鈴木 耕一(すずき こういち、1937年10月22日 - )… 鈴木 耕一(すずき こういち、1937年10月22日 - )は、日本の映画・テレビドラマの撮影技師。東京都調布市出身。日本映画撮影監督協会(J.S.C)会員。 1956年、法政大学第一中・高等学校(現法政大学中学高等学校)卒業後、父が大映勤務を経て日活の美術関係を務めていたことがきっかけで、日活撮影所に入社。中平康監督作『狙われた男』の撮影助手を務め、萩原憲治に師事する。その後、ポルノ映画路線を変更し、山崎善弘に師事した。
前田 武志(まえだ たけし、1937年10月22日 ‐ )は… 前田 武志(まえだ たけし、1937年10月22日 ‐ )は、日本の建設官僚、政治家。 衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、国土交通大臣(第16代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院逓信委員長、参議院国家基本政策委員長、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、参議院予算委員長、民進党常任顧問等を歴任。 奈良県十津川村出身。大阪書籍社長・会長、吉野書房(吉野教育図書の前身)創業者・社長、教科書協会理事、文部省図書監修官などを務めた前田隆一の二男として生まれる。五條中学、大阪府立高津高等学校を経て1964年京都大学工学部土木工学科を卒業。京都大学大学院工学研究科修了後、建設省に入省。
末松 氷海子(すえまつ ひみこ、1937年10月22日 - … 末松 氷海子(すえまつ ひみこ、1937年10月22日 - )は、日本のフランス児童文学の研究者、翻訳家。筆名は、生家の姓。 兵庫県芦屋市出身。父は朝日新聞記者の末松満()。本姓・井出。早稲田大学政経学部新聞学科卒。1961年から1962年、フランス・リールのカトリック大学(英語版)新聞学部に学ぶ。1964年に行政学者の井出嘉憲と結婚。
弓 恵子(ゆみ けいこ、1936年10月22日 - 2024… 弓 恵子(ゆみ けいこ、1936年10月22日 - 2024年8月17日)は、日本の女優。本名:安藤 瑛子(あんどう えいこ)(旧姓:柴田)。東京府東京市(現:東京都世田谷区)出身。プロダクション・タンク所属。 父は、大映の名脇役・潮万太郎(2000年死別)。弟の柴田昌宏も元俳優、柴田侊彦も俳優。俳優の宮口二郎(1995年死別)の妻でもあった。 1955年、立教女学院高等学校在学中に光丘ひろみの芸名で東宝『赤いカンナの花咲けば』でデビュー。 1959年より、父の潮万太郎と同じく大映に所属。父親との縁から伊藤大輔監督に可愛がられ、弓恵子の芸名をつけてもらう。 1960年に出演した『東海道ちゃっきり娘』で人気を獲得し、以降も『磯しぶき源太』『この青年にご用心』などでコンスタントに活躍。
照屋 佳男(てるや よしお、1936年(昭和11年)10月2… 照屋 佳男(てるや よしお、1936年(昭和11年)10月22日 - )は、日本の英文学者。早稲田大学名誉教授。沖縄県中頭郡北谷村(現北谷町)生まれ。1956年普天間高等学校卒業。1962年早稲田大学第一文学部英文学専修卒業。1967年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学、早稲田高等学院教諭。1973年早稲田大学社会科学部専任講師、1975年同助教授、1980年同教授。2007年に定年退職、名誉教授。
玉那覇 有公(たまなは ゆうこう、1936年10月22日 -… 玉那覇 有公(たまなは ゆうこう、1936年10月22日 - )は、沖縄県の紅型師。石垣市出身。沖展会員、日本工芸会正会員。石垣市名誉市民。紅型の分野で最初の人間国宝となった人物である。 1961年、沖縄県指定無形文化財「びん型」保持者の城間栄喜に師事、のちに独立。那覇市首里に紅型工房を構える。 1996年5月、国の重要無形文化財「紅型」の保持者として各個認定される(いわゆる「人間国宝」)。 2000年7月22日、第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)が首里城北殿で開催された際、沖縄県の人間国宝の代表として、紅型の制作実演を行った。 息子の玉那覇有勝(1968年 - 、日本工芸会正会員)も、中頭郡読谷村に工房を構え、紅型の制作に従事している。
花上 晃(はなうえ あきら、本名 同じ、1935年10月22… 花上 晃(はなうえ あきら、本名 同じ、1935年10月22日 - )は、東京都出身の俳優。 東京都立北園高等学校卒業後、劇団青俳、吉江企画を経て楡プロダクションに所属。 主に1970年代後半から1980年代に日活映画に多く出演していたほか、テレビの時代劇の悪役としても活躍した。
