大澤 銀作(おおさわ ぎんさく、1939年 - )は、日本の… 大澤 銀作(おおさわ ぎんさく、1939年 - )は、日本の英語学・英文学者、マンスフィールド記念館館長。 栃木県生まれ。1964年東洋大学英文科卒、1969年同大学院英文学専攻博士課程満期退学、清和女子短期大学講師、立正大学文学部助教授、大正大学文学部教授、表現学部教授、2010年定年退任、名誉教授。 英語学専攻だったが、キャサリン・マンスフィールドに関心を深め、第一人者となる。1989年日本マンスフィールド協会会長、マンスフィールド記念館を創立し館長。
盛岡一夫(もりおか かずお、1939年 - )は、日本の法学… 盛岡一夫(もりおか かずお、1939年 - )は、日本の法学者。専門は、知的財産法、特許法・著作権法・商標権法にわたる知的財産法の全領域。東洋大学名誉教授。工業所有権法学会理事を歴任。法律時報の学会回顧特集の執筆を数回手掛けた 独占的通常実施権による差止請求権に関して、債権者代位による差止請求権の行使について肯定する学説が多い中、固有の差止請求権を認める立場をとる。妨害排除請求権を認める要件として、妨害排除を認めるべきことによって生ずべき侵害者の犠牲の程度と、被害者が妨害排除によって受ける利益などの比較考慮によって決定すべきであり、被侵害利益の種類性質と、侵害行為の態様との両面からも相関的に考慮すべきであって、この判断のしかたは不法行為の成立について違法性を判断する場合と同様であるとする。
三浦 安子(みうら やすこ、1938年12月18日 - )は… 三浦 安子(みうら やすこ、1938年12月18日 - )は、日本のドイツ文学・キリスト教学者、東洋大学名誉教授。 富山県立高岡高等学校卒。1961年、東京大学教養学部教養学科ドイツ分科卒、同大学院比較文学比較文化修士課程入学1962年10月、病気休学。1965年9月、西独ハンブルク大学留学。1967年、帰国。1968年、修士課程修了、1972年、博士課程単位取得満期退学。東洋大学文学部専任講師(ドイツ語)、1974年、助教授、1986年、教授、1992年、老人介護のため退職、非常勤講師、1994年、教授復帰、2000年、経済学部教授。2009年、定年退任、名誉教授。
坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - … 坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - )は、日本の編集者、フリーライター、ルポルタージュ作家。 北海道函館市出身。1965年東洋大学卒。『週刊ポスト』『週刊現代』記者などののちフリー。『歴史と現代』(1980-1982、歴史と現代社)『新雑誌X』(1983-1991)編集長、元早稲田マスコミ塾専任講師。日本ペンクラブ会員。
森 章司(もり しょうじ、1938年-)は、三重県出身の日本… 森 章司(もり しょうじ、1938年-)は、三重県出身の日本の仏教学者。東洋大学名誉教授・中央学術研究所講師。専門はインド仏教。文学博士(東洋大学)。元浄土真宗本願寺派僧侶。
後藤 武晴(ごとう たけはる、1937年9月1日 - )は、… 後藤 武晴(ごとう たけはる、1937年9月1日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。 脇町高校から東洋大学を経て1960年に東映フライヤーズへ入団。1軍試合出場は1年目の2試合のみとなり1963年に引退。
吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5… 吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の脚本家、絵本作家である。日本脚本家連盟信託者。生前は日本放送作家協会会員、東洋大学講師であった。『ムーミン』『昆虫物語 みなしごハッチ』等のテレビアニメーションの脚本家として知られ、『天才バカボン』『ど根性ガエル』『ジャングル黒べえ』『元祖天才バカボン』『ろぼっ子ビートン』ではメイン作家であった。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田義昭(1932年 - 1989年)は同音異字の別人、テレビドラマデータベース等で混同されている作詞家・作曲家の古田喜昭(1949年 - )は一字違いの別人。
福田 亮成(ふくだ りようせい、1937年3月10日 - )… 福田 亮成(ふくだ りようせい、1937年3月10日 - )は、日本の仏教学者(密教学)。学位は、博士(文学)。真言宗智山派の僧侶(智山伝法院長、下谷田中成就院住職、川崎大師教学研究所長を経て顧問)。大正大学名誉教授。
