天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 -… 天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在ウクライナ特命全権大使、外務省参与、国立京都国際会館館長等を歴任。 宮城県仙台市出身。生家は日本酒の蔵元だった「天賞酒造」で、喜七郎は8代目天江勘兵衛の7男である。 宮城県仙台第二高等学校を経て、1967年に一橋大学法学部を卒業した。学生時代、仲小路彰に指導を受ける。卒業後に外務省に入省した。イギリス陸軍語学学校でロシア語研修を受けた後、モスクワに在勤となる。1979年イラン革命時に在イラン日本大使館一等書記官を務める。 1984年に外務省大臣官房国際報道課長となり、翌年外務省国際連合局国連政策課長に異動した。
西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月… 西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月26日 - )は、日本の政治家。 栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党幹事長特別参与、内閣官房参与を歴任した。 栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。東京農工大学大学院修士課程修了。1967年、栃木県庁に入庁。 1979年、栃木県議会議員選挙に出馬し、初当選した。 1993年から1994年まで県議会議長を務めた。
玉田 勝郎(たまだ かつろう、1941年12月26日 - )… 玉田 勝郎(たまだ かつろう、1941年12月26日 - )は、日本の教育学者。関西大学名誉教授。専門は教育学、人権教育論、生活教育論。 兵庫県生まれ。1971年、名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。大阪府科学教育センター、兵庫県立湊川高等学校(定時制)を経て、関西大学文学部教授。2005年、兵庫県在日外国人教育研究協議会会長。2012年3月、定年退官。
橋本 功(、1941年12月26日 - 2000年2月12日… 橋本 功(、1941年12月26日 - 2000年2月12日)は、日本の俳優。千葉県市川市出身。本名は同じ。 俳優座養成所(第12期生)卒業後、俳優座に入団。 1966年放送のテレビドラマ『若者たち』の佐藤次郎役が当たり役となり以後、テレビドラマや映画において人情味溢れた善人役から悪役まで多彩な演技をこなし、貴重な脇役として活躍した。 2000年2月12日、食道癌のため松戸市内の病院にて死去、58歳。
宮本 輝紀(みやもと てるき、1940年12月26日 - 2… 宮本 輝紀(みやもと てるき、1940年12月26日 - 2000年2月2日)は、広島県広島市宇品(現・南区宇品)出身(広島市段原山崎町生まれ)の元サッカー選手(MF)・コーチ・監督。日本代表の攻撃的ミッドフィールダーとしてメキシコ五輪銅メダル獲得に貢献し、日本最初のゲームメーカーとも呼ばれる。 1945年8月6日、4歳の夏に爆心地から約2kmの段原山崎町で被爆し、一緒に遊んでいた弟を亡くした。張本勲も近所で被爆している。終戦後は宇品に引越して広島市立千田小学校に入学し、千田小の同期に岡光龍三、一学年上に後に山陽高→八幡→新日鐵と同じ道を歩む大石信幸がいた。広島市立国泰寺中学校時代に大学生にサッカーを教えてもらったことがきっかけでサッカー部に転部し、国泰寺中の一学年上に野村六彦、同期に今西和男がいた。
和田 秀男(わだ ひでお、1940年12月26日 - 201… 和田 秀男(わだ ひでお、1940年12月26日 - 2012年1月7日)は、日本の数学者。上智大学名誉教授、理学博士。愛知県名古屋市出身。
今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、… 今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、日本の弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。元裁判官。東北大学法科大学院客員教授。最高裁判所判事を務めた。退官後は第一東京弁護士会に弁護士登録し、弁護士となる。兵庫県神戸市垂水区出身。 1958年(昭和33年)兵庫県立星陵高等学校、1962年(昭和37年)3月に京都大学法学部卒業。同年4月に第16期司法修習生、1964年(昭和39年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日 - 198… 佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日 - 1985年3月11日)は、日本の作詞家、作曲家、歌手。 東京府出身(現在の東京都杉並区出身)。成城学園高校を経て成城大学卒業。本名は佐々木 勤(ささき つとむ)。夫人は作詞家の笠間ジュン(前妻は女優の西尾美恵子)。 現在の東京都杉並区荻窪で生まれ、幼少期にバイオリンを習い音楽に親しむ。 成城学園高校在学中にラジオ番組「素人ジャズのど自慢」で日本一となり、バンド「カントリー・ケーパーズ」を結成し米軍キャンプを巡る。成城大学に入学後、「小坂一也とワゴン・マスターズ」に参加。大学卒業後は証券会社や広告代理店に勤務する傍ら作曲活動を行う。 1964年、清原タケシの「夜空の星(後に「星に祈りを」と改題)」の作詞・作曲で作家デビュー。
