中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - … 中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
6月18日生まれ:284人
中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - … 中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小沢 牧子(おざわ まきこ、旧姓・下河辺。1937年〈昭和1… 小沢 牧子(おざわ まきこ、旧姓・下河辺。1937年〈昭和12年〉6月18日 - )は、日本の臨床心理学者。専門分野は、臨床心理学論、子ども・学校論。 下河辺牧場創業者・下河辺孫一の次女として北海道浦河郡浦河町に生まれる。 慶應義塾大学文学部哲学科心理学専攻を卒業。 1960年、国立精神衛生研究所(現:国立精神・神経医療研究センター)児童精神衛生部の研究員となる。1966年から千代田区立教育相談室に勤務。1970年から1973年まで、夫の小澤俊夫のドイツ赴任にともない、滞独。帰国後は、青山学院中等部でのカウンセラーなどに従事。 1970年代に、地域で「さんすう教科書をしらべる父母の会」という活動に7年間参加。
高橋 一夫(たかはし かずお、1937年(昭和12年)6月1… 高橋 一夫(たかはし かずお、1937年(昭和12年)6月18日 - )は日本の政治家。元新潟県三条市長(3期)。 新潟県出身。明治大学工学部卒。卒業後は金物卸会社を経営する。1999年三条市長選挙に立候補し、現職の候補を破って初当選する。2003年の市長選挙では無投票で再選。2004年に7・13水害が発生。市内に大きな被害が生じた。2005年に三条市は南蒲原郡栄町と下田村が合併し、新しい三条市が誕生した。高橋は合併後の市長選挙に出馬しない考えだったが、河川改修の責任があるとして、合併後の市長選挙に出馬、無投票で当選した。翌2006年9月25日に10月17日付で市長職を辞職する考えを明らかにした。
大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日 - )… 大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日 - )は、日本の物理学者(放射線物性、核物性、大気電気学)。早稲田大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。テレビタレント。 身長169センチメートル。宮城県角田市出身(その後茨城県古河市に在住し、東京都に拠点を持つ)。 球電(プラズマ)の物理学的研究の第一人者。1990年、電磁波で火の玉を作ることに世界で初めて成功。それまで鬼火、狐火などと呼ばれ心霊的現象とされてきた火の玉(怪火)が科学現象である可能性の一つを提示した。 超常現象のひとつとして一時期話題となった「ミステリーサークル」という呼称の先駆者でもある。 長男の大槻東巳は、父親同様に物理学者(東京大学理学部卒、上智大学理工学部物理学科教授)。
末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )… 末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 山口高校から1955年に南海ホークスへ入団。1958年に退団。
宮崎 道公(みやざき みちひろ、1936年(昭和11年)6月… 宮崎 道公(みやざき みちひろ、1936年(昭和11年)6月18日 - 2022年(令和4年)8月22日)は、日本の政治家。元宮崎県えびの市長(2期)。元えびの市議会議員(7期)。 1959年、名城大学薬学部卒業後、1975年(昭和50年)10月にえびの市議会議員に初当選。以来、2002年2月まで通算7期務める。この間、1987年11月から1989年11月まで同議会副議長、1993年11月から1995年11月まで議長を歴任。 2002年(平成14年)3月10日、えびの市長選で初当選。3月16日、市長就任。2009年(平成21年)6月20日、えびの市発注の土木事業で、入札前に予定価格を地元業者に漏らしたとして競売入札妨害容疑の疑いにより逮捕された。
小野 和子(おの かずこ、1934年〈昭和9年〉6月18日 … 小野 和子(おの かずこ、1934年〈昭和9年〉6月18日 - )は、日本の児童文学者、民話採集家、翻訳家。 岐阜県高山市生まれ。東京女子大学日本文学科卒業、1958年から宮城県仙台市に住み、宮城県内で民話を採集記録、再話する。1975年、「宮城民話の会」を設立。児童文学の翻訳多数。
甘糟 幸子(あまかす さちこ、1934年6月18日 - )は… 甘糟 幸子(あまかす さちこ、1934年6月18日 - )は、静岡県生まれのエッセイスト、作家、野草料理研究家。 1934年(昭和9年)、静岡県沼津市に生まれる。早稲田大学第二文学部露文科中退。在学中に東京大学新聞の第1回五月祭賞を小説で受賞。在学中より雑誌のフリーライターとして活動する。1960年(昭和35年)5月には向田邦子らと女性3人のフリーライター事務所「ガリーナクラブ」を開く。結婚後、娘のりり子が3歳の頃の1968年(昭和43年)3月末に横浜から鎌倉に移住。1974年(昭和49年)、通信社の人にすすめられて書いた食べられる野草についての新聞連載エッセイが好評となり、のちに『野草の料理』として本にまとめられる。
