藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 20… 藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。 父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事。石田波郷に兄事。1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。
川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)… 川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)1月11日 - 2010年(平成22年)8月23日)はアニメーション作家、人形作家。東京都出身。勲四等旭日小綬章(1995年受章)。日本アニメーション協会会長(1996年~2010年)。日本アニメーション協会名誉会長。日本を代表する人形アニメ監督。
合田昌文(ごうだ まさぶみ、1925年1月11日 - )は日… 合田昌文(ごうだ まさぶみ、1925年1月11日 - )は日本の大蔵官僚。金沢国税局長、宇宙開発事業団理事などを務めた。 愛媛県出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1952年8月 東住吉税務署長。1953年10月 金沢国税局総務部総務課長。 1964年7月 福岡国税局総務部長。1965年7月 日本鉄道建設公団参事兼経理部経理課長。1967年8月 関東信越国税局総務部長。1970年5月 国税不服審判所部長兼審判官。同年12月1日 金沢国税局長。1972年7月 退官。同年7月 小規模企業共済事業団理事。1974年 山村硝子専務。1978年 宇宙開発事業団理事。
増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月… 増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2016年〈平成28年〉4月1日)は、日本の溶接研究者、工学者。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は溶接。2016年現在、同大学では唯一の日本人終身待遇名誉教授である。 北海道小樽市生まれ。その後、栃木県足利市に転居。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学第一工学部船舶工学科卒業。1959年東京大学より工学博士号を授与される。米国バッテル研究所勤務を経て、マサチューセッツ工科大学工学部船舶工学科準教授。その後、1971年に教授に昇格。1973年にアメリカ国籍取得。 ボストン日本人会会長、三井造船技術顧問、神鋼商事技術顧問、川崎重工業技術顧問、日本大学客員教授、徳島文理大学客員教授などを歴任する。
猪瀬 敏弘(いのせ としひろ、1924年〈大正13年〉1月1… 猪瀬 敏弘(いのせ としひろ、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉8月12日)は、日本の実業家。中田大三とともに神戸電鉄グループの発展に尽力した。 1924年(大正13年)1月11日、福島県生まれ。1944年(昭和19年)高知市立高知商業高等学校を卒業。 京都帝国大学へ入学するも中退し、1947年(昭和22年)神有三木電気鉄道(現:神戸電鉄)に入社する。1964年(昭和39年)6月より秘書室長を経て、1970年(昭和45年)6月神鉄観光の取締役に就任。 1976年(昭和51年)6月より神戸電鉄の経理部長に就任、1979年(昭和54年)からは取締役に就任した。1985年(昭和60年)6月より神戸電鉄の代表取締役常務に就任。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
渡部 忠世(わたべ ただよ、1924年1月11日 - 202… 渡部 忠世(わたべ ただよ、1924年1月11日 - 2024年3月18日)は、日本の農学者、京都大学名誉教授。専攻は作物学。 神奈川県生まれ。1949年京都大学農学部卒業。1962年「 [ロク]化現象を中心とするモチ玄米の特性に関する研究」で農学博士の学位を取得。西京大学農学部講師、京都府立大学助教授、1968年鳥取大学農学部助教授、1972年京都大学農学部助教授、教授、京都大学東南アジア研究センター所長、1987年定年退官、名誉教授、放送大学教養学部教授。農耕文化研究振興会代表。 アジアの米や稲作についての調査・研究を行ってきた経験から、日本の農業の衰退に警鐘を鳴らし続けている。 2024年3月18日午後8時半、老衰のため死去。
伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈… 伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈大正11年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉1月31日)は、日本の建築史家・建築評論家・作家。学位は、工学博士。日本の民家研究を行った。 工学院大学学長および理事長。ワシントン大学客員教授、文化財保護審議会委員、文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任。 岐阜県安八郡北杭瀬村(現・大垣市)生まれ。旧制大垣中学校を卒業し、第四高等学校に入学。1942年に同校を卒業し、東京帝国大学第二工学部建築学科に進学。1945年に卒業後、東京大学第二工学部大学院で関野克に師事。同大学副手・助手になるが肺結核が悪化し、7年間の入院生活を強いられる。
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月… 安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月11日 - 1998年(平成10年)2月1日)は、昭和から平成時代の政治家。岐阜県瑞浪市長。 岐阜県出身。1946年(昭和21年)岐阜農林専門学校卒業。 1946年(昭和21年)土岐郡日吉村農地調査会書記、1963年(昭和38年)瑞浪市総務課長、1975年(昭和50年)総務部長、1977年(昭和52年)収入役、1980年(昭和55年)助役を経て、1987年(昭和62年)7月、瑞浪市長に無投票で当選した。 2期務め、1995年(平成7年)7月に引退した。
船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日… 船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の政治家。医師。医学博士。栃木県小山市長(3期)。 栃木県下都賀郡豊田村(のち美田村、現・小山市)卒島出身。1944年、東北帝国大学専門部卒。卒業後は軍医として台湾に赴任する。戦後、帰国し、小山市で開業した。1988年、小山市長選挙に立候補し初当選。1992年と1996年は無投票当選。市長を3期務めた。2021年2月15日、老衰のため死去、99歳。死没日をもって正八位から従五位に叙される。
高村 暢児(たかむら ちょうじ、1922年1月11日 - 1… 高村 暢児(たかむら ちょうじ、1922年1月11日 - 1998年10月18日)は、日本の著作家。 奈良県生まれ。本姓・篁。明治大学卒。産経新聞社に入社し、1958年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。22年の記者生活を送った後に作家に転身。
波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月1… 波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月11日-平成27年(2015年)10月25日 )は、日本の建築家。都市計画家。都市研究者。波多江健郎建築研究所を主宰。工学院大学名誉教授。社団法人大都市圏研究開発協会「リバーブル21東京」研究委員会委員長。 東京生まれ。1948年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。日本放送協会NHK建築部勤務を経て1952年渡米し米国ワシントン州立大学建築学部を卒業し米国建築学士修得。その後ハーバード大学デザイン大学院にて修士課程を修了し米国建築修士修得。大学院在学中にボストンやニューヨーク・タイムズスクエアエリア、スプリングフィールドなどの中心市街地の都市再開発に携わる。
脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 200… 脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 2008年10月24日)は、日本の宗教学者、東京大学名誉教授(文学部)。 岡山県生まれ。1944年東京帝国大学文学部宗教学科卒業。 立教大学助教授を経て、1964年東京大学文学部助教授(宗教学)就任、70年教授に昇任、81年に定年退官し名誉教授、駒澤大学教授、国際宗教学研究所理事長。 1989年に紫綬褒章受章。94年秋、勲三等瑞宝章受勲。
