馬場 豊(ばば ゆたか、1933年11月30日 または 19… 馬場 豊(ばば ゆたか、1933年11月30日 または 1934年1月18日 - )は、日本の飛込競技選手、指導者。元飛び込み日本代表。 兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学水泳部に所属、1953年から1955年まで日本学生選手権水泳競技大会の男子飛び板飛び込みで3連覇。マニラで行われた1954年アジア競技大会の同種目で銅メダルを獲得、1955年の日本選手権水泳競技大会でも同種目で優勝している。 早稲田大学理工学部卒業後は株式会社天御津に就職し、1956年の日本選手権水泳競技大会の3m飛び板飛び込みで2連覇を達成。1956年メルボルンオリンピックに出場するも、大会中、現地の五輪プールで練習中に負傷し、高飛び込みで11位、板飛び込みで12位に終わり入賞を逃した。
金子 務(かねこ つとむ、1933年11月30日 - 202… 金子 務(かねこ つとむ、1933年11月30日 - 2020年12月16日)は、日本の科学史家、大阪府立大学名誉教授。 埼玉県川越市生まれ。1957年東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学卒。読売新聞社記者、中央公論社編集者、『自然』編集部次長。1981年『アインシュタイン・ショック』でサントリー学芸賞受賞。1985年大阪府立大学人間文化学研究科教授。1997年定年退官、名誉教授、図書館情報大学教授、1999年帝京平成大学教授。2007年退職。国際日本文化研究センター共同研究員、形の文化会会長、(財)日本科学協会理事。 2020年12月16日、死去。87歳没。
富永 美沙子(とみなが みさこ、1933年11月30日 - … 富永 美沙子(とみなが みさこ、1933年11月30日 - 1975年5月2日)は、日本の女優、声優。東京市豊島区雑司が谷町(現東京都豊島区雑司が谷)出身。父親は挿絵画家の富永謙太郎。 日本大学第二高等学校を経て、1949年、敷島高校を中退し松竹歌劇団に5期生として入団。同期には草笛光子がいる。その後はテアトル・エコー、現代座、劇団新劇場、赤坂プロに所属していた。 1955年頃からはテレビで活躍。初出演作はラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)の『おやゆび姫』。1959年に始まった『うちのママは世界一』で主役のドナ・リードを吹き替えて以降は声優としても活動し、ソフィア・ローレンやドリス・デイなどを吹き替えた。
渡辺 清(わたなべ きよし、1932年11月30日 - )は… 渡辺 清(わたなべ きよし、1932年11月30日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 福岡県立戸畑高等学校への在学中は投手で、エースとして活躍するが、甲子園球場での全国大会と縁がなかった。 高校からの卒業後に専修大学へ進学すると、3年生から外野手に転向。在学中には、東都大学野球リーグで4回の優勝を経験した。4年時の1954年、第3回大学選手権の準決勝で明大の「五人衆」(秋山登と土井淳のバッテリー、岩岡保宏、黒木弘重、沖山光利)を擁する明治大学に敗れた。硬式野球部の同期生に岡本健一郎と片山嘉視がいて、1955年に3人揃って阪急ブレーブスへ入団した。 入団1年目の1955年から、レギュラー外野手としてパシフィック・リーグ公式戦132試合に出場するとともに、リーグの最終規定打席へ到達。
平野 和男(ひらの かずお、1932年11月30日- 201… 平野 和男(ひらの かずお、1932年11月30日- 2019年8月6日 )は、日本の経営者。大同生命保険社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1955年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に大同生命保険に入社した。1978年6月に取締役に就任し、1982年7月に常務、1985年4月に専務を経て、1988年7月に副社長に就任し、1990年7月には副会長に就任。1992年3月に再び副社長に就任し、1994年7月には社長に昇格した。1999年7月に会長に就任し、2001年7月には顧問に就任。 2019年8月6日、肺炎のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
栗原 隆(くりはら たかし、1932年11月30日 - )は… 栗原 隆(くりはら たかし、1932年11月30日 - )は、日本の経営者。秩父セメント社長、会長を務めた。 東京都出身。1956年に横浜国立大学経済学部を卒業し、同年4月に秩父セメントに入社した。1984年8月に取締役に就任し、1988年8月に常務、1990年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1994年10月に秩父小野田副社長、1996年6月に副会長、1998年6月に相談役、同年10月に太平洋セメント相談役を経て、2006年6月には特別顧問に就任。1998年6月には秩父鉄道会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - … 山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - 2012年10月11日)は日本の実業家。あすなろ書房創業者。 長野県佐久市出身。上京し、昭和22年(1947年)神田で読書指導専門誌「月刊児童図書館」を開業し、日本初の児童優良図書専門書店「森田書店」を開業するなど、児童書向け図書の販売に従事した後、滑川道夫の紹介により、同24年(1949年)珠算専門出版社の「牧書店」に入社し、「学校図書館文庫」の企画・編集に携わる。同36年(1961年)あすなろ書房を創業した。家庭教育書と児童書を中心に出版事業を展開した。
