江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 201… 江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 2010年1月23日)は、日本の作曲家。 海軍軍楽隊出身で流行歌の作曲家として成功していた江口夜詩の長男として、東京府東京市神田区鍛冶町に生まれた。 1944年に海軍兵学校へ76期生として入校するも、在校中に終戦を迎えた。その後は父と同じ作曲家を志し、1947年に武蔵野音楽大学作曲科へ進み、服部正にも師事する。 1955年、作詞・作曲した「さよならのビギン」が松島詩子歌唱で発売され、流行歌の作曲家としてデビュー。 1959年から1984年にフリーになるまで、キングレコードの専属作曲家として「忘れな草をあなたに」、「下町の太陽」などを作曲した。
小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12… 小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12日 - 2011年<平成23年>3月13日)は日本画家である。師は森谷南人子。広島県尾道市出身で現在は岐阜県在住。 白峰会会長。等迦会特別会員。弟子は星月ノ友(旧雅号・小尻紗弘) 1927年(昭和2年)に広島県尾道市で生まれる。幼い頃にリウマチ熱にかかり、心臓弁膜症という重い障害が残る。6歳まで尾道市で過ごすが、父親の転勤のため大阪府島屋町へ転居する。室戸台風の被害に遭い、家が廃屋となった為、一時吹田町に転居する。その後、再び島屋町に戻り、島屋小学校へ転校後、卒業。 西野田工業高校に進学するが、1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が勃発し、在学中に志願兵として、広島の呉海兵団に入隊。
石田 春夫(いしだ はるお、1926年5月12日 - )は、… 石田 春夫(いしだ はるお、1926年5月12日 - )は、日本の精神科医。 横浜市生まれ。父は国文学者・石田吉貞。 新潟大学医学部卒、1955年「神経症における若干の問題」で医学博士。横浜市立大学病院をへて、1957年国立横浜病院精神科医師。1965年パリ大学医学部、サンタンヌ精神病院に学ぶ。 リルケ、ボードレールを好み自ら小説も書いた。
五十嵐 清(いがらし きよし、1925年(大正14年)5月1… 五十嵐 清(いがらし きよし、1925年(大正14年)5月12日 -2015年(平成25年)9月12日 )は、日本の法学者。専門は、比較法学・民法総則・不法行為法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)。北海道大学名誉教授。新潟県新潟市出身。比較法学の第一人者。[要出典] 専門は、比較法学・民法総則・不法行為法。個人研究としてヨーロッパ近代法史・国際私法・法社会学も研究対象としている。また、各大学または法科大学院では、民法を担当し民法に関する学術書も出しているが、基幹の研究は、あくまで比較法である。 民法総則・比較法分野 不法行為法・医事法・法哲学・法社会学分野
山地 進(やまじ すすむ、1925年5月12日 - 2005… 山地 進(やまじ すすむ、1925年5月12日 - 2005年5月27日)は、元・日本航空名誉顧問。東京都世田谷区出身。趣味・特技はゴルフ、社交ダンス。
小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日… 小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日 - 2019年(平成31年)1月16日)は、山口県徳山市(現・周南市)市長、岡山県副知事。従四位。死の約3年前に第一生命多額詐取事件の主犯に成る、女性社員の勤続50年を祝う会に出席していた。
江守 一郎(えもり いちろう、1924年5月12日 - 19… 江守 一郎(えもり いちろう、1924年5月12日 - 1996年12月30日)は日本の技術者、工学者。交通工学・模型実験などの研究を行っていた。東京都出身。模型実験、交通事故鑑定人の第一人者とされる。 監修・参考資料提供を務めた漫画「交通事故鑑定人 環倫一郎」の主人公である環倫一郎のモデルとなっており、作品で取り上げた事件は江守が解決した事件である。 1949年に東京大学工学部機械工学科を卒業後、ミシガン大学に留学。無一文であったため肉体労働をしながら大学に通い、1952年にミシガン大学機械工学科、理論工学科を修了する。 しかし留学した3年間というブランクがあったため社会から相手にされずブラジルの永住許可を取り日本を離れる。
横溝 克己(よこみぞ よしみ、1924年5月12日 - 19… 横溝 克己(よこみぞ よしみ、1924年5月12日 - 1990年2月23日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。早稲田大学教授。天津大学客員教授。 早稲田大学大学院生向けに海外からの留学生を含む経済的に恵まれない学生の勉学生活を支援することを目的として、夫人・京子からの寄付により設立された奨学金。 。
