安西 篤子(あんざい あつこ、1927年8月11日 - )は… 安西 篤子(あんざい あつこ、1927年8月11日 - )は、日本の小説家。 兵庫県武庫郡須磨村(神戸市須磨区)村雨町生まれ。父は福島県出身で横浜正金銀行に勤務した安西政一郎。母は東京都の出身。妹に作家の杉本晴子がいる(本項に記述)。生後間もなく父の勤務でドイツに渡り、1933年まで在住した。ドイツ滞在中、ベルリンで群衆の歓呼に応えるアドルフ・ヒトラーを目撃する(「あの日、ヒトラーを見た私」新潮社「波」2021年5月号)。帰国後の1935年、再び父の転勤で中国へ渡り、青島高等女学校を経て1941年に帰国。1945年神奈川県立横浜第一高等女学校(現・神奈川県立横浜平沼高等学校)卒。1946年冨中暁と結婚、長女、長男を儲ける。
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岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 200… 岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 2002年6月22日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。元丸紅参与。 兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)時代は賀川浩らと共に活躍。神戸高等工業学校(神戸大学工学部の前身)を経て、早稲田大学に進学して、ア式蹴球部に所属した。1950年に大学を卒業して大平鉱山(岡山県)に入社した。 関学クラブ在籍時の1951年2月11日、全関西戦で日本代表として初出場した。以降は1951年のアジア大会、1954 FIFAワールドカップ・予選、1954年のアジア大会などに出場。合計で国際Aマッチ7試合に出場した。 また、1990年代には早稲田大学ア式蹴球部女子の監督を務めた。
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岡田 与好(おかだ ともよし、1925年8月11日 - 20… 岡田 与好(おかだ ともよし、1925年8月11日 - 2014年5月27日)は、日本の西洋経済史学者。大塚久雄、高橋幸八郎の愛弟子。
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白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、… 白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、日本の農業経済学者、名城大学名誉教授。 岐阜県出身。東京農業教育専門学校卒。1962年「資本の運動と地代」で東京大学農学博士。農林省農業総合研究所、名城大学商学部教授。1998年定年、名誉教授。
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大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> … 大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> 8月11日 - 2005年 <平成17年> 7月2日)は、日本の検察官。東京地検特捜部長や、東京地検検事正、次長検事、最高裁判所判事等を歴任した。位階は正三位。 東北帝国大学工学部では工業力学を専攻し、戦闘機設計を目指す。しかし、卒業時は敗戦後だったため、やむなく鉱山関係の企業に就職。「法律家になるな」と生前に厳命していた父の残した書物を頼りに1年間独学して、初挑戦で司法試験を突破した。 弁護士を半年経験した後に検事任官。東京地検特捜部では武州鉄道汚職事件などの捜査に加わる。東京地検次席検事在籍時に発覚したダグラス・グラマン事件では異例の捜査開始宣言をした。
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守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1… 守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1999年11月14日)は、日本の政治家。参議院議員。熊本県熊本市出身。
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永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 201… 永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 2010年9月12日)は、フランス文学者。 フランス文学者永戸俊雄の子。東京出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て慶應義塾大学文学部仏文科卒、同経済学部教授、経済学部長を務め、1987年定年退任、名誉教授。サルトルの翻訳をおこなった。 2010年9月12日、心不全のため89歳で死去した。
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山原 健二郎(やまはら けんじろう、1920年〈大正9年〉8… 山原 健二郎(やまはら けんじろう、1920年〈大正9年〉8月11日 - 2004年〈平成16年〉3月8日)は、日本の政治家。 高知県議会議員(2期)、衆議院議員(10期)、日本共産党衆議院議員団長、党議員団総会副会長を歴任。 高知県長岡郡本山町出身。 二松學舍専門学校卒。 出征、高知新聞記者を経て中学・高校の国語教師に。 1948年、高知県教育委員に全国最年少で当選(27歳)。 1953年、共産党入党。 1956年からは県教組副委員長、県総評副議長を務め、勤評反対闘争の際に懲戒免職となった。 1963年高知県議当選。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で衆院議員に初当選。党衆議院議員団長、党議員団総会副会長を務める。