石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30… 石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30日 - 2002年6月20日)は日本の教育学者、平和運動家。良心的軍事費拒否の会代表。 東京生まれ。13歳のときに長崎で被爆する。水戸第一高校在学中、米国クエーカー教徒で数学教師ニール・ハートマンの戦争拒否体験談を聴いて、クエーカー主義のキリスト教に入信、日本キリスト友会に加入する。茨城大学教育学部を卒業し、国際基督教大学大学院修士課程修了。明星大学講師の頃に、非暴力行動準備会に入り、ミニコミ誌『非暴力』を発行する。また、明星大学の学生闘争を支持して非常勤講師を解雇される。その後、「ジャテックの脱走兵支援活動」にも参加し、1969年(昭和44年)に法政大学助教授、のち教授。
熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月3… 熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月30日 - )は、日本の弁護士(登録番号:8186)、政治家。衆議院議員(4期)、大蔵政務次官(第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。 群馬県吾妻郡嬬恋村に、父・熊川博、母・のいの子として生まれる。叔父は群馬県議会議員を務めた熊川良太郎。群馬県立中之条農業学校を経て、1954年中央大学法学部卒業。1958年に司法試験合格。1959年、早稲田大学大学院法学研究科を修了。 1961年前橋市に熊川弁護士事務所を設立。税理士としても登録。群馬法律専門学校講師、前橋市労働教育委員などを歴任する。 1971年に群馬県議会議員に当選。
青木 栄一(あおき えいいち、1930年(昭和5)11月30… 青木 栄一(あおき えいいち、1930年(昭和5)11月30日 - )は、日本の翻訳家。 神奈川県横浜市出身。1953年東京教育大学文学部英米文学科卒業、北海道新聞社入社。同編集局、1965年ワシントン支局勤務、1968年論説委員を務めた。 1975年より東京水産大学助教授、同教授、1985年より共立女子大学文芸学部教授を歴任。国際政治・経済、近未来ものなど翻訳多数。
青木 玉(あおき たま、1929年11月30日 - )は、日… 青木 玉(あおき たま、1929年11月30日 - )は、日本の随筆家である。幸田露伴の孫、幸田文の一人娘。 東京出身。東京女子大学国語科卒業。1994年「小石川の家」で芸術選奨文部大臣賞受賞。 娘の青木奈緒もエッセイスト。 1929年11月30日、父三橋幾之助、母幸田文の一人娘として、東京市芝区伊皿子(現東京都港区)に生まれる。生後八ヶ月で腸重積で手術を受けるなど、幼少の頃は病気がちであった。 1936年、永田町小学校(現麹町小学校)入学。この年、築地で会員制小売り酒屋を開店。三橋本店が倒産。 1937年、京橋に引っ越して小売り酒屋を開く。このとき既に幾之助は結核にかかっており、実際には文が店を切り回していた。
三木谷 良一(みきたに りょういち、1929年〈昭和4年〉1… 三木谷 良一(みきたに りょういち、1929年〈昭和4年〉11月30日 - 2013年〈平成25年〉11月9日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授、元日本金融学会会長。神戸親和女子大学の非常勤講師であり、理事を務めた。また、株式会社クリムゾンフットボールクラブ(現:楽天ヴィッセル神戸株式会社)の非常勤取締役も務めた。財政学・金融論専攻。神戸市出身。 神戸市灘区生まれ。旧制神戸市立第一中学校(現:神戸市立葺合高等学校)、神戸大学予科1953年に神戸経済大学(現:神戸大学)経済学部を卒業。新庄博ゼミ出身。1954年に神戸大学経済学部助手、1957年神戸商科大学講師を経て、1959年同助教授となった。
大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2… 大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2020年4月12日 )は、日本の歌人。1977年歌誌『サキクサ』創刊。歌集、評論集など多数。夫は小説家・歌人の大塚雅春。孫に劇団アマヤドリ所属の女優・大塚由祈子。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊高等女学校(現・香川県立観音寺第一高等学校)在学中に、「形成」同人で同校の南信一校長に短歌を学ぶ。東京女子大学国語科在学中、担任の藤森朋夫に万葉集を学ぶ。一時勤務したスタイル社の『スタイル』、ロマンス本社の『モダン・ロマンス』で、宇野千代、北原武夫、和田芳恵のもとで編集者として仕事をする。歌誌『藝林』を経て、1977年歌誌「サキクサ」を創刊、サキクサ短歌会を主宰。
