石橋 大吉(いしばし だいきち、本名:石橋 操(いしばし み… 石橋 大吉(いしばし だいきち、本名:石橋 操(いしばし みさお)、1932年(昭和7年)1月7日 ‐ 2022年〈令和4年〉8月26日) は、日本の元政治家。位階勲等は従四位勲二等。元衆議院議員(通算4期)。 島根県松江市出身。安来第二中学校卒業。 卒業後、公務員として奉職するかたわら労働運動に加入。島根県労働組合評議会議長、自治労島根県本部委員長等を歴任。 1980年の第12回参議院議員通常選挙及び1983年の第13回参議院議員通常選挙に、日本社会党公認で島根県選挙区から立候補するが、いずれも落選。1986年に行われた第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧島根県全県区から立候補し、初当選を果たす。
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三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021… 三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021年4月3日)は、日本のジャーナリスト、作家。東京生まれ。推理小説、スパイ小説、歴史小説などを発表した。本名は河上 雄三。 小学生時代は「雷電為右衛門」などの少年講談や推理小説を愛読。旧制中学校1年の時に陸軍幼年学校を目指したが不合格、2年修了時に合格して、14歳で第二志望だった名古屋陸軍幼年学校に入学した。東京幼年学校の同期に西村京太郎、名古屋幼年学校の2期上に加賀乙彦がいた。敗戦で元の学校に戻り、東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)卒業後、横浜高等商業学校(在学中に横浜国立大学経済学部に改名)に進学、卒業後1950年、読売新聞社に入社。
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湯浅 武(ゆあさ たけし、1931年1月7日 - 2020年… 湯浅 武(ゆあさ たけし、1931年1月7日 - 2020年12月24日)は、日本の経営者。東京都出身。 1953年に早稲田大学文学部を卒業し、同年に読売新聞社に入社。一般事業部長、スポーツ事業部長、事業本部次長、事業本部総務、読売興業常務を経て、1987年に読売ジャイアンツ球団代表に就任し、専務を経て、1992年にはオーナー代行に就任。1998年からは非常勤顧問を務め、読売旅行取締役も務めた。 2020年12月24日心不全のために死去。89歳没。
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菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、… 菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学名誉教授・日本芸術院会員。
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秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は… 秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は、日本の詩人・中国文学者。九州大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。本名・勝廣。九州大学文学部卒。1977年「近代中国における文学運動の展開」で九大文学博士。近畿大学第二教養部(福岡)助教授、福岡女子大学教授、九大文学部教授。1993年定年退官、名誉教授。1993年翻訳特別功労賞(日本翻訳家協会)。1998年福岡県詩人会特別賞。2001年第一回詩界賞(日本詩人クラブ)。2011年福岡県詩人会先達詩人顕彰。
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森川 俊夫(もりかわ としお、1930年1月7日 - 201… 森川 俊夫(もりかわ としお、1930年1月7日 - 2018年10月30日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。トーマス・マンの作品を多く翻訳した。 東京生まれ。水戸高等学校卒、1953年東京大学文学部独文科卒業、熊本大学法文学部助手。1954年東大文学部助手。1957年電気通信大学専任講師。1961年一橋大学専任講師。西ドイツ・チュービンゲン大学に二年留学。1963年助教授。1971年教授。1992年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授。2011年、瑞宝中綬章受章。 2018年10月30日、食道がんのため死去、88歳。叙正四位。
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船戸 英夫(ふなと ひでお、1930年1月7日 - 1994… 船戸 英夫(ふなと ひでお、1930年1月7日 - 1994年4月27日)は、日本の英文学者。 埼玉県川越市生まれ。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。立教大学助教授、教授を務めた。1994年4月27日、在職中に肝不全のため死去。