江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2… 江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2009年6月3日)は、日本の法曹。検事総長。弁護士。 富山県魚津市出身。旧制富山高等学校を経て、1943年東京帝国大学法学部卒。東京地検総務部長、札幌地検検事正、東京高検検事長などを歴任し、1983年12月から2年間、検事総長。 財田川事件、松山事件の再審無罪判決に対し、控訴見送りを指示した。1976年のロッキード事件では最高検検事として捜査。1979年のダグラス・グラマン事件では、東京地検検事正として捜査を指揮した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 20… 土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 2005年5月15日)は、日本の伝記作家。 東京生まれ。第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業。学徒出陣の一員で武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。第二海軍衣糧廠(姫路市)被服部材成部員付兼運輸主任として勤務。1945年(昭和20年)9月に主計中尉に進み、同年10月、予備役に編入され解員(復員)。 戦後は実業界で、テキスタイル・コンサルティング代表取締役等を務めた。 軍艦奉行・木村摂津守(木村芥舟)の従者として咸臨丸に搭乗し、太平洋を渡り渡米した長尾幸作の曾孫で、その航海日誌『鴻目魁耳』を手がかりに、『咸臨丸海を渡る』を著し、1994年に和辻哲郎文化賞受賞。
中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2… 中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2011年10月13日)は、日本の児童文学作家、児童文化研究者。財団法人大阪国際児童文学館特別顧問、京都女子大学名誉教授、大阪府立国際児童文学館名誉館長。 京都女子大学教授、日本児童文学学会会長、日本保育学会理事、大阪府立国際児童文学館館長、財団法人大阪国際児童文学館理事長などを歴任した。 奈良県出身。生家は寺院であり、その長男として誕生した。早熟であり、中学生にして習作を手がけるなど、幼いころから創作活動に取り組んでいた。その結果、18歳にして自らの作品で原稿料を得ていた。1949年、龍谷大学文学部国文学科を卒業した。 1949年より京都女子大学に勤務し、同教授を経て、大阪府立国際児童文学館の館長を務めた。
宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 … 宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。本名は永松 英策。最高位は十両9枚目。 大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)出身。立浪部屋に入門し、1938年5月本名の「永松」で初土俵を踏む。同郷で部屋の横綱双葉山が独立し、双葉山道場(のち時津風部屋)を興すと移籍した。1943年5月で十両に昇進したが、一度も勝ち越すことなく最後の十両だった1947年5月で廃業した。
稲川 豪一(いながわ ごういち、1920年1月11日 - 没… 稲川 豪一(いながわ ごういち、1920年1月11日 - 没年不明)は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手。稲川東一郎は実兄。 桐生中学校から全桐生を経て、1950年に東急フライヤーズへ入団。同年で退団し、その後は大昭和でプレーした。
大谷 隆三(おおたに りゅうぞう、1919年1月11日 - … 大谷 隆三(おおたに りゅうぞう、1919年1月11日 - 2000年2月23日)は、松竹株式会社社長。同社創業者の子。放火事件を起こし退任した。 松竹創業者大谷竹次郎の次男。1941年、慶應義塾大学経済学部卒業後、松竹に入社。1971年から1984年まで社長を務めた。妻の道子は大谷光瑩の孫(庶子瑩韶の娘)。 1971年に妻を亡くして以来、アルコール依存症となり、1984年2月8日、長男の信義に飲酒に出かけようとしたところを窘められ、激昂して東京都品川区東五反田の自宅に灯油をまいて放火した。この結果、荷物を取りに戻ろうとした住み込みの手伝いの女性が焼死した。 隆三は建造物放火容疑で逮捕起訴され、松沢病院に入院、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受ける。
