小林 章夫(こばやし あきお、1949年12月29日 - 2… 小林 章夫(こばやし あきお、1949年12月29日 - 2021年8月5日)は、日本の英文学者、英国文化研究家。上智大学名誉教授。 東京都生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。1975年、上智大学大学院文学研究科修士課程修了。同博士課程中退。同年、同志社女子大学研究助手。1979年、専任講師。1982年に助教授。1985年、ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞。1988年に教授。1995年、上智大学文学部英文学科教授。1999年、「憂鬱な詩人 - アレグザンダー・ポープの政治諷刺」で上智大学文学博士。2016年に名誉教授、帝京大学外国語学部長・教授。2020年に定年退職。 2021年8月5日、心不全のため死去。
Mr.マリック(ミスターマリック、英語表記:Mr. Mari… Mr.マリック(ミスターマリック、英語表記:Mr. Maric 、1948年12月29日〈戸籍上は1949年1月1日〉- )は、日本のマジシャン。本名・出生名は 松尾 昭(まつお あきら)。別名義として、栗間 太澄(くりま たすみ)と 松尾 幻燈斎(まつお げんとうさい)がある。身長160 cm。著名な親族として、実娘のLUNA(ラッパー)がいる。 所属する芸能事務所は有限会社マリックエンターテイメント、テレビ朝日映像株式会社。関連会社に株式会社マリックプロモーション(芸能事務所)もある。「超魔術師」「サイキックエンターティナー」を名乗る。 (事実上)1948年(昭和23年)12月29日に岐阜県岐阜市で生まれる。
竹本 幹夫(たけもと みきお、1948年(昭和23年)12月… 竹本 幹夫(たけもと みきお、1948年(昭和23年)12月29日- )は、日本の能楽研究者。専攻は中世日本文学・能楽研究。早稲田大学名誉教授。日本学術会議会員。 東京都台東区生まれ。早稲田中学校・高等学校を経て、1971年早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業、1979年同大学院博士課程単位取得満期退学。同年、日本古典文学会賞および窪田空穂賞を受賞。1981年実践女子大学文学部専任講師、1983年同助教授、1987年早稲田大学文学部助教授、1992年同教授。1997年「観阿弥・世阿弥時代の能とその形式過程の研究」で早稲田大学博士(文学)。1999年観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞。2004年早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長。
橋本 五郎(はしもと ごろう、1946年〈昭和21年〉12月… 橋本 五郎(はしもと ごろう、1946年〈昭和21年〉12月29日 - )は、日本の新聞記者、読売新聞特別編集委員。 1946年、秋田県山本郡琴丘町(現・三種町)に生まれ。秋田県立秋田高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1970年4月読売新聞社入社。地方部浜松支局に配属。1975年、 本社(現:東京)社会部に異動。1976年、本社政治部に異動し、政治部次長・論説委員・政治部長を歴任。渡邉恒雄の腹心といわれるようになる。 1998年、編集局次長に就任。1999年3月から読売新聞グループ本社傘下である日本テレビの『ジパングあさ6』、『ズームイン!!朝!』にコメンテーターとしてレギュラー出演し、以降NNN系列の報道番組に出演。
岡本 直之(おかもと なおゆき、1946年12月29日 - … 岡本 直之(おかもと なおゆき、1946年12月29日 - )は、日本の実業家。近畿日本鉄道代表取締役副社長や、三重交通グループホールディングス代表取締役社長、三重交通代表取締役会長、三交不動産代表取締役会長、名阪近鉄バス代表取締役会長、三重県商工会議所連合会会長等を歴任した。 三重県伊賀市出身。1965年三重県立上野高等学校卒業。1970年大阪市立大学商学部卒業。伊藤淳巳ゼミ出身。同年近畿日本鉄道入社。2003年近畿日本鉄道取締役。2005年近畿日本鉄道専務取締役。2007年近畿日本鉄道代表取締役副社長。2010年三重交通グループホールディングス代表取締役社長、三重交通代表取締役会長、三交不動産代表取締役会長、名阪近鉄バス代表取締役会長。
菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は… 菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は、広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身の医学博士、医師、福祉事業家。国際医療ボランティアAMDA創設者、理事長。医療法人アスカ会・創設者、元理事長。アスカ国際クリニック(旧・菅波内科医院)元院長。社会福祉法人遊々会創設者、理事長。 アジアを中心に以下のような世界中の災害発生地に医師を派遣している。
