水地 宗明(みずち むねあき、1928年9月6日- 2022… 水地 宗明(みずち むねあき、1928年9月6日- 2022年)は、日本の哲学者。滋賀大学名誉教授。 1928年広島県呉市に生まれる。1953年京都大学文学部哲学科卒業。1958年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。田中美知太郎に師事。松山商科大学教授等を経て、1973年より滋賀大学教授。同大学で経済学部長・大学院経済学研究科長を務め、1994年に定年退任し名誉教授。同年より皇學館大学教授、1999年に退任。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
槇 文彦(まき ふみひこ、1928年〈昭和3年〉9月6日 -… 槇 文彦(まき ふみひこ、1928年〈昭和3年〉9月6日 - 2024年6月6日)は、日本の建築家(一級建築士)。位階は従四位、文化功労者。日本芸術院会員。 1928年(昭和3年)、東京都生まれ。母方の祖父は竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門。1941年(昭和16年)慶應義塾幼稚舎卒業。慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学工学部予科を中退し、建築学科のある東京大学工学部建築学科に入学、1952年(昭和27年)卒業。 丹下健三の研究室で外務省庁舎のコンペを担当した後、アメリカ合衆国に留学。クランブルック美術学院およびハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ハーバード大学院時代はホセ・ルイ・セルトのスタジオで学ぶ。
伊賀 隆(いが たかし、1928年9月6日 - 2013年2… 伊賀 隆(いが たかし、1928年9月6日 - 2013年2月19日)は、日本の経営数学者。 兵庫県神戸市出身。1946戦後第一番目に高等教育授業再開を許された県立神戸経済専門学校(1948神戸商科大学)に入学、先輩である置塩信雄に影響を受ける。1951年神戸商科大学経済学科卒、同助手となり、1953年講師、1958年助教授、1966年教授となる。1969年「ケインズ派および新古典派の動学的分配理論に関する研究」で神戸大学より経済学博士の学位を取得。1971年神戸大学経営学部教授、1991年定年退官、名誉教授、流通科学大学教授。1998-2003年学長を務めた。神戸大学経営学部経営学科では、現総理大臣高市早苗をゼミに迎え、教える。
荒居 英次(あらい えいじ、1927年9月6日 - 1981… 荒居 英次(あらい えいじ、1927年9月6日 - 1981年1月10日)は、日本の日本史学者。 東京市芝区(現港区)出身。1951年日本大学文学部史学科卒、1958年同大学院文学研究科博士課程修了。1968年「近世日本漁村史の研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。1961年日本大学文理学部講師、1964年助教授。1970年渡欧して近世海産物輸出に関する史料の収集などにあたる。1972年日大教授。1965年漁業経済学会賞、1977年「近世海産物貿易史の研究」で日本学士院賞受賞。近世漁業史専攻。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
青木 正則(あおき まさのり、1927年9月6日 - )は日… 青木 正則(あおき まさのり、1927年9月6日 - )は日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。王子製紙に所属した。 1952年のオスロオリンピックに出場し500mで12位、1500mで23位の成績を残した。 1950年の第19回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
星 新一(ほし しんいち、本名:星 親一、1926年〈大正1… 星 新一(ほし しんいち、本名:星 親一、1926年〈大正15年〉9月6日 - 1997年〈平成9年〉12月30日)は、日本の小説家、SF作家。 父は星薬科大学の創立者で星製薬の創業者・星一。森鷗外は母方の大伯父にあたる。本名の親一は父・一のモットー「親切第一」の略である(弟の名前の協一は「協力一致」の略)。父の死後、短期間星製薬の社長を務めたことがあり、日本の有名作家としては辻井喬こと堤清二と並んで稀有な東証一部上場企業(当時)の社長経験者である。 膨大な作品量でありながら、どの作品も質の高さを兼ね備えていたところから「ショートショート(掌編小説)の神様」と呼ばれているが、『明治・父・アメリカ』、父親や父の恩人花井卓蔵らを書いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』などのノンフィクション作品もある。
