上村映雄(うえむら てるお、1929年2月22日–2012年… 上村映雄(うえむら てるお、1929年2月22日–2012年10月11日)は、曹洞宗の僧侶、児童教育者。東京府(現東京都中野区)曹洞宗保善寺に生まれる。1951年駒澤大学文学部仏教学科卒、中野区立桃丘小学校教諭等をへて鶴見大学女子短期大学部教授、同附属三松幼稚園園長。1985年退職。保善寺住職、学校法人保善寺学園理事長、ほぜんじ幼稚園園長、社団法人日本仏教保育協会理事長、仏教文化講座主宰。
藤本 淳雄(ふじもと あつお、1929年2月22日 - 20… 藤本 淳雄(ふじもと あつお、1929年2月22日 - 2021年8月10日)は、日本のドイツ・オーストリア文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校から、1951年東京大学独文科卒、東京大学大学院研究奨励学生前期修了。1961年東京大学教養学部講師、助教授、教授、1989年定年退官、成城大学教授、1999年退職。 2021年8月10日、心不全・腎不全のため死去。92歳没。死没日をもって従四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈される。
岩田 弘(いわた ひろし、1929年2月22日 - 2012… 岩田 弘(いわた ひろし、1929年2月22日 - 2012年1月31日)は、日本のマルクス経済学者。立正大学名誉教授。 日本の代表的なマルクス経済学者、宇野弘蔵に師事し、宇野経済学に依拠しつつ、独自の世界資本主義論を構築した。その理論は、鈴木鴻一郎をはじめとする当時のマルクス経済学者たちに強い影響を与え、また、1960年代から1970年代にかけての日本の学生運動、とりわけブントにも一定の影響を与えたとされている。 三重県出身。名古屋大学経済学部在学中に日本共産党に参加し学内細胞のトップとして大須事件に関わり逮捕・起訴、名大卒業後東京大学大学院社会科学研究科に進み1957年に博士課程修了。経済学博士。
有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・… 有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・有馬マリ子)は、日本の音楽家、声楽家(アルト歌手)。鹿児島大学名誉教授。鹿児島オペラ協会会長を長年務める。 鹿児島市出身。幼少期から歌が好きで、ラジオにしがみついて三浦環が歌うプッチーニの蝶々夫人を聴いていた。1940年に鹿児島県立第二高等女学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)へ入学。高等女学校3年生の時に田中義人(鹿児島師範学校教員)に弟子入りして、夜道を母に守られながらレッスンに通う。東京音楽学校(後の東京藝術大学)に合格し、師範科で四家文子に師事して1948年に卒業。同年鹿児島師範学校で教職に就く(同校は翌年の学制改革で新制鹿児島大学に包括される)。
須田 茂(すだ しげる、1928年2月22日 - )は、元大… 須田 茂(すだ しげる、1928年2月22日 - )は、元大井競馬場所属の元騎手・調教師である。黎明期の南関東公営競馬で6年連続リーディングジョッキーに輝き、川崎の佐々木竹見騎手に抜かれるまで日本における最多通算勝利数記録を保持していた。 群馬県勢多郡新里村(現・桐生市)出身。高等小学校を卒業すると、13歳で埼玉県朝霞町に存在した陸軍予科士官学校に徴用され、馬係を任される。その後は終戦まで同学校で将校用の馬を世話しつつ、合間を縫って騎乗技術の手ほどきを受けたという。 終戦後は北関東の草競馬でセミプロとして農耕馬などに騎乗していたところ、軍時代の先輩から当時高崎に厩舎を構えていた田中利衛調教師を紹介される。
宮尾 辰男(みやお たつお、1928年2月22日 - 201… 宮尾 辰男(みやお たつお、1928年2月22日 - 2015年2月24日)は、新潟県中頸城郡中郷村(現上越市中郷区)出身のクロスカントリースキー選手、指導者。 1942年に日本曹達二本木工場に入社。戦後クロスカントリースキーを始め、1952年の国民体育大会クロスカントリースキー成年男子10kmで優勝、30kmで2位となる。1954年の第32回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキーでは、個人耐久(40km)で優勝。翌1955年の同大会個人長距離(15km)では、角昭吾(秋田営林局)に次いで2位だったが、同年の国体の成年男子15Kmでは角を抑えて優勝する。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックの代表選考委員会では、委員の間で宮尾と角のどちらを選ぶかで意見が分かれたが(当時のクロスカントリースキーの代表枠は1人)、最終的には長距離・耐久の両方に実績のある宮尾が代表に選出された。
菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 202… 菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 2021年)は、日本の運輸官僚。海外鉄道技術協力協会(JARTS)最高技術顧問。極東鋼弦コンクリート振興株式会社(FKK)顧問。日本モノレール協会副会長。日本地下鉄協会リニアメトロ研究委員長。工学博士。 静岡県静岡市出身。1939年、静岡県立静岡中学校入学、四年終了にて1943年、陸軍予科士官学校に入学。翌1944年、陸軍航空士官学校に進み、満州・平安鎮にて訓練を受けた。その地で敗戦を迎え、1945年8月末、帰国、故郷の静岡での大学受験準備を経て、1946年、東京大学第二工学部土木工学科に入学、1949年、同卒業、運輸省入省。1952年6月、鉄道技術研究所。
伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ き… 伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ きょう)、1927年(昭和2年)2月22日 - 2021年 (令和3年) 7月25日 )は、日本の声楽家(オペラ・ソプラノ歌手)、音楽教育者。国立音楽大学名誉教授、静岡文化芸術大学客員教授。 静岡県掛川市出身。1943年(昭和18年)4月、東京音楽学校甲種師範科に入学。1947年(昭和22年)に同校を卒業した、研究科を修了。城多又兵衛、酒井弘、浅野千鶴子、田中伸枝、原信子、フェルディナント・グロスマン、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ等に師事。 1949年(昭和24年)第18回日本音楽コンクール声楽部門で第1位を獲得。1950年(昭和25年)東宝交響樂團ベートーヴェン『フィデリオ』(指揮:近衛秀麿)でオペラデビュー。
瀧田 項一(たきた こういち、1927年2月22日 - 20… 瀧田 項一(たきた こういち、1927年2月22日 - 2022年1月23日 )は日本を代表する陶芸家である。(本名:幸一) 栃木県烏山町(現・那須烏山市)出身。東京美術学校で富本憲吉に学び、益子の濱田庄司に師事。
宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 202… 宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 2021年4月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。次男は元衆議院議員、元長崎県議会議員、第32代佐世保市長の宮島大典。 長崎県佐世保市出身。1953年日本大学法学部卒。農協に入り、農協組合長やテレビ長崎取締役などを務めた。1983年の第13回参議院議員通常選挙で長崎県選挙区から自民党公認で立候補し当選。1988年竹下改造内閣で労働政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1997年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。1998年に組合長として土地の評価を水増してさせぼ農協に約4億9000万円、不正に融資をさせたとして引責辞任、背任で逮捕され、懲役3年執行猶予5年の判決を受け、2000年に確定。
安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年… 安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年11月5日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。位階は従五位。 栃木県宇都宮市出身。1947年早稲田大学専門部法律科卒。同年栃木県庁に入り、地方労働委員会勤務。1951年に退職。1954年社会党に入党。1960年から1年間広瀬秀吉の秘書を務めた。1963年から宇都宮市議を3期、1975年から栃木県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧栃木1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。のちに2002年から2010年まで栃木県遊技業協同組合理事長を務めた。 2019年11月5日、死去。92歳没。死没日をもって従五位叙位、旭日小綬章追贈。
