白坂 長栄(しらさか ちょうえい、1922年7月23日 - … 白坂 長栄(しらさか ちょうえい、1922年7月23日 - 2015年7月8日)は、岩手県二戸郡一戸町野田坂出身のプロ野球選手(内野手)・二軍監督・スコアラー。 一戸町で広大なリンゴ園を営む農家の三男として生まれる。兄が通っていた福岡中学に進み、野球部に入部。在学中は甲子園出場はならなかった。卒業後、仙台鉄道局へ就職するが、1年勤務したのち、先輩の誘いで華中鉄道に移籍。その後応召され、近衛歩兵第1連隊に配属となり、北支戦線で5年ほど軍隊生活を送った。復員後はかつて在籍していた仙台鉄道局盛岡に復帰し、投手として活躍。のち沢藤光郎(後に近鉄パールスに入団)が入団すると、遊撃手に転向した。 1948年のシーズン中に大阪タイガースに入団。
香川 正(かがわ ただし、1922年7月23日 - 没年不明… 香川 正(かがわ ただし、1922年7月23日 - 没年不明)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手、高校野球指導者。ポジションは外野手。 坂出商業学校時代の1938年に夏の甲子園に出場。1940年早稲田大学に進学。応召を経て社会人野球の全大阪、全鐘紡、中央ペイント、日本生命でプレーし1954年に近鉄パールスに入団(当時32歳)。 2年間在籍した後、母校坂出商業高校の監督に就任。1957年夏は安藤元博を擁しベスト8。秋の静岡国体では優勝を飾った。 長男の香川正人も近鉄に在籍したプロ野球選手。
岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 201… 岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 2014年12月26日)は、古典中国文学者、九州大学名誉教授。 滋賀県甲賀郡甲賀町生まれ。1947年広島文理科大学文学科卒、同副手、助手、広島大学文学部助手、兵庫県立星陵高等学校教諭、1959年名古屋大学文学部助手、1962年「後漢三国の評論に関する研究 とくに人物評論を中心として」で名大文学博士。 1964年東北大学教養部助教授、1966年九州大学文学部助教授、1968年教授、1972-1974年文学部長、1977-1980年附属図書館長、1986年定年退官、名誉教授、久留米大学文学部教授、1992年文学部長。1997年、勲二等瑞宝章受章。
山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2… 山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2013年3月)は、日本の日本史学者・教育者。 1921年(大正10年)7月23日、福島県に生まれる。1940年(昭和15年)3月、福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)卒業。1942年(昭和17年)9月、新潟高等学校(現・新潟大学)文科甲類卒業、東京帝国大学に進学。1944年(昭和19年)3月、学徒出陣。1945年(昭和20年)9月、召集解除、復員。1947年(昭和22年)3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業直後に腎臓摘出の手術を受け、さらに結核により半年あまり自宅療養する。1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部大学院満期修了。
北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9… 北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9月15日)は日本の探偵小説家、原子物理学者。作品に「写真解読者」『アトム君の冒険』など。本名は鈴木 坦(すずき ひろし)。 東京府東京市王子区(現:東京都北区)出身。京都帝国大学理学部卒。 1946年、探偵小説誌『ロック』に「写真解読者」を発表しデビュー。以降も『ロック』を中心に短編を発表した。また、同時期には本名で『アトム君の冒険』などの科学解説書も著している。 物理学者としては湯川秀樹門下であり、横浜国立大学の助教授も務めた。 1951年9月15日、持病であった喘息の発作から死去。30歳。
山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995… 山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995年5月1日)は、日本の実業家。ダイキン工業元社長・会長。ダイキン工業創業者の山田晁の長男。 福岡県出身。芦屋市立精道小学校、神戸第一中学校、第六高等学校、東京帝国大学工学部卒業。1946年に大阪金属工業(現・ダイキン工業)入社。1972年に3代目社長へ就任し、22年間務めた後、1994年より会長を務めた。その他には関西経済連合会副会長、関西経済同友会代表幹事、 太平洋人材交流センター初代理事長も務めた実績がある。 元サントリー会長の佐治敬三、森下仁丹2代目社長の森下泰とは長年の友人だった。
