森本哲夫(もりもと てつお、1935年5月26日 - )は日… 森本哲夫(もりもと てつお、1935年5月26日 - )は日本の郵政官僚。郵政事務次官、郵便貯金振興会理事長、新世代通信網利用高度化協会理事長。神奈川県横浜市港北区下田町3丁目在住。 奈良県出身。京都大学法学部卒業。1958年 郵政省入省。1973年 大臣官房秘書課広報室長。1979年7月 大臣官房郵政参事官。1980年7月 大臣官房秘書課長。1981年7月 郵務局次長。1983年7月 近畿郵政監察局長。1984年7月 通信政策局次長。1985年6月 関東郵政局長。1986年6月 大臣官房人事部長。1987年6月 大臣官房長。1988年6月 貯金局長。1989年6月 電気通信局長。1992年6月23日 郵政事務次官。
東海林 のり子(しょうじ のりこ、旧姓:青羽 のり子(あおば… 東海林 のり子(しょうじ のりこ、旧姓:青羽 のり子(あおば のりこ)、1934年5月26日 - )は、日本の女性芸能リポーター、フリーアナウンサー、著述家で元ニッポン放送アナウンサー(ニッポン放送の第3期アナウンサー)。埼玉県浦和市(現在の埼玉県さいたま市浦和地区)生まれ。埼玉県師範学校附属小学校(現在:埼玉大学教育学部附属小学校)、埼玉県立浦和第一女子高等学校、立教大学文学部英文学科卒業。 埼玉県浦和市(現在の埼玉県さいたま市)生まれ。4姉妹の末っ子。 1957年立教大学文学部英米文学科卒業、ニッポン放送入社。1970年(昭和45年)退社し、以後はフリーランスの芸能リポーターとして『小川宏ショー』、『3時のあなた』、『おはよう!ナイスデイ』(上記3番組は、フジテレビ)など多くのワイドショーに出演。
山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2… 山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2007年5月10日)は、日本の作詞家。長野県上田市出身。日本社会事業大学卒業。本名は山崎 裕世(やまざき ひろよ)。 2007年5月10日、大腸癌のため死去。72歳没。
松石 勝彦(まついし かつひこ、1934年5月26日 - 2… 松石 勝彦(まついし かつひこ、1934年5月26日 - 2017年10月24日)は、日本のマルクス経済学者、一橋大学名誉教授。専門は経済理論、現代資本主義論。 大阪生まれ。1960年一橋大学経済学部卒業、1968年京都大学大学院経済博士課程単位取得退学、1995年「資本論の解明」で経済学博士。カリフォルニア大学バークレー校、ケンブリッジ大学に学ぶ。 1968年一橋大学経済学部専任講師、1971年助教授、1978年教授、1999年定年退官、名誉教授、大妻女子大学社会情報学部教授。中国河南大学名誉教授。 指導学生に一橋大学名誉教授 福田泰雄、一橋大教授 石倉雅男、立教大学名誉教授 北原徹、法政大学名誉教授 屋嘉宗彦など。
亀井 宏(かめい ひろし、1934年(昭和9年)5月26日 … 亀井 宏(かめい ひろし、1934年(昭和9年)5月26日 - )は、日本のノンフィクション作家、小説家。東京都葛飾区堀切出身。 日中戦争中の1938年9月、父は陸軍伍長として召集された。母子家庭となった一家は母方実家の三重県南牟婁郡五郷村(現・熊野市五郷町)に移住する。1943年初、母は結核より病没、父の再婚ともに、勤務先の福井県福井市、そして再出征より義母方実家の三重県南牟婁郡飛鳥村(現・熊野市飛鳥町)に移り住んだ。1964年、文芸雑誌『新潮』に創作を発表する。1970年、『弱き者は死ね』で第14回小説現代新人賞受賞。 30代の半ば頃から太平洋戦争に関心を抱き、生き残りの人々に戦争の証言を聞くために日本中を回った。
近藤 陽次(こんどう ようじ、1933年5月26日 -201… 近藤 陽次(こんどう ようじ、1933年5月26日 -2017年10月9日)は、天体物理学者・SF作家。 日立第一高等学校、東京外国語大学、ニューヨーク市立大学を経て、ペンシルベニア大学の大学院で天体物理学の博士号を取得。NASAの職員となり、ロケット、人工衛星などによる紫外線観測に従事。アポロ計画およびスカイラブ計画の時にはNASAのジョンソン宇宙センター(前:有人宇宙船センター)の天体物理学研究所を率いていた。 またエリック・コタニ(Eric Kotani)のペンネームでSF小説も執筆している。 小惑星の(8072) 近藤陽次は彼に因んで命名された。
野口 武徳(のぐち たけのり、1933年5月26日 - 19… 野口 武徳(のぐち たけのり、1933年5月26日 - 1986年1月4日)は、日本の社会人類学者・民俗学者。元成城大学教授。 東京市牛込区市ヶ谷富久町に生まれる。父は東京府立第六中学校(現東京都立新宿高校)の武道教官であった。父の京城城東中学校への異動に伴い朝鮮半島に転居し、終戦を京城(ソウル)で迎える。戦後、父の故郷である長崎県に引き揚げ、長崎県立佐世保北高校(現長崎県立佐世保北中学校・高等学校)を卒業。1958年東京学芸大学卒、1965年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学(社会人類学専攻)。1965年成城大学専任講師、1967年助教授、1975年教授(文芸学部文化史学科)。1953年〜57年長崎県崎戸の家船を調査。
砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008… 砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008年3月20日)は、日本の児童文学作家、評論家。
海崎 洋一郎(かいざき よういちろう、1933年5月26日 … 海崎 洋一郎(かいざき よういちろう、1933年5月26日 - 2019年1月20日)は、日本の経営者。ブリヂストン社長を務めた。福井県出身。 1956年に京都大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行。1962年にブリヂストンタイヤに転じ、1985年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務、1990年1月に専務を経て、1991年3月に副社長に就任し、1993年3月に社長に昇格。社長在任時には、傘下のアメリカのファイアストン社の経営を立て直し、2000年に同社のタイヤを装着した車の事故が相次いで起きた際にはリコール問題への対応に当たった。2001年3月に相談役に就任。 1997年4月に藍綬褒章を受章。
末永 照和(すえなが てるかず、1931年5月26日 - )… 末永 照和(すえなが てるかず、1931年5月26日 - )は、日本の美術史学者、桜美林大学名誉教授。国際美術評論家連盟会員。 北海道釧路市生まれ。東北大学文学部美学美術史学科卒業。『美術手帖』『みづゑ』などに執筆。桜美林大学教授、名誉教授、実践女子大学教授。2002年定年退職。 1984年「ジェームズ・アンソール」で芸術選奨新人賞受賞。2013年「評伝ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者」で第23回吉田秀和賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 20… 霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 2021年10月31日)は、日本の教育学者、愛知教育大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。1955年名古屋大学教育学部卒、1966年同大学院博士課程満期退学、帝塚山小学校教諭、福岡教育大学助教授、愛知教育大学教授。愛知教育大学附属岡崎小学校校長、1995年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学言語文化研究所教授。 2021年10月31日、肺がんのため、愛知県岡崎市内の病院で死去。90歳没。死没日をもって正四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
常木 建男(つねき たつお、 1931年5月26日 - 19… 常木 建男(つねき たつお、 1931年5月26日 - 1986年7月30日)は、元ニッポン放送アナウンサー。早稲田大学法学部卒業。「健夫」は誤り 。 ニッポン放送に開局と同時に入社。1967年にスタートした看板番組「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティとして一躍有名になった。この他、『日立ミュージック・イン・ハイフォニック』のパーソナリティなども担当。 1978年に赤塚不二夫と全日本満足問題研究会が発表したレコード『ライヴ・イン・ハトヤ』(ビクターSJX-20052)では、TBSアナウンサーの林美雄と共にライブショーの司会者、中継アナウンサーとして出演。 後年にはアナウンサー職の傍ら、後進の指導にも当たっていた。
塚本 芳和(つかもと よしかず、1930年5月26日 - 2… 塚本 芳和(つかもと よしかず、1930年5月26日 - 2010年4月17日)は、日本の実業家。 ※和久井孝太郎・堀之内勝一との共著
加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は… 加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は、日本の中世フランス文学者、エッセイスト。 旧姓・藤井。夫は加藤淑裕(よしひろ、1924-1988、発生生物学者、三菱化成生命科学研究所)、娘は『アメリカへ行った僚子』で知られる教育学者・東大教授の恒吉僚子。 東京生まれ。日本女子大学付属高女を経て同大国文科を中退し、1950年に早稲田大学文学部仏文科入学、1953年卒業。 夫ともに渡米し、1957年ワシントン大学大学院修士課程修了。1965年早稲田大学大学院仏文科博士課程満期退学。ワシントン大学研究助手、1965-72年マサチューセッツ大学特別研究員。 1973年上智大学講師、1995年同大学コミュニティ・カレッジ講師。