西田 栄三(にしだ えいぞう、1927年(昭和2年)2月22… 西田 栄三(にしだ えいぞう、1927年(昭和2年)2月22日 - 2000年(平成12年)1月20日)は、日本の政治家。元奈良県奈良市長(2期)。 奈良県奈良市出身。1943年(昭和18年)12月、奈良県立商業学校(のち奈良県立奈良商業高等学校、現・奈良県立奈良商工高等学校)を卒業した。卒業後は1946年(昭和21年)9月に奈良市役所に入り、市長公室長、清掃部長、総務部長などを務める。1978年(昭和53年)4月から1984年(昭和59年)8月まで助役を務める。 1984年(昭和59年)9月23日の奈良市長選挙に自民党、公明党、民社党の推薦で立候補し、共産党推薦、元県議、諸派の3新人を破って当選した。
町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日… 町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日 - 2019年〈平成31年〉1月16日)は、日本の物理学者。専門は量子力学。理学博士(1959年)。京都大学名誉教授。 群馬県前橋市に生まれる。小学2年のときに千葉県へ移り、さらに東京へ転居。旧制武蔵高等学校を経て、1949年東京大学理学部物理学科卒、1959年理学博士。1952年広島大学講師、1955年立教大学助教授、1961年同教授、1966年京都大学理学部教授、1990年定年退官、名誉教授となる。1976年より日本学術会議員。
後藤 靖(ごとう やすし、1926年2月22日 - 1998… 後藤 靖(ごとう やすし、1926年2月22日 - 1998年3月4日)は日本の経済学者、歴史学者。立命館大学経済学部名誉教授。専攻は近代経済史。日本資本主義の展開と近代天皇制国家の形成過程を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
松本 三之介(まつもと さんのすけ、1926年2月22日 -… 松本 三之介(まつもと さんのすけ、1926年2月22日 - )は、日本の政治学者。専攻は近代日本政治思想史。東京大学名誉教授。 茨城県出身。旧制静岡高校を経て、1948年東京大学法学部卒業。東京大学で丸山真男に師事。 大阪市立大学法学部助教授(現准教授)を経て、1964年東京教育大学文学部教授、1975年東京大学法学部教授。退官後、駿河台大学法学部教授を歴任。丸山の近世政治思想史研究を引き継ぎ、近世国学や明治期の法思想などの分析をおこなった。東京大学における丸山の講座後継者でもあった。門下には坂本多加雄などがいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
門脇 卓爾(かどわき たくじ、1925年(大正14年)2月2… 門脇 卓爾(かどわき たくじ、1925年(大正14年)2月22日 - 2012年(平成24年)12月28日)は日本の哲学者。学習院大学名誉教授。米子日独協会会長。カント哲学の研究者。ボン大学より学位「Doktor der Philosophie」を取得。宗教家・実業家門脇章太郎の長男。門脇家第11代当主。 子息の一人は鳥取県内で教職についている。
工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 -… 工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 - 1996年8月27日)は、日本の実業家。政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。北海道議会議員(通算4期)。 北海道歌志内市出身。1943年早稲田実業学校卒。翌年陸軍に召集される。中央大学法学部に入るも中退。戦後、空知建設工業株式会社を創立し、代表取締役となる。ほか空知物産(株)、丸美大道通商(株)の各代表取締役に就任し、歌志内商工会議所会頭を務めた。1971年から北海道議を3期務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から自民党公認で立候補し当選。1986年の第3次中曽根内閣で法務政務次官、1988年の竹下改造内閣で北海道開発政務次官に就任。
山口 修(やまぐち おさむ、1924年2月22日 - 199… 山口 修(やまぐち おさむ、1924年2月22日 - 1998年9月13日)は、日本の東洋史学者、聖心女子大学名誉教授。専門は日中交渉史、郵便事業史。 神奈川県出身。東京帝国大学文学部卒。熊本大学助教授、1972年聖心女子大学教授を経て、佛教大学教授。 日本郵趣協会常任理事、および理事(1982年-1998年)。 弟は映画・メディア研究者の江藤文夫(本名:山口欣次)。
