井上 茂子(いのうえ しげこ、1954年2月5日 - )は、… 井上 茂子(いのうえ しげこ、1954年2月5日 - )は、日本の歴史学者、翻訳家。専門は西洋史(ドイツ史)。上智大学名誉教授。 山口県山口市生まれ。1976年東京大学教養学部教養学科卒業、1979年同大学院社会学研究科国際関係論専門課程修士課程修了、1986年同博士課程単位取得満期退学。1982年10月から1985年3月にかけて西ドイツ・ミュンヘン大学へ留学。1986年東京大学教養学部助手、1987年姫路獨協大学外国語学部専任講師、1990年助教授、1997年上智大学文学部助教授、2001年教授、2019年特別契約教授。2023年名誉教授。 2004年『ホロコースト事典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
藤井 泰(ふじい やすし、1954年1月28日 - )は、日… 藤井 泰(ふじい やすし、1954年1月28日 - )は、日本の教育学者。松山大学経営学部教授。博士(教育学)(1993年、広島大学にて)取得。 山口県山口市生まれ。1976年山口大学教育学部中学校教員養成課程英語専攻卒業、1978年-1979年ロンドン大学に学ぶ。1980年広島大学大学院教育学研究科比較教育制度学博士課程中退、1993年「イギリス中等教育制度史研究 -三類型別中等教育の系譜」で広島大学にて博士(教育学)。1981年松山商科大学講師、1985年同大学助教、1986年-1987年バーミンガム大学客員研究員を経て、1992年松山大学経営学部教授に就任。
伊藤 青波(いとう しょうは、1954年1月 - )は、日本… 伊藤 青波(いとう しょうは、1954年1月 - )は、日本の政治家である。山口県山口市議会議員(3期)、徳地町長(4期)等を歴任した。山口県立山口高等学校卒業。山口県山口市徳地町在住。
仲西 昭徳(なかにし あきのり、1954年 - )は、日本の… 仲西 昭徳(なかにし あきのり、1954年 - )は、日本の自動車デザイナー。現職は、三菱自動車工業の執行役員、及び北米本部長。 山口県山口市出身。山口県立山口高等学校、金沢美術工芸大学卒業。1977年、三菱自動車工業入社。1987 - 88年のカリフォルニア駐在等を経て同社欧州法人のデザインスタジオであるミツビシ・デザイン・ヨーロッパ(MDE、ドイツ・ヘッセン州Trebur)においてゼネラル・マネジャーを務める。2004年6月、三菱自動車工業デザインセンター長に就任、2006年6月からは同社執行役員を兼務する。2009年2月にデザイン部門から離れ、以後アジア・アセアン本部長、ミツビシ・モーターズ・ヨーロッパ社(Mitsubishi Motors Europe BV)の取締役社長を歴任。
吉田 正(よしだ せい、1953年(昭和28年)3月16日 … 吉田 正(よしだ せい、1953年(昭和28年)3月16日 -)は、山口県山口市出身の写真家。日本広告写真家協会会員。日本写真芸術学会会員。 山口県立山口高等学校卒。大阪芸術大学写真学科卒業後、大日本印刷(株)CDC(クリエイティブ・デザイン・センター)写真部に入社、コマーシャルフォトグラファーとして10年勤務の後に独立する。学生時代にアメリカ南部(セントルイス、ニューオーリンズなど)を撮影したモノクロの心象風景が彼の写真作品の原点となり、国内外の日常的なシーンを題材に静謐で情緒的な世界を展開し、スタイリッシュなモノトーンの作品として評されている。また、詩人の中原中也とは縁戚関係にあり、詩と写真のコラボレーション作品も発表している。
桝屋 敬悟(ますや けいご、1951年4月3日 - )は、日… 桝屋 敬悟(ますや けいご、1951年4月3日 - )は、日本の政治家。公明党アドバイザー。 衆議院議員(8期)、厚生総括政務次官、厚生労働副大臣、衆議院文部科学委員長、公明党政務調査会長代理、衆議院総務委員長などを歴任した。
秋草 史幸(あきくさ ふみゆき、1949年〈昭和24年〉10… 秋草 史幸(あきくさ ふみゆき、1949年〈昭和24年〉10月9日 - 2026年〈令和8年〉3月2日)は、日本の経営者。三菱UFJモルガン・スタンレー証券社長を務めた。 山口県山口市出身。1972年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に三菱銀行に入行した。2000年6月月に東京三菱銀行取締役に就任し、2001年6月に執行役員、2003年5月に常務、2005年6月に三菱証券専務、同年10月に三菱UFJ証券(のちの三菱UFJモルガン・スタンレー証券)専務を経て、2006年6月に副社長に就任し、2008年6月には社長に昇格。2011年4月には顧問に退いた。 2026年3月2日、直腸がんのため死去。76歳没。