野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 20… 野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 2016年12月2日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1992年)。上智大学名誉教授。 長野県小諸市生まれ。埼玉県児玉郡神泉村育ち。旧制松本第二中学校(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1953年東京大学文学部国文学科卒、1958年同大学院国文学専攻修了。 都立高校教諭を経て、1960年熊本大学法文学部助教授、1966年文部省教科書調査官、1974年茨城大学人文学部教授、1977年文部省主任教科書調査官、1982年上智大学文学部教授、1992年「夜の寝覚研究」で東大文学博士。この間、文部省にて主任教科書調査官を務める。
岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 200… 岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 2005年11月27日)は、日本の医学者、医師。愛媛県宇和島市出身。
辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26… 辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26日 - 2008年(平成20年)7月5日)は、日本の実業家。辻兵グループ総帥。日本青年会議所、秋田商工会議所会頭、日本バスケットボール協会会長などを務めた。秋田県秋田市出身。 秋田県屈指の素封家である1856年(安政3年)創業の呉服店「辻兵」に生まれた。辻兵太郎の息子。秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、高島屋飯田(現:丸紅)に入社。 1952年(昭和27年)、五代目兵吉を襲名。以後、辻兵・辻不動産・秋田いすゞ自動車などの辻兵グループ企業のトップを務め、同グループを秋田県下有数の企業グループまでに育てた。
奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 199… 奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 1992年2月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、日本社会党)。 北海道函館市出身。1944年札幌逓信講習所卒。のち、北海道函館商業高等学校で学ぶ。函館郵便局や電電公社函館通信部に勤務し、全電通函館支部を結成して、委員長となる。その後、函館市議や北海道議となる。1979年と1983年の函館市長選挙に立候補したが落選した。1983年の第37回衆議院議員総選挙で北海道3区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続2期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選した。1992年2月17日死去、65歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。
萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、本名:南沢 哲晶、1925年… 萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、本名:南沢 哲晶、1925年(大正14年)5月26日 - 1984年(昭和59年)1月13日)は、日本の作曲家。 北海道岩見沢市で病院長の家庭に生まれる。弟の萩原秀樹はジャズピアニスト。旧制北海中学を経て、1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)器楽科に入学(クラリネット専攻)。同級に岩井直溥や早川博二がいた。戦時中は團伊玖磨、芥川也寸志、斎藤高順、梶原完たちと陸軍戸山学校軍楽隊に入隊。素人の養成機関の軍楽隊に音楽学校の生徒が入る背景には、乗杉嘉壽から山口常光(戸山軍楽隊)、山口から阿南惟幾へ話の持ち込みがあり、全く便宜を計る必要がない音楽学校の生徒である彼等は特例中の特例で、いわゆる徴兵から逃げた。
竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月2… 竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月26日 - 2002年〈平成14年〉11月2日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。日本赤十字秋田短期大学初代学長。秋田赤十字病院名誉院長。元日本病院会副会長・顧問。 北海道稚内市で生まれ、新潟県新潟市で育つ。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)6月から新潟県長岡市旭町1丁目の坂井医院に勤務、新潟市流作場2439番地(現 新潟市中央区万代2丁目1番1号)の新潟トヨタ診療所に勤務。 1952年(昭和27年)10月に新潟大学医学部第一内科に入局、1958年(昭和33年)3月に新潟大学から医学博士の学位を取得、7月に医局長に就任、講師を経て、1965年(昭和40年)10月に助教授に就任。