米原 正義(よねはら まさよし、1923年2月22日 - 2… 米原 正義(よねはら まさよし、1923年2月22日 - 2011年11月3日 )は、日本の日本史学者。國學院大學名誉教授。中世史専攻。 1923年、島根県で生まれた。國學院大學で学び、桑田忠親らに師事。同大学大学院博士課程を修了。卒業後は母校の國學院大學教授となった。1978年、学位論文『戦国武士と文藝の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1995年、國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。 専門は日本中世史で、尼子氏、大内氏などを研究テーマとした。NHK大河ドラマ『毛利元就』では時代考証を担当した。のち、茶人や茶の湯の研究も行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
稲村 隆正(いなむら たかまさ、1923年2月22日 - 1… 稲村 隆正(いなむら たかまさ、1923年2月22日 - 1989年8月8日)は日本の写真家。 1923年(大正12年)東京に生まれた。 早稲田大学政治経済学部卒業。在学中に、慶應義塾大学にいた三木淳から名取洋之助のローライによる写真術の素晴らしさを吹き込まれ、コンタックスやライカよりローライに憧れていたという。 第二次世界大戦終戦後の1947年、名取洋之助が指導的立場にあったサンニュースフォトスに入社した。 収入が少なく自分のカメラが買えず、スピードグラフィック、コンタックス、ローライなど会社のカメラで仕事をしていたが、名取洋之助に自分のカメラを持つことの大切さを説かれてローライフレックススタンダードを購入した。
今村 武俊(いまむら たけとし、1922年2月22日 - 2… 今村 武俊(いまむら たけとし、1922年2月22日 - 2012年10月10日)は、日本の文部官僚、教育評論家。鹿屋体育大学第3代学長・名誉教授、鹿児島女子大学第2代学長。 鹿児島県姶良郡東国分村(後の国分市、霧島市の一部)出身。父は鹿児島県(男子)師範学校附属小学校教頭や柁城小学校校長を歴任する今村武彦。父が教頭を務める附属小学校を卒業後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校へ進学して4年次に「高校組」(高等学校進学志望者特別学級)の級長を務め、1939年第七高等学校造士館に首席合格し旧制中学四年修了。1942年第七高等学校造士館文科を卒業。1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年鹿児島県立加治木中学校 (旧制)教諭となる。
松井 賚夫(まつい たまお、1922年2月22日 - 201… 松井 賚夫(まつい たまお、1922年2月22日 - 2016年1月17日)は、日本の心理学者。立教大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。専攻は産業・組織心理学。 東京大学文学部心理学科を卒業する。人事院へ勤務し、後に明治大学を経て、立教大学社会学部教授となる。同大学を名誉教授となり退職後、駿河台大学法学部で教鞭を執る。専門の心理学では産業・組織心理学を主に研究し、複数の著書・訳書を発表した。
河野 豊弘(こうの とよひろ、1922年2月22日 - 20… 河野 豊弘(こうの とよひろ、1922年2月22日 - 2014年7月5日)は、日本の経営学者。 1922年2月22日山梨県巨摩郡豊村に生まれる。1943年東京商科大学予科入学、1944年商科大学(現一橋大学経済学部)へ、同年高等文官試験合格、1944年仮卒業のち学徒出陣、陸軍に召集されフィリピンセブ島へ、幹部候補生となり陸軍経理学校で学び経理将校となる。1946年日本国有鉄道勤務。1951年フルブライト第1回留学生として米国ピッツバーグ大学大学院に学ぶ。77年「長期経営計画の探究」で神戸大学経営学博士。1959年神奈川大学経済学部専任講師、助教授、62年教授、1963年学習院大学法経学部教授、64年経済学部教授。
三宅 宅三(みやけ たくぞう、 1921年2月22日 - 2… 三宅 宅三(みやけ たくぞう、 1921年2月22日 - 2006年4月16日)は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(一塁手、外野手)。 玉島中(現・玉島商)では砲丸投で全国優勝。明治大学を経て、倉敷工の監督となる。1949年にチームを甲子園大会出場に導いた。 1950年、毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の創立と同時にテスト入団。開幕から一塁手、六番打者に抜擢される。同年の松竹ロビンスとの日本シリーズでは、一塁手、代打として2試合に出場。1951年は外野手も兼ね、5月から四番打者に起用されるなど打線の主軸として活躍、初の規定打席(16位、打率.281)に達する。1952年には自己最高の打率.294(12位)、18本塁打を記録。
山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 19… 山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 1994年3月14日)は、滋賀県出身の日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。息子に元参議院議員の山下英利がいる。