小宮 隆太郎(こみや りゅうたろう、旧字体:小宮 隆太郞、1… 小宮 隆太郎(こみや りゅうたろう、旧字体:小宮 隆太郞、1928年(昭和3年)11月30日 - 2022年(令和4年)10月31日)は、日本の経済学者。位階は従三位。東京大学名誉教授・青山学院大学名誉教授。国際経済学、日本経済、中国経済の3つの分野での実証的な研究を行った業績で知られる。また、多くの日本の経済論争に中心人物としてかかわっている。2002年、文化勲章受章。 1928年11月30日、京都市で生まれる。父は京都大学電気工学科出身の日立製作所に勤めるエンジニアであった。小学生のときに父親の転勤で東京都大森へ転居。旧制東京高等学校を経て、1949年に東京大学へ入学し、木村健康ゼミへ入る。
土井 たか子(どい たかこ、土井 多賀子、1928年11月3… 土井 たか子(どい たかこ、土井 多賀子、1928年11月30日 - 2014年9月20日)は、日本の政治家、法学者。愛称はおたかさん。
赤羽 学(あかばね まなぶ、あかはね まなぶ、1928年11… 赤羽 学(あかばね まなぶ、あかはね まなぶ、1928年11月30日 - 2021年4月6日[要出典])は、日本の国文学者。岡山大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。1953年東北大学文学部国文科卒業、1957年同大学院修士課程修了。1972年「芭蕉俳諧の精神」で、文学博士(東北大学)の学位を取得。岡山大学法文学部助教授、文学部教授、1995年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授。1971年文部大臣賞受賞。。 日本文学における伝誦過程、芭蕉を通して見られる日本文芸の理念および現代に及ぼした影響を研究する。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 谷川健一が主宰した同人誌 青にエッセイを記載している。
山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月3… 山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月30日 - 2020年(令和2年)4月2日)は、日本のマラソン選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表。現役時代の所属は同和鉱業花岡鉱業所。 秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)出身。15歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願して中国大陸・満洲国へ渡った経歴を持つ。満洲時代に2,000mや10,000mを走って自信をつけたことを語っている。 第二次世界大戦終了後に満洲から引き揚げ、秋田へ帰郷してから本格的に陸上競技に取り組むようになる。1949年の第4回国民体育大会(東京都)に秋田県代表として一般男子マラソンに出場し、この時に初めて42.195 kmのフルマラソンを走った。
石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 … 石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 - 1997年〈平成9年〉12月31日)は、日本の俳優、喜劇役者。 大分県豊後高田市是永町出身。本名は石原 仁。芸名の由来は、「〝一〟獲千〝金〟」という言葉が好きな事に由来。(一均=井均) 熊本逓信講習所卒業(昭和18年)。 1948年(昭和23年)、八幡の寿座で初舞台を踏み、以後旅回りをする。 1956年(昭和31年)、新宿フランス座に加入。体技型のコメディアンとして頭角を現す。 1958年(昭和33年)6月、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げ、後に「石井均一座」に改組。主に新宿の松竹演芸場を根城にし、座員には戸塚睦夫のほか、石井の弟子の伊東四朗(当時は伊藤証)、財津一郎(当時は財津肇メ)らがいた。
伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日… 伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、昭和時代の政治家。沖縄県平良市長。 平良市出身。1945年(昭和20年)台中第二中学校卒業。 平良市議会議員、同議長を経て、1982年(昭和57年)平良市長に当選。1986年(昭和61年)任期満了に伴う選挙で落選した。市長在任中、「スポーツアイランド宮古島」の足掛かりとなる「スポーツアイランド構想」を策定した。
中根 千枝(なかね ちえ、1926年〈大正15年〉11月30… 中根 千枝(なかね ちえ、1926年〈大正15年〉11月30日 - 2021年〈令和3年〉10月12日)は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。日本の社会構造を分析した『タテ社会の人間関係』(1967年)は長く読まれている。東京大学名誉教授。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。著書に『未開の顔・文明の顔』(1959年)、『適応の条件』(1972年)、『中国とインド』(1999年)など。 女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった。 東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。父親は弁護士であった。
岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月… 岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月30日 - 2024年(令和6年)1月18日)は、日本の政治家。(旧)都城市の元市長。 宮崎県立都城商業学校(現宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)卒業。1948年、都城市役所に奉職。市長公室長・人事課長・農業委員会事務局長・水道局長・建設部長などを歴任。1977年4月都城市助役に就任。1984年12月、都城市長に初当選。その後2004年12月まで市長職を5期20年務める。都城北諸合併協議会の会長を務め、2006年に市町村合併により発足した(新)都城市の発足に大きく貢献した。 2004年12月、6期目を目指した都城市長選で35歳で元宮崎県議会議員の長峯誠に敗れる。
秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11… 秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11月30日 - 1999年〈平成11年〉11月26日)は、日本の政治家。白井町長、白井町議会議長、白井町議会・白井村議会議員(5期)。位階は従五位。 白井町生まれ。千葉県立印旛実業学校(現・千葉県立印旛明誠高等学校)卒業。1963年(昭和38年)4月から1980年(昭和55年)11月まで、白井村・白井町議会議員を務めた。この間、議長も務めた。また、同年12月から1996年(平成8年)11月まで第3代白井町長を務めた。
今成 元昭(いまなり げんしょう、1925年11月30日 -… 今成 元昭(いまなり げんしょう、1925年11月30日 - 2020年1月10日)は、日本文学者、立正大学名誉教授、日蓮宗勧学院勧学職、立正大学常任理事などを歴任した。息子今成元信(1959年生)も僧侶で、高校教師である。 専攻は仏教文学、軍記物語、説話文学。平家物語を中心とした軍記物語研究で多くの著作がある。国文学者であり宗門僧侶として日蓮研究も著した。 東京生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。1951年早稲田大学大学院(旧制)修了。国士舘大学助教授、教授、1980年立正大学教授、1983年11月「平家物語流伝考」で早大文学博士。2005年11月29日、自身の満80歳の誕生日を機に今成組組頭を勇退。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 20… 難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 2005年10月14日)は、日本の教育学者、国文学者。元神戸大学、早稲田大学教授で日本文学協会創立メンバー。専門は国語教育学。 大阪府出身。天王寺中学校(現天王寺高校)卒業後、高知高等学校(現高知大学)理学部に入学し、文学部に編入・卒業した。卒業後、東京帝国大学(現東京大学)文学部に入学・卒業し、同大学院に進学・満期退学後は都立高校国語科教諭として、東京都立赤城台高等学校、東京都立大学附属高等学校へ赴任した その後、奈良教育大学助教授・同教授を務め、教授時には奈良教育大学附属小学校長を併任した。神戸大学教育学部教授、佛教大学文学部教授を歴任後、早稲田大学大学院客員教授となり国語教育学を講じた。
塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - … 塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - 2014年8月16日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)。 明善中を経て西南学院経済専門学校を卒業。戦前にプロ球団を保有し、日本野球連盟への復帰を目指す西日本鉄道に進む。1948年の都市対抗にチーム初出場。武末悉昌の好投もあって決勝に勝ち進み星野組と対戦、初参加で初優勝を果たす。武末以外のチームメートにも宮崎要、武末悉昌、上野義秋、深見安博、大崎憲司、伴勇資ら、のちにプロ球団の主力となる選手が揃っていた。 1950年に西日本鉄道が創立した西鉄クリッパースへ入団する。1952年には外野陣の一角として起用され、規定打席には届かなかったが打率.308を記録。