長谷 正當(はせ しょうとう、1937年12月26日 - )… 長谷 正當(はせ しょうとう、1937年12月26日 - )は、日本の哲学・宗教学者、京都大学名誉教授。 1937年、富山県生まれ。1960年京都大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科宗教学専攻に進んだ。1965年、同大学院博士課程を満期退学。 1976年、京都大学文学部助教授となった。1988年、学位論文『象徴と想像力』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1989年に教授昇進。2000年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大谷大学教授として教鞭をとり(定年後は客員教授)、2009年に退職した。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
佐久間 美成(さくま よしなり、1935年12月26日 - … 佐久間 美成(さくま よしなり、1935年12月26日 - 2024年3月2日)は、日本の経営者。岩田屋社長を務めた。 東京都出身。1958年に成蹊大学政治経済学部を卒業し、同年に伊勢丹に入社。1980年2月に取締役、1992年6月に常務、1994年2月に専務、1997年6月に副社長、2001年6月に常勤監査役を経て、2002年6月に岩田屋社長に就任し、2006年5月までに務めた。 2024年3月2日に胆管癌のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月… 谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月26日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。京都大学名誉教授。弁護士、弁護士法人松尾綜合法律事務所客員弁護士。 京都府立鴨沂高校卒業、日本の司法試験は、京都大学法学部在学中に合格。その後、民法並びに民事訴訟法などを主な研究領域とした学者を目指し、海外のロースクールへ留学。 倒産法分野の研究においては、日本では権威的存在である。また、株式会社における総会決議の効力を争う訴訟について、その実質が会社という法人自身は紛争主体になっていない内部紛争であることに着目し、会社の被告適格性に疑問を呈した「コップの中の嵐」理論でも知られる。 民法学者谷口知平の次男。
片桐 一男(かたぎり かずお、1934年12月26日- )は… 片桐 一男(かたぎり かずお、1934年12月26日- )は、日本の歴史学者。青山学院大学名誉教授。専攻は、蘭学史・洋学史・日蘭文化交渉史。 1934年、新潟県生まれ。1953年、新潟県立与板高等学校を卒業。1961年、法政大学文学部研究助手。1967年、法政大学大学院人文科学研究科(日本史学専攻)博士課程単位取得退学。 1968年、文部省職員となる。1977年、青山学院大学文学部助教授、1981年、同教授。1983年、学位論文『阿蘭陀通詞の研究』を青山学院大学に提出して文学博士の学位を取得。2003年に青山学院大学を定年退職、名誉教授。その後は、公益財団法人東洋文庫研究員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
沖田 幸作(おきた こうさく、1934年12月26日 - )… 沖田 幸作(おきた こうさく、1934年12月26日 - )は、日本の経営者。安藤建設社長を務めた。東京都出身。 1957年に早稲田大学理工学部を卒業し、同年に安藤組(のちの安藤建設)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1995年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格。2004年4月に会長に就任。
飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月2… 飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月26日 - 2023年〈令和5年〉3月24日)は、日本映画の光学合成技師、デン・フィルム・エフェクト代表取締役社長。 東京都新宿出身。愛称は「デンさん」。妻は東宝で光学作画を務めた飯塚江津子(旧姓・茂田)。 1954年に高校に通いながら二科会の美術研究所で東郷青児に絵画を学び、19歳の時にアルバイトとして東宝撮影所に入所。当初は美術助手として、ミニチュアの建物に「汚し」を付ける仕事などを担当していた。 1957年より円谷英二の奨めで室内合成の光学作画を担当。『地球防衛軍』以降、東宝特撮独自の光線表現を確立。『ウルトラマン』のスペシウム光線、怪獣が吐く破壊光線や火炎、ロケットの噴射などの合成を多く手掛けた。
渡辺 健(わたなべたけし、1933年12月26日 - )は、… 渡辺 健(わたなべたけし、1933年12月26日 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。
滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日… 滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日 - 1990年(平成2年)8月25日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名・瀧田祐作。 東京市下谷区坂本町(現東京都台東区下谷)の指物職人の家に生まれる。出生の翌日に実母が亡くなり、家庭の事情で叔父の家に養子に行き、東京市向島区寺島町(現東京都墨田区東向島)の旧私娼街玉の井で、義理の両親と義兄1人義姉2人の6人家族で育つ。物心付いたころから養子先はスタンドバーを営んでいた。落語家の3代目三遊亭圓歌は寺島第二國民学校の2歳年上だが同学年の幼馴染。東京都立墨田川高等学校卒業後、國學院大學文学部に進むがほとんど通わず中退する。 1949年(昭和24年)〜1950年(昭和25年)頃、漫画家・田河水泡の内弟子となる。
汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は… 汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は、日本の教育学者。大阪教育大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京大学教育学部(学校教育学科)卒業。1957年(昭和32年)東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1957年(昭和32年)東京大学教育学部助手、1960年(昭和35年)愛媛大学教育学部助手、1965年(昭和40年)愛媛大学教育学部講師、1967年(昭和42年)大阪教育大学講師、1972年(昭和47年)大阪教育大学助教授を経て、1976年(昭和51年)大阪教育大学教授。 1979年(昭和54年)より、大阪教育大学天王寺分校主事、1983年(昭和58年)大阪教育大学補導部長、1988年(昭和63年)大阪教育大学教養学科主事などを務めた。
小田 清(おだ きよし、1930年12月26日 - 2014… 小田 清(おだ きよし、1930年12月26日 - 2014年9月4日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。 福島県出身。福島県立安積高等学校卒業。 オペラデビューは横浜勤労者音楽協議会 第76回例会 1960年(昭和35年)3月6,8,9,13,14,15,19日 ヴェルディ『リゴレット』タイトルロール 神奈川県立音楽堂である。最後のオペラ出演は日本オペラ協会1991年(平成3年)3月9,10日 三木稔『あだ』土部三斎 東京芸術劇場中ホール。この間、合計で110本ものプロダクションに一貫して歌手として出演しており、特に二期会の中心的なバリトン歌手として活躍した。中には1967年(昭和42年)の二期会創立15周年記念公演ワーグナー『パルジファル』日本初演のクリングゾルなど歴史的な役柄もあった。
渡部 和(わたなべ ひとし、1930年12月26日 - )は… 渡部 和(わたなべ ひとし、1930年12月26日 - )は、日本の電気工学者。電子計算機(コンピュータ)開発の先駆者。電子回路・システム技術における歴史的貢献を顕彰するキルヒホッフ賞を日本人として初めて受賞。 京都大学工学部電気工学科(旧制)卒業後、日本電気に入社。濾波器の設計に従事し、その基礎となる回路網理論を研究した。設計に要する膨大な数値計算を自動化するために電子計算機を開発し、電子計算機を用いた電気回路設計自動化(CAD)に道を拓いた。その後、ネットワーク分散型の計算機開発、情報ネットワーク研究に従事した。日本電気中央研究所常務理事を経て、1991年から2005年まで創価大学教授。同大名誉教授。
柏木 薫(かしわぎ かおる、1930年〈昭和5年〉12月26… 柏木 薫(かしわぎ かおる、1930年〈昭和5年〉12月26日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の小説家・作家。本名、谷 幸子(たに さちこ)。 「久坂葉子研究会」の代表を務め、小説の他に久坂葉子の評伝や研究書も執筆している。また『告白の海』では自身の性同一性障害を題材としている。 小豆島生まれ。帝国女子専門学校(現在の相模女子大学)国文科卒業。学生時代に文学を志すも、経済的理由で進駐軍専用キャバレーの事務員として働く。1978年、久坂葉子研究会を立ち上げ、研究誌を刊行。1983年には久坂の自殺を題材にした小説「殺された海」を発表。 2023年3月9日、老衰のため神戸市中央区の施設で死去。
篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )… 篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )は、日本の経営学者、会計学者、歌人、経営・労働評論家。 静岡大学名誉教授。日本福祉大学教授、京都自由大学講師。専門は排除論・芸術論。 東京生まれ。一橋大学卒、1960年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。高島善哉の指導を受けた。 関東学院大学講師、立命館大学経営学部助教授、教授、1979年静岡大学人文学部教授。94年定年退官、名誉教授。
藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12… 藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12月26日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の小説家。山形県鶴岡市出身。本名:小菅 留治(こすげ とめじ)。 江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。 山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下(現在の鶴岡市高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。
