日本大学理工学部建築学科卒。家業の井桁勝井組を手伝い、1950年に勝井組土建株式会社の設立に参画。同社で常務取締役に就任。岩見沢市中心に公共事業・民間工事を施工。1971年に勝井組土建代表取締役社長に就任。この後、1979年岩見沢建設協会会長(~1991年)。1991年岩見沢商工会議所会頭(~1997年)。この他、岩見沢ライオンズクラブ会長や空知信用金庫外部理事などを歴任し、「岩見沢経済界のドン」と呼ばれた。1999年には完成工事高が21億円を超える。2000年に同社の終身会長に就任。
田口 恒夫(たぐち つねお、1924年12月21日-2005… 田口 恒夫(たぐち つねお、1924年12月21日-2005年10月11日)は、日本の医学者。 静岡県富士宮市生まれ。旧制静岡高等学校文科卒。北海道帝国大学医学部入学、即休学。志願して第15期海軍飛行専修予備学生、海軍少尉となる。1950年北海道大学医学部卒。東京大学医学部助手(整形外科)、1960年「脳性小児麻痺児童の言語障害に関する研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。肢体不自由児施設整肢療護園医員、国立聴力言語障害センター言語課長、1963年お茶の水女子大学家政学部児童学科助教授、教授、88年定年退官、名誉教授。2003年11月瑞宝中綬章受章。没後従四位受勲。NHK「ことばの治療教室」に出演した。
沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 201… 沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 2011年11月26日)は、日本の政治家。千葉県知事(5期)。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
上田 俊二(うえだ しゅんじ、1918年12月21日- 没年… 上田 俊二(うえだ しゅんじ、1918年12月21日- 没年不明 )は、日本の経営者。ニチメン社長、会長を務めた。 大阪府出身。1942年に大阪商科大学を卒業し、同年に日本綿花に入社。1963年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1974年5月に副社長に就任し、1977年4月に社長に昇格し、1985年4月に会長に就任し、1989年6月から相談役を務めた。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1984年3月にパキスタンからシタラ・イ・パキスタンを受章。1990年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - … 山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - 1963年10月24日)は、日本の経営者。ヤンマーディーゼル社長を務めた。創業者山岡孫吉の長男。 大阪府大阪市出身。1942年に早稲田大学政治経済学部を卒業。1943年9月に25歳で取締役に就任し、1945年3月に山岡内燃機副社長、1961年7月にヤンマー農機社長を歴任し、山岡孫吉をサポートし、会社を牽引していた。組織体制の強化を図り、新規事業への進出と海外事業の再編などにも取り組み、中でも小型貨物自動車の開発に意欲を見せ、臨時車輌部を新設し、1958年5月には「ヤンマーポニー」の愛称で知られる小型ディーゼルエンジンを搭載した農用作業車を世に送り出した。
里井 陸郎(さとい ろくろう、1914年12月21日 - 1… 里井 陸郎(さとい ろくろう、1914年12月21日 - 1980年4月10日)は、日本の歌人。日本文学研究者。 1914年(大正3年)大阪府泉佐野市に生まれる。高知高等学校文科乙類を卒業後、京都帝国大学文学部に進学。在学中、吉澤義則が立ち上げた歌誌『ハハキギ』の会員となり、交流を深めた。1938年(昭和13年)京都大学国語国文学専攻を卒業、同年、同志社中学校教諭。1942年(昭和17年)同志社大学予科講師、翌年同予科教授を経て、1948年に同志社大学教授。1975年(昭和50年)に『謡曲百番 観世流名曲選』を著した縁で、1979年(昭和54年)観世流名誉師範を授与される[要出典]。1980年(昭和55年)4月10日、胆嚢癌のため死去。
