吉野 建(よしの たてる、1952年8月10日 - )は、日… 吉野 建(よしの たてる、1952年8月10日 - )は、日本の料理人、フランス料理のシェフ。日本やフランスで複数の店舗を経営するオーナーシェフである。鹿児島県出身。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
職業が料理人:149人
吉野 建(よしの たてる、1952年8月10日 - )は、日… 吉野 建(よしの たてる、1952年8月10日 - )は、日本の料理人、フランス料理のシェフ。日本やフランスで複数の店舗を経営するオーナーシェフである。鹿児島県出身。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
西村 淳(にしむら じゅん、1952年5月15日 - )は、… 西村 淳(にしむら じゅん、1952年5月15日 - )は、日本の料理人、タレント、著作家。かつて海上保安官として南極地域観測隊に参加した経験を踏まえ、「南極料理人」として、著述や講演会、タレント活動を行っている。 1952年、北海道留萌市生まれ。北海道網走南ヶ丘高等学校を卒業後、舞鶴海上保安学校に入学。 海上保安官として巡視船に勤務する。第30次(1988年 - 1990年)と第38次(1996年 - 1998年)の2回、南極地域観測隊に参加し、調理担当のひとりとして越冬隊に加わった。 第38次隊では、南極で最も低温な地域にあるドームふじ観測拠点(現在のドームふじ基地)で越冬した。 その後、舞鶴海上保安学校で練習船「みうら」の教官兼主任主計士として後進の指導に当たる。
村田 吉弘(むらた よしひろ、1951年12月15日 - )… 村田 吉弘(むらた よしひろ、1951年12月15日 - )は和食の料理人、ミシュランガイド3つ星和食料亭「菊乃井」三代目主人。京都府京都市出身。立命館中学校・高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。一般社団法人全日本・食学会理事長。 京都祇園の料亭「菊乃井」に長男として生まれる。大学はゴルフ部で活動して卒業し、名古屋の料亭「か茂免」で修行する。1976年に生家へ戻り、「菊乃井木屋町店」を開店する。フランス料理とコラボレーションや東京で出店などする。伝統的料理文化、料亭経営、日本料理、京都文化などについて出版する。NPO法人日本料理アカデミー理事長を務める。 テレビの料理番組に出演する際は、調味料の配分を5:3:1と解説するなど平易でわかりやすく解説する。
佐野 実(さの みのる、1951年〈昭和26年〉4月4日 -… 佐野 実(さの みのる、1951年〈昭和26年〉4月4日 - 2014年〈平成26年〉4月11日)は、ラーメン店「支那そばや」を創業・経営していた日本の料理人・実業家。神奈川県横浜市戸塚区出身。血液型A型。メディアに多数出演し、「ラーメンの鬼」の異名で知られた。 神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれる。家が貧しく常に空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたらしい(本人は記憶していない)。 父親は酒乱気味で、少年時代の佐野に度々暴力を振るっており、時には庭の樹木に縛り付けた事もあったと言う。その影響からか、本人も短気な性格故、同級生への暴力行為を理由に幼稚園を退園処分になった事もあった。
薩摩 和男(さつま かずお、1951年 - )は、日本の実業… 薩摩 和男(さつま かずお、1951年 - )は、日本の実業家、料理人。美々卯代表取締役会長。 大阪府出身。灘高等学校、東京大学法学部卒業。京都吉兆での修行を経て、実家の美々卯に入社。代表取締役社長、会長を歴任。
きよ彦(きよひこ、本名・大堀 清日古(おおほり きよひこ)、… きよ彦(きよひこ、本名・大堀 清日古(おおほり きよひこ)、1950年3月25日 - 2019年10月28日)は、日本の着物デザイナー、タレント、料理人、料理研究家。 福島県耶麻郡西会津町出身。福島県立西会津高等学校卒業。血液型はO型。趣味は宝塚観劇。 旅館の板前をしていた父と、農家出身の母の間に生まれる。 小学5年の時に両親が離婚。 母と妹と3人で暮らし、高校卒業後に上京。 サラリーマン、六本木のバーのオーナーを経て、1988年に京都の呉服問屋の勧めで着物のデザインを始める。花をモチーフにした斬新なデザインで知られる。 1990年代初頭からコメンテーター・タレントとしてテレビ番組に出演するようになる。