山路 敬三(やまじ けいぞう、1927年12月26日 - 2… 山路 敬三(やまじ けいぞう、1927年12月26日 - 2003年12月26日)は、元キヤノン社長。
日原 利国(ひばら としくに、1927年12月26日 - 1… 日原 利国(ひばら としくに、1927年12月26日 - 1984年6月21日)は、日本の中国哲学者。 1927年、山梨県生まれ。京都帝国大学文学部で中国哲学を専攻して卒業。卒業後は同大学大学院に進み、博士課程を満期修了退学した。 その後は愛知学芸大学講師となり、助教授に昇進。1971年より大阪大学文学部助教授、1973年より教授。大阪大学に学位論文『春秋公羊伝の研究』を提出して文学博士号を取得。1983年、大阪大学と兼任の形で京都大学文学部教授となったが、在任一年弱で死去した。
山川 浩二(やまかわ ひろじ、1927年 (昭和2年) 12… 山川 浩二(やまかわ ひろじ、1927年 (昭和2年) 12月26日 - )は、日本の広告評論家(広告研究家)。 大阪府出身。1951年に大倉高等商業学校(現・東京経済大学)卒業。 1952年に電通に入社。ラジオ局ラジオ制作部企画課に配属。三木鶏郎のCMソングのプロデュースにも携わった。プランニングセンター副部長を経て、クリエイティブ総務次長・開発部長を最後に退職(1982年)。 1988年、メディアボンドを設立し主宰を務める。 1989年、尚美学園短期大学教授に就任。葵プロモーション顧問などを経て、2012年現在はフリー。 早くから広告資料のアーカイブ化に着目し、著書も出している。
若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2… 若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2013年10月22日)は日本の俳優、演出家、戯曲翻訳家。本名は若林忠昭(わかばやし ただあき)。上海出身(一族は水戸市)、血液型はO型、身長178cm、趣味は鳥類飼育、犬猫ブリード。長男は若林忠宏、長女は若林マリ子で共に音楽家。 1926(昭和元)年12月26日、上海に生まれる。当時父親は、日本水産から独立し上海で海鮮問屋を経営。一家は、上海と若林家の地元茨城県水戸と東京荻窪の別宅を行き来する。代々一族は、水戸藩の足軽頭(馬廻組頭)もしくは書院番を勤め、長男には「忠」の文字を入れることが家訓であった。昭和元年に生まれたため「忠昭」となり、水戸藩士からは十一代目。
藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12… 藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12月26日 - 2016年(平成28年)6月25日)は、日本の官僚。日本赤十字社名誉社長。環境事務次官、内閣官房副長官、宮内庁長官、日本赤十字社社長などを歴任。勲等は勲一等旭日大綬章。
村田 一(むらた まこと、1926年12月26日 - 201… 村田 一(むらた まこと、1926年12月26日 - 2017年8月19日)は、日本の経営者。昭和電工社長、会長を務めた。 長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)出身。旧制松本中学・旧制松本高校を経て、1948年に東京大学第二工学部物理工学科を卒業し、同年に昭和電工に入社。1968年に大町工場長、1973年2月に取締役に就任し、1978年3月に常務、1983年3月に専務を経て、同年7月に副社長に就任し、1987年3月に社長に昇格。1997年3月に会長に就任し、2001年3月に相談役を経て、2005年3月から顧問を務めた。 2017年8月19日心不全のために死去。90歳没。
浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈… 浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈昭和元年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉11月22日)は、日本の書家。書游会創立者。吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 後の茨城県真壁郡下館町に生まれ、小学4年生から書道を始める。第二次世界大戦中は、海軍兵長として従軍し、巡洋艦「摩耶」に乗り組んでいたが、マリアナ沖海戦で至近弾を受けて重傷を負い、内地に送られた。戦後、復員した後、地元で書道塾を開いた。また、平尾孤往に師事した。 1957年に日展に初入選。 1963年、吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 1970年には青山杉雨の教えを受けた。
