小島 孝之(こじま たかゆき、1943年10月16日 - )… 小島 孝之(こじま たかゆき、1943年10月16日 - )は、中世日本文学研究者。文学博士(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文『中世説話集の研究』)。東京大学名誉教授。 東京都立川市生まれ。1972年、東京大学文学部国語国文学専修卒業、1975年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1977年、同大学大学院博士課程中退。 1975年、武蔵高等学校教諭、1977年、実践女子大学専任講師、1980年、立教大学文学部助教授、1987年同大学教授を経て、1994年、東京大学文学部教授。1999年『中世説話集の研究』で文学博士(東京大学)の学位を取得。2006年、定年退職、名誉教授。同年4月、成城大学文芸学部教授。
佐々木 瑞枝(ささき みずえ、1942年10月16日 - )… 佐々木 瑞枝(ささき みずえ、1942年10月16日 - )は、日本の日本語学者・日本語教育者。 京都生まれ。東京都立井草高等学校卒、1965年日本大学文理学部英文科卒。ゴールデンステート大学(現・ホノルル大学)大学院修士課程修了。中学・高校の非常勤講師などをへて、1988年山口大学教授、1992年横浜国立大学留学生センター教授、2003年武蔵野大学文学部教授。2009年金沢工業大学大学院工学研究科知的創造システム専攻(ビジネスアーキテクトコース)修士課程修了。2010年釜山外国語大学名誉文学博士。2013年武蔵野大学特任教授。 1997年『日本語ってどんな言葉?』で産経児童出版文化賞受賞。専門は日本語学、日本語教育学、日本文化論、異文化間コミュニケーション論。
天野 義裕(あまの よしひろ、1942年10月16日 - )… 天野 義裕(あまの よしひろ、1942年10月16日 - )は、日本の短距離走選手である。 愛知県岡崎市出身。父親は教員。母方の祖父は岡崎市長を務めた小瀧喜七郎。 岡崎市立南中学校、愛知県立岡崎高等学校を経て東京教育大学に進学。大学4年生のとき、1964年東京オリンピックで男子1600メートルリレー走に第三走者として出場した。のちに愛知教育大学教育学部教授となった。1968年第52回日本選手権400mにて記録48秒2で優勝。
鈴木 征夫(すずき ゆきお、1941年10月16日 - 20… 鈴木 征夫(すずき ゆきお、1941年10月16日 - 2009年4月10日)は、宮城県出身のプロ野球選手。 東北高校から1960年に西鉄ライオンズへ入団。1962年引退。
県 真澄(あがた ますみ、1941年10月16日 - )は、… 県 真澄(あがた ますみ、1941年10月16日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手)。 大府高校から三協精機に入社。三塁手として1961年の都市対抗にチーム初出場を果たす。1回戦で日本石油の佐々木吉郎に抑えられ敗退。 1964年に南海ホークスに入団。1965年には一軍に上がり、2試合に右翼手として先発出場。初本塁打も放つものの一軍定着はできず、1966年限りで引退。
井上 信(いのうえ まこと、1939年10月16日 - )は… 井上 信(いのうえ まこと、1939年10月16日 - )は、日本の原子核物理学者。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)長。専門は原子核物理学、加速器物理学。理学博士。加速器による原子核反応の実験的研究および京都大学タンデム加速器、大阪大学核物理研究センターサイクロトロン加速器、京都大学化学研究所イオン線形加速器などの設計建設を行った。岡山県出身。 1962年に京都大学理学部物理学科を卒業し、1964年に同大学院理学研究科修士課程修了。1965年大阪大学理学部助手、1971年大阪大学核物理研究センター助教授を経て、1985年京都大学化学研究所教授となる。1999年~2003年京都大学原子炉実験所長。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月16日 - 2023年(令和5年)7月10日)は、日本の政治家。元兵庫県三田市長(2期)。 兵庫県姫路市出身。中央大学工学部卒。三田市役所に入り、助役などを務める。1999年(平成11年)の市長選に立候補し、初当選。2003年(平成15年)の市長選に再選。2007年(平成19年)に退任した。2015年、旭日小綬章受章。 2023年(令和5年)7月10日、誤嚥性肺炎のため、兵庫県三田市の病院で死去した。85歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
出淵 敬子(いずぶち けいこ、1937年10月16日 - )… 出淵 敬子(いずぶち けいこ、1937年10月16日 - )は、日本の英文学者。日本女子大学名誉教授。専攻はイギリス小説、特にジェイン・オースティン、サミュエル・リチャードソン、ヴァージニア・ウルフなど。 東京生まれ。1961年、日本女子大学文学部英文学科卒業。1965年東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専攻修士課程修了、1970年同博士課程満期退学。1968年コロンビア大学大学院英語英文学・比較文学専攻修士課程修了。桐朋学園大学音楽学部を経て、1972年日本女子大学英文学科専任講師、1976年助教授、1984年同教授、2006年名誉教授。夫は出淵博。