三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 20… 三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 2019年2月13日)は、日本の英文学者・英語学者・歌人。東洋大学名誉教授。 父の任地東京府(現・稲城市)生まれ。徳島県阿波市出身。1961年東洋大学文学部英米文学科卒業。67年同大学院文学研究科博士課程修了。東洋大学工学部助教授、教授、文学部教授。2007年定年退任、名誉教授。R・L・スティーヴンスンの研究、日本文体論学会、日本英語学会、国際異文化学会。湖笛会会員。
佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018… 佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018年12月21日 )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。東洋大学経済学部卒業。東映俳優センターに所属していた。 大学卒業後、東映撮影所に入る。 趣味はゴルフ、麻雀、旅行。特技はアクション、歌。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 20… 宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 2018年2月17日)は、日本の民俗学者、札幌大学名誉教授。 沖縄県石垣市生まれ。1960年明治大学法学部卒、1966年東洋大学社会学部卒、1965年明大法学部助手、1967年札幌大学教養部講師、1970年助教授、1976年教授、1979年教養部長、文化学部教授、2006年定年退任、名誉教授。 1973年『波照間島民俗誌』で渋沢賞受賞。1974年「八重山の社会構造に関する研究」で東洋大学社会学博士。弟子には森雅人(札幌大谷大学教授)がいる。
大滝 貞一(おおたき ていいち、1935年9月3日 - 20… 大滝 貞一(おおたき ていいち、1935年9月3日 - 2016年7月23日)は、昭和・平成期の日本の歌人。 新潟県東頸城郡浦川原村(現上越市浦川原区)岩室出身。新潟県立安塚高等学校時代に短歌を始め、1958年東洋大学文学部国文科卒。大学在学中「大学歌人会」で活動。『花実』『古今』に参加し、福田栄一に師事。1971年、「騎の会」創設、「十月会」にも参加。 NHK関連の日本放送教育協会編集局に勤務後、1960年博報堂に入る。PR本部ディレクター、中国室室長、営業担当部長など歴任。『雲珠』を主宰。現代歌人協会理事、明海大学非常勤講師、四万十川秀歌百選選者も務めた。
高橋 幸治(、1935年〈昭和10年〉6月10日 - )は、… 高橋 幸治(、1935年〈昭和10年〉6月10日 - )は、日本の俳優。 新潟県十日町市出身。新潟県立十日町高等学校、東洋大学経済学部卒業。 大学在学中に宮口精二の運転手となる。 1959年、研究生として文学座に入る。 1963年の『日本の孤島』で初舞台。同年、新藤兼人脚本・監督の『母 (1963年の映画)』でデビュー。 1965年、NHK大河ドラマ『太閤記』の織田信長役に抜擢。信長役の演技が評判を呼び、局には助命嘆願が殺到するほどの人気を得た。同年、映画『アンデスの花嫁』南米ロケから帰国後、過労のために入院したことを告知するのが遅れ、出演予定だった舞台公演に穴を空けたとして文学座を除籍。 しかし、人気は衰えず、1966年の『おはなはん』には主人公の夫・速水謙太郎中尉役で出演。
石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日… 石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日本の漫画評論家、映画評論家。本名は石河 糺(いしこ ただし)で、1960年代後半ごろから「石子順」のペンネームを使用する。 評論家の石子順造(本名:木村泰典、1929年 - 1977年)とはペンネームが似ている上に、主たる評論分野が同じ漫画及び映画であり、活動期間が1970年代において重なっていて、しかも両者ともに日本共産党との関係が深い(石子順造は離党している)ために混同されやすく、親子もしくは親戚とおもわれている場合もあるが全くの別人で血縁関係もない。 1935年、京都府京都市生まれ。1953年に中国より帰国。1961年、東洋大学文学部卒。