高崎 直道(たかさき じきどう、1926年(大正15年)9月… 高崎 直道(たかさき じきどう、1926年(大正15年)9月6日 - 2013年(平成25年)5月4日)は、日本の仏教学者・僧侶。東京大学名誉教授、鶴見大学名誉教授。 東京府出身。1950年東京大学文学部印度哲学科卒。大学院に進み、54年インド政府給費留学生としてプーナ大学(英語版)大学院に学び58年「宝性論の研究」で博士の学位を取得。駒澤大学助教授、1969年大阪大学文学部助教授、1976年東京大学文学部助教授、1977年同教授。 1972年「如来蔵思想の形成」で東京大学より文学博士の学位を取得。1975年同研究で日本学士院賞・恩賜賞受賞。85年曹洞宗静勝寺の住職。1987年東京大学を定年退官、名誉教授、鶴見大学教授、1992年学長。
遠丸 立(とおまる たつ、1926年9月6日 - 2009年… 遠丸 立(とおまる たつ、1926年9月6日 - 2009年12月30日)は日本の詩人、文芸評論家。本名は進 隆(すすむ たかし)。 妻は詩人の貞松瑩子。筆名の呼称は、かつて「とおまる りつ」、「とうまる たつ」、「とおまる たかし」、「とおまる りゅう」の4つの読み(=別名)があった。 福岡県出生。1955年 東京大学経済学部卒。1957年 明治大学大学院文学研究科修士課程了、日本文学専攻。 1961年から1993年まで、『方向感覚』同人、『未知と無知のあいだ』編集人を務めた。 1964年から1967年まで『犀』同人。 2009年、心筋梗塞のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮崎 蕗苳(みやざき ふき、1925年9月6日 - 2022… 宮崎 蕗苳(みやざき ふき、1925年9月6日 - 2022年1月20日)は、日本の華道家、歌人。柳原白蓮の長女。短歌結社「ことたま」を継承して主宰した。東京都出身。昭和天皇の又従兄妹。 1925年、柳原白蓮・宮崎龍介の長女として生まれた。父方の祖父、宮崎滔天(とうてん)は、清朝を倒した辛亥革命を指導した中国の革命家、孫文の盟友として知られる。国父である孫文の友人・滔天の孫として、5年に1度は辛亥革命の記念式典に国賓として招待され、歓迎された。父の龍介は1937年、日中戦争の和平工作のため、当時の首相、近衛文麿の命をうけ蒋介石への密使として派遣された。しかし途中で憲兵に拘束され、未遂に終わった(宮崎工作)。
竹中 正夫(たけなか まさお、1925年9月6日 - 200… 竹中 正夫(たけなか まさお、1925年9月6日 - 2006年8月17日)は、日本のキリスト教神学者、同志社大学名誉教授。 北京に生まれる。成城高等学校を経て、1944年、京都帝国大学経済学部入学後、学徒出陣。除隊後、復学し、1948年に卒業。同志社大学神学部に編入学し、1950年に卒業。イェール大学神学部大学院に留学し、1955年に神学博士。同志社大学助手、1956年、助教授、1961年教授。1962年ユニオン神学校訪問教授。1965年同志社大学神学部長。1996年、定年となり名誉教授、聖和大学教授。2005年にキリスト教功労者を受賞。同年11月に瑞宝中綬章を受章。
高橋 正治(たかはし しょうじ、1925年9月6日 - 19… 高橋 正治(たかはし しょうじ、1925年9月6日 - 1995年12月26日)は、日本の国文学者。元清泉女子大学文学部教授。また、駿台予備校の古文講師も担当。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
茶谷 周次郎(ちゃたに しゅうじろう、1925年9月6日 -… 茶谷 周次郎(ちゃたに しゅうじろう、1925年9月6日 - 1985年8月7日)は、日本の経営者。東洋紡績社長を務めた。 東京都出身。1947年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋紡績に入社。 営業畑をあゆみ、早くから「東洋紡のプリンス」として注目され、1972年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年11月に副社長に就任した。1983年7月には社長に昇格した。 営業で世界各国を歩き回った経験を生かして、1981年から1983年までに関西経済同友会代表幹事も務めた。 東洋紡のトップ、関西財界のホープとしての活躍が期待される中、1985年8月7日、心不全のために死去。59歳没。
手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 … 手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 - 2013年(平成25年)6月14日)は、日本の技術者、実業家、経営者、名誉博士、元スタンレー電気代表取締役社長。 1925年(大正14年)愛知県に生まれる。東京電機大学工学部第二部電気工学科卒業後、アイヒッツ研究所代表取締役社長、神奈川科学技術アカデミー研究顧問、公文教育研究会取締役、スタンレー電気技術研究所所長、スタンレー電気代表取締役社長を歴任。 液相式高輝度赤色LEDの開発・実用化やG.H型フルカラーLCD技術の開発・実用化の功績で知られる。 その他、大河内記念技術賞を2回受賞