風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23… 風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23日 - 2016年〈平成28年〉9月28日)は、日本の女優。群馬県富岡市出身。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社。 1921年、群馬県富岡市七日市に生まれる。 富岡高等女学校(現・群馬県立富岡高等学校)を中退し、父が芸事を好んでいたことからエノケン一座に入団。 1937年に日活のオーディションに合格。 1939年に公開された内田吐夢監督映画『土』で主役に抜擢された。 1940年代後半からは松竹・新東宝・東映などの映画にも出演し、1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。 2000年、『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。
芳本 甚二(よしもと じんじ、1920年〈大正9年〉7月23… 芳本 甚二(よしもと じんじ、1920年〈大正9年〉7月23日 - 2014年〈平成26年〉7月5日)は、日本の政治家。元奈良県御所市長(5期)。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 奈良県出身。1943年〈昭和18年〉関西大学法学部卒。1946年〈昭和21年〉福助足袋に入社。1952年〈昭和27年〉に退社し、家業の芳本商店を継ぐ。1978年〈昭和53年〉御所市長選挙に立候補し、初当選する。市長を5期務め、任期途中の1996年〈平成8年〉に退任した。1997年叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2014年〈平成26年〉死去。死没日付をもって正八位から正五位に進階。
上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日… 上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日 - 2013年12月5日)は、日本のフィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公式審判員、日本スケート連盟審判部長。大阪市出身。神戸女学院大学卒。長女は同じくフィギュアスケート選手でのちに審判員となった平松純子(旧姓:上野)である。 稲田悦子、山下艶子と同じく永井康三に師事した。1934-1935年シーズンに行なわれた第6回全日本ジュニア選手権で優勝。1936-1937年シーズンの第8回全日本選手権と1937-1938年シーズンの第9回全日本選手権でともに稲田悦子、月岡芳子に次ぐ3位、1938-1939年シーズンの第10回全日本選手権で2位となった。
志村 士郎(しむら しろう、1919年7月23日 - 200… 志村 士郎(しむら しろう、1919年7月23日 - 2001年5月29日)は、日本の国文学者。 東京生まれ。1947年東京文理科大学国文科卒。昭和女子大学短期大学部教授、秋草学園短期大学教授。鎌倉時代前期の文芸が専門。 2001年5月29日、心不全のため死去。
島 比呂志(しま ひろし、1918年7月23日 - 2003… 島 比呂志(しま ひろし、1918年7月23日 - 2003年3月22日)は、日本の小説家。本名 岸上薫(きしうえ かおる)。 香川県観音寺市出身。旧制香川県立三豊中学校、東京高等農林学校獣医学科卒業。 1940年(昭和15年)東京高等農林学校卒業後、満洲国立大陸科学院獣疫研究所に勤務。1943年(昭和18年) 東京高等農林専門学校(現 東京農工大学)助教授に就任。 1947年(昭和22年)6月、ハンセン病を発病し、国立療養所大島青松園に入所。1948年(昭和23年)6月、国立療養所星塚敬愛園へ転園。1958年(昭和33年)より、同人雑誌『火山地帯』を主宰。1990年(平成2年)6月、エイズ裁判原告赤瀬範保から「癩患者はなぜ怒らないのか?」という手紙を受け取る。
坂野 重信(さかの しげのぶ、1917年〈大正6年〉7月23… 坂野 重信(さかの しげのぶ、1917年〈大正6年〉7月23日 - 2002年〈平成14年〉4月17日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。自由民主党参議院議員。正三位勲一等工学博士。北栄町名誉町民。 孫は女優の坂野友香、民主党から参院選に立候補経験がある坂野真理(松下政経塾出身、医師)。真理の夫は鳥取県議会議員の坂野経三郎。 鳥取県東伯郡北条町(現北栄町)に生まれる。旧制倉吉中学、旧制松江高校を経て1941年(昭和16年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業と同時に内務省採用試験に合格したが、時局を踏まえ陸軍に入隊。復員後は茨城県、大阪府勤務を経て、建設省に移り、河川計画課長、関東地方建設局長、河川局長、建設技監、建設事務次官などを歴任。
辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月2… 辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月23日 - 2004年(平成16年)8月28日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。京都市出身。位階は正三位。 1947年(昭和22年)検事任官。法務大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長等を経て、1976年(昭和51年)に次長検事。1978年(昭和53年)東京高検検事長、1979年(昭和54年)に検事総長に就任。 1981年(昭和56年)に定年退官後、弁護士登録し法制審議会委員等を務めた。1988年(昭和63年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。死後、正三位に叙された。
矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日… 矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日 - 2000年7月14日)は、日本の歴史学者・政治学者、北海道大学名誉教授。中欧史を研究。 1915年、三重県桑名市生まれ。1938年、名古屋市の第八高等学校 (旧制)卒業。東京帝國大学文学部に進み、西洋史を専攻する。1938年、東京帝國大学文学部を卒業し、同大学院へ進学。1940年、東京帝國大学大学院文学研究科を修了し、同文学部の副手となる(1943年まで)。 日本大学、東京女子大学などの講師を経て、1949年に成蹊大学政治経済学部教授に就く。1950年、北海道大学法経学部教授となり、1953年の学部改組に伴い法学部教授となった。1957年以降、同大学スラブ研究センター研究員を併任する。
清藤 三津郎(せいとう みつろう、1915年(大正4年)7月… 清藤 三津郎(せいとう みつろう、1915年(大正4年)7月23日 - 2001年(平成13年)11月25日)は、昭和から平成時代前期の政治家。歯科医師。青森県黒石市長。位階は従五位。勲三等瑞宝章。 青森県南津軽郡黒石町前町(現黒石市)に生まれる。日本大学第二中学校を経て、1941年(昭和16年)東京歯科医学専門学校を卒業し、翌年の1942年(昭和17年)に故郷で歯科医を開業する。1948年(昭和23年)南津軽郡歯科医師会会長を経て、1951年(昭和26年)黒石町議会議員に当選。1954年(昭和29年)7月、合併を経て黒石市議会議員となる。1955年(昭和30年)同議長に選ばれ、1967年(昭和42年)まで通算4期市議を務めた。
永井 典彦(ながい のりひこ、1915年7月23日 - 20… 永井 典彦(ながい のりひこ、1915年7月23日 - 2003年1月21日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長、会長を務めた。 東京都出身。1944年に東京商科大学を卒業し、同年に三井物産に入社。1942年に三井船舶に転じ、1968年5月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1971年5月に常務、1973年11月に専務を経て、1976年6月に社長に就任。1980年6月に会長に就任し、1984年6月には相談役に就任。 1977年7月に運輸大臣表彰を受け、1978年11月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲二等旭日重光章を受章し、1989年11月に文部大臣表彰を受けた。 2003年1月21日肺炎のために死去。
南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年… 南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年12月17日)は、日本の社会心理学者。日本女子大学教授・一橋大学社会学部教授・成城大学教授を歴任。日本社会心理学会第3期・第9期・第10期理事長。 1914年、東京市赤坂区田町(現在の東京都港区赤坂)に生まれる。父は医師の南大曹(福島県出身、1878年生まれ。日本医科大学教授、日本消化器病学会会長、財団法人癌研究会理事長、南胃腸病院院長)。近藤達児は父の兄。石川千代松は母方祖母の弟。大倉喜八郎は叔母の祖父であり、林達夫も叔母の縁続きに当たる。 慶應義塾幼稚舎、東京高等学校 (旧制) 尋常科から理科乙類を経て、父親の希望により医師を志すが、父の激務に恐れをなし1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部を中退。
斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日… 斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日 - 2012年〈平成24年〉7月)は、日本の詩人。本名は斎田 友雄(さいだ ともお)。群馬県ペンクラブ会長、西毛文学代表、日本ペンクラブ、日本現代詩人会、群馬詩人クラブ会員。 群馬県甘楽町福島に生まれる。 満州事変勃発の1931年(昭和6年)頃、詩の同人活動を開始した。1953年(昭和28年)、総合文学雑誌『西毛文学』(NCID AA11685096)を創刊した。1957年(昭和32年)群馬詩人クラブを創設。 1971年(昭和46年)、同じ群馬出身の詩人・大手拓次に触れ、その功績を大きく評価。自ら「大手拓次曼荼羅」を著し、『西毛文学』に連載した。