藤澤 武(ふじさわ たけし、1946年12月29日 - )は… 藤澤 武(ふじさわ たけし、1946年12月29日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 大分県立津久見高等学校を経て日本大学を卒業後、1970年入局。 現役時代は九州・四国・中国・近畿・中部・関東・東北と北海道以外全ての地域で勤務。長らくスポーツ実況を担当し、特に『大相撲中継』では輪島・貴ノ花(初代)、北の湖、千代の富士、若貴フィーバーの時代、千代大海登場の1999年初場所まで23年間務めた。 その後スポーツから退いて報道のアナウンサーとなった。2010年ごろまでは嘱託でNHK BSニュースを担当していたが、2011年からNHK鳥取放送局のシニアスタッフとして赴任し、2013年3月まで担当していた。
内藤 知康(ないとう ともやす/ちこう、1945年12月29… 内藤 知康(ないとう ともやす/ちこう、1945年12月29日-2022年2月28日)は、浄土真宗の僧、仏教学者、龍谷大学名誉教授。 大阪府生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒、同大学院文学研究科博士課程満期退学、宗学院卒業。龍谷大学文学部助教授、教授、2014年退職、名誉教授。本願寺派勧学、福井県三方上中郡若狭町・覚成寺住職。
西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年〈昭和18年〉12月… 西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年〈昭和18年〉12月29日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本の実業家。学位は法学修士(東京大学・1970年)。名の「聰」は旧字体のため、報道等においては西田 厚聡(にしだ あつとし)とも表記される。株式会社東芝取締役代表執行役社長、株式会社東芝取締役会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事、公益財団法人国際研修協力機構代表理事会長などを歴任した。 東芝のイラン現地法人にて採用され、31歳の時に東芝本社に入社。日・米・欧にまたがる東芝の海外PC事業を長く担当。海外現地法人出身・PC部門出身でありながら、PC部門における顕著な功績によって、伝統的に重電部門出身者が重用される東芝のトップにまで上り詰めるという異色の経歴を持つ。
明田 功(あけた いさお、1943年〈昭和18年〉12月29… 明田 功(あけた いさお、1943年〈昭和18年〉12月29日 - 2015年〈平成27年〉7月28日)は、日本の政治家、京都府八幡市長(1期)。京都府議会議員(5期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 京都市出身。京都大学農学部を経て、京都大学大学院農学研究科博士課程単位取得。1971年京都大学より農学博士を取得。高等学校教諭やPTA会長などを務め、1994年京都府議会議員補欠選挙に当選。5期務める(会派は自由民主党)。2008年八幡市長選挙に立候補し当選する。八幡市長を1期務め、2012年に退任した。2015年死去。死没日付をもって叙従五位、旭日小綬章を受章。
上野 一彦(うえの かずひこ、1943年12月29日 - )… 上野 一彦(うえの かずひこ、1943年12月29日 - )は、日本の教育心理学者、東京学芸大学名誉教授。 東京都出身。1962年東京教育大学附属駒場高等学校卒、1967年東京大学教育学部教育心理学科卒、1973年同大学院博士課程満期退学、東京大学教育学部助手、東京学芸大学講師、助教授、1990年教授、副学長、2009年退職、名誉教授、大学入試センター特任教授。2023年、瑞宝中綬章受章。 専門は学習障害で、1990年全国LD親の会、1992年日本LD学会設立に携わる。
領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - … 領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元調教師・元騎手。 次女はタレント・評論家の領家華子。 農家の次男として生まれ、少年時代から農耕馬に親しんだ。 当初は将来に獣医師を志していたが、阪神・田中良平厩舎を退職し帰郷した元厩務員と知り合ったことで目標を騎手に改め、中学卒業後に良平の父である阪神・田中好雄厩舎に騎手見習として入門。領家は騎手としては大柄で、周囲からは「帰った方がいい」、「厩務員になれ」などと勧められたという。 見習時代は靴磨き、洗濯は当たり前であり、道具は先輩からのお下がりで、乗馬ズボンの穴の開いた場所からいつも血が滲ませた。 1963年に免許を取得してデビューし、3月16日の阪神第4競走アラブ5歳以上オープン・タマカセン(11頭中10着)で初騎乗を果たす。
藤立 啓一(ふじたて けいいち、1938年12月29日 - … 藤立 啓一(ふじたて けいいち、1938年12月29日 - 2002年6月17日)は、日本の医師、馬主。 大阪府大阪市旭区で藤仁会藤立病院を経営した傍ら、日本ボクシングコミッション(JBC)のコミッションドクターも務めた。 1938年、大阪市浪速区の魚問屋に生まれる。京都工芸繊維大学に進み、学業の傍らで家業を手伝っていたが、「医師になって欲しい」という父親の強い要望を容れて、3年次に大阪医科大学へ編入。大学卒業後は勤務医として過ごしたのち、1969年に診療所を開業した。1976年に「藤立病院」を創立、1980年からは医療法人化し「藤仁会藤立病院」となった。JBCのコミッションドクターに指定されてからは、関西地方で行われる世界戦などでの診察を担当した。