川上 貢(かわかみ みつぐ、1924年9月6日 - 2012… 川上 貢(かわかみ みつぐ、1924年9月6日 - 2012年3月20日)は、日本の建築史家。京都大学名誉教授。主に鎌倉時代から室町時代にかけての貴族住宅の研究である『日本中世住宅の研究』によって、書院造に到る寝殿造の変遷を解き明かした。 1924年9月6日、大阪府大阪市に生まれた。1931年4月、東淀川区中津尋常高等小学校に入学。1936年、都島区都島小学校へ転校。1937年4月、大阪市立都島工業学校建築科に入学。しかし戦局の悪化にともなって1942年12月に繰り上げ卒業。 1943年4月、大阪理工科大学予科に進学。1945年4月、同学理工学部応用化学科に進学。しかし1946年3月に大阪理工科大学を退学し、京都帝国大学工学部建築学科に入学。
山本 信(やまもと まこと、1924年9月6日 - 2005… 山本 信(やまもと まこと、1924年9月6日 - 2005年)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。 大阪府堺市生まれ。1943年東京帝国大学文学部哲学科入学。1944年9月兵役のため休学、館山で敗戦、復学。1947年卒業、大学院に入学、1952年満期退学。1956年東京大学文学部助教授、1971年教授、文学部長を務め、1985年定年退官、東京女子大学文理学部教授。1992年同学長、1998年退任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
水野 惣平(みずの そうへい、1923年9月6日 - 198… 水野 惣平(みずの そうへい、1923年9月6日 - 1983年2月12日)は、日本の実業家。元アラビア石油社長。 実父は「アラビア太郎」・「満州太郎」あるいは「山師太郎」こと山下太郎、養父は「財界四天王」の一人として池田勇人を支えた水野成夫。 東京府立一中、旧制府立高等学校を経て、昭和23年、北海道大学理学部卒業。富国生命保険、日本開発銀行を経て、小林中事務所秘書役になる。昭和39年、富士石油専務、昭和43年、アラビア石油専務、46年、社長。社長就任わずか2年で同社会長となり、経団連理事に就任。 アップストリームからダウンストリーム・石油精製部門への進出や、昭和48年の石油ショック前、アラブ支持を打ち出すよう政府に要望する。
大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 -… 大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 - 2004年5月10日)は、日本の歴史学者。専門は近世日本史。学習院大学名誉教授。 近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。 愛媛県温泉郡正岡村(現松山市)出身で、1949年東京大学文学部国史学科を卒業。東京大学より文学博士の学位を取得。 文部省史料館(現国文学研究資料館)、 高崎短期大学、神奈川大学を経て、1963年学習院大学経済学部教授となり、1975年から1984年まで学習院大学史料館長を兼ね、1983年から1987年まで学習院大学経済学部学部長を2期務めた。
木口衛(きぐち まもる、1923年9月6日 - 2006年1… 木口衛(きぐち まもる、1923年9月6日 - 2006年12月22日)は、神戸市を拠点とするアパレルメーカーワールドの創業者。岡山県総社市出身。 名前の漢字は、正しくは「衞」。 1959年、ニット問屋の光商会(のちのエンパイヤー)を退社。光商会の後輩であった畑崎廣敏との二人三脚で、裸一貫からワールドを起こし、同社を有数の大企業に育て上げた立志伝中の人物として知られる。同社の初代社長を務め(このとき畑崎は専務となる)、1972年からは社長を畑崎に譲り自身は会長となった。長らくこの体制が続いたこともあり、「畑崎社長・木口会長」として知られることとなった。 1995年には相談役に就任し経営の第一線から退く一方で、1998年には私財を投じて『財団法人木口ひょうご地域振興財団』を設立し、同財団の理事長としても活躍した。
景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は… 景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は、国文学者。専攻は歌舞伎音楽・義太夫節を中心とする歌舞伎・人形浄瑠璃・邦楽。博士(文学)。元東洋大学文学部教授、(社)義太夫協会名誉会長、(財)日本舞踊振興財団評議員、(社)全日本郷土芸能協会顧問、国立劇場養成課講師(歌舞伎・長唄・鳴物・竹本研修生)。平成5年(1993年)11月、勲四等旭日小綬章を受章した。