神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月… 神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月23日 - 1999年 <平成11年> 1月10日)は日本の生物学者。専門は植物学、細胞生理学。位階は正四位。 東京府で生まれる。府立高等学校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)理学部植物科を卒業後、同大学講師となる。1948年に同大学で理学博士号を取得後、1949年に大阪大学理学部教授に就任。1946年の東京大学講師在任中に神谷美恵子と結婚した。1977年に大阪大学名誉教授となり、基礎生物学研究所教授に転身する。1972年 - 1973年に日本植物生理学会会長を務めたほか、国際細胞生物学連合会会長を歴任した。1971年に日本学士院賞を受賞しており、1981年に日本学士院会員に選任された。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
萩原 進(はぎわら すすむ、1913年〈大正2年〉7月23日… 萩原 進(はぎわら すすむ、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1997年〈平成9年〉1月20日)は、日本の歴史学者。群馬県吾妻郡長野原町出身。群馬県の郷土史研究に従事。群馬県議会図書室長、前橋市立図書館長を歴任。 1913年(大正2年)、群馬県吾妻郡長野原町の農業兼雑貨商の父茂一・母いはの第三子(長男)として生まれる。1934年(昭和9年)群馬県師範学校を卒業。 群馬県内の小学校教諭として勤務し、1945年(昭和20年)吾妻郡長野原国民学校教頭。その間1943年(昭和18年)からは群馬県社寺兵事課史蹟主事をつとめる。 戦後は教職員不適格者指定を受け退職し、群馬県農業会に勤める。1948年(昭和23年)群馬県議会書記、翌年同図書室長に就任する。
高橋 庄次郎(たかはし しょうじろう、1912年(明治45年… 高橋 庄次郎(たかはし しょうじろう、1912年(明治45年)7月23日 - 1995年(平成7年)3月25日)は、日本の政治家。埼玉県議会議長、埼玉県蕨市長。 1912年(明治45年)7月23日、埼玉県に生まれる。1937年(昭和12年)に法政大学を卒業する。 埼玉県蕨町助役、町長を経て、蕨市長に就任する。埼玉県議会議員に当選し、1971年(昭和46年)に副議長、1977年(昭和52年)に議長に就任する。この間、1959年の第5回参議院議員通常選挙に埼玉選挙区から自由民主党公認で立候補して落選した。 1995年(平成7年)3月25日に死去、82歳。 蕨町の青年団長時代に、青年祭(のちに成年式)を主唱・企画し、1946年11月22日に実施する。
片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月… 片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月23日 - 1999年(平成11年)2月26日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。富山県砺波市出身。 東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省に入省。東京府属。1966年(昭和41年)9月14日から1969年11月30日まで砺波市長を務めた後、同年の第32回衆議院議員総選挙に松村謙三の後継者として旧富山2区から出馬するも落選。続く1972年の第33回衆議院議員総選挙にて初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。以後連続当選6回。自民党内では中曽根康弘派に属し、1988年12月発足の竹下改造内閣で郵政大臣に任命され、初入閣(当時77歳5か月)。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
宮武 三郎(みやたけ さぶろう、1907年7月23日 - 1… 宮武 三郎(みやたけ さぶろう、1907年7月23日 - 1956年12月11日)は、日本のプロ野球選手。
村上 忠敬(むらかみ ただよし、1907年7月23日 - 1… 村上 忠敬(むらかみ ただよし、1907年7月23日 - 1985年2月11日)は、日本の天文学者。広島大学名誉教授、広島女学院大学学長。 鹿児島県鹿児島市加治屋町生まれ。天文学者・物理学者である村上春太郎の三男。天体の地図である星座図を作る天文学者になってほしいという春太郎の想いから、日本の測量地図作りで有名な伊能忠敬(ただたか)にあやかり、読みを「ただよし」と変えて名付けられた。 1928年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科卒業。1931年京都帝国大学理学部宇宙物理学科卒業。金城女子専門学校教授、名古屋高等工業学校教授を経て、1941年夏より広島高等師範学校教授。後に、広島大学教養部教授。