明間 輝行(あけま てるゆき、1925年(大正14年)5月2… 明間 輝行(あけま てるゆき、1925年(大正14年)5月26日 - 2005年(平成17年)9月3日)は、日本の実業家。東北電力取締役社長や、同社取締役会長、東北経済連合会会長を務めた。 宮城県仙台市出身。1951年東北大学法学部卒業。津本陽は同期生。 東北電力取締役社長や、同社取締役会長、日本原子力発電取締役を務めた。1993年東北経済連合会会長。 1995年仙台フィルハーモニー管弦楽団理事長。1997年、勲一等瑞宝章受章。2001年東北電力相談役。2005年肺炎のため仙台市内の病院で死去。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
藤芳 誠一(ふじよし せいいち、1925年5月26日 - 2… 藤芳 誠一(ふじよし せいいち、1925年5月26日 - 2012年2月19日)は、日本の経営学者。経営学博士(論文博士・1971年)。明治大学名誉教授。 熊本県出身。1949年明治大学商学部卒、1971年「経営管理の体系的研究」で経営学博士の学位を取得。 1949年明大商学部助手、1953年経営学部専任講師、1956年助教授、1962年教授となり、1971年 - 1979年経営学部長を務める。1966年千葉経済短期大学教授を兼任した。1995年明大を定年退任、名誉教授、東亜大学教授・副学長となる。 子に経営学者・高千穂大学教授の藤芳明人(1957年 - )がいる。
玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010… 玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010年7月13日)は、昭和・平成期の歌人、文芸評論家。 宮城県仙台市米ヶ袋生まれ。1931年(昭和6年)東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺に転居。1939年(昭和14年)北原白秋主宰の『多磨』に入会。白秋没後は巽聖歌に師事した。青山学院中学部を経て、1944年(昭和19年)第二高等学校卒、東京帝国大学文学部美学美術史科卒。戦時中は学徒動員を経験した。 戦後は都立高校の教師を務めるかたわら短歌を続け、歌壇や戦後派短歌、前衛短歌から距離を置いた独自のスタンスを保ち続けた。1972年(昭和47年)『樛木』で第24回読売文学賞受賞。1978年(昭和53年)歌誌「うた」創刊、2002年(平成14年)まで続けた。
石毛 善衛(いしげ ぜんえい、1923年5月26日 - 20… 石毛 善衛(いしげ ぜんえい、1923年5月26日 - 2014年10月24日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1942年に日本競馬会(日本中央競馬会の前身)で騎手デビュー。1947年にトヨウメ、1958年にセルローズで、それぞれ天皇賞(秋)に優勝した。1948年に結婚するまでは「小林善衛」の名で騎乗。1964年より調教師に転じ、1998年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石毛善彦は次男。 1923年、群馬県邑楽郡大川村(後の大泉町)に、東武鉄道の職員であった小林定五郎、きぬ夫妻の長男として生まれる。近郊には地方競馬の館林競馬場があった。旧制館林中学1年生のころに騎手の姿に憧れ、1937年、父の知人の紹介で名騎手の評が高かった石毛彦次郎(中山競馬場)の門下に入る。
桑原 富雄(くわばら とみお、1923年(大正12年)5月2… 桑原 富雄(くわばら とみお、1923年(大正12年)5月26日 - 2010年(平成22年)2月7日)は、日本の政治家。愛媛県西条市長、西条市名誉市民。 愛媛県西条市本町に生まれる。西条農業学校卒業(現愛媛県立西条農業高等学校)を卒業。旧 西条市職員、助役を経て、1979年(昭和54年)当時現職の伊藤一を破り市長に初当選、以後、1995年(平成7年)12月まで4期16年(13 - 16代)にわたり西条市長を務めた。 市長在任中、東部臨海土地造成による臨海造成地への企業誘致を図り、同地には電機・機械・食品飲料等の有力企業が立地し、愛媛県東部の工業都市としての発展の礎を築いた。 また、「水の都」として、市中心部における親水公園や公共下水道の整備を推進したほか、「市民の森」、西条運動公園、「こどもの国」や、刑務所跡地への文化会館の設置など都市施設を整備充実させたほか、松山自動車道の開通や主要幹線道路など都市基盤の整備にも尽力した。
大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11… 大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11年〉5月26日 - 2017年〈平成29年〉3月5日)は、日本の農林水産官僚、政治家。群馬県出身。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。 群馬県碓氷郡松井田町新堀(現・安中市松井田町新堀)生まれ。松井田小学校、旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部に進学する。1943年(昭和18年)学徒出陣により経理軍人として樺太に赴任。1947年(昭和22年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格して1947年農林省に入省。農政局に配属。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、企業流通部長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官を歴任。
