南野 梅雄(みなみの うめを、1939年9月12日 - 20… 南野 梅雄(みなみの うめを、1939年9月12日 - 2022年3月10日)は、日本の映画監督。大映京都撮影所でながく勝新太郎の座頭市シリーズなどの制作に関わる。 1939年、大阪市浪速区生まれ。日本大学芸術学部卒業後、大映京都撮影所に助監督として入る。時代劇カメラマン石本秀雄の三女と結婚。長男は憲法学者・九州大学教授の南野森、長女は小説家の村木嵐。京都市在住。
ドウス 昌代(Duus まさよ、1938年9月12日 - 2… ドウス 昌代(Duus まさよ、1938年9月12日 - 2022年11月18日)は、日本のノンフィクション作家。 北海道岩見沢市生まれ、本名・梅沢昌代。早稲田大学文学部卒業、米国在住。日本とアメリカの関係、および両国の間に生きた人々を描くノンフィクションを書く。 1977年、『東京ローズ』でデビューし、講談社出版文化賞ノンフィクション部門受賞、1982年、『ブリエアの解放者たち』で文藝春秋読者賞、1992年、『日本の陰謀』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮学芸賞、2000年、『イサム・ノグチ』で講談社ノンフィクション賞受賞。 日本近代史研究者で、スタンフォード大学名誉教授のピーター・ドウスは夫。
小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 20… 小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 海軍士官だった父の勤務地・京都府舞鶴市に生まれる。戦後は海上保安庁に勤めた父に従って小樽市、釧路市、江差町と移り住む。北海道江差高等学校卒業後、上京して文化学院文科に入学するも中退。1955年の春より、詩人・俳人の安東次男に師事。1961年、歌誌「短歌人」に入会。斎藤史を慕っての入会だったが、歌誌「原型」を創刊して脱会した動きには同調しなかった。 若くから結核などの病に苦しみ、死と背中合わせの日常の中で作歌を続けた。生前には二冊の歌集しか残さず、歌壇的な交流も少ない孤高の歌人であった。1997年から2000年まで、角川短歌賞選考委員を務めた。
藤田 博司(ふじた ひろし、1937年9月12日 - 201… 藤田 博司(ふじた ひろし、1937年9月12日 - 2014年10月5日)は、日本のジャーナリスト。 香川県生まれ。1961年東京外国語大学英米科卒、共同通信社入社。 外国駐在特派員としてサイゴン支局(南ベトナム)、ニューヨーク支局(アメリカ合衆国)で取材活動を行い、またニューヨーク支局長とワシントン支局長をそれぞれ務めた。また、共同通信本社では外信部次長、論説委員、論説副委員長を務めている。 1995年に上智大学文学部新聞学科教授に就任し、2005年に退任した。 妻は藤田文子・津田塾大学名誉教授。 2014年10月5日、急性心不全により死去。77歳没。
溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - … 溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - 2010年1月4日)は、日本の地震学者。専門は地震計測。東京大学地震研究所教授を経て、同大学名誉教授。地震防災対策強化地域判定会会長・地震予知連絡会委員・中央防災会議委員などを歴任。新潟県長岡市出身。 微小地震の研究で知られ、地震予知の対象をプレスリップ(前兆すべり)に限定するなど前兆分析の分野で大きく貢献した。
秋田 美津子(あきた みつこ、1935年<昭和10年>9月1… 秋田 美津子(あきた みつこ、1935年<昭和10年>9月12日 - 1995年<平成7年>6月20日)は、日本ホテル史上初の女性総支配人。『中日新聞』(1995年)は本名が古田美津子としている。 美津子は1935年(昭和10年)9月12日、当時日本統治下にあった朝鮮の京城(のちのソウル)において古田美津子として生を受けた。父鍵次は、昭和初期に名古屋から朝鮮半島に渡り、京城で浄化槽の設計、施工を行う会社を起こしており、その頃に生まれたのであった。 きょうだいは5人おり、兄が2人、弟と妹が1人ずつで、美津子は長女で3番目の子供であった。長兄は戦死、次兄も病死している。 日本敗戦後、1945年(昭和20年)11月のとある深夜に家族5人で命からがら父の郷里である名古屋に引き揚げることになった。