大井 恒行(おおい つねゆき、1948年12月15日 - )… 大井 恒行(おおい つねゆき、1948年12月15日 - )は、山口県山口市出身の俳人。 1967年、立命館大学俳句会に入会。赤尾兜子に師事し「渦」に投句、また「俳句評論」句会にも出席。1980年、攝津幸彦らとともに「豈」創刊に参加。1988年、総合誌『俳句空間』(弘栄堂書店)の編集長に就任、1993年まで務める。代表句に「針は今夜かがやくことがあるだろうか」等。2025年、句集『水月伝』により、第80回現代俳句協会賞受賞。「豈」同人。現代俳句協会会員。
宇多田 照實(うただ てるざね、1948年7月21日 - )… 宇多田 照實(うただ てるざね、1948年7月21日 - )は、日本の音楽プロデューサー。U3 Music(有限会社ユースリー・ミュージック)代表取締役。山口県山口市出身。 山口県徳地町(現山口市)出身。ベトナム戦争に参加した経験を持つ。16歳で渡米した事もあり英語が堪能である。ドラム、ギターなど演奏出来るマルチミュージシャンである。ただしこれらの経歴はあくまで自称であり、妻であった演歌歌手の藤圭子のマネージャーとして業界入りする以前の素性は明らかではない。藤とは何度も離婚と再婚(復縁)を繰り返しており、中には離婚してから2週間後に再婚したこともあった。第18代内閣総理大臣寺内正毅は照實の叔曽祖父。
藤本 眞克(ふじもと まさかつ、1948年3月 - )は、日… 藤本 眞克(ふじもと まさかつ、1948年3月 - )は、日本の天文学者。国立天文台名誉教授。専門は、重力波天文学、宇宙計量学。海野和三郎の弟子で、理学博士である。 山口県山口市出身。1970年東京大学理学部卒業。1977年東大大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。論文の題は「かにパルサーからの重力波」。 東大宇宙線研究所研究員、東京天文台助手を経て、1986年東京天文台助教授となる。その間1978年 - 1979年ローマ大学客員研究員、1984年 - 1985年シュトゥットガルト大学客員研究員。 いずれの研究も高感度レーザー干渉計による重力波検出装置であるTAMA300を用いて行われている。
粟谷 正光(あわや しょうこう〈まさみつ〉、1948年 - … 粟谷 正光(あわや しょうこう〈まさみつ〉、1948年 - )は、日本の水墨画家、僧侶。山口県出身。雅号は大雲 道人(だいうん どうじん)。福井県三方郡美浜町の徳賞寺住職。 山口市生まれ。多々良学園高校、駒澤大学仏教学部学科卒業。高校在学時から日展作家の多田院大に師事。仏教美術に関心を深めた。1970年、第一回正光展開催。1971年、大本山永平寺僧堂に修行安居。1972年、広島大学文学部倫理学研究室入学。1974年、愛媛県端応寺専門僧堂に修行安居(4年間)。 1981年、福井県三方町曹洞宗宗伝寺住職となる。1988年 大本山永平寺七十七貫主・丹羽廉芳禅師より画号「大雲道人」拝受。1997年、徳賞寺住職となり、だるま大師の水墨画を描くことが増える。
川越 厚(かわごえ こう、1947年(昭和22年)5月11日… 川越 厚(かわごえ こう、1947年(昭和22年)5月11日 - )は、日本の医師。医学博士(東京大学)。医療法人社団パリアン理事長、クリニック川越院長。 1947年山口県山口市生まれ。1966年広島学院高等学校卒業。1973年東京大学医学部卒業。 茨城県立中央病院産婦人科医長、東京大学講師、白十字診療所在宅ホスピス部長を経て、1994年より6年間、賛育会病院院長を務め、退職。2000年6月、自らのクリニックを開業すると同時に、在宅ケア支援グループ・パリアンを設立。2008年8月、医療法人社団パリアン理事長。2021年8月、医療法人社団パリアン解散。同月、山梨県北杜市に拠点を移し、在宅ホスピス研究所パリアン代表に就任。
泉 晶子(いずみ あきこ、1947年〈昭和22年〉2月6日 … 泉 晶子(いずみ あきこ、1947年〈昭和22年〉2月6日 - )は、日本の女優、声優。劇団青年座所属。山口県山口市出身。親戚に声優の永井一郎がいる(いとこの間柄)。 福岡女学院高等学校卒業、立教大学文学部中退、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻卒業。 立教大学生により構成される劇団テアトルジュンヌ出身。
尾崎 真吾(おざき しんご、1944年8月15日 - )は、… 尾崎 真吾(おざき しんご、1944年8月15日 - )は、日本のアニメーター・イラストレーターである。血液型はA型。山口県山口市出身。 現在アニメーション協会・日本児童作家連盟・日本モデルシップ友の会に所属。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
