秦 哲美(はた てつみ、1929年(昭和4年)10月27日 … 秦 哲美(はた てつみ、1929年(昭和4年)10月27日 - 2020年(令和2年)5月27日)は、日本の政治家。元埼玉県議会議員。父は大宮市長の秦明友。立憲民主党さいたま市議会議員の西山幸代は三女。 埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。専修大学商経学部経済学科卒。埼玉県立大宮工業高等学校、埼玉県立大宮高等学校、埼玉県立熊谷農業高等学校、埼玉県立浦和第一女子高等学校の事務長等を務める。 1986年に大宮市長選挙に立候補したが落選。1987年に埼玉県議会議員に立候補し、当選。1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉5区から立候補したが落選。 その後、県議会議員に復帰。
蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996… 蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996年1月1日)は、アメリカ文学者、批評家、太陽社社長。本名・三宅二郎。 兵庫県姫路市出身。東京外国語大学英米科卒業、東京大学英文科大学院修了、群馬大学勤務。1961年、磯田光一、小野二郎、近藤耕人、柘植光彦、中井多津夫らと第16次『新思潮』(晶文社)を創刊、1964年まで続いた。1971年、明治大学専任講師を辞任。 1967年、出版社・太陽社を興し、大学の語学テキストのほか、アメリカ文学や、ヒッピー文化に関する翻訳、自らの著作を刊行する。1979年、神保町で古書店「ワンダーランド」を開いた。 雑誌『新批評』に、英文科教授平井正穂から不当な扱いを受けたとして告発文を発表した。
渡部 保夫(わたなべ やすお、1929年10月27日 - 2… 渡部 保夫(わたなべ やすお、1929年10月27日 - 2007年4月12日)は、日本の刑事法学者。弁護士。元裁判官(札幌高等裁判所判事、最高裁判所調査官)。博士(法学)(1992年・北海道大学)。北海道室蘭市出身。 1929年、北海道生まれ。1953年東京大学法学部卒業後、1955年から30年間、裁判官を務める。 裁判官を退官後は、法学者、弁護士を務めた。 2007年4月12日、仕事を終え深夜に入浴をしていたところ脳内出血のため死去。77歳没。 裁判官時代、社会党代議士恐喝事件、青梅事件第二次控訴審無罪判決、梅田事件再審開始抗告審決定、北炭ガス爆発事故事件、北大電気メス禍事件等に関与。札幌地方裁判所の所長代行(1969年4月-1977年3月)、最高裁刑事調査官室の上席調査官(1978年4月-1981年3月)など司法行政にも関わった。
伊藤 昌弘(いとう まさひろ、1927年〈昭和2年〉10月2… 伊藤 昌弘(いとう まさひろ、1927年〈昭和2年〉10月27日 - 2011年〈平成23年〉6月5日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員(1期)。薬剤師。 東京市本所区(現在の東京都墨田区)出身。1948年千葉医科大学附属薬学専門部卒業。1959年から墨田区議を2期、1969年から東京都議を2期(自民党)務めた。 1976年の総選挙で東京6区から無所属で立候補するが落選。1979年と1980年に民社党から衆議院議員総選挙に続けて立候補するも落選。1983年の総選挙で初当選。1986年に落選。1990年と1993年(無所属)の総選挙に立候補するが落選。1995年と1999年の墨田区長選に立候補するが落選。
大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月2… 大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月27日 - 2014年4月28日)は、日本の政治家、医師。位階は従四位。 社会福祉法人・医療法人・財団法人おもと会理事長。元自由民主党参議院議員。 1980年の第12回参議院議員通常選挙(沖縄地方区)に保守系無所属で立候補するも、革新共闘会議の喜屋武真栄に敗北。その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙(比例区)で初当選、2期務める。派閥は平成研究会(竹下派→小渕派)。 2014年4月28日午前0時47分、老衰のため沖縄県那覇市の大浜第一病院で死去。86歳没。叙従四位。
速水 史郎(はやみ しろう、1927年10月27日 - )は… 速水 史郎(はやみ しろう、1927年10月27日 - )は日本の彫刻家。 香川県仲多度郡多度津町生まれ。徳島工業専門学校機械科(現・徳島大学工学部機械工学科)卒業。和瓦の技法を用いた黒陶と石彫の作家である。特に石彫は、モニュメンタルな作品やパブリックアートが多く、東京都庁や国立科学博物館などをはじめ全国100ヶ所を超えるパブリックスペース等に作品が設置されている。 また1996年に紫綬褒章、2005年度秋の叙勲において旭日小綬章を受章している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