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菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日 – 197… 菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日 – 1974年10月24日 )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 東京都出身。1938年に國學院大學に入学し、1939年度には西岡虎之助が担当した科目「国史学」を履修。1941年3月に卒業。卒業論文は「吉野朝時代公家社会世相と洞院公賢」。同年6月東京帝国大学史料編纂所に入所。その後、兵役に就き、シベリア抑留を経て、1947年11月復員。1948年1月に史料編纂所に復帰し、1956年に助手、1968年に助教授、1974年に教授となる。古文書部に属し、東大寺文書の編纂を担当した。 1953年発表の論文『戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-』は、永原慶二によって「戦後新たに出発した戦国大名研究の起点に位置付けられる労作」と評価されている。
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原田 要(はらだ かなめ、1916年(大正5年)8月11日 … 原田 要(はらだ かなめ、1916年(大正5年)8月11日 - 2016年(平成28年)5月3日)は、日本の海軍軍人、戦闘機操縦者、最終階級は海軍中尉。 長野県上水内郡浅川村(現長野市)の農家に生まれた。わんぱくで勉強は好きではないが、よく出来たほうで、1929年(昭和4年)、旧制長野中学(現長野県長野高等学校)に入学する。 1933年(昭和8年)、一般志願兵として海軍に入隊し、横須賀海兵団で新兵教育を終えた後、駆逐艦「潮」乗組みとなった。だが大砲や魚雷があまり好きになれず、やがて幼少時に見て以来ずっと憧れていた飛行機に乗りたいと志すようになったものの、上司や父の反対のため、たまには飛行機に乗せてもらえるということで、1935年(昭和10年)横須賀航空隊に航空兵器術練習生として入隊した。
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石神 兼文(いしがみ かねふみ、1916年8月11日 - 2… 石神 兼文(いしがみ かねふみ、1916年8月11日 - 2011年4月27日)は、日本の法学者。鹿児島大学第6代学長・名誉教授。専門は民法、特に財産法。 鹿児島県日置郡東市来村長里(現・日置市東市来町長里)にて生まれる。鹿児島県立伊集院中学校 (旧制)を経て、1935年3月に第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類を卒業。1940年3月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業して、大日本航空に入社するが、翌年3月に軍に現役入隊となり休職。1946年3月、復員。1947年10月から1950年10月まで、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校とその学制改革後の鹿児島県甲南高等学校にて教諭を務め、社会科の一般社会の授業を担当。
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渡辺 静子(わたなべ しずこ、1916年8月11日 - 20… 渡辺 静子(わたなべ しずこ、1916年8月11日 - 2011年5月2日)は、日本の国文学者・俳人。 東京生まれ。筆名・渡辺 しおり。1937年実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒、結婚するが夫を亡くしたあと、1966年東洋大学大学院博士課程満期退学、清和女子短期大学教授、1972年大東文化大学教授、87年名誉教授。1991年「中世日記文学論序説」で大東文化大学文学博士。専門は中世・中世日記文学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11… 浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11日 - 1996年〈平成8年〉7月31日)は、日本の小説家、医師。 群馬県勢多郡富士見村(現・前橋市)出身。 祖父・浅田長太郎は平藩の足軽の家の出で勢多郡新里村山上の浅田民次郎の養子となり、後に初代新里村長となった。 晃彦は勢多郡富士見村に生まれ、利根郡片品村で幼少期を過ごした。1934年(昭和9年)に旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)に慶應義塾大学医学部を卒業。翌1942年(昭和17年)陸軍軍医として入隊、ラバウルで勤務し1946年(昭和21年)に復員した。 戦後は前橋で内科小児科を開業し、のちに日本郵船の船医となる。
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戸田 邦雄(とだ くにお、1915年(大正4年)8月11日 … 戸田 邦雄(とだ くにお、1915年(大正4年)8月11日 - 2003年(平成15年)7月8日)は、日本の作曲家。本名は戸田盛国、別名森田邦雄。 東京府本郷の東大病院で生まれ、六本木で育つ。祖父は尾崎三良。義理のおじに尾崎行雄がいる。父親はいわゆる高等遊民だったが、1927年(昭和2年)の金融恐慌で没落した。東京府青山師範学校附属小学校から東京高等学校文科乙類を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東大オーケストラ部の仲間に、柴田南雄、入野義朗、繁田裕司(後の三木鶏郎)がいた。 1938年(昭和13年)に外務省に入る。ドイツ赴任中にカラヤンやフルトヴェングラーの演奏に接する。駐ソ連日本大使館勤務の後、独ソ戦の激化に伴い1941年(昭和16年)に帰国して諸井三郎に作曲を師事した。