小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 -… 小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 - 2004年〈平成16年〉4月29日)は、日本の俳優。東京市出身。本名及び旧芸名は小鹿敦。主に舞台俳優として活躍した。 浅草・合羽橋に生まれる。中学生の頃は将来画家になろうとしていたが、大宮高校時代に演劇部に入ったことで演劇に夢中になり、演劇の道を志す。明治大学文学部演劇学科卒。劇団青春座、女優座、舞台工房、アトリエ座などの劇団を転々とした後、1957年、劇団東宝現代劇に1期生として入団。1964年、交通事故で入院した八波むと志の代役として、『マイ・フェア・レディ』のアルフレッド・ドゥーリトル役で評判になる。 1993年の『ゆずり葉』で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。
北里 一郎(きたざと いちろう、1932年6月18日 - 2… 北里 一郎(きたざと いちろう、1932年6月18日 - 2024年8月15日)は、日本の経営者。明治製菓株式会社(現:Meiji Seika ファルマ株式会社)社長を務めた。工学学士(慶應義塾大学 1955年)。薬学博士(北里大学 1990年)。北里研究所所長・北里善次郎の長男。祖父は細菌学者の北里柴三郎。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学工学部応用化学科卒業。1955年に同大学卒業後、明治製菓入社 。1995年同社代表取締役社長、2003年同社代表取締役会長を経て、2006年同社最高顧問に就任。 2024年8月15日、老衰のため死去。92歳没。
西川 俊作(にしかわ しゅんさく、1932年6月18日 - … 西川 俊作(にしかわ しゅんさく、1932年6月18日 - 2010年1月27日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(論文博士・1971年)(学位論文「地域間労働移動と労働市場」)。慶應義塾大学名誉教授。秀明大学元教授。福沢諭吉協会常務理事。『福澤諭吉書簡集』編集委員。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
荘 月明(そう げつめい、英語:Zhuang Yueming… 荘 月明(そう げつめい、英語:Zhuang Yueming、1932年6月18日 - 1990年1月1日)は、香港最大の企業集団・長江実業グループの執行理事、創設者兼会長である李嘉誠の妻。 英華女學校卒業。1961年、香港大学で英文学位を取得。後に、日本の明治大学に留学。 1963年、李嘉誠と結婚。李嘉誠は一代で香港最大の企業集団・長江実業グループを築き上げた人物であり、その資産は2013年度世界長者番付によれば、310億米ドルとされ、世界8位の富豪である。アジア全域で最も富裕な人物であり、華人としては世界最大の資産家とされた。一方で、そのフィランソロピーでも知られ、質素な日常生活を送り、李嘉誠基金会を通じて社会に多額の献金を行っている。
本田 欣二郎(ほんだ きんじろう、1931年(昭和6年)6月… 本田 欣二郎(ほんだ きんじろう、1931年(昭和6年)6月18日 - )は、日本の政治家。元新潟県十日町市長(2期)。 現在の新潟県十日町市出身。新潟県立十日町高等学校卒。卒業後は十日町役場に入り、総務部長、助役などを務める。1989年の十日町市長選挙に立候補するが落選。1993年の市長選挙に立候補し、初当選。1997年の市長選挙では元十日町市議会議員の滝沢信一を破って再選する。市長を2期務め、2001年の市長選挙で三選を目指したが、再び立候補した滝沢信一に敗れた。
上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、… 上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、日本の社会学者。 京都市生まれ。1962年関西大学文学部卒。1964年立教大学大学院応用社会学研究科修士課程修了。日本専売公社(現JT)京都工場、本社勤務を経て、1977年小集団研究所を創立。小集団活動について国内外多くの企業で実践指導を行うとともに、1977-95年関西大学講師として小集団理論を講義。
齋藤 正彦(さいとう まさひこ、1931年6月18日 - 2… 齋藤 正彦(さいとう まさひこ、1931年6月18日 - 2020年12月31日)は、日本の数学者。東京大学名誉教授。 警視総監、台湾総督府総務長官等を歴任した斎藤樹の二男。母禎子は司法大臣、鉄道大臣等を歴任した小川平吉の三女。元駐米大使、元外務事務次官斎藤邦彦は実弟。元大蔵事務次官谷村裕の義弟。宮澤喜一元首相の従弟。パリ大学理学博士。
浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 20… 浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 2022年1月26日)は、日本の占い師、作家。 愛知県名古屋市出身。1954年早稲田大学文学部仏文科を卒業。翌年、同大学院よりフランスに留学。ソルボンヌ大学などで学ぶ。帰国後、1962年に『手相術』を発表し、大ベストセラーとなる。日本占術協会会長、国際予想科学協会会長、アメリカ人間心理学会会員、ニューヨーク科学アカデミー国際会員。 1969年、日本万国博覧会の住友童話館において、コンピュータによる人相のパターン認識を用い性格判断を行った。 1974年11月22日、日本占術協会を創立し会長に就任。2014年12月22日、一般社団法人日本占術協会の名誉会長に就任。
赤羽 淑(あかはね しゅく、1931年6月18日 - 202… 赤羽 淑(あかはね しゅく、1931年6月18日 - 2021年)は、国文学者。学位は、文学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「藤原定家の歌風」)。ノートルダム清心女子大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。東北大学大学院博士課程中退。1981年「藤原定家の歌風」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。ノートルダム清心女子大学助教授、教授、2005年定年退任。
服部 晶夫(はっとり あきお、1929年6月18日 - 20… 服部 晶夫(はっとり あきお、1929年6月18日 - 2013年8月25日)は、日本の数学者。代数的位相幾何学の研究で知られ、服部-Stongの定理(英語版)で知られる。東京大学教授、明治大学教授を歴任。 2013年8月25日、顎下腺癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中野 董夫(なかの ただお、1926年6月18日 - 200… 中野 董夫(なかの ただお、1926年6月18日 - 2004年8月15日)は、日本の物理学者。大阪市立大学名誉教授、大阪市立科学館初代館長。 生前、西島和彦とともに1961年および1970年のノーベル物理学賞の共同受賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 東京都出身。1948年大阪大学理学部物理学科卒業。1950年に大阪市立大学理工学部に助手として着任し、教授の南部陽一郎、助教授の早川幸男、講師の山口嘉夫、助手の西島和彦とともに理論物理学のグループを立ち上げた。1953年には西島とともに中野・西島・ゲルマンの法則を提唱。 1990年に大阪市立大学を定年退官した後は、大阪市立科学館の初代館長に就任した。
相原 三郎(あいはら さぶろう、1926年6月18日 - 2… 相原 三郎(あいはら さぶろう、1926年6月18日 - 2019年5月1日)は、日本の大蔵官僚。横浜銀行副頭取などを務めた。 神奈川県出身。1948年9月 東京大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省入省(理財局)。1952年12月 米沢税務署長。 1964年3月 関東財務局理財部次長。1965年10月 理財局国庫課長。1968年6月 主計局給与課長。1969年8月 主計局主計官(厚生・労働担当)。1971年6月28日 大阪税関長。1972年6月27日 国税庁徴収部長。1973年7月25日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。同年9月18日 退官。 同年10月に横浜銀行入行。同年11月に同行常務。1979年12月に同行専務。
丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月1… 丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月18日 - 2007年〈平成19年〉2月19日)は、日本の電気工学者であり、教育者である。逓信省で電波研究を行った後、防衛大学校の教授を務めた。退官後、防衛大学校名誉教授となる。岡山県出身。位階は従四位、勲三等瑞宝章に叙されている。 1925年(大正14年)岡山県に出生する。1938年(昭和13年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1943年(昭和18年)同校を卒業を経て、茨城県にある日立製作所が設立した多賀高等工業学校(現:茨城大学工学部)へ進学する。 同校では、電気通信学を専攻し、多賀高等工業学校が途中で多賀工業専門学校と名称を変更し、電気通信科が新設され、丸川はそこに所属する。