木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22… 木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22日 - 2014年(平成26年)9月12日)は、日本の実業家。西日本鉄道第11代社長(1981年 - 1985年)を務めた。 福岡県小倉市(現北九州市)出身。医師の三男。福岡県立小倉高等学校を経て京都帝国大学を繰上げ卒業し、1942年(昭和17年)に西鉄の前身となる九州電気軌道に入社するも、まもなく太平洋戦争で陸軍の歩兵部隊に応召。フィリピン戦線でレイテ島の隣島の独立守備大隊長(少尉)を務めたが、足を負傷したため部隊を離脱。部隊はその後全滅し、九死に一生を得た。この経験から「私は一度無くしたはずの命を与えられた」と言って、西鉄や地域の発展に尽くすことを自らに課し、仕事に打ち込んだという。
中河 美芳(なかがわ みよし、 1920年2月22日 - 1… 中河 美芳(なかがわ みよし、 1920年2月22日 - 1944年7月12日)は、鳥取県鳥取市出身のプロ野球選手(一塁手、投手)である。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 200… 衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 2004年9月18日)は、日本の詩人・翻訳家。高校教諭(英語科)。本名は鎌田 進(かまだ すすむ)。香川県大川郡白鳥村(現・東かがわ市)出身。 県立大川中学(現・香川県立三本松高等学校)在学中の1935年頃から詩作を始め、詩誌『若草』に投稿。明治学院高等商業部に進学して上京し、鮎川信夫らとともに『荒地』の前身である『LUNA』の創刊に参加。以後『ル・バル』『詩集』『荒地』に作品を発表。50歳まで地元の香川で高校教諭としての職務と並立して活動していたが、退職後は詩作・翻訳活動に専念した。1976年、『庚申その他の詩』(書肆季節社)で、第1回地球賞を受賞。
高品 格(たかしな かく、1919年2月22日 - 1994… 高品 格(たかしな かく、1919年2月22日 - 1994年3月11日)は、日本の俳優。本名、向後 直吉(こうご なおきち)。 千葉県出身。北川事務所、スタッフ・アップに所属していた。息子は作家・カウンセラーの向後善之(1957年生)。本名からわかる通り、同じ旭市出身の高品剛とは無関係。 千葉県海上郡飯岡町に漁師の息子として生まれる。千葉県匝瑳郡八日市場小学校高等科を卒業後、八日市場区裁判所に勤務する。 1935年、東京市杉並区高円寺の「東邦拳闘倶楽部」に入ってプロボクサーになり、東洋フライ級チャンピオンまで登り詰めるが、日本映画に感動して俳優を志し1938年、日活多摩川撮影所に入社。1939年、田坂具隆監督の戦争映画『土と兵隊』でデビュー。
山科 直治(やましな なおはる、1918年〈大正7年〉2月2… 山科 直治(やましな なおはる、1918年〈大正7年〉2月22日 - 1997年〈平成9年〉10月28日)は、日本の経営者。バンダイの創業者。位階は正五位。 石川県金沢市出身。1935年に金沢商業学校を卒業し、兵役予備役中尉を経て、1948年に繊維業の万代産業に入社。 1950年に萬代屋(後のバンダイ)を設立し、社長に就任し、1980年6月には会長に就任。社長時代には、おもちゃ業界で初めて保証玩具制度を実施するなど品質を重視した堅実な経営により、同社を業界トップに育て上げた。1984年に日本おもちゃ図書館財団を設立し、日本玩具協会会長も務め、業界の発展に尽力した。 1979年11月に藍綬褒章を受章し、1989年4月に勲三等瑞宝章を受章。
田中 徹雄(たなか てつお、1918年2月22日 - 昭和5… 田中 徹雄(たなか てつお、1918年2月22日 - 昭和54年(1979年)12月21日)は、日本の陸軍軍人(大尉)、地方公務員。山梨県副知事。 山梨県出身。上海の東亜同文書院を出て、南満州鉄道本社に勤めているうちに応召となり、日中戦争に参加した。 戦後、上海連絡班として中国に残った。総連絡班長は南京にいた今井武夫少将である。昭和21年(1946年)12月に上海発の最後の引揚船に今井少将たちと乗船し、翌月日本に帰国した。その直前に上海に拘束されていた嵯峨浩(満州国皇弟・溥傑夫人)・愛新覚羅嫮生母娘を救出した。 引揚後、郷里の山梨県庁に勤務し、のちに副知事まで務めた。1967年の第31回衆議院議員総選挙で山梨県から自民党公認で立候補したが落選した。