上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 20… 上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 2017年12月17日)は、日本の民俗学者。名桜大学名誉教授。 沖縄県島尻郡久米島町生まれ。1961年琉球大学国文科卒業後、公立学校教諭を経て、1967年に琉球政府立博物館に学芸員として勤務した。1987年に沖縄県立博物館副館長を、1995年から2003年まで名桜大学国際学部教授を務めたほか、久米島博物館館長、沖縄民俗学会会長や『新沖縄県史』編集委員会会長などに就いた。 徹底的なフィールドワークを通じて沖縄・奄美地域の民具を研究した同分野の第一人者であり、沖縄民俗研究の組織化にも携わったことで知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
町田 顯 (まちだ あきら、1936年〈昭和11年〉10月1… 町田 顯 (まちだ あきら、1936年〈昭和11年〉10月16日 - 2015年〈平成27年〉4月5日)は、日本の裁判官。勲等は桐花大綬章。 山口県下関市出身。若年の頃は司法修習の同期であった宮本康昭らとともに青年法律家協会(青法協)に所属し活動していたが、町田は早々に青法協を脱会している。 福岡高等裁判所長官、東京高等裁判所長官、最高裁判所判事を経て、2002年11月に最高裁判所長官(第15代)などを歴任した。前長官の山口の定年は2002年11月3日だが、休日や式に立ち会う小泉純一郎内閣総理大臣の政治日程が重なり、3日遅れの同年11月6日に皇居で長官任命式が行われた。 最高裁長官在任中、裁判員制度の導入や法科大学院の創設や下級裁判所裁判官指名諮問委員会の設置など司法制度改革に尽力した。
山本 嘉子(やまもと よしこ、1936年〈昭和11年〉10月… 山本 嘉子(やまもと よしこ、1936年〈昭和11年〉10月16日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。オフィス薫所属。夫は俳優の近藤洋介。 日本大学芸術学部卒業。 大学在学中の1958年3月、TBS放送劇団に6期生として入団。同期には貴家堂子や白川澄子がいる。それ以前は劇団山王に所属していた。 その後は青年工房、中川プロ、土の会、赤坂プロダクション、江崎プロダクション、サンエース企画に所属していた。 本人によると、「自然にアテる」ことができ、素直にやっているのがいいという役柄を担当することが多かった。また、悲劇的状況に追いやられる役を演じる機会も多いといい「(自身の声が)不安定な声、少し怯えたような声、色気のない声だから。
持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )… 持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )は、日本のジャーナリストである。NHK解説委員、解説主幹を歴任。 埼玉県立熊谷高等学校、東京大学文学部仏文科卒、東京大学新聞研究所修了。1960年NHK入局。NHK横浜放送局記者を経て、1964年より外信部記者。その間1968年-1969年サイゴン特派員、1969年-1971年メキシコシティー特派員、1975年-1978年ソウル特派員、1984年-1985年ニューヨーク特派員、1985年-1987年ワシントン支局長。その後、1987年NHK解説委員、1990年-1995年解説主幹を歴任。
大野 功統(おおの よしのり、1935年〈昭和10年〉10月… 大野 功統(おおの よしのり、1935年〈昭和10年〉10月16日 - 2023年〈令和5年〉7月16日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ。 防衛庁長官(第70・71代)、文部科学副大臣(第2次森改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第62代)、衆議院議員(8期)などを歴任した。 香川県副知事を務めた大野乾は父、衆議院議員を務めた加藤常太郎は岳父、衆議院議員の大野敬太郎は長男。 日本統治時代の台湾生まれ。父は大野乾、母はカツエ。台湾で第二次世界大戦敗戦を迎える。小学校が閉鎖されたため、引き揚げまでは新聞配達のアルバイトをして過ごしていた。1947年、香川県三豊郡豊浜町(現観音寺市)に引き揚げ。
和田 嘉訓(わだ よしのり、1935年10月16日 - 20… 和田 嘉訓(わだ よしのり、1935年10月16日 - 2012年7月12日)は、日本の映画監督、脚本家である。デビュー作『自動車泥棒』で安岡力也をデビューさせたことで知られる。 1935年(昭和10年)10月16日、愛媛県松山市に生まれる。教育者である父の仕事の都合で1945年の終戦までは中国の天津で幼年期を過ごし、その後18歳の松山新田高校を卒業するまでは再び松山市で育つ。 1958年に東京大学教育学部を卒業し、東宝に入社する。1960年(昭和36年)8月14日に公開された稲垣浩監督の『ふんどし医者』で、丸輝夫、高瀬昌弘に次ぐサード助監督としてクレジットされているのが、記録に残る最初の演出歴である。
佐野山 寛太(さのやま かんた、1935年10月16日 - … 佐野山 寛太(さのやま かんた、1935年10月16日 - )は、日本の広告批評家。 東京出身。本名・佐野寛。1958年東京芸術大学美術学部図案科卒。1960年日本橋髙島屋宣伝部勤務をへて、1965年モス・アドバタイジングを設立し常務取締役。1976年代表取締役社長。東京学芸大学教授、目白大学特任教授を務めたのち、モス環境設計室代表。日本デザイン機構理事。NPO法人まちづくりNEXT運動常任理事。 (特記なき場合は佐野寛名義)