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田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1… 田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1月7日 - 2011年〈平成23年〉9月25日)は、日本の医学者・薬理学者。医学博士。群馬大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。旧制前橋中学校を経て、1949年(昭和24年)前橋医学専門学校卒業。1955年(昭和30年)東京慈恵会医科大学医学博士。1959年(昭和34年)群馬大学医学部助教授。1965年(昭和40年)よりアメリカ・ミシガン大学へ留学。1972年(昭和47年)群馬大学医学部教授。1978年(昭和53年)日本アルコール医学会会長。1983年(昭和58年)群馬大学医学部付属動物実験施設長。1991年(平成2年)定年退官、名誉教授、群馬県立医療短期大学学長。
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斎藤 謹造(さいとう きんぞう、1927年1月7日 - 20… 斎藤 謹造(さいとう きんぞう、1927年1月7日 - 2003年10月18日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 福島県出身。1952年東京商科大学卒、1952年大同毛織入社、1953年福島大学経済学部助手、1959年助教授、1962年大阪大学教養部助教授、1970年教授となる。1989年定年退官し、名誉教授になる。1983年『比較経済発展論 歴史的動学理論の形成』で大阪大学経済学博士。
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栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016… 栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016年7月19日)は、日本の自衛隊員、実業家。位階は従四位。 陸上自衛隊第11師団長・陸将や、セブン-イレブン・ジャパン社長を務めた。 1943年、旧制上田中学校(現長野県上田高等学校)卒業。1945年、陸軍士官学校卒業。日本の降伏後、陸上自衛隊に入隊。1979年、陸上自衛隊第11師団長。1981年にセブン-イレブン・ジャパン入社。1992年には鈴木敏文の後任としてセブン-イレブン・ジャパン社長に就任した。1995年の阪神・淡路大震災ではヘリコプターを使って弁当を空輸し、「ライフライン」で第12回新語・流行語大賞トップテンに入賞した。1997年、健康上の理由で退任。
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須本 憲一(すもと けんいち、1926年1月7日 - 196… 須本 憲一(すもと けんいち、1926年1月7日 - 1968年2月10日)は、徳島県出身のプロ野球選手(内野手)、また徳島県立商業学校野球部元監督。
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澤村 治夫(さわむら はるお、1926年 <大正15年> 1… 澤村 治夫(さわむら はるお、1926年 <大正15年> 1月7日 - 2011年 <平成23年> 9月3日)は、日本の経営者。三井東圧化学(現在の三井化学)社長を務めた。位階は正四位。 熊本県出身。1950年に京都大学農学部農芸学科を卒業し、同年に東洋高圧工業(のちの三井東圧化学)に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年11月には三井化学相談役に就任。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2011年9月3日に膵臓癌のために死去。85歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
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中村 璋八(なかむら しょうはち、1926年1月7日 - 2… 中村 璋八(なかむら しょうはち、1926年1月7日 - 2015年6月2日)は、日本の中国哲学研究者、駒澤大学名誉教授。 神奈川県愛甲郡愛川町生まれ。1951年東京文理科大学文学科卒。1978年「五行大義の基礎的研究」で駒澤大学文学博士。東京都立町田高等学校教諭、駒澤大学文学部助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。 2015年6月2日、老衰のため死去。89歳没。
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大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月… 大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月7日 - 2018年(平成30年)9月18日)は、日本の実業家。旧日本海軍の士官。勲五等瑞宝章受章者。 株式会社オオサワ元代表取締役。日本ケミカルシューズ工業組合元理事長。 外孫は第53代兵庫県知事の斎藤元彦。 兵庫県神戸市垂水区出身。1940年(昭和15年)大阪市立都島工業学校電気科を卒業。1947年(昭和22年)大澤ゴム工業所を創立。塩化ビニールを素材とする商材の製造販売を開始。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、生産能力の向上に大きく寄与した。 1954年(昭和29年)同社の貿易部門として源弘貿易(のちの大澤産業)を設立。