黄 聖秀(ファン・ソンス、朝鮮語: 황성수/黃聖秀、1917… 黄 聖秀(ファン・ソンス、朝鮮語: 황성수/黃聖秀、1917年2月22日 - 1997年3月4日または3月5日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、大韓民国の外交官、弁護士、学者、政治家。第3代韓国国会民議院副議長、第2・3・4・5代国会議員(第5代は参議員)、全羅南道知事を歴任した。 本貫は昌原黄氏。父は牧師の黄保翼で、制憲国会議員の黄斗淵は父方の叔父、呉錫柱は母方の叔父である。篤実なキリスト教徒である。 日本統治時代の全羅南道宝城郡宝城邑宝城里出身、本籍は平安北道である。平壌崇実中学校、崇実専門学校、明治学園を経て、1940年、東北帝国大学(現・東北大学)法文学部を卒業。東京帝国大学(現・東京大学)文学部で研究を行った後、渡米しウェストミンスター神学校を卒業した。
横地 節男(よこち せつお、1916年2月22日 - 200… 横地 節男(よこち せつお、1916年2月22日 - 2004年3月17日)は、広島県出身の実業家。島津製作所社長などを務めた。
井上 園子(いのうえ そのこ、1915年2月22日 - 19… 井上 園子(いのうえ そのこ、1915年2月22日 - 1986年1月19日)は、日本のピアニストである。 1915年2月22日、東京にて生まれる。父は神田駿河台に1881年から続く井上眼科病院の第7代院長・井上達二。 6歳からカテリーナ・トドロヴィチにピアノを師事する。入学した成蹊小学校では小林宗作に音楽を習う。 1926年5月16日、東京でデビューする。この時、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調Kv.488を演奏する。 1929年、ウィーンへピアニストとして留学する。翌年、ウィーン国立音楽院に入学。エミール・フォン・ザウアーのクラスで学び、パウル・ヴァインガルテンにもピアノを師事した。
武川 寛海(たけかわ ひろみ、1914年2月22日 - 19… 武川 寛海(たけかわ ひろみ、1914年2月22日 - 1992年5月2日)は、日本の音楽評論家。ベートーヴェン研究家。音楽之友社『音楽芸術』編集長。 判事を務めていた武川佳海の息子として東京に生まれる。父の転勤に伴い、福島県から静岡県や栃木県を転々として育つ。栃木県立栃木中学校 (旧制)から成蹊高等学校 (旧制)を経て、1938年3月、東京帝国大学文学部美学科卒業。大学在学中、下總皖一に作曲を師事。1938年4月、日本コロムビア株式会社に入社。文芸部に所属し、ディレクターとして勤務。1943年に同社を退社して満洲の新京に渡り、株式会社満洲映画協会に入社。音楽監督を務める。1946年8月に満洲から引き揚げ、同年10月、音楽之友社に入社。
廉 殷鉉(ヨム・ウニョン、1914年2月22日 - 1999… 廉 殷鉉(ヨム・ウニョン、1914年2月22日 - 1999年1月19日)は、朝鮮半島出身のバスケットボール選手。本貫は坡州廉氏。 1936年ベルリンオリンピックに日本代表選手の一人として出場した。 第二次世界大戦後は大韓民国で西洋史の大学教員となった。 ソウル出身という。延禧専門学校(現在の延世大学校)のバスケットボール部で、センターとして活躍。1936年の全日本選手権では朝鮮代表(延禧専門学校)として出場し、優勝した。1936年ベルリンオリンピックには日本代表選手の一人として出場した。この時の日本代表チームには、廉殷鉉を含む3人の朝鮮人選手が参加していた。ほかの2人も全日本選手権優勝メンバーで、李性求(延禧専門学校OB)・張利鎮(延禧専門学校学生)である。
萩原 英雄(はぎわら ひでお、1913年〈大正2年〉2月22… 萩原 英雄(はぎわら ひでお、1913年〈大正2年〉2月22日 - 2007年〈平成19年〉11月4日)は、日本の画家、版画家。油彩画、現代木版画などを描く。 1913年(大正2年)2月22日、山梨県甲府市相生町(現在の甲府市宝一丁目)に生まれる。父は元治郎・母は「ふじ」、英雄は元治郎の次男。父の元治郎は警察署長を務め、蔵書家としても知られ、現在の山梨県笛吹市境川町の出身である俳人の飯田蛇笏(いいだ だこつ)とも親交があった。 1920年(大正9年)、元治郎は日本統治下の朝鮮・定州の警察署長として単身赴任し、翌1921年(大正10年)には家族を呼び寄せ英雄も朝鮮へ渡る。1929年(昭和4年)には単身で日本へ帰国し、東京の日本大学第二中学校(現・日大二高)に編入する。
中村 信一(なかむら しんいち、1913年2月22日 - 没… 中村 信一(なかむら しんいち、1913年2月22日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(内野手)。 北予中学校(現松山北高)在学中に第8回選抜中等学校野球大会に出場、準々決勝に進出する。その後法政大学に進学し、1936年に東京セネタースへ入団。遊撃手として二塁手の苅田久徳、三塁手の高橋輝彦らとともに「百万ドルの内野陣」を形成した。1937年秋シーズン途中に応召し、1940年に復帰。1941年にチームが名古屋金鯱軍と合併し大洋軍と改称、金鯱軍で遊撃を守っていた濃人渉が大洋軍でもそのまま遊撃を守ったため三塁に転向する。終戦後の1946年はゴールドスターで復帰するが、翌1947年に退団、そのまま現役引退した。