岡田 重吉(おかだ じゅうきち、1906年7月23日 - 1… 岡田 重吉(おかだ じゅうきち、1906年7月23日 - 1982年1月25日)は、日本の経営者。三重県出身。 1931年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年4月にダンロップ護謨に入社。1955年12月に取締役に就任し、1960年7月に常務、1964年5月に専務を経て、1968年11月には社長に就任。1973年11月から会長を務めた。 1982年1月25日呼吸不全のために死去。75歳没。
村崎 敏郎(むらさき としろう、1904年(明治37年)7月… 村崎 敏郎(むらさき としろう、1904年(明治37年)7月23日 - 1962年(昭和37年)4月19日)は、日本の演劇活動家、翻訳家。 東京府東京市深川区(現・東京都江東区深川)生まれ。1927年東京商科大学卒。演劇運動を行い、東京文化学園教諭。武蔵野高等学校教諭。戦後はもっぱら推理小説の翻訳を行った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
南 松鶴(ナム・ソンハク、朝鮮語: 남송학、1903年7月2… 南 松鶴(ナム・ソンハク、朝鮮語: 남송학、1903年7月23日 - 1974年6月22日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の実業家、政治家。第2・3代韓国国会議員。 本貫は宜寧南氏(忠簡公副正公派)、別名は南 禹鉉(ナム・ウヒョン、남우현)。キリスト教徒。 ソウル麻浦または忠北槐山出身。1922年に京城鉄道学校を卒業し、その後早稲田大学政経科を校外生として卒業し、陸軍歩兵学校幹部班卒業。1935年にイエス教長老会龍山教会長老・長老会長を歴任し、1936年に南洋印刷所を経営した。解放後は大韓独立促成国民会龍山区支部長・中央常務委員・中央総本部財政部長・ソウル市支部財政部長、総選挙対等委員会中央本部財政部長、民族代表者大会龍山区選出代議員、朝鮮印刷文化建設協会(現・大韓印刷文化協会)理事長、南洋印刷所・南洋印刷社経営者、大韓青年団龍山区団長、自由党中央本部訓練部長・最高委員・無任所常務委員、国会交通逓信分科委員長・海運造船各社に対する国政監査処理委員会委員長を務めた。
佐野 芳雄(さの よしお、1903年(明治36年)7月23日… 佐野 芳雄(さの よしお、1903年(明治36年)7月23日 - 1972年(昭和47年)9月27日)は、大正から昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。旧名・好男。 兵庫県三原郡湊村(湊町、西淡町を経て現南あわじ市)で生まれる。1918年(大正7年)兵庫高等小学校を卒業した。 三菱神戸造船所に入り、1921年(大正10年)友愛会に加入。1923年(大正12年)神戸造船労働組合・機械労働組合が結成され書記長に就任し、同年、神戸一般労働組合長となった。日本大衆党などに加わり、1938年(昭和13年)共立精機工作所(船舶修理機械工場)を経営した。 終戦後、日本労働組合総同盟(総同盟)の結成に参画し、1946年(昭和21年)総同盟兵庫県連合会会長に就任した。
下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月… 下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月23日 - 1949年〈昭和24年〉7月6日、(死亡日時は不詳)は、日本の鉄道官僚。運輸次官、日本国有鉄道総裁(初代)などを歴任した。 兵庫県神戸市出身。司法官であった父の英五郎は、同県有馬郡高平村木器(こうづき)(現在の三田市木器)の出身であった。転勤に従い少年時代は転校を繰り返していた。転校するたびにその都市の主要駅の時刻表を暗記して人気者になっていたという。静岡中学、津中学、三高卒業。静岡中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)でピッチャーを務めた。三高時代には稚内から[疑問点 – ノート]鹿児島まで駅名を暗唱して友人から「鉄道」というあだ名をつけられた。
柴田 喜三郎(しばた きさぶろう、1901年7月23日 - … 柴田 喜三郎(しばた きさぶろう、1901年7月23日 - 1998年1月5日)は、日本の経営者。大阪府大阪市出身。 1918年に関西商工学校を卒業。1929年に発動機製造(のちのダイハツ工業)に入社し、1943年に取締役に就任し、常務、専務を歴任。1966年に再び取締役に就任し、顧問、ダイハツディーゼル社長、会長、相談役を歴任した。 1969年に藍綬褒章を受章し、1975年に勲四等旭日小綬章を受章した。 1998年1月5日全身衰弱のために宝塚市の病院で死去。96歳没。