姫野 好治(ひめの こうじ、1924年6月18日 - 没年不… 姫野 好治(ひめの こうじ、1924年6月18日 - 没年不明)は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 1950年5月11日の対東急フライヤーズ戦で、塩瀬盛道に生涯唯一の打席で本塁打を打たれた投手である。 大分工業から社会人野球の星野組、明電舎を経て、1949年に大映スターズへ入団。 独特のフォームのサイドスローであり、カーブや高速シュートを武器に1年目の1949年から9勝を挙げ、2年目の1950年も8勝を挙げる。特に球が走っている時だけ直球を決め球とする、普段は技巧派の投手である。 1951年9月9日にはサヨナラボークを記録している。1952年には36試合に登板し、13勝で初の2桁勝利を記録。
芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012… 芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。本名:羽鳥廣。
瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1924年〈大正13年〉6月1… 瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1924年〈大正13年〉6月18日 - 2021年〈令和3年〉12月29日)は、日本の評論家。評論対象は、音楽(特にジャズ)、映画、ミュージカルと幅広い。日本ポピュラー音楽協会名誉会長。『月刊ミュージカル』(ミュージカル出版社)元編集長。 東京府出身。学習院初等科、中等科、高等科、東京帝国大学法学部を通じて三島由紀夫と交流があった。 1944年(昭和19年)、学徒出陣となり海軍に入営。1945年(昭和20年)の敗戦後は引揚者の輸送任務を行う氷川丸に乗務。乗組員らを慰労するため日本劇場にて公演していたバンドを船内に招いてジャズコンサートを行った。 1950年(昭和25年)東京大学法学部卒業後、富士銀行に入行する。
和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015… 和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015年2月23日)は、兵庫県出身の俳人・化学者。専門は物理化学。奈良女子大学名誉教授。 武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影町)出身、大阪大学理学部卒業。神戸大学理学部助教授、奈良女子大学理学部教授を経て同女子大学名誉教授(物理化学)。 俳句は1952年より始め、橋閒石の「白燕」に参加、のち同人。高柳重信の「俳句評論」、赤尾兜子の「渦」同人を経て1992年より「白燕」同人代表。1977年、現代俳句協会関西地区会議議長に就任。のち現代俳句協会副会長を経て、2004年3月より同顧問。2010年「風来」創刊・主宰。 1969年第16回現代俳句協会賞、2007年第7回現代俳句大賞、2013年句集『風車』により第64回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。
市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月1… 市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月18日 - 1989年(平成元年)6月28日)は、日本の哲学者(分析哲学・社会思想)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1927年、大阪府生まれ。都島工業学校、大阪高等学校 を経て大阪大学理学部を卒業後、マンチェスター大学を経てロンドン大学大学院哲学科修了。1954年(昭和29年)に愛知教育大学助教授を経て、1961年(昭和36年)以後は成蹊大学教授。1988年(昭和63年)成蹊大学名誉教授。 戦後、鶴見俊輔らが主催する思想の科学研究会に加わり、雑誌『思想の科学』を編集し、執筆を連載する。1970年代に鶴見和子・山田慶児・桜井徳太郎らと「思想の冒険」グループに参加した。
松井 康浩(まつい やすひろ、1922年6月18日ー2008… 松井 康浩(まつい やすひろ、1922年6月18日ー2008年6月5日)は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。 広島県出身。早稲田大学法学部卒。日中戦争に経理部士官として従軍し日本軍の実態を目撃したことと、弟から広島原爆の被害の実態を聞かされたことが法律家としての原点となる。1951年弁護士を開業し、青年法律家協会など革新系法曹団体の結成に参加。1955年から原爆被害者の国家賠償訴訟を担当、63年原爆投下の違法性を明らかにする東京地裁の判決をひきだした。原水爆禁止日本協議会代表理事。1973年・1974年度の日本弁護士連合会事務総長。事務所の所属弁護士の出身者に廣谷陸男がいる。
沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 198… 沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 1985年10月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 現在の秋田県鹿角市出身。東京帝国大学卒業後、三菱金属に入社。全日本金属鉱山労働組合副委員長、同事務局長、総評幹事などを歴任する。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で落選した。同年、松野孝一(自由民主党)の死去による参議院議員補欠選挙で秋田地方区から立候補して初当選。2期務めた。この間、参議院建設委員長や参議院国会対策副委員長などを務めた。1977年の第11回参議院議員通常選挙では自民党公認の野呂田芳成に敗れて落選。
益田 一(ますだ はじめ、1921年6月18日 - 2005… 益田 一(ますだ はじめ、1921年6月18日 - 2005年12月8日)は、日本の写真家、魚類研究家。 1921年に東京で生まれる。慶應義塾大学文学部独文科卒業。 1960年代以降水中写真家として活動し、多くの魚類図鑑を刊行した。益田海洋生物研究グループを結成して活動。当時としては画期的なカラー写真による生態観察の成果を次々と発表し、海洋関係の学会に新風を吹き込んだ。 1964年、伊豆海洋公園(静岡県伊東市)に伊豆海洋公園ダイビングセンターを設立、所長を務めた。また、東海大学の海洋学部アクアラング訓練所を改称し、潜水訓練センターを設立(1985年閉鎖)。1974年、株式会社益田海洋プロダクションを設立し、代表取締役会長を務めた。
辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 20… 辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 2019年9月23日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社専務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、国際デジタル通信株式会社会長、株式会社豊田自動織機製作所会長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1946年に神戸経済大学(現神戸大学)卒業。 大学卒業後、トヨタ自動車工業に入社し、大学の先輩にあたる花井正八に師事。1972年楠兼敬とともに取締役に昇格。1978年常務取締役。1980年専務取締役。1982年副社長。1985年藍綬褒章受章。1986年から副会長として円高緊急対策委員長を務め、円高への対応などにあたった。
北嶋 千代吉(きたじま ちよきち、1920年6月18日 - … 北嶋 千代吉(きたじま ちよきち、1920年6月18日 - 2003年5月16日)は、日本の経営者。秋田県出身。 1942年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1973年11月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年1月に副社長に就任し、同年6月には社長に昇格。1987年6月には相談役に就任。 2003年5月16日肺炎のために死去。82歳没。
高村 忠也(たかむら ただなり、1919年6月18日 - 1… 高村 忠也(たかむら ただなり、1919年6月18日 - 1992年9月4日)は、日本の商学者。専門は海運論。神戸大学名誉教授。元日本海運経済学会副会長。 島根県鹿足郡生まれ。1941年山口高等学校文科甲類卒業。1943年神戸商業大学(現神戸大学)卒業。野村寅三郎ゼミ出身。同年東亜海運入社。 指導教官野村に相談して退社し、1946年に神戸経済大学(現神戸大学)経営学専門部講師嘱託となる。野村が学生課の実質的責任者であったため、1947年には文部教官兼文部事務官に任官し、神戸経済大学学生課主事となった。1949年には野村の推薦で、海技専門学院(現海技大学校)教授に着任。 1951年長崎大学経済学部助手。
石原 清志(いしはら きよし、1919年6月18日 - 19… 石原 清志(いしはら きよし、1919年6月18日 - 1999年12月21日)は、日本の国文学者。 岡山県岡山市生まれ。1943年京城帝国大学法文学部卒。1963年大阪市立大学大学院博士課程満期退学。1980年「釈教歌の研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。龍谷大学文学部助教授、教授、1988年退任、名誉教授、神戸女子大学教授。中世和歌が専門。 1999年、脳内出血のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 201… 神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 2011年3月3日)は、日本の化学者。専門は分子分光学。九州大学総長や九州産業大学学長を務めた。 第五高等学校理科甲類を経て(1939年(昭和14年)卒業)、九州帝国大学理学部を卒業する。 1942年(昭和17年)より、母校の九州帝国大学理学部助手となり、助教授を経て教授に昇進、理学部長などを歴任後、1978年11月から3年間九州大学総長を務めた。その後、九州産業大学で学長を務めていた。 1994年、勲二等旭日重光章を受章。2011年3月3日、肺炎のため死去。 門下生に島田良一がいる。