上條 清文(かみじょう きよふみ、1935年(昭和10年)9… 上條 清文(かみじょう きよふみ、1935年(昭和10年)9月12日 - )は、日本の実業家。東京急行電鉄代表取締役社長・会長、東急グループ代表、日本民営鉄道協会会長を歴任した。 長野県出身。1958年(昭和33年)、早稲田大学政治経済学部を卒業後、東急電鉄入社。五島慶太会長の最晩年の数カ月、秘書として仕え、財務畑を歩む。 1987年(昭和62年)6月、取締役、1993年(平成5年)6月、常務取締役、1995年(平成7年)6月、専務取締役、1999年(平成11年)6月、代表取締役副社長、2001年(平成13年)6月、代表取締役社長、2005年(平成17年)6月、代表取締役会長。 2016年(平成28年)春の叙勲で旭日大綬章を受章した。
田村 はつゑ(たむら はつえ、1935年〈昭和10年〉9月1… 田村 はつゑ(たむら はつえ、1935年〈昭和10年〉9月12日 - 2024年〈令和6年〉4月30日)は、日本の調理師。500円で食べ放題のバイキング形式の食堂「はっちゃんショップ」の経営者として話題を集めた。 1935年9月、群馬県桐生市に長女として出生。父親は機織り機の修理業、母親は機屋で働くという家庭だった。1938年、渡良瀬川の氾濫によって家をなくし、その後父親は太平洋戦争で軍に行った。終戦後、10歳にして奉公に出された。このため、まともに学校に行くことができず、晩年になっても読み書きできるのは平仮名だけだった。 1957年、3歳年上の男性と結婚。1959年には長女をもうける。 1997年、長年勤めたパチンコ製造会社が倒産。
武田 弘(たけだ ひろし、1934年(昭和9年)9月12日 … 武田 弘(たけだ ひろし、1934年(昭和9年)9月12日 - 2023年(令和5年)9月11日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学や結晶学を基礎とした、固体地球惑星物質科学。東京大学名誉教授。 太陽系の始原的物質が部分溶融と分化を繰り返し,分化した小惑星や月のような小天体を経て地球に至る「固体惑星物質進化」という新概念を提唱し,それを発展させてきた。なお,鉱物学への寄与により,岡山県高梁市の布賀鉱山から発見された新鉱物が,武田石(Takedaite, Ca3B2O6)と命名されている。また2001年には、小惑星(4965)Takedaにも名前が付けられている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
片岡 文雄(かたおか ふみお、1933年9月12日 - 20… 片岡 文雄(かたおか ふみお、1933年9月12日 - 2014年1月9日)は、日本の詩人。 高知県吾川郡いの町生まれ。高知県立高知工業高等学校、明治大学文学部卒。高校・大学の先輩である嶋岡晨と『貘』を創刊。『地球』同人。高知県で高校教師となり、定年まで勤める。1969年『悪霊』で椋庵文学賞、76年『帰郷手帖』で第9回小熊秀雄賞・第21回高知県出版文化賞、88年『漂う岸』で第13回地球賞、98年『流れる家』で第16回現代詩人賞受賞。
二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 200… 二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 2001年10月9日)は、日本の俳優、声優。福島県いわき市出身。 福島県立磐城高等学校、早稲田大学卒業。 1956年、演出劇場に入団。1959年にフリーとなり、1964年の時点では文芸ぷろに所属。その後、ぷろだくしょん森、クレオ、サヴァーグループを経て、再びフリーとなる。 東映演技研修所などで講師の仕事も行っていた。
岡田 豊(おかだ ゆたか、旧名:哲男〈てつお〉、1932年9… 岡田 豊(おかだ ゆたか、旧名:哲男〈てつお〉、1932年9月12日 - )は、元プロ野球選手・プロ野球審判員。兵庫県出身。 県立尼崎工業から近畿大学に進む。近畿学生野球リーグでは在学中7回優勝。1955年春秋季リーグ連続で首位打者となる。 1956年に阪急ブレーブスに捕手として入団。1年目から一軍に上がり、1960年には山下健と併用されて32試合に先発マスクを被る。しかし1961年には岡村浩二が新入団、出場機会が減少し同年限りで引退。 その後パ・リーグ審判部に入局し、パ・リーグ初の3000試合出場を達成し、1993年までつとめた。審判員袖番号は3(1977年初採用から1993年引退まで、3は2003年以降橋本信治がつけている。
中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 200… 中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 2004年11月19日)は、日本のジャーナリスト、中国問題評論家。現代中国学会会員。 富山県高岡市生まれ。1954年、東京外国語大学中国語科卒業。 1954年毎日新聞社入社。1970年ソウル支局長、1973年香港支局長、東京本社外信部副部長を経て、1976年北京支局長、1979年論説委員。 1986年高岡短期大学教授に就任。1989年東海大学教授、2002年定年退職。 2000年、アジア人口・開発協会評議員。