田尾 壱良(たお いちりょう、1927年10月27日 - 2… 田尾 壱良(たお いちりょう、1927年10月27日 - 2011年4月28日)は、香川県の郷土刀研究者、銃砲刀剣類登録審査員、彫金作家。社会生活においては「壱良」の漢字を使用したが、彫金作品には「一良」「壹良」なども使っている。戸籍上は「壹良」。刀身彫りのほか、鍔や目貫などの刀装具を多く制作した。 1927年(昭和2年)10月27日、香川県善通寺市に田尾織之助、ツヤの長男として生まれる。織之助の父母、弥之助とトミは明治35〜36年頃から昭和2年頃まで善通寺市中通り2丁目で金物店を営んでいた。当時、田尾金物店は善通寺一大きい店であった。織之助は銀行員だったが、昭和初期の世界的な恐慌と国内の不況で銀行が倒産し失業。
達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月… 達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月27日 - )は、昭和期の労働運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(1期)。 長崎県 長崎市出身。1945年(昭和20年)長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を卒業した。 労働運動に加わり、全逓信労働組合(後の日本郵政公社労働組合)長崎県本部執行委員長、長崎県労働組合会議会長、原水爆禁止長崎県民会議会長、日本社会党長崎県本部副委員長などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から社会党公認で出馬し次点で落選したが、当選者の田浦直蔵が死去したため、同年8月24日に繰り上げ当選し、参議院議員に1期在任した。
高沢 寅男(たかざわ とらお、1926年〈大正15年〉10月… 高沢 寅男(たかざわ とらお、1926年〈大正15年〉10月27日 - 1999年〈平成11年〉8月5日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(7期)。 新潟県上越市出身。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、奥田敬和らと同期。東京大学経済学部に入学。日本共産党国際派の活動家として学生運動に参加、都学連委員長などを務める。当時の同志に不破哲三、上田耕一郎、安東仁兵衛、武井昭夫らがいた。 1954年3月、東京大学経済学部を卒業。同年4月、日本社会党書記局に入る。1966年に非議員の中央執行委員に昇格し、教育宣伝局長、総務局長などを歴任する。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京5区から社会党公認で立候補し初当選した。
平島 正郎(ひらしま まさお、1926年10月27日 - 2… 平島 正郎(ひらしま まさお、1926年10月27日 - 2009年8月10日)は、日本の音楽学者。明治学院大学名誉教授。 弟の平島二郎は建築家で平島建築設計事務所代表。 東京府(現在の東京都)生まれ。1951年、東京大学文学部美学藝術学科卒、同大学院修士課程修了。1963年から1964年にかけて、また、1967年から1968年にかけてフランスに留学、N・デュフルク教授に師事。桐朋学園大学音楽学部教授、宮城学院女子大学教授、明治学院大学教授。1998年定年退任、名誉教授。遠山音楽図書館副館長も務めた。 2009年8月10日、拡張型心筋症のため死去。
柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 20… 柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家、SF作家、SF研究家・評論家。 日本初のSFファングループ『宇宙塵』の主宰者として知られ、同名の同人誌の編集長を務めた。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名だった。 石川県金沢市出身。父・柴野為亥知(ためいち)は陸軍軍人にして詩人・画家でもあり、多数の軍歌を作詞・作曲し、満州映画協会の創設にも関わった。小学校時代から山中峯太郎や海野十三に傾倒。東京で青山学院に入学するが、のち金沢に戻り、金沢二中から四修(飛び級)で第四高等学校に進む。 実父が陸軍大佐であった事から「軍」に関しては複雑な心境を持っていた。