九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 -… 九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。東京都麻布出身。女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 20… 木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 2026年4月16日)は、日本の雑誌編集者、文化芸能評論家、コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)。 雑誌『上方芸能』を発行するかたわら、立命館大学ほかで教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。 高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校・高知市立城北中学校・高知県立高知丸の内高等学校卒業。萩原遼(本名:坂本孝夫)は実弟。 20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという。
廣瀬 健(ひろせ けん、1935年10月22日 - 1993… 廣瀬 健(ひろせ けん、1935年10月22日 - 1993年8月16日)は、日本の数学者・計算機科学者。専門は数学基礎論。元早稲田大学理工学部教授。 大分県出身。立教大学理学部数学科卒業。立教大学大学院理学研究科数学専攻に進学して赤攝也ゼミに所属。その後、東京教育大学助手、講師を経て、1970年早稲田大学理工学部数学科助教授、1977年早稲田大学理工学部教授。 子に、高圧地球科学者の廣瀬敬がいる。 1973年にヒルベルトの23の問題の第10問題(ディオファントス方程式の可解性の決定問題)を部分的に解決したが、廣瀬とは独立にユーリ・マチャセビッチによる証明が先に公表されたため、最初の証明者とはならなかった。
坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 20… 坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 2019年6月29日)は、熊本県玉名郡玉名町出身のプロ野球選手(投手)。 玉名高校から1952年に西鉄ライオンズへ入団。 1954年シーズンにはローテーションに入り、7勝を挙げた。 1955年シーズン途中に大映スターズへ移籍。1957年に引退。 引退後、「坂上式バッティングマシン」を発案。知人で発明家だった河辺忠夫に相談して開発したもので、当時、自動式の打撃練習マシンは国内外にはなく、試作機を試した中西太や、長嶋茂雄も驚いたという。 そして旧交があった中澤会長のお墨付きをもらい、西鉄ライオンズや巨人軍など8球団が次々に導入。販売を手がける坂上は一躍、時の人となった。
野村 茂夫(のむら しげお、1934年10月22日 - 20… 野村 茂夫(のむら しげお、1934年10月22日 - 2021年2月4日)は、日本の中国哲学者、愛知教育大学名誉教授。 岐阜県出身。1958年大阪大学文学部哲学科中国哲学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。大阪大学助手、愛知教育大学助教授、教授。97年定年退官、名誉教授、皇學館大学教授。2006年退任。 2015年4月瑞宝中綬章受章。 2021年2月4日に死去。86歳没。
安藤 嘉治(あんどう よしはる、1934年(昭和9年)10月… 安藤 嘉治(あんどう よしはる、1934年(昭和9年)10月22日 - 2007年(平成19年)6月6日)は、日本の政治家、実業家。愛知県知多市長。 愛知県出身。安藤梅吉の二男として生まれる。1958年(昭和33年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、岡徳織布に入社。1971年(昭和46年)オカトクを設立し代表、のち会長を務める。ほか、1980年(昭和55年)金丸鉄工所会長、岡徳石油社長、日本綿スフ織物工業連合会会長、知多ロータリークラブ初代会長を歴任した。 1989年(平成元年)9月、知多市長に当選。2001年(平成13年)10月、引退した。
吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 20… 吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 2000年8月16日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。 1953年に国営競馬(翌年より日本中央競馬会)で騎手デビューし、1974年まで騎乗。1978年より調教師として開業し、1989年には管理馬サンドピアリスでエリザベス女王杯を制した。2000年に在職のまま死去。 宮崎県北諸県郡高城町出身。農業を営んだ実家では農耕馬を飼養していたが吉永はこれに触れたことさえなく、中学校卒業後には船員として就職が決まっていた。しかし当時身長132cmと非常に小柄で、従兄に騎手をしていた吉永猛がいたこともあり、競馬会の職員を兄にもつ担任教師から騎手になることを勧められる。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月2… 草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の女優。本名:栗田 光子(くりた みつこ、出生姓は富田)。 神奈川県横浜市神奈川区出身。草琇舎(そうしゅうしゃ)所属。オスカープロモーションと業務提携している。 神奈川県立横浜平沼高等学校卒業(49期)。妹は冨田恵子。作曲家の芥川也寸志は元夫。 4人兄弟の長女。妹(第2子)は富田恵子。 虚弱傾向を克服するため、小学生からバレエを始める。1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団し、淡路恵子、深草笙子と共に「スリーパールズ」を結成。豊かな歌唱力を持ち味とした。SKD在籍中の1953年、松竹(松竹京都撮影所)から映画『純潔革命』で銀幕デビューも果たした。