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島村 喜久治(しまむら きくじ、1913年8月11日 - 1… 島村 喜久治(しまむら きくじ、1913年8月11日 - 1997年11月28日)は、日本の医師。結核対策に尽くした。 岡山県出身。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、東京大学医学部卒業。39歳で東京の国立療養所清瀬病院の院長に就任、1953年『院長日記』で日本エッセイストクラブ賞受賞。清瀬病院が統合された国立療養所東京病院院長を務め、のち名誉院長。長男は地震学者・武蔵野学院大学特任教授の島村英紀。ピアニストの妻千枝子の叔母(母の妹)が吉行あぐり。
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高安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 -… 高安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 - 1984年7月30日)は、日本の歌人、ドイツ文学者、翻訳家。専門はリルケで、多くの作品を翻訳している。短歌結社「塔」の創設者。 父高安道成は医師、母やす子はアララギの歌人。三男高安醇は画家。伯父に高安月郊。作曲家・弘田龍太郎はいとこの夫。 大阪府大阪市道修町出身。 母の影響を受けて短歌を志し、アララギに入会、土屋文明に師事。1954年に『塔』を創刊する。 リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた。 京都大学短歌会の顧問もつとめ、永田和宏や栗木京子を育てた。
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岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)8月11… 岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)8月11日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の心理学者・俳人。専門は教育心理学。元・北海道教育大学学長。 滋賀県出身。1946年広島文理科大学 (旧制)心理学科卒。その後、1947年北海道大学法文学部助教授、1950年同法経学部助教授を経て、1952年(昭和27年)北海道学芸大学助教授に就任。1959年(昭和34年)同教授。1975年(昭和50年)北海道教育大学7代学長。1983年(昭和58年)北海道教育大学退官。同名誉教授。北星学園大学文学部教授。1988年(昭和63年)北星学園大学定年退職。駒澤大学保育専門学校招聘講師(1992年まで))。
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本山 亨(もとやま とおる、1912年(大正元年)8月11日… 本山 亨(もとやま とおる、1912年(大正元年)8月11日 - 2002年(平成14年)4月2日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。新潟県出身。 1936年(昭和11年)に京都帝国大学法科を卒業。すぐに弁護士となり、以来名古屋で弁護士生活を送り、名古屋弁護士会会長も経験した。保守・タカ派といわれ、愛知県人事委員長の時は数千人に及ぶ春闘の処分強行を主張し、民事の企業代理人として女子の若年制では「生理休暇も取り上げ、深夜労働もさせるか、労働基本法も見直しや必要」とも強調していた。 1977年(昭和52年)8月26日に最高裁判事に就任。日弁連の推薦ではなく、藤林益三最高裁長官による意向によって決定された(ただし、この機会以前に日弁連から最高裁判事候補として推薦を受けた経験はある)。
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夢 虹二(ゆめ こうじ、1912年(大正元年)8月11日 -… 夢 虹二(ゆめ こうじ、1912年(大正元年)8月11日 - 1989年(平成元年)7月12日)は、埼玉県加須市出身の作詞家。主に童謡や歌謡曲の作詞を手がけた。本名「須永孝一郎」。 日本大学商学科中退。 古本で1円で買った北原白秋全集を読んだことが、作詞家を志すきっかけとなった。1955年にキングレコードの専属となり、代表作には、童謡「すうじのうた」「とんぼの中にぼくがいる」「北風こぞう」、歌謡曲「まつの木小唄」「ハマの女」、新民謡「わらび摘み唄」などがある。また、18年間日本童謡協会事務局長を務めた。1972年には「とんぼの中にぼくがいる」で日本作詩大賞童謡賞、1988年には第18回日本童謡賞特別賞を受賞。
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髙本 善四郎(たかもと ぜんしろう、1911年8月11日 -… 髙本 善四郎(たかもと ぜんしろう、1911年8月11日 - 2007年12月7日)は、日本の実業家、慈善活動家。ダイトロン創業者。 京都府舞鶴町(現舞鶴市)吉原地区生まれ。吉原尋常小学校、京都府立舞鶴中学校(現京都府立西舞鶴高等学校)卒業後、貿易に携わるため、東京商科大学(現一橋大学)専門部に進学し、1944年に卒業後商社に入る。 太平洋戦争中は中国大陸で従軍し、日本の降伏後大阪で個人事業を起業。東京通信工業の『テープコーダー』を扱い、1952年には大阪市北区に大都商事(現ダイトロン)を設立。 90歳で経営から引退後は、福祉や教育分野での慈善活動のため2001年に滋賀県にダイトロン福祉財団を設立、舞鶴市社会福祉協議会への寄付などを行った。