八木 重二郎(やぎ じゅうじろう、1942年7月12日 - … 八木 重二郎(やぎ じゅうじろう、1942年7月12日 - )は日本の実業家。新日本製鐵代表取締役副社長を経て、初代東日本高速道路代表取締役会長。 山口県山口市出身。山口県立山口高等学校を経て、1965年 一橋大学商学部卒業、八幡製鐵入社。経営企画や総務などの管理部門を歩み、エンジニアリング本部長等を務めた。 1999年新日本製鐵常務、2001年エンジニアリング事業本部副本部長、2003年代表取締役副社長・エンジニアリング事業本部長、2005年取締役(社長付)。特定非営利活動法人循環型経済社会推進機構理事長就任。 2005年高速道路株式会社法により新たに設立された東日本高速道路の最高経営責任者(CEO)である代表取締役会長に就任。
石井 志都子(いしい しづこ、1942年 - )は、日本のヴ… 石井 志都子(いしい しづこ、1942年 - )は、日本のヴァイオリニスト。洗足学園音楽大学名誉教授。桐朋学園大学名誉教授。 山口県山口市出身。ヴァイオリニストであった父・石井洋之助の元で、6歳からヴァイオリンを始める。その後、竹内文子、鷲見三郎、ジャンヌ・イスナールに師事。 1959年、渡仏。パリ音楽院にて、ガブリエル・ブイヨン(ドイツ語版)、ジャック・フェヴリエに師事。パリ音楽院卒業後はソリストとして活動する一方、パリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターを4年間務めた。 1970年より山口芸術短期大学、1974年より桐朋学園大学、1987年より洗足学園音楽大学にて後進の指導に当たる。2002年、第12回日本クラシック音楽コンクールに際し、日本クラシック協会より優秀指導者賞を受ける。
藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022… 藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022年12月28日)は、日本のイラストレーター、天体写真家。天文宇宙の魅力を広く伝え、多様な天文ファンを先導する存在として国際的に知られる。50年以上にわたって第一線で活躍を続けた。 山口県山口市に生まれる。父は岸信介と旧制山口中学校の同級生で、山口県庁の職員を経て釣具店を経営していた。子供の頃は流星観測をしていた。山口県立山口高等学校在学中に天文部を創設。山口高校卒業後は多摩美術大学デザイン科に進学し、1963年同校を卒業。少年マガジンなどの雑誌のイラストを描く仕事に就いていた。その後、東京の光害から逃れるために福島県郡山市に移り住み、それまでやっていたイラスト描きの仕事を辞めて、郡山名物である薄皮饅頭の製造会社に入社して饅頭づくりに励んだ。
栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 20… 栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 2008年1月21日)は、山口県山口市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は友景 通忠(ともかげ みちただ)。180cm、133kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、寄り。 防府高校から春日野部屋に入門。1959年5月場所に初土俵。入門当初から将来を期待され、その期待通りに幕下まで負け越し知らずで出世したが、1961年5月に稽古で左膝関節を捻挫して低迷した。怪我が治ってから再び順調に出世し、1965年5月場所に十両昇進。9場所在位したが入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 20… 山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 2021年11月2日)は、日本の実業家。日立物流名誉相談役、元社長。世界貿易センタービルディング役員。 山口県山口市出身。1962年に山口大学経済学部卒業。同年、日立物流に入社。同社取締役、同社常務などを経て1998年6月、同社専務取締役。2003年2月、同社長。同社名誉相談役山口大学理事及び同大経済学部鳳陽会理事長。世界貿易センタービルディングの役員だった。 2021年11月2日、病気のため死去。81歳没。 時代の最先端サービスである「システム物流」を強力に進める。社長に就任した際、トップとして企業の未来を見据えると同時に、自ら交渉の現場へ奔走。