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上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 200… 上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 2009年11月10日)は、日本の小説家。 北海道十勝郡浦幌町生まれ。浦幌高等小学校卒業後、札幌師範学校附設の小学校准訓導養成所に学び、1941年に卒業して西足寄町の平和国民学校で教員生活に入る。小樽市の北海道青年学校水産教員臨時養成所に学び、1945年3月に卒業して塩谷村立青年学校に勤めるも、すぐに召集される。9月に復員後、増毛町の青年学校・中学校、札幌第四中学校、銭函中学校に勤め、その傍ら札幌文科専門学院夜間部に通う。講師の新間進一の影響を受けて文学熱が上がり、大東文化大学文政学部日本文学科に3年次編入し、1953年に卒業。卒論では有島武郎を選び、岩内町の木田金次郎を訪問する。
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阪上行雄(さかうえ ゆきお、1924年1月7日 - )は日本… 阪上行雄(さかうえ ゆきお、1924年1月7日 - )は日本の大蔵官僚。 大蔵省大臣官房会計課長、関東信越国税局長、大阪銀行専務、ロイヤルリース社長などを務めた。 大阪府出身。1945年9月に京都帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月に予備役となる。1947年3月 京都帝国大学法学部補修科を卒業。同年4月に高等試験行政科を合格し、同年5月 大蔵省に入省(理財局)。1950年5月から新居浜税務署長となる。 1964年9月1日 関東信越国税局総務部長。1966年8月 公営企業金融公庫参事兼経理部長。1968年6月11日 大臣官房会計課長。1970年6月25日 関東信越国税局長。1971年7月5日 大臣官房付。
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塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日 - )は、… 塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日 - )は、日本経済史家。名古屋大学名誉教授、愛知県立大学名誉教授。 東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ。1941年東京府立第五中学校卒業。1943年第一高等学校文科乙類卒業、東北帝国大学法文学部経済学科入学。1944年学徒動員。1945年召集解除、復学。1947年東北帝国大学法文学部卒業、東北帝国大学助手(法学部勤務)。1950年東北大学経済学部講師。1951年名古屋大学経済学部助教授。1962年「古代専制国家の構造」で経済学博士(東北大学)。1964年名古屋大学経済学部教授、1972年同大学経済学部長(1974年まで)、1973年同大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター初代センター長(1974年まで)。
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鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 201… 鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 2018年3月8日)は、日本の俳人。 大阪府出身。楳茂都流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子(千鳥)との間の長女。本名・ナナ子。生後7ヶ月で楳茂都流二代目家元の祖父に引き取られ、祖父母によって育てられる。1940年、夕陽丘高等女学校(現・大阪府立夕陽丘高等学校)卒業。 高女時代より俳句をはじめ、1942年より「馬酔木」に入会、水原秋桜子に師事。また1946年、「南風」に入会し山口草堂にも師事する。1951年「馬酔木」同人。「南風」編集・発行に参加し、1962年より「南風」婦人投句欄選者(1980年まで)。1984年、草堂の指名により「南風」主宰となる。
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西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年… 西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年/2016年)は、日本映画の録音技師。旧活動名は西尾 浩伸(にしお ひろのぶ)。 山梨県南巨摩郡飯富村(現身延町)出身。小学5年生の頃、松竹洋画系の本郷座で観た『キング・コング』で、この映画の画と音への感動が録音技師を志望する契機となった。同作は当時、誠文堂の月刊誌『子供の科学』に頻繁に載っていたトーキーで、西尾は友達の母親(女教師)に声をかけられ、4~5人の同級生と共に連れられて観に行っていた。 1941年に電機学校を卒業し、1943年に朝日映画社に入社する。1948年に独立し、西尾サウンドを設立する。東宝、大映、東映などの独立プロ作品の受注を開始する。