石津 隆敏(いしづ たかとし、1933年〈昭和8年〉10月2… 石津 隆敏(いしづ たかとし、1933年〈昭和8年〉10月22日 - 2020年〈令和2年)2月19日〉は、昭和から平成時代の政治家。実業家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。1952年(昭和27年)愛媛県立川之江高等学校卒業。伊予三島市の大王製紙に入社。1959年(昭和34年)伊予段ボール工業に出向、1965年(昭和40年)取締役工場長を経て、1977年(昭和52年)に独立して紙加工の瀬戸紙工を興した。自民党員としても活発に活動し、自民党川之江支部の幹部を務めた。ほか、宇摩交通安全協会副会長を務めた。 1989年(平成元年)タックシステム設立。1990年(平成2年)川之江市長に当選し、合併するまでの4期務めた。
中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )… 中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )は、日本の元政治家、農家。 静岡県藤枝市岡部町でみかんと茶の生産を手がける農業を営む。元岡部町議会議員。第3子(長男)の中山雅史は、元プロサッカー選手、元ヤマハ発動機社員。 農家の長男として生まれ、家業を継いだ。岡部町議会議員を3期12年務めた(勇退後も岡部町の様々な役職を務める)。 1993年、長男・雅史がFIFAワールドカップアジア最終予選(ドーハの悲劇)で有名になると、父親の儀助も静岡弁丸出しで(いまだに)息子・雅史を「小僧」と呼ぶなどの飾らない言葉づかいや話し振り、人柄の良さが世間の注目を浴び、「ゴン父」の愛称で知られるようになった。
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22… 千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月20日)は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。 秋田県横手市生まれ。旧制横手中学校、旧制弘前高等学校を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける。 卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。 1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。 市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
佐藤 重雄(さとう しげお、1931年10月22日-)は、日… 佐藤 重雄(さとう しげお、1931年10月22日-)は、日本のプロ野球選手。内野手(主に一塁手)。右投げ右打ち。鹿児島県出身。 鹿児島県立甲南高等学校から社会人野球の鹿児島鉄道管理局野球部を経て、1955年から1956年にプロ野球南海ホークス選手。プロ1年目は16試合で一塁を守るなど計30試合に出場したが、2年目で出番は減りプロ野球引退。
石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 201… 石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 2019年6月19日)、日本の法学者・弁護士。専門は商法・保険法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1967年)(学位論文「保険の目的物の譲渡 」)。上智大学名誉教授。北海道札幌市生まれ。鴻常夫門下。 主に保険法が専門。特に、損害保険・自動車保険を研究。 『商法・保険法の現代的課題 : 石田満先生還暦記念論文集』(文眞堂 1992年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
五十嵐 幸雄(いがらし さちお、1931年10月22日 - … 五十嵐 幸雄(いがらし さちお、1931年10月22日 - )は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。 新潟県出身。1954年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に新潟日報社に入社した。1988年に取締役に就任し、1992年に常務、1994年に専務を経て、1995年1月には社長に就任。2003年1月に取締役相談役、2004年1月から相談役を務めた。新潟放送で取締役と監査役も務めた。 2005年11月に旭日中綬章を受章。