住田 正二(すみた しょうじ、1922年(大正11年)5月2… 住田 正二(すみた しょうじ、1922年(大正11年)5月26日 - 2017年(平成29年)12月20日)は、日本の官僚、実業家、運輸事務次官やJR東日本社長を務めた。 東京都副知事などを務めた住田正一の次男として生まれる。兄は住田俊一。兵庫県神戸市生まれだが、父の正一が呉造船所社長だった事から、本籍は居住経験のない広島県呉市で広島県人会にも登録されていた。またワイズメン・グループの大来佐武郎のあとを継いで、1979年ワイズメンに選ばれる。国際情勢研究会会長、国際戦略研究所副会長、アジア調査会理事などを歴任。1983年勲二等旭日重光章。 小学校から旧制高校まで成蹊で過ごし、同級生には緒方四十郎や堀江鉄弥がいた。
原 五郎(はら ごろう、1921年5月26日- 2012年6… 原 五郎(はら ごろう、1921年5月26日- 2012年6月16日 )は、日本の経営者。三井倉庫社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1946年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三井倉庫に入社した。1973年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年3月に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1981年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2012年6月16日、呼吸不全のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月2… 杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月26日 - 1987年〈昭和62年〉9月20日)は、私財を投げうってインドの緑化に尽力し、インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる。 1919年、杉山直樹(夢野久作)、クラの長男として生まれる。福岡県福岡市出身。二男は三苫鉄児、三男は杉山参緑。 1935年(昭和10年)、祖父杉山茂丸没、1936年(昭和11年)、父杉山直樹没、祖父と父を相次いでなくす。 1937年(昭和12年)、福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。1938年(昭和13年)19歳、農園の土地を売らずに一家を養うために、陸軍士官学校(53期)に入学する。軍人が戦争反対運動をやらぬ限り戦争は止められないと考え、反戦活動を行い、憲兵隊に捕われる。
玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953… 玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953年6月)は福岡県出身のプロ野球選手。
柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 20… 柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 2003年12月21日)は、日本の政治家。長野県篠ノ井市長。長野県議会議員(8期、自由民主党)。 長野県更級郡栄村(現長野市)出身、旧制屋代中学を経て、昭和13年(1938年)中央大学専門部法科中途退学。同23年(1948年)篠ノ井町役場収入役、同29年(1954年)助役、同33年(1958年)町長を歴任し、同34年(1959年)市制施行に伴い篠ノ井市長となる。 在任中は長野市等との2市6町村合併を推進し、昭和41年(1966年)退任、翌年(1967年)から長野県議会議員(自由民主党)、同63年(1988年)議長。平成11年(1999年)政界を引退した。
政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 200… 政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 2002年8月6日)は、日本の発明家・科学者、スピリチュアリスト。元大阪帝国大学工学部工作センター長。 自身の発明したほとんどの特許を手放し、技術の無償提供を行った。またペンジュラムを用いた人間性の測定を提唱、これが政木フーチとして発展を遂げた。 政木は兵庫県生まれで、幼少は姫路の北、神崎郡市川町瀬加の自然豊かな山間で育った。 昭和15年、彼は関西高等工業学校(現在の大阪工業大学)電気工学科を卒業し、大阪帝国大学工学部に進学した。工学部では、通信学科はじめ、建築学科、土木学科などすべての学科を履修し、応用物理、造船工学、航空学も学んだ。卒業が近づくと、政木には助教授のポストが設けられたが、彼はその提案を遠慮し、さらなる学びのため医学部に入学した。