高橋 俊夫(たかはし としお、1931年9月12日 - 20… 高橋 俊夫(たかはし としお、1931年9月12日 - 2012年8月8日)は、日本の文学者。近世から近代にかけての日本文学の研究者。元清和女子短期大学教授。 1931年、東京府東京市本所区本所緑町(現在の東京都墨田区緑)生まれ。旧制東京開成中学校卒、早稲田大学文学部国文学科卒業。稲垣達郎・岩本素白に傾倒、同人誌『鉄砧雲』に評論・翻訳などを発表。アテネ・フランセに通い、バカロレア資格を得る。法政大学大学院博士課程満期退学、重友毅・長沢規矩也に師事し江戸文学・書誌学を研究、博士課程を修了。漢文学を竹谷長二郎に師事。東京都立第三商業高等学校教諭を経て、土浦短期大学、聖徳大学講師、清和女子短期大学教授。
鈴木 章(すずき あきら、1930年〈昭和5年〉9月12日 … 鈴木 章(すずき あきら、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の化学者。 理学博士(1960年)(学位論文「ヒドロフェナンスレン誘導体の合成」)。北海道大学名誉教授、倉敷芸術科学大学特別栄誉教授。日本学士院会員。2010年ノーベル化学賞受賞。文化功労者・文化勲章受章。 パラジウムを触媒とする、芳香族化合物の炭素同士を効率よく繋げる画期的な合成法を編み出し、1979年に「鈴木・宮浦カップリング」を発表、芳香族化合物の合成法の一つとしてしばしば用いられるようになった。 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町)出身。北海道江別市在住、むかわ町特別名誉町民。 1930年(昭和5年)北海道鵡川村に生まれる。
大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日… 大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 東京生まれ。旧制東京都立第三中学校、東京陸軍幼年学校、旧制群馬県立桐生中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学に入学。東京大学教養学部の学生自治会委員長としてレッドパージ反対闘争を指揮し、退学処分を受ける。東大を中退後、東大生協、業界紙記者を経てフリーになる。自らの全学連(全日本学生自治会総連合)の経験を踏まえた学生運動や世代論に関する発言を中心に新中間層、経済、経営の分野に及ぶ幅ひろい評論活動を展開する。兄の評論家・大野力と共に思想の科学研究会を活動の拠点とし、思想の科学研究会の事務局長、会長もつとめた。
岡本 文良(おかもと ぶんりょう、1930年9月12日 - … 岡本 文良(おかもと ぶんりょう、1930年9月12日 - 2008年1月21日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家、翻訳家。 茨城県生まれ。本名の読みは「ふみよし」。東京大学文学部卒。学研編集部勤務。書籍の編集にたずさわったのち、作家生活に入る。1971年より、児童文学、児童向けノンフィクション、海外作品の翻訳などを行う。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
西山 廣一(にしやま ひろいち、1929年9月12日 - 2… 西山 廣一(にしやま ひろいち、1929年9月12日 - 2026年4月1日)は、日本の実業家で、第7代京王帝都電鉄(現・京王電鉄)社長を務めた。東京都出身。 1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1953年に慶應義塾大学院経済研究科を修了し、同年に住友信託銀行に入社。住友信託銀行では、取締役、常務、専務、副社長を歴任した。 1988年をもって、退職し、同年に京王帝都電鉄の顧問に就任した。副社長を経て、1993年6月に社長に就任し、1999年に会長に就任し、2003年に相談役に就任した。 2026年4月1日、敗血症性ショックのため死去。96歳没。
一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年>… 一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年> 9月12日 - 2012年 <平成24年>11月5日)は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。一本松珠璣の息子。位階は正五位。 兵庫県出身。1950年に第一高等学校を経て、1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1983年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務となった。 約22年間にわたって神戸電鉄の発展に尽力した中田大三の後任として、1992年(平成4年)6月25日の取締役会において神戸電鉄社長に就任する役員人事が決定した。前社長である中田大三の社長方針「ルールを守れ。