西 五十六(にし いそろく、1935年10月16日 - )は… 西 五十六(にし いそろく、1935年10月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)。 弟の西三雄も元プロ野球投手であった。 和歌山県の大成高から、大阪タイガースに入団。 タイガースを退団した後は、社会人野球の丸善石油に入団。1958年の都市対抗野球では、1回戦の大昭和製紙戦で安藤治久と延長15回を投げ合った。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日… 久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日本の俳優、声優。神奈川県出身。 中央大学卒業。馬場企画を経て、清野事務所所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
岡本 和也(おかもと かずや、1934年10月16日 - )… 岡本 和也(おかもと かずや、1934年10月16日 - )は、日本の経営者。 東京都出身。1958年に東京大学経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1986年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1994年6月に専務、1998年1月に副頭取を経て、同年6月に東京三菱証券社長に就任。2001年6月から2002年8月までに会長を務めた。
奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )… 奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )は、フリーアナウンサーで、元ラジオ神戸(現在のラジオ関西)アナウンサー。 京都府京都市出身。同志社大学法学部時代は放送部に所属。大学在学中(採用決定後)からラジオ神戸で仕事をしていたという。 卒業後の1958年(昭和33年)にラジオ神戸に入社。ラジオ関西時代は、「電話リクエスト」でマリア・リグレステイ、「ラジオ関西のナマナマ大放送」では笑福亭鶴光と担当するなど看板アナウンサーとなり、また、阪神タイガース戦をメインにプロ野球中継も担当、日本シリーズ中継ではラジオ関東(現在のラジオ日本)でもその放送は流れた。 1979(昭和54)年頃ラジオ関西を退職しフリーアナとなり、読売テレビ「2時のワイドショー」やサンテレビ「サンテレビボックス席」の中継で活躍した。
田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月1… 田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉2月16日)は、日本の警察官、コメンテーター。最終階級は警視監。日本テレビ客員解説員を務めた。表記は田宮栄一になっている場合もある。 日本統治時代の台湾で生まれる。 戦後、日本に復員して山形県西村山郡河北町で高校卒業まで過ごした。山形県立谷地高等学校を卒業後、中央大学法学部を経て1952年に警視庁採用。 所謂「ノンキャリア」として、採用時の巡査から警視監(現役警察官としては警視長)まで昇任を経験。田宮以外にもノンキャリアで警視監まで昇任した者は他にも居るが、その数は非常に少ない狭き門であり、特に刑事畑出身の者は事件捜査で多忙を極める関係上、昇任試験の勉強をする時間的な余裕がなく、昇任しにくい傾向にある。
小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 20… 小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 2025年7月10日)は、日本の女優。本名は佐藤敦子。滋賀県大津市出身。 戦後すぐに横浜に移住。1948年に神奈川県立横浜平沼高等学校に進学する。同期に岸恵子、日比野恵子がいた。 1951年に松竹大船に入社し映画、中村登監督『恋文裁判』でデビューする。1955年に『絵島生島』を最後に松竹を退社。1956年に日活専属契約を結び、『姉さんのお嫁入り』で初主演する。1968年に日活を退社。フリーとなりテレビドラマに活躍する。
外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 201… 外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 2013年4月26日)は、日本の日本史学者。 長崎市生まれ。長崎県立大村高等学校卒。広島大学大学院文学研究科国史学修了、1978年「大名領国形成過程の研究 大友氏の場合」で文学博士。佐世保工業高等専門学校助教授、長崎大学助教授、教授。1998年定年退官、名誉教授、長崎県立女子短期大学教授、1999年に県立長崎シーボルト大学教授、2002年退職。県文化財保護審議会長、長崎市史編纂委員会委員長などを務めた。2012年4月瑞宝中綬章受章。