坂田 民雄(さかた たみお、1921年〈大正10年〉9月6日… 坂田 民雄(さかた たみお、1921年〈大正10年〉9月6日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の物理学者。元東京理科大学教授。 兄は、湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした坂田昌一。 1921年9月、神戸にて誕生。1941年4月、大阪帝国大学理学部物理学科入学。1943年9月、同大学卒業後、阪大の菊池研究室にてサイクロトロンの研究に従事。 1943年11月、理化学研究所の仁科研究室にて原子爆弾製造研究(通称「二号研究」)に従事。1944年3月-4月、福井県鯖江連隊に入隊。1945年12月-1946年1月、仁科と共に長崎にて原爆被害状況の調査。 1948年、株式会社科学研究所設立(初代社長 仁科芳雄)時に入社、ペニシリンの研究に従事。
宇野 一(うの はじめ、1921年9月6日 - )は、日本の… 宇野 一(うの はじめ、1921年9月6日 - )は、日本の教育者、教育評論家。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部教育学科入学、1943年学徒出陣で仏印に従軍。敗戦後復学、1948年卒業。葛飾実践女学校、東京都立第九女子高校(定時制)高校、東京都立多摩高等学校、同福生分校教諭、1962年東京都立小松川高等学校定時制主事、1969年東京都立小山台高等学校教頭、東京都立竹早高等学校教頭、1975年東京都立南葛飾高等学校校長、東京都立江北高等学校校長。日本教職員組合、日本戦没学生記念会で活動した。
堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 202… 堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 2021年10月11日)は、日本の詩人。 山梨県東八代郡御代咲村(現笛吹市)生まれ。本姓・千葉。大妻専門学校卒。 22歳で甲府在住の千葉幸男と結婚するが、姑とあわず、3ヶ月で婚家を出て、夫を誘い東京に出て二人で生活する。 神保光太郎、深尾須磨子らの知遇を得て『四季』などに詩を発表する。詩誌『葡萄』発行人。中田喜直、田中隆司の作曲により歌曲となった作品も多数ある。 現代詩人会会員。101歳で死去。 夫の千葉幸男は、上野精養軒に勤め、社長、会長、のち相談役。
室井 鐵衛(むろい てつえ、1919年9月6日 - 2011… 室井 鐵衛(むろい てつえ、1919年9月6日 - 2011年4月5日)は、日本の商学者。元宣伝会議会長、東京国際大学教授。 米田清紀と並び、エリア・マーケティング研究の第一人者であった。商学博士。栃木県出身。 慶應義塾大学経済学部卒業後、時事通信社、中央調査社に勤務し、欧米の市場調査を日本に導入。その後、大広でマーケティング局長、常務取締役となり、広告の近代化と発展を牽引した。 実務の第一線から研究者に転じ、後年は千葉商科大学、東京国際大学大学院教授を務め、後進の育成に寄与した。 1993年から1999年まで株式会社宣伝会議取締役会長を務めた。 エリアマーケティングの第一人者で、長年にわたり広告マーケティング分野で活躍した。
河合 英一(かわい えいいち、1918年 <大正7年> 9月… 河合 英一(かわい えいいち、1918年 <大正7年> 9月6日 - 2004年 <平成16年> 2月3日)は、日本の銀行家。阿波銀行頭取、会長を務めた。位階は従五位。 愛知県豊橋市出身。1942年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年9月に日本銀行に入行。1970年5月に阿波銀行専務に就任し、1971年12月に副頭取を経て、1973年4月には頭取に就任。1986年6月に会長を経て、1994年6月には相談役に就任。 1980年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年2月3日肺炎のために死去。85歳没。死没日付をもって正七位から従五位に進階した。
水野 久一郎(みずの きゅういちろう、kyuichiro m… 水野 久一郎(みずの きゅういちろう、kyuichiro mizuno、1917年〈大正6年〉9月6日 - 2012年〈平成24年〉12月15日[要出典])は愛知学芸大学・愛知教育大学の音楽科教授および名誉教授。愛知県下の小中学校の校歌を作曲した。 名古屋市に生まれ、1941年(昭和16年)に東京音楽大学を卒業した。 愛知教育大学附属名古屋中学校の校歌の作曲もしており、同窓会誌にその時の様子が記載されている。 2017年の愛知教育大学の未来基金(教育研究基金)の記事では「故水野久一郎名誉教授の音楽に対する熱い思いでこの基金がある」と紹介されている。