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片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978… 片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978年10月7日)は、宮城県仙台市出身の俳優。岐阜大学卒。本名同じ。東映に所属していた。 東映の映画・テレビで脇役中心に活動。 1978年10月4日、自動車で外出した後に消息を絶ち、3日後の10月7日、静岡県賀茂郡南伊豆町の県道下に転落した自動車内で遺体となって発見された。56歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
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久保 慶三郎(くぼ けいさぶろう、1922年(大正11年)1… 久保 慶三郎(くぼ けいさぶろう、1922年(大正11年)1月7日 - 1995年(平成7年)5月30日)は、昭和から平成時代の土木工学者。 1945年(昭和20年)東京帝国大学工学部第二工学部土木工学科を卒業し、同大講師、1948年(昭和23年)第二工学部助教授、1963年(昭和38年)東京大学生産技術研究所教授を歴任し、1982年(昭和57年)退官する(名誉教授)。埼玉大学へ転じ、1985年(昭和60年)より工学部長を務め、1987年(昭和62年)退官し、さらに東海大学教授となった。
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森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 201… 森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 2018年6月4日)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1945年に東京帝国大学農学部農林学科を卒業し、1947年5月に山之内製薬に入社。1970年2月に取締役に就任し、1976年3月に常務、1979年8月に専務を経て、1980年3月に社長に就任。1992年6月に会長も兼任し、同年10月には会長に専任し、2000年6月までに務めた。 1999年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2018年6月4日、老衰のために死去。96歳没。
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楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011… 楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011年10月30日)は、中国古典研究者、専門は老荘思想などの中国哲学。早稲田大学名誉教授。 1922年、東京で生まれた。父・楠山正雄は、大正・昭和前期に活躍した演劇評論家で、児童文学者。早稲田大学文学部東洋哲学科で学び、1943年に卒業。同大学大学院に進み、福井康順に師事した。 大学院修了後、早稲田大学文学部助教授に就任。1962年、教授に昇格。1977年、学位論文『老子伝説の研究』を早稲田大学に提出して文学博士号を取得。1992年に早稲田大学を定年退職し、名誉教授となった。 学界では、1989年から1991年まで日本中国学会理事長をつとめた。
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岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月… 岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月7日 - 2009年(平成21年)8月9日)は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。日本平和委員会代表理事、唯物論研究協会委員長等を歴任。 東京市本郷区生まれ。第一高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部卒業。1949年東京大学文学部卒業。北海道大学文学部助教授、教授、1973年一橋大学社会学部教授、1980年唯物論研究協会委員長。1984年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日本平和委員会代表理事等を歴任した。 日本共産党の出隆(のちに共産党を除名)に師事して古代ギリシア哲学を専門としたが、左翼的立場にたち、梅原猛や河合隼雄を批判、また歴史に取材した戯曲や小説も書いた。
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渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005… 渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005年5月4日)は、日本の科学史家、東京大学名誉教授。 専門は科学文化史、日英科学交流史、キリスト教と科学など。弟子に榎本恵美子や小川真里子。 東京出身。私立武蔵高校卒。東京帝国大学卒。1961年「一七八〇-一八五〇年期の英国に於ける熱理論の発展」で東京教育大学文学博士。1962年「熱運動論発展の過程」で東京大学理学博士。東京女子大学助教授、中央大学教授、1968年東京大学教養学部教授、1980年定年退官、名誉教授、新潟大学教授、東京電機大学教授、国際基督教大学教授。1993年、勲三等旭日中綬章受章。 『科学史フォーラム』第8号、2005年10月5日