大竹 オサム(おおたけ おさむ、1949年〈昭和24年〉5月… 大竹 オサム(おおたけ おさむ、1949年〈昭和24年〉5月22日 - )は、日本のジャーナリスト、作家、料理人。本名・大竹 修(読み同じ)、 大竹まこと(お笑いタレント、俳優)は双子の兄。大竹涼太は甥。血液型B型、東京都目黒区出身。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。 世田谷区奥沢にあったイタリアンレストラン、Gotham Cafe'(ゴッサムカフェ)のオーナーシェフ。 ジャーナリストとしては、東スポ、週刊現代、雑誌フライデーの記者や漫画アクションでのインタビュアー経験が有り、ミスターバイク(モーターマガジン社発行のバイク雑誌)の編集長であった。 作家としては上記の経験よりバイクを題材にした物を中心に漫画原作や小説等を執筆。
片岡 護(かたおか まもる、 1948年9月15日 - )は… 片岡 護(かたおか まもる、 1948年9月15日 - )は、日本のシェフ、レストラン経営者。 イタリア料理ブームの火付け役としても知られる。一般社団法人全日本・食学会理事。 東京都品川区に生まれる。母が外交官・金倉英一の家で家政婦として務めていた縁で、中学生時代にイタリア料理と出会う。東京都立田園調布高等学校卒業。高校時代は美術部に所属し、工業デザイナーを目指していたという。芸大を目指すも2浪する。 ミラノ総領事として勤務することとなる金倉から総領事付コックになることを薦められ、日本料理の「つきぢ田村」で3か月修行後、1968年にイタリアミラノへ料理人として渡航。総領事付コック時代、ミラノのナヴィリオ地区にある魚介料理専門店「アルポルト」と出会い、のちにオープンすることとなるレストランの名前に使用することとなる。
落合 務(おちあい つとむ、1947年10月30日 - )は… 落合 務(おちあい つとむ、1947年10月30日 - )は、日本の料理人。東京・銀座のイタリア料理店・ラ・ベットラ・ダ・オチアイのオーナーシェフ。日本イタリア料理協会名誉会長。一般社団法人全日本・食学会理事。 神奈川県鎌倉市生まれ、東京都足立区本木育ち。日本大学豊山中学校・高等学校を高校1年生の時に中退し、日本橋の洋食店やフランス料理店での下積みを経て、19歳の時にニューオータニに入社。22歳で洋食レストラン「Top's」(現・赤坂トップス)のコックになる。その後「グラナータ」へ移り、1978年にオーナーである桂洋二郎の指令でイタリアにて3年間修行する。日本に帰国して赤坂のイタリア料理店「グラナータ」の料理長に就任。
栗原 はるみ(くりはら はるみ、1947年3月5日 - )は… 栗原 はるみ(くりはら はるみ、1947年3月5日 - )は、日本の料理家。株式会社ゆとりの空間社長。静岡県下田市出身。成城大学短期大学部卒業。一男一女の母。夫は元キャスターの栗原玲児、長女は料理家の栗原友、長男は料理家の栗原心平。 オリジナルブランドの「share with Kurihara harumi」を掲げた百貨店インショップ。日本国内の主要都市で食器・料理道具・台所用品・雑貨等の生活用品やエプロン・Tシャツ等のホームウェアを扱う店舗を構える。 ゆとりをテーマにプロデュースした生活提案型の飲食店で、栗原はるみオリジナルの料理を提供する。オリジナルブランドのショップを併設し、有料によるレシピ教室やライフスタイルのトークショー等のイベント場所としてファンに知られる。
谷部 金次郎(やべ きんじろう、1946年7月 - )は埼玉… 谷部 金次郎(やべ きんじろう、1946年7月 - )は埼玉県本庄市出身の料理人。昭和天皇の料理番として有名。 1946年、板金業を営む家庭で5人兄弟の末子に生まれる。家計を助けるためアルバイトを幾つも掛け持ちするが、その中に地元の食堂があった。その食堂で熱心さと料理の素質を見出され、中学卒業後に義兄が料理長を務める日本銀行霞町分館(日銀クラブ)に就職し、本格的に料理の道に入る。 日銀クラブ在職中に皇居の新年祝賀料理を手伝ったのが縁で、1964年に宮内庁管理部大膳課に転職、厨房第一係(和食担当)に奉職。 以後主厨長(総料理長)の秋山徳蔵や中島伝次郎、宇津俊雄などに師事して研鑽を積み、昭和天皇の日常の食事から各種儀式、催事、晩餐会などの料理を手掛ける。