天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007… 天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007年11月9日)は、日本の小説家、推理作家、数学者(解析学)、大阪教育大学名誉教授。本名中村 正弘。 別筆名に「高天原 アリサ」「青山 狂介」がある。 東京生まれ。東北帝国大学数学科卒業。 1947年、探偵小説雑誌『宝石』2・3月合併号(岩谷書店)掲載の短編「不思議な国の犯罪」(後に「不思議の国の犯罪」に改題)でデビュー。摩耶正を探偵役とした密室ものの作品を発表し、寡作ながらも学者独特の観察眼からの作品は人気が高い。 1955年に長編「圷家殺人事件」執筆後、長らく作品がなかったが、1975年に復活。アリバイを重視した島崎警部を探偵役とした作品を発表した。
一渡 明(いちわたり あきら、1918年1月11日 - 19… 一渡 明(いちわたり あきら、1918年1月11日 - 1974年12月9日)は、現在の千葉県我孫子市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は渡辺 明。164cm、102kg。最高位は東前頭18枚目。 1933年5月初土俵、1937年1月十両昇進。1939年1月新入幕したが、1943年5月に若くして廃業。その後は食堂を経営したが、交通事故が原因で店をたたみ旅館を経営していたが後遺症で死亡した。
相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - … 相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - 没年不明)は、神奈川県津久井郡(現相模原市緑区)出身で出羽海部屋に所属した昭和年間の元大相撲力士。本名は橋本 信男(はしもと のぶお)。最高位は西十両2枚目。得意技は左四つ、寄り。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1942年5月場所に十両に昇進。立ち合いに相手の懐に飛び込んで鋭い出足を生かし、左を差して一気に出る颯爽な取り口が持ち味だった。しかし、腰が軽く四つに組まれて出足を止められると、攻め手がなく苦戦した。十両4場所目の1944年1月場所、13勝2敗の好成績を挙げた(十両優勝は上位の九州錦)。翌5月場所は自己最高位となる西十両2枚目まで上がるが、3勝7敗と負け越し、11月場所は全休し、この場所限りで廃業した。
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 199… 加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。 紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日… 津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日 - 生死不明)は、日本の女優、声優である。本名は河原 道子(旧姓:津島)。旧芸名は草加 マキ(くさか まき)。 1917年(大正6年)1月11日、岡山県岡山市に生まれる。 大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を卒業後、女優を志し、1935年(昭和10年)9月に組織された大阪協同劇団の研究生となる。芸名を「草加 マキ」と名乗り、翌1936年(昭和11年)6月に北陽演舞場で初舞台を踏む。同劇団には、他に海老江寛、瀬良明、谷晃、木下ゆず子らが所属していた。1940年(昭和15年)、大阪協同劇団は強制的に解散を余儀なくされ、津島は1942年(昭和17年)にNHK大阪放送劇団に加入する。
日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年〈大正6年〉1月11… 日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年〈大正6年〉1月11日 - 2018年〈平成30年〉6月7日)は、日本の社会学者。戦後の進歩的文化人の一人。英文学者日高八郎の兄。 1917年に中国の青島市に生まれる。東京高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部社会学科に進学し、1941年、卒業論文「個人と社会」をまとめ、卒業。尾高邦雄の教え子。 陸軍に召集されるが肺炎のため4か月で除隊。その後、東京帝国大学文学部助手になり、1944年の秋から海軍技術研究所の嘱託として政治情勢の調査研究に携わった。 戦後は東京大学新聞研究所助教授になり文学部社会学科の兼任を経て、1960年に新聞研究所教授となる。ベトナム戦争に反対し脱走米兵を援助する運動に参加して自宅で脱走兵を匿った。