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本田 済(本田 濟、ほんだ わたる、1920年1月7日 - … 本田 済(本田 濟、ほんだ わたる、1920年1月7日 - 2009年9月21日)は、中国哲学者。 三重県生まれ、京都府宇治市出身。1942年京都帝国大学文学部哲学科卒。1964年「易経の思想史的研究」で京都大学文学博士。1949年高槻高等学校教諭、1952年大阪市立大学文学部助教授、1965年教授、1980年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授、1983年学長。号は鬳斎(けんさい)。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。
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多岐川 恭(たきがわ きょう、1920年1月7日 - 199… 多岐川 恭(たきがわ きょう、1920年1月7日 - 1994年12月31日)は、日本の小説家・推理作家。本名、松尾 舜吉。 本格推理からSF、時代ミステリーまで、多数の作品を発表した。また「ゆっくり雨太郎捕物控」などの時代小説もある。 また、代表となって若手探偵作家の親睦団体の「他殺クラブ」を結成した。メンバーには河野典生、樹下太郎、佐野洋、竹村直伸、星新一、水上勉、結城昌治らがいた。のちに、笹沢左保、大藪春彦、新章文子、都筑道夫、高橋泰邦、三好徹、生島治郎、梶山季之、戸川昌子、佐賀潜らが参加した。 推理作家や推理小説の挿絵を描いていた画家によるゴルフ同好会「蟻這会」(アリバイかい)を主宰していた。
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岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月… 岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月26日)は、日本のフランス文学者、演劇評論家、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。父は不二サッシ会長を務めた岩瀬悌。早稲田大学文学部仏文科卒。昭和25年(1950年)フランスのアンジェー・カトリック大学に留学の後、パリ大学文学部博士課程第一年度修了。フランス演劇の翻訳、演劇評論で活躍し、早大文学部助教授、教授、1990年定年退職、名誉教授。長女の夫・安川壮一は安川第五郎の孫。
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柴田 平(しばた たいら、1920年1月7日 - 2004年… 柴田 平(しばた たいら、1920年1月7日 - 2004年4月10日)は、日本の経営者。西松建設社長を務めた。 富山県出身。1944年に京城帝国大学理工学部を卒業し、同年に西松組(のちの西松建設)に入社。1973年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、2001年6月には最高顧問に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 2004年4月10日に肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
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兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日… 兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日または1921年 - 1980年9月13日)は、大韓民国の警察官、政治家。居昌邑(朝鮮語版)邑長、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。陜川公立普通学校(現・陜川初等学校(朝鮮語版))、大邱農林学校(現・大邱農業マイスター高等学校(朝鮮語版))を経て、早稲田大学校外生講義録修了。国立警察専門学校(現・警察人材開発院(朝鮮語版))、建国大学法政学部卒。警察官在任中は反共闘士として智異山地区における共匪の討伐に功績を残した。政界入り後は初代民選居昌邑(朝鮮語版)邑長、自由党陜川郡党委員長・中央委員、民議員を務めた。
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大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 193… 大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 1939年)は、愛媛県出身のプロ野球選手(捕手)。 愛媛県立越智中学校(現・愛媛県立今治南高等学校)在学時代は内野手だった。その後呉海軍工廠では捕手を務め、1937年に阪急軍に入団。 当時の阪急の捕手には倉本信護(ちなみに、彼とは呉海軍工廠でチームメイトだった)、島本義文がいて出場が難しいかと思われたが、デビュー戦となった1937年4月12日のイーグルス戦で、8番捕手として先発出場。2打数1安打1打点1盗塁と活躍し、2人の正捕手争いに割って入る事ができた。その後、倉本が名古屋軍へ移籍し、島本が持病の肩痛で出場機会が減少したことから、翌1938年に阪急の正捕手になった。