小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月… 小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月22日 - 1992年(平成4年)7月21日)は、日本の美術教育者、インダストリアルデザイナーである。東京府(現・東京都)出身。 東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後、地方公務員として福岡県庁に勤務する。その後東京に戻り商工省(現在の経済産業省)に入省し、工芸指導所にて技手として活動した。1947年(昭和22年)には古巣の東京芸術大学にて助教授として復帰し、1965年(昭和40年)に教授に昇格する。1980年(昭和55年)に退職後は、同大学の名誉教授に選出され、同時期に池を中心に複数のデザイナーと共にGKデザイングループを結成し、日本酒「大関」のボトルデザインやオートバイ、レコード、家庭用品等幅広いデザイン設計に携わった。
勝田 龍夫(しょうだ たつお、1912年2月22日 - 19… 勝田 龍夫(しょうだ たつお、1912年2月22日 - 1991年5月28日)は、元日本債券信用銀行会長。朝鮮銀行入行後、日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に入り、常務、副頭取、頭取を歴任。父は朝鮮銀行総裁、大蔵大臣等を務めた勝田主計。妻は西園寺公望の秘書・原田熊雄の娘。『重臣たちの昭和史』『中国借款と勝田主計』を著す。 東京府下豊多摩郡渋谷町中渋谷に、愛媛県松山市出身の大蔵官僚勝田主計・伊与子の4男として生まれる。 東京府青山師範学校附属小学校、東京府立一中に入学。その頃、一中においてサッカー部が創部され、キャプテンになる。1930年、一中卒業と同時に、同校地にあった旧制府立高等学校に入学。
水谷 啓二(みずたに けいじ、1912年2月22日 - 19… 水谷 啓二(みずたに けいじ、1912年2月22日 - 1970年3月19日)は熊本県八代市出身の人物。共同通信社勤務を経て、森田正馬の創始した精神療法「森田療法」の普及に尽力した。 (以下、生涯、略歴等の記述はおもに水谷啓二追想録編集委員会 (2010)による) 水谷啓二は明治45年(1912年)、熊本県八代に生まれる。両親は教師、四人兄弟の長男だった。旧制第五高等学校に在学時代、神経症に悩み五高を一年留年している。 五高時代に上京した際、本屋で森田正馬の著書『神経衰弱と強迫観念の根治法』に出会い、感銘を受けて本郷の森田正馬を訪ねるも、森田からまずは五高を卒業するよう言われた。 一年後(1932年)に父親の反対を押し切って上京。
伊沢 一郎(いざわ いちろう、1912年〈明治45年〉2月2… 伊沢 一郎(いざわ いちろう、1912年〈明治45年〉2月22日 - 1995年〈平成7年〉5月14日)は、日本の俳優。熊本県菊池郡河原村(現・菊池市)出身。本名:萱野 季男(かやの すえお)。女優の美川かつみは妻。俳優の川谷拓三は甥。 高輪商業学校卒業。1930年に日活太秦に入社。1931年にサイレント映画『かんかん虫は唄ふ』でデビュー。朴訥だが誠実なキャラクターで注目され、『ためらふ勿れ若人よ』、『魂を投げろ』などの作品で、デビュー間もない原節子とのコンビで主演。戦後も脇役として活躍。熊本なまりの喋りと親しみのあるキャラクターが特徴だった。温厚な性格でも知られており、時代劇や特撮、更にはロマンポルノとジャンルを問わず幅広い作品に出演した。
中川 赳(なかがわ たけし、1911年(明治44年)2月22… 中川 赳(なかがわ たけし、1911年(明治44年)2月22日 - 1991年(平成3年)3月20日)は日本の実業家、元明治製菓社長・会長。東京都出身。
秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)… 秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)2月22日 - 2007年(平成19年)9月28日)は、日本の政治家。第13〜17代八戸市長。 湊村(現八戸市)で網元を営む秋山家の四男として生まれた。2歳で父與吉を亡くし、叔父秀之助に漁業の手解きを受けた。 湊尋常高等小学校、八戸中学校(現八戸高等学校)を経て、1936年(昭和11年)中央大学法学部卒業。合同油脂株式会社に入社後、二度召集を受ける。21年8月帰還を果たす。 1952年(昭和27年)に八戸市議会議員に当選し2期、さらに青森県議会議員を3期務めた。1969年(昭和44年)に中村拓道を破って八戸市長に当選し、5期務めて史上最長任期となった。