八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 199… 八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 1990年2月25日)は、日本の農林技官、政治家。参議院議員(4期)、衆議院議員(5期)。 愛知県渥美郡高師村藤並(現豊橋市藤並町)に八木用作の長男として生まれる 1923年(大正12年)3月東京高等蚕糸学校卒業。農林技官として東京府、愛知県、農林省、興亜院、大東亜省に勤め、1946年(昭和21年)退官。 1947年の第23回衆議院議員総選挙愛知5区に民主党から出馬し、初当選、5期務める。内閣委員長、1957年の第1次岸内閣農林政務次官を歴任。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選。 1963年の参議院に鞍替え出馬して、杉浦武雄死去に伴う第6回参議院議員通常選挙愛知県選挙区補欠選挙で初当選。
申 駿遠(シン・ジュヌォン、朝鮮語: 신준원、1901年7月… 申 駿遠(シン・ジュヌォン、朝鮮語: 신준원、1901年7月23日 - 1966年6月1日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第5代韓国国会議員。 慶尚北道善山郡(現・亀尾市)出身。日本大学文学部卒。故郷善山の三・一運動に参加したことや、大学在学中に朴烈や曺奉岩と共に黒涛会のアナキスト運動に参加したことにより投獄された。帰国後は朴相熙、金雨東らと共に亀尾消費組合を組織し、新聞社の支局長を務めた後、1960年の第5代総選挙で善山郡選挙区より無所属で出馬し当選、国会議員を1期務めた。
雲井 浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井、190… 雲井 浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井、1901年(明治34年)7月23日 - 2003年(平成15年)8月20日)は、元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。兵庫県津名郡洲本町出身。 夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行。娘に女優の坪内ミキ子がいる。実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、実妹は宝塚歌劇団16期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なほ子(本名:高井秀子)。義理の叔父は坪内逍遥、逍遥の養女は飯塚くに。 芸名は小倉百人一首の第76番:法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)の より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。 1913年7月、湊山尋常高等小学校(後の神戸市立湊山小学校)を卒業した後、宝塚唱歌隊(同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称。
近野 信雄(こんの のぶお、1899年7月23日 - 194… 近野 信雄(こんの のぶお、1899年7月23日 - 1944年3月13日)は、山形県出身の大日本帝国海軍軍人。海軍兵学校48期卒業。太平洋戦争中に護送船団を指揮するが戦死。最終階級は海軍少将。従四位勳二等。米沢海軍武官会会員。 1899年(明治32年)に山形県で生まれる。生家の近野家は上杉謙信所縁の一族、毘沙門天信仰。大日本帝国海軍職業軍人の家系。山形県立米沢中学を卒業後、海軍兵学校に入学し、第48期で卒業。海軍軍人としては1942年(昭和17年)頃まで駆逐艦長、戦艦副長など海上勤務が中心であったが、1944年(昭和19年)1月7日に機雷学校教頭兼研究部長となる。 1944年3月には東松2号船団の運航指揮官として前線に戻り、海軍徴用輸送船「国陽丸」に乗船。
宮崎 博史(みやざき ひろし、1899年7月23日 - 19… 宮崎 博史(みやざき ひろし、1899年7月23日 - 1990年12月27日)は、日本の作家。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。本名・宮崎博。1924年慶応義塾大学経済学部卒。三越に入り、宣伝部長、セントラル映画社宣伝部長を務めた。のちに作家となりユーモア小説を発表。 岸鏋三郎名義の『店員同志』(1931年)と『トンカ先生の恋』(1932年)がサンデー毎日大衆文芸にて佳作入選。
野村 恭雄(のむら やすお、1899年(明治32年)7月23… 野村 恭雄(のむら やすお、1899年(明治32年)7月23日 - 1980年(昭和55年)4月17日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 山口県出身。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。陸軍砲工学校第30期を優等で卒業。東京帝国大学物理学科卒業。 陸軍大学校教官を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進み、近衛野砲兵連隊長に補され、大東亜戦争に出征する。マレー、シンガポールを攻陥し、スマトラに駐屯した。内地に帰還後は、陸軍兵器行政本部技術課長、陸軍第2技術研究所員、大本営参謀などを歴任し、1945年(昭和20年)3月に陸軍少将に進んだ。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