渋沢 孝輔(しぶさわ たかすけ、1930年10月22日 - … 渋沢 孝輔(しぶさわ たかすけ、1930年10月22日 - 1998年2月8日)は、日本の詩人・フランス文学者。 長野県小県郡長村(現・上田市)生まれ。旧制上田中学(現・長野県上田高等学校)を経て、1953年、東京外国語大学フランス語科を卒業。1956年、東京大学大学院フランス文学科修士課程を修了。1956年武蔵大学講師、1957年明治大学文学部講師、助教授を経て、1969年より教授。 ランボー、ボードレールなどフランス詩を研究する一方、みずからたくさんの詩集を発表。1958年同人誌「XXX」を発行、1984年文芸誌「譚」創刊に参加。藤村記念歴程賞、高見順賞、萩原朔太郎賞を次々に受賞した。 1998年、下咽頭癌のため死去(67歳)。
速水 融(はやみ あきら、1929年10月22日 - )は、… 速水 融(はやみ あきら、1929年10月22日 - )は、日本の経済学者。国際日本文化研究センター名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、麗澤大学名誉教授。経済学博士。歴史人口学、日本経済史専攻。文化勲章受章者。日本に歴史人口学を導入したことで知られる。また「勤勉革命」を唱え、世界における勤勉革命論のきっかけを作った。英文著作も刊行している。
廣瀬 忠彦(ひろせ ただひこ、1928年10月22日 - )… 廣瀬 忠彦(ひろせ ただひこ、1928年10月22日 - )は、日本の園芸学者。香川大学名誉教授。専門は蔬菜園芸学(野菜園芸学)。京都府京都市東山区出身。 商家生まれのため京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)に入学したが、農学への道を志して1945年に京都府立農林専門学校に進学し、さらに京都大学農学部農学科に入学。卒業後の1952年に西京大学(現:京都府立大学)農学部農学科助手となり、論文「トウガラシの育種に関する基礎的研究」により、京都大学より農学博士の学位を受ける。 1969年に京都市から香川県に転居。香川大学農学部助教授、次いで教授となり、岡山大学・島根大学非常勤講師を兼任。
河相 洌(かわい きよし、1927年10月22日 - 202… 河相 洌(かわい きよし、1927年10月22日 - 2024年1月6日)は元盲学校職員。日本初の盲導犬オーナー。 カナダ・バンクーバーに生まれる。実父は外交官の河相達夫。1945年慶應義塾大学(予科)に入学するが、在学中に失明して中退する。しかし1952年に復学し、1956年に文学部哲学科を卒業。 その後、滋賀県立盲学校の教員として就職。この間、のちのアイメイト協会創設者・塩屋賢一に出会い、河相からの依頼で塩屋の手によって調教された日本初となる盲導犬・チャンピイとの生活を始める。このことがきっかけで、日本においての盲導犬(ひいては介助犬や聴導犬)の拡大につなげていくことにもなった。 1960年から静岡県立浜松盲学校で教員として勤務し1988年に退職。
26代 式守 伊之助(にじゅうろくだい しきもり いのすけ、… 26代 式守 伊之助(にじゅうろくだい しきもり いのすけ、1927年(昭和2年)10月22日 - 1994年(平成6年)3月31日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は1991年1月 - 1992年9月。春日野部屋所属。熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身。本名は茶原宗一。 1941年、13歳で春日野部屋に入門。1年先輩に木村英三(後の27代伊之助)がおり、入門当時は英三から教育を受ける。同年5月に木村宗市の名で初土俵。1944年に肋膜炎を患い一旦は故郷に戻るも、1946年に兄弟子の元三役格13代木村庄太郎の取り計らいで復帰。その後6代木村庄次郎襲名。一旦は木村宗市に戻し1956年5月十両格。
岩堀 長慶(いわほり ながよし、1926年10月22日 - … 岩堀 長慶(いわほり ながよし、1926年10月22日 - 2011年5月29日)は、日本の数学者。東京大学名誉教授。専門は表現論。ヘッケ環(Iwahori-Hecke algebra)、局所体上の簡約代数群の岩堀部分群(英語版) (Iwahori subgroup) に名を残す。 旧制東京都立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業。1961年東京大学理学博士。1964年、東京大学教授。1986年、東京大学教授を定年退官。上智大学教授。2007年、瑞宝中綬章。
沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉1… 沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉10月22日 - 2016年〈平成28年〉2月20日)は、日本の実業家、鼻煙壺収集家。ファミリーマート初代社長、良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。東京生まれ。 馬込小学校、旧制東京中学校を経て、1951年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社。大学時代は水泳部に所属。香港駐在、西友ストアー常務等を務めた。 1981年ファミリーマート社長に就任。発注の翌日納品、東海地方でのフランチャイズチェーン展開、プライベートブランド商品の導入、台湾進出などを行った。 1987年日本フランチャイズチェーン協会副会長、1991年同会長に就任。