名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 … 名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。 熊本県熊本市出身(出生地は広島県)。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー。能楽は破門となる。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。
伊藤 隆(いとう たかし、1932年(昭和7年)10月16日… 伊藤 隆(いとう たかし、1932年(昭和7年)10月16日 - 2024年(令和6年)8月19日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専攻は日本近現代政治史。 日本近代史、特に昭和戦前期政治史研究の重鎮で、多くの近代日本一次史料の発掘公刊を代表として精力的に行った。日本教育再生機構顧問、新しい歴史教科書をつくる会元理事。国家基本問題研究所理事。 伊藤は東大助手時代の1966年に発表した論文「ロンドン海軍軍縮問題をめぐる諸政治集団の対抗と提携」を端緒として、第一次世界大戦から太平洋戦争の終戦までの日本近代史を「一体となった支配勢力は存在せず、国内政治過程において革新的な勢力が現状維持的な勢力に勝利を収める過程」と位置づけることで、天皇制ファシズム論に否定的な分析視角を提示した。
猪郷 久義(いごう ひさよし、1932年〈昭和7年〉10月1… 猪郷 久義(いごう ひさよし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2019年〈令和元年〉11月22日)は、日本の地質学者。筑波大学名誉教授。元日本古生物学会会長。 神奈川県川崎市出身。東京都立大泉高校を経て、1949年に東京教育大学理学部地学科地質学鉱物学専攻に進学し、藤本治義教授に師事する。卒業後は東京教育大学大学院理学研究科の修士・博士課程に進み、1960年同大学院理学部博士課程を修了する。 イリノイ州立地質調査所特別副地質技師、目白学園女子短期大学助教授、教授、1968年東京教育大学助手、筑波大学助教授、教授。96年定年退官、名誉教授、国立科学博物館客員研究員、自然史科学研究所所長。多摩六都科学館特別研究員。
中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - 没… 中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - 没年不明)は、日本近代文学研究者。明治大学名誉教授。旧姓は永井。 長野県諏訪市生まれ。1950年長野県諏訪二葉高等学校卒業、明治大学文学部国文科卒業、1965年同大学院修士課程修了、同年明治大学文学部助手。1969年専任講師。以後助教授、教授を務め、1997年退職。平野謙に師事し、女性近代文学の大学教授の草分けである。
浜田 文雅(はまだ ふみまさ、1931年10月16日 - )… 浜田 文雅(はまだ ふみまさ、1931年10月16日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(慶應義塾大学・論文博士・1968年)(学位論文「設備投資行動の研究」)。慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1950年慶應義塾高等学校卒業、1954年慶應義塾大学経済学部卒業。1956年同大学院経済学研究科修士課程修了。1960年関西大学大学院博士課程満期退学。同年関大専任講師。1962年慶大産業研究所専任講師、1965年助教授、1968年「設備投資行動の研究」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。1968年慶大経済学部助教授、1971年教授。1992年定年、名誉教授となり、東京国際大学教授を務めた。
小松 定男(こまつ さだお、1930年10月16日-2004… 小松 定男(こまつ さだお、1930年10月16日-2004年11月25日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。
安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10… 安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10月16日 - 2022年(令和4年)2月15日)は、日本の政治家。東京都三鷹市長(3期)。名誉三鷹市民。 宮城県仙台市出身。東北大学教育学部卒。三鷹市役所に入り、建設部、企画部、総務部の各部長を経て、収入役、助役を務める。1991年の三鷹市長選挙に立候補して当選、3期務める。2003年に市長を引退。自身の後継者に東京工科大学教授の清原慶子を指名した。2022年2月15日死去、91歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2… 横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2022年11月30日)は、日本の歴史学者、山形大学名誉教授。日本近世史(藩政史・交通史)専攻。 山形県北村山郡大石田町生まれ。1960年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。山形大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1981年「近世河川水運史の研究 最上川水運の歴史的展開を中心として」で東北大学より文学博士。 2022年11月30日、老衰のため山形市の病院で死去、92歳。