石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2… 石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2007年10月10日)は、日本の女性政治家、看護師。自由民主党参議院議員(4期)。日本赤十字社富山県支部赤十字病院救護看護婦養成所卒業。石川県小松市出身。 救護看護婦養成所卒業後、看護師となり、戦後は厚生省国立病院課看護係長、国立がんセンター初代総婦長などを経て、1965年の参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選。5年後に自民党に入党。党内では福田赳夫→安倍晋太郎派に属し、1984年11月から1985年12月まで史上3人目の女性閣僚として第2次中曽根改造内閣の環境庁長官を務めた。 1986年4月の春の叙勲で勲七等から勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
宮武 正道(みやたけせいどう、1912年9月6日 - 19… 宮武 正道(みやたけせいどう、1912年9月6日 - 1944年8月16日)は、日本の言語研究者である。マレー語の専門家として知られる。大学の職は求めなかったものの、生家の経済力に支えられて一生を学問に費やし、自費出版を含む30冊以上の著書を出版した。正道(まさみち)と命名されたが、文筆活動に入る頃に同じ漢字で「せいどう」と名乗るようになった。 1912年、奈良県奈良市西御門町にて、製墨業を営む佐十郎、てるのもとに生まれる。奈良県師範学校附属の幼稚園、小学校を卒業したのち、1925年に奈良県立奈良中学校に入学。中学時代には、切手蒐集とエスペラントに熱中した。エスペラントは1年でマスターし、友人にも勧めていたという。
永田 正全(ながた まさはる、1912年9月6日 - 201… 永田 正全(ながた まさはる、1912年9月6日 - 2010年2月17日)は、日本の経営者。熊本県出身。 1938年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)に入社。1968年5月に取締役に就任し、1979年10月に副社長に就任。1986年6月に阪急不動産会長に就任。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2010年2月17日に死去。72歳没。
木村 宗男(きむら むねお、1911年9月6日 - 2005… 木村 宗男(きむら むねお、1911年9月6日 - 2005年)は、日本語教育の研究者、実践者。早稲田大学名誉教授。
八杉 龍一(やすぎ りゅういち、1911年〈明治44年〉9月… 八杉 龍一(やすぎ りゅういち、1911年〈明治44年〉9月6日 - 1997年〈平成9年〉10月27日)は、日本の生物学史家。東京工業大学教授、早稲田大学教授を歴任。 1911年、ロシア語学者の八杉貞利の子として東京に生まれた。東京帝国大学理学部動物学科を卒業。実験動物学から生物学史研究に研究テーマを広げた。1947年(昭和22年)、『自然科学』8月号にて「ルイセンコ学説について」を発表。日本国内でルイセンコ論争が盛んになる契機を作った。1962年(昭和37年)、東京工業大学教授に着任。1972年(昭和47年)、早稲田大学教授となった。
村岡晢(むらおか あきら/せき、1911年9月6日 - 19… 村岡晢(むらおか あきら/せき、1911年9月6日 - 1996年5月7日)は、日本の西洋史学者。早稲田大学名誉教授。ドイツ近代史。 1911年、村岡典嗣の長男として東京に生まれる。東北帝国大学文学部で学ぶ。1956年に「ランケ研究序説」を東京大学に提出して文学博士号を取得。山形大学助教授、早稲田大学教育学部教授。1981年に定年退官し、名誉教授となった。
黒柳 朝(くろやなぎ ちょう、1910年9月6日 - 200… 黒柳 朝(くろやなぎ ちょう、1910年9月6日 - 2006年8月16日)は、日本の随筆家である。タレントの黒柳徹子の母親。
金丸 吉生(かなまる よしお、1909年 <明治42年> 9… 金丸 吉生(かなまる よしお、1909年 <明治42年> 9月6日 - 1995年 <平成7年> 9月20日)は、日本の経営者、銀行家。百五銀行頭取を務めた。位階は正五位。 三重県鈴鹿市出身。1934年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1940年に百五銀行に入行。1955年10月に取締役に就任し、1957年10月に常務、1963年10月に専務を経て、1969年5月に副頭取に就任し、1977年11月に頭取に昇格。1991年6月に会長に就任。1987年6月から1995年6月までに近畿日本鉄道取締役を務めた。 1980年11月に勲五等瑞宝章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年9月20日心筋梗塞のために死去。