江崎 健次郎(えざき けんじろう、1926年10月27日 -… 江崎 健次郎(えざき けんじろう、1926年10月27日 - )は日本の作曲家。 台湾生まれ。日本大学芸術学部卒業。作曲を松平頼則に師事する。第25回日本音楽コンクール第1位受賞。第36回国際現代音楽祭入選。1957年、松平頼暁、下山一二三らとグループ20.5を結成。後に、東京テープ音楽・音響工房を設立し、音響デザイン社社長として記録映画およびPR映画の音楽や電子チャイム、音響デザインの制作に携わる。 一作ごとに主義主張を確実に変えてゆく(本人の弁では自己否定の連続)ために、全作品のカタログすら作らない。現代音楽業界と袂を分かち、たった一人で独自のサウンドインスタレーションを展開するなど、音響重視の作曲法は活動当初から変わっていない。
仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月… 仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月27日 - 1988年(昭和63年)11月18日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(2期)。 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市)で農業を営んでいた父親の仲谷清一は第一次世界大戦の好況にあおられ、田畑を売り、機屋(はたや)を始めた。ところがつぶれてしまい、夜逃げ同然で一家は名古屋市に出た。1925年10月27日、仲谷は名古屋市西区桜木町3丁目で出生した。父親は織機会社のあとミシン会社に勤め、やがて仲谷ミシン商会として独立した。 名古屋市立新道尋常小学校、愛知県立明倫中学校卒業。1945年3月、第四高等学校文科甲類卒業。同年4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
小林 肇(こばやし はじめ、1925年(大正14年)10月2… 小林 肇(こばやし はじめ、1925年(大正14年)10月27日 - )は、日本の歴史学者、郷土史家。 現在の佐賀県鳥栖市に生まれる。1945年佐賀師範学校卒業、1952年日本大学法文学部人文地理学科卒業。 佐賀大学教育学部附属中学校教諭、佐賀県立佐賀西高等学校教諭、佐賀県立鳥栖高等学校教諭を経て西九州大学名誉教授。 1984年(昭和59年)4月1日 鳥栖市が公募する「鳥栖市民憲章」で最優秀賞を受賞し採用された。鳥栖市役所前にその市民憲章を彫った石碑が建っている。 ・田代売薬〔対馬田代領〕の史的研究 ・対馬領田代売薬の史的研究(第4報)領域経済と田代売薬の創業 ・対馬領田代売薬の史的研究-第5報-宝歴・天明期における田代売薬 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小野 二郎(おの じろう、1925年〈大正14年〉10月27… 小野 二郎(おの じろう、1925年〈大正14年〉10月27日 - )は、日本の鮨職人。すきやばし次郎創業者。「寿司の神様」との俗称も見られる。 静岡県出身の鮨職人である。東京都にて「すきやばし次郎」を創業した。映画『二郎は鮨の夢を見る』への出演でも知られている。2022年時点でミシュラン史上最高齢の三つ星シェフで、2019年にギネス世界記録として認定された。 静岡県天竜市(当時は静岡県磐田郡)で生まれ、7歳から静岡県の料理店で奉公し、のちに東京で修業する。 1951年に鮨職人となり、1965年に独立して現在地ですきやばし次郎を開店する。 2005年に「江戸時代以来のにぎり鮨の伝統を踏まえながら、常に新しい工夫を怠らず、江戸前の握り鮨の型と魂を継承している」として厚生労働省が卓越した技能者表彰により現代の名工に選出する。
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - … 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。
多田実(ただ みのる、1923年10月27日 - 2006年… 多田実(ただ みのる、1923年10月27日 - 2006年6月3日)は、日本のジャーナリスト、学者。 千葉県出身。別名・平田善介(よしすけ)。中央大学法学部卒。学徒出陣で硫黄島の戦いに参加し、捕虜になる。帰国後、読売新聞に入り、政治部記者、政治部長を経て、二松学舎大学国際政経学部教授。94年定年退職、客員教授。
稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2… 稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2015年4月16日)は、日本の実業家。外務省勤務を経て1956年に広告代理店の旭通信社(現・ADKホールディングス)を創業した。 日本広告業協会副理事長、日本広告業厚生年金基金理事長などを歴任した。