浮田 典良(うきた つねよし、1928年9月12日 - 20… 浮田 典良(うきた つねよし、1928年9月12日 - 2005年1月12日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。京都大学名誉教授。 1928年、東京市渋谷区で生まれた。父の転勤に伴い、幼少期は東京、上海、横浜、神戸を転々とした。神戸第一中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)在学中の16歳の時に、勤労動員中の事故で左腕を失った。広島高等師範学校を卒業し、京都大学文学部史学科に入学。1952年に同大学を卒業。 卒業後は、京都女子中学校・高等学校で教鞭を執った。翌1953年からは京都大学教養部助手に就いた。1958年に大阪府立大学に転じた。1963年から1965年まで、ドイツ・フンボルト財団の奨学生としてミュンスター大学に留学し、W. ミュラー=ヴィレ(英語版)(Wilhelm Müller-Wille)ほかの下で研究を進めた。
髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 20… 髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 2019年9月29日)は、日本の流体工学者。九州大学名誉教授。元有明工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。 福岡県福岡市出身。福岡県中学修猷館を経て、1958年九州大学大学院修了。1962年九州大学より工学博士の学位を取得。九州大学助手、九州大学講師、九州大学助教授を経て、1972年九州大学教授に昇格。1988年から九州大学工学部長を務め、ベビーブーム期の学生への対応を行うなどした。1992年有明工業高等専門学校校長。1998年久留米工業大学学長。2001年勲二等瑞宝章受章。2019年9月29日、福岡市城南区の病院で急性肺炎のため死去。
金田一郎(かねだ いちろう、1928年9月12日 - 201… 金田一郎(かねだ いちろう、1928年9月12日 - 2015年9月28日 (87歳))は日本の厚生官僚。総理府社会保障制度審議会事務局長、厚生省児童家庭局長、厚生省社会局長、社会保険庁長官、社会福祉・医療事業団理事長、財団法人長寿社会開発センター理事長、東京厚生年金会館館長などを歴任。東京都新宿区北新宿在住。 石川県出身。東京大学法学部法律学科卒業。1952年 厚生省入省。1973年7月27日 厚生省医務局総務課長。1974年6月11日 社会保険庁長官官房総務課長。1976年7月1日 厚生省大臣官房審議官(公衆衛生担当)。同年12月27日 厚生省大臣官房審議官(医療保険担当)。1977年8月23日 社会保険庁参事官。
安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 20… 安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 2016年7月27日)は、日本の歴史学者。法政大学名誉教授、文学博士(法政大学・論文博士・1971年)。専門は日本近代史。 1927年、後に山梨県知事となる安岡正光の子として兵庫県神戸市に生まれる。1945年、獨逸学協会学校中等部卒業、東京工業専門学校機械科第二へ進学(のち中退)。1949年、法政大学高等師範部歴史地理科卒業、法政大学二部文学部史学科に入学。1953年、法政大学二部文学部史学科卒業、川村高等学校教諭に着任するかたわら、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程へ進学。1956年、川村短期大学専任講師に着任。1957年、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了、同博士課程へ進学。