斎藤 秋男(さいとう あきお、1917年6月18日 - 20… 斎藤 秋男(さいとう あきお、1917年6月18日 - 2000年3月19日)は、日本の中国思想学者、専修大学名誉教授。 1917年、東京で生まれた。東洋大学文学部中国哲学文学科で学び、1941年に卒業。1942年から敗戦まで兵役に就いた。 戦後は、1946年から1950年まで中国研究所に勤務。1950年、母校の東洋大学助教授となった。1953年、北海道大学助教授に就いた。1965年に専修大学助教授に転じ、後に教授昇格。1977年から1982年まで、社団法人・中国研究所代表理事、のち理事長を務めた。1988年に専修大学を定年退任し、名誉教授となった。 専門は中国思想史。同時代の知識人・教育者の陶行知のに関する著作が多い。
佐々木 正五(ささき しょうご、1916年6月18日 - 2… 佐々木 正五(ささき しょうご、1916年6月18日 - 2014年11月20日)は、日本の海軍軍医(軍医大尉)、微生物学者、医学博士。慶應義塾大学名誉教授、東海大学名誉教授。東海大学医療技術短期大学学長。正七位(1945年)、勲二等瑞宝章(1994年)。 樺太の機関車を扱う商家に生まれた。1925年、慶應義塾幼稚舎入学。慶應義塾普通部卒業後、慶應義塾大学医学部予科修了、慶應義塾大学医学部本科卒業。1941年4月、慶應義塾大学医学部細菌学教室助手、5月に海軍二年現役軍医科士官となる。伊号第四潜水艦軍医長として真珠湾攻撃に参加し、詳細な日記を残した。1944年より陸上勤務。1945年に復員、慶應義塾大学医学部細菌学教室に戻り、小林六造に師事。
柳田 友道(やなぎた ともみち、1914年(大正3年)6月1… 柳田 友道(やなぎた ともみち、1914年(大正3年)6月18日 - 2012年(平成24年))は、 東京帝国大学医学部薬学科を卒業し、東京大学教授、応用微生物研究所所長を経て、富山大学教授から富山大学学長に就任。 日本の微生物学者として、微生物科学を確立した。 1914年(大正3年) 誕生(茨城県磯原町) 1937年(昭和12年) 東京帝国大学医学部薬学科入学 1940年(昭和15年) 海軍短期現役士官 薬剤科 1946年(昭和21年) 東京大学理学部植物学教室研究生 1962年(昭和37年) 東京大学教授 1968年(昭和43年) 東京大学応用微生物研究所(東京大学定量生命学研究所)の7代目所長に就任 1975年(昭和50年) 東京大学名誉教授、富山大学教授に就任 1979年(昭和54年) 富山大学学長に就任 1985年(昭和60年) 退官、富山大学名誉教授 2012年(平成24年10月) 北海道にて没。
長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没… 長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没年不詳)は、日本の男性フィギュアスケート選手。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学法学部卒業。 1932-1933年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権と翌1933-1934年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権で3位、第6回大会では2位となった。 1935-1936年シーズン、ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック日本代表に選出され、同じく代表となった片山敏一、老松一吉、渡辺善次郎、稲田悦子ら4人とともに欧州遠征を行った。ベルリンで行われた1936年ヨーロッパフィギュアスケート選手権には片山、老松、稲田とともにエントリーをしたが棄権。
後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 200… 後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 2000年1月29日)は、日本の政治家、統計学者。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(3期)、法務大臣(第50代)を歴任した。 父は元内務大臣の後藤文夫。 大分県大分市生まれ。旧制横浜高等工業学校(現:横浜国立大学)卒業。三菱鉱業(現:三菱マテリアル)の技師、内閣技術院参技官、内閣調査局調査官、宮城県職員、内閣統計委員会事務局基準課長、行政管理庁統計基準部企画課長等を経て、1959年、行政管理庁統計基準局長に就任。1967年の退官まで務める。 退官後、1968年から8年間、大分大学学長を務める。 1976年9月、岩男頴一の死去に伴う参議院大分地方区補欠選挙に立候補。