高實 康稔(たかざね やすのり、1939年10月26日 - … 高實 康稔(たかざね やすのり、1939年10月26日 - 2017年4月7日)は、日本のフランス文学者。長崎大学名誉教授。強制動員真相究明ネットワーク呼びかけ人。 山口市出身。1969年、九州大学大学院文学研究科仏語仏文学専攻博士課程中退、長崎大学教養部講師赴任(フランス語)。1971年、フランス政府招聘研修員としてポー大学、グルノーブル大学(en:Grenoble Alps University)に留学の後、私費でパリ大学に延長留学し、翌1972年帰国。1993年、同教養部教授。1995年、「岡まさはる記念長崎平和資料館」を有志とともに設立。1997年、教養部改組に伴い環境科学部教授(異文化交流論)に就任。
松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 … 松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授、東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻客員教授。 過去に、駐フランス共和国特命全権大使やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 三井生命保険(現大樹生命保険)勤務の父親誠一と山口市の造り酒屋「松屋」の娘だった母清子の子として東京府荏原区(現東京都品川区)で生まれ、父の生地である島地村で幼少を過ごす。
大和 保男(やまと やすお、1933年 - )は、日本の陶芸… 大和 保男(やまと やすお、1933年 - )は、日本の陶芸家。萩焼作家。山口県山口市出身。山口県立大学大学院非常勤講師。山口県指定無形文化財萩焼保持者。 小学生の頃、第二次世界大戦の影響で陶工が召集されたことにより、大和が代わりに窯の手伝いを始めることになる。中学生になると、父の指導により本格的な陶工に成長した。 1980年より、日本工芸会山口支部幹事長に就任。 1988年、山口県指定無形文化財に指定された。 2000年には、フランスで「萩焼400年パリ展」を開催するなど海外にも活動の幅を広げた。
杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2… 杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2022年2月11日 )は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。 山口市出身。1961年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、79年「現代帝国主義の基本構造」で経済学博士。京都大学経済研究所助教授、教授、88-90年所長を務める。95年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。門下に有賀敏之がいる。
藤井 忠俊(ふじい ただとし、1931年4月25日 - 20… 藤井 忠俊(ふじい ただとし、1931年4月25日 - 2018年1月24日)は、日本近代史研究家。 山口県山口市生まれ。早稲田大学法学部卒。専攻は日本近現代史・民衆史。『季刊現代史』主宰、駿河台大学講師などを務めた。妻は松本清張記念館名誉館長の藤井康栄。 2018年1月24日午前10時35分、急性心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 20… 津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 2013年7月24日 )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 山口県山口市出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三越に入社。1981年2月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年5月に専務を経て、1995年5月に社長に就任。1998年1月取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26… 濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月18日)は、日本の音楽理論家、指揮者、音楽教育者、作曲家。姓は浜田と表記されることがある。 山口県山口市出身。1951年(昭和26年)文化学院卒業。 齋藤秀雄、諸井三郎らに幼時から音楽を学び、ピアノ・作曲・指揮法を個人教授で習得。1956年(昭和31年) - 1959年(昭和34年)成蹊グリークラブ指揮者。1958年(昭和33年)谷桃子バレエ団10周年記念公演で東京ジングアカデミーを指揮。1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年)広島大学音楽科交響楽団を指導。1961年(昭和36年)東北大学交響楽団を指揮。