矢守 一彦(やもり かずひこ、1927年10月16日 - 1… 矢守 一彦(やもり かずひこ、1927年10月16日 - 1992年8月3日)は、日本の人文地理学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1971年)(学位論文「都市プランの歴史地理」)。大阪大学名誉教授。 朝鮮大邱生まれ。1944年、京城帝国大学予科理に入学。1945年帰国。1948年第四高等学校卒。1953年京都大学文学部史学科地理学卒。1958年まで大学院に学び、名古屋大学文学部助手を経て、1962年大阪大学文学部講師。1966年助教授。1971年、「都市プランの歴史地理」で京都大学より文学博士の学位を取得。1975年、教授。1981年、大阪大学評議員。1987年、図書館長。1988年人文地理学会会長。
武重 千冬(たけしげ ちふゆ、1926年10月16日 - 2… 武重 千冬(たけしげ ちふゆ、1926年10月16日 - 2001年3月3日)は、日本の医学者。昭和大学(現・昭和医科大学)学長を務めた。医学博士(1956年、千葉大学)。 長野県小諸市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、昭和27年(1952年)昭和医科大学医学部卒業。同31年(1956年)母校講師、同32年(1957年)助教授。同35年(1960年)から4年間ペンシルベニア大学留学。同47年(1972年)昭和大学医学部第一生理学教室主任教授、同62年(1987年)医学部長、平成6年(1994年)学長。同11年(1999年)昭和大学医療短期大学学長を併任。 著書に「生活習慣がつくる病気」(川口毅と共著)がある。
奥田節夫(おくだ せつお、1926年10月16日 - 201… 奥田節夫(おくだ せつお、1926年10月16日 - 2017年6月2日)は、日本の地球物理学者。京都大学名誉教授。 岡山県出身。1948年大阪大学理学部卒業後、高校講師や岡山大学理学部助教授などを務めた。 その後、1963年より京都大学防災研究所で助教授、1964年1月に教授となる。陸水学、地球物理学的見地から防災や環境について研究を行った。奥西一夫、諏訪浩らと進められた焼岳における土石流の観測の研究は国際的に高い評価を得ている。1985年から1987年まで同所長を務めた後、定年を待たずに1988年に退官した。 その後、岡山理科大学に移り研究を続けた。岡山理科大学定年後は、NPOで河口、沿岸海域の調査研究を進めた。
山口 光朔(やまぐち こうさく、1926年10月16日 - … 山口 光朔(やまぐち こうさく、1926年10月16日 - 1993年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市主まれ。神戸YMCAの主事だった山口一郎の長男として生まれた。御影教会で受洗。海軍兵学校在籍中に江田島から原爆投下された広島へ救援に行き二次被爆。 戦後すぐに京都教会に移り、その夏教会のキャンプで妹、鼎(かなえ)が水死。青年会の責任者であった竹中正夫と光朔は遺体を挟んで無言で一夜を過ごした。これが2人の最初の出会いであったという。京都大学大学院在学中に、豪僧といわれた八代斌助日本聖公会総裁主教の次女、洋子と結ばれる。八代主教の桃山学院大学設立を手伝い、主教の死後、神戸女学院大学に移った。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
野尻 武敏(のじり たけとし、1924年10月16日 - 2… 野尻 武敏(のじり たけとし、1924年10月16日 - 2018年10月29日[要出典])は、日本の経済学者、神戸大学・大阪学院大学名誉教授。専門分野は経済政策論、比較経済体制論。 1924年、大分県生まれ。1949年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業。大学では、五百籏頭眞治郎に師事した。 1950年に神戸大学経済学部助手として採用される。1952年に講師、1954年に助教授、1964年に教授昇進。1966年に学位論文『一般経済政策論の動向と基本問題』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。1988年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大阪学院大学経済学部教授として教鞭をとった。
森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 201… 森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 2013年6月6日)は、俳人。本名・康秀。 大阪府生。國學院大學国文科卒。1942年より作句し「誹諧」の高浜虚子・年尾選に投句。1944年、岡安迷子に師事。迷子に連れられて小諸に疎開中の虚子に会いに行き、この際に虚子から「峠」の俳号を貰った。 1951年、兵庫県尼崎市尼崎高等学校に教員として奉職。同年、阿波野青畝の「かつらぎ」に入会。翌年より長く編集長を務めたのち、1990年に青畝より「かつらぎ」主宰を継承。2013年、同名誉主宰に就任。また俳人協会顧問も務めた。 代表句に「箱河豚の鰭は東西南北に」などがある。虚子・青畝に学んだ写生を信条とし、吟行を重んじた。