森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日… 森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役社長。 広島県広島市で生まれ、旧満州で育つ。旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業する。 大学時代、GHQ関連のアルバイトを始めるが、そこで森田に割り振られた仕事は、その日の朝刊に載った記事のうちGHQの高官に読ませたいとして担当の将校がよりわけた記事を英文に訳すことだった。ところが、渡される記事のほとんどが日経の記事だった。「また日経ですか」と森田が聞くと日系二世の中尉は笑って、「しようがないさ。ここの記事がいちばん公平で参考になるんだから」と応えた。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 -… 永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 - 2018年4月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田中学(現・秋田県立秋田高校)時代は、第27回全国中等学校優勝野球大会が日中戦争の激化により中止されるなど甲子園出場はなし。専修大学を経て1949年に読売ジャイアンツに入団。同年2試合に出場するも、翌1950年に引退。 2018年4月25日に老衰のため死去。
林 茂(はやし しげる、1923年11月30日 - 生死不明… 林 茂(はやし しげる、1923年11月30日 - 生死不明)は、佐賀県出身の元プロ野球選手。 佐賀県立唐津中学校、横浜高等工業学校を経て1950年に西日本パイレーツに入団。1951年に松竹ロビンスに移籍。オーバースローから、内角低めの重いシュートと、外角に落ちるカーブを武器とした。翌年退団。
齊藤 喜久蔵(さいとう きくぞう、1923年11月30日 -… 齊藤 喜久蔵(さいとう きくぞう、1923年11月30日 - 2003年9月8日)は、日本の技術者・実業家。大昭和製紙社長・会長を務めた。 静岡県出身。齊藤知一郎の三男。大昭和製紙2代目社長の齊藤了英(知一郎の長男)と政治家で静岡県知事を務めた齊藤滋与史(知一郎の次男)は兄、政治家で防衛庁長官を務めた齊藤斗志二(了英の次男)と大昭和製紙監査役の齊藤知三郎(了英の三男)、ジーク証券元会長兼社長の齊藤四方司(了英の四男)は甥。トヨタ自動車名誉会長豊田章一郎は次兄・滋与史の義兄にあたる。日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)卒。 知一郎の5人の息子の中で唯一技術者の道を歩み、大昭和製紙入社後は技術部長、白老工場長等を歴任した。
日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - … 日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - 1992年11月16日)は、日本の経営者。ニチメン社長を務めた。 京都府京都市出身。1947年に神戸経済大学を卒業し、同年に日綿実業(のちのニチメンに入社。1972年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年に副社長に就任し、1985年には社長に昇格。1989年から会長を務めた。 1984年に藍綬褒章を受章。 1992年11月16日、肝不全のために死去。69歳没。
上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 -… 上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 - 2011年5月21日)は、日本の農芸化学者。九州大学名誉教授。専門は発酵工学、醸造工学。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、広島高等工業学校を経て、1945年九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する。 1945年九州帝国大学副手、1947年九州大学助手、1959年助教授を経て、1967年教授に就任する。1958年農学博士の学位を得る。 1985年九州大学を退官し名誉教授となり、同年熊本工業大学教授に就任する。 1986年紫綬褒章、1992年勲三等旭日中綬章を受章。
片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月3… 片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月30日 - 1999年(平成11年)8月13日)は、大阪外国語大学の外国語学部(ロシア語科)名誉教授で、ロシア語学者。号は枕流(ちんりゅう)。 1720年(享保5年)、片岡氏は出石郡香住村(現 豊岡市香住)から出石城下に移り居住した。
薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - … 薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - 1994年5月22日)は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官、帝都高速度交通営団総裁を務めた。和歌山県和歌山市出身。 1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。官房長、海運局長を経て、1975年から1978年までに海上保安庁長官を務めた。帝都高速度交通営団を経て、1983年から1986年までに総裁を務めた。 1994年には勲二等旭日重光章を受章した。 1994年5月22日心不全のために死去。72歳没。