星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日… 星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日 - 1986年〈昭和61年〉7月25日)は、日本の電気化学者。東京工業大学名誉教授。 群馬県勢多郡黒保根村(現・桐生市黒保根町)に、群馬県会議員・黒保根村長をつとめた星野元治の長男として生まれる。黒保根尋常高等小学校、旧制前橋中学校を経て、1934年(昭和9年)に東京工業大学電気化学科を卒業。 東京工業大学助手を経て、1940年(昭和15年)助教授、1953年(昭和28年)教授に就任。1945年(昭和20年)11月工学博士の学位を授与されている。 人造偏光板・磁気録音読書機の発明者。数々の特許を申請し、特許数は日本国内で58件、海外(アメリカ、イギリス、ドイツ各国)で59件。
天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993… 天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993年10月28日)は、日本の詩人。 京都府京都市出身。京都第一商業学校卒。職を転々としつつ詩を書き、1935年5月に山前実治、北川桃雄、田中忠雄らと同人誌「リアル」を創刊。1937年8月に「リアル」同人の一部が治安維持法違反で検挙され、その後は逼塞。戦後は出版社勤務、古書店経営等を経て、奈良女子大学付属図書館に職を得る。コルボウ詩話会、近江詩人会等を拠点に活動、1954年の「重たい手」で注目される。1974年の『天野忠詩集』で無限賞、1982年には『私有地』で読売文学賞、1986年には『続天野忠詩集』で毎日出版文化賞を受賞した。1993年10月28日、京都の自宅において多臓器不全のため死去。
大西 弘(おおにし ひろむ、1908年(明治41年)6月18… 大西 弘(おおにし ひろむ、1908年(明治41年)6月18日 ‐ 1975年(昭和50年)1月17日) は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、松山市議会議長。 愛媛県松山市山越で生まれた。除虫菊製造業を営み、大西土地建物を設立して社長に就任し、四国畜産 (株) 重役、松山市御幸農業会長なども務めた。 1947年(昭和22年)4月、松山市議会議員、愛媛県議会議員に選出され、松山市議会議長を務め、県議会では愛媛民主党に所属して活動した。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に愛媛県第1区から民主自由党所属で出馬して当選し、その後、自由党に所属して衆議院議員に1期在任した。この間、自由党総務などを務めた。
名和 統一(なわ とういち、1906年<明治39年>6月18… 名和 統一(なわ とういち、1906年<明治39年>6月18日 - 1978年<昭和53年>7月8日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。 1906年に兵庫県に生まれる。父はキリスト教徒の株屋。京都帝国大学を卒業し、大阪商科大学(現大阪市立大学)教授となる。1943年に大阪商大事件で追放されるも、戦後復帰し、大阪市立大学教授となる。1951年に「国際価値論研究」で、京都大学から経済学博士の学位を取得する。1971年に定年退官し、大阪市立大学名誉教授、岐阜経済大学学長となる。マルクス経済学による貿易理論を展開した。門下に三辺信夫がいる。
神崎 武雄(かんざき たけお、1906年6月18日 - 19… 神崎 武雄(かんざき たけお、1906年6月18日 - 1944年9月17日)は、日本の小説家。孫は漫画家の押切蓮介(神崎良太)。 福岡県門司市(現・北九州市門司区)出身。早稲田大学中退後、都新聞(東京新聞の前身紙)に入社。1940年に新鷹会に入会し、『オール讀物』1942年11月号に掲載された「寛容」は第16回直木賞を受賞した。 その後、海軍報道班員として南方やシンガポールに派遣された。その最中の1944年6月に妻が出産後間もなくして亡くなったとの訃報が届き、海軍省から帰還命令が出て、空母「雲鷹」に便乗したが、9月17日に南シナ海でアメリカ軍潜水艦の雷撃を受けて沈没し、戦死した。 国柱会の信者であった。
田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 19… 田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 1975年11月28日)は日本の政治家。衆議院議員(自由民主党・7期)。政界の爆弾男として鳴らし、時の政権でさえ無視できないほどの影響力を誇ったが、黒い霧事件で失脚した。 新潟県新井市(現妙高市)出身。電報配達員から上京して岩倉鉄道学校で学び、鉄道省に入り機関士となるが辞して樺太で農業を営む。1929年5月に傷害罪による罰金刑を受け、1930年12月には横領、恐喝、有価証券偽造・同行使、詐欺罪で懲役2年の実刑判決を受けて服役した。1943年には別の詐欺罪で懲役2年6ヶ月の刑が確定したものの逃走し、1948年5月に刑の時効を迎えて刑を執行免除されている。
浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治3… 浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治36年)6月18日 - 1969年(昭和44年)5月22日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 高知県吾川郡伊野町(現いの町)で浜田惣次、春尾の二男として生まれる。高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校を経て、1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部を卒業した。 京都市役所で勤務した後、淀川製鋼所に転じた。東京支社長、取締役支配人、専務取締役などを歴任。1957年(昭和32年)宇田耕一の死去に伴い取締役社長に就任した。その他、白洋産業取締役社長、白洋汽船取締役、南海興業取締役、高知県造船取締役会長、日本鉄鋼連盟理事、日本経営者団体連盟理事、国連協会関西本部理事などを務めた。
松井 麻之助(まつい あさのすけ、1900年6月18日 - … 松井 麻之助(まつい あさのすけ、1900年6月18日 - 1989年3月19日)は、日本の陸軍軍人、競馬騎手、調教師。 大日本帝国陸軍において一貫して騎兵畑を進み、1936年にはベルリンオリンピックに総合馬術競技日本代表として出場した。太平洋戦争後に軍籍を離れ、1956年より騎手、翌1957年より調教師として日本中央競馬会に所属した。1985年引退。 1900年、秋田県雄勝郡三輪村(現羽後町)に、農業を営む菅原良吉、ヨシの間に五男として生まれる。小学校卒業後に母方の叔父に当たる陸軍中将・松井庫之助の養子となり、東京に移った。旧制早稲田中学入学後、3年次から陸軍幼年学校に転じ、軍人への道を進み始める。
三浦 寅之助(みうら とらのすけ、1899年(明治32年)6… 三浦 寅之助(みうら とらのすけ、1899年(明治32年)6月18日 - 1973年(昭和48年)7月5日)は、大正・昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 宮城県加美郡宮崎村(宮崎町を経て現加美町)の農業・三浦寅治、やす夫妻の二男として生まれる。1914年(大正3年)村立実業補習学校を卒業。1918年(大正7年)9月に上京し、小川平吉の支援で日本大学専門部法律科に入学し、1921年(大正10年)に卒業した。 1921年、横浜区検事局に入り、1923年(大正12年)弁護士試験に合格し、同年4月、横浜市浦島ヶ丘に弁護士事務所を開業した。 横浜市会議員、同副議長を務め、1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで神奈川県会議員に在任した。
古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933… 古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」は通称である。 1895年6月18日、福岡県久留米市の善福寺の住職(古賀正順)の長男として生まれた。善福寺は江戸時代初期からの歴史を持つ浄土宗の寺である。古賀春江は、父・正順が53歳、母・イシが43歳の時の子供でただ一人の男子だった(古賀春江が生まれる前に3人の女の子をもうけたが、2人は早世した)。松田実(後述)によると、そのために両親や姉の溺愛を受けて育ったという。
古村 誠一(こむら せいいち、1894年6月18日 - 19… 古村 誠一(こむら せいいち、1894年6月18日 - 1960年3月9日)は、日本の実業家。三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)代表取締役社長、日本電子金属(現・SUMCO)代表取締役社長を務めた。 長野県上伊那郡朝日村(現・辰野町)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1917年東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業。三菱鉱業(現・三菱マテリアル)小樽支店長(小樽支店での部下に斎藤英四郎がいた。)を経て、1950年三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)取締役副社長、1956年代表取締役社長。その他、日本電子金属(現・SUMCO)代表取締役社長、三菱油化(現・三菱ケミカル)取締役、大日本塗料取締役を務めた。