小崎 甲子(こさき かつこ、1908年9月6日 - 1997… 小崎 甲子(こさき かつこ、1908年9月6日 - 1997年2月17日)は、愛知県名古屋市出身の日本の柔道家。講道館五段。1932年(昭和7年)に大日本武徳会から、1933年(昭和8年)に講道館からそれぞれ初段を認められ、明治以降の近代柔道において女性として初めて黒帯を許された人物である。 小崎甲子は1908年(明治41年)、名古屋市中心部に位置する伊勢町(現在の中区丸の内)にて、美術商「清源堂」店主小崎天大(たかお)の次女として誕生した。幼少期から活発なお転婆娘として鳴らし、金城女学校在学中はテニス・ソフトボール・陸上競技と様々なスポーツに打ち込んだ。1925年(大正14年)に女学校を卒業後は実家の美術商にて家事手伝いの身となったが、家事や稽古事を習いつつ縁談を待つ、当時の子女の当たり前の人生を自分には合わないものと考えていた。
中村 盛太郎(なかむら もりたろう、1907年9月6日 - … 中村 盛太郎(なかむら もりたろう、1907年9月6日 - 没年不明)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。 東京都出身。1928年に東京商科大学商学専門部を卒業し、同年4月に住友銀行に入行。1962年5月に山之内製薬に転じ、同年8月に常務に就任し、1968年8月に副社長を経て、1974年8月には社長に就任した。1977年3月に会長を経て、1980年3月には相談役に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長谷川 三郎(はせがわ さぶろう、1906年(明治39年)9… 長谷川 三郎(はせがわ さぶろう、1906年(明治39年)9月6日 - 1957年(昭和32年)3月11日)は、日本の洋画家。数々の抽象絵画の作品を残した現代抽象絵画の先駆者である。 1906年、山口県豊浦郡長府町(現:下関市)に生まれる。1910年、兵庫県神戸市に転居。1918年、兵庫県芦屋市呉川町に転居。甲南中学校、旧制甲南高等学校を経て、1929年、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。渡米して画家活動を始める。新時代洋画展や自由美術家協会を設立する。1950年、イサム・ノグチを日本に紹介した。 1950年頃から拓本、木版、水墨の制作に専念する。1953年、日本アブストラクト・アート・クラブ設立。
国塩 耕一郎(國塩、くにしお こういちろう、1905年(明治… 国塩 耕一郎(國塩、くにしお こういちろう、1905年(明治38年)9月6日 - 1986年(昭和61年)6月7日)は、昭和期の内務・警察官僚、実業家。最後の官選茨城県知事、日本音楽著作権協会理事長。位階は正五位。 岡山県赤磐郡(後の山陽町、現在の赤磐市)で、国塩達太の長男として生まれる。静岡県立静岡中学校、第一高等学校を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年(昭和4年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し広島県属となる。 以後、地方警視・愛知県警察部保安課長を経て、1935年(昭和10年)8月、警視庁警視・保安課長に就任。警官音楽隊(警視庁音楽隊)を創設した。
平松 幹夫(ひらまつ みきお、1903年9月6日 - 199… 平松 幹夫(ひらまつ みきお、1903年9月6日 - 1996年5月8日)は、日本の英文学者、翻訳家。 東京生まれ。慶應義塾大学英文科卒。1926年より『三田文学』に小説や評論を発表。1927年より『三田文学』の編輯に当たるが病気のため、1978年に和木清三郎に交代。 藤原工業大学助教授、慶大工学部教授、1971年定年となる。岩波書店の『水上滝太郎全集』の編纂に当たる。戦後日本ペンクラブ理事。1953年、国際ペンクラブ大会に出席。日本翻訳家協会会長。東洋一の筆名を使った。
滝沢 英輔(瀧澤 - 、たきざわ えいすけ、1902年9月6… 滝沢 英輔(瀧澤 - 、たきざわ えいすけ、1902年9月6日 - 1965年11月29日)は、日本の映画監督、脚本家である。本名瀧澤 憲( - けん)名義で大正末期に脚本家としてスタート、俳優兼助監督として脚本も手がけ、「英輔」名義で監督となった。第二次世界大戦前の京都にかつて存在した脚本家集団「鳴滝組」に参加、映画史に名を残す。マキノ正博、山中貞雄との共同作業、戦後の女性映画・青春映画でも知られる。 1902年(明治35年)9月6日、東京市芝区三崎町(現在の港区三田4丁目)の葉茶屋の家に生まれる。3歳上の兄は映画監督の二川文太郎(本名・瀧澤吉之助)である。旧制東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)卒業後、新劇の研究をすべく劇研究会を組織した。