玉井 祐吉(たまい ゆうきち、1915年(大正4年)1月11… 玉井 祐吉(たまい ゆうきち、1915年(大正4年)1月11日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 日本曹達社員、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)社員を経て東山炭礦所長に就任。その後、農民運動、労働運動に加わり日本農民組合青年部、同新潟県連執行委員長、日本社会党新潟支部青年部長を務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で新潟県第2区に日本社会党公認で出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で労働者農民党公認で出馬して再選されたが、選挙区内の中蒲原郡七谷村での選挙が無効となり、1950年(昭和25年)10月に再選挙が行われ改めて当選が確定し、衆議院議員に連続2期在任した。
李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11… 李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11日 - 1959年9月2日)は、日本統治時代の朝鮮、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の実業家、警察官僚、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清北道清原郡出身。清州公立高等普通学校を卒業後、1937年に同志社大学法学部経済学科卒。光復後は米軍政庁警務部官房勤務を経て、行政官補官房庶務課長、監察官、総警補官房長、第1管区警察庁副庁長(1947年8月より)、制憲国会議員、国会内務治安委員会委員、無所属議員からなる国策研究会メンバー、国会治安・民政視察団(慶尚道)メンバーを務めた。1949年9月に民主国民党に入党し、1950年4月に趙炳玉を次期国務総理に推薦したが、朝鮮戦争中の1950年7月2日にソウルで北朝鮮に拉致され、西大門刑務所に収容された。
木田 三千雄(きだ みちお、1912年〈明治45年〉1月11… 木田 三千雄(きだ みちお、1912年〈明治45年〉1月11日 - 1994年〈平成6年〉7月29日)は、日本の俳優。本名は同じ。 青森県黒石市出生、北海道出身。エヌ・エー・シーに所属していた。 札幌レビュー団を皮切りに早川雪洲一座、水谷八重子芸術座、森川信一座など数々の劇団を渡り歩いた。 テレビ進出後は温かみのあるキャラクターでお茶の間の人気を得た。 1992年に芸団協から芸能功労者表彰を受ける。 1994年に、東京都杉並区、荻窪病院で、肝臓ガンのため死去。82歳没。 特技は乗馬、東北弁。
佐藤 重夫(さとう しげお、1912年1月11日 - 200… 佐藤 重夫(さとう しげお、1912年1月11日 - 2003年11月23日)は、日本の建築家。建築史家。広島大学名誉教授。専門は建築意匠設計と建築史。広島県と岡山県の文化財保護審議会委員を歴任。日本民俗建築学会には佐藤重夫賞が設けられている。 1912年、岡山県都窪郡早島町で生まれた。旧制第六高等学校を卒業し、1931年に東京帝国大学工学部建築科に進学。1934年に卒業。 卒業後は渡辺仁建築事務所に勤務。1940年、逓信省航空局に勤務。以降、厚生省保健院、逓信省営繕課、防衛通信施設局、西部逓信総局、広島逓信局に勤務した。1947年から1950年、独立して建築設計事務所を運営し岡山市の復興に携わった。
大呂 甚衛(おおろ じんえ、明治45年(1912年)1月11… 大呂 甚衛(おおろ じんえ、明治45年(1912年)1月11日 - 没年不明)は日本の素封家、政治家。元智頭町会議員。林業。岡田商店の元社長岡田端の義父。 鳥取県八頭郡山形村大呂(現智頭町)出身。日大法科卒業。 広大なる山林を領有しその保全に専念、傍ら多くの公職を兼任。農協役員、神社庁八頭郡氏子総代、智頭町会議員、八頭郡小学校PTA連合会長、地方教育委員八頭連絡協議会長等を歴任。 趣味は読書。宗教は黒住教。住所は鳥取県八頭郡智頭町字大呂。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月1… 鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月11日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 郵政大臣(第15代)、内閣官房長官(第26代)、厚生大臣(第42代)、自由民主党総務会長(第15・17・23代)、農林大臣(第48代)、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)などを歴任した。 岩手県下閉伊郡山田町で、アワビ、スルメ漁、水産加工業を営む網元の家に生まれた。鈴木家は屋号「黒米屋」と呼ばれる米屋も兼ねていた。父の善五郎は日露戦争に従軍した際の戦傷で漁に出られなくなったこともあり、男手の無かった妻・ヒサの実家の商売を切り盛りしていた。