内田 康夫(うちだ やすお、1934年11月15日 - 20… 内田 康夫(うちだ やすお、1934年11月15日 - 2018年3月13日)は、日本の推理作家。西村京太郎、山村美紗とともに、旅情ミステリー作家の代表的人物として知られる。代表作(シリーズ)に『浅見光彦』(「浅見光彦シリーズ」も参照)、『岡部警部』(「岡部警部シリーズ」も参照)、『竹村岩男』(テレビドラマ版は『信濃のコロンボ』参照)など。 特に『浅見光彦シリーズ』は、テレビ会社各局の2時間ドラマ帯にて長期シリーズを獲得するなど人気を博しており、その中の一作『天河伝説殺人事件』は映画にもなった。後述における「初期三作」のうち、商業デビュー作とされる第三作『後鳥羽伝説殺人事件』は『浅見光彦』シリーズの第一作でもある。
菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 … 菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 - 2016年〈平成28年〉4月7日)は、日本の仏教学者。東洋大学名誉教授。 群馬県富岡市星田の伝宗寺住職・菅沼万休の長男として生まれる。群馬県立富岡高等学校を経て東洋大学卒業後、1962年東洋大学大学院博士課程中退。1974年「入楞伽経の思想史的研究」で文学博士。東洋大学文学部印度哲学科教授、同学部長。同短期大学学長を経て、1991年-1994年、東洋大学学長。2005年に定年退任し、名誉教授。 1975年、日本印度学仏教学会学会賞を受賞。
品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )… 品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )は、日本の俳優、作詞家、ナレーターである。山梨県出身。 1933年4月11日(火曜日)、山梨県南都留郡宝村(現・都留市)中津森に生まれる。旧制都留中学3年の時、兄を交通事故で亡くし家出を決行し上京。 その後、母親の援助を受け都内の旧制専門学校などを転々とするが、次第に愚連隊に関わるようになる。そんな戦後の学制改革のドサクサの中、戸籍抄本に細工をして年齢を詐称し東洋大学に入学する。 1951年、「ミスターニッポンコンテスト」(スポーツニッポン社と大映が主催)の5人に選ばれ、同年12月大学を中退し、大映演技研究所6期生となる(若尾文子より3か月遅れ、同期のニューフェイスには南原宏治がいる)。
中瀬 喜陽(なかせ ひさはる、1933年2月21日 - 20… 中瀬 喜陽(なかせ ひさはる、1933年2月21日 - 2018年3月11日)は、和歌山県の郷土史家・南方熊楠研究家。中瀬ゆかりは次女。 和歌山県西牟婁郡上富田町の出身で、1960年に東洋大学中国哲学文学科を卒業した。同年から上富田町立岩田中学校、1964年からは和歌山県立南紀高等学校の教諭として1993年まで勤務した。1993年に大阪青山短期大学非常勤講師となり2003年まで勤める。 2006年5月に南方熊楠顕彰館館長に就任し、2012年3月まで務めた。 南方熊楠邸保存顕彰会副会長、田辺市文化財審議会委員長、紀南文化財研究会会長 南方熊楠顕彰記念館名誉館長を歴任した。2013年に和歌山県文化功労賞と南方熊楠文化賞特別賞を受ける。
奥田 道大(おくだ みちひろ、1932年 - )は、日本の社… 奥田 道大(おくだ みちひろ、1932年 - )は、日本の社会学者。立教大学名誉教授。専門は、都市社会学。社会学博士。
神作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - 2… 神作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - 2025年9月11日)は、日本の歌人・国文学者。専門は平安朝文学。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1979年)(学位論文「曽禰好忠集の研究」)。東洋大学名誉教授。元東洋大学学長。日本歌人クラブ名誉会長。短歌結社誌「花實」代表。市川市文化振興財団理事。子息は国文学者、国文学研究資料館教授の神作研一。 千葉県出身。1955年東洋大学文学部卒業。1961年同大学院文学研究科国文学専攻博士課程満期退学。1979年「曽禰好忠集の研究」で、東洋大学より文学博士の学位を取得。 同文学部助教授、教授、学長。2002年定年退任、名誉教授。 学長時代に現代学生百人一首を発起。