韮谷 定敏(にらたに さだはる、1924年 <大正13年> … 韮谷 定敏(にらたに さだはる、1924年 <大正13年> 10月16日 - 2019年 <平成31年> 1月10日)は、日本の経営者。同和鉱業社長を務めた。位階は正四位。 熊本県出身。1947年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年9月に同和鉱業に入社した。1975年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長、1998年6月に取締役相談役を経て、1999年6月に相談役に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2019年1月10日がん性リンパ管症のため死去、94歳没。
7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924… 7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924年〈大正13年〉10月16日 - 2002年〈平成14年〉9月30日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1988年1月〜1989年9月。鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。鳥取県境港市出身。本名は江川鶴夫。 師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)である。 1938年に式守鶴夫の名で初土俵。以後貢市、勘之助、更一郎と改名し、1954年3月に式守勘之助の名で十両格に昇格。1958年7月6代式守与之吉襲名。1961年11月に幕内格昇格。1967年5月に7代式守勘太夫襲名。幕内格昇格から27年後の1988年1月に三役格に昇格。三役格を11場所務め、1989年9月場所後停年。
平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2… 平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2006年5月14日)は、日本の日本画家。創画会会員。新制作協会展を中心に活躍し、代表作に「白樹」「樹濤」などがある。1980年「樹木をテーマにした日本画新様式の確立」に対して中日文化賞受賞。 宝飯郡小坂井町(現在の豊川市)出身。京都の稲石着尺図案塾で日本画の基礎的な技術を学ぶが、開戦のためまもなく帰郷。1947年、新日本画研究会に参加し、中村正義とともに本格的に日本画の制作を始める。1950年には正義の薦めで第3回創造美術展に出品し、以後、創造美術が新制作派協会と合併して新制作協会日本画部となった後も同展に出品を続ける。1974年創画会結成に参加。
早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月… 早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月16日 - 1992年〈平成4年〉2月5日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)、素粒子物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は、高エネルギー天体物理学、宇宙論、赤外線天文学。愛媛県新居郡新居浜町(現・愛媛県新居浜市)出身。二男は同じく物理学者の早川尚男。 卒業研究に朝永ゼミに入ったことをきっかけに素粒子、宇宙線の研究を始める。卒業後友人の碓井恒丸(名古屋大学名誉教授)の紹介で気象台に勤めて素粒子論的宇宙線の研究を始める。初期の論文は素粒子論の応用の色彩が強かったが渡米後、本格的な宇宙線研究者になる。1953年にはγ線天文学の提唱、1955年には宇宙線の超新星起源説等を唱えた。
上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2… 上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2011年5月20日)は、日本の政治家。第10代~第12代奈良県知事。 奈良県奈良市生まれ。旧制小学校を卒業後、奈良県庁で働きながら夜間の旧制金鐘中学(現:東大寺学園中学校・高等学校)に通学し、1946年関西大学経済学部卒業。奈良県庁に再度入庁し、各課長、総務部長を歴任、1975年下位副知事の後を受け副知事に就任した。 1980年9月、奥田良三知事が健康上の理由で辞任を表明すると、副知事を務めていた上田繁潔が10月の知事選挙に立候補して当選した。奈良県知事を3期11年余り務め、在任期間の後半はバブル景気に恵まれた。1988年に開催されたなら・シルクロード博覧会では、主催団体だった「財団法人なら・シルクロード博協会」の会長を兼任し、成功した。
新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1… 新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1983年10月2日)は、日本の経企官僚。元経済企画事務次官。地域振興整備公団副総裁在任中死去。 山形県出身。1943年に高等試験行政科試験に合格し、同年東京商科大学(現在の一橋大学)学部を卒業し、商工省に入省した。物価局に配属。通商産業省企業局企業第一課長等を経て、中小企業庁次長、経済企画庁調整局長、経済企画事務次官を歴任。 1974年(昭和49年)通商産業省からの提案を受け電気料金の値上げの審査にあたった。また春闘について、賃上げ率が下がれば実質成長率が高くなるとの調査報告を、田中角栄内閣総理大臣に行った。1975年(昭和50年)経済企画庁顧問。