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横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11… 横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11日 - 1981年(昭和56年)3月)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、空自で空将補。 1909年8月11日、神奈川県横須賀市で海軍軍人の次男として生まれる。横須賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業。1934年11月、第26期飛行学生拝命。1935年7月、同課程修了、戦闘機搭乗員となる。1936年11月、佐伯空。 1937年2月、大分空分隊長。7月、支那事変の勃発に伴い、十三空分隊長として上海の公大飛行場に着任。哨戒任務を行う。9月19日、南京の中国空軍機殲滅を目的とした南京第一次空襲に第1大隊(制空隊、九六式艦戦13機)第3中隊長として参加。
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古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月1… 古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月11日 - 1989年(平成元年)8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治。1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。
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井村 栄三(いむら えいぞう、1909年8月11日 - 19… 井村 栄三(いむら えいぞう、1909年8月11日 - 1996年10月22日)は、日本の経営者。三重県出身。 1930年に名古屋高等商業学校を卒業。 トヨタ自動車工業などでの勤務を経て、1949年に日本電装監査役に就任し、1951年5月に取締役、1955年に常務、1962年に専務を経て、1967年に副社長に就任した。1973年12月に東海理化電機製作所社長に就任。1979年6月には会長に就任した。1979年6月から1983年6月までに光洋精工社長を務めた。 1977年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年10月22日慢性腎不全のために死去。87歳没。
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福永 英二(ふくなが えいじ、1909年8月11日 - 20… 福永 英二(ふくなが えいじ、1909年8月11日 - 2002年11月18日)は、朝日新聞記者、翻訳家であり、アフリカとの民間外交も担った。 山口県生まれ。1936年早稲田大学法学部卒。1939年パリ大学修了、朝日新聞社入社、欧米部員、海外特派員などを経て、1956年退社。在フランス日本大使館勤務ののち、1959年社団法人日本アフリカ協会専務理事。1985年日本とアフリカの民間外交の功績で勲三等瑞宝章を受章(『日本企業の体験的アフリカ』略歴)。ほかフランス語の翻訳も行った。 2002年11月18日、心不全のため死去。
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青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 19… 青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 1993年2月27日)は、日本の小説家、歌人。石川県鵜川村(石川県鳳至郡に所在。町制施行し鵜川町となる。現:能登町。)に生まれ、1914(大正3)年に北海道小樽市に来る。父母の生業である理美容業を継ぐ。大正末期に並木凡平を知り、以来口語短歌一筋に70年の歌歴を積む。1927(昭和2)年並木凡平が「新短歌時代」を創刊するや編集同人として参画。主著に歌集「せせらぎ」「青空に描く」「海峡」など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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小泉 清三郎(明治38年(1905年)8月11日 - 没年不… 小泉 清三郎(明治38年(1905年)8月11日 - 没年不明)は、日本の実業家。小泉商店代表社員。 大正12年(1923年)島根県立商業学校卒。鳥取県履物統制組合理事長、同履物工業統制組合理事、同屑ゴム利用製品統制組合理事長、米子商工会議所議員、米子市万能町町内会長等を歴任。万能神社総代、瑞仙寺檀徒総代を兼任す。 趣味は読書。宗教は禅宗。住所は米子市万能町。 昭和9年(1934年)3月1日、万能町・小泉清三郎方より出火損害五千圓。 大正11年(1922年10月)『西伯之資力』によると、地価二百円以上納入者として、小泉清三郎(履物製造、九百九十六円八十八銭)、河原仁十(魚類問屋業、四百七十八円五十四銭)の二人がみえ、所得税納入者は十七人、国税営業税納入者として次の十七人の名が記されている