林 政義(はやし まさよし、1922年5月12日 - 201… 林 政義(はやし まさよし、1922年5月12日 - 2014年4月26日)は、日本の電気技術者。中部電力代表取締役副社長や、動力炉・核燃料開発事業団理事長、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長、日本原子力学会会長等を歴任した。 1946年名古屋帝国大学工学部卒業、中部配電入社。1961年中部電力本店東名古屋送変電建設所次長。1969年中部電力名古屋支店次長。1972年中部電力支配人本店系統運用部長。1977年中部電力取締役長野支店長。1979年中部電力常務取締役。1981年中部電力取締役副社長。1983年中部電力代表取締役副社長。1984年動力炉・核燃料開発事業団理事。1986年動力炉・核燃料開発事業団理事長、中部電力顧問。
和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11… 和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11月15日)は、日本近代文学の研究者、北海道大学名誉教授。 東京に国文学者和田信二郎の五男として生まれる。藤田圭雄のいとこ。1944年東京高等師範学校卒、土浦海軍航空隊に入隊し、敗戦後北海道大学法文学部国文科に入る。北海道大学教養部助教授、教授、1986年定年、北海道立文学館理事長を務めた。1987年北海道文化賞、1992年北海道新聞文化賞受賞。『風土のなかの文学』で提唱された「北海道の文学の四分類」は有名。
竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月… 竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。 三重県宇治山田市吹上町(現・伊勢市吹上)に生まれた。 明倫小学校を卒業後、宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に進学、中学在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)に日本大学専門部映画科に入学し、伊丹万作の知遇を得る。1942年(昭和17年)6月、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年9月に日本大学を繰り上げで卒業し、入営。久居(現・津市)で初年兵として1年の訓練の後、吉沼(現・茨城県つくば市)で落下傘兵として厳しい訓練を課される。
豊田 利幸(とよだ としゆき、1920年5月12日 - 20… 豊田 利幸(とよだ としゆき、1920年5月12日 - 2009年5月15日)は、日本の素粒子論・原子核物理学者。名古屋大学名誉教授。 岐阜県出身。東京帝国大学理学部卒業。立教大学理学部助教授、教授、1969年名古屋大学教養部教授、1984年定年退官、名誉教授、明治学院大学教授、同国際平和研究所所長も務めた。湯川秀樹らとともに核廃絶運動を進めた。
長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999… 長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999年6月23日)は、日本のイラストレーター、水彩画家、デザイナー、エッセイスト、ファッション評論家、映画評論家。セツ・モードセミナー創設者。日本のファッション・イラストレーターの草分け。 本名は、長沢 昇(ながさわ のぼる)。 福島県会津若松市に生まれる。 小学校時代、画家で小学校教師の渡部菊二と出会う。会津中学入学。 軍事教練をボイコットした為、官立校の東京美術学校(東京芸大)への受験資格を失う。文化学院へ入学。卒業後水彩画家へ。 春日部たすく画伯と親交。戦前から中原淳一の推薦で女性誌『新女苑』にデビュー。『それいゆ』や『ひまわり』といった雑誌にイラストやエッセイを掲載。
広橋 百合子(廣橋 百合子、ひろはし ゆりこ、1916年5月… 広橋 百合子(廣橋 百合子、ひろはし ゆりこ、1916年5月12日 - 1977年4月26日)は、走高跳を専門とする日本の陸上競技選手、学校教師。結婚後の姓は長井(ながい)。石川県羽咋郡北荘村(現・宝達志水町)出身で、大島鎌吉と並ぶ石川県初のオリンピック選手である。元日本記録保持者。 黎明期の日本女子走高跳を支えた人物で、3度オリンピック出場を目指したが、実際に出場が叶ったのは1932年ロサンゼルスオリンピックの1度であった。 1916年(大正5年)5月12日、石川県羽咋郡北荘村小川(現・宝達志水町小川)にて5人きょうだい(1男4女)の三女として生まれる。実家は照覚寺という真宗大谷派の仏教寺院で、父は僧侶、母も羽咋の寺から嫁いだ人であった。