芝田米三(芝田 米造、しばた よねぞう、1926年(大正15… 芝田米三(芝田 米造、しばた よねぞう、1926年(大正15年)9月12日 - 2006年(平成18年)5月15日)は、日本の洋画家。金沢美術工芸大学教授を務めた。日本芸術院会員。位階は従四位。 京都生まれ。1939年、京都商業学校入学。今井憲一に師事し油絵を学ぶが、戦時下のため入営する。戦後、独立美術京都研究所で須田国太郎に師事。1950年独立展独立賞、サロン・ド・プランタン賞受賞、1963年安井賞受賞。1965年、1971年、1973年に渡欧。1974年安井賞選考委員、日伯美術連盟評議員、1975年ブラジル・サンパウロ州議会より騎士賞授与、1978年京都府芸術会館理事、1979年訪ソ、1989年京都府文化賞功労賞、1993年独立美術協会功労賞、1994年京都市文化功労者、「楽聖讃歌」で日本芸術院賞を受賞、日本芸術院会員。
田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正1… 田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正13年)9月12日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の政治家、医師。京都市長。広島県出身。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)の生まれ。1937年(昭和12年)12歳で大阪に出て旧制四条畷中学(現・大阪府立四條畷高等学校)を経て京都府立医科大学進学。1948年(昭和23年)卒業後、同大学整形外科助手を務めた後、1957年(昭和32年)京都市四条通沿いに田辺医院を開業。1966年(昭和41年)京都府医師会理事から副会長を経て1984年(昭和59年)京都府医師会長就任。 1989年(平成元年)古都税紛争を引き起こした今川正彦前市長の任期切れに伴う京都市長選挙で、2位の共産党推薦の木村万平と321票差の僅差で当選。
若山 修(わかやま おさむ、1924年9月12日 - 200… 若山 修(わかやま おさむ、1924年9月12日 - 2006年9月22日)は、日本の銀行家、経営者。青森銀行頭取を務めた。青森県出身。 1944年に福島経済専門学校を卒業し、1946年に青森銀行に入行。 1970年に取締役、1977年に常務、1980年に専務を経て、1982年10月には頭取に就任。1995年4月には相談役に就任。青森県公安委員長も務めた。 1995年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2006年9月22日呼吸不全のために死去。82歳没。
服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 201… 服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 2012年2月27日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)、ノンプロ野球指導者・組織運営者。右投右打。
江夏 弘(えなつ ひろし、1922年(大正11年)9月12日… 江夏 弘(えなつ ひろし、1922年(大正11年)9月12日 - 2019年(令和元年)8月4日)は、日本の理論物理学者。立命館大学名誉教授。学位は理学博士。専門は素粒子論。 場の量子論において、相対論的ハミルトン形式に貢献した。 江夏は、場の量子論の相対論的なハミルトン形式における交換関係 の下で、場の量子論の従来の非相対論的なそれと等価であることを発見した。ここで、 である。ここで、ϵ(x){\displaystyle \epsilon (x)}は 0<x{\displaystyle 0<x} に対して ϵ(x)=1{\displaystyle \epsilon (x)=1} となり、x<0{\displaystyle x<0} に対して ϵ(x)=−1{\displaystyle \epsilon (x)=-1} となるような或る階段函数である。
松田 堯(まつだ たかし、1922年9月12日 - 2015… 松田 堯(まつだ たかし、1922年9月12日 - 2015年7月12日)は、岡山県出身の実業家(企業経営者)。元両備グループ代表(元代表取締役会長)。松田荘三郎西大寺鉄道元社長の息子で、松田基両備バス元会長の弟。 長年に渡って両備グループ代表を務め、小嶋光信とともに同グループの経営にあたってきたほか、自身の母校である慶應義塾大学が属する慶應義塾評議員や岡山県内の様々な公的団体・業界団体の長を務めるなど、公職も歴任している。 両備グループの経営に関しては、2011年5月に中核会社である両備ホールディングスの代表取締役会長職を社長である小嶋に譲り、自身は取締役名誉会長に就任するなど経営の第一線からは退きつつある。