青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日… 青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉1月1日)は、日本の政治家。前橋市議(1期)、群馬県議(6期)、第70代群馬県議会議長を歴任した。 1931年9月15日、勢多郡桂萱村(現前橋市)で生まれる。1956年、東洋大学社会学部を卒業し、明和高等学校教諭となった。1960年、久保田円次の公設第一秘書となり、その後国務大臣秘書官となった。1967年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して当選した。1969年7月、任期途中で辞職した。1974年、桐生短期大学講師となった。1983年4月10日、群馬県議会議員選挙に勢多郡選挙区から立候補して初当選を果たし、以後6期務める。
津坂 治男(つさか はるお、1931年6月15日 - 201… 津坂 治男(つさか はるお、1931年6月15日 - 2019年9月22日)は、日本の詩人、伝記作家。 三重県生まれ。伊賀上野の儒者・津坂東陽の子孫。東洋大学国文科卒。1976年、詩集『石の歌』で小熊秀雄賞を受賞。津坂東陽、本居宣長門下の文人などの伝記も書いた。
那須田 稔(なすだ みのる、1931年4月10日 - )は、… 那須田 稔(なすだ みのる、1931年4月10日 - )は、日本の児童文学作家。
北原 由夫(きたはら よしお、1930年〈昭和5年〉 - 2… 北原 由夫(きたはら よしお、1930年〈昭和5年〉 - 2018年〈平成30年〉)は、歌人、日本文学研究者、江戸川短期大学名誉教授・元学長。長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。東洋大学卒。東京文化短期大学教授、江戸川女子短期大学教授、2003年江戸川短期大学学長、同名誉教授。島木赤彦研究会名誉会長。新井章に兄事した。 2010年春、瑞宝小綬章を受章。
福島 次郎(ふくしま じろう、1930年(昭和5年) - 2… 福島 次郎(ふくしま じろう、1930年(昭和5年) - 2006年(平成18年)2月22日)は、熊本県出身の小説家。高校の国語教師。雑誌『詩と眞實』同人。その同人誌に掲載した短編小説『バスタオル』(1996年)で第115回芥川賞候補になったほか、三島由紀夫との同性愛関係を取り混ぜた自伝的な実名小説『三島由紀夫――剣と寒紅』(1998年)を刊行したことで一時ジャーナリズムを騒がせ、三島関連界隈で名を知られるようになった人物である。 1930年(昭和5年)、私生児として熊本県熊本市に生まれた。次郎の祖父は人力車夫、祖母は屋台で行商をし、その行商を手伝いながら貧乏に育った母は、20代になると庶民相手の青空賭博の元締めになり、下町の盛り場の姐御として派手な風体になった。
佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19… 佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19日 - 2010年(平成22年)1月25日)は、日本の民俗学者、昔話採集家。 宮城県中田町(現登米市)出身。旧制宮城県佐沼高等学校、東洋大学文学部哲学科卒業。 社会科担当の高校教師を務めていた1957年より昔話をカセットテープに録音し収集する活動を開始した。集めた昔話は東北地方を中心に1万話を超え、著書は高校教師時代の1966年(昭和41年)11月の自費出版による『酒の三太郎』が最初で、50冊を超える。1992年、昔話の保護に取り組んだ業績が認められ、吉川英治文化賞を受賞した。 2010年1月25日、肺炎により宮城県塩竈市の病院で亡くなった。
金井塚 良一(かないづか よしかず、1929年2月14日 -… 金井塚 良一(かないづか よしかず、1929年2月14日 - 2015年6月18日)は日本の考古学者。 埼玉県出身。1952年に東洋大学文学部を卒業。埼玉県立松山高等学校教諭を経て、埼玉県立さきたま資料館(現・埼玉県立さきたま史跡の博物館)や埼玉県立博物館の館長を務める。 吉見百穴横穴墓群、稲荷山古墳などの発掘調査に従事した。 金井塚良一先生の傘寿を祝う会編『常歩無限-考古学研究60年の軌跡』に著作目録がある。
進藤 英幸(しんどう ひでゆき、1929年 - 没年不明)は… 進藤 英幸(しんどう ひでゆき、1929年 - 没年不明)は、日本の中国文学学者。 明治大学教授、了徳寺大学教授などを歴任した。 1929年秋田県生まれ。