小宮山 量平(こみやま りょうへい、1916年5月12日 -… 小宮山 量平(こみやま りょうへい、1916年5月12日 - 2012年4月13日)は、日本の編集者、元理論社社長。 長野県上田市の酒屋に生まれる。2歳で母、10歳で父と死別。父の死後まもなく酒屋は破産し、一家離散となる。小学校5年生のとき、親戚(叔母)を頼り東京に転校。小学校卒業後は、第一銀行で渋沢敬三の給仕をして働きながら大倉商業学校(東京経済大学の前身)の夜間部に通う。在学中、左翼運動サークルを結成。しかし、特別高等警察に勾留され拷問を受けて転向。釈放後、特高警官(給仕時代の先輩の父親)から支援を受け、旧制中学校への編入と卒業資格を得て、東京商科大学(現一橋大学)専門部に進学。在学中から雑誌「統制と経済」の編集を手掛ける。
天城 勲(あまぎ いさお、1915年(大正4年)5月12日 … 天城 勲(あまぎ いさお、1915年(大正4年)5月12日 - 2011年(平成23年)7月22日)は、日本の文部官僚。 静岡県出身。府立一中、一高を経て1942年東京帝国大学法学部政治学科卒。朝鮮総督県道府警視、1946年文部省入省。 1960年大臣官房長、62年調査局長、65年管理局長、66年大学学術局長、69年事務次官。72年日本育英会理事長、76年日本学術振興会理事長。89年日本ユネスコ国内委員会会長。2011年死去。
佐々木 正(ささき ただし、Tadashi Sasaki、1… 佐々木 正(ささき ただし、Tadashi Sasaki、1915年〈大正4年〉5月12日 - 2018年〈平成30年〉1月31日)は、日本の電子工学の科学者。シャープ元副社長。工学博士。「ロケット・ササキ」の異名を持つ。 島根県浜田市で生まれ、小学生時代に台湾の小学校へ転校。旧制台北高等学校を経て、1938年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。台北高等学校で卒業研究として、マンゴーとリンゴを接ぎ木する等のマンゴーの品種改良に取り組む。アップルマンゴーは「この研究がきっかけでできた」と佐々木は説明している。 大卒後、当時の川西機械製作所(後に富士通と合併)へ入社。第二次世界大戦中はレーダー技術を獲得するためにシベリア鉄道でドイツに渡り、対空レーダーのウルツラウスの技術の習得のために派遣されたが、命からがら潜水艦の「Uボート」で帰国した。
羽田 春兔(はねだ はると、1915年5月12日 - 199… 羽田 春兔(はねだ はると、1915年5月12日 - 1995年7月1日)は、昭和時代から平成時代の医師。医学博士(北海道大学、1948年)。13代日本医師会会長。 1915年(大正4年)、長崎県に生まれる。1939年、北海道帝国大学医学部卒業。1948年(昭和23年)、東京都大田区に内科医院を開業。1983年(昭和58年)、東京都医師会会長。1984年(昭和59年)、第12代日本医師会会長花岡堅而の再選を阻んで、第13代日本医師会会長に就任。 初代 北里柴三郎1916-1931 / 2代 北島多一1931-1943 / 3代 稲田龍吉1943-1946 / 4代 中山寿彦1946-1948 / 5代 高橋明1948-1950 / 6代 田宮猛雄1950 / 7代 谷口弥三郎1950-1952 / 8代 田宮猛雄1952-1954 / 9代 黒澤潤三1954-1955 / 10代 小畑惟清1955-1957 / 11代 武見太郎1957-1982 / 12代 花岡堅而1982-1984 / 13代 羽田春兔1984-1992 / 14代 村瀬敏郎1992-1996 / 15代 坪井栄孝1996-2004 / 16代 植松治雄2004-2006 / 17代 唐澤祥人2006-2010 / 18代 原中勝征2010-2012 / 19代 横倉義武2012-2020 / 20代 中川俊男2020-2022 / 21代 松本吉郎2022- この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
小濱 新次(こはま しんじ、1915年(大正4年)5月12日… 小濱 新次(こはま しんじ、1915年(大正4年)5月12日 - 2005年(平成17年)7月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)を務めた。 茨城県結城郡千代川村(現在の下妻市)出身。出羽海部屋に入門し、1930年10月場所で初土俵を踏む。 1936年(昭和11年)1月場所で幕下に上がったが、徴兵検査を受けて海軍に入り、横須賀鎮守府に勤務した。その後は相撲界に復帰することなく、1941年(昭和16年)5月場所限りで廃業した。最高位は東幕下10枚目だった。 後に海軍航海学校高等科で航海術を学び、海軍兵学校教員となる。終戦後、神奈川県で露天商(下駄販売)を始め、第1回国民体育大会から相撲を再び取り始め神奈川県代表として出場した。
蟹江 松雄(かにえ まつお、1912年5月12日 - 200… 蟹江 松雄(かにえ まつお、1912年5月12日 - 2001年2月14日)は、日本の農学者、農芸化学者。鹿児島大学第5代学長・名誉教授。農学博士。専門は発酵学(醸造学)、農産製造学。特に鹿児島の焼酎について長年研究した。 愛知県名古屋市出身。1930年、旧制愛知県立熱田中学校(愛知県立瑞陵高等学校の前身)卒業。1933年、旧制第八高等学校(名古屋大学教養部の前身)理科乙類卒業。1940年に京都帝国大学農学部(現京都大学農学部)農林化学科を卒業し、同年4月から京都帝国大学副手。1941年4月、黒田製薬株式会社に入社。 1946年6月、旧制鹿児島農林専門学校教授に就任。鹿児島赴任以来、焼酎に関心を抱き、研究の一つの柱とする。
稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 19… 稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。稲垣一城(いながき かずき)の筆名も持つ。本名・稲垣秀忠(ひでただ)。 多くの映画やテレビドラマの時代考証を手掛けた江戸時代考証の第一人者。江戸趣味の好事家や時代小説好きにはよく知られた存在であった。司馬遼太郎は、稲垣の著書「時代考証事典」の帯に「唯一の先達の仕事」との推薦文を寄せるなど、江戸時代考証において自分よりも優れた知識を持つ稲垣には敬意を表していた。 富山県砺波市出身。早稲田大学文学部国文科を卒業。戦前は都新聞社会部記者、海軍省嘱託の報道班員、戦後にサンニュース・フォトス記者、歴史文学研究会事務局長、雑誌編集長などを経て、文筆業に入る。
松永 藤雄(まつなが ふじお、1911年〈明治44年〉5月1… 松永 藤雄(まつなが ふじお、1911年〈明治44年〉5月12日 - 1997年〈平成9年〉10月11日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学(特に、大腸疾患)。弘前大学名誉教授。勲二等瑞宝章、従三位。医学博士。 群馬県利根郡沼田町(現・沼田市)上久屋町に生まれる。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部卒業。1936年、同医学部内科教室(教授山川章太郎、助教授黒川利雄)に入局。 1942年医学博士。1948年、弘前医科大学教授(1952年、弘前大学に改称)。1959年から1963年まで同大学附属病院長。1972年から1975年まで同大学医学部長。1975年、同大学退官後、都立駒込病院院長に就任、1984年より同病院名誉院長。
石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 19… 石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 1998年5月29日)は、日本の会計学者。小樽商科大学名誉教授。元札幌学院大学学長。 日本会計学会理事や北海道経済学会代表理事なども務めた他、北海道大学、北見工業大学、北海学園大学、札幌大学、専修大学北海道短期大学、札幌短期大学など多くの非常勤講師も務めた。 『札幌学院 商経論集 第2巻第3号』(札幌学院大学商経学会、1986年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1… 久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1996年10月31日)は、日本の美術評論家、小中学生を対象とした創造主義美術教育運動の指導者。跡見学園短期大学学長、町田市立国際版画美術館初代館長なども務めた。婚家の莫大な資産をもとに美術品蒐集でも知られ、芸術家の支援も行なった。旧姓・小此木。小此木真三郎は弟。 栃木県足利町で金物店を営む小此木仲重郎、ヨシの次男として生まれる。3歳で母を亡くし、継母と姉を母替わりに育つ。足利尋常西小学校、栃木県立足利中学校(旧制)を経て、成蹊高等学校 (旧制)に進学。欧米に憧れを抱いていた貞次郎は、1927年に国際語エスペラントを新聞広告で知って寮友らと学習を始め、1928年に日本エスペラント学会に入会。
周 襄吉(しゅう じょうきち 1907年5月12日 - 19… 周 襄吉(しゅう じょうきち 1907年5月12日 - 1978年4月25日)日本の西洋画家、モダンアート作家。映画美術作家。教育者。 1907年、愛媛県今治市に生まれる。1924年に上京、川端画学校で学んだ後、1925年に東京美術学校西洋画科に入学。1927年、在学中に第14回二科展で『草花の園』が初入選した。1931年に松竹映画に入社し美術を担当、1938年に退社。1951年にはモダン・アート協会創立に参加し、毎年、モダンアート展に出品するとともに協会の発展に尽力した。1958年から1973年まで文化学院美術科講師を勤めた。 1978年4月25日、肺がんのため神奈川県川崎市の関東労災病院にて死去。
山下 勝治(やました かつじ、1906年 <明治39年> 5… 山下 勝治(やました かつじ、1906年 <明治39年> 5月12日 - 1967年 <昭和42年> 12月5日)は、日本の会計学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1951年)。位階は従三位、勲等は勲三等旭日中綬章。 岡山県笠岡市出身。笠岡商業学校(現岡山県立笠岡商業高等学校)を経て、1927年大分高等商業学校卒、愛知県豊橋市立商業学校教諭、1932年神戸商業大学(現:神戸大学)卒。1934年同研究科修了。平井泰太郎研究室出身。1934年彦根高等商業学校講師、1936年教授、1944年神戸経済大学助教授、1951年大阪大学法経学部教授併任、1951年「損益計算制度の発展」で神戸大学より経営学博士の学位を取得。