後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月… 後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月12日 - 2007年(平成19年)11月1日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し、東京都武蔵野市議会議員・副議長、第2代武蔵野市長を歴任した。1960年代から1970年代にかけて日本各地に多く誕生した革新系首長の一人である。 1920年(大正9年)9月12日、東京府北多摩郡武蔵野村(のちの東京都武蔵野市)に生まれる。 1943年(昭和18年)8月、中央大学法学部を中退。終戦時には第三〇二海軍航空隊に中尉として所属し、厚木航空隊事件に際しては上官の小園安名大佐の命により「抗戦の使者」として谷田部海軍航空隊へ駆り出されたものの、同隊の説得を断念している。
越後山 重正(えちごやま しげまさ、1919年9月12日 -… 越後山 重正(えちごやま しげまさ、1919年9月12日 - 1993年1月4日)は、高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は加藤 重正(旧姓柳)。現在の新潟県十日町市出身。182cm、98kg。最高位は東十両4枚目。 1938年5月初土俵、1945年11月十両昇進。勝ち越すも翌場所の1946年11月限り廃業した。
小谷 勉(こたに つとむ、1918年(大正7年)9月12日 … 小谷 勉(こたに つとむ、1918年(大正7年)9月12日 - 1976年(昭和51年)8月1日)は、日本の医師、医学博士、教育者、大日本帝国陸軍軍医。
加藤 卓男(かとう たくお、1917年(大正6年)9月12日… 加藤 卓男(かとう たくお、1917年(大正6年)9月12日 - 2005年(平成17年)1月11日)は、陶芸家。幸兵衛窯六代目。ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵などを再現。国指定重要無形文化財(人間国宝)、岐阜県名誉県民、多治見市名誉市民。
趙 洸熙(チョ・グァンヒ、朝鮮語: 조광희、1917年9月1… 趙 洸熙(チョ・グァンヒ、朝鮮語: 조광희、1917年9月12日 - 2017年4月5日)は、大韓民国の土木学者、実業家、政治家。第4代韓国国会議員。 本貫は豊壌趙氏。字は学汝(ハギョ、학여)、号は貫洲(クァンジュ、관주)。カトリック教徒。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡出身。ソウル大学校師範大学付属初等学校、京畿中学校、京畿高等学校、ソウル大学校農科大学を経て、1943年に京都帝国大学(現・京都大学)農学部農業土木学科を卒業。東洋拓殖株式会社勤務を経て、ソウル大学校農科大学農業土木学科教授、同大工科大学土木学科教授、農林部農地管理局技佐、農業土木技術院養成所所長、農地保存技術院養成所所長、尚州郡洛東・青里水利組合創立委員長、文教部国定教科書編纂委員・審査委員、自由党所属の第4代国会議員、高麗生命保険株式会社社長、農業振興公社社長、豊壌趙氏大宗会会長(1994年10月29日 - 1998年2月22日)を務めた。
李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月… 李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月12日または9月13日 - 2005年9月30日)は、大韓民国の政治家、弁護士。第2・3・5・6・9・10代大韓民国国会議員。 本貫は陽城李氏。元駐チェコ大使の全海鎮と法務法人「中央」代表弁護士、元国会議員の李泛来は娘婿。 日本統治時代の忠清北道鎮川郡に生まれた。中央大学1年修了、大同学院卒業。1943年に日本の高等文官試験行政科に合格した。清州商科大学の講師と忠清北道人事処長代理を務めた後、第2代総選挙に無所属で立候補して当選し、民議員(国会議員)となった。その後も5度議員を務めた。国会議員在任中に予算決算委員長を4回務めたほか、民主党政策委副委員長、民衆党忠北第7地区党委員長、アジア国会議員連合第2回総会韓国代表、民衆党政策審議会議長・運営委員、新民党政務委員・政策審議会議長・全党大会議長・総裁権限代行・最高委員などを歴任した。
巽豊彦(たつみ とよひこ、1916年(大正5年)9月12日 … 巽豊彦(たつみ とよひこ、1916年(大正5年)9月12日 - 2013年(平成25年)12月9日)は、日本の英文学者。上智大学・上智大学短期大学部・東京工科大学名誉教授。巽孝之丞の次男で、長男に巽孝之がいる。東京生まれ。 第二次世界大戦において、日本軍により召集を受けた戦争経験者である。戦争終結後の1946年に復員した。2013年12月9日に死去。死因は老衰であった。カトリック信者であった。