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北垣 信行(きたがき のぶゆき、1918年1月7日 - 19… 北垣 信行(きたがき のぶゆき、1918年1月7日 - 1981年10月21日)は、日本のロシア文学者。 茨城県下妻市出身。1944年東京外国語学校ロシヤ語科卒業。北海道大学助教授を経て、東京大学教養学部教授。当初大竹博吉とともにルイセンコ論争に加わったが、のちロシア文学の翻訳・研究に専念し、レールモントフ、ゴーゴリのほか、トルストイ『戦争と平和』、ドストエフスキー『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などを翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月… 三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月30日)は、昭和・平成期の歌人・作家。 愛知県名古屋市にて眼科医の家系に生まれる。旧姓・杉田。杉田久女の夫・杉田宇内は遠縁にあたる。 母が崖からの転落事故の後遺症で半身不随となったため、幼少期は両親それぞれの実家や親戚宅に預けられて育つ。そうした生活から非行少女的な行動をとるようになったが、小学4年のときに担任教師の綴り方指導を受け、新愛知新聞への投稿で50回入賞するなど文才を認められたことで立ち直った。東京女子大学国文科在学中に歌誌「詩歌」に入会し、前田夕暮に師事。卒業後は名古屋市立大学病院の勤務医・三宅寅三と結婚するが、結婚の翌年に夫が太平洋戦争に召集され、その所属部隊はレイテ島で全員玉砕したと伝えられる。
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吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日… 吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の言語学者、国語学者、歌人。國學院大學名誉学長。 東京生まれ。1940年(昭和15年)に國學院大學文学部国文学科を卒業し、同国史学科へ編入学、翌年1941年(昭和16年)に退学して東京帝国大学史料編纂掛雇(のち史料編纂所雇)、1952年(昭和27年)に同事務官、1953年(昭和28年)から國學院大學文学部専任講師、1958年(昭和33年)に同助教授、1963年(昭和38年)に同教授となり、1973年(昭和48年)からは文学部長、1975年(昭和50年)の佐藤謙三学長の死去にともなって学長代理、ついで学長をつとめ、1987年(昭和62年)まで在任、退任後に名誉教授・名誉学長となる。
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山田 六一(やまだ ろくいち、1917年1月7日 - 201… 山田 六一(やまだ ろくいち、1917年1月7日 - 2013年1月16日)は、日本の実業家。三協精機製作所(現・ニデックインスツルメンツ)創業者であり、代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡長地村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、山梨高等工業学校(現・山梨大学)機械工学科卒業。北澤工業(現・東洋バルヴ)入社。1946年に兄の山田正彦と戦時中に第二精工舎諏訪工場(現・セイコーエプソン)から北澤工業に出向した小川憲二郎の3人で、三協精機製作所(現・ニデックインスツルメンツ)を創業。同社代表取締役社長、会長、名誉会長を歴任し、のちに長野県スケート連盟の副会長を務めた。
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大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7… 大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7日 - 2010年〈平成10年〉5月1日)は、日本の医学者、海軍軍医、航空自衛官。東京大学名誉教授。初代航空医学実験隊隊長。医用電子工学、人間工学、宇宙医学、航空医学などを研究。群馬県出身。 ノーベル化学賞受賞者の野依良治と土佐藩山内家第19代当主の山内豊功は娘婿。 群馬県前橋市出身。旧制太田中学校を四年修了し、旧制第一高等学校に入学。 1938年(昭和13年)に東京帝国大学医学部を卒業後、海軍軍医となる。 戦後は労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)を経て、1958年(昭和33年)11月、航空医学実験隊長。1951年(昭和26年)に「精神疲労に関する研究」によって医学博士号を取得。
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鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982… 鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982年7月27日)は、日本の詩人。宗教評論家。ギリシア正教徒。洗礼名ダニール。漢詩文では不羣(ふぐん)と号した。 サン=ジョン・ペルスに影響された長大な叙事詩的スタイルの作品が特徴である。少年時代からボードレール『悪の華』に原書で親しむなどしたが、戦時中に新興俳句運動に出会い、富澤赤黄男に師事して俳人として出発した。北海道石狩に戦後開拓に入るが、やがて離農、札幌で印刷会社に校閲者として就職した。その頃に現代詩に転じ、和田徹三の形而上詩誌「湾」同人として活動した。 定年退職とともに埼玉県に移住。前年に出版した『定本鷲巣繁男詩集』で歴程賞受賞。