小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - … 小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - 1987年3月8日)は、日本の物理学者、雪学者。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校を経て、1948年、北海道帝国大学理学部物理学科卒業。北海道江別高等学校教諭。1949年8月、北海道大学低温科学研究所助手、1963年に助教授、1980年に教授、物理学部門主任。 雪の結晶についての実験研究に取り組み、中谷宇吉郎が示した雪の結晶の形状と雲の温度・湿度に関する「中谷ダイアグラム」を拡張、精緻化した「中谷・小林ダイアグラム」を開発し、1960年に日本気象学会賞を受賞した。
尾崎 順通(おざき のりみち、1924年10月22日 - … 尾崎 順通(おざき のりみち、1924年10月22日 - 2020年4月24日)は、日本の銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に配炭公団に入社。1952年に武蔵野銀行に転じ、1973年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1987年6月には頭取に就任。1992年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1994年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2020年4月24日、死去。95歳没。
小田 滋(おだ しげる、1924年〈大正13年〉10月22日… 小田 滋(おだ しげる、1924年〈大正13年〉10月22日 - 2025年〈令和7年〉9月4日)は、日本の法学者。位階は従三位。専門は国際法で特に海洋法。学位はS.J.D.(イェール大学・1953年)、法学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。文化勲章受章、瑞宝大綬章受章。弁護士。 東北大学法学部教授、国際司法裁判所判事、国際司法裁判所副所長などを務め、1976年2月6日から2003年2月5日まで3期27年間にわたり国際司法裁判所の判事であった。 1924年、北海道札幌市で生まれた。10歳から台湾・台北市で育った。台北高等学校尋常科・高等科を経て、東京帝国大学法学部政治学科に進学。
辻川 郁二(つじかわ いくじ、1924年〈大正13年〉10月… 辻川 郁二(つじかわ いくじ、1924年〈大正13年〉10月22日 - 2007年〈平成19年〉4月19日)は、日本の物理化学者。専門は分光化学。京都大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 1924年10月22日、大阪市にて生まれた。1943年9月に旧制大阪高等学校を卒業後、東京帝国大学理学部化学科に進学し、水島三一郎の研究室で分子分光学の研究を行った。1950年9月に同大学を卒業し、同年10月に東北大学金属材料研究所の助手に着任した。1953年11月から1955年11月まで、フランスのCNRS Bellevue研究所に留学した。 東北大での研究初期には、ベンゼンなどの有機固体結晶の紫外吸収スペクトル測定を行い、フランスでは遷移金属錯体の線状吸収スペクトルについて研究した。
石原 一子(いしはら いちこ、1924年(大正13年)10月… 石原 一子(いしはら いちこ、1924年(大正13年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月1日)は、日本の実業家。元髙島屋常務取締役。東証一部上場企業初の女性重役であり、経済同友会初の女性会員でもあった。 満州国大連市生まれ。父は南満州鉄道勤務。1952年、東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では山田雄三教授のゼミナールに所属し、教授の紹介で東京銀行(現東京三菱銀行)へ就職するつもりだったが、紹介先の取締役が急逝し、当時は珍しかった男女同一賃金制度を採る髙島屋に入社。 1954年にゼミナールの先輩である石原英雄(のちに朝日新聞西部本社代表取締役社長)と結婚し、2人の子供を育てながら仕事を続け、婦人服第2部課長等を経て、1979年に取締役に選任され広報室長に就任。
山根 太郎(やまね たろう、1923年10月22日 - 19… 山根 太郎(やまね たろう、1923年10月22日 - 1979年1月6日)は、日本および米国の経済学者、統計学者。 1923年(大正12年)10月22日アメリカ合衆国ニューヨーク市で生まれる。アメリカ合衆国で小学校を終え帰国し、半年の日本語の補習ののち、1937年(昭和12年)青山学院中学部(旧制)1年に入学した。 昭和16年青山学院中学部 4年修了ののち、海軍兵学校(73期、昭和19年3月22日卒業)に進んだ。海軍特攻隊のパイロットとして出撃する直前に終戦を迎えた。終戦後の1946年東京産業大学(現一橋大学)本科に入学、49年に東京商科大学(1947年に東京産業大学から1944年以前の東京商科大学に名称を変更)を卒業した。