町村 泰男(まちむら やすお、1915年9月12日 - 19… 町村 泰男(まちむら やすお、1915年9月12日 - 1969年4月10日)は、日本の実業家。 祖父は北海道における酪農の先駆者・町村金弥、父は町村農場創設者・町村敬貴。法学者の町村泰貴は息子。声楽家でお笑い芸人の町村彰は孫。従弟に衆議院議長を務めた町村信孝がいる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12… 友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12日 - 1999年(平成11年)11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。 小学校教諭の友納友次郎の四男として生まれる。 府立六中・府立高等学校 (旧制)を卒業。 東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1937年4月に内務省に入省。 埼玉県総務部で勤務の後、兵役で大日本帝国陸軍習志野騎兵第15連隊に見習士官として入営し、ノモンハン事件にも参加している。 陸軍中尉で軍役解除後、滋賀県学務課長、岐阜県庶務課長を経て厚生省保険局健康保険課勤務となり、1947年2月に同課課長。
水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正… 水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正3年)9月12日 - 2003年(平成15年)10月13日)は、日本の詩人、小説家。室生犀星の女性初の弟子でもある。 石川県金沢市馬場五番丁六(現・東山3丁目29-13、14)生まれ。第四高等学校から東京帝国大学に進学する程のインテリであった次兄の雄吉の影響を受け、幼い頃から源氏物語などの古典に親しみ、歌舞音曲や映画鑑賞などの芸能を好む数寄者の母を持った影響から文学的才能を養った。 金沢市広坂にあった石川県立金沢第二高等女学校(現・石川県立金沢桜丘高等学校)4年の在学中に、水芦の父の篤が創業し、経営していた家業の金箔商経営が、受取手形が不渡りになった事によって不振に陥り、倒産。
橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日 - 20… 橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日 - 2004年2月4日)は、日本の女優。東京都出身。 1934年、久松喜世子の内弟子として新国劇に入所。 1937年、文学座に入団。1度は結婚・子育てのために女優業を退いたものの、1951年、ラジオ東京放送劇団に1期生として入団。 1955年、再び文学座に所属、 1959年、鈴木事務所に所属し、劇団現代劇場、文芸ぷろ、エヌ・エー・シー、劇団手織座に所属していた。 1998年、脳梗塞を発症。 2004年2月4日、死去。 三回忌となる2006年に遺族が「遺句集 菊一輪」を出版した。
豊田 英二(とよだ えいじ、1913年(大正2年)9月12日… 豊田 英二(とよだ えいじ、1913年(大正2年)9月12日 - 2013年(平成25年)9月17日)は、日本の実業家。位階は正三位。勲等は勲一等。豊田佐吉の甥。 トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、同社名誉会長(初代)、同社最高顧問(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第2代)、財団法人トヨタ財団理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事長(初代)、学校法人トヨタ東京整備学園理事長(初代)、助成財団資料センター(現公益財団法人助成財団センター)理事長(初代)などを歴任した。石田退三と共に「トヨタ中興の祖」と呼ばれている。 愛知県西春日井郡金城村(現・名古屋市西区堀端町)に豊田平吉の二男として生まれた。
寺田 熊雄(てらだ くまお、1912年(大正元年)9月12日… 寺田 熊雄(てらだ くまお、1912年(大正元年)9月12日 - 1996年(平成8年)2月24日)は、日本の裁判官、政治家。第21代岡山市長、参議院議員(2期)。東京府出身。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