小飼 一至(こがい かずよし、1946年3月3日 - 201… 小飼 一至(こがい かずよし、1946年3月3日 - 2012年3月27日)は、日本のソムリエ。日本ソムリエ協会・国際ソムリエ協会の各元会長。本名:小飼 三雄。 長野県茅野市出身[要出典]。寒天製造業の家庭に生まれる。長野県諏訪清陵高等学校を卒業。 1969年に銀座のマキシム・ド・パリに入る。1973年にはフランス・パリ「マキシム」に勤めた。1981年に、第1回全国ソムリエ最高技術賞コンクールで優勝。1982年プリンスホテルに入社。1988年には、パリ国際ソムリエコンクールで3位に入賞した(日本人では初)。 国際ソムリエ協会では技術委員(1993年 - 2007年)、教育委員(2000年 - 2004年)などの役職を歴任した。
斉藤 美穂(さいとう みほ、1946年 - )は、日本の料理… 斉藤 美穂(さいとう みほ、1946年 - )は、日本の料理人、料理研究家、ショコラティエール。 生誕地は非公表。フェリス女学院大学卒業。かつて三菱自動車工業の副社長を務めた伊藤皆美の長女である。また、東海銀行(現三菱UFJ銀行)の常務営業本部長を務めていた伊藤是介は叔父にあたる。 1984年8月、三井物産に勤務していた夫の赴任先であるメキシコシティに移住の後、パリ16区の三つ星レストラン「ジャマン」のジョエル・ロブションの弟子の元で2年間短期修行。主婦の趣味だと思われたが、斉藤の本気の姿を見て認められる。 その後パリへ渡り、日本人女性として初めてフランスの第一人者のシェフ、ジョエル・ロブションに学ぶ。
岡田 親(おかだ ちかし、1946年 - )は、日本の寿司職… 岡田 親(おかだ ちかし、1946年 - )は、日本の寿司職人、浮世絵師。江戸町火消錦絵師として知られる。 東京都中央区京橋の寿司店「京すし」の四代目店主である。また、寿司屋をする傍らで町火消の錦絵を描いている。落款に「千加志」とある。 1946年に東京都京橋区(現・中央区)京橋2丁目において、明治初年より代々続く老舗寿司屋「京すし」を営む家に生まれた。年少の時から、叔父で近所に住み江戸町火消をしていた鳶頭の塚田徳太郎の半纏姿に憧れ、いつも傍について鳶の姿を見ていた。もともと、『北斎漫画』が大好きで、10代後半、高校生の頃に江戸町火消の錦絵の収集を始めたが、ある時神保町の古本屋で葛飾北斎の素晴らしい作品を購入しようとして、店主から若造と思われて売値を一桁多く吹っ掛けられ、その時に一念発起して自分で描こうと思ったという。
柘植末利(つげすえとし、1946年 - )は、日本人のフラン… 柘植末利(つげすえとし、1946年 - )は、日本人のフランス料理人。長崎県雲仙市小浜町雲仙出身。プリンスホテル総料理長。学校法人食糧学院 東京調理製菓専門学校 理事校長。
大田 忠道(おおた ただみち、1945年 - )は日本料理の… 大田 忠道(おおた ただみち、1945年 - )は日本料理の料理人。兵庫県西宮市出身。2004年、黄綬褒章受章。2012年、瑞宝単光章受章。愛称ミッチー。 1945年、兵庫県西宮市に生まれる。その後高知県土佐清水市に転居し、青春時代を過ごす。学生時代は空手に熱中していた。 1963年に高校を卒業した後、集団就職で東京へ上京する途中、兄が板長を務める大阪・新町の料理屋「森田」を訪ねる。その際に振る舞われたまかない料理を食べて料理の世界に興味を持ち、上京をやめてそのまま兄の店に留まり、料理人修行に入る。 1968年、生地の兵庫県に戻り、23歳で有馬グランドホテルの副料理長に就任する。 1981年、36歳で有馬グランドホテル中の坊瑞苑の総料理長に就任する。
吉田 菊次郎(よしだ きくじろう、1944年9月24日 - … 吉田 菊次郎(よしだ きくじろう、1944年9月24日 - )は、日本のパティシエ、ブールミッシュ創業者。俳人としては吉田南舟子と名乗る。東京都出身。 両親とも菓子店の出身であったが、大学生のときに父の事業が倒産する。明治大学商学部卒業。ヨーロッパに渡り、フランスやスイスで菓子製造の修業をする。1973年3月、29歳で渋谷・区役所通り(後の渋谷公園通り)にブールミッシュを創業。1982年12月15日、株式会社ブールミッシュを設立。 1995年10月から1997年9月まで、CBCテレビ「キユーピー3分クッキング」に、土曜日のお菓子の講師として2年間出演。2001年1月から2004年9月まで、同番組に土曜日のお菓子の講師として再登場し、3年8ヶ月間出演した。