田島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は… 田島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は、日本の俳人。大学時代より俳誌「風」に所属し沢木欣一に師事。2008年に林徹より俳誌「雉」を主宰継承。 石川県加賀市に生まれる。小学5年時、国語教諭に作品を褒められた、という理由で俳句を始める。高校3年時、旺文社主催の高校文芸誌コンクール俳句の部にて山口青邨の入選を受ける。金沢大学文学部哲学科入学後、沢木欣一の俳誌「風」に入会、師事する。楠本憲吉の特選となる。大学卒業後、新聞社に入社。愛媛県にて勤務時、「えひめ歳時記」を2年間連載する。のちに「えひめ俳句歳時記」として出版。1985年、林徹主宰の俳誌「雉」の創刊同人となる。2002年より大峯あきら代表の超結社同人誌「晨」の同人となる。
児嶋 眞平(こじま しんぺい、1936年12月29日 - )… 児嶋 眞平(こじま しんぺい、1936年12月29日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。前・福井大学学長。専門は有機化学、有機金属の化学、環境化学。工学博士(京都大学、1969年)。福井県出身。 1936年京都府京都市生まれ。1944年に福井県丹生郡志津村(現・福井市)へ疎開。1955年藤島高校卒業まで清水町で育つ。1955年京都大学工学部工業化学科入学。1986年京都大学教養学部教授、1992年京都大学総合人間学部教授、1993年-96年総合人間学部長、1997年福井大学学長、現在に至る。 2012年瑞宝重光章受章。
加藤 久枝(かとう ひさえ、1936年12月29日 - )は… 加藤 久枝(かとう ひさえ、1936年12月29日 - )は、日本の馬主。 「アスター」の冠名を用いる馬主で、2018年時点での馬主歴は64年、現役馬主の中では最長とされている。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は勝負服の柄は黒、赤十字襷、赤袖。冠名には、父の経営していた店舗名より「アスター」を用いる。 名古屋市や東京都で翠芳園、東京翠芳園アスターハウスなどを経営していた実業家で、馬主でもあった加藤幸三郎を父に持ち、東京の馬主協会に入会し馬主となる(現在は一般社団法人中京馬主協会所属)。1959年の目黒記念(秋)をエドヒメで制し、23歳にして重賞初制覇[要出典]。
嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014… 嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014年11月11日)は日本の実業家。ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEO、J-オイルミルズ代表取締役社長、日本植物油協会会長などを務めた。 大阪府出身。京都市立川岡国民学校(現在の京都市立川岡小学校)、同志社中学校・高等学校を経て、同志社大学経済学部卒業後、豊年製油(のちのホーネンコーポレーション)に入社。1989年からホーネンコーポレーション代表取締役社長を務めた。その後、ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEOとして、味の素代表取締役社長・江頭邦雄との交渉などにあたり味の素製油との経営統合を行い、2002年に持株会社として設立された豊年味の素製油(現在のJ-オイルミルズ)の初代代表取締役社長に就任した。
小山 峰男(こやま みねお、1934年(昭和9年)12月29… 小山 峰男(こやま みねお、1934年(昭和9年)12月29日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。
田中 琢(たなか みがく、1933年12月29日 - 202… 田中 琢(たなか みがく、1933年12月29日 - 2022年9月16日)は、日本の考古学者。 1933年、滋賀県で生まれた。京都大学文学部を卒業し、同大学大学院修士課程を修了。 1959年、奈良国立文化財研究所所員となった。のち同埋蔵文化財センター所長。文化庁文化財鑑査官をへて、1994年からは奈良国立文化財研究所長をつとめた。1999年に退官。2022年9月16日、死去。 「田中琢」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。https://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%90%A2。コトバンクより2022年9月26日閲覧。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日… 奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日 - )は、日本の経営者、トヨタ自動車元社長、同社元会長。 日本経営者団体連盟会長、日本経済団体連合会会長、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長などを歴任した。勲等は旭日大綬章。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校 疎開を機に転校)、松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業。奥田務(元J.フロント リテイリング会長兼CEO)は実弟。 幼少時は、祖父(奥田喜一郎)や父が三重県最大の証券会社・奥田証券を営んでおり裕福だった。