田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26… 田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26日 - 2012年(平成24年)7月13日)は、昭和から平成時代の政治家。医師。埼玉県和光市長(第6代〜第8代)。 福岡県出身。旧制豊山中学校、清水高等商船学校(現東京海洋大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学医学専門部卒業。1951年(昭和26年)和光市にて開業する。1960年(昭和35年)慶應義塾大学生理学教室にて博士号を受ける。1962年(昭和37年)から1976年(昭和51年)まで朝霞地区医師会会長。ほか、埼玉県医師会役員、日本医師会代議員、日本・ラテンアメリカ医学協会役員などを歴任した。 1989年(平成元年)和光市長に当選し、同年5月から2001年(平成13年)5月まで3期務めた。
関谷 定夫(せきや さだお、1925年12月26日 - 20… 関谷 定夫(せきや さだお、1925年12月26日 - 2017年6月11日)は、日本の聖書学者。西南学院大学名誉教授、旧約聖書学・聖書考古学専攻。 東京出身。1945年旧制福岡高等学校卒業。1949年旧制熊本医科大学卒業。1952年西南学院大学神学専攻卒業。西南学院大学講師、助教授、1969年教授。1968-1969年、イスラエル・ヘブライ大学に学ぶ。1970年西南学院大学神学部長(1978年再任)。1996年定年、名誉教授。 1970-1975年日本基督教学会理事。1983-1995年、西日本宗教学会理事。日本イスラエル文化研究会理事。
太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月2… 太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月26日 - 2018年7月7日)は、日本の生物学・植物学者。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。お茶の水女子大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。岳父は赤木正雄。 神奈川県横浜市生まれ。1948年東京帝国大学理学部植物学科卒業。1960年「粘菌類、変形体の原形質流動に関する研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学大学院特別研究生、1952年お茶の水女子大学講師、助教授、1969年教授、1973 - 1976年東京工業大学教授併任、1976 - 1979年お茶大図書館長、1982 - 1984年理学部長、1985年同人間文化研究科長、1991年名誉教授、1992 - 1997年学長。
野口 廣(のぐち ひろし、1925年12月26日 - 201… 野口 廣(のぐち ひろし、1925年12月26日 - 2017年5月31日)は、日本の数学者、国際あやとり協会顧問、数学オリンピック財団前理事長、早稲田大学名誉教授。初期は野口宏の筆名を用いた。 東京出身。東北帝国大学理学部数学科卒業、1948年同大学副手、1952年早稲田大学講師、1956~1957年湯川奨学金による大阪大学内地留学、1958年ミシガン大学に留学、1960年大阪大学より理学博士号取得。1965年早稲田大学理工学部教授。1966年~米国National Science Foundationの招待によるイリノイ大学客員教授。1996年早大定年、名誉教授。1991年の数学オリンピック財団設立に尽力。
篠田 義一(しのだ ぎいち、1924年(大正13年)12月2… 篠田 義一(しのだ ぎいち、1924年(大正13年)12月26日 - 2010年(平成22年)1月26日)は、日本の陶芸家。長野県下伊那郡川路村(現在の飯田市大字川路)出身。 家は祖父の代より篆刻家で、表札や旅館の看板、寺社の扁額などを手掛けていた。生地は川路村だったが、父の篠田弼は松本市浅間温泉に移って土産物の陶芸を営み、篠田もその下で育つ。これにより旧制中学校在学中に陶芸家を志望した。 開智尋常小学校、1942年(昭和17年)に松本第二中学を卒業後、京都の陶芸家伊東陶山の門を叩くが断られ、代わりに紹介された近藤悠三に師事した。1944年(昭和19年)、福知山の陸軍に召集され、幹部候補生試験を経て沖縄派遣を控える中で軍曹で終戦を迎えた。
太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月2… 太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月26日 - 1998年〈平成10年〉11月20日)は、日本の俳優。大宰 久雄と表記されることもある。 映画『男はつらいよ』シリーズのタコ社長(桂梅太郎)役で有名な俳優である。同映画において渥美清演じる車寅次郎との掛け合いは見所のひとつであった。 東京市浅草区千束町(現在の東京都台東区浅草千束)出身。浅草の荒物雑穀商、海苔問屋・佐野屋の息子として生まれる。タコ社長役で見られた髪型は、父・久吉をモデルにしたもので、当時の浅草の海苔問屋の商人たちの間で流行っていた髪形であるといわれている。この独特のウェーブは魚の鯔の背中の姿を模しているため、イナセと呼ばれる江戸時代に流行ったスタイルでもあった。