島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月… 島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月22日 - 2014年12月11日)は、日本の放送評論家。 北海道札幌市出身。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 慶應義塾大学在学中に学徒徴兵され、復員後に新聞界に入る。報知新聞の芸能記者を経て、報知新聞東京本社編集局次長、電通PRセンター企画局長、渡辺音楽出版制作部長などを歴任。その後は放送評論家として活躍。特に時代劇に造詣が深く、それに関する著書も多い。 2014年12月11日、急性心不全のため死去。92歳没。
三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 20… 三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 2000年6月29日)は、松下電工代表取締役名誉会長、日経連副会長、日中経済貿易センター会長。愛媛県松山市出身。 1946年に神戸経済大学経済学部(現神戸大学経済学部)を卒業と同時に松山経専(現松山大学)の教授となる。1950年に松下電工に入社。1977年に取締役に就任。その後、1981年に常務取締役、1982年に専務取締役、1987年2月に代表取締役副社長を経て、1988年2月に代表取締役社長に就任。グローバル経営を推進し、丹羽正治に次いで同社を1兆円企業に育て上げた。その後、1993年に関西経営者協会会長を6年間務め、1994年2月に代表取締役会長に退く、1997年4月28日に亡くなった藤井貞夫相談役の葬儀・告別式の委員長を務めた。
平 修二(たいら しゅうじ、1920年10月22日 - 19… 平 修二(たいら しゅうじ、1920年10月22日 - 1978年10月23日)は日本の機械工学者。 兵庫県出身。甲陽中学校(19回卒)、姫路高等学校 (旧制)(現在の神戸大学)を経て、京都帝国大学卒。昭和32年京都大学教授となる。1971年、金属材料の強度に関する研究で、横堀武夫とともに、日本学士院賞を受賞。X線フラクトグラフィの権威。 姫路高校時代は水泳に打ち込んだ。その著書はしばしば大学の機械工学科で教科書として用いられた。 元衆議院議員の平智之は息子。
鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22… 鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22日 - 1945年(昭和20年)7月25日戦死認定)は日本の海軍軍人。海兵68期。戦闘機搭乗員である。戦死による一階級進級で最終階級は海軍少佐。 1919年(大正8年)10月22日、長崎県長崎市で医者の家に生まれる。妹思いの兄であり、妹の光子にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のレコードをプレゼントしたり、妹思いな手紙も送っている。 旧制長崎中学校を経て、1937年(昭和12年)4月、海軍兵学校68期に入校。同期の豊田穣は鴛淵の戦記『蒼空の器―撃墜王鴛淵孝大尉』を執筆している。1940年(昭和15年)8月7日卒業、鴛淵は香取乗組となり、練習航海を行う。
丸尾 千年次(まるお ちとじ、1917年10月22日 - 2… 丸尾 千年次(まるお ちとじ、1917年10月22日 - 2000年5月14日)は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)・プロ野球スカウト。
白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2… 白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2004年2月19日)は、日本の医学者。神経病理学の国際的権威。東京大学医学部長。東京都出身。
森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1… 森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1996年2月5日)は、日本の西洋史学者。 1914年10月22日、父・福井県出身・弁護士・摩寿意善太郎、母・広島県出身・山田ツヤの次男として東京麻布区に生まれる。兄は日本の美術家、東京芸術大学名誉教授・摩寿意善郎。麻布中学校卒業後、1932年、旧制第一高等学校に入学。 1935年東京帝国大学文学部西洋史学科入学。1939年同卒業。秩父宮御用掛・学習院大学教授・渡邉八郎長女・千江と婚姻。(祖父は大村藩士・初代大阪府知事・元老院議官・会計検査院長・貴族院議員・渡邉昇)婚姻後京都市岡崎円寺151・「吉富楼」経営の森田久の夫婦養子となり、姓を森田と改める。
鈴木 共子(すずき きょうこ、1914年10月22日 - 2… 鈴木 共子(すずき きょうこ、1914年10月22日 - 2002年8月11日)は、東京生まれのヴァイオリニストである。 1935年、東京音楽学校本科器楽部ヴァイオリン専攻を卒業。1936年、時事新報社主催の第5回音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)で第2位となる。1938年~1940年、フランスに留学、ボリス・カメンスキー(英語版)に師事した。1949年、第1回毎日音楽特別賞を受賞。1961年の桐朋学園大学創立以来教授を務めた。2002年5月、「米寿を祝うコンサート」が開かれ、教え子である古澤巌、渡辺玲子、荒井英治、植村理葉、植村菜穂、西野優子などが出演した。同年8月、脳梗塞のため87歳で亡くなった。