小場瀬 卓三(おばせ たくぞう、1906年5月12日 - 1… 小場瀬 卓三(おばせ たくぞう、1906年5月12日 - 1977年11月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。(旧)東京都立大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1927年甲南高等学校文科卒業、1930年東京帝国大学文学部仏文科卒業、1936年から1938年までパリに留学。東京都立大学教授、日本フランス語フランス文学会会長などを歴任。 ディドロ、モリエールを研究、16世紀から18世紀のフランスの思想・演劇について研究、ほかアラゴンの翻訳を含め、多くの著書訳書を著した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
塩飽 玉男 (しわく たまお、1906年5月12日 – 19… 塩飽 玉男 (しわく たまお、1906年5月12日 – 1990年12月15日)は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1936年ベルリンオリンピックに日本代表選手としてマラソンに出場した。 当時大規模な入浜式塩田を擁していた坂出周辺では、「浜子」と呼ばれる塩田労働者が塩田内で仕事として終日走る生活を送っていた。1919年にはマラソンへの関心に火がつき、地元出身で1920年アントワープオリンピック陸上競技代表選手となった大浦留市(東京高等師範学校)が、帰国後に郷里で開かれたロードレースで2人が自分より上位に入ったことを評価・激励したこともそれを後押しした。1928年アムステルダムオリンピックのマラソンに「浜子」出身の山田兼松が4位入賞を果たし、それを追う形で楠好蔵や塩飽も陸上競技に進んだ。
阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日… 阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の中国哲学者。 1905年、山形県山形市で生まれた。山形中学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科に入学。1928年、卒業論文『荀子の研究』を提出して同大学を卒業。同大学大学院に進学した。 1930年、東方文化学院東京研究所の助手となり、服部宇之吉の「儀礼鄭注補正」の助手を務めた。1935年に同研究所研究員となり、「朱子経説の淵源」の題目で研究を進めた。 1941年、京城帝国大学法文学部助教授として赴任。当地で朝鮮儒学に関心を抱いた。李退渓と闇書の思想的血縁関係について著した専門書をまとめたものの、公刊直前に敗戦となり、原稿ともども失う。
松島 詩子(まつしま うたこ、本名:内海 シマ、1905年〈… 松島 詩子(まつしま うたこ、本名:内海 シマ、1905年〈明治38年〉5月12日 - 1996年〈平成8年〉11月19日)は、日本の歌手。山口県玖珂郡日積村(現在の柳井市の一部)出身。夫は戦前期浅草オペラやニットーレコードで歌手として活躍した内海一郎(1898年 - 1972年)。 テレビ東京系「出没!アド街ック天国」のワンコーナー「〇〇物語」のBGMにこの曲のインストゥルメンタルが使われている。
鈴木 敬信(すずき けいしん、1905年5月12日 - 19… 鈴木 敬信(すずき けいしん、1905年5月12日 - 1993年1月27日)は、日本の天文学者。専門分野は位置天文学、日食計算論。 東京学芸大学名誉教授。秋田県秋田市出身。一部の人名事典では出身地が東京都になっているものもある。なお、小惑星の(2393) Suzukiは、彼に因み命名された。 旧制第一高等学校を経て1929年、東京帝国大学理学部天文学科を卒業。広島第一中学校教諭、赤羽工兵隊幹部候補生、東京科学博物館嘱託を経て1939年、海軍水路部技師となる。水路部では編暦に従事し、『天体位置表』を創刊した。 1951年、運輸大臣賞(「天体位置表の創刊」により)。 1952年、東京学芸大学教授に就任し、1969年退官。
谷 邦夫(たに くにお、1904年5月12日 - 1991年… 谷 邦夫(たに くにお、1904年5月12日 - 1991年11月23日)は、日本の政治家、歌人。 本名は谷 国夫(たに くにお)。 栃木県那須郡湯津上村(現大田原市)佐良土に生まれる。1920年(大正9年)3月、宇都宮商業学校を卒業。家業の商店を継ぐ傍ら、歌誌『創作』に入会し若山牧水に師事した。後に吉植庄亮の『橄欖』に入会する。 1942年(昭和17年)4月、湯津上村議会議員に当選した。以後5回当選し、1951年(昭和26年)4月から村議会副議長を4年間、1965年(昭和40年)4月から村議会議長を2年間務めた。途中、1957年(昭和32年)12月には合併をめぐる対立から村議会議員を辞職している(後述)。