有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 20… 有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 2007年12月10日)は、日本の生理学者。医学博士。チューレーン大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校および第七高等学校卒業。1951年名古屋大学医学部卒業後、イェール大学での研究生活を経て、1965年からチューレーン大学でアンドリュー・ウィクター・シャリー博士の下で、視床下部ホルモンの研究に従事した。ノーベル生理学医学賞(1997年)を受賞したシャリー博士の研究には、3人の日本人(有村章、馬場義彦、松尾寿之)が直接的に貢献したと言われているが、有村博士は、そのうちの1人。その後、有村博士は、1985年日本の財界の協力を得てチューレーン大学・日米協力生物医学研究所(U.S.-Japan Biomedical Research Laboratories)を設立、同研究所長となり、そこを拠点として、神経科学の発展に貢献した。
武藤 騤雄(むとう たけお、1915年12月26日 - 20… 武藤 騤雄(むとう たけお、1915年12月26日 - 2009年4月4日)は、日本の劇作家、翻訳家、法政大学名誉教授。福岡生まれ、東京大学英文科卒。法政大学教授。1986年定年退任。 藤川健夫(ふじかわ たけお)をペンネームとして劇作家としても活躍。 受験参考書の「英単語連想記憶術」の著者として知られ、同書は受験生のバイブルとして版を重ねる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田中 照三(たなか てるぞう、本名:田中輝夫、1913年12… 田中 照三(たなか てるぞう、本名:田中輝夫、1913年12月26日 - 2006年9月7日)は、日本の舞台美術家。弟は第一回「安井賞」作家・洋画家の田中岑。
大原 久友(おおはら ひさとも、1912年 <大正元年> 1… 大原 久友(おおはら ひさとも、1912年 <大正元年> 12月26日 - 1994年 <平成6年> 9月25日)は、日本の畜産学者・農学者・元地方公務員。専門は、畜産学・酪農学・草地学。学位は、農学博士(北海道大学・1945年)。元帯広畜産大学学長。位階は従三位。恩師は井口賢三。 北海道苫前郡羽幌町生まれ。1936年(昭和11年)北海道帝国大学農学部を卒業し、北海道庁技官。1942年(昭和17年)帯広高等獣医学校教授。1945年、北海道大学より農学博士の学位を取得。学位論文の題は「北海道産笹類の家畜栄養学的研究」。1950年(昭和25年)帯広畜産大学畜産学部教授。1969年(昭和44年)、同学長事務取扱。
松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月2… 松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月26日 - 2007年(平成19年)3月11日)は、昭和期の機械技術者、政治家。 長野県下伊那郡上飯田村(現飯田市)で、松澤茂雄、寿美の長男として生まれた。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類を経て、1938年(昭和13年)3月、京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。 石川島芝浦タービンから1950年(昭和25年)芝浦ミシンに転職し、1955年(昭和30年)退社。飯田市商工観光課工業指導事務嘱託を経て、1956年(昭和31年)飯田市教育長、1964年(昭和39年)飯田市総務部長となり、1968年(昭和43年)に退職。
奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日 – 1… 奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日 – 1949年4月8日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。 東京生まれ。関東大震災罹災のため一時、鹿児島県に転居。1933年3月、府立高等学校 (旧制)を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部国史学科入学、同期に井上清、磯貝正義、新城常三らがいる。卒業論文「鎌倉時代の武士と神社−特に其民族的信仰形態に就て」をまとめて、1936年に卒業。その後、東京帝国大学史料編纂所勤務。日本中世における氏寺について、先駆的な研究を行った。
宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年〈… 宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年〈明治44年〉12月26日 - 2004年〈平成16年〉12月18日)は、日本の皇族。元華族。高松宮宣仁親王の妃。 旧名、徳川 喜久子(とくがわ きくこ)。徳川慶久公爵令嬢。母は有栖川宮威仁親王の第2王女・實枝子女王。身位は親王妃。お印は初めが亀(かめ)、結婚後は撫子(なでしこ)。 1912年(明治45年)4月12日、両親に連れられ舞子別邸(兵庫県)で静養中の祖父有栖川宮威仁親王の元を訪れると、威仁親王は当時唯一の孫である喜久子を「喜久女、喜久女」と呼び可愛がったため、慰子妃の勧めで、夫妻はそのまま喜久子を舞子別邸に預けて帰京した。 1913年(大正2年)6月22日、病状が重篤となった威仁親王の元に宮内大臣渡辺千秋伯爵が派遣され、大正天皇第3皇男子の宣仁親王(当時8歳)に「高松宮」の称号を与えて有栖川宮家の祭祀を継承させる内諭が伝達された。