金子 文六(かねこ ぶんろく、1902年9月6日 - 199… 金子 文六(かねこ ぶんろく、1902年9月6日 - 1991年5月25日)は、日本の法学者・元裁判官・元外交官。専門は、民事手続法(民事訴訟法・民事執行法・民事保全法)。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 山梨県甲府市出身。山梨県立日川中学校(現・山梨県立日川高等学校)卒業。1926年高等文官試験司法科合格。1927年中央大学法学部卒業。司法官試補。1928年東京地方裁判所判事に就任。その後、福島地方裁判所判事、仙台地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事を経て、1936年中華民国南京日本総領事館領事に就任。1942年中華民国天津日本総領事館領事。1946年東京控訴院判事。1948年中央大学法学部教授。
中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6… 中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6日 - 1980年(昭和55年)9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県下益城郡松橋町長。 熊本県出身。中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第79連隊付となる。陸軍歩兵学校付などを経て、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業した。 1930年(昭和5年)8月、歩兵大尉に昇進し歩兵第79連隊中隊長に就任。参謀本部付勤務、参謀本部員、アメリカ駐在、中国駐在、アメリカ大使館付武官補佐官を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に昇進。
佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年〈明治29年〉9月6日… 佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年〈明治29年〉9月6日 - 1962年〈昭和37年〉4月24日)は、日本の政治家、弁護士。社会民衆党、社会革新党、民主社会党に属し、片山内閣では司法政務次官を務めた。 高知県高岡郡窪川町(現在の四万十町)に生まれる。窪川高等小学校を卒業後、窪川郵便局員、大連航路汽船の三等油差しなどに従事する。その後上京し、中央大学法科に学び弁護士試験に合格。24歳で弁護士として東京で開業したが、1923年(大正12年)、関東大震災のため高知市に帰り北奉公人町(現在の高知市上町)で再度開業した。 1929年(昭和4年)社会民衆党高知支部を結成および支部長となる。同年と1933年(昭和8年)に高知市会議員に当選した。
外山 修之(とやま よしゆき、1896年(明治29年)9月6… 外山 修之(とやま よしゆき、1896年(明治29年)9月6日 - 1980年(昭和55年)2月12日)は、日本の応用化学者。日本学士院会員、名古屋大学名誉教授、工学博士。油脂化学専攻。 東京府出身。1917年(大正6年)第一高等学校を卒業。1920年(大正9年)東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、農商務省工業試験所(現産業技術総合研究所)に入所。1940年(昭和15年)名古屋帝国大学の理工学部新設に伴い応用化学科主任教授に就任した。1960年(昭和35年)に退官し東洋大学工学部教授に就任した。 生前、1958年のノーベル化学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 1980年2月、胃癌により新宿区の慶應義塾大学病院で死去した(83歳)。
八木 あき(やぎ - 、1895年9月6日-1983年4月3… 八木 あき(やぎ - 、1895年9月6日-1983年4月30日)は日本の社会運動家。「八木秋子」のペンネームで活動した。
加藤 成之(かとう よしゆき、1893年(明治26年)9月6… 加藤 成之(かとう よしゆき、1893年(明治26年)9月6日 - 1969年(昭和44年)6月30日)は、大正から昭和期の音楽教育者、音楽学者、政治家、華族。貴族院男爵議員。日本での音楽史研究、音楽美学の開拓者の一人。 医師・加藤照麿の二男として東京で生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)11月2日、男爵を襲爵した。 1920年(大正9年)東京帝国大学文学部を卒業し、さらに同大学院を修了した。1922年(大正11年)から1924年(大正13年)までフランス、ドイツに留学する。帰国して、東京美術学校講師、東京高等音楽院講師、女子美術専門学校講師、東北帝国大学法文学部講師などを務めた。