濱村 秀雄(はまむら・ひでお、1928年7月20日 - 20… 濱村 秀雄(はまむら・ひでお、1928年7月20日 - 2000年5月7日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は長距離走。姓は常用漢字体で「浜村」とも表記される。 山口県吉敷郡秋穂町出身。兄2人がいたが、いずれも早逝したために三男であった秀雄が濱村家の家督を継承した。 1946年に地元秋穂町体育大会が開かれた際に、1,500m競走に参加して優勝したことをきっかけに山口県内の大会に出場するようになり、その後、山口県庁に公務員として奉職、山口県教育委員会所属の肩書で全国規模の大会に出場するようになる。 1952年1月、第1回別府マラソン(現在の別府大分毎日マラソン)に一般参加選手として出場、2時間1分50秒で優勝を飾ると、1952年ヘルシンキオリンピック代表選考会として施行された同年5月の毎日マラソン(後のびわ湖毎日マラソン)に出場、2時間30分17秒で3位となったものの、ヘルシンキオリンピックの代表には選出されなかった(優勝した内川義高、2位の西田勝雄のほか、山田敬蔵が代表)。
原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019… 原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019年11月9日)は、日本の実業家、時事通信社元社長、パシフィック・リーグ元会長。 山口県山口市出身。1950年に東京大学農学部を卒業し、時事通信社に入社。那覇特派員、海外部長、編集局長などを歴任し、1978年6月に取締役に就任し、1980年6月に代表取締役を経て、1984年6月から1990年6月まで社長を務めた。1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章した。 1991年1月にパシフィック・リーグ会長に就任。2000年12月に退任するまでの間、伊良部秀輝のメジャーリーグ挑戦やイチローのポスティングシステム採用(日本初)があり、1997年には観客動員1000万人突破を成し遂げた。
小林 兼年(こばやし かねとし、1927年〈昭和2年〉6月7… 小林 兼年(こばやし かねとし、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 1990年〈平成2年〉3月27日)は、日本の政治家。山口市長(1期)。 山口県山口市出身。旧制山口中(現山口県立山口高等学校)卒。1953年(昭和28年)、山口市役所に入る。市役所では納税、庶務の各課長、民生、総務の各部長などを経て、1981年(昭和56年)、山口市助役に就任する。 1987年(昭和62年)、山口市長選挙に無所属で立候補して、保守系無所属新人同士の一騎打ちを制して初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:78.3%(前回比:-pts) 同年4月27日に市長に就任した。 1990年3月27日、執務中に倒れ、急性心不全のため死去した。
佐内 正治(さない まさじ、1926年(大正15年)6月9日… 佐内 正治(さない まさじ、1926年(大正15年)6月9日 - 2019年(平成31年)4月24日)は、日本の政治家。山口市長(3期)。 山口県山口市出身。海軍兵学校を経て、敗戦後は山口県庁に入り、企画部長を務める。その後山口市議会議員を務め、山口県産業技術開発機構副理事長に就任する。 1990年の山口市長選に立候補して初当選、3期12年務めた。2002年に引退した。2019年4月24日で死去。92歳没。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(… 上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(大正12年)8月7日 - 1987年(昭和62年)11月21日)記録文学作家。「時間を惜しむな、金を惜しむな、命を惜しむな」という姿勢を貫き、炭鉱労働者の生きざまを描き続けた。 山口県吉敷郡井関村(阿知須町)で、父彦一、母ミチの7人兄弟の長男として生まれる。小学校に上がる年に、父の転職により北九州の黒崎に移る。1940年、旧制八幡中学を卒業して満州国建国大学へ進学する。1943年12月1日、学徒出陣により関東軍山砲兵第二十八連隊第五中隊へ入営。1945年8月6日、見習士官として船舶砲兵教導隊第一中隊付の時、広島市宇品において原爆投下に遭遇、被爆する。