草野 信男(くさの のぶお、1910年〈明治43年〉1月11… 草野 信男(くさの のぶお、1910年〈明治43年〉1月11日 - 2002年〈平成14年〉5月14日)は、日本の病理学者。原爆投下直後の広島を調査し、「放射能におかされた骨髄に対して医学は無力である」、そうだとすれば「この爆弾に対する対策は世界人類の良心にゆだねるほかに道はない」と考え、その後原水爆禁止運動に参加、原水爆禁止日本協議会(原水協)理事長、代表委員を務めた。 東京都出身。東京帝国大学卒業。1940年東京帝国大学附属伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)に入り、1949年 東京大学 医学博士 博士論文は 「インフルエンザ、ヴィールスによる廿日鼡の肺病変の組織病理學的研究」。 1962年教授。
伊藤 武雄(いとう たけお、1909年(明治42年)1月11… 伊藤 武雄(いとう たけお、1909年(明治42年)1月11日 - 1977年(昭和52年)9月16日)は、日本のドイツ文学者。 大阪府大阪市生まれ。1921年大阪市浪速区難波立葉尋常小学校卒業、1925年大阪府立市岡中学校4年修了、1928年第三高等学校文科乙類卒業、1931年東京帝国大学文学部独文科卒業。 1933年に宇都宮高等農林学校非常勤講師に就いたのを皮切りに、1934年に第八高等学校専任講師、1935年教授に就任し、1948年に名古屋大学に転じて文学部助教授、1958年教授に就任した。 1959年「ケラー叙事文学の研究」で名大文学博士。同著で中日文化賞受賞。1972年に定年で退官した後は名誉教授となった。
矢本貞幹(やもと ただよし、1909年1月11日 - 199… 矢本貞幹(やもと ただよし、1909年1月11日 - 1990年11月25日)は、日本の英文学・比較文学者。 岐阜県出身。1933年東北帝国大学文学部英文科卒。1949年大阪大学文学部助教授、1956年関西学院大学助教授、教授、70年「エリザベス朝文学論」で関西学院大文学博士。77年定年、名誉教授、梅光女学院大学教授。85年退任。 専門は英文学(エリザベス朝、批評)だが、夏目漱石などの比較文学研究もおこなった。
斎藤 寿夫(齋藤 壽夫、さいとう としお、1908年1月11… 斎藤 寿夫(齋藤 壽夫、さいとう としお、1908年1月11日 - 1999年5月24日)は、昭和期の政治家、官僚。静岡県知事(公選第2 - 5代)。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 現在の静岡県富士市に、大地主の長男として生まれる。旧制静岡高等学校を経て、1933年京都帝国大学法学部を卒業。学生時代は河上肇の講義に親しみ、学究の道を志していたが、滝川事件を機に官吏へと志望を変更し、1934年高等文官試験に合格、内務省に入省。 厚生省引揚援護局指導課長、静岡県民生部長、同総務部長を経て、1951年静岡県知事小林武治との政争の末自由党の公認取り付けに成功、同県知事選に立候補し当選を果たす。
上石 巌(あげいし いわお、1908年1月11日 - 199… 上石 巌(あげいし いわお、1908年1月11日 - 1991年6月12日)は、新潟県高田市(現・上越市)出身のクロスカントリースキー選手。 高田師範学校(現上越教育大学) → 高田フラタナル 1929年の第7回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人40kmで優勝。1931年の同大会でもクロスカントリースキー個人50kmを制し、1932年レークプラシッドオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、クロスカントリースキー個人耐久(50km)に出場し、ストックを破損するトラブルに遭いながらも、17位の成績を残した。 引退後は樺太で指導者として活躍。戦後は全日本スキー連盟理事・評議員、新潟県スキー連盟会長などを歴任した。
山岡 荘八(やまおか そうはち、1907年(明治40年)1月… 山岡 荘八(やまおか そうはち、1907年(明治40年)1月11日 - 1978年(昭和53年)9月30日)は、日本の小説家。位階は従四位。 歴史小説を中心に活躍。本名は藤野庄蔵(ふじの しょうぞう)。『徳川家康』により第2回吉川英治文学賞を受賞。日本を守る会の代表委員を務めた。 自由党元衆議院議員の山岡賢次は養子。立憲民主党衆議院議員の山岡達丸は孫。 新潟県北魚沼郡小出町大字佐梨(現:魚沼市佐梨)の山内家に生まれる。1920年11月3日、高等小学校2年次に中退し上京。神田区中猿楽町(現・千代田区神田猿楽町)の平賀印刷所で働き始める。その後、母方の親戚である博文館印刷所に移り、文選工として働きつつ逓信省の研修所に学ぶ。