井上 勝英(いのうえ かつひで、1911年〈明治44年〉12… 井上 勝英(いのうえ かつひで、1911年〈明治44年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉10月7日)は、昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。 海軍士官・井上勝純の長男として生まれる。父の死去に伴い、1939年1月16日、子爵を襲爵した。 1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。1939年(昭和14年)東京高等農林学校(現東京農工大学)助教授に就任。以後、農商事務官、農林事務官、総力戦研究所第二期研究生、南京日本大使館嘱託、農商大臣秘書官事務取扱、農村更生協会主事、日本農業研究所研究員補などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
大和田 信(おおわだ しん、1910年(明治43年)12月2… 大和田 信(おおわだ しん、1910年(明治43年)12月26日 - 1991年(平成3年)3月16日)は日本の航空技術者。 1910年(明治43年)12月、茨城県東茨城郡生まれ。旧制水戸中学校、水戸高校卒業。1935年(昭和10年)、東京帝国大学工学部航空学科卒業。同級に、糸川英夫、小谷敏夫(海軍彗星爆撃機設計員・技術大尉(サイパン島で戦死))、品川信次郎(立川一式双発高等練習機設計)等がいる。 1935年(昭和10年)、川崎造船所飛行機部入社、初めにキ‐32(九八式軽爆撃機)設計スタッフとなり、次に土井武夫課長のキ‐48(九九式双発軽爆撃機)の主翼設計担当となる。その成果が土井に認められ、その後土井設計部長の下でキ‐61、キ‐61 II、キ‐61 II改、キ‐100の設計課長及び翼担当課長を務める(川崎航空機は1人で全開発機の各部専任担当課長と個別の機体の設計課長を兼務する方式をとっていた)。
栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - … 栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - 1955年5月24日)は、日本の農業経済学者。茨城県東茨城郡石塚町(現在の城里町)出身。 医者の長男として生まれ、家業を継ぐために水戸中学校から水戸高等学校へ進む。1931年に同校理科乙類を卒業するが、医学部へは進まず、東北帝国大学法文学部に進学する。大学時代は歴史哲学を学び、宇野弘蔵、新明正道らの講義を聴講していた。卒業論文は「ジョン・スチュアート・ミルの思想史的研究」。1937年に大学を卒業、直後に人民戦線事件で検挙される。 1939年、帝国農会へ就職するが、1942年12月に再び治安維持法違反容疑で逮捕される。戦後は農林省統計調査局調査室嘱託などを経て、1953年に拓殖大学政経学部教授となる。
内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 -… 内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 - 1982年7月7日)は、日本の軍医。1950年、日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)を創業。医学博士。 京都府綾部町出身。茨木中学校、旧制三高を経て、1927年(昭和2年)京都帝国大学医学部に入学し、1931年(昭和6年)に卒業。1936年(昭和11年)に京大大学院を卒業。「バクテリオファージ研究補遺」で医学博士となる。 1937年(昭和12年)からヨーロッパ、アメリカでの研究、情報収集を行った後、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験にも関わったとされる。帰国後、東京・戸山の陸軍軍医学校で終戦まで軍医教官として勤務した。
立 正嘉(たち まさよし、1906年 <明治39年> 12月… 立 正嘉(たち まさよし、1906年 <明治39年> 12月26日 - 1990年 <平成2年> 10月13日)は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1929年に東京帝国大学独法科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1959年11月から1975年12月までに山陰合同銀行頭取を務めた。 1969年9月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1990年10月13日肺炎のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
小川 弘貫 (おがわ こうかん、1905年12月26日 - … 小川 弘貫 (おがわ こうかん、1905年12月26日 - 1974年4月10日)は、日本の曹洞宗の僧侶、駒澤大学教授、駒沢女子短期大学初代学長。専門は如来蔵思想。
並河 亮(なみかわ りょう、1905年12月26日 - 19… 並河 亮(なみかわ りょう、1905年12月26日 - 1984年5月8日)は、日本の翻訳家、放送作家、放送・文芸・美術・ジャズ評論家、英文学者。 写真家の並河萬里の父。 島根県生まれ。東京帝国大学法学部卒。NHK国際部、毎日放送に勤務。日本大学で文学博士取得。その後同大学旧文学部で教授を務めた。 ドス・パソス『U.S.A.』を唯一完訳。そのほかにアプトン・シンクレアなどの翻訳、放送台本、評論活動がある。 生涯にわたり『華厳経』の研究著作を行った。