高木 章(たかぎ あきら、1904年(明治37年)5月12日… 高木 章(たかぎ あきら、1904年(明治37年)5月12日 - 1966年(昭和41年)11月17日)は、日本の教育者、政治家。国際短期大学の創立者にして初代学長。息子は二代目学長の高木一明。衆議院議員(1期)。東京出身。 1926年、日本大学専門部法律科卒業。同専門部法律科副手に就く。 1928年より二松學舍専門学校講師。1933年中野高等無線電信学校を創立し、幹事に就任。 1941年、財団法人中野学園を設立し、同理事長に就任。中野学園中学校(旧制)を創立。 1946年、国際外国語学校(国際短期大学の前身)を創立し、同学校長に就任。 1948年、財団法人中野学園を財団法人国際学園に改称し、中野学園中学校(旧制)を国際中学校と国際高等学校に変更。
草野 心平(くさの しんぺい、1903年(明治36年)5月1… 草野 心平(くさの しんぺい、1903年(明治36年)5月12日 - 1988年(昭和63年)11月12日)は、日本の詩人。福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)出身。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 慶應義塾普通部を中退、中国広東の嶺南大学芸術科に学んだ。1928年に『第百階級』を刊行。1935年に逸見猶吉創刊の詩誌「歴程」に参加。その後、日本の傀儡政権である南京の汪兆銘政府の宣伝部顧問となった。南京でできた『富士山』(1943年)に体制的思想の影響を指摘する評もある。戦後、「歴程」を復刊して多くの詩人を育て、蛙を愛した。 1903年(明治36年)5月12日、福島県石城郡上小川村に、父・草野馨、母・トメヨの次男として生まれる。
石丸 重治(いしまる しげはる、1902年(明治35年)5月… 石丸 重治(いしまる しげはる、1902年(明治35年)5月12日 - 1968年(昭和43年)12月12日)は、美術評論家。慶應義塾大学教授(法科)。 島根県出身。叔父に柳宗悦 。1915年(大正4年)、府立一中(現・都立日比谷高校)に入学したが半途(中途)退学。1927年(昭和2年)、慶應義塾大学英文科卒業。一中時代は小林秀雄や西竹一(バロン西、半途退学)、迫水久常、原奎一郎らと同期。また「青銅時代」を創刊するなど、この中学校の頃から評論に携わっていた。小林秀雄などとは、同人誌「山繭」を主宰し、また柳宗悦や吉田璋也、河井寛次郎らの民藝運動に初期には関わっている。 美術評論家として知られ、主な著作に『英国の工芸』(工政會出版部、1930年)、『英国教会本寺考』(好學社、1953年)。
高柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年(明治35年)5… 高柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年(明治35年)5月12日 - 1990年(平成2年)1月4日)は、日本の法制史学者、東北大学名誉教授。「高柳眞三」とも表記される。 石川県金沢市出身。1919年石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業。1922年旧制第四高等学校、1925年東京帝国大学法学部卒業(恩師:中田薫 )。1925年東北帝国大学法文学部助手、1927年同助教授、1941年、東北帝国大学法文学部教授。1949年宮城県女子専門学校 (旧制)校長。1951年東北大学教養部長。1952年9月「明治家族法史」にて東北大学にて法学博士受く。1958年、東北大学法学部長。1966年、定年退官、名誉教授、岩手県立大学盛岡短期大学部学長。
吉田 孝雄(よしだ たかお、1901年5月12日 - 197… 吉田 孝雄(よしだ たかお、1901年5月12日 - 1979年1月24日)は、日本の経営者。東京都出身。 1924年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業し、同年に中島飛行機に入社。設計主任として、多くの海軍機の設計に携わり、1955年に岩崎通信機社長を経て、1956年から1963年までに富士重工業社長を務めた。 1962年5月に藍綬褒章を受章し、1971年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1979年1月24日肺癌のために死去。77歳没。
納言 恭平(なごん きょうへい、1900年(明治33年)5月… 納言 恭平(なごん きょうへい、1900年(明治33年)5月12日 - 1949年(昭和24年)7月6日)は、日本の小説家である。本名は奥村 五十嵐。 熊本県玉名郡天水町(現在の玉名市)に生まれる。熊本県立熊本工業高等学校卒業後、1918年(大正7年)に一時期八幡製鉄所に勤務した。同年上京し新潮社に入社後、同社発行の雑誌だった『文学時代』及び『日の出』の編集に携わる。 1939年(昭和14年)には海音寺潮五郎らと親交を持ち、『文学建設』の編纂に携わった事により主に時代小説の執筆を始めた。晩年は捕物作家クラブ(後の日本作家クラブ)の創設にも加わった。