松村 昶子(まつむら しょうこ、1920年(大正9年)7月1… 松村 昶子(まつむら しょうこ、1920年(大正9年)7月10日 - 1945年(昭和20年))は、昭和時代の競泳選手。 山口県吉敷郡大歳村矢原高畑(現山口市矢原町高畑)の医師松村章の二女として生まれる。1927年(昭和2年)大歳小学校に入学し、椹野川の八光面(石津橋の下)で泳ぎを覚えた。 山口高等女学校在学中、100m自由形で1936年ベルリンオリンピック競泳日本代表に選出されたが、本大会では出場しなかった。
柳井 等(やない ひとし、1919年(大正8年)7月28日 … 柳井 等(やない ひとし、1919年(大正8年)7月28日 - 1999年(平成11年)2月6日)は、日本の実業家。ファーストリテイリングの前身・小郡商事の創業者。小郡商事会長。通産大臣を務めた政治家田中龍夫の後援会長。ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長柳井正の父。 山口県吉敷郡陶村(現山口市陶)出身の父・柳井周吉は牛馬商を営んでいた。等は11人兄弟姉妹の8男である。生家は貧しかった。高等小学校を卒業すると進学をあきらめ、京都で飲食業をやっていた兄を頼って、洋服屋の丁稚奉公をはじめた。 徴兵されて中国で8年ほど過ごしたあと、小郡に帰った。暫くは兄(長男)の家で過ごす。4番目の兄・政雄から小郡商事の繊維・洋服部門を任された。
松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日… 松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた。 大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。 復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。
熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 20… 熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 2006年3月19日)は、日本の経営者。山口県山口市出身。 1939年に早稲田大学文学部を卒業し、1945年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1970年11月から1985年6月までに宝塚音楽学校校長と1982年6月から1997年6月までに逸翁美術館館長を務めた。 2006年3月19日大腸がんのために死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐々木 英治 (ささき えいじ, 1915年(大正4年)8月… 佐々木 英治 (ささき えいじ, 1915年(大正4年)8月23日 - 2007年12月15日) は、日本の実業家。元宇部興産(現・UBE)代表取締役副社長、元テレビ山口社長。 山口県山口市生まれ。山口県立山口高等学校を経て京都帝国大学経済学部卒業。 1940年、沖ノ山炭鉱入社。1944年に宇部炭鉱が宇部興産と合併。1969年にテレビ山口株式会社取締役と宇部興産株式会社常務取締役を兼務。1983年宇部興産代表取締役副社長、1984年テレビ山口代表取締役社長に就任。宇部興産飲料と宇部ゴルフ観光の社長を歴任。山口テレメッセージ株式会社相談役も勤めた。
平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 20… 平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)は、日本の天然物化学者。名古屋大学名誉教授。 1915年、山口県山口市生まれ。山口高等学校理科甲類を卒業し、1938年に東京帝国大学理学部化学科に入学。1941年に卒業した。卒業研究および同大学大学院においては、有機化学の久保田勉之助教授(ポール・サバティエ門下)の下で黄変米の有毒成分を研究した。 1943年より、母校である東京帝国大学助手になる。1944年1月、名古屋帝国大学に理学部講師として着任し、6月には助教授に就任。太平洋戦争中の戦時下では、研究室疎開先の長野県上田市で江上不二夫の指導の下、乏しい物資の中で研究に当たった。