柴田 實(しばた みのる、1906年1月11日 - 1997… 柴田 實(しばた みのる、1906年1月11日 - 1997年3月16日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。 1906年、京都市下京区で生まれた。京都府立第一中学校を経て、第三高等学校に進学。1925年に卒業し、京都帝国大学文学部史学科に入学。三浦周行、西田直二郎の指導を受け、1930年に卒業。 1930年、京都帝国大学文学部副手に採用された。1932年に助手昇格。 1946年に助教授昇格。1950年、京都大学分校(後の教養部)教授に昇格。1963年から1965年まで京都大学教養部長をつとめた。1969年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。同1969年4月より関西大学文学部教授。1970年からは財団法人元興寺仏教民俗資料研究所人文科学室長をつとめた。
大橋 勝夫(おおはし かつお、1905年(明治38年)1月1… 大橋 勝夫(おおはし かつお、1905年(明治38年)1月11日 - 1945年(昭和20年)7月16日)は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争において四艦の潜水艦長を歴任し、交通破壊戦に戦果を挙げた。その一方で漂流していた連合国将兵を攻撃せず、戦後になってこの大橋の行為が明らかとなった。神龍特別攻撃隊を構成した「伊13」潜水艦長として戦死し、一階級昇進により最終階級は海軍大佐。 大橋は三重県出身で、横須賀中学校を経て海軍兵学校に入校した。1925年(大正14年)に卒業した(53期)の同期生には海軍青年士官運動の中心人物である藤井斉がおり、他の10名が特別高等警察作成のブラックリストに掲載されているが、大橋の名はない。
駒井和愛(こまい かずちか、1905年1月11日 - 197… 駒井和愛(こまい かずちか、1905年1月11日 - 1971年11月22日)は、日本の考古学者。東アジアの考古学で多大な功績をあげた。 1905年、富山県生まれ。早稲田大学を卒業。1927年より東京帝国大学副手となり、原田淑人の指導を受け、1928年から1944年まで中国大陸の考古学的調査と研究に従事する。1928年には北京大学に留学し、馬衛教授のもとで金石学を修めて、1938年に東京帝国大学文学部講師、東方文化学院研究員となった。 1934年には立教大学文学部教授を兼務し、1945年まで同大学で考古学を講じた。立教大学で教えていた当時、駒込林町(現・文京区千駄木)に自宅があった。 1945年に東京帝国大学文学部考古学科助教授となり、1946年「鏡鑑を主材として考察したる六朝以前の文化」を東大に提出して文学博士号を取得。
聴濤 克巳(きくなみ かつみ、1904年(明治37年)1月1… 聴濤 克巳(きくなみ かつみ、1904年(明治37年)1月11日 - 1965年(昭和40年)8月30日)は日本のジャーナリスト、労働運動家。息子は元参議院議員の聴濤弘。 香川県生まれ。関西学院大学卒業後、朝日新聞社に入社。朝日新聞記者として論説委員などを歴任。戦後の1945年に日本共産党入党。朝日新聞労働組合委員長(初代)にも就任した。1946年には全日本新聞通信労働組合委員長(初代)と全日本産業別労働組合会議(産別会議)議長(初代)に就任した。 二・一ゼネストでは伊井弥四郎とともに最高責任者の1人になったが、1947年1月20日に右翼団体・新鋭大衆党による襲撃を受け全治1ヶ月の重傷を負った。
渡辺 要(わたなべ かなめ、1902年1月11日 - 197… 渡辺 要(わたなべ かなめ、1902年1月11日 - 1971年8月21日)は、日本の建築学者。
難波 経一(なんば つねかず、1901年1月11日-1986… 難波 経一(なんば つねかず、1901年1月11日-1986年2月22日)は、大正・昭和期の官僚、実業家。東京府出身。妻直子は男爵岩倉道倶の二女、岩倉具視の孫娘である。
荻野 貞行(おぎの さだゆき、1901年1月11日 - 19… 荻野 貞行(おぎの さだゆき、1901年1月11日 - 1979年10月4日)は、日本のプロボクサー。日本プロボクシング草創期の強豪。技巧派の名選手であり、後には指導者としても活躍するなど、ボクシング界に対する幾多の貢献から、“日本ボクシングの母”とも呼ばれる。初代日本ジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)チャンピオン。帝拳プロモーション創設者。 群馬県甘楽郡富岡町(現・富岡市)の出身。父は荻野卓造。1922年(大正11年)、立教大学在学中に創設間もない渡辺勇次郎率いる日本拳闘倶楽部に入りボクシングを学び、同年、日本拳闘倶楽部公認の日本ジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)チャンピオンとなった。