李 玖(り きゅう、イ グ、이 구、1931年12月29日 … 李 玖(り きゅう、イ グ、이 구、1931年12月29日 - 2005年7月16日)は、李王垠の第2子・次男。父は大韓帝国の元皇太子で李王、母は日本の皇族である方子女王。王公族としての身位は王世子、敬称は殿下。肥前佐賀藩主・鍋島直正の玄孫。なお、令和時代の上皇とはともに久邇宮朝彦親王を曾祖父とする又従弟に当たる。 1931年(昭和6年)12月29日午前8時22分、李王垠とその妃方子女王の第2子次男として誕生する。兄晋は夭折していたため、玖が王世子(李家当主(=李王)の嗣子に与えられる位)となった。翌年1月4日、命名式が行われ、「玖」と名付けられた。佐賀藩主の鍋島直正は高祖父にあたる。 第二次世界大戦後、日本国憲法施行に伴い王公族の地位を喪失し、日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍を喪失した。
二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は… 二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は、宮崎県都城市出身の元調教師(栗東所属)・元騎手。 妻は師匠である布施文蔵元調教師の次女であり、布施正とは義兄弟の間柄に当たる。 1953年に布施文蔵厩舎から騎手としてデビューし、1219戦60勝(中央以降)をマークし、1965年引退。 引退後の1965年に調教師免許を取得して厩舎を開業し、1968年にクモムラサキでアラブ大賞典(秋)を制して重賞初制覇。1978年にアグネスホープが東京優駿(日本ダービー)2着に入り、1980年にはアラナス産駒のノースガストで菊花賞を制し、クラシック初制覇を達成。1981年にはフォルティノ産駒のテキサスワイポンで中山大障害(秋)を制覇し、1988年から1990年にかけてはウエスタンウインド産駒のシンウインドが短距離戦線で活躍。
藤田 恒夫(ふじた つねお、1929年12月29日 - 20… 藤田 恒夫(ふじた つねお、1929年12月29日 - 2012年2月6日)は日本の解剖学者、内分泌学者。日本ペンクラブ会員。生命科学各分野の一流研究者を編集同人に迎えた科学文芸誌『ミクロスコピア』を26年に渡って編集し続けた。父の恒太郎(東京大学名誉教授)も解剖学者であった。藤堂明保(東京大学教授、日中学院長などを務めた中国語学者)は藤田恒夫の叔父にあたる。 東京出身。旧制一高を経て1954年東京大学医学部卒業、1959年同大学院博士課程(解剖学)修了。東京大学 医学博士 博士論文の題は 「二、三の哺乳動物の膵臓における神経膵島複合体についての組織学的研究 」。岡山大学医学部講師、1968年新潟大学教授、95年定年退官、名誉教授、日本歯科大学新潟歯学部教授。
徳永 豊(とくなが ゆたか、1929年12月29日 - 20… 徳永 豊(とくなが ゆたか、1929年12月29日 - 2015年10月31日)は、日本のマーケティング学者、明治大学名誉教授。 1929年 12月29日 山口県下関市で生まれる。1947年 4月明治大学 専門部商科に入学、1950年 3月卒業。その後、同年4月に明治大学 商学部商学科(旧制)に入学、1953年に同課程 卒業。1953年 4月~1956年 3月まで東京青色申告会連合会に勤務。1956年 4月 明治大学 商学部 助手、1958年 5月~ 1961年 3月 同大学同学部 専任講師、1961年 4月~1966年 3月 助教授、1966年 4月~2000年 3月 教授、この間、同学部学部長、大学院研究科長を歴任。
品田 一良(しなだ いちら、1928年12月29日 - 20… 品田 一良(しなだ いちら、1928年12月29日 - 2007年2月8日)は、フランス文学者、早稲田大学名誉教授。 映画評論家・品田雄吉の兄で本名は品田 三和一良(しなだ みわいちら)。早大仏文科卒、同大学院を経て早大教授。1999年定年退任、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - … 桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - 2016年3月31日)は日本の教育者・教育評論家。学力偏差値を用いた進路指導を行ったことで知られる。 長野県下伊那郡鼎村(現:飯田市)生まれ。旧制中学校在学中に海軍予科練に志願し、敗戦で復員する。旧制上田蚕糸専門学校卒業後、14年間教員生活を送る。長野県や東京都の公立中学校の理科教員を務める(1950年4月~1963年3月)。 東京都港区立城南中学校に勤務していた1957年(昭和32年)、別の学校の先生から偏差値について聞き、進路指導のために学力偏差値を使用し始めた。 1963年にテスト業者の進学研究会に転職。1976年の自著には「私は偏差値の生みの親とされている」と記しており、1981年の自著のタイトルでは「ミスター偏差値(Mr.HENSACHI)」と名乗っている。