小川 忠彦(おがわ ただひこ、1944年8月20日 - 19… 小川 忠彦(おがわ ただひこ、1944年8月20日 - 1987年3月4日)は、日本の料理人。 奈良県生まれ。大阪府立夕陽丘高等学校卒業後は、美術大学受験を目指していたが、方向転換して辻調理師専門学校入学。1969年、パリの“三つ星レストラン”「グラン・ヴェフール」で1年間料理の修業を積み、レイモン・オリヴェに師事。その後ポール・ボキューズにも師事した。 TBS系列の当時の人気テレビ番組『料理天国』に講師として出演し、“笑顔のおいしい料理人”といわれた。この他、朝日放送の番組『料理手帖』にも出演。 所属の辻調理師学校では西洋料理部門の主任教授を務めたほか、大阪司厨士協会の理事も歴任するなど、日本の西洋料理部門を代表するシェフの一人として活躍していたが、すい臓癌のため1987年3月4日に死去した。
中村 勝宏(なかむら かつひろ、1944年 - )は、日本人… 中村 勝宏(なかむら かつひろ、1944年 - )は、日本人のフランス料理人。鹿児島県阿久根市波留出身。祖父は阿久根温泉の父ともいわれ、医学博士、代議士でもあった中村静興(せいきょう)
渡辺 彰(わたなべ あきら、1943年4月1日 - )は日本… 渡辺 彰(わたなべ あきら、1943年4月1日 - )は日本人のフランス料理人。新潟県新井市(現・妙高市)出身、長岡市在住。新調理システム推進協会会長(創設者)。
周 富徳(しゅう とみとく、1943年3月11日 - 201… 周 富徳(しゅう とみとく、1943年3月11日 - 2014年4月8日)は、広東料理の料理人・実業家。神奈川県横浜市中区山下町の横浜中華街出身。愛称は「炎の料理人」。 両親は中国広東省出身。父親も横浜中華街で料理人を営んでいた。 在日中国人二世。武相高等学校卒。兄に中華料理店オーナーの周富新、弟に同じく料理人の周富安、周富輝がいる。また、息子の周志鴻(しこう)も料理人である。 18歳で料理の道に入る。1961年に東京・新橋「中国飯店」に入社して修行を積み、東京原宿「南国酒家」、東京・西新宿の京王プラザホテル「南園」を経て、「聘珍樓」、「赤坂璃宮」で総料理長を歴任。1993年に「広東名菜富徳」青山店のオーナーとして独立した。
一瀬 邦夫(いちのせ くにお、1942年10月2日 - )は… 一瀬 邦夫(いちのせ くにお、1942年10月2日 - )は日本の実業家、料理人。株式会社ペッパーフードサービスの創業者で元代表取締役社長。 1942年10月2日、静岡県静岡市生まれ。戸籍上は1942年10月出生となっているが、実際には同年8月に生まれている。物心つく前に東京へ引っ越すが、幼少期から富士宮市に疎開。4歳の時に東京に戻り、江戸川区小岩の一軒家で母親と2人暮らしを始めた。母は昼夜働きながら小唄や三味線を修行し、後に教室を開いた。後に墨田区へ移住し、日出学園高等学校 卒業後、母親の紹介で洋食屋のキッチンナポリに就職。母からは「邦夫、コックになるんだったら、日本で五本指に入れるようなコックになるんだよ」と送り出された。
坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、… 坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、日本の料理人、実業家。ラ・ロシェル店主、株式会社サカイ食品代表取締役会長。通称はムッシュ。 西洋膳所ジョン・カナヤ麻布シェフ(初代)、株式会社サカイ食品社長(初代)などを歴任した。 鹿児島県出水市出身のフランス料理人である。フランス料理に日本の懐石料理の手法を取り入れたことで有名。東京都港区南青山にあるレストラン「ラ・ロシェル」のオーナーシェフであり、同店の運営会社である株式会社サカイ食品の代表取締役社長を務めていた。フジテレビの料理対決番組『料理の鉄人』に「フレンチの鉄人」として出演。身長173cm、A型。 父が仕事のため当時日本領であった朝鮮に渡っていたことから、1942年(昭和17年)に朝鮮で生まれた。
村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 20… 村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 2017年4月9日)は、日本の料理人、実業家。株式会社ピエトロ創業者。元同社代表取締役社長。 福岡県福岡市博多区出身。1960年福岡県立福岡中央高等学校卒業。1964年福岡大学商学部卒業。1980年親不孝通りに洋麺屋ピエトロを創業し、オーナーシェフとなる。1985年株式会社ピエトロ設立、同社代表取締役社長。2002年に東京証券取引所市場第二部に上場。2007年には取引先の日清オイリオグループと資本業務提携を締結した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではイフジ産業の藤井徳夫とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。