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九重 年支子(ここのえ としこ、1904年〈明治37年〉8月… 九重 年支子(ここのえ としこ、1904年〈明治37年〉8月11日 - 2002年〈平成14年〉8月13日)は、日本の発明家、実業家。簡易織り機である「九重手織り機」の発明、その普及と織物制作に努めたことや、婦人発明家協会の創立で知られ、日本の女性発明家の草分けとも呼ばれる。東京府深川区(後の東京都江東区)出身。本名、坂野 敏子。東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)専攻科卒業。 1904年(明治37年)シンガーミシン裁縫女学院設立者の父秦敏之と女学院院長母利舞子の間に生まれる。6歳下の妹はニットデザイナーの秦万紀子。東京女子高等師範学校付属高女・専攻科英語科卒業、翌年建築技師坂野秀雄と結婚。
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町田 一郎(まちだ いちろう、1902年8月11日 - 19… 町田 一郎(まちだ いちろう、1902年8月11日 - 1992年1月16日)は、三菱銀行常務取締役、三菱経済研究所長などを務めた、日本の銀行家。 長野県更級郡青木島村(後の長野市更北)生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校の前身)から、第八高等学校 (旧制)へ進み、東京大学経済学部を卒業した。大学では研究者になることを目指して大内兵衛のゼミに参加していたが、実家が経営に関わっていた更埴銀行(1911年 - 1937年)の経営が困難に陥る状況などがあって研究者への道を断念し、1928年に三菱銀行に入行して、以降はもっぱら調査や貸付関係の業務に従事した。1936年ころには業務として欧米留学を経験し、その後、審査部長を経て常務取締役となり、後には、三菱経済研究所長に転じた。
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千頭 暎臣(ちかみ てるおみ、1902年(明治35年)8月1… 千頭 暎臣(ちかみ てるおみ、1902年(明治35年)8月11日 - 1983年(昭和58年)2月27日)は、元三菱信託銀行社長、会長。
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小坂 隆雄(こさか たかお、1901年8月11日 - 197… 小坂 隆雄(こさか たかお、1901年8月11日 - 1979年8月20日)は、日本の生理学者、公衆衛生学者。 長野県岡谷市に生まれる。 長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。1924年に満洲医科大学(現中国医科大学)を卒業後、同大学の生理学教室に入り、久野寧の発汗研究に従事する。 1929年、ロックフェラー財団のフェローシップをとり、北京協和医学院へ留学、林 可勝(ロバート・リム)(中国語版)の生理学教室へ入る。 1930年、林との協同研究により小腸由来の胃酸分泌抑制作用を発見し、作用を再現する物質をエンテロガストロンと命名する。その後、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン へ留学し、Sir Charles Arthur Lovatt Evans、 アーチボルド・ヒルの指導を受け、インスリン放出や血糖利用等代謝に関する研究を行う。
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森澤 清(もりさわ きよし、1901年(明治34年)8月11… 森澤 清(もりさわ きよし、1901年(明治34年)8月11日 - 1992年(平成4年)8月3日)は、日本の放送人、実業家である。朝日新聞社に勤めたのち、東京放送テレビ(通称:TBSテレビ)常務取締役や子会社のラジオ東京サービス社長を務める。中央放送広告社長も務めた。岡山県高梁市出身。姓は常用漢字体で「森沢」とも表記される。 1901年(明治34年)岡山県上房郡豊野村(現:高梁市)の父・森澤清六と母・ひさの七男として出生する(出生地は東京、誕生後すぐに地元へ帰省)。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高校)卒業を経て、1920年(大正9年)に旧制第六高等学校文科甲類へ進学する。 その後、1922年(大正12年)3月、同校を卒業し、京都帝国大学法学部へ進学する。
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松崎 一雄(まつざき かずお、1901年(明治34年)8月1… 松崎 一雄(まつざき かずお、1901年(明治34年)8月11日 - 2000年(平成12年)4月14日)は、日本の実業家。森永商事代表取締役社長、森永製菓代表取締役副社長、森永乳業取締役、学校法人立教学院理事長を務めた。子に松崎昭雄がいる。 1901年、松崎半三郎の長男として生まれる。 立教大学に入学。予科2年の時に、バスケットボール部に入る。部ではアメリカから帰ってきた志賀直哉の弟がコーチを務めた。1926年、立教大学商学部(現・経済学部、経営学部)卒業。 1927年、森永製菓に入社する。1942年、森永製菓取締役に就任し、1943年、森永製菓常務、1952年、森永製菓専務、1966年、森永製菓副社長と歴任。