武田 栄一(たけだ えいいち、1912年9月12日 - 20… 武田 栄一(たけだ えいいち、1912年9月12日 - 2003年1月29日) は、日本の原子力工学者。専門は原子炉物理学。東京工業大学(のちの東京科学大学)名誉教授。元日本原子力学会会長。 1936年東京工業大学(のちの東京科学大学)電気化学科卒業、大阪帝国大学理学部副手。1939年大阪帝国大学理学部助手。1943年東京工業大学講師。1944年東京工業大学附属工業専門部教授。1948年東京工業大学助教授。1952年日本学術会議原子核特別委員会委員。1954年東京工業大学教授。1955年原子力平和利用国際会議日本政府代表顧問。1956年日本学術会議原子力特別委員会委員。1958年原子力委員会専門委員。
額田 巌(ぬかた いわお、1911年9月12日- 1993年… 額田 巌(ぬかた いわお、1911年9月12日- 1993年11月)は、日本の工学者。包結研究家。学位は工学博士、文学博士。 1911年(明治44年)岡山県生まれ。1935年早稲田大学理工学部を卒業し日本電気に入社。配属先で位相幾何学を知り、岡田幸雄と小泉四郎の指導を受ける。回路接続から「結び」に興味を持つようになり、1940年(昭和15年)頃から結びについて本格的に研究を開始。結びが閉回路である点に着想を得て、結びの表示に円表示を用いる。1945年「格子にて消弧可能なる放電管に依る継電方式の確立」で早大工学博士、1962年「日本における結縛の歴史、民俗学的研究」で東京教育大学文学博士。 また、世界各地の結びについて調査。
林信行(はやし のぶゆき、1910年9月12日-1998年8… 林信行(はやし のぶゆき、1910年9月12日-1998年8月6日)は、日本のアメリカ文学者。 千葉県出身。1935年東北帝国大学文学部英文科卒。旧・東京都立大学助教授、教授、74年定年退官、名誉教授、創価大学文学部教授。92年定年、名誉教授。
真鍋 元之(まなべ もとゆき、1910年9月12日 -198… 真鍋 元之(まなべ もとゆき、1910年9月12日 -1987年10月30日)は、日本の小説家、文芸評論家。大衆文学研究会会員。 愛媛県宇摩郡関川村(現・四国中央市)出身。1931年、広島高等師範学校(現・広島大学)国文科中退。上京して日本プロレタリア作家同盟に加入するが、後に脱退。1939年博文館に入社し、勤務の傍ら時代小説を執筆。戦後は数年間、新小説社の『大衆文芸』の編集をし、自ら「炎風」を連載。1958年『炎風』で新鷹会賞特別奨励賞を受賞。その後は実作及び評論を手がける。
鈴木 雄二(すずき ゆうじ、1909年9月12日 - 没年不… 鈴木 雄二(すずき ゆうじ、1909年9月12日 - 没年不明)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 東京市芝区神谷町(現・東京都港区虎ノ門)出身。上智大学で学ぶ。小田原水産興業(株)に入り、同社員となり、取締役となる。相海漁業経営組合、神奈川県水産業会各理事、相洋水産化学研究所理事長、青年民主政治研究会顧問、(株)小田原魚市場社長を歴任する。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で神奈川県から諸派で立候補したが落選。1947年の第23回衆議院議員総選挙において神奈川3区から日本社会党公認で立候補して当選。1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選した。
鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2… 鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2001年4月3日)は、日本の歴史学者。専攻は中世史。土一揆・国一揆の研究で先駆的業績をあげる。その後に有力説となった戦国時代の明応の政変始期説を提唱する。 京都府生まれ、神奈川県出身。1930年第三高等学校文科乙類卒業、1933年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「中世に於ける農民の統制(特に社寺を中心として)」。愛知県女子師範学校(現・愛知教育大学)、愛知県半田中学校で教諭。戦後は神奈川県で高校教師となる。のち平塚市史編さん協議会委員長。
羽島 進(はしま/はじま すすむ、1907年9月12日 - … 羽島 進(はしま/はじま すすむ、1907年9月12日 - 1990年2月28日)は、山形県出身の鉄道技術者。息子に国鉄車両設計事務所主任技師を務めた羽島継男。 羽島金三郎の次男として生まれ、第二高等学校を経て、1932年に京都帝国大学工学部機械学科を卒業後鉄道省に入省。 1941年に札幌鉄道管理局工作課長、1947年に大阪鉄道管理局高砂工機部部長、1950年に東京鉄道管理局車両長、1952年に浜松工場長、1956年に機器製作監督事務所長、1958年に大宮工場長、1959年11月総裁室を歴任。 1959年に国鉄を退職し12月に川崎電機製造に入社、製造取締役を経て1962年常務取締役、富士電機製造への合併後は常任顧問を務めた。