渡辺 俶(わたなべ あつし、1899年7月23日 - 197… 渡辺 俶(わたなべ あつし、1899年7月23日 - 1974年5月7日)は、日本の政治家、医師。栃木県黒磯町長を務めた。 福島県に生まれる。父は明治期から黒磯で医院を開業していた。1924年(大正13年)、東京帝国大学医学部を卒業し同附属病院に就職。1925年(大正14年)、黒磯に戻り実家の医院で医業に従事した。 1925年から1954年(昭和29年)まで町医を、1925年から1965年(昭和40年)まで栃木県立黒磯高等学校(町立実践女学校)の校医を務めた。また、1941年(昭和16年)から1947年(昭和22年)まで方面委員を務めており、医師としてばかりでなく地域住民の相談相手としても信頼された。
川上 貞夫(かわかみ さだお、1897年(明治30年)7月2… 川上 貞夫(かわかみ さだお、1897年(明治30年)7月23日 - 1977年(昭和52年)7月31日)は、教育者、画家、考古学者である。 元鳥取県文化財専門員、元鳥取文化財協会理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 千久馬(すずき ちくま、1894年〈明治27年〉7月2… 鈴木 千久馬(すずき ちくま、1894年〈明治27年〉7月23日 - 1980年〈昭和55年〉9月7日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。「日本的フォーヴ」と呼ばれた独特な画境で知られる。 福井県福井市出身。1921年東京美術学校西洋画科卒、「緑蔭にて」で第3回帝展に入選。1925年「寝椅子の裸婦」で第6回特選。1930年帝展審査員となる。1935年多摩美術大学教授、1936年文展委員。1937年新文展審査員。1941年中野和高らと創元会を創立。1950年日展運営会参事(- 1958年)。1957年日本芸術院賞受賞。1972年日本芸術院会員。1974年勲三等瑞宝章受章。 『鈴木千久馬作品集』(美術出版社、1969)がある。
菅家 喜六(かんけ きろく、1894年〈明治27年〉7月23… 菅家 喜六(かんけ きろく、1894年〈明治27年〉7月23日 - 1967年〈昭和42年〉7月24日)は、日本の政治家、新聞記者。衆議院議員(4期)。福島民友新聞社長。 福島県大沼郡野尻村(現昭和村)出身。1912年福島県教員養成所(後の福島大学教育学部、現:人間発達文化学類)卒。 福島民報記者、郡山町議、(のち郡山市議)、郡山市会副議長、福島県議、福島民友新聞社長、郡山商工会議所副会頭となり、1949年の第24回衆議院議員総選挙において福島2区から民主自由党公認で立候補し初当選し、4期務める。第4次吉田内閣の厚生政務次官、衆議院議院運営委員長、決算委員長を歴任した。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選、政界を引退した。
岡田 怡川(おかだ いせん、1894年7月23日 - 198… 岡田 怡川(おかだ いせん、1894年7月23日 - 1984年2月18日)は、日本の教育評論家。本名:岡田怡三雄(おかだいさお)。 明治27年(1894)7月23日群馬郡大類村中大類(高崎市中大類)の農業岡田保次郎・キン夫妻の長男として誕生。この年は日清戦争があった年で、日本の近代化がいよいよ進もうという時代であった。父は区長、学務委員を務めた人で、地域の信望も厚かった。一方我が子に対しては厳しくしつけ、これからの時代を背負って立つ人物へと、長男への期待は大きかった。父の薫陶を受けた岡田は教育者として大成し、群馬の社会教育の発展に尽くした。 高小卒後、小学校教員、中等学校教員(旧制)、高等学校教員(旧制)の各資格をいずれも検定試験で取得した努力家であり、教員としての志が高かった。
青木 楠男(あおき くすお、1893年(明治26年)7月23… 青木 楠男(あおき くすお、1893年(明治26年)7月23日 - 1987年(昭和62年)3月18日)は、大正から昭和時代の土木工学者、内務官僚。青木定謙の子。青木戒三 、青木得三の弟。 内務官僚青木定謙の七男として高知県に生まれる。1918年(大正7年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、内務省土木局に入る。1926年(大正15年)内務省土木試験所に転じ、1942年(昭和17年)同試験所長となる。この間、欧米出張を経て1930年(昭和5年)東京帝国大学講師を兼任した。 1946年(昭和21年)官職を辞し、創設間もない早稲田大学理工学部土木工学科教授となり、1954年(昭和29年)理工学部長、1956年(昭和31年)大学院工学研究科委員長を歴任し、1964年(昭和39年)退職した。