茂出木 雅章(もでぎ まさあき、1939年(昭和14年)8月… 茂出木 雅章(もでぎ まさあき、1939年(昭和14年)8月4日 - )は、日本の料理人。東京都出身。慶應義塾大学法学部卒業。 現在も続く東京・日本橋にある西洋料理の老舗・たいめいけんの現社長である。 1939年にたいめいけんを営む茂出木心護の長男として生まれる。子どものころから親の料理にふれ、大学卒業後は本格的に料理人の道を歩むことに。 1967年には三代目になる長男の茂出木浩司が誕生。 1978年にたいめいけんの創業者・茂出木心護が亡くなると、二代目オーナーとなり現在に至っている。料理に関する講演や著作も多い。 1960年から続いている「お料理110番」も父親から引き継いで、行っている。 また現在では「日本の凧の会」の会長も父親から引き継いで務めている。
程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14… 程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14日 - )は中華料理人・研究家(薬膳・台湾料理・香港料理系)。大阪府出身。「台湾料理・龍潭(リュータン)」オーナーシェフ。
田村 はつゑ(たむら はつえ、1935年〈昭和10年〉9月1… 田村 はつゑ(たむら はつえ、1935年〈昭和10年〉9月12日 - 2024年〈令和6年〉4月30日)は、日本の調理師。500円で食べ放題のバイキング形式の食堂「はっちゃんショップ」の経営者として話題を集めた。 1935年9月、群馬県桐生市に長女として出生。父親は機織り機の修理業、母親は機屋で働くという家庭だった。1938年、渡良瀬川の氾濫によって家をなくし、その後父親は太平洋戦争で軍に行った。終戦後、10歳にして奉公に出された。このため、まともに学校に行くことができず、晩年になっても読み書きできるのは平仮名だけだった。 1957年、3歳年上の男性と結婚。1959年には長女をもうける。 1997年、長年勤めたパチンコ製造会社が倒産。
上野 修三(うえの しゅうぞう、1935年 - )は、日本の… 上野 修三(うえの しゅうぞう、1935年 - )は、日本の料理人、随筆家。 現在の大阪府河内長野市に生まれる。大阪市の老舗「川喜」で修業の上、料理長を経て独立。料理人としては引退し、食の随筆家、また、なにわの食文化の語り部として、随筆活動を行っている。大阪市民賞、卓越した技能者賞(厚生労働省)、2017年黄綬褒章受章。
山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28… 山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28日 - 2015年(平成27年)4月1日)は、ラーメン店「東池袋大勝軒」を創業した日本の料理人・実業家。 東京都豊島区東池袋にあるラーメン店「東池袋大勝軒」の創業者である。日本におけるつけ麺の普及に広く貢献し「つけ麺の元祖」や「つけ麺の生みの親」「ラーメンの神様」と呼ばれ広く親しまれた。「支那そばや」創業者である佐野実が、ラーメンの世界で唯一尊敬する人物と公言するなど、同業者からも一目置かれる存在であった。 長野県中野市生まれ。4歳の時に父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。7歳の時に父が戦死、母の実家のある長野県に戻り、同県下高井郡山ノ内町に移った。
道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1… 道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1月3日 - )は、日本料理の料理人。勲等は旭日小綬章。 赤坂常盤家チーフ、銀座ろくさん亭店主、懐食みちば店主などを歴任した。 石川県江沼郡山中町(現在の加賀市山中温泉地区)出身の日本料理の料理人である。「赤坂常盤家」のチーフなどを経て「銀座ろくさん亭」の主人となる。その後、銀座に「懐食みちば」も新たに出店した。身長168cm。 1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、幼少時から料理に親しむ環境で育った。