瀬川栄志(瀬川榮志 せがわ えいし、1928年11月5日- … 瀬川栄志(瀬川榮志 せがわ えいし、1928年11月5日- )は、日本の国語教育学者。中京女子大学名誉教授。 鹿児島県西之表市住吉深川出身。1957年東洋大学文学部国文科卒。小学校教諭、東京都中野区立上鷺宮小学校校長。全国小学校国語教育研究会副会長、企画編集局長。公立学校定年退職後、1982年中京女子大学教授、同大学子ども文化研究所長、99年定年退任、名誉教授。幼・小・中・高・大学の実践指導、経営の教育研究を経験。全国小学校国語教育研究会名誉顧問、日本子ども文化学会名誉会長 全国日本語教育学会名誉会長、全国創造国語研究会名誉顧問 全国国語科教育研究所長、21世紀の国語教育を創る会代表。
石垣 守一(いしがき もりいち、1928年4月8日 - 没年… 石垣 守一(いしがき もりいち、1928年4月8日 - 没年不明)は、日本の俳優。北海道和寒町出身。本名は中塩 幸雄。 1935年、和寒町立和寒小学校に入学し、6年生時に歌志内市に転居。 1951年、東洋大学経済学部経済科に入学。大学在学中から演劇サークルで活動しながら演劇学校で演技を学ぶ。大学卒業後の1956年4月、劇団手織座に入団。1962年12月、『どん底』のクレーシチ役で劇団演技賞を受賞した。 劇団では総務と制作を担当し幹部俳優として活躍した。
小泉 功(こいずみ いさお、1927年9月15日 - 200… 小泉 功(こいずみ いさお、1927年9月15日 - 2009年9月1日 )は、日本の教師、考古学者。 東京に生まれる。1944年京北中学校卒業。同年、東洋大学専門部哲学科に入学。戦後、同大学史学科に転科し、和島誠一のもとで登呂遺跡の発掘調査に加わるなど、考古学を学ぶ。 1950年3月に東洋大学文学部史学科を卒業し、同年4月から1986年3月まで埼玉県立川越高等学校教諭を勤めた。同校では生徒と郷土部の活動を行い、同部の顧問として生徒の指導に当たった。教員の傍ら、水子貝塚などの発掘調査も行い、とりわけ1972年からは河越館の発掘調査にあたり、同遺跡の保存運動に取り組んだ。また、教員在職中から川越市史編纂委員や川越市文化財保護審議会委員の任にもあたり、1998年からは同審議会会長に任じられ、逝去するまで勤めた。
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 -… 植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。愛称は、「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。 父は僧侶の植木徹誠。長男は作曲家の比呂公一。妹の夫は部落問題研究者の川村善二郎。父方の祖母の親類に御木本幸吉がいる。 1927年(昭和2年)2月25日、父・植木徹誠、母・いさほの間に三男として愛知県名古屋市で生まれた。父・徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。 実際の生年月日は1926年12月25日。ちなみにこの日は、大正天皇が崩御した日である。植木本人が『徹子の部屋』で語ったことによると、父が出生時に体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生年月日が翌年になったという。
鈴木 貞一郎(すずき ていいちろう、1925年(大正14年)… 鈴木 貞一郎(すずき ていいちろう、1925年(大正14年)11月 - )は、日本の実業家。 東洋大学卒業後、グローブシップの前身となる東光社に入社。 ビルメンテナンス業を事業としていたビル代行から原子力代行(現・アトックス)を興し、原子力施設管理業を創設した。原子力代行は民間メンテナンス企業としては初めて原子力発電所内に事業所を設置し、放射能汚染除去ロボットの共同開発なども行った。ビル代行グループの社長・会長、東洋大学評議員、東洋大学維持会会長、木村太郎後援会白山会代表者、日本国際フォーラム顧問などを歴任。2015年にはビル代行と日本ビルサービスが経営統合してグローブシップが設立され、相談役に就任した。
高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 20… 高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 2009年10月13日)は、詩人、爬虫類研究者。ヘルスカウンセラー。 高田栄一と表記される場合もある。「へび博士」として知られる。 東京生まれ。東洋大学文学部卒業。 歌人、詩人として多くの作品を発表するかたわら、小説、エッセー、評論なども手がけていた。一方で、幼少の頃から野生動物、とりわけ爬虫類に興味をもち、飼育を始めて、独学で爬虫類の研究を行う。 1960年ごろ、爬虫類研究のために、東京・根津の自宅に「高田爬虫類研究所」(爬虫類友の会/高田爬虫類研究所/高田動物生態研究所)を創設。日本人専門家として初のコモド島調査を成功させ、コモドオオトカゲの紹介に尽くし、マダガスカルではマダガスカル・ボアやカメレオンの生態を調査する。