池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 -… 池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 - 1982年7月5日)は、日本の国文学者・民俗学者・随筆家。 1914年、東京市京橋区(現・東京都中央区)で生まれた。生家は銀座の天麩羅屋"天金"で、その次男。 京橋区立泰明小学校、東京市立第一中学校(のちの東京都立九段高等学校)を経て、1931年4月、慶應義塾大学経済学部予科に入学。同級には井筒俊彦や加藤守雄がいた。1934年4月、文学部国文科に転じ、折口信夫に師事。戸板康二たちと共に、折口主宰の短歌結社「鳥船社」に参加。1937年、慶應義塾大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、慶應義塾大学文学部に勤務。1963年、学位論文『日本芸能伝承論』を慶應義塾大学に提出して文学博士号を取得。
大友 恒夫(おおとも つねお、1914年12月21日 - 1… 大友 恒夫(おおとも つねお、1914年12月21日 - 1980年6月5日)は、日本の経営者。秩父セメント社長を務めた。 東京都出身。1939年に早稲田大学理工学部応用学科を卒業。 海軍燃料廠での勤務を経て、1945年11月に秩父セメントに転じ、1948年6月に常務、1967年5月に専務を経て、1968年3月には社長に就任。1976年8月には会長に就任した。 1980年6月5日、肝臓癌のために死去。65歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21… 西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21日 - 1997年10月27日)は、日本の文化人類学者、海洋民族学者。早稲田大学文学部教授。実父は、歴史学者、考古学者、文化人類学者、民俗学者の西村眞次。雅号は、跳白亭濤如。 東京府牛込区(現東京都新宿区)新小川町に生まれる。長男として出生当時、父眞次が朝日新聞社に勤務していたことから、「朝日太郎」と命名される。早稲田大学で人類学を修めた後、1939年に同大学文学部西洋史学科を優等賞で卒業。東亜研究所所員、日本民族学会附属研究所研究員を経て、1946年から母校の早稲田大学にて教鞭を執る。1956年8月、東京教育大学(現筑波大学)にて文学博士号を取得。
稲村 耕雄(いなむら やすお、1908年12月21日 - 1… 稲村 耕雄(いなむら やすお、1908年12月21日 - 1967年4月24日)は、日本の無機化学者、色彩学者。元東京工業大学教授。インターカラー共同設立者。 父は中型ゆかた本舗の染色会社社長で、経営者になるため当初は東京高等商業学校(現一橋大学)を志望していたが、戦後恐慌のため家業が倒産し、1930年に東京高等工業学校染料科を卒業。1933年東京工業大学染料化学科卒業。1938年から日仏交換留学生としてコレージュ・ド・フランス、モンペリエ大学科学研究所に留学。 東京工業大学講師、東京工業大学助教授を経て、東京工業大学教授。1949年大阪大学理学博士。 1953年日本流行色協会発起人。1963年インターカラー設立。
室賀 信夫(むろが のぶお、1907年12月21日 - 19… 室賀 信夫(むろが のぶお、1907年12月21日 - 1982年2月15日)は、日本の地理学者。筆名・須見五郎。 1907年、東京府豊多摩郡淀橋町角筈(現新宿区)に生まれる。東京府立第五中学校(現東京都立小石川中等教育学校)から第三高等学校(文科)を経て、1928年京都帝国大学文学部史学科に入学。体調を崩し休学時期があり、1933年卒業となる。1937年、京都帝国大学文学部講師に就き、1938年より立命館大学講師を兼任する(1944年まで)。1943年には京都帝国大学助教授に昇進、同志社女子専門学校(現同志社女子大学)講師を兼任(1944年まで)。 しかし、太平洋戦争が終結すると、京都帝国大学文学部の地理学講座は戦中に地政学研究に大きく傾いた責任を問われ、全員が総辞職することとなった。
西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1… 西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1978年1月9日)は、日本の作曲家、指揮者。 北海道名寄市出身。同志社大学法学部卒業。在学中はマンドリンクラブに所属し、指揮をしていた菅原明朗から和声、対位法、管弦楽法、指揮法を学んだ。また池内友次郎からも対位法とフーガを学んだ。1941年にNHK札幌放送管弦楽団が創設されると、指揮者として招かれた。また札幌大谷短期大学(現在の札幌大谷大学短期大学部)や札幌商科大学(現在の札幌学院大学)などで指導にあたった。 1957年には北海道文化賞を受賞した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。