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大潮 清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 -… 大潮 清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 - 1979年3月29日)は、福岡県三潴郡(現在の大川市)出身で陸奥部屋に所属した大相撲力士。本名は石橋 清治郎(いしばし せいじろう)。現役時代の体格は身長184cm、体重116kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇。二枚鑑札で年寄・陸奥を襲名。 陸奥部屋に入門、1919年1月場所に初土俵を踏む。入門も遅かったこともあって、昇進もゆっくりで、新十両が1928年3月、新入幕は1932年1月場所で、すでに30歳を超えていた。その新入幕の場所に春秋園事件が起こり、多くの力士が脱退したが、彼は残留し、その結果いきなり東前頭2枚目と幕内上位に進出することになった(事件前の番付は東前頭12枚目だった)。
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米田 冨士雄(よねだ ふじお、1898年8月11日 – 19… 米田 冨士雄(よねだ ふじお、1898年8月11日 – 1977年3月30日)は、日本の逓信官僚。 1898年、東京府東京市神田仲猿楽町で、弁護士・衆議院議員である米田実の長男として出生。 明治中学校(現・明治大学付属明治高等学校・中学校)、第五高等学校乙文科を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。高等文官試験に合格し、1924年に旧逓信省入省。1929年、陸軍大臣、教育総監などを務めた秋山好古の四女治子と結婚。国際連盟交通委員顧問としてのパリ駐在、国際航空委員会の帝国代表随員、ロンドン国際経済会議の全権随員などを務める。運輸省海運総局運航部長、海務官などを経て、日本船主協会理事長、日本海運振興会会長、海事産業研究所理事長などの要職を歴任。
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橋本 彦七(はしもと ひこしち、1897年(明治30年)8月… 橋本 彦七(はしもと ひこしち、1897年(明治30年)8月11日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、日本の政治家、技術者。熊本県水俣市長(4期)。日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場勤務時代、水銀触媒を用いたアセトアルデヒドと酢酸の合成法を発明。1938年(昭和6年)から1946年(昭和21年)まで水俣工場長を務めた。 現在の北海道札幌市に南部家の四男として生まれる。旧制札幌第一中学校卒業後、1916年(大正5年)、東京市日本橋在住の橋本家の養子となる。1919年(大正8年)、東京高等工業学校電気化学科(現・東京工業大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)に入社。 1931年(昭和6年)、橋本らは、カーバイトからアセチレンを作り,これを水銀触媒を使ってアセトアルデヒドに変える一連の合成方法を発明し、特許原簿に登録した。
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小山 敬三(こやま けいぞう、1897年〈明治30年〉8月1… 小山 敬三(こやま けいぞう、1897年〈明治30年〉8月11日 - 1987年〈昭和62年〉2月7日)は、昭和期の洋画家。 父と祖父は小山久左衛門(世襲名)と称した小諸城下・荒町の豪商であり、商家でありながら馬廻り格の士分待遇を小諸藩から受けていた。衆議院議員・初代小諸市長・参議院議員等を務めた小山邦太郎は兄。 出身地の小諸市では、小山敬三の名を冠した「小山敬三記念小諸公募展」が毎年全国から浅間山、千曲川、小諸の風景等を描いた作品を募り、市立小諸高原美術館・白鳥映雪館にて入賞・入選作品展が開催されている。 国際結婚がまだ珍しかった時代にフランス人女性と結婚したことでもしられる。実子はない。自由民主党・三木派の大番頭といわれた三木武夫内閣の官房長官・井出一太郎の妻は、小山邦太郎の女子である。
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赤松 常子(あかまつ つねこ、1897年8月11日 - 19… 赤松 常子(あかまつ つねこ、1897年8月11日 - 1965年7月21日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(3期)。日本社会党初代婦人部長。 山口県都濃郡徳山村(現・周南市)生まれ。祖父は徳応寺住職の赤松連城。兄に宗教学者の赤松智城、衆議院議員の赤松克麿がいる。 徳山高等女学校(現山口県立徳山高等学校)を経て、1913年、京都女子専門学校入学。在学中は、賀川豊彦の社会事業に協力。その後、2年で大学を中退。1923年、上京し労働運動に取り組む。同年9月に発生した関東大震災における賀川豊彦の罹災者救済活動に協力。 1925年日本労働総同盟婦人部にはいる。この間、野田醤油労働争議に参加。1940年、日本労働総同盟は自主解散し、大日本産業報国会に組み入れられた。
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猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月… 猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。鳥取県出身。戦艦「武蔵」艦長として戦死し、一階級特進で最終階級は海軍中将。 鳥取県気高郡賀露村(現・鳥取市)において大工棟梁・猪口鉄蔵の長男として生まれる。弟に猪口力平(海軍兵学校第52期)がいる。海軍内では兄は「猪口敏(チョコビン)」、弟は「猪口力(チョコリキ)」と区別する呼称もあった。旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を経て、海軍兵学校と陸軍士官学校第30期を受験し双方に合格。海兵第46期へ入学。1918年(大正7年)11月、10番/124名(1番は山階宮武彦王、実質は9番)の成績で卒業。