木村 秀弘(きむら しゅうこう、1913年(大正2年)10月… 木村 秀弘(きむら しゅうこう、1913年(大正2年)10月22日 - 1975年(昭和50年)6月29日)は、国税庁長官。日本専売公社総裁。 福井県出身。1936年、高等試験行政科試験に合格。翌1937年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入る。主計局属。1942年、陸軍司政官となる。1946年6月、神戸税関監視部長、1949年6月1日、主税局税関部業務課長、1952年3月15日、大臣官房会計課長、1954年10月、印刷局業務部長、1955年10月、東京税関長、1957年6月11日、大蔵省主税局税関部長、1960年6月、防衛庁経理局長となり、1962年、国税庁長官に就任する。その後、東海製鉄常務、富士製鉄常務、新日本製鐵常任監査役を経て、1973年、専売公社総裁。
白勢 誠一(しろせ せいいち、1913年〈大正2年〉10月2… 白勢 誠一(しろせ せいいち、1913年〈大正2年〉10月22日 - 1982年〈昭和57年〉10月26日)は、日本の実業家。白勢商事社長。早稲田大学校友会 新潟市稲門会会長。新潟県損害保険代理業協会初代会長。 新潟県新潟市出身。白勢量作の長男。1938年、早稲田大学商学部卒業。1944年、白勢代表社員となる。1953年、白勢商事社長に就任。 1954年、新潟商工会議所監事に選ばれる。1959年、第四銀行監査役を兼ねる。1982年(昭和57年)10月26日死去。 趣味はゴルフ、囲碁。宗教は浄土真宗。住所は新潟県新潟市本町通八番町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 199… 佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 1995年10月2日)は、日本のろうけつ染作家。京都市立芸術大学名誉教授。第4回改組日展出品作「噴煙の島」により日本芸術院賞を受賞した。 滋賀県野洲郡守山町(現在の守山市)に生まれる。1927年に京都市立美術工芸学校(現在の京都市立美術工芸高等学校)図案科に入学し、山田江秀、山鹿健吉に学んだ。1932年に京都市立美術工芸学校を卒業し、1933年の第20回商工省工芸美術展図案部に創作図案「祭礼の図額」で、同年の第14回帝展に「大阪天満祭ノ図鑞染壁掛」でそれぞれ初入選を果たした。 1930年代には京都市展や工芸院展でも受賞を重ね、京都染織繍芸術協会にも参加した。
早瀬 喜太郎(はやせ きたろう、1911年10月22日 - … 早瀬 喜太郎(はやせ きたろう、1911年10月22日 - 1977年3月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。北海道奥尻島生まれ。 1929年旧制東京府立第五中学校を卒業後、朝鮮の金山や日本の喜茂別・大土森鉱山などに勤務。1940年早稲田大学理工学部採鉱冶金学科に入学、1943年に同学科を修業、1945年に早稲田大学専門部工科講師となる。1949年4月新制大学発足に伴い理工学部鉱山学科講師となり、同年10月助教授に昇進。1950年同大学より工学博士の学位取得。博士論文の表題は「松尾硫黄鉱床の成因と採鉱」。退任まで鉱物学実験・岩石学実験などを担当、該博な知識と長年の実務経験を生かし、多くの学生を育てる。
柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月… 柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月22日 - 2003年〈平成15年〉2月21日)は、日本の法学者、弁護士、元判事。法学博士。専門は刑法。名古屋大学名誉教授。司法省事務官として内藤文質、森田宗一とともに1948年少年法の立法に携わった。 東京出身。三重県士族・柏木五百次郎の三男。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部卒業。東大在学中に司法試験に合格。 判事司法事務官などを経て、1949年、東京地方裁判所判事から、1949年、名古屋大学に転じ、名古屋大学法学部教授。1975年、名古屋大学を定年退官。 その後、筑波大学、慶應大学教授などを経て、1993年、創価大学教授を退職。
平田 俊春(ひらた としはる、1911年10月22日 - 1… 平田 俊春(ひらた としはる、1911年10月22日 - 1994年11月14日)は、日本の歴史学者。防衛大学校名誉教授。正四位勲三等旭日中綬章。
塚本 信男(つかもと のぶお、1911年10月22日 - 1… 塚本 信男(つかもと のぶお、1911年10月22日 - 1993年4月16日)は、日本の実業家。六甲バターの創業者。兵庫県出身。 1928年に大阪城東商業学校を卒業。1942年に東亜木工製作所を経営し、1943年に神戸港運を経て、1948年に六甲バターを設立し、社長に就任。1985年に会長に就任。 1984年11月に勲五等双光旭日章を受章した。 1993年4月16日呼吸不全のために死去。81歳没。