横山 桂次(よこやま けいじ、1920年11月30日-200… 横山 桂次(よこやま けいじ、1920年11月30日-2008年12月19日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。高岡法科大学学長。神奈川県横浜市出身。
長島 公佑(ながしま こうすけ、1920年11月30日 - … 長島 公佑(ながしま こうすけ、1920年11月30日 - 2003年11月19日)は、日本の実業家。長島商事創業者。鹿児島県唯一の遊園地であったジャングルパーク遊園地や長島美術館などを建設した。 鹿児島県大島郡喜界町羽里出身。1951年10月、長島商事を設立。1960年には指宿市で熱帯植物の育成販売業開始した(現、長島植物園)。1970年、鹿児島市与次郎に国際ジャングルパークを建設した。1971年12月、かごしま熱帯植物園を隣接地に開園した。 1985年4月、財団法人長島文化財団を設立する。故郷の喜界町に2億2千万円を寄付し、1985年4月に喜界町図書館が開館された。1989年に現在の武三丁目に長島美術館を建設し、長年収集してきた美術品を公開した。
野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1… 野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1995年3月6日)は、日本の政治家。位階は従三位。 厚生大臣(第57代)、衆議院議員(7期)、三重県議会議員などを歴任した。 1919年(大正8年)生まれ。三重県飯南郡飯高町出身。父は宮前村長などを務めた野呂庫二郎。 東京高等師範学校卒業。戦後、三重県議会議員選挙への立候補を目指すも公職追放を受けた父・庫二郎にかわって27歳で三重県議会議員選挙に地元の飯南郡から立候補して当選し、県議会議員となった。自由民主党三重県連の幹事長などを歴任した後、1959年(昭和34年)には三重県議会議長に就任した。 その後、三重県議を辞職し1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
田川 豊(たがわ ゆたか、1918年11月30日 - 198… 田川 豊(たがわ ゆたか、1918年11月30日 - 1981年8月22日)は、昭和中期から後期(1940年代後半~1970年代)のプロ野球選手・プロ野球審判員。
竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月3… 竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月30日 - 2004年(平成16年)9月7日)は、日本の政治家、官僚。茨城県知事を5期務めた(公選第8・9・10・11・12代)。元参議院議員(1期)。 日本統治下朝鮮京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ、茨城県鉾田市育ち。 旧制鉾田中学校、(現:茨城県立鉾田第一高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 大学卒業後は国家公務員となり、旧建設省で都市局長を務めた後に参議院議員に転じた。茨城県知事に当選後は、在任中に筑波研究学園都市・筑波科学万博の誘致、常磐自動車道建設など多くの大型プロジェクトを進めた。つくば市の成立にも尽力し、市名の実質的な名付け親でもある。
富永三郎(とみながさぶろう、1916年11月30日 - 19… 富永三郎(とみながさぶろう、1916年11月30日 - 1987年6月20日)は日本の作曲家・教育家。 長兄は富永太郎、次兄は富永次郎。国立音楽大学卒。作曲を大中寅二、菅原明朗に師事。童謡や邦楽作品などを主に発表する。「赤穂浪士」などの時代劇を中心とした映画音楽を多く手がけた。戦後は明星学園、晩年に尚美学園で教鞭を取り、邦楽や編曲の実演などを強力に推薦し、ヨーロッパへの留学生の後押しを積極的に推し進める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
柿本 奨(かきもと つとむ、”奬”と書く場合もあり、1915… 柿本 奨(かきもと つとむ、”奬”と書く場合もあり、1915年11月30日 - 2000年5月)は、国文学者。大阪大学・追手門学院大学名誉教授。専門は中古文学。 大阪府岸和田市生まれ。岸和田中学校(現:大阪府立岸和田高等学校)、大阪高等学校卒、1938年京都帝国大学文学部国文科卒。大阪市立岡第二商業学校(現:大阪市立市岡商業高等学校)教諭、熊本師範学校教授、大阪第一師範学校教授、二度応召。戦後、大阪学芸大学助教授、67年校名変更で大阪教育大学教授、大阪大学教養部教授、79年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。同名誉教授。
熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年(大正4年)11月… 熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年(大正4年)11月30日 - 1999年(平成11年)4月1日)は、日本の官僚。通商産業事務次官で退官後、住友金属工業社長・会長。位階は従三位。 島根県浜田市出身。浜田中学、六高を経て、1939年(昭和14年) 東京帝国大学法学部法科を卒業し住友本社に入社する。 翌年、商工省(後、通産省)入省。同期に、吉國一郎、小島慶三など。 戦後、通産省重工業局長、官房長、公益事業局長、企業局長を経て、1968年(昭和43年) 通産事務次官就任。八幡製鐵・富士製鐵の合併を推進した。 1969年(昭和44年)に退官し、1971年(昭和46年)住友金属工業に入社、常務に就任。