木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2… 木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2006年4月3日)は、日本の植物学者・科学史家。東京大学名誉教授。 1912年、山口県山口市生まれ。旧制長崎中学、旧制山口高校を経て、東京帝国大学理学部に進んだ。大学では中井猛之進に師事。卒業後の1938年、東京帝国大学副手に着任。1939年、同大学助手に昇進。1944年、学位論文『おとぎりそう科ノ研究』を提出して理学博士号を取得。 太平洋戦争後の1949年より、東京大学教養学部生物学科助教授。1960年に同教授に昇進。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中央大学教授として教鞭をとった。学界では、日本植物分類学会の創設に尽力し、1977年から1980年まで会長を務めた。
丸山 誠治(まるやま せいじ、1912年6月15日 - 19… 丸山 誠治(まるやま せいじ、1912年6月15日 - 1989年11月22日)は日本の映画監督。男性映画を得意とする一方、司葉子のデビュー作を撮った監督としても知られる。代表作に『男ありて』『太平洋奇跡の作戦 キスカ』『日本海大海戦』など。
日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉1… 日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉10月4日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本の医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。 京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長、英知大学客員教授などを歴任した。 京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、ハーバード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任した。
柳井 政雄(やない まさお、1908年2月15日 - 199… 柳井 政雄(やない まさお、1908年2月15日 - 1998年)は日本の部落解放運動家、実業家、政治家、ヤクザ。小郡商事(現、ファーストリテイリング)創業者。同代表、全日本同和会初代会長、同山口県連合会会長、山口県部落対策審議会委員、総理府同和対策協議会ならびに同和対策審議会委員、山口市議会議員、山口県議会議員、田中龍夫後援会会長などを歴任した。 ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正の父である柳井等の兄にあたる。また、政雄の叔父の柳井傳一は全国水平社の創立大会の参加者で、みずから創設に尽力した山口県水平社の聯盟本部役員を務めた。 山口県吉敷郡小郡町(現・山口市小郡)で牛馬商の柳井周吉の四男として生まれる。
中原 中也(なかはら ちゅうや1907年〈明治40年〉4月2… 中原 中也(なかはら ちゅうや1907年〈明治40年〉4月29日 - 1937年〈昭和12年〉10月22日)は、日本の詩人・歌人・翻訳家。旧姓は柏村(かしむら)。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待されていた。小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が脳膜炎により病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した第1詩集『山羊の歌』および中也の死の翌年出版された第2詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や、数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人小説家の翻訳もしている。
岩上 順一(いわかみ じゅんいち、1907年(明治40年)1… 岩上 順一(いわかみ じゅんいち、1907年(明治40年)1月2日 - 1958年(昭和33年)8月14日)は、日本の文芸評論家。 山口県吉敷郡小郡町(現山口市)に生まれる。家が貧しいため、中学進学ができなかったので、小郡の変電所に勤務するが、学業への意志は強く、鴻城中学校の編入試験に合格した。卒業後は早稲田大学に進み、英文科に所属するも、そのころから社会運動にかかわり、何度か検挙され、結局大学は中退という形になった。 その後、会社勤めをしながら評論を書くことを志し、1938年に評論家としての最初の文章が『中央公論』に掲載される。この時期、活発に評論活動を行い、1941年5月3日の『朝日新聞』には「全国民を動かす政治的指導が絶対に必要である。