川島 哲郎(かわしま てつろう、1918年10月16日 - … 川島 哲郎(かわしま てつろう、1918年10月16日 - 2002年10月16日)は、日本の地理学者(経済地理学)。大阪市立大学名誉教授、阪南大学学長などを歴任。 滋賀県出身。旧制・大阪商科大学に学び、福井孝治のゼミで地代論をテーマに卒業論文を書いた。 1950年、大阪商科大学経済学部助手、経済地理学担当となり、以降1982年まで、大阪市立大学経済学部で経済地理学を担当した。 1964年から1965年にかけて、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで国外研究に従事した。 1979年から1988年までの3期9年、経済地理学会会長を務めた。 1988年から1994年まで、阪南大学学長を務めた。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。
武藤 義一(むとう ぎいち、1918年10月16日 - 20… 武藤 義一(むとう ぎいち、1918年10月16日 - 2000年11月16日)は、日本の工学者。曹洞宗の仏教教師。 秋田県の曹洞宗の寺に生まれる。1941年東京帝国大学工学部応用化学科卒、62年「軽機器による工業分析法の研究」で東京大学・工学博士。1966年東京大学工学部教授、74-77年同生産技術研究所所長、79年定年退官、名誉教授、埼玉工業大学副学長、83年学長。曹洞宗の一等教師。
中村 礼吉(なかむら れいきち、1916年10月16日 - … 中村 礼吉(なかむら れいきち、1916年10月16日 - 没年不明)は日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。 早稲田大学専門部1年在学時の1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックで500m11位となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
玉木 章夫(たまき ふみお、1915年10月16日 - 19… 玉木 章夫(たまき ふみお、1915年10月16日 - 1973年9月7日)は日本のロケット工学者。 1939年東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、東京帝国大学航空研究所研究担当になり、1942年には東大助教授に任命された。1950年に東京大学生産技術研究所勤務となり、1951年に「境界層理論による熱電波の研究」によって工学博士の学位を得、翌年東京大学教授に昇進した。1965年以降は東京大学宇宙航空研究所に移り、1972年3月から1973年6月までは同研究所所長を務めた。 高速空気力学を中心として、航空宇宙工学に関する研究において基礎から応用に至る業績を上げた。 観測ロケットの開発研究にも携わり、戦後日本初の実験用ロケットであるペンシルロケットのノーズコーンや尾翼の設計は玉木が行っている。
森谷 良平(もりや りょうへい、1914年10月16日 - … 森谷 良平(もりや りょうへい、1914年10月16日 - 1992年10月2日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手。
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日… 堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1995年〈平成7年〉6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている。 参議院議員、国土交通大臣(2011年4月 - 2012年6月)の前田武志は堀の甥である。 奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身。伊藤祐一郎の子に生まれる。陸軍航空本部長、第1師団長や留守航空兵団司令官を務めた陸軍中将堀丈夫(士官候補生13期)の養子となる。
渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1… 渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1998年12月8日)は、日本の経済学者で、特にフランソワ・ケネーなど、アダム・スミス以前の初期経済学説史を専門とした。 前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長や学長(1976年 - 1984年)などを歴任した。 大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1934年に卒業して、神戸商業大学に進み、1937年に同大学を卒業して母校である大倉高商の専任講師となり、1939年には教授に昇任した。早くから大倉高商~大倉経専の大学への昇格を唱え、戦後の大学昇格運動において中心的役割を担った。 1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、教授として経済原理、経済学史を担当した。