平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月2… 平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月26日 - 2006年 <平成18年> 4月8日)は、日本の経営者。工学博士。四国電力社長、会長を歴任。位階は正四位。 愛媛県西条市出身。1941年に京都帝国大学工学部を卒業し、技術士官として、海軍技術研究所での勤務を経て、1947年5月に四国配電(のちの四国電力)に入社。 1968年5月に取締役に就任し、1969年6月に常務、1974年11月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任。1985年6月に相談役に就任。 1978年5月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年4月8日老衰のために死去。89歳没。
小松 春雄(こまつ はるお、1913年5月26日 - 198… 小松 春雄(こまつ はるお、1913年5月26日 - 1988年5月11日)は、日本の政治学者、中央大学名誉教授。英国保守主義のエドマンド・バーク、その論敵トマス・ペインを研究した。 徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身。1938年東京帝国大学法学部政治学科卒。1939年東亜研究所研究員。1946年東京大学社会科学研究所研究員。その後、東京大学職員、法政大学法学部兼任講師を経て、1950年國學院大學政経学部助教授、1953年中央大学法学部助教授、1955年法学部教授、1962年「イギリス保守主義史研究」で中央大学で法学博士。1967年中央大学図書館長、1973年中央大学附属中学校・高等学校長、1974年日本政治学会理事長、1979年中央大学社会科学研究所初代所長、1984年中央大学定年退任、名誉教授、成蹊大学経済学部教授。
齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 19… 齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 1985年9月3日)は、日本の仏文学者。山形県庄内出身。 山形県東田川郡清川村(現:庄内町)生まれ。戸籍上は4月26日生まれ。実家は大庄屋格で、幼少時より漢籍と文語体聖書に親しんで育つ。 旧制酒田中学校在学中から仏文学を志す。辰野隆の教えを受けるつもりで、1929年、法政大学予科に入学。当時既に辰野は法政を退職していたために望みは果たせなかったが、戦後初対面した折にボードレール『悪の華』訳文を激賞された。法政で豊島与志雄や漢詩人阿藤伯海(あとう・はくみ)に師事。同級に安藤鶴夫と近藤光治がおり「三藤」と称して親しく交際した、在学時に次兄(筆名:西東徳之介)も加わり、文芸同人誌『秩序』(7号まで)を発行、プルースト短編やヴィリエ・ド・リラダンの翻訳を寄稿。
塩田 卓爾(しおた たくじ、旧字体: 鹽田 卓爾、1912年… 塩田 卓爾(しおた たくじ、旧字体: 鹽田 卓爾、1912年(明治45年)5月26日 - 1996年(平成8年)4月17日 )は、日本の大蔵官僚でもあり、実業家である。国内セラミックス大手3社の一角であった九州耐火煉瓦(現:黒崎播磨)の代表取締役社長を務めた。その後、同社の会長、相談役となる。岡山県高梁市出身。 1912年(明治45年)現在の岡山県高梁市にて出生。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、陸上選手で研究者の柳井深造がいる。1930年(昭和5年)同校を卒業し、第六高等学校理科甲類へ進学するが、その後、途中で大病を患って退学。 3年後の1933年、塩田は理系から文転し、第六高等学校文科甲類へ再入学する。
松井 清(まつい きよし、1912年5月26日 - 1972… 松井 清(まつい きよし、1912年5月26日 - 1972年9月6日)は、日本の経済学者。元京都大学大学院経済学研究科・経済学部教授。 岡山市生まれ。第三高等学校卒、1934年京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。副手をへて1936年同講師、1947年助教授、1949年教授、1950年「世界経済学批判」で、経済学博士(大阪商科大学)の学位を取得。1960-1961年京都大学経済学部長。60歳で教授在任中に死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 199… 渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 1993年10月15日)は、日本の物理学者(理論物理学)・情報科学者。 1910年、東京府生まれ。学習院中等科、東京高等学校を経て、1933年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業する。在学中に理化学研究所で寺田寅彦の指導を受ける。1933年、フランス政府留学生として渡仏、パリでド・ブロイに師事し、熱力学の第二法則と波動力学の研究を始める。1937年、ライプツィヒに移り、ハイゼンベルクに原子核理論を師事する。同年、後にドイツ文学者でハワイ大学教授となるドロテア・ダウアーと結婚する。 1939年、第二次世界大戦の勃発とともにドイツを離れ、コペンハーゲンのボーアの許にしばらく滞在した後、同年12月に家族とともに帰国する。