川上 大造(かわかみ だいぞう、1892年(明治25年)9月… 川上 大造(かわかみ だいぞう、1892年(明治25年)9月6日 - 1950年(昭和25年)10月2日)は、日本の政治家。新潟県高田市(現・上越市)長。 旧高田藩士の家に生まれる。旧制高田中学校から第四高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学政治科卒。さらに1921年(大正10年)東京帝国大学法律科を卒業した。卒業後は帰郷し、高田市で弁護士事務所を開業した。1924年(大正13年)高田市学務委員に任じられ、同年暮れに高田市会議員に当選した。1931年(昭和6年)には新潟県会議員に当選し、1939年(昭和14年)には市会議長に就任した。 1945年(昭和20年)高田市長中川潤治が召集され、市長が空席となったため、市会は市会議長の川上を推薦し、5月30日に正式に就任した。
関 重広(せき しげひろ、1892年9月6日 - 1982年… 関 重広(せき しげひろ、1892年9月6日 - 1982年2月13日 )は、日本の電気工学者、社会事業家、工学博士、専門は照明工学。「照明の父」といわれる。 広島県出身(本籍は神奈川県小田原市)。海軍少将関重忠(1863-1945)の子。母は男爵渡辺清の娘文子(1872年生)。祖父は小田原藩士で、幕末の佐幕運動家関重麿。東京帝国大学工学部電気工学科卒業。母が早くに亡くなり、父の後妻として佐賀藩士から官僚になった西岡逾明(1835-1912)の娘・喜美子が入った。 東京芝浦電気(現・東芝)に入社し、日本で初めて蛍光灯照明を開発し、その実用化を成功させる。戦後、関東学院大学教授をつとめる傍ら、妻真理子の伯父石井亮一が創立し、実の伯母石井筆子が学園長をつとめた日本初の知的障害者教育・福祉施設滝乃川学園の理事長(第6代)に就任、13年間つとめた。
綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年〈明治23年〉9… 綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年〈明治23年〉9月6日 - 1972年〈昭和47年〉3月24日)は日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。衆議院議員(7期)、衆議院議長(第53代)、運輸大臣(第29・30代)。香川県出身(出生地および選挙区は大分県)。杵築市名誉市民。 戦前は立憲政友会に所属。1939年の政友会分裂に際しては正統派(久原房之助総裁)に与した。大政翼賛会発足による政党解消後は翼賛議員同盟、翼賛政治会、大日本政治会に所属した。 終戦後の1945年11月、旧日政会系の日本進歩党結党に参加。日政会を母胎にしたとはいえ進歩党所属議員の大半は政党解消以前は立憲民政党・政友会革新派・政友会統一派に所属しており、政友会正統派に所属していた議員で進歩党結党に参加した者は綾部以外では猪野毛利栄、西川貞一、依光好秋、高畠亀太郎、中井一夫、三善信房の6名のみである。
及川 恒忠(おいかわ つねただ、1890年〈明治23年〉9月… 及川 恒忠(おいかわ つねただ、1890年〈明治23年〉9月6日 - 1959年〈昭和34年〉1月10日)は、大正・昭和の中国政治史学者・中国経済学者・翻訳家。慶応義塾大学法学部教授(後に部長)であり、私立武蔵高等工科学校(現在の東京都市大学)創立にも関わった。 本籍は岩手県花巻市だが、当時の住所であった東京市荏原郡駒沢町上鳥に生まれる。祖先には、花巻で儒学の学問所「豊水亭」を開いた及川華山(祐忠)がいる。 1908年(明治41年)3月、宮城県立仙台第二中学校を卒業、翌月に慶應義塾大学部予科第一学年に入学した。1913年(大正2年)3月に慶應義塾大学部政治科を卒業、翌月、そのまま同大学の助手となった。
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年〈明治22年〉9月… 相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年〈明治22年〉9月6日 - 1936年〈昭和11年〉7月3日)は、日本の陸軍軍人、剣道家。最終階級は陸軍歩兵中佐。皇道派将校として教育総監真崎甚三郎更迭に憤激し、統制派の軍務局長永田鉄山を殺害した相沢事件の犯人。 1889年(明治22年)9月6日、旧仙台藩士で裁判所書記、公証人となる相沢兵之助とまき子の長男として福島県西白河郡白河町(現白河市)に生まれる(本籍は宮城県仙台市東六番町1番地)。旧制一関中学校(現岩手県立一関第一高等学校)を経て、仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を卒業する。陸軍士官学校に入り、1910年(明治43年)5月28日に卒業する(第22期)。