小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 19… 小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 1998年8月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。総理府総務長官・労働大臣・衆議院副議長。栃木県小山市名誉市民(1982年)。 栃木県下都賀郡石橋町(現下野市)に、初の公選栃木県知事を務めた小平重吉の長男として生まれる。1927年、旧制栃木県立栃木中学校を卒業。1934年、東京商科大学(のち一橋大学)を卒業後、三井鉱山勤務を経て、1939年に家業である「小平重工業」(のち小平産業)の常務取締役に就任。ほかグループ企業各社の役員を務める。 1947年、第23回衆議院議員総選挙に民主党から旧栃木2区にて立候補し当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・倉石忠雄・荒木万寿夫・松野頼三・石田博英・園田直・原田憲・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 19… 棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 1964年12月10日)は、日本の民族宗教学者・アジア地域研究者。 1910年、岐阜県本巣郡生まれ。旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)を経て、第三高等学校文科甲類へ入学。卒業後は東京帝国大学文学部宗教学科に入学し、1934年に卒業、同大学大学院に進んだ。1936年、東京帝国大学大学院を修了。 卒業後は、1938年より千代田女子専門学校教授となった。一方で、1939年2月より東亜研究所所員を兼ね、研究を続けた。1941年2月に応召し、中国へ出征して漢口で終戦を迎えた。 1946年に復員。戦後は、1947年11月より帝国女子専門学校講師。
内田 藤雄(うちだ ふじお、1909年2月22日 - 199… 内田 藤雄(うちだ ふじお、1909年2月22日 - 1992年12月21日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省大臣官房長、駐オーストリア特命全権大使、駐ドイツ特命全権大使。 岡山県出身。1928年東京高等学校文科甲類卒業、東京帝国大学法学部法律学科入学。1930年高等試験外交科本試験に合格し、1931年に外務省に入省した。1949年公正取引委員会事務局総務部長。1954年法務省入国管理局長。1957年外務省移住局長。1958年外務省大臣官房長。1960年オーストリア国駐箚特命全権大使、国際原子力機関理事会理事たる日本政府代表。1965年ドイツ国駐箚特命全権大使。1973年海外移住審議会委員。
片倉 信光(かたくら のぶみつ、1909年(明治42年)2月… 片倉 信光(かたくら のぶみつ、1909年(明治42年)2月22日 - 1985年(昭和60年)5月3日)は、宮城県仙台市青葉区青葉町、仙台藩藩祖伊達政宗公を祭神とする、仙台市の一ノ宮、青葉神社の宮司。旧仙台藩家老・白石片倉氏第15代当主。父は14代健吉。
金 判述(キム・パンスル、朝鮮語: 김판술/金判述、1909… 金 判述(キム・パンスル、朝鮮語: 김판술/金判述、1909年2月22日 - 2009年3月31日)は、大韓民国の官僚、政治家。保健社会部長官、第3・5・11代韓国国会議員を歴任した。 本貫は金海金氏。カトリック教徒。号は道庵、漢字表記は金判術とも。 全羅北道沃溝郡北面新豊里(現・全北特別自治道群山市)出身。群山公立中学校、栃木県宇都宮高等農林農学科を経て、1937年京都帝国大学(現・京都大学)農学部卒。 1937年から満州新京大陸科学院研究士を務め、1945年から全羅北道裡里農事試験場長、新光日報創刊者、群山漁業組合組合長、国立水原農事試験場化学部長、ソウル大学校農科大学講師、農林部第2農政課長、民主国民党群山市最高委員・全羅北道党最高委員、高麗大・東国大講師、民主党農民部次長・産業部長、第2共和国の保健社会部(現・保健福祉部)長官(通算第7代、1961年1月30日~5月18日)、民主党企画委員・政策委員会議長・党務委員会議長・事務総長、許政新政党発起準備委員、民衆党中央常務委員会議長・事務総長、新民党指導委員(1967年)・中央常務委員長、三選反対汎国民闘争委員会発起人、国会議員同友会運営委員会副議長、民主韓国党ソウル第1地区党委員長・諮問委員会議長・顧問・常任顧問、平民党顧問・党務指導委員会議長、民主党党務委員、ウジン学園理事、統一院統一顧問、大韓民国憲政会(朝鮮語版)元老会議議長、天主教正義平和委員、駕洛ソウル宗親会長、第1次国際鍼灸学術大会大会長、雲石張勉博士記念会発起人、韓国葬儀文化研究会会長を歴任した。