菊村 紀彦(きくむら のりひこ、1924年12月15日- 2… 菊村 紀彦(きくむら のりひこ、1924年12月15日- 2010年)は、日本の仏教学者、著述家、翻訳家、作曲家、作詞家、音楽プロデューサー、東京シャンソン協会初代会長。 「菊村紀彦」は書籍を執筆したり、音楽を作曲したりするときの筆名であるが、弟子たちからも「菊村先生」としか呼ばれておらず、事実上の名前にも等しい。戸籍名は、椎名重胤。 東京出身。東洋大学大学院仏教学研究科修士課程修了。浄土教学空性論専攻。日本仏教思想研究所長、日本仏教学院長、寂光山檀林寺管主、日本仏教書道研究会長を務めた。 先祖は高松藩の椎名氏。明治時代に財を成した椎名秀胤の子孫筋に当たり、父の長兄・椎名芳胤は、大正時代の日本鉱業株式会社の営業部長から幹部にのぼりつめた実業家で、のちに久原房之助、鮎川義介らと共に日本鉱業の実権を握っていた人物の一人であった。
岩田 万蔵(いわた まんぞう、1924年2月9日 - 199… 岩田 万蔵(いわた まんぞう、1924年2月9日 - 1993年6月4日)は、日本の空手武道家。 岩田万蔵は、東京の岩田園という茶園を所有していた一族に生まれる。彼は10歳で糸東流空手の研究を始めた。中学では柔道 、剣道も学んだ。 また合気道の創設者である植芝盛平と祖父が仲の良い友人で、その元で合気道を学ぶ。岩田は東洋大学に進学し在籍中の1941年、糸東流空手創設者でグランドマスターの摩文仁賢和下で直接空手の訓練を始めた 。摩文は藤田西湖から杖道や南蛮殺到流拳法を教えられており、岩田も引き継がれるべく指導され 1943年、岩田は藤田から杖道師免状を授与された。1944年に東洋大学を卒業した後、摩文から師範の学位を授与された。
張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 -… 張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。軍での最終階級は陸軍大将。原名は張道英で、創氏改名による日本名は長原道英。本貫は仁同張氏。 第14代陸軍参謀総長を務め、参謀総長在任中に発生した5・16軍事クーデターでは傍観に徹した後、クーデターを主導した朴正煕などによって擁立され国家再建最高会議議長に就任したが、短期間で失脚した。太極武功勲章授与者。 龍川郡のクリスチャンの家庭で生まれる。新義州東中学校に通い、在学中は陸上選手として活躍した。創氏改名の際、当初苗字の読みを「ながわら」としていたが、国語教師から藤原氏のようだとからかわれたため「ながはら」に変更した。
朴慶植(パク・キョンシク、1922年12月7日 - 1998… 朴慶植(パク・キョンシク、1922年12月7日 - 1998年2月12日)は、在日朝鮮人の在野の歴史研究者である。元朝鮮大学校教員、戦前の在日朝鮮人の歴史調査・研究で知られる。 1922年12月7日慶尚北道奉化郡面金峰里に生まれ、1929年3月、6歳のときに母と共に父の働く日本に渡った。1943年9月、日本大学高等師範部地理歴史科(夜間)卒業。1949年に東洋大学文学部史学科を卒業し、1970年まで東京朝鮮中・高級学校および朝鮮大学校で教員を務めた。1971年、総連の組織を離れ、その後、古書店を2年ほど経営しつつ在野で研究を続けた。「季刊三千里」編集委員、アジア問題研究所代表などを務め、朝鮮近・現代史研究に従事した。
永岡 慶之助(ながおか けいのすけ、1922年7月30日 -… 永岡 慶之助(ながおか けいのすけ、1922年7月30日 - 2021年5月12日)は、日本の歴史小説作家、時代小説作家。 本名同じ。福島県会津坂下町生まれ。群馬県藤岡市在住。東洋大学文学部卒業。 1946年(昭和21年)、友人の赤田哲也と故郷を出て中山義秀邸を訪問、知遇を得る。当時の仲間には吉田健一、国木田虎雄、清水崑、清水基吉らがいた。公友社、河出書房の雑誌編集者を経て、作家活動に入る。1960年(昭和35年)、出身地の会津藩を題材に取った『斗南藩子弟記』でデビュー。翌年の第45回直木賞候補となる。また同賞には1969年(昭和44年)の『紅葉山 富岡製糸場始末』も候補に推された(第62回)。