飯村 泉(いいむら いずみ、1908年〈明治41年〉5月26… 飯村 泉(いいむら いずみ、1908年〈明治41年〉5月26日 - 没年不明)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県東茨城郡小松村(のち常北町、現・城里町)出身。1927年、旧制水戸中学校を卒業。卒業後は官立神戸高等商船学校(のち神戸商船大学、神戸大学海事科学部を経て、現神戸大学海洋政策科学部)を経て、京都帝国大学卒。日刊油業報知新聞社員、東京都油脂配給協同組合職員、岩城興業(有)営業部長、東京都油脂配給統制組合秘書課長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で茨城県から無所属で立候補するが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において茨城1区から民主党公認で立候補して当選した。
柳田 知常(やなぎだ ともつね、1908年5月26日 - 1… 柳田 知常(やなぎだ ともつね、1908年5月26日 - 1995年1月25日)は、日本の国文学者、俳人。 岐阜県大垣市出身。別名読み・ちじょう。1930年東京帝国大学文学部国文学科卒。各地の中学教諭を経て、1947年金城女子専門学校教授、72年から金城学院大学学長、79年定年退任、名誉教授となる。1925年キリスト教入信。倉田百三主宰の「生活者」に参加。また俳誌「橋」を主宰する。
三坂 耿一郎(みさか こういちろう、1908年 <明治41年… 三坂 耿一郎(みさか こういちろう、1908年 <明治41年> 5月26日 - 1995年 <平成7年> 8月3日)は、彫刻家、日本芸術院会員。本名は政治。位階は従四位。 福島県郡山市出身。1937年東京美術学校彫塑科卒業、新文展初入選。1939年研究科を修了し、その後清水多嘉示に師事。1947年日展特選。1961年日展審査員。1970年日展桂花賞受賞。1971年日展評議員。1972年日展文部大臣賞受賞。1979年日本芸術院賞受賞。1983年勲四等旭日小綬章受章。1986年日本芸術院会員。1987年郡山市名誉市民。1992年勲三等瑞宝章受章。1995年死去。死没日付をもって従四位に叙された。墓所は多磨霊園 熊本市にある宮本武蔵のブロンズ像、立教大学内の立教大学創始者ウイリアムズ主教像などの他、東京都練馬区や故郷の福島県郡山市に多くの作品がパブリックアートとして残る。
金森 九郎(かなもり くろう、1907年(明治40年)5月2… 金森 九郎(かなもり くろう、1907年(明治40年)5月26日 - 1977年(昭和52年)6月23日)は、日本の実業家。富士製鉄常務取締役、日本原色押花協会会長を務めた。位階は正四位。勲四等旭日小綬章。 姪・和子の長男は、第28代自由民主党総裁・第102代内閣総理大臣の石破茂である。 東京都渋谷区出身。牧師・金森通倫の四男。5歳の時に母が亡くなり、長姉の三寿子が母代わりとなる。 1925年、旧制東京高等師範学校附属中学校を卒業した。その後、旧制静岡高等学校を卒業した。1932年、東京帝国大学工学部冶金学科を卒業した。日鉄、八幡製鉄所に入り、広畑製鉄所研究所各勤務の後、1942年に東京帝国大学第二工学部冶金学科助教授となり、1945年には教授に就任する。
井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月2… 井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、西洋史学者、浄土真宗の僧侶。 兵庫県出身。1930年京都帝国大学卒。第三高等学校教授、1943年京都帝大助教授。1948年「ローマ経済史の研究」で)文学博士、同年京都大学教授。1970年定年退官、名誉教授、奈良教育大学学長。西洋古代史が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)… 鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、日本の政治家、医師。東京都三鷹市長(5期)。名誉三鷹市民。 東京府北多摩郡三鷹村(三鷹町を経て、現三鷹市)出身。1930年日本大学医学部を卒業。三鷹市で産婦人科医院を開業する。戦時中は軍医として中国大陸に派遣された。戦後は社会党に入党。1937年三鷹村議、1940年三鷹町議、1948年三鷹町公安委員長を経て1955年三鷹市長に就任する。市長在任中は下水道事業に取り組み、1973年に普及率100%を達成させた。市職員を百貨店で研修させたり、庁舎内を禁煙化させるなど独創的な政策を打ち出した。