中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)… 中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)は、料理史研究家、料理人。 山梨県甲府生まれ。1939年4月上京、東駒形の伯父の家に寄食。その後外地で暮らし、1946年復員、47年関西へ移り、あなごや調理師会幹事高橋辰男に師事し大阪などで働く。1955年上京、日本橋室町一丁目和食信洲などで働く。1963年2月、鉄道弘済会中部支部に入会、とくがわ荘に勤務。この間、進士慶幹に師事して歴史を学んだ。日本料理講師。名古屋在住。
城戸崎 愛(きどさき あい、1925年7月1日 - 2020… 城戸崎 愛(きどさき あい、1925年7月1日 - 2020年2月13日)は、日本の料理研究家・料理家。兵庫県出身。愛称は「ラブおばさん」。 1945年、東京家政学院卒業。 結婚後、夫が食通だったこともあって東京會舘クッキングスクールで料理を学ぶ。夫の赴任先であるパリのル・コルドン・ブルーではフランス料理を学んだ。 帰国後、料理研究家として活動を始め、名前の愛に因んで「ラブおばさん」の愛称でNHK『きょうの料理』の人気講師となる。 晩年は[いつ?]「non・no」「MORE」等の雑誌で家庭料理やお菓子を紹介していたが、高齢のためかメディアへの露出も減っていた。 2020年2月13日に急性心不全で死去。
大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 20… 大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 2000年4月29日)は、日本の料理人。ラーメン店『味の三平』初代店主。 札幌の味噌ラーメンの発明者。 北海道旭川市出身。戦前 - 戦中は南満州鉄道に機関士として勤務し、戦後の1948年(昭和23年)より札幌でつぶ貝とうどんを出す屋台を始めた。隣には後に有名なラーメン店『龍鳳』を出す松田勘七が、ラーメンの屋台を出して繁盛していた。松田の薦めもあり、大宮も松田の店での修業を経て、1950年(昭和25年)には札幌市中央区南7条西3丁目のすすきのに『味の三平』を開店。同じ敷地に同じ頃、松田も『龍鳳』を始める。 その後大宮は、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された、スイスの食品メーカー・マギー社の社長の文章を目にして衝撃を受ける。
檀 一雄(だん かずお、1912年〈明治45年〉2月3日 -… 檀 一雄(だん かずお、1912年〈明治45年〉2月3日 - 1976年〈昭和51年〉1月2日)は、日本の小説家、作詞家、料理家。 私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 代表作は、律子夫人の没後に描いた『リツ子 その愛』『リツ子 その死』、時代娯楽作品も人気があり『真説石川五右衛門』(1950年、第24回直木賞受賞)、『夕日と拳銃』など、また20年以上に亘り、書き継がれライフワークとなった遺作『火宅の人』(1986年、東映で異父弟のプロデューサーの高岩淡の企画、深作欣二監督、緒形拳主演により映画化)など。
山下 正(やました ただし、1912年 - 2011年)は、… 山下 正(やました ただし、1912年 - 2011年)は、日本の料理人。美術品コレクターでもある。 第一洋食店(北海道苫小牧市)の2代目店主であり、明治時代に日本へと伝わってきたフランス料理を父・山下十治郎から引き継いでいる料理人として周囲からは一目置かれていた。 同時に趣味人でもあり、2代目店主に惹かれて日本の文化人たちが日夜、店に集うようになり、第一洋食店は苫小牧の文化サロンとなっていった。川上澄生や芹沢銈介といった民藝運動ゆかりの芸術家たちとの交流を通じ、美術品や工芸品を多数収集している。 第二次世界大戦中、北海道白老町に疎開していた川上澄生は山下と交友をもち、川上の版画の第一洋食店にも展示してあるほか、「山下正コレクション」には数十点が集められている。
大前 錦次郎(おおまえ きんじろう、1910年 - ?)は、… 大前 錦次郎(おおまえ きんじろう、1910年 - ?)は、日本の料理人。 寿司を世界に広めた人物である。元全国鮨組合会長・理事長。 明治43年(1910年)、東京府東京市神田区神田錦町(現:東京都千代田区神田錦町)に生まれる。 青山大寿司の2代目として、全国鮨組合及び東京鮨組合の会長、理事長を歴任。すしの日を提案し、技術コンテストを始めるなどすしの普及に尽力。 初の英文による寿司に関する書籍「The book of sushi」を発行、アメリカ合衆国ワシントンD.C.の全米桜祭りに日本人職人を引き連れ参加し、アメリカ合衆国をはじめ世界に日本のすし文化を広めた。 昭和43年(1968年)厚生大臣表彰、昭和47年(1972年)紫綬褒章、昭和59年(1984年)勲四等瑞宝章を受章。