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
星川 清司(ほしかわ せいじ、本名:清(きよし)、1921年… 星川 清司(ほしかわ せいじ、本名:清(きよし)、1921年10月27日 - 2008年7月25日)は、日本の脚本家・小説家。
永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 20… 永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 2012年10月26日)は、日本の比較教育学者、社会科教員。 大阪市生まれ。広島高等師範学校、学徒動員をへて1945年広島文理科大学卒、広島大学附属中学校・高等学校教諭、広島大学教育学部助教授、84年「国際理解教育に関する研究 国際的協同研究をとおして」で広島大学より教育学博士の学位を取得。定年退官、名誉教授、鳴門教育大学教授。
大屋 政子(おおや まさこ、1920年(大正9年)10月27… 大屋 政子(おおや まさこ、1920年(大正9年)10月27日 - 1999年(平成11年)1月16日)は、日本の歌手、実業家、タレント、作家。旧姓は森田。 元帝人社長大屋晋三の妻。実父は元衆議院議員の森田政義。 大阪府大阪市阿倍野区北畠生まれ。父は熊本県天草出身の代議士森田政義、母は大阪府出身。「お嬢様」として育つが、1939年(昭和14年)、政子19歳のとき、父・政義が心臓発作のため急死。これを機に生活は一変。父の取り巻きでにぎわっていた森田家にはもはや誰も寄り付かなくなり、懇意にしていた家を訪ねても、門さえ開けてくれなかった。政子は「没落したらあかんねん」と強く思い、この言葉が政子の口癖になった。
張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日… 張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日 - 2015年1月4日)は大日本帝国陸軍の軍人及び大韓民国の軍人、政治家、企業家。本貫は仁同張氏。 1920年、京城府に生まれる。1941年、早稲田大学商学部卒業。1942年、岐阜陸軍飛行学校、浜松陸軍飛行学校卒業。 1948年4月、韓国軍入隊。同年6月15日、航空基地司令部勤務。同年9月、航空基地司令部飛行部隊小隊長。1949年9月31日、飛行団飛行隊第2中隊長。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発するとF-51D操縦要員として板付に派遣された。同年11月、空中輸送班長。韓国空軍初の空輸任務を遂行した。1952年7月、駐アメリカ大使館付武官。
猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月2… 猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月27日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。福島県会津若松市長。 会津若松市出身。1943年(昭和18年)日本大学商経学部卒業。 門田村議会議員、会津若松市議会議員を経て、1967年(昭和42年)より福島県議会議員に5選する。1983年(昭和58年)会津若松市長に当選し、1987年(昭和62年)落選した。
島岡 達三(しまおか たつぞう、1919年(大正8年)10月… 島岡 達三(しまおか たつぞう、1919年(大正8年)10月27日 - 2007年(平成19年)12月11日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司に師事し、「縄文象嵌技法」を考案し、陶芸:民芸陶器の重要無形文化財技術保持者(人間国宝)となった。 1919年(大正8年)10月27日、三代続いた組紐師の父・島岡米吉と母・かうの長男として、東京市芝区愛宕町(現・東京都港区愛宕)に生まれた。 1936年(昭和11年)、もともとは文系が志望であったが、技術者を優遇していたその当時の時代の風潮を懸念した父に工業系を勧められたため、東京府立高等学校高等科理科に入学し、そして1939年(昭和14年)には東京工業大学窯業学科に入学した。
中道昌喜(なかみち まさよし、1918年10月27日 - 2… 中道昌喜(なかみち まさよし、1918年10月27日 - 2007年1月15日)は、日本の実業家。中道機械株式会社および中道リース株式会社の創業者。 北海道函館市出身。後に北海道夕張市に移住し、幼少期を夕張で過ごした。夕張市立夕張第二小学校卒業。北海中学校を卒業する。 1945年機械販売と製作の中道兄弟商店を札幌に設立する。1950年1月19日株式会社に改組し、社名を中道兄弟機械株式会社と改称する。さらに、1963年1月社名を中道機械株式会社と改称。同社代表取締役社長。1963年札幌証券取引所に上場。1972年1月中道リース株式会社を設立し、リース部門に進出。同社代表取締役社長に就任。1985年中道リース代表取締役会長に就任。