張 坰淳(チャン・ギョンスン、朝鮮語: 장경순、1922年ま… 張 坰淳(チャン・ギョンスン、朝鮮語: 장경순、1922年または1923年3月23日 - 2022年7月18日)は、大韓民国の政治家、陸軍軍人、柔道家(2004年9月より名誉十段)、実業家。第6・7・8・9・10代韓国国会議員、第6・7・8代国会副議長、元農林部長官。 本貫は仁同張氏。号は霞原 (ハウォン、하원)。 日本統治時代の朝鮮で全羅北道の金堤に生まれた。東洋大学専門部拓殖科卒業。全北中高等学校で体育教師を務めた後、陸軍士官学校(7期特別班)、陸軍大学を卒業した。その後、陸軍情報学校校長、陸軍本部教育処長、陸軍士官学校参謀長、国家再建最高会議最高委員、農林部長官、国家再建最高会議運営分科委員長を務めた。
塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10… 塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉9月19日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党から立候補し衆議院議員(11期)。この間財務大臣(第2代)、自治大臣(第42代)、国家公安委員会委員長(第52代)、内閣官房長官(第50代)、文部大臣(第108代)、運輸大臣(第52代)、自由民主党総務会長などを歴任。 財団法人国民政治協会(自民党の政治資金団体)会長、財団法人自由国民会議(同党の党友組織)所属。 その他、東洋大学総長、財団法人関西棋院理事長、特定非営利活動法人武士道協会理事長、『ベストヒット歌謡祭』(旧『全日本有線放送大賞』)実行委員会名誉会長なども務めた。
村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月… 村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月30日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、日本の国文学者・俳人。東洋大学短期大学名誉教授。 2921年、長野県小県郡丸子町(現上田市)で生まれた。ハルピン鉄道学院露語専修科でロシア語を学んだ。1944年から長野県および東京都にて小・中学校教諭として勤務。その一方で、東洋大学国文学科(二部)で学び、1962年に卒業。同大学大学院に進み、1967年に博士課程を満期退学。 東洋大学短期大学助教授に就いた。その後教授昇格。1987年、学位論文『曽良本『おくのほそ道』の研究』を東洋大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年、第12代東洋大学短期大学学長に就任。
高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 19… 高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 1998年)は、日蓮宗の僧、仏教学者。 大阪市西成区生まれ。大阪府立住吉中学校(現大阪府立住吉高等学校)卒業、東洋大学文学部仏教学科卒業。兵役をへて、1948年大谷学園教諭。1964年から1977年東大谷高等学校副校長、大谷女子短期大学教授などを務めた。日蓮本宗正福寺住職。個人誌『菩提樹』主宰。
西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983… 西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983年12月25日)は、劇作家、児童文学作家。 東京出身。別名・阿久津光。東洋大学文学部東洋文学科卒。在学中から斎田喬宅に下宿して児童向け台本、劇団テアトル・ピッコロの脚本を書き、20歳で児童劇集『花ひらく』を刊行。1946年NHK児童番組部嘱託。
斎藤 秋男(さいとう あきお、1917年6月18日 - 20… 斎藤 秋男(さいとう あきお、1917年6月18日 - 2000年3月19日)は、日本の中国思想学者、専修大学名誉教授。 1917年、東京で生まれた。東洋大学文学部中国哲学文学科で学び、1941年に卒業。1942年から敗戦まで兵役に就いた。 戦後は、1946年から1950年まで中国研究所に勤務。1950年、母校の東洋大学助教授となった。1953年、北海道大学助教授に就いた。1965年に専修大学助教授に転じ、後に教授昇格。1977年から1982年まで、社団法人・中国研究所代表理事、のち理事長を務めた。1988年に専修大学を定年退任し、名誉教授となった。 専門は中国思想史。同時代の知識人・教育者の陶行知のに関する著作が多い。