田村 平治(たむら へいじ、1905年3月3日 - 1996… 田村 平治(たむら へいじ、1905年3月3日 - 1996年2月18日)は、日本の料理人。日本料理研究会名誉師範。 福井県小浜市出身。生家は魚問屋で、14歳で京都の料亭に入門した。複数の店舗で経験を積んだのち、1932年に東京・築地の藍亭で料理長となる。1946年、築地に懐石料理店「つきぢ田村」を開店した。 料理番組や女子栄養大学の講師も務めた。 子は「つきぢ田村」二代目の田村暉昭、孫は同三代目の田村隆。
志度 藤雄(しど ふじお、1901年 - 1986年)は、日… 志度 藤雄(しど ふじお、1901年 - 1986年)は、日本のフランス料理人。吉田茂が首相を務めていた際に官邸料理人の任に就き「吉田茂の料理番」、「日本のフレンチの草分け」、「フレンチの先駆者」、「ムッシュ志度」とも称される。 香川県大川郡三本松町(大内町を経て、現在の東かがわ市)で植田右衛門・かつ夫妻の間の8人兄弟の末っ子に生まれる。生後間もなく、志度繁太郎・まさ夫妻の三男として養子となる。 三本松尋常高等小学校を卒業後、義理の叔父が経営する神戸市の西洋料理屋「精養軒」へ住み込みで働く。4年以上勤めた後、先輩や友人の勧めでいくつか働き先を移り歩いた後、1921年に京都市の「萬葉軒」に就職する。
秋山 徳蔵(あきやま とくぞう、1888年〈明治21年〉8月… 秋山 徳蔵(あきやま とくぞう、1888年〈明治21年〉8月30日 - 1974年〈昭和49年〉7月14日)は、日本の料理人。大正期から昭和期にかけて宮内省(のち宮内庁)で主厨長を務めた。位階・勲等は正四位勲三等。フランス料理アカデミー名誉会員。 その生涯を描いた小説やドラマ化作品のタイトルから「天皇の料理番」として知られる。皇室の食卓を預かり、宮中で行われる公式行事の料理を掌るのみならず、日本における西洋料理の普及にも大きな足跡を残した。 1888年(明治21年)、福井県今立郡村国村(国高村村国、現・越前市村国三丁目)において、裕福な料理屋の次男として生まれる。旧姓は高森。高森家は大地主で庄屋だった。
山下 十治郎(やました じゅうじろう、1884年 - 194… 山下 十治郎(やました じゅうじろう、1884年 - 1945年4月16日)は、日本の料理人。北海道苫小牧市で第一洋食店を開業した。 「苫小牧に洋食文化の礎を築いた人物」とされる。 1884年(明治17年)に山梨県東山梨郡平等村(現・山梨市)に伊藤金治郎の子として生まれ、山梨県の山下家と養子縁組する。 横浜グランドホテルでフランス料理の修行を行う。横浜市在住中の1908年に長男・誠一を授かる。 年代は不明だが札幌市豊平館にて勤務の後、1910年には札幌市で長女・すみ子を授かると共に、王子製紙苫小牧工場の落成パーティーの料理担当として迎賓館として先行開館していた「王子倶楽部」(苫小牧)に派遣される。
比護 与三吉(ひご よさきち、1871年〈明治4年〉 - 1… 比護 与三吉(ひご よさきち、1871年〈明治4年〉 - 1937年〈昭和12年〉5月20日)は、日本の料理人、駅弁販売者。明治後期に北海道札幌駅で駅弁の販売を開始し、北海道の食材にこだわった駅弁を考案したり、大正期には飯とおかずを別々の容器に詰める弁当箱「二重折り箱」を発案したりするなどの工夫により、日本全国の駅弁の歴史に大きな影響を与えた。 比護与三吉は1871年(明治4年)に、新潟県の糸魚川で誕生した。長男でなく、家を継ぐ立場になかったため、手に職をつけて1人立ちしようと、料理人の道を目指した。 修行の末に料理人として十分な技量を身につけた後、知人から「札幌は人が集まり、活気があるので、新たな商売の地に良い」と勧められて、1897年(明治30年)、妻子を連れて北海道へ移り、札幌駅近くに日本料理の店を開店した。
藤井 かほり(ふじい かおり、9月23日 - )は、日本の女… 藤井 かほり(ふじい かおり、9月23日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、ソムリエ。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業。所属事務所は(株)キャストパワー。
三嶋 隆夫 は、日本のパティシエ。福岡県福岡市出身