相田 二郎(あいだ にろう、1897年(明治30年)5月12… 相田 二郎(あいだ にろう、1897年(明治30年)5月12日 - 1945年(昭和20年)6月22日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学史料編纂官。専門は日本中世史、日本古文書学で、生涯にわたって古文書学の研究・教育につとめた。 神奈川県足柄下郡早川村(現在の神奈川県小田原市)に生まれる。神奈川県立小田原中学校、第四高等学校を経て、1923年、卒業論文「土地沽却上の支拂品より見たる銭貨の流通状態 王朝時代鎌倉時代」をまとめ、東京帝国大学文学部国史学科を卒業。同大大学院進学とともに、同大学文学部史料編纂掛嘱託となる。1927年に史料編纂官補(同年、有栖川宮奨学金を受ける)、1930年から、東京帝国大学文学部講師として古文書学を講義、1933年に史料編纂官となった。
木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - … 木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - 1988年10月12日)は、日本の分析化学者。学位は、理学博士(東京大学)。日本学士院賞受賞。 青森県出身。父は神奈川県第一中学校(現・神奈川県立希望ヶ丘高等学校)校長の木村繁四郎(1864-1945)。祖父は弘前藩家老の木村藹吉(1840-1879)。伯父(伯母の夫)に伊東重、義兄に矢代幸雄(姉の夫)がいる。 旧制神奈川県立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部化学科に在学中、柴田雄次に師事する。卒業後も大学に残り、1922年に同大学理学部助教授となる。1925年からデンマークに留学し、ニールス・ボーアのもとで研究した。
小畑 哲夫(こばた てつお、1896年(明治29年)5月12… 小畑 哲夫(こばた てつお、1896年(明治29年)5月12日 - 1971年(昭和46年)1月10日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 兵庫県宍粟郡神戸村(一宮町を経て現宍粟市一宮町)で、小畑彦太郎の二男として生まれる。1916年(大正5年)姫路師範学校を卒業した。 1916年、兵庫県内の小学校訓導に就任。その後、鉄鋼線材製造業を営む。阪神被覆電気溶接棒製造工業組合主事、同組合常務理事、西日本電極棒工業組合専務理事、日本電気溶接棒工業組合専務理事、日本溶接工業代表取締役、兵庫県宍粟郡神戸村薪炭組合長、同郡薪炭組合連合会副会長、兵庫県民主政治会宍粟郡支部長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から民主党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、その後、国民民主党に所属し参議院議員に1期在任した。
吉薗 周蔵(よしぞの しゅうぞう、1894年〈明治27年〉5… 吉薗 周蔵(よしぞの しゅうぞう、1894年〈明治27年〉5月12日 - 1964年〈昭和39年〉10月)は、日本の諜報員。元帥陸軍大臣上原勇作個人付き陸軍特務を務めた人物。 「吉薗周蔵手記」という、陸軍特務時期の活動内容を記した手記を残している。これを元にした落合莞爾の研究に対し、偽史研究者の原田実は手記そのものが公開されていないという問題点を指摘した。 1894年(明治27年)5月12日、宮崎県西諸縣郡小林村(現在の宮崎県小林市)生まれ。父は吉薗林次郎、母はキクノ。吉薗家は山林を持ち、米作やたばこ等の商品作物栽培の他に薩摩節生産なども行なっている富農であった。 周蔵は算数、数学、物理の能力に長けており、数学は独学で知識を深めていた。
山元 亀次郎(やまもと かめじろう、1894年〈明治27年〉… 山元 亀次郎(やまもと かめじろう、1894年〈明治27年〉5月12日 - 1962年〈昭和37年〉3月27日)は、大正から昭和期の政治家・実業家。衆議院議員。通称「山亀」と称された革新の闘士。 鹿児島県大島郡西古見村(焼内村、西方村を経て現瀬戸内町西古見)で、鰹漁業網元・山元十太郎の息子として生まれた。1909年(明治42年)大島郡古仁屋高等小学校を修了。熊本、長崎で船員として務め学費を貯めて、1915年(大正4年)大阪市の桃山中学校(現桃山学院中学校・高等学校)を卒業した。2年間の兵役を経て日本大学専門部法科に入学したが1918年(大正9年)に中退した。 1919年(大正10年)4月、全国学生同盟会、同年12月、日本労働党、1921年12月、対外青年革新協会などをそれぞれ結成して、学生運動、普選運動に尽力した。
松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12… 松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12日 - 1966年(昭和41年)10月1日)は、貴族院議員などを務めた内務官僚。