横田 正俊(よこた まさとし、1899年〈明治32年〉1月1… 横田 正俊(よこた まさとし、1899年〈明治32年〉1月11日 - 1984年〈昭和59年〉7月1日)は、日本の裁判官。第4代最高裁判所長官を務めた。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。なお、前任の最高裁判所長官横田喜三郎と同姓だが、縁戚関係はない。 1925年(大正14年)4月から裁判官生活に入り、東京地裁判事、東京控訴院判事等を務め、1943年(昭和18年)3月に甲府地裁所長に就任。戦後、司法省臨時企画部長に就任。1946年に大審院判事。1947年(昭和22年)7月に公正取引委員会委員その後1952年(昭和27年)2月に同委員長に任命され1958年(昭和33年)3月に退任するまで、通算10年8か月にわたり公正取引委員会に在職した。
福島 久作(ふくしま きゅうさく、1898年1月11日 - … 福島 久作(ふくしま きゅうさく、1898年1月11日 - 1990年11月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1898年 1月11日 埼玉県深谷市血洗島 出生 1920年 5月26日 陸軍士官学校32期 卒業 1929年11月29日 陸軍大学校41期 卒業 1940年 3月 9日 第8師団参謀長 1941年 3月 1日 歩兵第4連隊長 陸軍大佐 1942年 4月 1日 西部軍高級参謀 1945年 1月29日 第16方面軍 兼 西部軍参謀副長 1945年 3月 1日 陸軍少将 大東亜戦争で西部軍高級参謀から第16方面軍兼西部軍参謀副長(第2総軍)に転じ、本土決戦に備えていた。
諸井 貫一(もろい かんいち、1896年1月11日 - 19… 諸井 貫一(もろい かんいち、1896年1月11日 - 1968年5月21日)は、東京府(現東京都)生まれの実業家。セメント製造事業の開拓を手掛けた諸井恒平(渋沢栄一とは親類関係に当たる)の長男で、東諸井家12代当主。秩父セメント(現太平洋セメント)社長、秩父鉄道会長、埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)会長、日本煉瓦製造会社会長を歴任し、経済団体連合会(経団連)の創設など日本の近代化に深く貢献した。従三位勲一等。
今井 兼次(いまい けんじ、1895年〈明治28年〉1月11… 今井 兼次(いまい けんじ、1895年〈明治28年〉1月11日 - 1987年〈昭和62年〉5月20日)は、日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く務め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。昭和初期にガウディを日本に紹介した人物である。 東京市赤坂区青山権田原町(現:東京都港区元赤坂2丁目)に生まれる。青山尋常小学校、日本中学校(現:日本学園中学校・高等学校)を経て早稲田大学理工学部建築学科へ入学。1919年、大学卒業と同時に助手に任命され、翌年、助教授に就任。1926年から1927年にかけて東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線浅草駅 - 新橋駅間)の各駅の構内・出入口の設計、車両の内装や職員の制服デザインを担当し、ヨーロッパの地下鉄駅の研究及び早稲田大学からの近代建築視察を行うため外遊。
きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月1… きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 - 1975年(昭和50年)7月25日) は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた。
加藤 厚太郎(かとう こうたろう、1895年(明治28年)1… 加藤 厚太郎(かとう こうたろう、1895年(明治28年)1月11日 - 1959年(昭和34年)2月3日)は、日本の実業家。伯爵。 加藤高明・春路夫妻の次男として東京府東京市(現・東京都)に生まれた。当時、加藤家に居候して厚太郎に勉強を教えていた家庭教師は、後に東急の創業者となる五島慶太であった。1919年(大正8年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、三菱財閥の持株会社・三菱合資会社に入社。イギリスに留学しオックスフォード大学で学び、帰国後三菱系の都市銀行・三菱銀行に入行。その間1926年(大正15年)4月2日に伯爵位を襲爵している。後に三菱系の損害保険会社・東明火災海上保険(現・日新火災海上保険)の取締役を務めた。