大西 昭男(おおにし あきお、1926年12月29日 - 2… 大西 昭男(おおにし あきお、1926年12月29日 - 2005年2月26日)は、英文学者。関西大学名誉教授。専門はヘンリー・ジェイムズ。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪市立天王寺商業学校を卒業、1947年(昭和22年)関西大学専門部国漢科卒業。1951年(昭和26年)京都大学文学部英文科卒業、関西大学文学部助手、専任講師、助教授、1963年(昭和38年)教授、文学部長、1979年(昭和54年)学長、5期務め1994年(平成4年)退任。 1979年(昭和54年)「ヘンリー・ジェイムズの文学」で関西大学文学博士。関西大学名誉教授、学校法人関西大学理事長を務めた。 関西大教授の谷沢永一と親しく、学長選では谷沢が参謀となった。
飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29… 飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29日 - 2000年(平成12年)3月16日)は、日本の俳人、化学者。山口大学名誉教授(農芸化学)。 石川県小松市生まれ。第四高等学校を経て、1950年、京都大学農学部農芸化学科卒。化学者としては酢酸菌の研究を専門とし、大阪府立大学助手、静岡大学助教授を経て、1969年、山口大学農学部教授。1988年、「酢酸菌の生化学的研究」にて日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞。1990年、山口大学を定年退職、関西大学工学部教授を務めた。2000年3月16日、腎不全により死去。 句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた。
吉村 冬子(よしむら ふゆこ、1926年〈昭和元年〉12月2… 吉村 冬子(よしむら ふゆこ、1926年〈昭和元年〉12月29日 - 2022年〈令和4年〉12月13日)は、日本のアイヌ文化伝承者。アイヌの古式舞踊、儀礼、口承文芸など伝承・保存活動、アイヌ語教室の講師や助手など、アイヌ文化の伝承・保存活動への積極的に取組により、アイヌ文化の振興に大きく貢献した。同じくアイヌ文化伝承者の新井田セイノは異父姉にあたる。 北海道鵡川村字チン(現・むかわ町)で誕生した。幼少期は両親や近所の人々が話すアイヌ語を聞きながら育ち、日常生活の中でアイヌ語を身に着けた。 1974年(昭和49年)、むかわアイヌ協会が設立されて以降は、設立当時から会員になり、古式舞踊、儀礼、口承文芸など、アイヌ文化の伝承と保存などの活動を、積極的に行なった。
田村 逸也(たむら いつや、1925年12月29日 - 20… 田村 逸也(たむら いつや、1925年12月29日 - 2022年2月13日)は、日本の実業家。株式会社タムラ製作所元代表取締役会長・社長。藍綬褒章受章。 1925年12月29日、タムラ製作所(前・田村ラヂオ商会)創業者・田村得松の長男として生まれる。 1950年3月、立教大学経済学部卒業。同月、株式会社タムラ製作所入社。 1953年9月、同社取締役副社長就任。1960年5月、同社代表取締役社長就任。 1999年6月、同社代表取締役会長就任。2001年6月、同社取締役会長就任。 父で創業者である得松の後継者として、約40年間(1960~1999年)にわたって2代目社長を務めた。この間、高度経済成長期の波の中で、生産や販売などの面において国内外で業績を拡大させ、会社の成長をけん引した。
賀川 浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - 202… 賀川 浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - 2024年12月5日)は、兵庫県出身のスポーツライター、サッカー選手。賀川太郎(元サッカー日本代表)は実兄。 神戸一中2年にサッカー部にマネージャーとして入部、5年時にはFW選手として全国大会を制覇。その1ヶ月後に第二次世界大戦が始まった。戦争末期には特別攻撃隊に志願し、出撃数日前に終戦を迎えた。朝鮮北部の海州にいた賀川は上官であった川上晃良(社会人登山家で、戦後利尻岳の冬季初登頂を果たす)らと共に部隊の飛行機に乗って南側に脱出することが出来た。 復員後神戸商大、大阪サッカークラブなどの黄金時代に選手として活躍し、優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などを経験した。
石田 清茂(いしだ きよしげ、1923年(大正12年)12月… 石田 清茂(いしだ きよしげ、1923年(大正12年)12月29日 - 1994年(平成6年)8月9日)は、昭和から平成時代の政治家。奈良県香芝市長。勲五等双光旭日章。 奈良県北葛城郡五位堂村(現香芝市)出身。五位堂高等小学校卒業。 1947年(昭和22年)五位堂村役場に奉職し、1956年(昭和31年)町村合併で香芝町となり同町役場に勤務。1976年(昭和51年)総務部長、1978年(昭和53年)収入役、1982年(昭和57年)助役を経て、1984年(昭和59年)より香芝町長。1991年(平成3年)市制施行に伴い香芝市長となった。 1992年(平成4年)引退。1994年死去。死没日付をもって勲五等双光旭日章を追贈された。