カン アキトシ は、日本の女性歌手・ボイストレーナー・ソムリ… カン アキトシ は、日本の女性歌手・ボイストレーナー・ソムリエである。 10歳の時に歌手になりたいと思い、地方のテレビ局やコンテストに多数出場。レコード店で見つけた猪俣公章のオーディションを受け、猪俣の勧めで地元でボイストレーニングを受けることになる。16歳の時に猪俣の弟子になりたいと親に申し出るが、猪俣はその後すぐに死去する。 中学生の時、英語弁論に出る予定だったはず弁論内容を国語の先生が気に入り、日本語にてNHK「青年の主張」に出演。準優勝する。英語弁論も両方出場。高校では文藝春秋「文の甲子園」に応募、予選通過など、当時より歌を歌う事、詩を書く事や文章を書く事が好きだった。 15歳より作詞・作曲を始め、デモテープを作るようになる。
三田 五三郎(みた ごさぶろう、生年不明 - 1944年〈昭… 三田 五三郎(みた ごさぶろう、生年不明 - 1944年〈昭和19年〉1月6日)は、日本の料理人、板前。料亭「濱田家」創業者。濱田家代表。 料亭「濱田家」の2代目で明治座会長の三田政吉は五男、明治座社長三田芳裕は孫。明治座常務取締役の三田光政やフリーアナウンサーの三田友梨佳は曽孫。 福井県坂井郡春江町(現・坂井市)出身。三田彌三右衛門の三男。商道に志し、2円の金を旅費に当て福井より徒歩にて東京に出る。伝手を求めて横浜の寿司屋に奉公したが、更に料理の道に進み、東京浜町の割烹福井楼に勤めて斯道を修得する。福井楼の料理長をつとめた。 福井楼に2年いて、濱田家を創業し、熱心に家業に励んで次第に大をなし、1933年(昭和8年)頃大森にも支店を開業した。
森田 隼人(もりた はやと、7月15日 - )は、日本の企業… 森田 隼人(もりた はやと、7月15日 - )は、日本の企業経営者、料理人、国際スラム解放活動家、クリエイター、作家である。大阪府出身の元プロボクサーである。 第11回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」を受賞し、一般社団法人エクスペリエンス代表理事を務める。2009年に立食焼肉と日本酒のレストラン「六花界」を神田で開業した。2023年10月、フランス食団「Best of Gastronomie International」よりBest of Gastronomie Gold Medal を授賞している。建築家・デザイナーとして、街づくりや店舗設計も多数手がける。 近畿大学理工学部を卒業して建築関連の会社に勤めたのちに、建築デザイン事務所「m-crome」を設立する。
平野 由希子(ひらの ゆきこ)は、日本の料理家、フード&ワイ… 平野 由希子(ひらの ゆきこ)は、日本の料理家、フード&ワインプロデューサー。 都立北園高校卒業後、学習院大学入学、卒業。日本ソムリエ協会認定ソムリエ。 2015年、フランスシュヴァリエを叙勲。ワインバー「8huit.」オーナー。 書籍、雑誌、広告の料理レシピ制作を始め、商品開発、ワインプロデュース、飲食店プロデュースを手がける。
山田 チカラ(やまだ ちから、年齢非公表 - )は、日本の料… 山田 チカラ(やまだ ちから、年齢非公表 - )は、日本の料理人、食文化プロデューサー。スペインバル「BCN groc - バルセロナグロック」・創作料理店「山田チカラ」オーナーシェフ。エスプーマ料理を日本に広げたパイオニアの第一人者。 静岡県静岡市出身。実家はお茶農家。飲食業とは無縁の家庭で育つ。静岡聖光学院中学校・高等学校卒業後に、日本で料理人の基本を習得。その後にヨーロッパに渡り修業し、縁あって現地スペイン バルセロナ市内に自身の店を持つ。その半年後には2店目の日本酒を楽しめるバールスタイルの店を出店し、オーナーとして2店舗を経営に携わる。また現地では日本人ということもありモデルとしても活動し、サン・ミゲル(絶大な人気とシェアを持ったビール)やコカ・コーラのテレビCMにも出演。
榎本大介(えのもと だいすけ)は、アコースティック・ギタリス… 榎本大介(えのもと だいすけ)は、アコースティック・ギタリスト、“音”の創作料理人。 1971年9月6日生まれ。A型。埼玉県蕨市出身。身長180cm 体重67kg。13歳でギターを始め、高校卒業後、プロ・ギタリストとしてのキャリアをスタートさせる。サポートとして数々のライブやレコーディングを行い、また、サウンド・アレンジャー、ギター講師、バンドスコア制作等、活動は多岐に渡る。現在、スカパーのヒーリング・チャンネルの中で自身が作曲した作品が流れるなどコンポーザーとしても注目を集めながら、ソロ・ライブも定期的に開催している。 【レコーディング・アレンジ&ツアー】 【バック・ミュージシャンとして出演】 榎本大介オフィシャルウェブサイト ダイヤモンド音楽出版株式会社