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石田 政良(いしだ まさよし、1914年1月7日 - 没年不… 石田 政良(いしだ まさよし、1914年1月7日 - 没年不明)は、鹿児島県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 鹿児島商業では第15回全国中等学校優勝野球大会に出場。この大会では本塁打も記録している。卒業後は明治大学、門司鉄道局へ進み、1937年に名古屋軍へ入団。1938年春季リーグでリーグ3位となる打率.324を記録。俊足の選手であり、1940年の夏季シーズン途中に応召されるが、その時点で32盗塁を記録しており、そのまま追い抜かれることはなく盗塁王を獲得した。 1946年に復帰し、同年引退した。
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朝隈 善郎(あさくま よしろう、1914年(大正3年)1月7… 朝隈 善郎(あさくま よしろう、1914年(大正3年)1月7日 - 2008年12月22日)は、日本の陸上競技選手及び陸上競技指導者。 1914年(大正3年)1月7日、広島県府中市出身。 1933年(昭和8年)に日本体育会体操学校高等師範科(現日本体育大学)を卒業した後、明治大学政治経済学部に入学し、1937年(昭和12年)に卒業した。学生時代より陸上競技の道に入り、走高跳の選手として活躍した。 1934年(昭和9年)、兵庫県西宮市の南甲子園運動場(阪神甲子園球場より南方に、阪神電鉄が建設した陸上競技場)で開催された日米対抗陸上競技大会に於いて、日本人として初めて走高跳の2メートルジャンパーとなった。
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金 正淵(きん せいえん、キム・ジョンヨン、ハングル:김정연… 金 正淵(きん せいえん、キム・ジョンヨン、ハングル:김정연、1914年1月7日 - 1992年7月16日)は、日本統治時代の朝鮮の元スピードスケート選手。平安南道江西郡の出身。 公立平壌高等普通学校時代から大同江でスケートをおこなっていた。1932年に明治大学商学部に進学。1934年と1935年の全日本スピードスケート選手権大会を連覇。この当時は500m・1500m・5000m・10000mの総合得点で順位を決定していた。1934年2月に鴨緑江で行われた1934年大会では、金は500m3位、5000mと1000mで1位であった。1935年1月に日光で開かれた1935年大会では、500mは石原省三らに敗れたものの残る3種目はすべて1位となった。
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美濃 政市(みの まさいち、1912年1月7日 - 1988… 美濃 政市(みの まさいち、1912年1月7日 - 1988年9月28日)は、日本の政治家。 北海道中川郡池田町出身。池田高等小学校(現・池田町立池田中学校)卒業。 1963年に北海道議会議員選挙に当選して政界入り。1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から立候補し初当選した。道議時代及び代議士時代を通じて日本社会党に所属し、総選挙には4期連続当選した。衆議院物価問題等に関する特別委員長等を務め、政界引退後の1982年4月の春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章した。 農民運動出身の政治家であり、1948年から32年間幕別町農協組合長を務めた。 1988年9月28日、死去。76歳没。同年10月4日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位に叙された。
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笠置山 勝一(かさぎやま かついち、1911年1月7日 - … 笠置山 勝一(かさぎやま かついち、1911年1月7日 - 1971年8月11日)は、奈良県生駒郡(後の大和郡山市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は仲村 勘治(なかむら かんじ)。最高位は西関脇。 1911年1月7日に奈良県生駒郡(後の大和郡山市)で生まれる。小学生の時から相撲で活躍し、小学6年生では大阪毎日新聞社が主催した奈良県学童相撲で優勝する実力を身に付けた。奈良県立郡山中学校では相撲を離れて柔道部に所属していたが、1928年に常陸山谷右エ門の叔父である内藤高治の推薦で出羽海部屋へ入門した。しかし、学業を修了していなかったため、東京・早稲田中学校へ転校して部屋から中学校へ通う生活を続けていた。
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鎌田 正(かまた ただし、1911年(明治44年)1月7日 … 鎌田 正(かまた ただし、1911年(明治44年)1月7日 - 2008年(平成12年)6月13日)は、日本の漢文学者。