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城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977… 城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。元松竹会長。現在の松竹社長迫本淳一は孫。
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岩田 正巳(いわた まさみ、1893年〈明治28年〉8月11… 岩田 正巳(いわた まさみ、1893年〈明治28年〉8月11日 - 1988年〈昭和63年〉3月9日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は従四位。 新潟県三条市出身。1918年(大正7年)東京美術学校日本画科卒業、東京美術学校日本画研究科入学。松岡映丘に師事する。1921年(大正10年)新興大和絵会を結成し、新興大和絵運動に参加する。1924年(大正13年)第5回帝展に「手向の花」が初入選、1930年(昭和5年)第11回帝展で「高野創世」が特選。1937年(昭和12年)国画院に参加し、新文展にも複数回出品する。1939年(昭和14年)川﨑小虎らと日本画院を設立する。1952年(昭和27年)第8回日展運営会参事、1958年(昭和33年)同評議員を務める。
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岡田 要(おかだ よう、1891年8月11日 - 1973年… 岡田 要(おかだ よう、1891年8月11日 - 1973年12月26日)は、日本の動物学者。理学博士(京都帝国大学・論文博士・1929年)(学位論文「La regeneration chez les Coelenteres(腔腸動物に於ける再生の研究)」)。東京帝国大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。 兵庫県相生生まれ。旧制八高を経て1918年(大正7年)東京帝国大学理科大学動物学科卒。三崎臨海実験所勤務の後、1924年(大正13年)から6年間ヨーロッパ留学。帰国後、1929年(昭和4年)京都帝国大学理学部動物学科教授、同年理学博士(京都帝国大学(学位論文「La regeneration chez les Coelenteres(腔腸動物に於ける再生の研究)」)。
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田辺 忠男(たなべ ただお、1891年8月11日 - 196… 田辺 忠男(たなべ ただお、1891年8月11日 - 1967年3月20日)は、大正から昭和時代の日本の経済学者、教育者。東京帝国大学経済学部教授、立教大学教授・経済学部長を務めたほか、高崎経済大学初代学長を始め、大分大学、東京農業大学、青山学院大学、国士舘大学で教授を歴任した。 1891年(明治24年)、田辺男外鉄(海軍軍人、神奈川県横須賀市長)の長男として生まれる。 暁星中学校 (旧制)、第一高等学校 (旧制)英法科をへて1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学経済学科卒業後、三井合名会社、横浜護謨をへて1920年(大正9年)に専修大学講師(のち教授)。その後、立教大学教授に就任。 1927年(昭和2年)東京帝国大学経済学部助教授を兼務する。
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岩瀬 徳三郎(いわせ とくさぶろう、1887年8月11日 -… 岩瀬 徳三郎(いわせ とくさぶろう、1887年8月11日 - 1971年2月2日)は、日本の化学技術者、工学博士。東ソー及び東曹産業の創業者。 千葉県銚子市出身。1887年(明治20年)大地主、岩瀬利右衛門の三男として生まれる。1914年九州帝国大学工学部応用化学科卒業。同大学院へ進みアメリカへ留学。渡米の際の船で安野譲と知り合った縁で1918年に日本曹達工業(のちのトクヤマ)入社。同社取締役技師長、専務取締役を経て1935年東洋曹達工業(現東ソー)を設立し社長に就任。1940年「アンモニアソーダ工業用生石灰焼成に関する研究」で九州帝国大学工学博士の学位を取得。 妻・つね(1894年生)との間に徳郎、和子、義郎、秀郎、幹子、及び養子の寅四郎あり。
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玉置 吉之丞(たまき きちのじょう、1886年8月11日 -… 玉置 吉之丞(たまき きちのじょう、1886年8月11日 - 1961年4月7日)は、日本の政治家、実業家。玉置綿布社長。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 1886年8月11日、和歌山県名草郡内海村(内海町を経て現海南市)で吉田万右衛門の三男として生まれる。和歌山中学校修業。1902年に渡米し、1909年まで南カリフォルニア大学で政治経済学を学んだ。 帰国後、玉置きくのの養子となり、玉置綿布工業社を創立し、事業を拡大して1919年には株式会社組織に改組して社長となる。和歌山県織物同業組合長、和歌山県織物工業組合理事長、日本綿織物工業組合連合会理事を務めて業界の発展に貢献する傍ら、南海瓦斯興業株式会社監査役、内海紡績株式会社常務取締役、玉置綿布染工株式会社社長、昭南工業株式会社社長を兼ねて地元の実業界にも貢献した。