小林 一郎(こばやし いちろう、1916年〈大正5年〉9月1… 小林 一郎(こばやし いちろう、1916年〈大正5年〉9月10日 - 2009年〈平成11年〉4月11日)は、日本の国文学者。田山花袋研究の第一人者。東洋大学短期大学学長を務めた。 群馬県桐生市生まれ。旧制桐生中学校、二松学舎専門学校を経て、東洋大学文学部国文科卒業。 1975年、「田山花袋研究」で文学博士号取得(東洋大学)。伝記的、実証的研究によって田山花袋研究の基礎を作った。館林市田山花袋記念館顧問。花袋のほか、森鷗外・夏目漱石・川端康成・太宰治についての研究も行う。 2009年4月11日、心臓疾患のため92歳で死去。
金 益俊(キム・イクチュン、朝鮮語: 김익준/金益俊、191… 金 益俊(キム・イクチュン、朝鮮語: 김익준/金益俊、1916年1月16日 - 1984年6月18日)は、大韓民国の警察官僚、ジャーナリスト、大学教授、政治家。江原道警察局長、第7・9代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の平安北道宣川郡出身。培材中学校(朝鮮語版)を経て、1943年東洋大学専門部拓殖経済科卒。日本メートン(ペートン)・カレッジにて政治学博士取得。学徒義勇軍を組織し、隊長として出戦した。高麗大学校法科大学助教授・教授、ソウル大学校法科大学助教授・教授、治安局教育課長、警察専門学校校長、第8代江原道警察局長(1950年8月12日~1951年7月27日)、漢城日報論説委員、国家再建最高会議企画委員、培材中高校後援会長、東萊中央傷痍軍人静養院長、大韓陸上競技連盟理事長、世界大学奉仕会(英語版)韓国委員会理事、民主共和党中央常任委員・中央常任委員会宣伝分科委員長・ソウル市龍山区党委員長(1963年より)・院内副総務、亜細亜放送局理事、学生陸上競技連盟会長、極東放送理事、国際青少年指導委員会韓国東部理事長を務めた。
張 俊河(チャン・ジュナ、장준하、1915年または1918年… 張 俊河(チャン・ジュナ、장준하、1915年または1918年8月27日 - 1975年8月17日)は、大韓民国の政治家、官僚、ジャーナリスト、独立運動家、社会運動家、実業家。雑誌『思想界(朝鮮語版)』を創刊し、朴正煕政権下での言論面での抵抗に寄与した。日本名は張安俊河。 日本統治時代の朝鮮の平安北道朔州郡に牧師の長男として生まれる。父親が独立運動に関わっていたことから各地を転々とし、中学卒業後に日本へ留学。東洋大学予科を経て、長老派の日本神学校を卒業する。1944年1月20日に学徒出陣によって日本軍に入隊、創氏改名では「張安俊河」と名乗る。平壌駐屯の歩兵第41連隊補充隊(朝鮮第42部隊)で訓練を終えたのち2月から中国戦線に参加し、江蘇省徐州の第65師団輜重隊(専7991部隊)を経て同地の独立歩兵第58大隊(長:柄田節大佐)に配属されたが、同年7月7日に尹慶彬(朝鮮語版)、洪錫勳、金永祿とともに脱走、安徽省阜陽で別の部隊から先に脱走した学徒兵の金俊燁(朝鮮語版)と合流した後、中国中央軍官学校臨泉分校の朝鮮光復軍幹部訓練班に入隊し、国民政府軍へ入隊して準士官に任じられ、1945年1月31日には重慶に赴いて、大韓民国臨時政府の光復軍に加わり金九の秘書となった。
伊東 一夫(いとう かずお、1914年11月3日 - 200… 伊東 一夫(いとう かずお、1914年11月3日 - 2004年9月17日)は、日本近代文学研究者。主として島崎藤村や島木赤彦を研究し、島崎藤村学会会長、同名誉会長、島木赤彦研究会長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年、東洋大学文学部国文学科卒業、東洋大学文学部研究科に入学する。1941年、同文学部研究科を退学し、東洋大学文学部副手、冨山房の事務手伝い、日本文化協会研究員、旧制松本高等女学校(現・長野県松本蟻ヶ崎高等学校)教諭を兼職する。 1945年、長野県立諏訪中学校に転任。1956年、東洋大学文学部専任講師、1959年助教授、1969年教授。
池中 康雄(いけなか やすお、1914年 - 1992年3月… 池中 康雄(いけなか やすお、1914年 - 1992年3月14日)は、元マラソン選手、元日本陸上競技連盟オリンピック代表コーチ。大分県中津市出身で1935年にマラソンの世界記録を打ち立てている。 池中は旧制中津中学校(現在の大分県立中津南高等学校)を経て、1932年東洋大学専門部に入学と同時に東洋大学陸上競技部へ入部、その翌年に東洋大学は東京箱根間往復大学駅伝競走初出場を果たす。1935年には東洋大学予科へ入学、この年に池中は世界記録を樹立する。1937年3月文学部卒。1938年には東洋大学本科へ入学する。この間、箱根駅伝には1933年、1934年、1935年、1936年、1937年、1940年の合計6回出場を果たしている。