島田 屯(しまだ とん、1917年10月27日- 1965年… 島田 屯(しまだ とん、1917年10月27日- 1965年11月7日)は、山梨県甲府市出身の俳優。 画家を志し、太平洋美術学校で絵を学んでいたが俳優志望に転向。1939年に新協劇団入団。1940年、日活多摩川撮影所入社。東宝演劇研究会を経て、1943年に再結成された東宝劇団に入団。瑞穂劇団在籍中の1945年に召集を受ける。1949年、第2次新協劇団に入団。劇団青俳、フリーランス期間を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 戦前は舞台を中心に活動。戦後は映画やテレビドラマにも多数出演しており、映画では東映の教育映画や独立プロ映画を中心に『おとし穴』などの作品に、ドラマでは『バス通り裏』などに出演した。
鈴田 照次(すずた てるじ、1916年10月27日 - 19… 鈴田 照次(すずた てるじ、1916年10月27日 - 1981年9月8日)は、日本の染織家。鍋島更紗を、「鍋島更紗秘伝書」と「見本帖」をもとに復元に着手し、「木版摺更紗」を完成させた。人間国宝であり、染織家である鈴田滋人の父。
小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年〈大正4年〉10月2… 小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年〈大正4年〉10月27日 - 2001年〈平成13年〉2月20日)は日本の社会学者。群馬大学名誉教授。 群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。1933年(昭和8年)旧制前橋中学校を卒業。旧制新潟高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。卒業と同時に兵役につき、1945年(昭和20年)に復員。 郷里に帰ると1946年(昭和21年)吾妻青年同志会を創設。1947年(昭和22年)から群馬青年師範学校に勤務する。1949年(昭和24年)に群馬大学学芸学部助教授となり、1967年(昭和42年)には群馬大学教養学部教授に就任。社会学を担当し、1981年(昭和56年)群馬大学を退官。
坂井 誠一(さかい せいいち、1915年10月27日 - 2… 坂井 誠一(さかい せいいち、1915年10月27日 - 2004年3月30日)は、日本の日本史学者。 富山県生まれ。1938年東京帝国大学文学部国史学科卒。1977年「加賀藩改作法の研究」で法政大学文学博士。1950年富山大学助教授、1964年教授、1979年定年退官、名誉教授、上越教育大学教授。弟に名古屋高裁長官・坂井芳雄(1920-1998)。 1988年、勲二等瑞宝章受章。
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月2… 木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月27日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。 広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、養父の結核発病に伴い家業を継ぐために転学した。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島県福山市の実家で薬局を営む。以後、終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。
今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日 - 1… 今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日 - 1992年10月9日)は、中国史学者、原水爆禁止運動家。父は教育者・心理学者の今堀友市、弟は生物学者・今堀宏三、生化学者・今堀和友。
鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月2… 鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月27日 - 1985年(昭和60年)4月27日)は、日本文学者。聖心女子大学・立正大学名誉教授。文学博士(東京大学・1962年)。 鹿児島県生まれ。父は日本文学者で第四高等学校教授の鴻巣盛広である。隼雄が生まれた時は、第七高等学校造士館教授であった。東京帝国大学を卒業。山口大学、二松學舍大学、聖心女子大学教授を歴任。1972年(昭和47年)立正大学教授に就任した。1984年(昭和59年)、定年退官。 近代文学から始めて古代文学を研究した。1962年、東京大学に於いて「鹿持雅澄と萬葉学」で文学博士となる。
寒川 喜一(かんかわ きいち、1911年(明治44年)10月… 寒川 喜一(かんかわ きいち、1911年(明治44年)10月27日 - 1990年(平成2年)2月3日)は、日本の地方公務員、政治家。衆議院議員。 徳島県出身。1933年に関西大学専門部第1部法科を卒業。大阪府書記となり、地方事務官、大阪府人事委員会事務局長、同府労働部長などを歴任。その後、大阪府職業訓練協会副会長、寒川労働コンサルタント所長、関西大学評議員などを務めた。 1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙、次の第31回総選挙で落選。1969年(昭和44年)12月、第32回総選挙で大阪府第1区に民社党から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。民社党大阪府支部連合会副会長、同会長代理、同大阪1区連会長、同党本部中央委員、同沖縄対策部会長、民社中小企業政治連合大阪1区連合会会長などを務めた。
渡邊 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10… 渡邊 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)は戦前から戦後の日本の歌謡界で活躍した女性流行歌手。神奈川県横浜市平沼出身。本名 加藤 濱子。生涯横浜で過ごした。愛称は「おはまさん」。 横浜生まれで、文字通りハマっ子の渡邊は、美貌で知られた歌手であった。女子師範学校の英語教師、渡辺近蔵(?- 1941年9月19日)と鞠(?- 1955年5月15日)の次女として生まれた。兄と姉がいた。マリの祖父が日系アメリカ人だった。1929年(昭和4)捜真女学校普通科卒業。後に川崎市に転居し、御幸尋常小学校(現在の川崎市立御幸小学校)に入学したが、3年生のときに父の勤務する横浜の女子師範学校の付属小学校に転校する。
石原 道博(いしはら みちひろ、1910年10月27日 - … 石原 道博(いしはら みちひろ、1910年10月27日 - 2010年5月30日)は、日本の東洋史学者、茨城大学名誉教授。 1910年、生まれ。東京帝国大学で学び、卒業。 戦後、茨城大学助教授となり、後に教授昇格。1958年、学位論文『日明交渉史の新研究』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1976年に茨城大学を定年退職した。 2010年5月30日、老衰のため死去。従六位から正四位に進階。 専門は中国近世史。日本と大陸の交流史に主眼を置いた著作が多い。『魏志倭人伝』など中国で書かれた日本に関する歴史書の翻訳・注釈で知られている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
豊岡 益人(とよおか ますと、1909年〈明治42年〉10月… 豊岡 益人(とよおか ますと、1909年〈明治42年〉10月27日 - 1988年〈昭和63年〉10月29日)は、昭和時代の政治家。三重県上野市長。 三重県出身。市田真道の三男として生まれ、豊岡博道の養子となる。1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部を卒業し、帝国美術院付属美術研究所嘱託となり、翌年念佛寺住職に就任。三重県国宝重要美術調査員、上野市公安委員を経て、1950年(昭和25年)三重大学講師を経て、1953年(昭和28年)5月、上野市長に就任した。 市長就任後間もなく東近畿大水害に見舞われ災害復旧に奔走。また、周辺村との合併問題をまとめた上野基本調査は統計界の大賞である大内賞を受賞した。
大野 一雄(おおの かずお、1906年〈明治39年〉10月2… 大野 一雄(おおの かずお、1906年〈明治39年〉10月27日 - 2010年〈平成22年〉6月1日)は、日本の舞踏家。モダンダンサー。マイム師、教育者。北海道函館市出身。 「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」「死海」「睡蓮」 1906年10月27日、函館の弁天町に生まれた。家は北洋を漁場にする網元で、モダンな家庭であった。父はロシア語を話し、冬はカムチャッカ半島まで漁に出た。母はグラタンなどの西洋料理を得意とし、琴は六段の名手で、オルガンも弾いた。 ロシア正教会の幼稚園に通う。 1919年4月、旧制北海道庁立函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)に入学後、母方の秋田県の親戚白石家にあずけられる。