加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月… 加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は、日本の俳人。本名は健雄(たけお)。位階は従四位。 水原秋桜子に師事。初期は『馬酔木』に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。第二次世界大戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した『寒雷』では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。 現在の東京都大田区北千束に生まれる。父・健吉、母・千佳の長男。当時、健吉は私設甲武鉄道の駅員で、東京転勤の命を受けた直後の出生であったため、出生届は前任地の山梨県大月市で出された。
福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月2… 福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月26日 – 1983年(昭和58年)7月15日)は、昭和期の官僚、弁護士、政治家。衆議院議員。 母の生家の大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)で生まれる。第三高等学校を卒業。1927年(昭和2年)12月高等試験行政科試験に合格し、司法科試験にも合格した。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年、内務省に入省し千葉県属に任官した。 以後、社会局属、国際労働機関在勤(ジュネーヴ)、社会局事務官、企画院調査官、東亜研究所参与、企画院書記官、商工省事務官兼書記官・振興部金融課長兼施設課長、総務課長兼工務課長、企業局工政課長、絹毛課長、商工組合中央金庫監理官、熊本営林局総務部長、千葉県教育民生部長、神奈川県労働部長、神奈川労働基準局(現神奈川労働局)長などを歴任し、1948年(昭和23年)に退官した。
栗原 佑(くりはら たすく/ゆう、1904年5月26日 - … 栗原 佑(くりはら たすく/ゆう、1904年5月26日 - 1980年1月4日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。広島県出身。
崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月2… 崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月26日 - 1979年7月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、仏教の僧侶、教育者、政治家、茶人。制憲韓国国会議員。 俗名は英煥。堂号は錦峯、法号は暁堂(ヒョダン、효당/曉堂)。 慶尚南道昆陽郡両浦面(後の泗川郡西浦面)出身。昆陽普通学校卒業後、1916年に地元の多率寺(朝鮮語版)で出家した。1917年に海印寺の地方学林に入学した。三・一運動の時は独立宣言文を配布したため、日本の警察に逮捕された。1922年に渡日し大正大学予科を経て、1933年に同大仏教学科卒。特に1923年以降は朴烈、朴興坤、陸洪均、韓龍雲、金法麟らと「不逞鮮人社」「黒友会」「卍党」などの運動に参加して、いわゆる「朴烈事件」の大逆事件で上海への爆弾運搬役として検挙され、8か月間投獄された。
春日部 たすく(かすかべ たすく、本名:春日部 弼、1903… 春日部 たすく(かすかべ たすく、本名:春日部 弼、1903年5月26日 - 1985年9月16日)は、日本の水彩画家。水彩連盟の創始者のひとりである。 福島県北会津郡高野村(現 会津若松市)生まれ。実父の春日部春二(春日部雪後)は裁判所長で俳人。 会津中学校(現・福島県立会津高等学校)を卒業。1924年に上京し、川端画学校洋画部で学ぶ。1928年、水彩画会展に入選。1929年、第10回帝展に水彩画「山湖」が初入選、日本水彩画会会員となる。1940年、小堀進、荒井直之助ら同志7人で「水彩連盟」を設立。これ以降、官展や日本水彩画会への出品を止め、戦後も水彩連盟および個展での発表を行った。 作風は風景画を得意とし、あざやかな色彩と情趣ある画情が特徴だった。
古林喜楽(こばやし よしもと、1902年5月26日 - 19… 古林喜楽(こばやし よしもと、1902年5月26日 - 1977年1月11日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1953年)(学位論文「賃銀形態の研究」)。神戸大学名誉教授。第2代神戸大学学長。「経営労務論研究のパイオニア」と評される。 岩手県一関市出身。兵庫県立神戸商業学校、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1927年京都帝国大学経済学部を卒業した。 卒業後は和歌山高等商業学校講師となり、1928年に教授に昇進する。 1931年、神戸商業大学附属商学専門部教授に転じ、神戸商業大学助教授(1932年)を経て、1940年に教授に昇進した(1944年に大学名の変更で神戸経済大学教授)。