川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)… 川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)7月23日 - 1987年(昭和62年)6月18日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選山形県知事、東洋インキ製造 (株) 社長。旧姓・古橋。 愛知県北設楽郡出身。大地主・古橋源六郎の三男として生まれ、川村秀豊の養子となる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、日本中学校を経て、第一高等学校を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年(大正4年)5月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年6月、内務省に入省し警視庁警部兼内務属となる。 1917年(大正6年)9月、本所太平警察署長に就任。以後、防疫官兼内務書記官・衛生局勤務、内務事務官・警保局保安課勤務、欧米出張(1924年1月)、警視庁書記官・衛生部長、山形県書記官・内務部長、青森県書記官・内務部長などを歴任。
山本 飼山(やまもと しざん、1890年(明治23年)7月2… 山本 飼山(やまもと しざん、1890年(明治23年)7月23日 - 1913年(大正2年)11月5日)は、思想家、社会運動家。本名は山本 一蔵。 1890年(明治23年)、東京に生まれる。8歳の時自由民権運動の壮士であった父を失い、母とともに長野県松本市にある亡父の生家に寄寓。その後、飼山の母は彼が12歳の時に、彼を残して再嫁している。 小学校時代より無教会派キリスト教の感化を受け、旧制長野県松本中学に在学中、キリスト教的社会主義に共鳴し、とりわけ木下尚江の思想に関心を示した。15歳の頃、日露戦争の際に、非戦論の演説をし、停学処分を受けている。その後、早稲田大学文学部に入り、石川三四郎・渡辺政太郎を介して、大杉栄・荒畑寒村・幸徳秋水らの知遇を得、『近代思想』に評論を寄せるようになる。
井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 196… 井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 1965年7月20日)は、島根県出身の文部官僚。1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。 県立松江中学校、第一高等学校(同期に近衛文麿、山本有三、土屋文明)、東京帝国大学文科大学国文学科を卒業した。1921年、鹿児島県の第七高等学校造士館教授の時、大学の先輩である高木市之助に誘われ、文部省図書監修官となる。以後20年にわたって国定教科書の編集に関わる。 1925年から教科書研究のため1年間欧米に留学する。 1931年から『小学国語読本』の編纂に着手する。従来巻一の冒頭に単語から教えていたが井上は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」に象徴されるように文から習うように改めた。
斎藤 文蔵(さいとう ぶんぞう、1886年(明治19年)7月… 斎藤 文蔵(さいとう ぶんぞう、1886年(明治19年)7月23日 - 1930年(昭和5年)11月6日)は、日本の歴史学者・教育者。 静岡県沼津市出身。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)、東京帝国大学文科大学を卒業。維新史料編纂事務局に勤務の後、島津公爵家史料編輯所に勤務した。1922年(大正11年)、山形高等学校教授に就任し、1927年(昭和2年)に東京女子高等師範学校教授・附属高等女学校主事となり、第六臨時教員養成所講師も兼ねた。
永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 19… 永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 1978年8月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍砲工学校長。最終階級は陸軍中将。
矢吹 省三(やぶき しょうぞう / せいぞう、1883年(明… 矢吹 省三(やぶき しょうぞう / せいぞう、1883年(明治16年)7月23日 - 1950年(昭和25年)12月27日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府出身。旧幕臣・陸軍中将、矢吹秀一の三男として生まれる。旧制第一高等学校を経て、1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。父の死去に伴い1910年(明治43年)1月19日、男爵を襲爵。 横浜正金銀行書記、富士生命保険 (株) 取締役、東京タクシー自動車 (株) 取締役、東京貿易 (株) 社長などを務めた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され公正会に属して活動した。