山辺 知行(やまのべ ともゆき、1906年10月27日 - … 山辺 知行(やまのべ ともゆき、1906年10月27日 - 2004年10月1日)は、日本の染織研究家。東京出身。京都帝国大学卒業。東京帝室博物館(のち東京国立博物館)退官後、多摩美術大学教授、遠山記念美術館館長。日本、インド、インドネシアの染織品・人形のコレクター。
玉柳 実(實、たまやなぎ みのる、1903年(明治36年)1… 玉柳 実(實、たまやなぎ みのる、1903年(明治36年)10月27日 - 1960年(昭和35年)3月15日)は、昭和期の内務官僚、厚生官僚、政治家、弁護士。参議院議員。現在の愛媛県松山市生まれ。 愛媛県温泉郡味生村南斎院(現:松山市)で玉柳政吉の長男として生まれる。松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1923年(大正12年)に大阪高等商業学校(現大阪市立大学)中退。1929年(昭和4年)10月に高等試験行政科合格。1930年(昭和5年)に高等試験司法科に合格。同年、内務省に入省し岩手県属に任官。1943年(昭和18年)に厚生省保険局船員労災課長、1946年(昭和21年)に愛媛県農地部長、1948年(昭和23年)に愛媛県経済部長。
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月2… 野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。
吉川 兼光(よしかわ かねみつ、1902年10月27日 - … 吉川 兼光(よしかわ かねみつ、1902年10月27日 - 1973年3月31日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員(7期)。 福岡県京都郡行橋町(現行橋市)の被差別部落の出身。早稲田大学で学んだ後、1925年専修大学経済科を卒業する。その後、ウィーン大学で留学する。毎日新聞記者、京城日報論説委員、中央大学講師、船橋農林学校(現在の千葉県立薬園台高等学校園芸科)校長を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙で千葉県から日本社会党公認で立候補して初当選する。1947年の第23回総選挙でも当選。この選挙で当選した部落出身議員には、ほかに田中松月、田中織之進、加藤静雄、松井豊吉、宮村又八がいた。以来、第25回から第28回までと第30回総選挙で再選され、衆議院議員を通算7期務める。
宮下 孝吉 (みやした こうきち、1900年10月27日 -… 宮下 孝吉 (みやした こうきち、1900年10月27日 - 1971年6月5日)は、日本の西洋経済史学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 静岡県細江町(現浜松市)生まれ。浜松商業学校(現静岡県立浜松商業高等学校)を経て、1922年神戸高等商業学校(現神戸大学)第二学年修了。1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業。神戸で坂西由蔵に師事し、東京では坂西の師である福田徳三に師事した。また在学中三浦新七からも文明史の指導を受けた。 失明した坂西の後任候補として1925年に母校神戸高等商業学校講師となる。一年志願兵(歩兵第6連隊)、大日本帝国陸軍一等計手を経て、1927年神戸高等商業学校教授。
袋一平(ふくろ いっぺい、1897年10月27日 - 197… 袋一平(ふくろ いっぺい、1897年10月27日 - 1971年7月2日)は、日本の翻訳家、映画評論家。 東京生まれ。1915年(大正4年)工手学校(wikidata)(現・工学院大学)化学学科卒業(第12回特待生)。 1922年東京外国語学校ロシア語科卒。ロシア語の和訳を専門とした。またソ連映画の研究家、日本山岳会会員。 翻訳対象はフィクションとノンフィクションの両分野にまたがる。 フィクションではアントン・チェーホフやマクシム・ゴーリキーなど近代ロシア文学もあるが、むしろ現代の小説やヴィタリー・ビアンキなど児童向け作品の翻訳が主体である。またアレクサンドル・ベリャーエフ、ゲオルギー・グレーウィッチらの作品を初めて邦訳するなど、ロシア(ソ連)SFの日本紹介に関して先駆的な役割を果たした。