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飯田 利行(いいだ りぎょう、1911年1月7日 - 200… 飯田 利行(いいだ りぎょう、1911年1月7日 - 2004年)は、曹洞宗の僧、仏教学者、音韻学者。 群馬県佐波郡赤堀村(現伊勢崎市)生まれ。1936年東京文理科大学漢文学科卒、駒澤大学専任講師。1940年京都東方文化研究所(東方文化研究所?東方文化学院京都研究所?)助手。1941年駒澤大学教授。1954年「日本仏典の表白諷誦に残存せる中国近世音の研究」で東京教育大学文学博士。1966年専修大学文学部教授。1980年二松学舎大学教授。1985年『定本湛然居士文集訳』で日本翻訳文化賞受賞、1995年仏教伝道文化賞受賞。全長寺住職、總持寺顧問。
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中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7… 中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7日 - 1977年(昭和52年)10月17日)は、日本の法学者(憲法学)。法学博士(京都大学・1966年)(学位論文「国家と宗教に関する研究」)。日本法政学会理事。滋賀県出身。
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麻生 徹男(あそう てつお、1910年(明治43年)1月7日… 麻生 徹男(あそう てつお、1910年(明治43年)1月7日 - 1989年(平成元年)7月11日)は、昭和期の医師、医学博士。大日本帝国陸軍軍医として日中戦争、太平洋戦争に従軍した。 福岡県で産婦人科医・麻生貞の長男として生まれる。福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校を経て、1935年(昭和10年)3月、九州帝国大学医学部卒業。産婦人科を専攻。同年4月、医籍登録を行い同大医学部副手となる。 1937年(昭和12年)11月応召。大日本帝国陸軍衛生部見習士官として14号兵站病院に勤務。中国の上海や南京を転勤。1939年(昭和14年)、報告書「花柳病ノ積極的予防法」を作成。この報告書は、戦後、慰安婦問題に関して千田夏光らの著作で度々引用されることになる(後述)。
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内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英… 内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英文学者。 京都府出身。第三高等学校卒、1935年京都帝国大学文学部英文科卒。陸軍中尉。1962年「Henry Fieldingの小説The life of Mr. Jonathan Wild, the great(1743)における諷刺の研究」で京都大学文学博士。第三高等学校教授、大阪市立大学助教授、教授、1966年東海大学文学部教授、文学部長、81年定年退任、名誉教授。十八世紀英文学研究会を組織した。
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石田 正(いしだ ただし、1910年1月7日 - 1979年… 石田 正(いしだ ただし、1910年1月7日 - 1979年3月4日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本輸出入銀行総裁。 旧制開成中学、旧制第一高等学校を経て、1933年に東京帝国大学法学部を卒業。同年に大蔵省に入省(大臣官房文書課に配属)。1945年4月13日に広瀬大蔵大臣秘書官(事務担当)。1947年11月19日に理財局為替第一課長。1948年7月5日に理財局外資部長。1949年3月15日に理財局外資部長兼理財局国庫課長。同年6月1日に大臣官房調査部長。その後、主税局税関部長、理財局長、官房長、為替局長を経て、1957年11月15日に銀行局長となり、1959年6月23日に大蔵事務次官に就任。
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久野 久(くの ひさし、1910年1月7日 - 1969年8… 久野 久(くの ひさし、1910年1月7日 - 1969年8月6日)は、日本の地球科学者。専門は、岩石学(火山岩岩石学)・火山学。理学博士。 東京府生まれ。東京帝国大学理学部地質学教室卒業。1948年東京帝国大学より理学博士の学位を取得、論文の題名は 「Petrology of Hakone volcano and the adjacent areas(箱根火山及び燐接地域の岩石学的研究)」。
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中村 俊男(なかむら としお、1910年(明治43年)1月7… 中村 俊男(なかむら としお、1910年(明治43年)1月7日 - 1998年(平成10年)12月23日)は、日本の銀行家。三菱銀行頭取、会長を務めた。 東京出身。1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、三菱銀行に入行。 ニューヨーク支店長、外国部次長、丸ビル支店長、調査部長、名古屋支店長を歴任。 1960年取締役に選任。常務、副頭取を経て、1970年10月から1978年1月までに頭取を務め、1978年1月から1986年6月までに会長を務めた。 全国銀行協会連合会会長、経済団体連合会副会長、東京三菱銀行相談役・特別顧問、三菱総合研究所取締役、ホテルオークラ監査役なども歴任した。 1998年12月23日、心不全のために死去。
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