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潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年〈明治14年〉8月… 潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年〈明治14年〉8月11日 - 1955年〈昭和30年〉1月9日)は、日本の内務官僚。後に内務大臣兼文部大臣、最後の枢密院副議長を務める。 1881年(明治14年)、綿職人・潮房太郎の二男として島根県美濃郡横田村(後に同郡豊田村字横田となり、現在は益田市横田町)に生まれる。郁文館中学、一高を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学卒業後に内務省入省。行政法の専門家として活動、衛生局長・地方局長などを歴任した。1928年(昭和3年)に田中義一内閣の内務次官となり、濱口内閣・第2次若槻内閣で次官を務めた後に1931年(昭和6年)に貴族院勅選議員となる(研究会所属)。
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木村 泰賢(きむら たいけん、1881年8月11日 - 19… 木村 泰賢(きむら たいけん、1881年8月11日 - 1930年5月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶(岩手県東慈寺住職)で、インド哲学者・仏教学者。日本における近代仏教学の確立に貢献した。学位は、文学博士。東京帝国大学教授。 1881年に岩手県滝沢村一本木(現在の滝沢市一本木)に、父亀治と母リツの次男として生まれる。幼名二蔵。一家は1984年に大更村(現在の八幡平市大更)へ移り住み、父は当地で酒造業を営む工藤家の家事手伝いを勤めた。1891年に父が亡くなった後、母の労苦を見かねて酒造店で小僧修業していたところ、東慈寺の住職であった十九世村山実定に見込まれて養子となり出家。実定の号である泰山から一字を与えられ、泰賢と称した。
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高崎 弓彦(たかさき ゆみひこ、1880年(明治13年)8月… 高崎 弓彦(たかさき ゆみひこ、1880年(明治13年)8月11日 - 1958年(昭和33年)4月9日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 岡山県令・高崎五六の三男として生まれる。兄高崎安彦の死去に伴い、1911年(明治44年)1月31日、男爵を襲爵した。 学習院を経て、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を修了した。1906年、三井物産に入社し米国ニューヨーク支店勤務となる。その後、日本製鋼所社員に転じた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで4期在任した。その他、政府貸付金処理委員会委員、財政収支調整調査会委員を務めた。
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2代 三橋 四郎次(みつはし しろうじ、1879年(明治12… 2代 三橋 四郎次(みつはし しろうじ、1879年(明治12年)8月11日 - 1955年(昭和30年)3月22日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。初名・卓、号・光波子。 静岡県城東郡丹野村(のち小笠郡川野村、現菊川市)で、地主・初代三橋四郎次の二男として生まれる。1898年(明治31年)静岡県尋常中学校卒業。1901年(明治34年)東京専門学校(のちの早稲田大学)英語政治科を卒業。日露戦争に見習士官として出征し、陸軍歩兵中尉に昇進した。1906年(明治39年)家督を相続し四郎助(2代)を襲名した。 政界では静岡県会議員、同参事会員を務めた。1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙に静岡県第7区から出馬して当選し、立憲民政党に所属して衆議院議員を1期務めた。
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後藤 脩(ごとう しゅう、1879年(明治12年)8月11日… 後藤 脩(ごとう しゅう、1879年(明治12年)8月11日 - 1957年(昭和32年)1月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(当選1回、三重県第二区選出)。三重県松阪市長。日本出版社長。 鳥取県会見郡彦名村(現在の米子市)出身。後藤綾の弟。学歴等は不明。 1903年(明治36年)より三重県津市で出版業を始める。1906年(明治39年)、組織を改めて「合資会社三重出版社」とする。1924年(大正13年)に組織を「三重出版社株式会社」に改め、社長に就任した。そのかたわら南勢新聞社常務取締役、松阪信用組合理事などに就任した。さらに松阪町会議員、同市会議員、三重県会議員、同参事会員に選出された。
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当間 重慎(とうま じゅうしん、1876年(明治9年)8月1… 当間 重慎(とうま じゅうしん、1876年(明治9年)8月11日 - 1923年(大正12年)9月22日)は、戦前の沖縄県の政治家で初代那覇市長。 政治家の当間重剛・重民兄弟の父である。 明治9年(1876年・光緒2年)6月7日に琉球藩具志川間切(現沖縄県うるま市)で生まれた。明治16年(1883年)に那覇に移る。明治34年(1901年)に上京し、東京専門学校(現早稲田大学)に入学するが病気のため中退し、那覇に戻った。 那覇では琉球新報の記者になったが、まもなく退職し「沖縄毎日新聞」を創刊する。沖縄毎日新聞では、那覇住民の立場に立った論陣をはった。 明治42年(1909年)の沖縄県会発足に際して、議員に選出され政治家としての一歩を歩みだした。
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