金 永求(キム・ヨング、朝鮮語: 김영구、1920年12月2… 金 永求(キム・ヨング、朝鮮語: 김영구、1920年12月29日 - 2007年3月20日)は、大韓民国の教育者、官僚、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は彦陽金氏(朝鮮語版)、号は蕙村(ヘチョン、혜촌)。カトリック教徒。 日本統治時代の京畿道抱川郡(現・抱川市)または京城府(現・ソウル特別市)出身。第一高等普通学校(現・京畿高等学校)、福岡高等学校、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治科卒。普成専門学校(現・高麗大学校)講師、高麗大学校・東国大学校・ソウル大学校法科大学教授を経て、民主党結党後は同党抱川郡党委員長を務めた。その後は第5代国会議員、内務部(現・行政安全部)政務次官、大韓民国憲政会(朝鮮語版)運営委員を務めた。
申 鉉碻(シン・ヒョンファク、シン・ヒョナク、しん けんかく… 申 鉉碻(シン・ヒョンファク、シン・ヒョナク、しん けんかく、1920年12月29日 - 2007年4月26日)は大韓民国の政治家、実業家。本貫は平山申氏。創氏改名時の日本名は平林佑國、号は于湖(ウホ、우호)。 元国務総理室政策次長の申喆湜(朝鮮語版)は1人息子。 慶尚北道漆谷郡出身。大邱高等普通学校から京城帝国大学を経て、1943年に高等文官試験に合格して農商務省に入省し、商務系官僚を務めた。終戦時は軍需省の軍需管理官として働いた。 韓国独立後は、大邱大学校教授を経て1951年に商工部工業局工程課長として官界に復帰し、商工部電気局・鉱務局・工業局局長を務めた。1957年には復興部次官兼外資庁長官代理となり、1959年に復興部長官となるが、四月革命で逮捕され官界を追放。
太田 大八(おおた だいはち、1918年12月29日 - 2… 太田 大八(おおた だいはち、1918年12月29日 - 2016年8月2日)は、日本の絵本作家・画家。 長崎県大村町(現・大村市)出身。戦時中に(旧制)多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科を卒業。1945年8月、徴用で勤務していた会社の出張で広島県大竹に赴き8月5日に広島市に入ったものの、間一髪で原爆被爆を免れ、被爆翌日の惨状を目撃した。 戦後、大阪市で復興のための建築パネルを建てたことをきっかけに美術界に戻り、デザインの仕事をするために東京に帰って「スタヂオ・トーキョー」を設立した。さらに偶然再会した同級生の依頼で詩のイラストを描いたことがきっかけで、絵本作家となる。1949年のデビュー以来、130作の創作絵本、230作の児童書の挿絵を手掛けている。
中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 20… 中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 2016年4月9日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(1期)。参議院議員先代中村喜四郎の妻、元衆議院議員(元建設大臣)中村喜四郎の母。 茨城県那珂郡出身。1935年茨城県立水戸高等女学校(現・水戸第二高等学校)卒。中村喜四郎と結婚し、夫が運営する自動車学校の役員から校長となる。1971年暮れ、夫が死去し、翌年2月の参議院補欠選挙で茨城地方区において諸派(喜友会)から立候補して、自民党公認候補などを破り当選し、茨城県初の女性参議院議員となった。当選後は自民党に入り、参議院物価等対策特別委員長などを歴任した。参議院議員は1期務め、1977年の第11回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。
宮野 善治郎(みやの ぜんじろう、1915年(大正4年)12… 宮野 善治郎(みやの ぜんじろう、1915年(大正4年)12月29日 - 1943年(昭和18年)6月16日)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 海兵65期。最終階級は海軍中佐。 大阪府に生まれる。中河内郡龍華尋常小学校(現・八尾市立龍華小学校)、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)を経て、1938年(昭和13年)に65期生として海軍兵学校を卒業した。 八尾中学は野球がさかんで、宮野の在校中に春4回、夏2回の甲子園出場を果たした。同期にはのちに読売巨人軍の初代永久欠番「4」となる黒澤俊夫などもいたが、宮野は家庭の事情でクラブ活動には参加できず、官費で学べる海軍兵学校をめざす。
枯木 虎夫(かれき とらお、1914年〈大正3年〉12月29… 枯木 虎夫(かれき とらお、1914年〈大正3年〉12月29日 - 1977年〈昭和52年〉)は、日本の詩人。本名、井上虎夫。 北海道帯広市生まれ。詩人加藤愛夫に師事。戦時中は樺太豊原支庁に勤務、戦後は札幌地検事務官を長く務めた。更科源蔵主宰の詩誌『野性』を経て、『詩風土』を主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