氏原 大作(うじはら だいさく、1905年〈明治38年〉3月… 氏原 大作(うじはら だいさく、1905年〈明治38年〉3月20日 - 1956年〈昭和31年〉12月31日)は、日本の小説家、詩人、教育者。山口県阿武郡篠生村(のちの阿東町、現在の山口市)篠目出身。氏原大作は筆名で、本名は原 阜()。 尋常小学校高等科を卒業後、故郷の小学校の代用教員などを務めながら、同人誌を発行するとともに、短歌などを発表。1936(昭和11)年に雑誌『少年倶楽部』に投稿した『見たか青空』が同誌に掲載されたのを契機に、同誌の常連作家となる。1938(昭和13)年に、主婦の友社の懸賞小説で『幼き者の旗』が一等に当選、のちに同作が映画化するなど、注目を集めた。 1905(明治38)年3月20日、山口県阿武郡篠生村篠目の農家に生まれる。
嘉村 礒多(かむら いそた、1897年(明治30年)12月1… 嘉村 礒多(かむら いそた、1897年(明治30年)12月15日 - 1933年(昭和8年)11月30日)は、日本の私小説家。山口県吉敷郡仁保村(現在は山口市仁保)出身。わずか6年間に約30の短編小説を書いたのみだが私小説作家として当時高い評価を得た。 人生問題に悩み、近角常観に傾倒。妻の婚前の男関係に悩んだ末、妻子を捨てて、愛人と駆落ちして上京。『不同調』記者となり、同誌に発表した『業苦』『崖の下』で注目された。葛西善蔵に強く影響され、『途上』で文壇に地位を確立するも、翌年病没。厳しい倫理観を基調に、自己を告白した独自の作風で、いわゆる破滅型私小説の代表的存在と目された。 1897年(明治30年)12月15日、父・若松、母・スキとの間に生まれる。
澄川 道男(すみかわ みちお、1896年〈明治29年〉8月5… 澄川 道男(すみかわ みちお、1896年〈明治29年〉8月5日 - 1977年〈昭和52年〉6月18日)は日本の海軍軍人。海兵45期。最終階級は少将。勲三等旭日章、勲二等瑞宝章、金鵄勲章功四級、仏国金鵄勲章レジオンドヌール勲章三級。 1896年(明治29年)8月5日、山口県吉敷郡山口町(現:山口県山口市)で出生、旧制山口中学(現在の山口県立山口高等学校)では後に総理大臣となった岸信介と首席の座を競った。1914年(大正3年)海軍兵学校入学、卒業後は主として航空畑、参謀畑を歩んだ。1937年(昭和12年)フランス国大使館附武官(駐在武官)。海軍大佐時代には水上機母艦「瑞穂」艦長(1940年10月15日 - 1941年9月5日)、航空母艦「飛鷹」艦長(1942年11月21日 - 1943年8月15日)を務めている。
山名 正太郎(やまな しょうたろう、1894年(明治27年)… 山名 正太郎(やまな しょうたろう、1894年(明治27年) - 1992年)は、日本の新聞記者。文筆家。 山口県山口市生まれ。学歴不詳。1919年大阪朝日新聞社入社、名古屋支局長、大阪社会部長、日本海新聞社役員兼編集局長、都新聞事業部長、大阪府嘱託(青少年問題協議会)、朝日新聞客員。
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月2… 田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。海兵41期。最終階級は海軍中将。 山口県山口市嘉川(旧嘉川村)の本間家の三男に生まれる。 旧制山口中学校を卒業。1913年(大正2年)12月海軍兵学校41期卒。生粋の駆逐艦乗りで、水雷屋としてキャリアを重ねた。 第一次世界大戦では第二特務艦隊に属し、地中海で連合国艦船の護衛任務に従事している。 第一次世界大戦後の1920年11月、山口県の田中家へ入籍し姓が田中となる。 太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)9月15日、五藤存知少将の後任として第二水雷戦隊司令官となる。そのまま日米開戦を迎え、南方作戦・蘭印作戦に従事。
宮城 タマヨ(みやぎ タマヨ、1892年〈明治25年〉2月1… 宮城 タマヨ(みやぎ タマヨ、1892年〈明治25年〉2月1日 - 1960年〈昭和35年〉11月19日)は、日本の社会事業家、政治家。参議院議員。旧姓・植田。 山口県吉敷郡山口町(現山口市)で、植田久之丞の二女として生まれる。1914年3月、奈良女子高等師範学校博物家事部を卒業し、母校の助教諭となる。 1920年から1923年まで大原社会問題研究所で児童保護問題などを研究。1922年、旧少年法が制定されたことに伴い、同年、文部省・司法省嘱託としてアメリカ合衆国に渡り少年保護事業などを研究した。帰国後、東京少年審判所で日本初の婦人保護司に就任した。1927年、大審院検事・宮城長五郎と結婚したが、1942年に死別した。