常光 浩然(つねみつ こうねん、1891年5月12日 - 1… 常光 浩然(つねみつ こうねん、1891年5月12日 - 1973年11月29日)は、仏教ジャーナリスト、浄土真宗本願寺派の僧。 広島県出身。1914年東洋大学理学教育学科卒。1923年から26年東洋大学社会事業科幹事を務め、26年から1930年にかけて中山文化研究所理事。この間、1928-29年欧米の宗教教育事情を視察。1930年東京中野に日米ホームを創立、1941年まで在米日系人の子供を教育した。1946年広島県で「仏教タイムス」を創刊。1952年第2回世界仏教徒会議事務局長。55年仏教タイムス社を創設、61年社長。1968年仏教伝道文化賞受賞。
下出 義雄(しもいで よしお、1890年(明治23年)5月1… 下出 義雄(しもいで よしお、1890年(明治23年)5月12日 - 1958年(昭和33年)1月20日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家・教育者・政治家。実業家で貴族院議員も務めた下出民義の長男。父の事業を継ぎ名古屋財界にて活動し、大同製鋼(現・大同特殊鋼)社長や名古屋証券取引所理事長などを務める。事業界での活動の傍ら学校経営にも携わったほか、1942年(昭和17年)から1期のみ衆議院議員も務めた。 下出義雄は1890年(明治23年)5月12日、下出民義の長男として大阪市に生まれた。母あいは、父民義とともに大阪市の石炭商社に参加していた大阪安治川の石炭商西井直次郎の妹である。父民義は1889年に大阪から愛知県へと移り、名古屋市近郊の熱田町にて石炭商として開業していたが、母は郷里の大阪へと帰って義雄を出産した。
欧陽 予倩(おうよう よせん、1889年5月12日—1962… 欧陽 予倩(おうよう よせん、1889年5月12日—1962年9月21日)は、中華民国·中華人民共和国の劇作家、俳優。湖南省瀏陽県出身。 1889年5月12日、湖南省瀏陽県に生まれた。東京振武学校·明治大学·早稲田大学卒業。1907年日本滞在中に春柳社に加わる。辛亥革命後帰国し、引き続き春柳社に参加。春柳社解散後は、広東戯劇研究所(広州)、広西芸術館(桂林)などで演劇(話劇)活動を続ける。また京劇俳優としても活躍する。1920年代後半からは映画監督、脚本家としても活動した。 中華人民共和国建国後1950年4月、中央戯劇学院院長(逝去まで)。中国文学芸術界連合会副主席。中国戯劇家協会副主席。中国舞踏家協会主席。
橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)… 橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)5月12日 - 1942年(昭和17年)10月13日)は、日本の教育者、文部官僚。 福井県足羽郡東郷村(現在の福井市)出身。1911年(明治44年)に盛岡高等農林学校農学科を卒業。宮城県立農学校教諭、同農事試験場技手、福井県今立郡立農学校教諭、盛岡高等農林学校助教授などを歴任。その後高等文官試験に合格し、福岡県鞍手郡長、同糸島郡長、同事務官を務めた。1928年(昭和3年)に文部事務官に移り、大臣官房会計課勤務、専門学務局勤務などを経て、1934年(昭和9年)に文部書記官・宗教局宗務課長に就任した。1937年(昭和12年)からは東京聾唖学校校長を務めた。
柳 来琬(リュ・レワン、朝鮮語: 류래완/柳來琬、1888年… 柳 来琬(リュ・レワン、朝鮮語: 류래완/柳來琬、1888年5月12日 - 1956年9月12日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教員、政治家。制憲韓国国会議員。 本貫は晋州柳氏(朝鮮語版)、号は怡雲(イウン、이운)。ユ・レワン(漢字同、유래완)という表記も見られる。 京畿道楊平郡出身。神戸市立湊川商工実業学校商業科卒、早稲田大学修了。大韓独立普成団組織団長を務めたが、三・一運動の普成団事件で1年間投獄された。その後は私立養成女学校教員、楊平郡楊西学堂教員、楊平公立普通学校学務委員、楊平郡食糧事務嘱託、楊平面内務主任、楊平面協議会員を歴任した。解放後は初代楊平面長、韓国民主党楊平郡支部支部長、南朝鮮過度立法議院代議員、制憲国会議員、社団法人楊平郡畜産協会会長を歴任した。
大久保 留次郎(おおくぼ とめじろう、1887年(明治20年… 大久保 留次郎(おおくぼ とめじろう、1887年(明治20年)5月12日 - 1966年(昭和41年)11月19日)は、日本の内務及び台湾総督府官僚、政治家。第18代東京市長。衆議院議員(4期)。 茨城県行方郡吉川村(津澄村、北浦村、北浦町を経て現行方市吉川)で大久保佐吉の次男として生まれる。生家は農家。1913年(大正2年)東京高等師範学校(筑波大学の前身)地歴科卒業。高等文官試験に合格し、内務省に入省、警察畑を歩む。新橋、牛込、神楽坂各警察署長、警視庁特高課長、刑事部長、官房主事、台湾総督府警務局長を歴任。この間、堺利彦、徳田球一らが検挙された第1次共産党事件(1923年)、約1600人が検挙された三・一五事件(1928年)など、共産党員の大量検挙事件の指揮にあたる。