中田 祝夫(なかだ のりお、1915年11月30日 - 20… 中田 祝夫(なかだ のりお、1915年11月30日 - 2010年4月13日)は、日本の国語学者、筑波大学名誉教授。 奈良県奈良市生まれ。東京文理科大学卒業。1958年「古点本の国語学的研究総論編」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。戦後、東京教育大学教授、筑波大学教授、1980年定年退官、名誉教授、愛知大学教授。1986年退職。1989年春、勲三等旭日中綬章受勲。 2010年、心不全のため94歳で死去。 漢文古訓点の権威で、『古語大辞典』編纂のほか、『日本霊異記』の全訳などで知られるが、専門は古辞書で、節用集諸本の影印作成、索引作成を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
柿本 幸造(かきもと こうぞう、1915年11月30日 - … 柿本 幸造(かきもと こうぞう、1915年11月30日 - 1998年12月)は広島県(安芸高田市吉田町)出身の童画家。 「どんくまさん」シリーズ(蔵冨千鶴子作)の挿絵画家として知られる。1959年小学館児童文化賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2… 斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2012年11月4日)は、日本の内科学者。専門は、糖尿病、癌化学療法。医学博士。 福島県福島市生まれ。 福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て第二高等学校 (旧制)から、東北帝國大学医学部卒業。1938年、同医学部内科教室(教授・山川章太郎)に入局。1947年、青森医学専門学校教授。1952年、東北大学医学部内科助教授(教授・黒川利雄)。1959年から1年間、アメリカ国立がん研究所 (NCI) に留学。1963年、東北大学抗酸菌病研究所教授(癌化学療法部門、1969年臨床癌化学療法部門と改称)、1974年、同研究所所長・東北大学評議員。
佐々木 基一(ささき きいち、1914年(大正3年)11月3… 佐々木 基一(ささき きいち、1914年(大正3年)11月30日 - 1993年4月25日)は、日本の文芸評論家。本名・永井善次郎。
横山 宗一(よこやま そういち、1914年(大正3年)11月… 横山 宗一(よこやま そういち、1914年(大正3年)11月30日 - 1985年(昭和60年)6月18日)は、日本の実業家。東京銀行頭取・会長を務めた。東京出身。 1938年旧制東京商科大学(現・一橋大学)卒業。同期に三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、三井不動産社長の坪井東、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、日東製網社長の小林政夫、一橋大学学長の小泉明らがおり、同窓会を結成している。 1938年に東京銀行の前身である横浜正金銀行に入行。ハノイ、サイゴンなどインドシナに派遣され、1946年に帰国するまでは生死の境をさまよったこともあるという。
岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 20… 岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 2004年2月20日)は、日本の実業家、経営学者。日本興業銀行勤務を経て、三光汽船の代表取締役、会長を務めた。大阪産業大学名誉教授、経済学博士。 長男は評論家の岡庭昇。 兵庫県神戸市出身。姫路高等学校を経て、1935年に九州帝国大学法文学部に入学。在学中に高等文官試験に合格したが、官僚への道には進まず、卒業後、日本興業銀行に入行。調査部に配置され、大阪支店に勤務した。 1943年、姫路高校の先輩である河本敏夫に乞われて、三光汽船に取締役として入社。三光汽船の番頭格として河本を補佐し、財務担当役員として活躍した。 1949年、河本が第24回衆議院議員総選挙に兵庫県第4区から出馬し当選。
玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 … 玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 - 1988年10月23日)は、長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は蔭平 梅吉(かげひら うめきち)。最高位は東関脇。 当初から近眼だったため、家業である真珠の養殖作業を継ぐことが出来ず、既に立派な体格をしていたことから宮相撲で活躍し、力士を志すようになる。1930年に同郷の肥州山栄を頼って上京したものの、既に巡業へ出発した後だったために入門は叶わなかったが、偶然そばを通りかかった玉錦三右エ門から見出され、二所ノ関部屋へ入門した。四股名は故郷・長崎県の名産である真珠をイメージして「海ノ玉」または「玉ノ海」で迷ったが、後者を選択したと後年になって語った。