一の宮 あつ子(いちのみや あつこ、1913年12月29日 … 一の宮 あつ子(いちのみや あつこ、1913年12月29日 - 1991年2月16日)は、日本の女優。本名は吉田 あつ。旧芸名に一の宮 敦子。 1913年(大正2年)12月29日(月曜日)、東京府東京市神田区旅籠町(現在の東京都千代田区外神田)に、父・勇と母・たまの2人姉妹の妹として生まれる。生家は江戸時代から太々餅を製造販売していた甘味商だった。 幼時に本郷区湯島に移り、誠之小学校から三輪田高等女学校(現在の三輪田学園高等学校)へ進み、1930年(昭和5年)に卒業。小学校時代から陸上競技をはじめ、女学校時代には人見絹枝や加賀一郎のコーチを受け、全国大会にも出場した。 1932年(昭和7年)、鈴木傳明らの不二映画社の映画に、加賀一郎の弟が同社の経理・宣伝を担当していた縁で吹き替え走者で出演し、これをきっかけに不二映画社へ女優として入社する。
有吉 新吾(ありよし しんご、1911年12月29日 - 2… 有吉 新吾(ありよし しんご、1911年12月29日 - 2004年1月20日)は、日本の実業家。三井鉱山社長・会長、日本石炭協会会長を歴任。 先祖は細川家の家臣の有吉氏で、関ヶ原の戦い後丹後国宮津より豊前国小倉に移り、その後宗像市南郷原町に祖父まで代々住んだ。
亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 200… 亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 2000年?)は、日本のジャーナリスト。『週刊埼玉』社長。本名、亀井 兎夢。出生名、久松 兎夢。トム・カメイ名義による著作もある。 子爵久松定弘(旧姓、大河内)の六男として東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。1928年、東京府立一商(現・東京都立第一商業高等学校)卒。日本大学専門部経済学科を2年で中退し、叔父の湯目補隆(ゆのめ すけたか、旧制大阪高校や旧制第二高校の校長を歴任)の私塾で学ぶ。1933年、亀井家の養子となる。 埼玉県川越市に住み、1953年から地方新聞『週刊埼玉』を発行。1970年1月、日本国民救援会系の「石川さんを守る会」川越地区の岸野茂(農林技官)と杉山英夫(横川元代議士襲撃事件被告人、大井医院事務長)の来訪と資料提供を受け、1970年2月から同紙で「狭山事件の再検討」を月1回特集する。
八村 信三(はちむら のぶぞう、1908年〈明治41年〉12… 八村 信三(はちむら のぶぞう、1908年〈明治41年〉12月29日 - 1990年〈平成2年〉6月2日)は、日本の実業家。鳥取銀行元頭取。鳥取ガス元監査役。鳥取商工会議所元会頭。鳥取県経済同友会元代表幹事(東部)。旧姓・山田。位階は正五位。 大阪府布施市(現:東大阪市)の素封家・山田勝太郎の次男として生まれる。大阪府立天王寺中学校 、静岡高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業。 1934年(昭和9年)7月、鳥取市の素封家・八村八太郎の養嗣子となる。 1936年(昭和11年)鳥取市収入役となり、同市助役を経て、1944年(昭和19年)退任。1949年(昭和24年)鳥取銀行常務、1959年(昭和34年)専務、1961年(昭和36年)副頭取を経て、同年11月頭取に就任。
大谷東平(おおたに とうへい、1905年12月29日-197… 大谷東平(おおたに とうへい、1905年12月29日-1977年5月5日)は、日本の気象学者。学位は、理学博士(論文博士・1947年)(学位論文「止風線および集風線の研究」)。 東京出身。旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部卒業。1947年「止風線および集風線の研究」で理学博士の学位を取得。1928年中央気象台嘱託、1939年11月気象技師、1945年7月満州国中央観象台長、1946年大阪管区気象台長、1963年気象大学校長、1964年気象研究所長、1966年退職。天気予報の技術分野に大きな影響を与えた。
斎藤 忠(さいとう ちゅう、1902年(明治35年)12月2… 斎藤 忠(さいとう ちゅう、1902年(明治35年)12月29日 - 1994年(平成6年)1月12日)は日本の国際政治評論家、軍事評論家、ジャーナリスト。大日本言論報国会常務理事、『ジャパンタイムズ』論説主幹等を歴任した。尾浜惣一の筆名で翻訳も行っている。 考古学者の斎藤忠(さいとう ただし)は同姓同名の別人である。 1902年(明治35年)12月29日、新潟県に生まれる。本籍地は東京市麹町区富士見町二丁目(現在の千代田区九段南)。 1928年(昭和3年)、東京帝国大学文学部英文科を卒業、大学院に進学し1930年(昭和5年)4月に2年の課程を修了、1933年(昭和8年)4月まで在籍。大学院での研究題目は「文芸復興期以後ノ欧羅巴ニ於ケル浪漫精神ノ研究」。