飯田 莫哀(いいだ ばくあい、1896年〈明治29年〉10月… 飯田 莫哀(いいだ ばくあい、1896年〈明治29年〉10月27日 - 1981年〈昭和56年〉6月2日)は日本の歌人。本名、飯田 昇。 1896年(明治29年)、神奈川県高座郡海老名村に生まれる。日本大学社会課中退後、法政大学、水難救済会、八雲書店等に勤務したのちに天弦社の代表となる。童謡歌手、女優の飯田ふさ江は娘。 作歌を始めたのは厚木中学校在学中であり、莫哀の雅号は旧制中学3年の頃に漢文を担当していた教師がつけたものである。1915年(大正4年)に前田夕暮の『詩歌』に参加した。詩歌の廃刊後は活動を休止するが、1922年(大正11年)『覇王樹』に参加し橋田東声に師事する。東声の死後は森園天涙の『珊瑚礁』に転じたが再び覇王樹に戻っている。
吉原 矩(よしはら かね、1893年(明治26年)10月27… 吉原 矩(よしはら かね、1893年(明治26年)10月27日 - 1984年(昭和59年)8月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 茨城県出身。吉原文平の二男として生まれる。栃木県立真岡中学校(現栃木県立真岡高等学校)、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し鉄道連隊付となる。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校高等科(24期)を卒業。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業し鉄道第1連隊中隊長に就任。 1925年(大正14年)1月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、工兵監部員、陸大教官、陸軍省整備局課員、軍務局課員(兵務課)などを務め、1934年(昭和9年)8月、工兵中佐に昇進。
御木本 隆三(みきもと りゅうぞう、1893年(明治26年)… 御木本 隆三(みきもと りゅうぞう、1893年(明治26年)10月27日 - 1971年(昭和46年)6月6日)は、日本の著述家、ジョン・ラスキン研究者。 三重県志摩郡鳥羽町(現鳥羽市)に生まれる。御木本幸吉の長男。第一高等学校を経て東京帝国大学文科に学ぶ。1914年に京都帝国大学に進み、河上肇のもと、イギリスの思想家、美術評論家のジョン・ラスキンを学ぶ。同校中退後、父親の会社で働きはじめるも、ラスキンは「海の底で真珠を探してドレスを飾るために100人のダイバーを雇うべきではない」(原文は「袖に縫い付けるビーズを見つけるために100人のダイバーを雇ってはいけない」)と述べているとして家業に批判的であった。
杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 -… 杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 - 1972年4月14日)は、日本の有機化学者。元北海道大学学長。アルカロイド研究の第一人者として知られた。1967年4月、勲一等瑞宝章。 宮城県大崎市出身。旧制古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)。</ref>11期(三浦義男は1期後輩)。旧制二高を経て、東北帝国大学卒業。真島利行に師事。1926年、ロックフェラー財団の国際奨学生としてグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国に留学。その後スイスに移った。1929年秋に北海道帝国大学への転勤含みで北海道札幌市に転居。理学部が新設された1930年に北海道帝国大学教授となり、「花の色の科学」と題して開学記念学術講演を行った。
綾小路 護(あやのこうじ まもる、1892年〈明治25年〉1… 綾小路 護(あやのこうじ まもる、1892年〈明治25年〉10月27日 - 1973年〈昭和48年〉10月21日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。綾小路家19代当主。旧姓・野宮。位階は正四位。 東京において、子爵・野宮定穀の五男として生まれ、綾小路家18代当主・綾小路家政の養子となる。養父の死去に伴い、1921年(大正10年)4月30日、子爵を襲爵した。 1920年(大正9年)京都帝国大学経済学部卒業。十五銀行に入行。その後、横山工業監査、帝国鉱業開発監事などを務めた。また、歌会始講頌として披講の講頌役を務めた。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し大蔵省委員、税制調査会委員などを務め、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
東海林 俊成(しょうじ とししげ/としなり、1890年10月… 東海林 俊成(しょうじ とししげ/としなり、1890年10月27日 - 1974年12月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。