三石 巌(みついし いわお、1901年12月29日 - 19… 三石 巌(みついし いわお、1901年12月29日 - 1997年1月17日)は、日本の物理学者[要出典]、児童文学者。東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)出身。 1919年、東京帝国大学理学部物理学科入学。1927年、同工学部大学院卒。 物理学者として、日本大学・慶応義塾大学・武蔵大学・津田塾大学・清泉女子大学の教授を歴任した。 1974年、東京タイムズに「ビタミン大量投与の是非をめぐって」を寄稿して以来[要出典]、分子生物学や栄養学での研究も行った。その後、独自に編み出した分子栄養学を提唱し[要出典]、健康自主管理運動の拠点として1981年にメガビタミン協会(現三石理論研究所)、1982年に株式会社メグビーを設立した。
高瀬 露(たかせ つゆ、1901年〈明治34年〉12月29日… 高瀬 露(たかせ つゆ、1901年〈明治34年〉12月29日 - 1970年〈昭和45年〉2月23日)は宮澤賢治の「第二の恋人」とされる女性。松竹『宮澤賢治 その愛』では牧瀬里穂が、東映『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』では斉藤由貴が演じた。 士族の高瀬大五郎(測量士)の娘として岩手県稗貫郡花巻町(現・花巻市)に生まれる。1918年、岩手県立花巻高等女学校(現・岩手県立花巻南高等学校)を卒業。准教員の資格を取り、次いで1923年9月には正教員となる。この間、1921年に花巻バプテスト教会で受洗。 1927年初頭、岩手県稗貫郡湯口村(現・花巻市)の宝閑小学校(現在は廃校)の訓導だった頃、農会主催の講習会や、藤原嘉藤治の音楽サロンを通じて宮澤賢治と知り合う。
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29… 長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第2代海上幕僚長。海兵49期、海大甲種30期。 福島県福島市出身。福島県立福島中学校(現・福島県立福島高等学校)を経て、海軍兵学校に進む。海軍時代は主に人事畑を歩む。 戦後、公職追放を経て、山本善雄元少将、保科善四郎元中将、野村吉三郎元大将のラインで海軍再建計画を進める。これが後にY委員会に発展、同委員会において渉外及び制度、機構、定員等の立案する部門を担当する。海上幕僚長に就任後は掃海隊、練習隊群、需給統制隊、海上訓練指導隊、術科学校、遠洋航海など今日の海上自衛隊の骨格となる部門を次々に発足させ、海上自衛隊の実質的な開祖とされる。
松崎 陽(まつざき よう、1899年(明治32年)12月29… 松崎 陽(まつざき よう、1899年(明治32年)12月29日 - 1981年(昭和56年)8月3日)は、医学博士。大日本帝国陸軍の軍医。最終階級は陸軍軍医少将、蒙古軍最高顧問。日本モンゴル協会創立発起人・会長。蒙古語文学者の先駆者としても著名。 慶應義塾大学医学部卒業(第3期生)。医学部では眼科を専攻し、終戦後に専門医となっている。慶大卒業後、満蒙に渡り関東軍を背景に持つ独立部隊・内蒙古軍に入隊。1935年(昭和10年)末、関東軍による「内蒙古政務委員会」の傀儡化工作を基礎に、内蒙古を中国本土から切り離して独立させ、新疆・外蒙古にまで手を広げようと狙う。 1936年(昭和11年)の末に特務機関長田中隆吉中佐のバックアップの下、徳王を首班とする内蒙古軍政府成立に尽力。
鈴木 恭一(すずき きょういち、1898年(明治31年)12… 鈴木 恭一(すずき きょういち、1898年(明治31年)12月29日 - 1987年(昭和62年)7月29日)は、大正末から昭和期の逓信官僚、政治家、俳人。参議院議員(2期)。俳号は鈴木杏一(きょういち)。 神奈川県出身。鈴木彦八の二男として生まれる。京華中学校(現京華中学高等学校)、第一高等学校を経て、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。1925年(大正14年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 同年4月、逓信省に入省し通信局書記に任官。以後、郵務局勤務、通信事務官・伏見郵便局長、大逓局経理課長、大臣官房保健課勤務、逓信省事務官などを歴任し、1935年(昭和10年)7月から1936年(昭和11年)8月まで米国に出張した。
浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 … 浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 - 1978年5月31日)は、日本の電子工学者。富山県出身。 銀セシウム光電管の光電感度を飛躍的に高めた。また日本真空協会会長の初代会長を務めた。 妻は大日本帝国陸軍軍人・矢木亮太郎の長女。長女の夫は西洋史学者で大東文化大学名誉教授の穂積重行。次女の徳川陽子は物理学者で東京工芸大学名誉教授。同夫は言語学者で大阪大学名誉教授の徳川宗賢。孫は日本史学者で東京大学教授の松方冬子。 旧制富山中学、旧制四高を経て、1923年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、東京電気に入社。 ドイツのエルスターおよびガイテルにより1888年に発明された光電管は光電感度が低く実用で使えるものではなかった。